市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第19講

第三節 安息日論争

はじめにーマルコとの比較

 マタイはこの第三のブロックの物語部分で、メシアの働きをされるイエスがイスラエルから拒否されていく姿を物語っています。その前半(一一章)は、洗礼者ヨハネに関する語録集やガリラヤの町を告発する言葉など、おもに語録資料Qからとった記事で構成していますが、後半(一二章)では、ほぼマルコ福音書(二・二三〜三・三五)の内容と順序に従って物語を進めていきます。はじめに、マタイ福音書の構成をマルコ福音書と較べて、その異同を概観しておきましょう。
 最初に安息日に関する論争が二つ置かれていることはマルコと同じです。安息日に弟子たちが麦の穂をつんで食べたことについての論争と、安息日に手の萎えた人をいやされたことについての論争が、ほぼマルコと同じ内容で続いています。そして、この安息日についての対立が、ファリサイ派がイエスを殺そうと決意するにいたった理由であるとする点も同じです。ユダヤ教会堂側の激しい敵意に直面して、イエスは会堂から退かれますが、マルコ(三・七〜一二)が海辺に退かれたイエスに周辺の地域から多くの群衆が押し寄せたことを具体的に描いているに対して、マタイ(一二・一五〜二一)は退去の行動をイザヤの預言で意義づける記事にしています。マルコ(三・一三〜一九)がその後に置いている十二人弟子を選ばれた記事は、マタイではすでに派遣説教の前(一〇・一〜四)に置きましたから、ここにはありません。
 安息日問題と並んでもう一つの重要な対立点は、イエスの働きを悪霊によるものとする批判者たちとの「ベルゼブル論争」です。マルコはイエスを取り押さえに来た身内の者たちと対比して、イエスの真の家族とは誰かを語る段落をすぐ後に置いていますが、マタイはこのベルゼブル論争の意義を重視して、その間に(おもに語録資料Qから取られた)三つの記事を入れて、イエスの働きを悪霊によるとする批判を論駁しています。すなわち、「木とその実」(一二・三三〜三七)、「しるしを欲しがる」(一二・三八〜四二)、「汚れた霊」(一二・四三〜四五)の三つです。
 二つの安息日論争とベルゼブル論争については、すでに『マルコ福音書講解T』138頁以下で詳しく講解していますので、ここではマタイ福音書の特色に焦点を合わせて講解していきます。

麦の穂をつむ(12・1〜8)

 イエスがしばしば安息日の律法規定を破るような振舞いをされたこと、それがイエスと律法学者たちとの対立の原因となっていたことは共通の伝承でした。マタイもこの伝承を伝えています(一二・一〜八)。しかし、その伝え方を詳しく見ますと、安息日問題に対するマタイの態度の特色が見えてきます。
 まず、イエスが安息日問題で律法学者たちと対立された出来事は、マルコでは四回、ルカでは五回記録されているのに対して、マタイではこの章の二回だけです。そして、批判者たちに対する論駁も律法に依拠するラビ的な議論が多くなります。ダビデが神の家に入って供えのパンを食べたことを引用するのはマルコおよびルカと共通していますが、神殿で働く祭司は安息日規定を破っていること(五〜六節)とホセヤ書の引用(七節)はマタイだけにある特殊記事です。

 ダビデが供えのパンを食べた記事で、マルコの「アビアタルが大祭司であったとき」は、「祭司アヒメレク」(サムエル記上二一・一〜六)の間違いであるので、マタイはこの句を削っています(ルカもこの句を除いています)。

