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第二章 メシア・イエスの出現

       マタイ福音書 三〜四章




第一節 洗礼者ヨハネとイエス

荒野の声(3・1〜6)

 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
 「荒野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
  その道筋をまっすぐにせよ。』 」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。(三・一〜六)

 ここからマタイの物語はマルコの物語と重なってきます。初期の福音告知においては、「イエス・キリストの福音」は洗礼者ヨハネの告知から始まるのが普通でした。事実、イエスの「神の国」告知は洗礼者ヨハネの運動の中からスタートしたのです。洗礼者ヨハネは、イエスがイスラエルに現れるために道備えをする先駆者でした。福音書はみな、ヨハネをそのように意義づけて、それを預言者の言葉を引用することで示しています。ただ、そのさいマルコがマラキとイザヤの預言を合わせた形で引用しているのに対して、マタイはイザヤ(四〇・三)だけにしています。
 預言者を引用して洗礼者ヨハネをイエスの先駆者と位置づけるという基本的内容は同じですが、細かい点ではマタイはマルコと違います。たとえばマタイは、マルコ(一・四)の「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」という表現を用いず、ヨハネの告知の言葉(三・一)をイエスの言葉(四・一七)とまったく同じ言葉にしています。このような違いは、マタイが(マルコ以上に)洗礼者ヨハネとイエスを一体として扱い、ヨハネもイエスも共に拒んだイスラエル指導者階級(そして今も拒んでいるユダヤ教会堂)に対する非難を示していると見ることができます。
 最大の違いは、マルコがヨハネの告知内容を福音の立場から「わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」(マルコ一・八)という一句に要約して、実際の告知内容を省略してしまっているのに対し、マタイは「語録資料Q」にあるヨハネの実際の告知内容を保存して伝えている点です。この点にイスラエル指導者階級に対するマタイの非難はもっとも強く出ています。その内容が次の段落(三・七〜一二)です。

洗礼者ヨハネの救済史での位置と意義については、拙著『マルコ福音書講解T』22頁「ヨハネの宣教」を参照してください。

神の裁きの迫り(3・7〜12)

 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」(三・七〜一二)

 洗礼者ヨハネの荒野での叫びは「エルサレムとユダヤ全土」に大きな反響を呼び、人々が続々とヨルダン川でバプテスマを受けるためにやって来ました。その中の「ファリサイ派やサドカイ派の人々」に対して(七節)、洗礼者ヨハネは「蝮の子らよ」と呼びかけて、厳しい審判の言葉を投げつけます。この段落の厳しい審判の言葉は、ルカ(三・七)では「群衆」に語られたことになっていますが、マタイは「群衆」と区別して、指導者階層の「ファリサイ派やサドカイ派の人々」への審判の言葉としています。
 「蝮の子らよ」というヨハネの激しい表現を、マタイは後にイエスの口にも置いています(一二・三四、二三・三三)。イエスが彼らを「蝮の子ら」と呼ばれるのは、他の福音書にはありません。ここにもマタイは、洗礼者ヨハネとイエスを一体として扱って、ヨハネもイエスも共に退けたユダヤ教指導者階級に対する激しい批判の姿勢を示しています。群衆は洗礼者ヨハネに対してもイエスに対しても、共感と尊敬をもって受け入れましたが、指導者階級は批判と殺意をもって対したのでした。
 この段落のヨハネの言葉全体のキーワードは「火」です。「切り倒されて火に投げ込まれる」とか「消えることのない火で焼き払われる」という表現が示しているように、「火」は終末的な神の審判を象徴しています。洗礼者ヨハネは、「斧は既に木の根元に置かれている」と神の審判が迫っていることを叫んで、悔い改めを求めたのでした。しかも、その審判の警告は、異邦人ではなく、神の民であると自負しているイスラエルに向けられています。ヨハネは、アブラハムの子孫であるゆえに神の約束を受け継ぐ民であると自負するイスラエルの誇りを打ち砕きます(九節)。アブラハムの子孫であることは何の保証にもならない、悔い改め、その悔い改めにふさわしい実を結ぶこと、すなわち、神に立ち帰り、神の御心にふさわしい行いをすることだけが、神の裁きに立ちうる道であると説いたのです。
 この点で、洗礼者ヨハネは当時の黙示思想やメシア思想と根本的に違っています。黙示思想では、律法を守るイスラエルは神に属する義人として、悪が支配している現在のアイオーンでは苦しめられているが、やがて宇宙的破局を経て到来する新しいアイオーンでは、この世の支配者は裁かれ、義人であるイスラエルの民は神の栄光にあずかるとされていました。メシア思想においても、来るべき救済者メシアは、注がれている神の力によって異教徒の支配を滅ぼし、イスラエルの民を解放すると待望されていました。洗礼者ヨハネはそのイスラエルに神の裁きが迫っていることを叫び、悔い改めを求めたのでした。

