市川喜一著作集 > 第5巻 神の信に生きる > 第7講

V 福音書の福音 

第二講 人の子は苦しみを受け

            ―― 十字架につけられたキリストの福音 ――

キリスト受難の秘義

イエスの受難告知

 マルコ福音書によると、ペトロが「あなたはキリストです」と告白したときから、イエスは他言することを厳しく禁じた上で、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、殺され、三日の後に復活する」ことを教え始められます(マルコ八・二九〜三一)。復活者キリストは、地上では苦しみを受け、支配者たちによって殺され、その後、復活することによって初めて救済者キリストとなるというのです。これ以降語られるイエスの受難物語は、実は復活者キリストの受難とその意義を語る物語となるのです。
 ここでイエスがご自分の受難を語るのに、「わたし」とか「メシア」という語を用いないで、「人の子」という名称を用いておられることが問題になります。この「人の子」という名称は、ユダヤ教黙示思想特有の用語であって、異邦人の間では理解されないものでした(それでパウロはこの称号を用いていません)。それにもかかわらず、この称号が異邦人のために書かれた福音書に保存されているのは、イエスがこの用語を用いられたという事実がイエス伝承に深く根付いていたからです。この称号はイエスの言葉の中に出てくるだけで、イエス以外の人物の発言には出てきません。イエス特有の用語と言わなければなりません。
 では、イエスはどういう意味でこの称号を用いられたのかは、新約聖書学最大の謎の一つで、いまだに議論が続いています。この称号がダニエル書七章から来ていることは一般に認められています。そこでは四つの獣に象徴される世界帝国の支配の後に、「人の子のような者」が神から永遠の支配を与えられるという終末の光景が語られています。それ以後の黙示文書で、「人の子」とか「人」が、世の終末に天から現れる超自然的な審判者・支配者を指す称号として用いられるようになります。福音書でも明らかにこのような意味で用いられている箇所があります(たとえばマルコ一三・二六、一四・六二など)。
 「人の子」という称号にこのような栄光の座にある者を指す背景がある以上、福音書が「人の子は苦しみを受け、殺される」という言葉をイエスの言葉として伝えるとき、福音書は、後半のイエスの受難物語が栄光の主、復活者キリストの出来事であると言おうとしていることになります。福音書は前半でイエスが復活者キリストであることを告知しましたが、後半でそのキリストが十字架につけられて死ぬことで世界の救済者となると語っているのです。福音書は、パウロが宣べ伝えた「十字架につけられたキリスト」の福音を、イエスの物語の形で世に伝えているのです。
 マルコは「人の子は必ず苦しみを受け、殺され、三日の後に復活する」というイエスの言葉を《ホ・ロゴス》(み言葉)と呼んでいます(八・三二)。《ホ・ロゴス》は初期の宣教では「福音」を指す術語でした。マルコはこのイエスの言葉こそ「福音」だとしているのです。これが「福音書の福音」だと言えます。なお、「必ず」という語は、この出来事が神の救済計画の実現であることを指しています。これは「福音」の不可欠の構成要素です。
 共観福音書では、イエスはこの時からエルサレムに入られるまでに、三回ご自分の受難を予告しておられます。第一回目の予告(マルコ八・三一)と第三回目の予告(マルコ一〇・三三〜三四)には事後予言的な表現も含まれていますが、おそらく第二回目の予告として伝えられている「人の子は人の子らの手に渡される」という《マーシャール》(謎の言葉)の形が、イエスの本来の言葉であろうと見られます。

