市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第30講

30 ヤイロの娘と難病の婦人  5章 21〜43節 

21 さて、イエスが再び舟で向こう岸へ渡られると、大勢の群衆がひしめき集まってきたので、イエスは海辺にとどまっておられた。 22 するとそこへ、会堂司のひとりでヤイロという名の者がやってきて、イエスを見ると足元にひれ伏し、 23 せつに願って言った、「わたしの幼い娘がいまにも死にそうです。お願いです、この子が助かって生きることができるように、おいでになって手をおいてやってください」。 24 そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。すると、大勢の群衆がついてきて、イエスのまわりに押し迫っていた。
 25 さてここに、十二年間も出血が止まらない婦人がいた。 26 多くの治療師にかかってさんざん苦しめられ、その持ち物を全部ついやしてしまったが、何の役にも立たず、かえって悪くなる一方であった。 27 この婦人がイエスのことを聞いて、群衆の中にまじって近づき、後ろからイエスの着物にさわった。 28 それは、この方の着物にでもさわることができれば、自分は救われると思っていたからである。 29 すると、彼女の血の元がすぐに乾き、自分が業病から癒されたことをその身に感じた。 30 イエスはすぐ、自分から力が出ていったことを知り、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのは誰か」と言われた。 31 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり群衆があなたに押し迫っていますのに、誰がさわったのかと言われるのですか」。 32 しかしイエスは、さわった者を見つけようとして、見回しておられた。 33 その婦人は自分の身に起こったことを知って恐れおののき、進み出てみ前にひれ伏し、すべてありのままを申し上げた。 34 するとイエスは彼女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。平安の中に生きていきなさい。その業病からすっかり治って、元気でいなさい」。
 35 イエスがまだ話しておられる時に、会堂司の家から人が来て言った、「あなたの娘は亡くなりました。このうえ先生を煩わすことはないでしょう」。 36 イエスはその話を聞き流し、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じていなさい」。 37 そして、ペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも一緒について来ることをお許しにならなかった。 38 会堂司の家に着くと、人々がひどく叫んだり、泣いたり、騒いだりしてしているのを、イエスはごらんになった。 39 そこで、中に入っていって、彼らに言われた、「なぜ叫んだり泣いたりするのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」。 40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、その子の父親と母親と供の者だけを連れて、その子のいるところへ入っていかれた。 41 そして、その子の手をしっかり握って、「タリタ、クーム」と言われた。それは訳すと、「少女よ、わたしはお前に言う。起きよ」という意味である。 42 するとただちに、少女は立ち上がって歩きだした。彼女はもう十二才になっていたのである。人々はたちまち、極度の驚きのため、呆然となった。 43 イエスは彼らに、このことを誰にも知らすなと厳しく命じ、また、少女に食べるものを与えるように言われた。

会堂司

 会堂はユダヤ教社会の生活の中心であった。それは信仰生活のための施設であるだけでなく、裁判所であり、学校であり、役所であった。その会堂の運営を司る「会堂司」という地位は、地域社会で尊敬される名誉ある地位であり、その地位にある者は、社会の模範的人物であった。ヤイロもそのような「会堂司」のひとりとして、立派な信仰生活を送っており、人々から尊敬されている人格者であったであろう。彼は死に関するユダヤ教の教えも十分承知していたであろう。しかし自分の幼い娘がいまにも死にそうな状況においては、信奉する宗教の教義の中に悟りすましていることはできなかった。何としても娘を助けたかった。イエスの足元にひれ伏して、助けを求めている彼の姿に、自然ないのちの呻きが教義や体面を乗り越えてほとばしり出ている。このような人間の本源的な、そして捨身の願いに神が応えられないことがあろうか。イエスは彼のこのような切なる願いに応えて、彼の娘を助けるために、彼と一緒に出かけられる。