この段落(七〜一二節)の洗礼者ヨハネの厳しい審判の言葉は、ルカ(三・七〜九、および一六b〜一七)にもほぼ同じ文言があり、「語録資料Q」が用いられていると見られます。「語録資料Q」は本来イエスの言葉を保存して伝える文書ですが、その中に洗礼者ヨハネの使信が保存されて伝えられたのは、このイエスの語録集の担い手たちが置かれていた状況から出た結果であると考えられます。
 「語録資料Q」の成立については、本講解の序章「マタイ福音書の成立と構成」の「語録福音書」の項(6頁以下)で述べました。このイエスの語録集は、イエスの死後、イエスの弟子たちがイエスの福音告知を継承するために進めた、高挙されたイエスの言葉を宣べ伝える運動の中で成立したものです。この運動の担い手はユダヤ人であり、周囲のユダヤ人に、イエスの言葉に従う新しい生き方を告知したのです。この運動はおそらくガリラヤで始まり、六六年に始まるユダヤ戦争を前にした不穏な時代に進められ、北のシリアへ広まっていったと見られます。この運動は華々しい成果を収めることなく、運動の担い手たちは周囲のユダヤ人たちの無関心と冷笑とに取り囲まれ、だんだんと自分たちだけの内輪に閉じこもるようになり、その分、外の不信仰の世界に対して厳しい裁きを語るようになっていったと考えられます。
 彼らの孤立の経験は、イスラエルに拒まれた知恵の預言者イエスの姿と重ねられて、ユダヤ教伝統の中の預言者的、知恵文学的、黙示思想的素材をもって表現され、この使信を拒否する者たちに対する厳しい審判が語られるようになります。この方向の延長上に洗礼者ヨハネの告知が置かれます。ヨハネの終末的審判の使信は、まさにこの運動の担い手たちの終末観と一致したのです。この運動の担い手たちにとって、洗礼者ヨハネはけっしてイエスと対立するものではなく、不信仰のユダヤ人社会に対する関係では一体であったのです。事実、イエスの「神の国」告知はヨハネの運動の中から始まったのです。両者を一体として扱うマタイの見方は、おそらく「語録資料Q」の態度を(ルカよりは忠実に)受け継いでいるのでしょう。

 この段落全体の文脈からすると、ヨハネが水をもって施している自分のバプテスマと対比して、自分の後に現れる、自分よりはるかに勝る方のバプテスマについて語ったとき、それは審判の「火のバプテスマ」であったと考えられます。すなわち、「わたしは、裁きに備えて、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、その方は火であなたたちに洗礼をお授けになる、すなわち、焼き尽くす火をもってあなたたちを裁かれる」と語ったはずです。ヨハネの説教では、火は一貫して裁きの象徴です。
 イエスこそヨハネが「わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と語った方であり、洗礼者が道備えをした救済者であると宣べ伝えたイエスの弟子たちは、そのイエスが授ける「火のバプテスマ」が審判の火ではなく、聖霊の火であることを体験していました。聖霊によってバプテスマされる、すなわち聖霊に浸されて、その中から新しい自分が生まれ出るという体験はさまざまな形を取りますが、使徒言行録二章のペンテコステの記事が語っているように、火とか炎が下るというように表現せざるをえないような激しい体験もあることは事実です。モーセが体験した燃える柴や火の柱、イザヤが召命のとき体験した祭壇から取られた火など、旧約聖書でも火は霊による神の臨在を示す象徴でした。弟子たちが聖霊を受けたとき、これこそヨハネが預言した「火のバプテスマ」であると理解したのは自然なことでした。復活者キリストが施される聖霊のバプテスマを体験した弟子たちは、それを火の象徴を用いて語るようになります。その結果、火は聖霊の象徴と理解されて、ヨハネの「火のバプテスマ」の預言は「聖霊のバプテスマ」の預言と解釈されて伝えられます。
 マルコはヨハネの告知内容を、ヨハネが授ける水のバプテスマに対して、後から来る方(キリスト)は聖霊によってバプテスマを授けるという福音的な内容だけに絞っているので、もはや「火」という象徴は用いません(マルコ一・八)。それに対してマタイ(とルカ)は、「語録資料Q」にあるヨハネの終末的審判の告知を保存していますので、審判の象徴である火を略すことができません。それで「聖霊と火でバプテスマを授ける」という二重の表現を残すことになります。
 「聖霊と火」という二重の表現を、キリストは復活して聖霊によるバプテスマを授け、その後、再臨のキリストが火のバプテスマを授ける、すなわち終末的な審判を行うと解釈する説もあります。しかし、審判の告知は、その時代に向かって語る預言者の告知であって、われわれの福音の場では、マルコがしているように、火を聖霊の象徴と理解して、ヨハネの告知を聖霊のバプテスマの預言の一点に絞る方がよいと考えます。

