市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第18講

第二節 ガリラヤの町の拒否

ガリラヤの町々への告発(11・20〜24)

 次にイエスを拒否したガリラヤの町々への告発が続きます。イエスは「ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のあらゆる病気や患いをいやされた」のでした(四・二三)。イエスのもとには群衆が押し寄せたのです(四・二五)。ところがここでは、イエスはガリラヤの町々を激しく叱責しておられます。それは、「数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかった」からです(二〇節)。
 ガリラヤの町々に対する叱責は、同じ構造をもつ二つのグループからなります。第一のグループでは、コラジンとベトサイダが異邦の町であるティルスとシドンと比べられ、第二のグループでは、カファルナウムが悪徳の異邦都市として名高いソドムと比べられています。どちらのグループも、ここに名をあげられているガリラヤの町でイエスが行われた奇跡がそれらの異邦の町で行われていたならば、彼らは悔い改めていたであろうし、裁きの日には彼らの方が軽い罰で済むと宣言されます。
 コラジンはここだけにしか出てこない名で、その位置は確定できませんが、カファルナウムから北へ三キロほどの町だと推定されています。ベトサイダはガリラヤ湖北岸の漁業の町で、ペトロやアンデレの出身地です(ヨハネ一・四四)。マタイはコラジンやベトサイダで行われた奇跡は何一つ伝えていませんが(マルコ八・二二がベトサイダでの盲人の癒しを報告しているにもかかわらず)、そこでもイエスが奇跡を行われた伝承は知っていたのでしょう。ティルスとシドンは共に地中海沿岸のフェニキア都市で、旧約時代からイスラエルを堕落させる異教と悪徳の町として預言者から厳しく非難されていました(アモス一・九〜一〇、イザヤ二三章、エゼキエル二六〜二八章など)。このような異教の町が、イエスの奇跡を見ながら悔い改めなかった(イエスを拒否した)ガリラヤの町より罰が軽いというのですから、これはガリラヤの町に対する厳しい断罪です。
 カファルナウムについては一段と厳しい表現で断罪されています。それは、カファルナウムがイエスの活動の根拠地であり、イエスの奇跡を数多く見ながらイエスを拒否したからです。カファルナウムについては、マタイはイザヤがバビロンの滅亡を預言した言葉(一四・一三〜一五)を用いて、イエスを拒否した高ぶりを断罪し、「陰府にまで落とされる」と宣告します。カファルナウムは極悪の町として名高い異教都市ソドムと比べても、その責任が重いとされます。
 この段落(一一・二〇〜二四)は、ガリラヤの町々をもはや悔い改めの余地もないものとして断罪しています。この断罪は、イエスが現にガリラヤで神の支配を宣べ伝え、悔い改めを呼びかけておられた状況では理解しがたいことです。ここにも、イエスの状況とマタイ(または語録資料Q)の状況の違いが現れています。このガリラヤの町々を断罪する語録は、マルコにはなくルカに並行記事があるので、語録資料Qから来ていると見られます。Q宗団は、ガリラヤを中心に活動し、ユダヤ人同胞にイエスに従うように呼びかけましたが、彼らの告知は拒否されてユダヤ人社会の中で孤立していきます。ユダヤ人社会では、ユダヤ戦争の前後を通じて勝利したのはキリスト信者ではなく、後にラビ・ユダヤ教を形成する律法学者たちだったのです。このQ宗団のガリラヤでの孤立が、このような厳しいガリラヤのユダヤ教社会を批判する語録となったと見られます。マタイは、ガリラヤやシリアのユダヤ人たちよりも異邦人に希望をつなぐ思いを込めて、この語録を用いたのでしょう。

幼子に与えられる啓示(11・25〜27)