 マルコと比べてもっとも大きな違いは、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 だから、人の子は安息日の主でもある」というマルコ(二・二七〜二八)の結論の前半の部分を伝えないで、後半の「人の子は安息日の主である」という言葉でこの段落を締め括っていることです(八節)。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という、マタイが伝えない前半こそ、イエスの安息日律法に対する革命的な態度がよく出ている語録です。
 マルコでは、ダビデが供えのパンを食べたことを語る言葉の後にすぐ、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という言葉が続いており、その間のつながりがよく分かります。ダビデと供の者たちが食料が尽きて餓死の危険が迫ったとき、律法の規定では祭司のほかは誰も食べてはならない供えのパンを食べたのは、神も認められる行為であるというのです。それは、神は人の祝福のために安息日の制度を定められたのであって、人を安息日の制度に拘束し、その制度を完成するために仕えさせるためではないからです。その細則を守るために現実の人間が苦しみ滅びることは、神の意志ではないのです。この言葉は、安息日律法に限らず、律法全般に対するイエスの革命的な態度と精神をよく表現しています。
 ところが、律法の解釈からすれば、このダビデの行為を論拠とする議論には弱点があります。ここで批判者たちが弟子たちの行動を非難したのは、飢えに迫られて他人の畑の麦の穂をつんで食べたという行為ではなく(それは律法で許されている行為ですー申命記二三・二六)、穂をしごくという安息日に許されていない労働をした点にあるのに、ダビデの行為は安息日のことではないからです。律法学者であるマタイは、この議論の弱点を知って、律法解釈の立場から直接安息日に関わる律法規定を取り上げて反論を強化します(五〜六節)。神殿で仕える祭司は安息日であっても、通常であれば許されない労働をすることは認められています(たとえば民数記二八・九〜一〇)。いまここに「神殿よりも偉大なもの」(中性名詞でイエスと共に到来している神の支配の事態を指す)が来ているのだから、そこで仕える弟子たちは、神殿で仕える祭司以上に、安息日規定に拘束されていないというのです。
 マタイはさらに預言者からの論拠を加えます(律法と預言者の両方を論拠とするのはラビの議論の通例です)。マタイがここに引用するホセア(六・六)の預言、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」は、すでに徴税人たちと食事を共にされるイエスに対してなされた批判に応えるときに引用されていました(九・一三)。マタイはこの預言者の言葉によって、安息日の細則を守るために人間に犠牲を要求する律法学者たちの厳格主義を非難するのです。
 このように律法解釈の立場からする議論を進めたマタイは、マルコにある「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という、律法規定をまったく問題としないイエスの革命的な精神を現す語録を入れることにためらいを感じたのか、この語録を削って、「人の子は安息日の主である」だけを結論として置きます。マルコの場合、「人の子」は自然に先行する語録の「人」と同じ意味で理解して(とくにアラム語では「人の子」は人と同じです)、人間こそ安息日制度の主人であり目的であるという意味に理解できます。それに対して「人の子」を黙示思想的なメシア称号として用いるQ宗団の流れに属するマタイは、この語録を「人の子」であるイエスこそ安息日律法を支配する主人であるという意味にするのです。後述するように、イエスの働きはすべて神の霊によるものですから、イエスが安息日律法を破るような振舞いをされるのも神の霊に駆られてされることです。御霊の働きは人間の律法解釈の集積である安息日規定に拘束されないのです。マタイの場合「人の子は安息日の主である」という言葉は、このような御霊の人であるイエスの立場を弁証する意味になります。

手の萎えた人をいやす(12・9〜14)

 次にイエスが安息日に手の萎えた人をいやされた記事が続きます(一二・九〜一四)。ラビたちは、死の危険が迫っている場合は安息日に治療することは例外として許されているとしていましたが、そうでない場合は安息日が明けてから治療行為を始めるべきだとしていました。この場合は明らかに緊急のケースではないので、治療行為は許されていないのです。それで、イエスが安息日に手の萎えた人をいやされた行為が律法違反として問題になるのです。
 ここでもマルコ(三・一〜六)の記事と比べますと、マタイの特色が出ています。マルコでは、イエスは「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」と激しく対決しておられ、マルコはその激しさを「怒って」とか「悲しみながら」とかイエスの感情にまで立ち入って描いています。マタイは感情は抜きにして律法解釈の問題にしています。まず、「安息日に病気を治すのは、律法で許されているか」という問いを掲げ、羊が穴に落ちた場合、それを引き上げることは安息日でも許されているとするラビの議論を引用して、人間は羊よりもはるかに大切なものだから、「安息日に(人をいやすという)善いことをするのは許されている」と答えます。マルコの激しい対決の情景は、律法解釈の議論に変わっています。

 この安息日問題が理由で、ファリサイ派の人たちがイエスを殺す相談を始めたという点では、マタイはマルコと同じですが、マルコにあった「ヘロデ派の人々と一緒に」という句を削っています。「ヘロデ派」とはどういう人々を指すのかは、正確にはわかりませんが、マタイがこの句を削除したのは、エルサレム陥落以後に福音書を書いたマタイの時代には「ヘロデ派」はもはや存在しなかったからでしょう。