イエスの受洗(3・13〜17)

 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。(三・一三〜一七)

 イエスがヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになった事実については、マタイは基本的にマルコと同じ内容を伝えています。しかし、大きな違いが一つあります。それは、ヨハネがイエスにバプテスマを授けることをためらい、イエスの説得によって授けたという記事(一四〜一五節)が入れられていることです。
 イエスを罪のない神の子と信じる初期の教団にとって、イエスがなぜヨハネからバプテスマをお受けになったのかを説明することは重荷でした。ヨハネよりはるかに勝るイエスがなぜヨハネからバプテスマを受ける必要があるのか、それではイエスがヨハネの権威の下に立つことになるのではないか、さらに、罪のないイエスがなぜ「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」を受けなければならないのかなど、難しい説明をしなければなりませんでした。ルカ(三・二一)はイエスを民衆の中に置いて、イエスの受洗をできるだけ目立たないようにしています。ヨハネ福音書はイエスの受洗には触れず、むしろイエスをヨハネと並べてバプテスマを施す側に置いています(ヨハネ三・二六、四・一)。それに対して、マタイは正面からこの問題を取り上げ、解答を与えています。
 ヨハネからバプテスマを受けようという意図をもってガリラヤから出て来られたイエスを、ヨハネは「押し止めて」(直訳)こう言います、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」。このヨハネの驚きと戸惑いは、イエスがヨハネより勝る者であり、聖霊でバプテスマを授ける方であることを知っている教団が、イエスがヨハネから受洗された事実を前にして戸惑っている姿を代弁しています。教団にとっては、「女が生んだ者の中でもっとも大いなる者」であるヨハネも、一人の人間として、復活者キリストから聖霊のバプテスマを受ける立場にいるのです。その戸惑いに対して、イエスはこうお答えになった、とマタイは解答を与えます。
 イエスはまず、「今は止めないでほしい」と言っておられます。この「今は」という言葉には、イエスが復活されたときには、ヨハネが言ったように、ヨハネがイエスからバプテスマを受ける立場になるが、イエスが地上の働きを始めようとしておられる今は、ヨハネはイエスにバプテスマを授けることで先駆者としての使命を果たす立場にいるのだという意味(初期の教団の理解)が込められています。
 イエスは続けてこう言われます。「すべての義を満たすのは、我々にふさわしいことです」(直訳)。この「義を満たす」とか「義を行う」という表現は、マタイ特有の重要な理念を示しています。「義」《ディカイオシュネー》は四福音書全体で十回しか出てきませんが、その中七カ所はマタイ(三・一五、五・六、五・一〇、五・二〇、六・一、六・三三、二一・三二)に出てきます。そして、その七カ所はみな、マタイ特有の文かマタイが資料に手を加えた編集句です。マタイが用いる《ディカイオシュネー》(義)は、パウロとは異なり、ほとんど《ディカイオーマ》(神の正しい要求)と同じです。それで「義を満たす」とか「義を行う」という表現が出てくることになります(三・一五、六・一)。

六章一節を新共同訳は「善行をする」と訳していますが、原文は「《ディカイオシュネー》(義)を行う」です。なお、マタイにおける《ディカイオシュネー》の意味については、拙著『マタイによる御国の福音―「山上の説教」講解』69頁の「マタイにおける義」の項を参照してください。

