市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第2講

第二節 物語としてのマタイ福音書

聖書の最終章

 前節で見たように、マタイの集会はもともと「語録福音書Q」を生み出した流れの中に立つユダヤ人キリスト者の集会でした。そのマタイが、物語福音書であるマルコ福音書を受け入れ、マルコ福音書を枠組みとして用いて新しい福音書を書いたのは、異邦人伝道に乗り出さざるをえない状況に促されたからでしたが、それ以上にラビ(ユダヤ教律法学者)あるいはラビ的素養のある学者としての著者マタイの体質から来る面が強いと考えられます。
 旧約聖書の本体は物語にあります。天地創造から始まり、父祖たちの選び、エジプトからの救出、王国の成立と崩壊に至る壮大な歴史物語が旧約聖書の本体を構成し、その中に祭儀や法律、詩歌や知恵書が組み込まれています。聖書は、イスラエルの民の中に起こった出来事を物語るという形で、神の救済の働きやその意志の啓示を伝えるのです。
 マタイ福音書は新約聖書の諸書の中で、旧約聖書の体質をもっとも強く保持している文書の一つであると思います。著者マタイは、旧約聖書がしてきたことをしようとしているのです。すなわち、イスラエルの中に起こった出来事を物語ることによって、神の救済の働きと神の意志を宣言しようとするのです。その「イスラエルの中に起こった出来事」とは、マタイにとってはイエスの出現、働き、十字架の死と復活の出来事に他なりません。しかもマタイはこのイエスの出来事を、神が終わりの日にイスラエルに遣わされると約束しておられたメシアの出来事として物語るのです。この福音書では、イエスの出来事はすべて、「(聖書に)書かれていることが成就するためである」という句で意義づけられます。マタイはこのメシアとしてのイエスの物語を聖書の最終章として書き加えるのです。
 マタイが自分のイエス物語を聖書の物語の延長上に置き、その最終章を書いていると自覚していたことは、最初の系図の部分(一・一〜一七)にすでによく現れています。マタイがその著作の冒頭に、アブラハムからダビデを経てイエスに至る系図を掲げたとき、彼は系図の一人ひとりの名が担っているイスラエルの歴史と彼らにかかわる聖書の物語を思い浮かべていたことでしょう。そして最後に「メシアと呼ばれるイエス」の名をあげ、「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからメシアまでが十四代である」と書いて、イエスこそイスラエルの歴史の中で約束されていたメシアであり、時満ちて現れてイスラエルの歴史を完成する方であると宣言します。その上で、誕生から十字架上の死と復活に至るイエスの出来事を物語るのです。マタイはイエス物語を「メシア・イエスの物語」として書くのです。
マタイはイエスを信じるユダヤ人の共同体に向かってこの福音書を書いています。彼自身もその共同体もギリシア語を話すユダヤ人であるので、彼はギリシア語でその福音書を書いています。その中で用いられているギリシア語《クリストス》は、旧約聖書の「メシア」の訳語であって、内容は旧約聖書での用例から理解しなければなりません。それで、この系図と誕生の次第に四回(一章一、一六、一七、一八節)用いられている《クリストス》は、メシアとしてのイエスの称号として用いられているのですから、旧約聖書の用語である「メシア」という語で読む方が、マタイの言おうとしていることを正確に理解できると考えられます。最新の標準的な英訳聖書NRSVも四箇所すべてを「メシア」と読み、一章一節と一八節では「メシア・イエス」と呼んでいます。「キリスト」という日本語は内容が拡大していますから、この場合に用いるとマタイの意図が曖昧になる恐れがあります。なお、一六章一六節の《クリストス》の訳語の問題については、その箇所の講解で詳しく触れることにします。