イエスの変容

 イエスの最初の受難予告のすぐ後に、高い山の上でイエスが輝く姿に変わられたという記事が続きます(マルコ九・二〜一三とその並行記事)。この記事も、先に見たように、食卓での復活者の顕現や湖上での顕現の記事と同じく、ある顕現体験が地上の出来事と重ねて語られたものと見られます。どこかの山で弟子たちが復活されたイエスに出会ったという伝承があり、マタイはそれをイエス復活後のガリラヤでの出来事として用いており(マタイ二八・一六〜二〇)、ペトロ書簡もその伝承を保存しています(ペトロU一・一六〜一八)。この顕現伝承が、仮庵祭の頃に弟子たちが山の中でイエスと一緒に深く祈った体験と重ね合わされて、この「山上の変容」の物語となったのでしょう。
 この記事は、雲の中からの声が「これはわたしの愛する子」と宣言したと伝えていることからも分かるように、ヨルダン川でのバプテスマの記事と同じく、イエスは復活によって神の子として立てられたという告知(ローマ一・四)を物語の形で示すものです。では、このような記事がこの場所におかれたことにどのような意味があるのでしょうか。
 この記事は、ペトロのキリスト告白とイエスの受難予告と共に一連のまとまりをなしており、(とくにマルコでは)福音書物語の分水嶺を形成しています。前半の物語を受けてペトロのキリスト告白がなされ、そのキリストは受難するキリストであるという秘義がイエス御自身の言葉で教えられ、この変容の物語で、受難するイエスが栄光の復活者キリストであることが神によって確認されて、頂点に達します。ここから福音書の物語は、栄光の山から下って一路エルサレムでの受難に向かいます。
 山を下りるときにイエスが、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と命じられたのは(マルコ九・九)、この物語は復活者キリストの顕現の物語として語られるべきものであることを示しています。そして、「人の子が死者の中から復活するまでは」、すなわちイエスが地上におられるかぎりは、復活者を告知するイエスの物語は「隠された顕現の書」となるのです。マルコはこのような「隠された顕現」という矛盾した構造を、イエスの他言するなという沈黙命令と弟子たちの無理解という手法で実現しています。

旅の途上で

 栄光の山から下って、イエスは一路受難の地エルサレムへ向かって旅を続けられます。この旅では、受難予告が繰り返されていることが示しているように、イエスは内輪の弟子たちに「苦しみを受ける人の子」の秘義を教えることに集中されます。前半のように、群衆の前で力ある業を行い、神の支配を宣べ伝えるという働きは、僅かの例外を除いてほとんどありません。今回はすべてを取り上げるゆとりはありませんので、主要な場面だけを見ていきます。
 エルサレムへ向かう道を一緒に歩きながら、イエスの思いと弟子たちの思いがまったく反対の方向に向いていたことが明らかになる場面があります。それは、ゼベダイの子ヤコブとヨハネがイエスに、「あなたが栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」と願い出た場面です(マルコ一〇・三二〜四五)。この二人は、イエスは神の都エルサレムでメシアとしての力を現し、異教徒の支配を覆し、神から栄光を受けて支配の座に着かれるはずだという弟子たちのメシア期待を代表しています。それに対して、イエスの道は違うことを教えられます。まず、この世では力のある者が力をもって上から支配し、人々を自分に仕えさせるのに対して、イエスの弟子たちの間ではそうではなく、偉くなりたい者は皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者はすべての人の下に立って仕える僕となりなさいと諭した上で、すべての人に仕える僕の原型としてのご自分をこう語り出されます。

 「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人のための身代金として自分の命を献げるために来たのである」。(マルコ福音書 一〇章四五節)

 福音書はイエスが苦しみを受けて十字架の上に死なれたという事実を語り伝えるだけでなく、その事実がわたしたちにとって何を意味するのかを告知するのです。ここで福音書は、イエスの十字架上の死を「多くの人のための身代金」としています。「身代金」というのは、捕らわれている人を解放するために支払われるお金のことです。古代では、奴隷や捕虜を解放してもらうためにお金が支払われました。この「身代金」という制度を比喩として用いて、福音書はイエスの死が多くの人を解放するための死であることを告げ知らせているのです。では何から解放するのかはここでは語られていません。それが罪と死の支配からの解放であること、また、イエスの死がどのような仕方でわたしたちを解放するのかは、新約聖書全体から理解しなければなりません。ここでは、キリストがこの世界に来られたのは、人々に解放をもたらすための身代金として御自身の命を献げるためであること、イエスはイザヤ書五三章の「主の僕」のようにこの神の召しを進んで受け入れて命を献げられたことが語られています。なお、「多くの人」というのは、聖書では、「特定の限られた範囲の人たち」ではなく、「すべての人」、「誰であっても」の意味で用いられる表現です。

最後の晩餐

 次に、イエスの受難の意義を語る重要な場面は「最後の晩餐」です。過越の食事を弟子たちと共にする場面で、イエスは弟子たちに語りかける最後の機会として、もっとも重要な言葉を発せられます(マルコ一四・二二〜二五とその並行記事)。過越の食事の習慣に従って、パンを裂いて弟子たちに渡すとき、イエスは「これはわたしの体である」と言われ、ぶどう酒の杯を渡すときに、「これはわたしの血である」と言われます。裂かれるパンと赤いぶどう酒で目前に迫っている御自分の死を指しながら、その死こそ、この過越の食事が記念している出エジプトの出来事を成就するものであることを語っておられるのです。イエスが十字架の上にながされる血は、出エジプトにさいして立てられた古いモーセ契約に代わる「新しい契約」の血となるのです。このことは、マルコ、マタイ、ルカの三共観福音書が共通して語っているところですが、それに加えて、ルカはパンについて「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」という説明を加え、杯について「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」とやや詳しい表現を用いています。マタイは「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」とさらに詳しく表現しています。こうして福音書は、キリスト受難の意義をイエスの最後の言葉の形でわたしたちに告知しているのです。