 総じてマタイは、マルコと比べると、安息日に対するイエスの革命的な態度を律法解釈の問題に後退させているようです。これは、マタイ福音書が安息日順守を当然とするユダヤ人信徒共同体の所産であり、共通の前提である律法の解釈めぐって対立するユダヤ教会堂と激しく議論しなければならなかった状況から来るのでしょう。マルコは安息日律法そのものを超えるイエスの精神を伝えているのに対して、マタイは安息日律法の有効性を前提として、その解釈として「安息日の掟を破っても罪にならない」理由を論じています。わたしたちはもはやユダヤ教律法の解釈は問題にしなくてもよい状況にいるのですから、マタイではなくマルコが伝えるイエスの革命的な人間尊重の精神を継承すればよいのです。ただ、マタイの「人の子は安息日の主である」という言葉を、イエスのように聖霊によって生きる者はもはや安息日の律法規定に拘束されていないのだと理解すれば、これはマルコの主張に神学的な根拠を与えるものになると言えます。

立ち去るイエス(12・15〜21)

 イエスはファリサイ派の人たちの殺意を知って、会堂を立ち去られます(一二・一五〜二一)。この「立ち去る」または「退く」という動詞は、イエスの行動を描くさいに、とくにマタイによく出てきます(ここの他には二・一四、二・二二、四・一二、一四・一三、一五・二一)。これは、自分たちの故郷であるユダヤ教会堂から立ち去ろうとしているマタイ共同体の姿を、イエスに重ねているからだと考えられます。
 マルコ(三・七〜一二)は、イエスはガリラヤ湖畔へ立ち去り、そこに集まってきた多くの群衆の中の病人をいやされたことを、地名も入れて詳しく描いています。マタイは「立ち去られた」イエスが病人をいやされた事実を一行で報告するだけです。ただ、マルコが「あなたは神の子だ」と叫ぶ霊どもに対して、イエスが自分のことを言いふらさないように厳しくいましめられたと書いているところを、いやされた病人に対するいましめとして引用しています。マルコではこの命令は「メシアの秘密」に関するものでしたが、マタイにはこの動機はないので(この点については後で取り上げます)、「立ち去る」イエスの姿がイザヤが預言した「主のしもべ」の成就であるとして、イザヤ書を引用するための導入としています。
 ここに引用されているイザヤ書(四二・一〜四)の預言は、捕囚期の大預言者(第二イザヤ)が語った「主のしもべ」の歌の一部です。「主のしもべ」の歌はイザヤ書五三章をクライマックスとする一連の預言であり、キリストであるイエスを指す預言として初期の教団で重視されていました。マタイは、黙って会堂から立ち去り、いやされた民衆にも言いふらさないようにもとめるイエスを、「彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない」という預言の成就とするのです。
 それだけでなく、この預言はイエスを神から遣わされた「しもべ」として描く福音書にとって基本的な預言です。イエスがヨルダン川でバプテスマをお受けになったとき聖霊が下って、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたという記事の背後にも、この預言があります。マタイは次に「ベルゼブル論争」を置いて、イエスの働きは悪霊によるものだとする批判を論駁しようとしていますが、この預言にある「この僕にわたしの霊を授ける」は、イエスの働きは悪霊によるのではなく神の霊によるのだという主張を根拠づける聖句となります。
 さらに、「彼は異邦人に正義を知らせる」とか、「異邦人は彼の名に望みをかける」という預言は、これからイエス・キリストの名を異邦世界に宣べ伝えようとしているマタイ共同体にとって貴重な預言です。神の霊によって「主のしもべ」として語り働かれたイエスは、ユダヤ人社会の敵意を受けて、そこから黙って立ち去り、異邦人の世界に向かっていかれるのです。引用された「主のしもべ」の預言は、このイエスの姿を的確に語る預言であり、イエスと重なるマタイ共同体への預言ともなるのです。

ベルゼブル論争(12・22〜30)