 マタイにとっては、洗礼者ヨハネは「義の道」の説教者なのです(二一・三二)。このヨハネが説く「義の道」に、ヨハネに勝るイエスが己を低くして従われるのです。すべて神が求められる正しいことを行おうと願う謙虚な神の民を代表して、「すべての義を満たすことは、我々にふさわしい」と言われるのです。この「我々」は、マタイにとっては、イエスを信じるすべての主の民を含んでいるのです。
 誰によって唱えられようと、すべて「義の道」に謙虚に従われる従順なイエスの姿こそ、マタイが描きたいイエスの姿なのです。イエスご自身が「わたしは柔和で謙遜な者」と言われるのは、マタイ福音書(一一・二九)だけです。イエスのこのへりくだった従順に対して、「これはわたしの愛する子」という天からの声が答えるのです。イエスが神の子であるのは、マタイにとっては、奇跡的な誕生とか力ある業(奇跡)によるのではなく、イエスの独一無比の神への従順によるのです。この従順において、イエスは「我々」神の子とされる者たちすべての原型となられるのです。
 ヨハネからバプテスマを受けて水から上がられるイエスに、神の御霊が鳩のように下り、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声があったことは、マルコと同じです。ただ、細かい点では違いもあります。マルコでは「天が裂けて」という激しい表現でしたが、マタイでは「天が開かれ」となっています。マルコでは「あなたはわたしの愛する子」と二人称でイエスに語りかけられていますが、マタイでは「これはわたしの愛する子」と三人称で語られ、周囲の人たちにイエスの身分を示す文になっています。しかし、このような違いはこの物語の告知の本質には関係ありません。マタイも、マルコと共に、この記事によって、イエスこそ神の御霊によって神と一つの交わりに生きる方であり、神の御霊によって語り、御霊によって力ある業を行う方であること、また、この御霊がイエスに降った出来事によって、今まで人間の罪によって閉ざされていた天が開かれ、新しいアイオーン、すなわち神の支配の時が到来したことを告知しているのです。

イエスに聖霊が降ったことの意義については、『マルコ福音書講解T』35頁の「イエスのバプテスマ」の段落を参照してください。なお、『マルコ福音書講解U』340頁の終章「復活者の顕現」で述べましたように、福音書は地上のイエスを物語ることによって復活者イエスを告知する文書であるという二重性を持っています。このためイエス受洗の記事も、地上の出来事を報告すると共に、神の御霊によって死の中から復活し、神の子と宣言されたイエスを告知する記事になっていることは、マタイも本質的には同じです。しかし、マタイは洗礼者ヨハネの告知内容を具体的に報告したり、ヨハネとイエスの問答を入れたりしていますので、マルコよりも歴史的な出来事の報告としての側面が強く印象づけられます。