語録福音書の組み入れ

 マタイは、このイエスの出来事を物語るにさいして、先に書かれてすでに流布している物語福音書のマルコ福音書を枠組みとして用います。しかし、そのまま用いるのではなく、自分の立場から必要と考えられる変更を加えて用います。いわば、マタイはマルコ福音書の改訂版を出すのです。そのさい、はじめにイエスの誕生物語を置き、最後に復活されたイエスの顕現物語を置いて、イエス物語をさらに完全な形に整えます。
 しかし、マタイがマルコに加えた変更の最大のものは、自分たちがこれまで奉じてきた「イエスの語録」を組み入れたことです。前節で見たように、――そして講解全体の中で確認することになりますが――マタイの共同体はもともと「語録福音書Q」を奉じるユダヤ人信徒の群れであったと見られ、その体質を色濃く残しています。それで、当然のことながら、マタイはマルコを用いてイエス物語を書くにあたって、自分たちが保持してきた「語録福音書Q」にあるイエスの語録を組み込んでいきます。それは、旧約聖書がイスラエルの歴史物語の中に祭儀や法律を組み込んでいったのと同じです。
 聖書学者マタイは、「語録福音書Q」の個々の語録を自分の構想に従って新しく組み合わせ、さらに自分の聖書知識を縦横に活用して付け加え、マタイ独自の形に編集します。彼の編集の跡は、「山上の説教」にもっともよく表れています。とくにその冒頭の「幸いの言葉」は、その講解のさいに詳しく見ることになりますが、マタイの編集の手法をよく示しており、マタイの信仰上の立場を明らかに見せています。
 マタイはイエスの語録を物語の中に組み込むにあたって、それを五つのグループにまとめて、物語の中に配置しました。その結果、イエスの働きを物語る部分とイエスの説話をまとめた部分が交互に配置され、物語と説話の組み合わせが五組できて、誕生物語と受難物語の間に置かれる、という形で全体が構成されることになりました。説話集によって分けられた五つの物語部分も、それぞれの主題をもって緊密に結ばれた内容になっています。このように物語全体を壮大な構成にまとめるマタイの構想力は、驚嘆すべきものがあります。この講解も、この構成に従って章分けして進めていくことになります。マタイ福音書の構成と区分の仕方については、様々な理論が提案されていますが、この五つの説話集の配置に従うのがもっとも素直な区分法になると考えます。
 マタイがマルコの物語にイエスの語録を組み入れて新しい福音書を書いたことの意義はきわめて大きいものがあります。まずその貢献は、マルコにはない貴重なイエスの言葉が伝えられたことからも明らかです。「貧しい者は幸いだ」とか「敵を愛しなさい」というようなイエスの言葉や「主の祈り」がないキリスト教は考えられません。マルコではなくマタイが教会の第一の福音書として正典(新約聖書)の冒頭に置かれて尊重されたのも理由があります。
 しかし、マタイの貢献は、マルコにないものを補ったことだけではなく、イエスの語録を福音の場に置いたことにあります。これは前著『山上の説教講解』で強調したことですが、全体を読むとその意義の重要性がさらによく理解できます。イエスの語録は、それが「語録福音書Q」の中に止まっている限り、その言葉に従って新しい生き方をするようにと呼びかける教師の呼びかけにすぎません。ところが、それがマルコ福音書という物語福音書の枠の中に組み入れられることによって、福音の場に置かれることになったのです。マルコ福音書は、(これも前節で見たように、また『マルコ福音書講解』で詳しく論じたように)復活者キリストであるイエスがわたしたちのために死んでくださったという福音を告知する文書です。イエスの語録は、この福音の場に置かれることによって、明白に「恩恵の支配」を告知する言葉となり、神の恩恵の言葉としての響きを発するようになります。もちろん、イエスの言葉は本来恩恵の言葉ですが、それが「語録福音書Q」の中にとどまっている限り、倫理的要求とか生き方の知恵、あるいはユダヤ教黙示思想の表現として受け取られる傾向があります。ところが、その言葉がいったん十字架の福音の場に置かれると、明確に父の絶対無条件の恩恵を語る言葉としての響きを発するようになるのです。たとえば、「山上の説教」も福音の場で受け取られるとき、もはや倫理的要求とか知恵の教師が与える処世上の格言ではなく、絶対無条件の恩恵によってわたしたちを子として受け入れてくださる父の、溢れるような恩恵の言葉となるのです。このように、イエスの語録を福音の場に置いたことがマタイの最大の貢献である、とわたしは見ています。

マタイによるマルコの改訂

 「語録福音書Q」を組み入れただけでなく、その他の細かい点でもマタイはマルコを改訂しています。この講解では、マルコと共通の部分は『マルコ福音書講解』に委ね、マタイの特色を理解するために、マタイがマルコを変えている仕方に注目していくことになります。マタイは、イエスの教え(言葉)に重点を置くためか、マルコの奇跡物語の情景描写を短く簡単にする傾向があります。また、マルコが地上のイエスの出来事を物語ることによって復活者キリストを告知しようとする福音書の二重性を構成するために用いた「弟子たちの無理解」という動機はマタイにはなくて、マタイ福音書では弟子たちはイエスの教えと奥義をよく理解している者として描かれています。弟子たちは、現在のマタイの集会を構成する信徒たちの原型として描かれているからです。