難病の婦人

 その途上でイエスは一人の難病の婦人を癒される。十二年間も出血が止まらない婦人病を患っている婦人である。レビ記(一五・一九〜三一)の規定によれば、女性の出血は通常の生理期間のものでも、その女性を「汚れた」ものとし、彼女が触れた人や物を「汚れた」ものにする。生理期間を超えて出血が続くときは、その期間中はずっと「汚れた女」として扱われる。イスラエルの民は「汚れた」ものに触れないように厳しく求められているので、この婦人は十二年間もの長い間、人々の交わりから締め出されて、ずいぶん辛い思いをしてきたことであろう。これは病気による身体の苦痛よりも辛いことであったと思われる。
 彼女は当然この辛い病苦から救われるためにあらゆることを試みた。よい治療師がいると聞けば、どのように高額の謝礼を求められても出向いていった。藁にもすがる思いで次々にかかり、全財産をついやしてしまったが、全然よくならないで、かえって悪くなる一方であった。ここで普通の「医者」という意味の語が用いられているが、当時の医療の実状からすると、いかがわしい民間療法を行なう者や祈祷師まで含めて、かなり広い意味で「治療師」一般を指していると考えられる。いつの時代にも、病人の苦しみにつけこんで利益をむさぼる者がいるものである。
 どのような方法をもってしても治らないという意味では、これは「難病」である。けれどもこの場合は、たんに治りにくい病気というだけではない。二九節と三四節で用いられているギリシア語は、普通の「病気」という意味の語ではなく、本来「鞭」を意味する語である。旧約聖書では「鞭」は懲らしめとして神から下る禍いを指す用語である(イザヤ一〇・二六、ヨブ九・二三など)。その伝統を受けて、新約聖書のギリシア語では、この語は神からの懲らしめとして人間の力では治らない難病を指している。ここでこの語が用いられているのは、この婦人の病気が普通の病気ではなく、神からの懲罰として、当時の宗教社会から突き放されて見られていたことを示している。このような宗教的な意味合いをもつ用語として、この私訳では「業病(ごうびょう)」という訳語を用いている。
 この婦人がイエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、誰にも気づかれないように後ろからイエスの着物にさわった。彼女は自分が「汚れたもの」であり、人に触れることは許されていないことは知っていたし、立派な先生が直接自分に触れてくださることも期待できない立場であった。けれども、イエスが入って行かれる村でも町でも、イエスの着物に触れた者は皆いやされた(マルコ六・五六)という噂は聞いていたのであろう。その方の前に進み出て直接手を置いていただくことをお願いすることはできないが、せめて着物の裾にでもさわることができれば治るのだという一心で、後ろからイエスの着物にさわったのである。すると、たちどころに自分の身体の内部に変化が起こったことを感じ、長年の業病から救われたことを知った(このような体験の証言は現在でも数多くある)。
 イエスもご自分を通して神の力が出ていったことを知り、いま神のあわれみの業を受けた者を知ろうとして、「わたしの着物にさわった者は誰か」と言われた。群衆がイエスに押し迫っており、みながイエスの身体に触れているというような状況で、これは無意味な質問のようにみえる。弟子たちも思わず、「ごらんのとおり群衆があなたに押し迫っていますのに、誰がさわったのかと言われるのですか」と問い返している。
 このことは、イエスとの触れあいを通して神の力を体験するとは、どのような性質のことであるのかを指し示している。手でイエスの身体や衣服に触ったり、目でイエスの姿を見たり、耳で声を聞いたりするだけでは、真にイエスに触れたとは言えない。この時もイエスにさわっていた人は多くいたが、真にイエスに触れたのはこの婦人だけであった。彼女だけが信仰によってイエスに自分を投げかけていたからである。逆に、手でイエスに触れることはできないが、今でも信仰によって復活されたイエス・キリストの御名を呼び求め、自分をこの方に投げかけていくならば、イエスとの触れあいを通して神の力を受けることができるのである。
自分から力が出ていったのを感じられたイエスは、いま神の力を受けた者を知ろうとして、人々を見回された。その婦人は自分が律法の定めを踏み越えて聖なる方に触れたことに恐れを感じ、もはやこの方の前では何も隠しておくことはできないと知り、イエスのみ前に進み出て、ひれ伏してすべてありのままを申し上げた。すると、イエスの口から出た言葉は、彼女の律法違反をとがめる裁きの言葉ではなく、無条件に救いを宣言する恩恵の言葉であった。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。平安の中に生きていきなさい。その業病からすっかり治って、元気でいなさい」。イエスは神の力によって婦人を病苦から救っただけでなく、この恩恵の言葉によって人間を律法の抑圧と差別の世界から解放しておられるのである。
 「信仰によって救われる」、この人間救済に関する根本原則はパウロがはじめて発見し確立したのではない。すでにイエスが明白に宣言しておられるのである。人間はいつも、何らかの意味で自分が成し遂げて獲得した価値によって救われ完成するのだと考え、努力してきた。宗教の戒律の実行によって、道徳的に立派な行為を積み重ねることによって、また「悟り」と呼ばれる特殊な考え方ないし精神状態に到達することによって、あるいはまた高度の知識と技術を身につけることによって、人間は惨めな現状から救われ、栄光に至るのであると考えられてきた。それに対して、人間が救われるのは、そういう人間の側の価値とはいっさい関係なく、自分の存在の根源である神が恩恵によって差し出してくださっているものを、自分を投げ出して無条件に受け取る「信仰」だけによるのである、という「信仰の法則」(ロマ三・二七)の発見は、人間存在に関わる最も根本的な法則の発見である。アブラハムの物語に見られるように、本来イスラエルは信仰によって神の民とされたのであった。その根本原理が煩雑な律法の解釈や要求に覆われて、見失われてしまっていたのである。この覆い隠され、見失われていた「信仰の法則」をイエスが体現し宣言され、パウロが論争し確立したのであった。

