市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第95講

95 地獄を克服する恩恵

 「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい」。

(マルコ福音書 九章四三節)


 イエスは地獄を真剣に問題にしておられます。宗教ではよく地獄の恐ろしさを強調して、だから信仰に入るようにと勧めます。イエスの場合は逆です。神の救いが恩恵によって無条件で与えられているから、地獄のことが真剣な問題となるのです。イエスの宣教活動を見ますと、まず地獄の恐ろしさを詳しく描写して、だから悔い改めて信仰に入るようにというようなことは言っておられません。イエスはいつも無条件で救いを与えておられます。イエスにおいては神の恩恵が人間の善悪を圧倒して支配しているのです。
 イエスにおいては、この恩恵の支配である「神の国」がきわめてリアルな現実ですから、その恩恵の支配から締め出されることである「地獄」もきわめてリアルな現実になるのです。地獄の恐ろしさは神の国の素晴らしさの裏側です。いまや人は誰でも信仰によって、すなわち恩恵を恩恵として無条件で受け取ることによって神の命の世界に入って行くことができるのですから、その信仰を妨げる(つまずかせる)ものは、たとえ身体の一部のように大切なものであっても、切り捨てなければならないほど真剣な問題になるのです。
 イエスは自らも死に直面しながら、犯罪者として処刑されて死んでゆく者に言われるのです。彼が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った時、イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいる」と断言されます。これは驚くべき言葉です。彼は犯罪者として十字架で処刑されている人間であって、もはや善も悪も何一つすることはできません。苦しい息の下でイエスにすがる一言を発し、それによってイエスに結びついただけです。地上の生の最後の瞬間にイエスと結びついたことで、「今日」イエスと一緒にパラダイスにいることになったのです。どれだけ長くイエスと一緒にいるかは問題ではないのです。いま現在イエスと一緒にいるならば、いま死んでもイエスと一緒にいることになるのです。それがパラダイスです。この無条件・絶対の恩恵だけが地獄を克服するのです。この恩恵を受け取ることは、片手を失う以上に真剣なことなのです。

                              (二〇〇一年一号)