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序 章 イエスの語録と福音

第一節 語録福音書(ごろく ふくいんしょ)

語録福音書の発見

 新約聖書には四つの「福音書」があります。その中でマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は並行記事が多く、基本的な内容も共通しており、一緒に並べて比較観察することができるので、「共観(きょうかん)福音書」と呼ばれています。ヨハネ福音書はその構成や性格が異なりますので、別に扱われます。
 「共観福音書」と呼ばれる三つの福音書が、お互いにどのような関係にあるのかについて、これまで長い間、実に綿密な研究と激しい議論が続けられてきました。現在では、次のような基本的な主張をもつ「二資料説」が、広く認められています。

 一 三つの福音書の中で最初に書かれたのはマルコ福音書である。
 二 マタイとルカは、「マルコ福音書」と「ある共通の資料」の二つをおもな資料として用いて、それぞれの福音書を書いた。

 マタイとルカが用いた「ある共通の資料」は、おもにイエスの言葉を集めたものであると見られるので、「語録資料」と呼ばれています。研究者たちは長年この資料を、ドイツ語の「クウェレ(源泉、資料)」の頭文字をとって、Q(きゅー)という略号で呼んできました。
 この「語録資料Q(きゅー)」は、ごくおおざっぱに言えば、マルコ福音書にはなくて、マタイ福音書とルカ福音書の両方に共通に見いだされる記事になるわけです。この資料がわたしたちにとってきわめて重要であることは、その中に「主の祈り」が含まれていることだけでも分かります。それで、この「語録資料」の内容と性格について、これまで多くの研究が積み重ねられてきました。その結果、現在ではほぼ次のような事実が明らかになっています。

 一 マタイとルカが用いた「語録資料」は、口頭伝承ではなく、文書になった資料である。彼らが用いた文書資料はギリシア語で書かれていた。ただし、マタイとルカが用いた文書資料は版が異なると推定される。
 二 文書としての「語録資料」は一人の著者の著作ではなく、長年にわたり、いくつかの編集段階を経て形成された、イエスの言葉の集成である。その集成と文書化は、イエスが世を去ってからしばらく後に始まり、ユダヤ戦争の時期(七〇年前後)にまで及ぶ。
 三 語録の集成は、生前のイエスの教えに従って生きようとした、ガリラヤのイエスの追随者たちによって始められ、パレスチナ・シリア地域で展開した。この運動の担い手はユダヤ人である。
 四 この語録集は、マタイとルカが資料として用いるまでに(おそらくマルコ福音書が成立するころには)、「福音書」としてパレスチナ・シリア地域で流布していた。

 イエスの語録集が一つの独立した「福音書」として存在したことについては、学者たちは長年のあいだ懐疑的でした。しかし、一九四五年にナグ・ハマディで発見された文書群の中に、イエスの言葉だけを集めた「トマス福音書」が発見されるにおよんで、事態は変わりました。キリスト教のごく初期の歴史に、イエスの語録集が「福音書」として存在したことが明らかになったからです。現在研究者たちの間では、イエスの語録集が一つの福音書として存在したことについて、合意が形成されつつあるようです。

トマス福音書については、講談社学術文庫『トマスによる福音書』に荒井献氏による邦訳テキストと解説があります。

 このようなイエスの語録集が一つの「福音書」として存在したことは、それがたんにマタイ福音書とルカ福音書の「資料」として用いられたということとは意味が違います。「資料」というのはそれを用いて著作した人だけに意味があるものですが、「福音書」として存在したということは、その福音書を生みだし、その福音書を信仰の拠り所として生きた人々のグループが存在したことを意味します。そのグループがどの程度組織化された共同体であったかは別問題ですが、何らかの社会的な広がりをもった人々の運動が背後にあることが前提されます。「福音書」はその共同体の信仰運動と一体であり、その運動の一つの現れと見られます。
 マタイとルカの共通の資料となったイエスの語録集Qが独立の「福音書」であったとすれば、それはマルコ福音書のようにイエスの十字架の死にいたる生涯を物語ることをおもな内容とする福音書とは、ずいぶん性格が違います。この違いは、マルコ福音書を「物語福音書」と呼び、Qを「語録福音書」と呼ぶことではっきりさせることができるでしょう。さらに、トマス福音書のような「語録福音書」もあるわけですから、マタイとルカの共通の資料となったイエスの語録集は「語録福音書Q」と呼んで、他の「語録福音書」と区別することにします。
 この「語録福音書Q」は、トマス福音書のようにどこかで発見された実在の文書ではありません。あくまで共観福音書の成立を説明するために立てられた仮説上の文書です。この「語録福音書」はマタイとルカの両福音書に組み込まれることによって、一般のキリスト教会の視野から消えてしまい、「失われた福音書」になってしまっていたのです。ところが最近、共観福音書の比較研究から、このような「語録福音書」が存在したことが「発見」され、その内容が「復元」されて、われわれの目の前に現れてきたのです。この仮説上の文書を認めることによって、今回取り上げる「マタイ福音書」の成立やその意義をもっともよく理解することができますので、ここに取り上げたわけです。