福音書の二重構造と弟子たちの無理解の動機については、拙著『マルコ福音書講解U』の「92 マルコ福音書の二重構造」を参照してください。

 マタイがマルコを改訂する必要があると感じた最大の理由は、マルコが異邦人伝道の場で成立した福音書であるのに対して、マタイはユダヤ人信徒の共同体の中でユダヤ人のために書いているという環境の違いであろうと考えられます。著者マタイは、聖書に精通したユダヤ教律法学者(またはその素養のあるユダヤ人)として、たとえば十字架の日付の表現(二六・一七)や祭司の名前(一二・三)など、マルコに時々見られるユダヤ教に関する不正確な表現を訂正しています。このような視点からの変更でもっとも重要なものは、ユダヤ教律法に対する見方の変更です。
 マタイは、マルコ福音書に「語録福音書Q」を組み入れるにあたって、ユダヤ教律法に対する自分の立場を宣言します。それは、「山上の説教」の本体部分ともいうべき「対立命題」の前に置かれた導入部(五・一七〜二〇)でなされています。この部分はほとんどマタイの筆になるものですが、そこでマタイは、自分の立場をイエスの言葉で宣言しています。
 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」。(五・一七)
 マタイ自身も、マタイがこの福音書によって語りかける読者も、ユダヤ教律法の永遠の有効性を露疑うことのないユダヤ人(ユダヤ教徒)です。そのようなユダヤ教徒の共同体に語りかけて、そのユダヤ教律法の場で「御国の福音」を確立するためには、ユダヤ教律法の有効性を否定することはできません。そのことは「山上の説教」で強調されていましたが、マルコの物語を継承するさいにも、この立場からマタイはマルコの物語を改訂していきます。
 弟子たちが手を洗わないで食事をしたことをファリサイ派の人たちが批判したとき、イエスは「すべて口から入るものは、腹を通って外に出されるだけである。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これが人を汚すのである」とお答えになっています。このイエスの答えを伝えるのは、マタイもマルコと同じですが、「イエスはこう言って、すべての食物を清いとされた」という、このお言葉に対するマルコの解説をマタイは削除して、代わりに「しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない」と加えて結論としています。マルコの解説によれば、清い食物と汚れた食物を区別する「トーラー」(レビ記一一章)は廃棄されたことになります。おそらく「トーラー」の永遠の有効性に何の疑問ももたず、ユダヤ教食物規定を守っていたマタイのユダヤ人共同体にとっては受け入れがたい解説であるので、マタイはこれを削除して、手を洗うか洗わないかという実行細則「ハラカ」の問題にするのです(一五・一〜二〇)。
 安息日に関しても、「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」というマルコにある革命的な語録をマタイは削除して、あくまで律法解釈の問題にしています(一二・一〜八)。
 また、断食に関する論争の場面で、マルコが「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか」と書いているところを、マタイは「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができようか」(九・一五)と書き換えています。マルコではキリスト信徒の群れはユダヤ教徒のように断食はしなくなっていたことが論争の前提になっていますが、マタイはその共同体がユダヤ教の慣例に従ってなお断食を行っているという状況(六・一六〜一八参照)で書いているので、「断食する」という行動ではなく、「悲しむ」という心情の問題に変えて、断食しているという行動と両立できるようにしているのです。
 その他、たとえば大祭司による裁判の場面で、「お前は神の子、メシアなのか」という訊問に対して、マルコではイエスは《エゴー・エイミ》という神の自己宣言の定式をもって答えておられますが、マタイはその言葉を削除して、「それを言ったのは、あなたの方だ」という言葉にしています(二六・六四)。律法学者としてのマタイは、地上の人であるイエスがそのような神の宣言句を用いられたとすることはできなかったのでしょう。
 このような変更点をとらえて、マタイはマルコの福音を台なしにしたと論じる解釈者もいます。たしかに、ユダヤ教律法から自由な場で福音を提示しているマルコの立場から見ますと、マタイは後退しています。しかし、マタイは福音を台なしにしているとは、わたしは決して考えません。マタイはユダヤ教の場で、福音の根本原理である「恩恵の支配」をしっかりと確保し、告知しています。マルコは異邦人伝道の場で、イエスに現された「恩恵の支配」を宣べ伝えることができました。それに対してマタイは、ユダヤ教律法の順守を当然のこととしているユダヤ人信徒共同体に向かって、そして同じく律法に立って敵対するユダヤ教会堂に向かって書いているのです。その律法の場で、イエスに現された新しい神の支配の原理である「恩恵の支配」を確立するために戦っているのです。「トーラー」(ユダヤ教)という「古いもの」の中で、恩恵の支配という「新しいもの」を確立しようとして格闘しているのです。マタイがイエスの言葉として、「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の蔵から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」(一三・五二)という言葉を引用するとき、それは自分の仕事のことを言っているのだと、わたしには聞こえます。