 このようにイエスに対するイスラエルの拒否を物語るブロック(一一〜一二章)の中ほどと最後に、マタイは対照的にイエスのもとに集まる小さい集団を描く段落を置きます。すなわち、「わたしのもとに来なさい」と呼びかける段落(一一・二五〜三〇)と、「イエスの母、兄弟」の段落(一二・四六〜五〇)です。
 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」(二五〜二六節)と、「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」(二七節)は、もともと別の語録であったかもしれませんが、語録資料Q形成の段階で一つにまとめられており、ルカ(一〇・二一〜二二)はそれを七十二人の弟子たちが福音告知旅行から帰ってきたときに、イエスが喜びに溢れて語られた言葉としています。マタイはこの語録をこの場所に置くことにより、イエスの弟子たち(幼子)の姿を、イエスを拒否したユダヤ教会堂の指導者たち(知恵ある者や賢い者)と対照して浮かび上がらせます。
 当時の「知恵ある者や賢い者」というのは、ユダヤ教律法に精通した律法学者階級の人たちを指していました。そういう人たちにではなく、漁師や徴税人のような階層出身の弟子たち、律法の知識や訓練という点では幼児にすぎない弟子たち、そしてイエスに対して幼児の信頼をもって従う弟子たちに、「これらのこと」が啓示されたというのです。「これらのこと」は、ルカの文脈では直前に語られている奥義(ルカ一〇・一七〜二〇)、すなわちイエスの到来によってサタンの支配がうち破られているという霊的奥義を指しています。しかし、マタイでは突然出てくるので、何を指しているのか特定できません。直後(二七節)に語られている事柄、すなわち子(イエス)が啓示する父の奥義を指していると理解してよいでしょう。
  二七節は本来、父親が秘伝の技術を息子だけに伝えるという職人の家業継承を比喩として用いていると考えられます(J・エレミヤス)。おそらく本来は「すべてのこと(秘伝)は父親からわたしに任せられています。父親のほかに息子を知る者はなく、父親(のすべての技術)を知る者は息子と、息子が知らせようと欲する者以外にはありません」という比喩であったのでしょう。イエスを父なる神の子であると告知するQ宗団が、これをイエスだけに与えられた神の啓示を語る語録として伝えたと見られます。この方向を徹底したのがヨハネ福音書であるとも言えます。
 幼子に与えられる啓示(二五〜二六節)と息子だけに任される父の秘伝のたとえ(二七節)の二つの語録が一つにされることによって、神の啓示は、律法に精通した「知恵ある者や賢い者」にではなく、子であるイエスと、イエスに従う幼子のような弟子たちに与えられていることを主張する語録になっています。そして、「これは御心にかなうことでした」の一文によって、少数の弟子以外の「知恵ある者や賢い者」がイエスを拒否したことは神の御計画から出たことであり、今Q宗団がユダヤ人社会から排斥されて孤立している現実は、けっしてQ宗団の失敗ではなく、神の大きな御計画の一部であることが確認されるのです。
 「知恵ある者や賢い者」は、律法に精通していることから、律法だけに立とうとする姿勢を変えることができず、律法を超えて与えられる啓示、すなわちイエスが告知される恩恵の支配を拒否したのです。これはユダヤ教社会に起こったことですが、ユダヤ教以外の世界でも同じことが起こります。使徒パウロは異邦人についてまったく同じことを言っています。自分の知恵や知識に頼る者たちは、人間の知恵には愚かさの極みである十字架の福音を受け入れることができません。知者たちに拒否された十字架の福音は、ひたすらこれを信じる幼子たちに受け入れられて救いへ至らせる神の力となるのです。神がそう定められたのです(コリントT一・一八〜二九)。

わたしに学べ(11・28〜30)

 父の啓示を受けている者として、イエスは周囲の人々に呼びかけられます。
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(二八〜三〇節)。
 この語録は他の福音書にはなくてマタイだけにあり、マタイの特色をよく示しています。まず、「柔和な」という形容詞はマタイ特愛の用語の一つで、新約聖書の四回の用例の中、三回までマタイ福音書に出てきます。「貧しい人たちは幸いである」という祝福の語録に、「柔和な人たちは幸いである」という句を入れたのもマタイでした(五・五)。ここではイエスご自身が「心が柔和な」者であると用いられています。イエスこそ神の祝福を受け継ぐ「柔和な人たち」の原型なのです。

 マタイにおける「柔和な」という語の用例と意味については、拙著『マタイによる御国の福音―「山上の説教』講解』77頁以下を参照してください。

 もう一つの特色は、「軛を負う」という表現です。軛は農耕や運搬に使う家畜の肩にかける用具ですが、一般に「奴隷の軛を負う」とか「(外国)支配の軛を負う」というように象徴的によく用いられていました。中でもユダヤ教では特別の意味合いでよく用いられていました。すなわち、神の民であることは「天の王国の軛を負う」こととされ、それは具体的には「律法の軛を負う」ことで実現するとされていました。「律法の軛を負う」というのは、律法を順守する責任を負うということです。もとともユダヤ人にとって、これは重荷ではなく選ばれた民の特権であったのですが、イエスの時代のユダヤ教は律法学者たちの言い伝えを積み重ねて、礼拝と生活の煩瑣な数多くの規定を守る義務となり、一般の庶民には「負いがたい重荷」になっていました(二三・四)。
 イエスは(そしてイエスの語録を用いてマタイは)このような重荷を負って苦しんでいる周囲のユダヤ人に呼びかけるのです。「疲れた者、重荷を負う者」というのは、(マタイの文脈では)「律法の軛」という重荷を負って苦しみ疲れている人たちを指しています。そのような人たちに、イエスは「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と呼びかけられるのです。そうすれば「わたしは心が柔和でへりくだった者だから、あなたがたの魂に休みを見出すであろう」(二九節直訳)と約束されるのです。
 ここでの「わたしの軛」は「律法の軛」と対照されています。多くの律法規定を守るように義務を課せられているユダヤ人に、イエスの弟子となって、イエスの言葉だけに従って生きるようにすれば、律法の重荷から解放されて、魂に休みを得ることになると呼びかけているのです。イエスは子として父のすべてを委ねられた方ですから、イエスに従うことが父の御心を行うことになるのです。その上、イエスは柔和でへりくだった方、すなわちご自身が父の慈愛だけに生きる方であり、自分のために何も求めない方ですから、イエスに従うのは無条件の慈愛に生きるという根本律以外に煩瑣な規定はなく、どれだけ律法が守れているかに心が煩わされることはなくなるのです。この意味で、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われるのです。
 このように、この語録はもともと「律法の軛」を負っているユダヤ人に、イエスの弟子となって平安を得るように呼びかけているのですが、もちろん、これはすべての国民、すべての時代の「疲れた者、重荷を負う者」に対する呼びかけでもあります。イエスは終末的救済者キリストとして、ご自分のもとに来る者を、人間にとって究極の重荷である罪と死の問題から解放して、魂に平安を与えてくださるのです。