ゲッセマネ

 最後の晩餐の後、イエスはゲッセマネの園で血の汗を流すような苦闘の祈りをされます(マルコ一四・三二〜四二とその並行記事)。イエスは先に御自分が受ける苦しみを「わたしが飲む杯」と表現しておられましたが(マルコ一〇・三八)、ここでイエスがその「杯」を飲み干される苦悩が語られます。ここで「杯」とは、罪に対する神の裁きを象徴しています。父としての神とのまったき交わりに生きておられたイエスにとって、人間の罪に対する神の裁きを一身に受けることほど苦しいことはありません。イエスは「この杯をわたしから取りのけてください」と三度まで祈られましたが、杯は取りのけられませんでした。イエスがその杯をお受けになる以外に、人が救われる道がなかったのです。イエスは激しい祈りのすえ最後に「あなたの御心が行われますように」と、その杯をお受けになります。
 キリストの受難というのは、イエスが十字架の上で肉体の苦痛を受けられたことだけではありません(それも人の想像をはるかに超える苦しみですが)。栄光の座にある神の子キリストが神の裁きによって死の暗闇を味わうことです。これはもはや人間の思いが到達できない深みにおける矛盾であり暗黒です。イエスが十字架の上に死なれたときに世界を覆った暗闇が、かろうじてそれを象徴しています(マルコ一五・三三)。キリスト受難の秘義は人間の言葉を絶しています。
 ゲッセマネでイエスが逮捕される記事(マルコ一四・四三〜五〇とその並行記事)は、ユダの裏切りも含めて、イエスの受難が聖書の言葉、すなわち神があらかじめ定めておられた計画が実現するためであることを強調しています。

イエスの裁判

 逮捕されたイエスはまずユダヤ教の最高法院で裁判を受けます(マルコ一四・五三〜六五とその並行記事)。イエスを有罪とするための証言が合わず、最後に大祭司が「おまえはほむべき方の子、メシアなのか」と尋ねます。それに対してイエスは「わたしはある《エゴー・エイミ》」と答えられます。この言葉は、湖上を歩かれるイエスの記事にも出てきましたが、神が御自身を顕わされるときにみずからを名乗られる言葉です。復活者キリストの自己顕現としてふさわしい言葉です。しかし、地上の人間がこの言葉をもって自分を名乗ることは、自分を神とすることであり、ただちに神聖冒?になります。最高法院は、イエスのこの言葉を聞いて、ただちに死刑を言い渡しました。
 福音書がイエスの裁判をこのように描くのは、死刑判決を受けている方が神の子キリストであることを示すと同時に、人間が神に死刑判決を下しているという矛盾、いや人間の根源的な倒錯、罪を語っているのです。イエスが復活していないただの人間であれば、このユダヤ教最高法院の判決は正しいのです。イエスが復活してキリストとして立てられたことによって、この判決は人間の宗教性(人間が宗教制度に寄り頼む在り方)に死刑を言い渡す判決になったのです。復活者キリストの福音は人間の宗教性の破却です。