語録福音書Q(ごろく ふくいんしょ きゅー)の範囲と内容

 さて、「語録福音書Q」の範囲はどうでしょうか。共観福音書の記事のどの部分が「語録福音書Q」に含まれるのでしょうか。この問題については、細かい点についてはなお議論がありますが、大枠は確定されていると見られます。

「語録資料Q」の内容と成立については次の文献を見てください。
  日本基督教団出版局『現代聖書学講座U』、佐藤研「第四章 Q文書」
  日本基督教団出版局『総説新約聖書』、橋本滋男「第二章 共観福音書」
  日本基督教団出版局、J・S・クロッペンボルグ他著、新免貢訳『Q資料・トマス福音書』

 Qを資料として用いるにあたって、マタイは個々の語録を自分の福音書の構成に合わせて引用しているのに対して、ルカはQ資料の順序をそのまま大きなブロックで使用する傾向があります。それで、Q資料の再構成はルカの順序に並べられるのが普通になっています。これらの文献にある表を見ますと、マタイがこの資料を主題別にまとめられた五つの講話に自由に用いている様子がよく分かります。とくに「山上の説教」と呼ばれている五〜七章は、おもにこの語録福音書を用いていることが見えてきます。
 重要なのは、「語録福音書Q」の内容あるいは性格の問題です。この語録福音書には、一方では人々に新しい生き方を格言的な短い言葉で教える知恵の教師としてのイエスと、他方では「人の子」というような黙示録的な語を用いて迫っている審判を語る預言者的なイエスという、イエスの二つの姿が見られることが早くから研究者の間で注目されていました。どちらが本来のイエスの姿なのか、また、この二つの面がどのように関わるのかについては議論が続いています。
 この一見相容れないイエスの二つの姿は、この語録福音書が長い時間をかけて収集形成されていく間に、担い手の集団が置かれている状況の変化にともない、一方の性格の語録に他方の語録が付け加えられていったという形で説明されています。最初は、この語録集が圧倒的に終末的な審判を告知する預言者の相を示しているところから、この面が本来のイエスの語録であって、賢明な生き方を教える知恵の教師としてのイエスの言葉は、待ち望んでいたイエスのパルーシア(来臨)が遅れているという状況で出てきたものであるとする説明がなされました。しかし最近、イエスは本来知恵の教師であり、イエスの語録集は最初一種のアフォリズム(短い格言的な表現でなされた教訓や評言)集として成立したのであるが、イエスの知恵の言葉に従って生きようとする人々の運動がユダヤ教側から反対され迫害されるようになって、厳しい審判の面が加えられるようになったという説明がされるようになってきました。
 この二つの説明はそれぞれ長所と難点があり、議論はまだ決着していません。この議論の行方は、歴史的イエスの宣教の性格を理解するのに大きな影響がありますので注目すべきものですが、ここではその議論に立ち入ることはできません。ここではマタイ福音書の成立について語録福音書がもつ意味を見るために取り上げていますので、マタイの手元には、知恵の教師としてのイエスと、終末的審判を告げる預言者としてのイエスの両側面を描く、現状の「語録福音書Q」があったという事実を指摘するに止めます。

最近、この「語録福音書Q」について挑戦的な書物が出版されました。バートン・L・マックの『失われた福音書ーQ資料と新しいイエス像』(秦剛平訳、青土社)です。著者は第一部で、長らく見失われていたこの語録福音書が発見されるに到る経過を辿った後、第二部で、復元された語録福音書のテキストを、そのオリジナルの版と増補改訂版の二つの形で提示しています。そのあと第三部で、イエスの語録が最初の単純な生き方のアフォリズム集から、黙示録的終末思想を取り入れつつ、最終的な形にいたる段階と、その変化の背後にある語録集の担い手たちの集団の社会的状況の変遷を分析してみせます。さらに第四部で、キリスト教の起源について新しい像を提案しています。著者の主張にすべて同意できるわけではありません。とくに著者が提示する「新しいイエス像」やキリスト神話の成立についての説明には、信仰の理解に根本的な違いがあることを感じますが、Q資料の学問的分析とQの担い手集団の歴史的実像について多くの示唆を受けることができ、刺激的な書物でした。