眠れる者よ、起きよ

この婦人の癒しのために立ち止まって話をしておられる間に、会堂司の娘が亡くなったという知らせが入った。落胆し悲嘆にくれる会堂司に、イエスは「恐れることはない。ただ信じていなさい」と言われる。人間の力ではもはやどうすることもできない死という現実の前で、人間はただ嘆き悲しみ、絶望するだけであるが、イエスの中にある生命はそれを超える力を知っている。信仰は死という現実をも超えて、恐れることなく、神が為してくださることを待ち望む。
 そこからはペトロ、ヤコブ、ヨハネのほかはだれも連れず、会堂司の家に向かわれる。到着すると、子供の死を嘆いて、人々がひどく叫んだり、泣いたり、騒いだりしていた。当時のパレスチナの慣習では、泣き叫びや騒ぎが大きいほど、死者をふかく悼むことになるとされていたので、「イスラエルの最も貧しい人でも、葬儀には少なくとも二人の笛吹きと一人の泣き女をやとう」と言われていた。会堂司の家ではすでに泣き女や笛吹きが到着していて、おおいに哀悼の意を表していた。イエスは家の中に入っていって、泣いたり叫んだりしている者たちに言われた、「なぜ叫んだり泣いたりするのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」。この言葉を聞いた者たちは、イエスをあざ笑った。現に死んでしまった者を「眠っている」と言うのは、人間の目にはまことに愚かなことである。
 同じ死という現実を見ている。生まれながらの生命に生きている者の目には、死はその生命の絶対的な否定であって、執着して泣き叫ぶか、諦めて静かに受け入れる以外にどうしようもない。けれども、イエスの中に到来している終末的な生命から見れば、死は再び目覚めるまでのしばらくの間の眠りである(ヨハネ福音書一一・一一も参照)。神からの新しい生命は死によって無に帰するのではなく、しばらくの眠りの後、再び復活の形をとって目覚めるのである。イエスの復活後、主イエス・キリストを信じた者たちはこのことを理解し、亡くなった人たちのことを「眠った者たち」とか「眠っている人々」と呼んだ(コリントT一五章、テサロニケT四章)。この表現は、伝えられたこの時のイエスの言葉から来ていると推測してよいであろう。
 イエスは泣き叫ぶ者たちを皆外に出して、その子の両親と三人の弟子たちだけを連れて、その子のいるところに入っていき、すでに死んでいる子の手をしっかり握って、「少女よ、わたしはお前に言う、起きよ」と言われた。この時イエスが使われたアラム語「タリタ、クーム」がそのまま伝えられているのは、この時目撃した出来事がペトロたちにとって生涯忘れることができない強烈な印象を与えたからであろう。彼らはこの時のイエスの言葉を、その耳で聞いたまま、その心に鳴り響いている形のまま、伝えないではおれなかったのである。
 イエスがこう命じられると、死んで冷たくなって横たわっていた少女が、起き上がって歩きだした。これを直接見た両親や弟子たちはもちろん、歩いて出てきた少女を見た外の人々も、あまりにも大きい驚きのため、ただただ呆然とするだけであった。彼らがこの時どのような質のことが目の前で起こっているのか、理解することができなかったのは当然である。人類が今まで経験したことのない、まったく新しいことが起こっている。これは人類にとって最終的な事態《ト・エスカトン》が到来していることの「しるし」である。この出来事の意味を理解しないで、ただイエスの不思議な力だけを言い触らすことは、イエスに対する間違ったメシア期待を焚きつけ、イエスが「主の僕」としての使命を全うされることに妨げとなるだけであろう。そのため、イエスはこのことを誰にも知らすなと厳しく命じられる。イエスが死人の中から復活された後、復活の宣教の中ではじめて、この出来事もその「しるし」としての意義を正しく理解して宣べ伝えられることになる(マルコ九・九参照)。
 イエスは少女に食べるものを与えるように言われたが、これは少女が生き返ったことが一時的な幻影ではなく、現実に身体をもってする生活に戻ったことを印象づける。イエスも復活された後、弟子たちに現れ、食事を一緒にすることによって、復活が幻影でないことを示しておられる。