十字架

 イエスは十字架の上で想像を絶する苦痛に耐えられます。しかし、肉体の苦痛について言えば、一緒に十字架につけられた「強盗」二人も同じ苦痛を味わっていたわけです。ユダヤがローマに支配されていた時代には数千人のユダヤ人が十字架につけられたのです。また、歴史上多くの義人が刑に処せられました。イエスの十字架もその中の一つに過ぎません。しかし、イエスが復活者キリストであることによって、イエスの十字架は特別の意義を担うことになります。福音書はその特別の意義を世界に告知するのです。
 イエスは十字架の上で息絶えるとき、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれました。この叫びが何を意味するかについては解釈が分かれています。この言葉が詩篇二二編の冒頭の言葉であるので、イエスはこの叫びによって詩篇二二編の全体を唱えて、この詩篇の最後が示している神への信頼と平安を告白しようとされたのだとする解釈があります。しかし、この解釈はイエスを殉教者と見る場合は適切かもしれませんが、イエスは決して殉教者として死なれたのではありません。ゲッセマネの祈りについて先に見ましたように、イエスは「杯」を飲み干しておられるのです。イエスは現実に神から見捨てられ、神の裁きの下に死を味わっておられるのです。この叫びは、魂を含む全存在の滅びの下にある人間の叫びを、キリストが代わって叫んでおられることを指し示しているのです。
 ルカはこの叫びを「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」という言葉に代えています(ルカ二三・四六)。おそらくルカは護教的な動機から、イエスを立派な殉教者として描こうとしたのでしょう。しかし、ルカの記事はイエスの十字架の記事から、「キリストがわたしたちの罪のために死なれた」という福音の本質を覆い隠してしまう危険があります。イエスの十字架の出来事が福音の本質を語る記事となるために、わたしたちはマルコの記事を保持しなければなりません(マタイはマルコを保持しています)。
空の墓
 本来のマルコ福音書は空の墓の記事(マルコ一六・一〜八)で終わっています。安息日が始まる前(金曜日)に葬られたイエスの遺体が、安息日が明けた週の初めの日(日曜日)になくなっていて、墓が空であったという記事です。墓を訪れた女性たちに、若者の姿で現れた御使いが、「イエスはここにはおられない。復活されたのだ。ガリラヤでお目にかかることができる」と告げたというのです。このことは最後の晩餐の直後、イエス御自身も予告して、「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と言っておられました(マルコ一四・二八)。
 このようにマルコ福音書は、弟子たちを、またわたしたちを墓からガリラヤへと導き、そこで復活されたイエスに会わせるという構成をとります。こうしてマルコ福音書前半のガリラヤでの記事は、先に見ましたように、イエスの働きを物語る形で復活者キリストの顕現を告知する記事となっているのです。イエスの復活が福音のもっとも基礎的な内容であるにもかかわらず、空の墓の記事の後に復活顕現の記事がないか、あってもごく簡単であることの理由がこれでわかります。福音書はその全体で復活者であるイエスを告知しているのです。

キリストと共に死ぬ

 こうして福音書は、地上のイエスの働きと受難を物語りながら、実は復活者キリストがわたしたちのために苦しみを受けて死なれるという福音の秘義を告知しているのです。そして、この復活者キリストであるイエスを信じて救いにあずかり、命にいたるように呼びかけているのです。
 救いの道である「信仰」について福音書はあまり多くは語っていません。福音書ではもっぱらイエスを信じること、すなわちイエスにおいて救いの現臨を示している神を信じることが求められています。しかし、その中でイエスの言葉という形で「信仰」の秘義を語っている箇所があります。それは、イエスがご自分の受難を予告された後、弟子たちと群衆に「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者はそれを得るのである」と語られた箇所です(マルコ八・三四〜三五とその並行箇所)。ここには「信仰」という言葉は使われていませんが、ここに語られているように、イエスに従い、イエスが十字架の上に御自身を捨てられたように、イエスと合わせられて自分に死ぬことによって、別種の命に生きるようになること、それが福音における「信仰」なのです。パウロが「わたしはキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ二・一九〜二〇)と告白している事態と同じことなのです。
 パウロは福音書を書きませんでした。もしパウロがイエス伝承を集めて「福音書」を書いたとすれば、それはマルコ福音書(あるいはヨハネ福音書)に近いものになったのではないか、とわたしは想像したりします。マルコ福音書が「十字架につけられた復活者キリスト」の福音をもっともストレートに表現していると思うからです。それに比べますと、マタイ福音書とルカ福音書は伝記的な性格(近代的な意味での伝記ではなく、ある人物の生涯を語ることで著者がある理念を世に訴えるという古代の伝記文学の意味ですが)が強くなって、このパウロ的な「十字架の福音」の構造がやや見えにくくなっているように感じます。