イエス・ヨハネ・エッセネ派

 共観福音書はみな、イエスがヨハネからバプテスマを受けて水から上がられたときに聖霊が降ったと報告しています。しかし、これはマルコの(イエス復活の告知と重ねるために)単純化した記事に従った結果であって、ヨハネ福音書は事実がもう少し複雑であったことを示唆しています。先に見たように、ヨハネ福音書はイエスが洗礼者ヨハネと共にバプテスマを授ける運動を進めておられた期間があったことを伝えています。ところが、ヨハネが捕らえられた後、イエスがガリラヤで福音告知を開始されたときは、もはやバプテスマをされないだけでなく、ヨハネとは異なる独自の福音を宣べ伝えておられます。このことから、イエスがユダヤでヨハネと共におられた時すでに、イエスは何らかの決定的な霊的体験をされて、ヨハネとは違う次元に入られたことがうかがわれます。それがどのような出来事であったのか、今ではうかがい知ることは不可能です。しかし、ヨハネ福音書(一章)は、ユダヤにおいてヨハネの弟子たちがイエスに従い始めたことを伝えていますから、この期間中にイエスの身に何か決定的な変化が起こったことが推察されます。共観福音書が伝える「荒野の試み」のように、イエスはユダの荒野で何らかの深い霊的体験をされ、その後「御霊の力に満たされてガリラヤに帰られた」(ルカ四・一四)のでしょう。
 イエスの「神の国」告知が洗礼者ヨハネの運動の中から出たことは、周知の事実でした。イエスがヨハネからバプテスマを受け、ヨハネのバプテスマ運動に身を投じ、ヨハネと同じ使信をもってバプテスマを授けておられたという伝承は、初期のイエス伝承の担い手の中にもともとヨハネの弟子であった者がいた事実(ヨハネ福音書一章三五節以下)に確かな根拠を持っています。さらに、イエスがヨハネからバプテスマを受け、その運動の中からご自身の福音告知を開始された事実は、初期の教団にとって説明の重荷であったにもかかわらず、四福音書はみなイエスの「神の国」の福音をヨハネの告知から始めていることや、イエスご自身がヨハネを最大の預言者と評価しておられる伝承を保存している(マタイ一一・二以下)ことなどからも確かにされます。
 ところで、洗礼者ヨハネの終末的な裁きとバプテスマの告知は、(先に『マルコ福音書講解』でも触れましたように)当時のエッセネ派の信仰を背景としていると見られます。エッセネ派は当時、サドカイ派やファリサイ派と並んでユダヤ教の大きな流れを形成していました。当時のユダヤ教の歴史を詳しく記録した歴史家ヨセフスは、この三つをユダヤ教の主要な宗派であると紹介し、それに「熱心党」《ゼーロータイ》を第四の派として付け加えています。ところが、新約聖書(とくに福音書)には他の三つの派は(おもに批判の対象として)何回も名前が挙げられていますが、エッセネ派だけは一度もその名が出てきません。エッセネ派に関する沈黙は新約聖書の謎の一つです(この謎については後日別に扱いたいと考えています)。
 一九四七年に死海のほとりのクムランで発見された「死海文書」がエッセネ派の文書であることが広く認められるようになって、エッセネ派の全貌がかなり分かってきました。それに伴い、エッセネ派と新約聖書との関係が問題となり、その影響が議論されるようになりました。議論は続いてますが、新約聖書の人物の中で、エッセネ派にもっとも近く、その影響を強く受けていることが明らかな人物が洗礼者ヨハネであることは、広く認められています。
 そうすると、イエスも洗礼者ヨハネを介して、何らかの意味でエッセネ派の影響の中に立つことになります。もちろん、すでに洗礼者ヨハネはエッセネ派とは決定的な点で違っており、さらにイエスは独自の霊的体験によってヨハネの運動から出ていかれたのですから、イエスはエッセネ派とは違います。しかし、イエスとヨハネの深い結びつきは、イエスがエッセネ派の霊統の中にあることを示唆しています。エッセネ派は、死海文書から見るかぎり、きわめて終末論的な傾向の強い黙示思想に生きる人々でした。そして、黙示思想は、旧約聖書の預言者の思想が閉塞した時代状況の中で終末論的傾向を強めた産物として理解されますので、本来は預言者の霊統に属するものと理解できます。たしかに、エッセネ派、とくにその中核をなすクムラン共同体は、祭司的な性格も強い共同体ですが、洗礼者ヨハネはエッセネ派の終末的・預言者的側面を引き継いだ人物であって、従って、イエスもヨハネとの結びつきを介して、旧約の預言者の霊統に立つ方であると見ることができます。事実、イエスもご自身を預言者と自覚しておられたことを示す語録が伝えられています(ルカ一三・三三)。
 ここでイエスと洗礼者ヨハネとの結びつきを強調したのは、この事実こそイエスが預言者の霊統に立つ方であることを示す重要な根拠であるからです。たしかにイエスは預言者を超え、エッセネ派を超え、洗礼者ヨハネを超えておられますが、その流れの中にある方として見る必要があることを示しています。最近の「語録資料Q」の研究は、その最古の層とする内容から、イエスを知恵の教師とし、犬儒学派の哲学者のように見る傾向(たとえばB・マックに見られるようなクレアモント学派)がありますが、これは、イエスの福音告知が洗礼者ヨハネの運動から出ているという事実を十分考慮に入れない結果ではないかと思われます。預言者の霊統から突然犬儒学派の哲学者は出てきません。人は自分が置かれている霊的・思想的伝統からそう簡単に抜け出ることはできないものです。福音書はすべてイエスの福音告知を洗礼者ヨハネの預言活動から始めています。その中でもマタイは洗礼者ヨハネとイエスを一体として扱う傾向が強いことを見ました。この結びつきは、史的イエスを理解するための重要な視点を提供しているのです。

前出の佐藤研『Q文書』は、「語録資料Q」が預言の伝統に属する文書であることを主張しています。