復活のしるし

 死んだ者に向かって、「わたしはお前に言う、起きよ」と言うことができるのは、いったい誰か。実に驚くべきことが地上で起こっている。「死人を生かす神」がこの地上で働いておられるのである。人類が最終的に到達しなければならない信仰、最終的に見いださなければならない神、「死人を生かす神」の信仰がいま地上に現われたのである。イエスはさきに「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と言って、足なえの人を人々の目の前で歩かされた(マルコ二・一〜一二)。いま「人の子」が地上で死人を生かす権威を持っていることを示すために、死者に向かって「わたしはお前に言う、起きよ」と命じられる。終りの日に神は「眠っている者たち」に向かって、「人の子」によって「目覚めよ、起きよ」と大号令を発せられる。いま地上でイエスがそのような権威を持つ「人の子」であることを示す「しるし」として、その一言葉で死んだ少女を生き返らされるのである。
 この出来事はまだ「復活」ではない。「復活」とは朽ちるべきこの肉体に生き返ることではなく、死んだ者がもはや朽ちることのない「霊のからだ」をもって生きるようになることである。それはイエスの身に初めて起こったことである。この少女の場合はまだ「復活」ではなく、もとの身体に生き返っただけである。それは病人の癒しの延長線上にある。病気は死の初子であって、どの病気もそのまま進めば死に至る。イエスは人の力では治すことのできない病気を神の力で癒して、「神の支配」が来ていることの「しるし」とされた。そして今、病気のために死んでしまった少女を生き返らせて、その「しるし」の中で最大の、そして最終的な「しるし」を示される。終末的な「復活」を指し示す「しるし」として、ひとたび死んだ者が生き返らされること以上のものは、もはやこの地上にはない。
 獄中でイエスがされている業を伝え聞いた洗礼者ヨハネが、弟子を遣わしてイエスに、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と尋ねた時、イエスは「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」と答えておられる(マタイ一一・二〜六)。終りの日の到来を指し示す一連の「しるし」の中の最後のものとして、死者が生き返ることがあげられている。すでに見てきたように、マルコはこれまでにここに挙げられているほかの業をすべて記録してきたが、最後に死者が生き返るという最大の「しるし」を挙げて、イエスのガリラヤでの宣教活動を伝える部分を締めくくるのである。ヨハネも福音書を書くにあたって、同じような構成をとり、イエスの活動を伝える主要部分(「しるしの書」と呼ばれている二〜一二章)を、死んで四日もたつラザロが生き返らされた最大の「しるし」をもって締めくくっている。
 ガリラヤ湖畔でのイエスの宣教活動を伝えるこの部分(四〜五章)の後半は、嵐を静め、悪霊を追い出し、業病を癒し、死者を生き返らせるという「しるし」をもって、イエスが、天上、地上、地下の三界を支配する方であることを指し示した。そうして、この方に直面した人間が畏れと驚きをもって発した「いったいこの方は誰だろうか」という問が、次の六章から十章までの旅の部分の中心的な主題になる。