聖霊でバプテスマするキリスト

ヨハネのバプテスマとキリストのバプテスマ

 最初に述べたように、福音書の物語はヨハネのバプテスマ運動から始まります。ヨハネのバプテスマ運動が実際にどのようなものであったのかは、福音書(とヨセフス)に保存されている僅かの資料を批判的に用いる以外に、知る手がかりがありません。マタイ(三・一〜一二)とルカ(三・一〜二〇)が、「語録資料Q」に保存されたヨハネに関する伝承を伝えています。それによりますと、ヨハネは終末の審判が迫っていることを叫び、イスラエルに悔い改めを迫った預言者であったと言えます。そのさい、ヨハネは迫っている神の裁きを火で象徴しました。自分は悔い改めのしるしとして水でバプテスマを施しているが、すぐ後に現れる方は審判者として火でバプテスマするという預言です。
 福音書はイエスの「神の国」宣教がヨハネの運動から出発していることを知っていますが、ヨハネをやがて出現するキリストの先駆者と位置づけ、ヨハネが施した水のバプテスマを、やがて復活者キリストが施される聖霊によるバプテスマの型と意義づけています。マルコ福音書は、大胆にヨハネの預言の実際の内容をすべて切り捨て、「わたしは水でバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」という福音の告知だけにしています(マルコ一・七〜八)。ヨハネ福音書も同じです(ヨハネ一・二九〜三四)。マタイとルカは、迫っている審判を「火のバプテスマ」と語ったヨハネの預言を伝えながら、同時にそれをマルコの言う「聖霊のバプテスマ」と重ねるために、ヨハネの言葉を「聖霊と火でバプテスマをお授けになる」と変えています。ここでは火は聖霊の象徴となっています。 「女から生まれた者の中でもっとも偉大な」人物と言われるヨハネも、聖霊によって死者の中から復活して神の子とされ、聖霊でバプテスマを授けるキリストと比べると、「かがんでその方の履き物のひもを解く値打ちもない」ことになるのです。

水のバプテスマと聖霊のバプテスマ

 イエスがヨハネからバプテスマをお受けになったことは、どの福音書も事実として認めています。ヨハネ福音書は、その後イエスもユダヤでバプテスマを授ける運動をしておられたことを伝えています(ヨハネ三・二二、二六、四・一)。マルコを初めとする共観福音書は、この時期のイエスの活動は省略して、イエスがガリラヤに戻り、独自の宣教を開始されたところから物語を始めます。ガリラヤに戻ってからは、イエスはバプテスマを授けることはなく、バプテスマについて語られることもありません。また、弟子たちを宣教に派遣するとき、バプテスマを授けるようにとは命じておられません。
 ところが、復活後の教団は福音を信じた人々にバプテスマを施すことを始めました(使徒二・三七〜四二、以下多数)。これにはいろいろな理由が考えられますが、最大の理由はイエスご自身がバプテスマを受けて、ヨハネのバプテスマを神からのものと認めておられたからでしょう。以後水のバプテスマは、罪の悔い改めというヨハネのバプテスマの意義を保持しながら、イエスに対する信仰告白の象徴行為として、初期の教団で広く行われることになります。ヘレニズム世界の異邦人教会でも広く行われ、パウロも信徒はバプテスマを受けていることを前提にしています(ローマ六・三〜五)。マタイ(二八・一九)は、バプテスマを授けることを復活されたイエスの命令としています。
 ところで、初期の教団が福音宣教を開始した一世紀のユダヤでは、ユダヤ教諸派のバプテスマ運動が盛んになってきていました。エッセネ派、(おそらくそこから出た)洗礼者ヨハネの宗団、さらにマンダ教などのグノーシス諸派、パリサイ派の改宗者の洗礼など、ユダヤ教内部で洗礼運動が盛んでした。ユダヤ人の間では、イエス・キリストの福音を宣べ伝える教団が授けるバプテスマも、そのような洗礼運動の一つであったわけです。それで、教団は他のバプテスマとの違い、とくに自身がそこから出てきたヨハネのバプテスマとの違いを明確にしなければなりませんでした。その中でマルコ(一・八)が初めて、キリストが授けるバプテスマは水のバプテスマではなく「聖霊のバプテスマ」であるという表現を用いるのです。ヨハネ福音書(一・三三)も同じ表現を用いています。
 パウロはまだ「聖霊のバプテスマ」という表現を用いていません。しかし、「キリストがわたしを遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を告げ知らせるためである」(コリントT一・一七)と言うとき、パウロは同じことを言っているのです。ここでパウロは「バプテスマを授ける」ことと「福音を告げ知らせる」ことを対立させていますが、パウロが「福音を告げ知らせる」というのは、福音を聴いて信じる者が聖霊を受けることを含んでいます(ガラテヤ三・一〜六)。それで、マルコやヨハネが用い始めた「聖霊のバプテスマ」という表現を遡ってパウロにも用いるならば、パウロはこう言っていることになります。「キリストがわたしを遣わされたのは、水のバプテスマを授けるためではなく、信じる者に聖霊のバプテスマが授けられるようになるためである」。もし現代のキリスト教が水のバプテスマに安住しているならば、このパウロの言葉に真剣に耳を傾けなければなりません。

父の約束

 こうして、イエスは復活者キリストとなることで「聖霊でバプテスマを授ける」方になるのです。したがって、イエスが地上におられる時には、まだ聖霊が降ることはできません。そのことをヨハネ福音書はこう言って明示しています。

 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている御霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ降っていなかったからである。(ヨハネ七・三七〜三九)

 それで、地上のイエスが御霊について語られることがあるとすれば、それは約束という形にならざるをえないのです。ヨハネ福音書もここで、イエスが語られた言葉を、将来イエスが「栄光を受けた時」(ヨハネでは十字架と復活の出来事を指す)信じる者が聖霊を受けるようになるという約束としているわけです。
 ルカ福音書はさらに明白に「約束」という言葉を用いて聖霊のことを語っています。ルカ福音書は、イエスは地上におられる間は聖霊を注ぐことができないことを、イエスの願望の言葉という形で伝えています。

 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならないバプテスマある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう」。(ルカ一二・四九〜五〇)

ここで「火」は聖霊を象徴しています。イエスは地上の人々に聖霊を注ぐことを切に願われましたが、それができるようになるためには、まずイエスが神の裁きのバプテスマを受けなければならないのです。先に見ましたように、ここでの「バプテスマ」は、「杯」と共に、イエスが十字架ですべての人のために受ける神の裁きを象徴しています(マルコ一〇・三八)。十字架という苦しみのどん底を通って復活し、神の右に上げられて初めて聖霊を注ぐことができるのです。地上のイエスは、それが実現するために受けなければならない苦しみを予感しながら、御霊の注ぎを願望として、また将来の約束として語らざるをえないのです。
 イエスは神を父と呼んで親しみ、父が子に注ぐ慈愛の中に生きておられました。それで弟子たちにも「父よ」と祈ることを教え、父に必要なものを祈り求めて生きるように教えられました。このことを語る次の言葉は、イエスの言葉の中でももっとも有名なものです。

 「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれるからである」。(ルカ一一・九〜一〇)

 この言葉の結論として、マタイ(七・一一)は「天の父は求める者に良い物をくださる」としているのに対して、ルカ(一一・一三)は「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」としています。ルカによれば、父が父としての恩恵によって子に与えてくださる「良い物」とは聖霊に他ならないのです。こうして、ルカは聖霊を「父の約束」とし、復活されたイエスが「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」と語られたとするのです(使徒一・四〜五)。ルカにおいては、聖霊のバプテスマこそ「父の約束」なのです。
 ヨハネ福音書では、最後の食事の席で弟子たちに語られた「訣別の遺訓」(一三〜一七章)で、イエスはご自分が去った後「別の同伴者《パラクレートス》」を送ると約束されたとしています(一四・一六)。「同伴者」とは聖霊を指しています(一四・一七、二六)。イエスが去られた後は、聖霊が弟子たちといつも一緒にいて導き励ます助け手となってくださるのです。この「同伴者」とは、御霊として信じる者たちの中に生きて働いてくださる復活者イエスに他なりません(一四・一八)。イエスと別人の同伴者ではなく、別の形でのイエスであると言えます。
 このヨハネ福音書を生みだした教団は、すでに聖霊が自分たちの中に働いてくださっていることを体験しています。この福音書は自分たちが生きている聖霊の現実を語っているのです。しかし、福音を地上のイエスの物語として語るという「福音書」の枠内では、聖霊の現実も「約束」として語るほかはないのです。十字架・復活以後のわたしたちは、今これを自分たちの現実として読むことができるのです。

結び ―― 復活のいのちを生きる

 こうして、福音書は地上のイエスの物語を語ることによって、十字架・復活・聖霊の福音を告げ知らせているのです。わたしたちはここに語られているイエスを、わたしたちの罪のために死なれた復活者キリストとして自分を委ねるとき、約束された聖霊を受け、この聖霊によって新しい命を生き始めるのです。この新しい命は、死に定められた生まれながらの命とは異なり、死者を復活させる方の命であり、わたしたちをこの朽ちるべき体の中にありながら、復活の栄光にあずかる希望をもって生きるようにするのです。この命をもって生きるとき、福音書はたんなる歴史の記録ではなく、自分の命の啓示となるのです。たとえば、復活についての論争の記事(マルコ一二・一八〜二七)は、イエスとサドカイ派の人たちとの論争の歴史的な記録ではなく、わたしたちが「死者の復活」(コリントT一五章)を望み見て生きている現実を証言する記事となるのです。
(天旅 一九九八年6号)