 マルコの順序に従って、マタイはここに「ベルゼブル論争」を置いています(一二・二二〜三〇)。これは、イエスが悪霊を追い出しているのは悪霊どもの頭ベルゼブルの力によるのだという批判に対する論争です。イエスが悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人をいやされたとき、群衆は驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言いましたが、ファリサイ派の人たちは「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言いました。イエスに対する態度が二つに割れたのです(二二〜二四節)。
 群衆がイエスの力あるわざに驚嘆して、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言ったとあるのはマタイ特有の記事です。イスラエルの民衆の間には、終わりの苦難の日に神はダビデの子であるメシア(救済者)を送ってくださるという信仰と期待が高まっていました。マタイは福音書の冒頭(一・一)からイエスをそのダビデの子であると宣言してきました。イエスのメシアとしての働きをまとめた第二ブロックの物語(八〜九章)において、本来イエスの働きの期間の最後になされた盲人のいやし(二〇・二九〜三四)をあえて重複させてもってきたのも、「ダビデの子よ」という盲人の叫びによって、イエスの働きがダビデの子としての働きであることを示唆するためでした(九・二七)。イエスの力あるわざをまとめたこのブロックの物語を締め括る位置に、群衆が驚嘆して「こんなことは、今までイスラエルに起こったためしはない」と言ったとありますが(九・三三)、それはダビデの子としてのイエスの働きに対する驚嘆であったのです。今それが「この人はダビデの子ではないだろうか」という言葉で表現されるにいたったのです。
 それに対して、ファリサイ派の人たち(マルコでは「エルサレムから下って来た律法学者たち」)は、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言ったのです。イエスは悪霊どもの頭であるベルゼブルに取りつかれ、その力を用いて子分の悪霊を追い出しているというのです。強い霊力をもって悪霊を追い出して病人をいやす霊能者を、当時のユダヤ教は「魔術師」と呼んでいました。イエスを「魔術師」と呼び、その奇跡を魔術として批判する者とそれに対抗する論争は、古代のユダヤ教文献にもキリスト教文献にもしばしば出てきますが、福音書の「ベルゼブル論争」はその源流となるのです。

 批判者たちのイエスに対するもう一つの呼び方は、「人を惑わす者」あるいは「詐欺師」です(二七・六三〜六四)。「魔術師」と「詐欺師」はイエスに対する一対の非難の呼称として、古代の論争によく用いられました。

 マタイがイエスに対するユダヤ教会堂からのこの非難をとくに重視していたことは、この非難を繰り返し取り上げていることからもうかがわれます。すでに、イエスの力ある業(奇跡)をまとめたブロック(八〜九章)を締め括る位置に、民衆の驚嘆と対比して、ファリサイ派の者たちの「あの男は悪霊の頭によって悪霊を追い出している」という批判を置いています(九・三四)。また、派遣説教の中にも、「家の主人(イエス)がベルゼブルと呼ばれる」という敵対者たちの批判が引用されています(一〇・二五)。
 さらに(後述するように)、ベルゼブル論争の後に、語録資料Qからの語録を重ねて、この問題を入念に取り扱っています(一二・三三〜四五)。おそらく、マタイの共同体もユダヤ教会堂側から同じ非難を受けていたので、それに対抗することは現実の差し迫った問題であったのでしょう。「家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家族の者はもっとひどく言われるであろう」(一〇・二五)という語録は、マタイ共同体の現実の姿であったと考えられます。
 「ベルゼブルの力によって悪霊を追い出している」という非難に対して、イエスは二つのたとえをもって答えられます。第一は内輪で争う国と家のたとえ(二五〜二六節)であり、第二は略奪者のたとえ(二九節)です。第一のたとえは、もしイエスが悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのであれば、それはベルゼブルまたはサタンの支配の分裂であり自己崩壊を意味するのであるから、そのような非難は矛盾であることを指摘しています。たとえそのものはマルコと同じですが、マタイはこのたとえの後ろに、「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる」(二七節)という語録を加えて、ユダヤ教でも行われている悪霊払いの事実を指摘して反論しています。そして、「しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(二八節)という語録を加えて、イエスの力あるわざは神の霊によるものであることを明白な言葉で宣言します。この二つの語録はルカと共通しており、語録資料Qからと考えられますが、ルカでは「神の指」とあるところをマタイは「神の霊」と言っているのも、イエスの働きを神の霊によることを強調したいマタイの意図を示しています。
 ここの文脈においては、この語録はイエスの働きが悪霊ではなく神の霊によるものであることを強調していますが、同時にこの言葉は、神の支配がすでにイエスの働きの中に到来していることを宣言しており、福音が告知する「神の支配」の性質について重要な宣言となっています。
 マタイは、イエスは神の霊によって悪霊を追い出しているのだと宣言した後に第二の略奪者のたとえを置くことで、このたとえの意味を明白にしています。イエスが悪霊を追い出しておられるのは、イエスがすでに「強い人」を縛り上げている、すなわち神の霊の力によって悪霊どもの頭であるサタンの支配を打ち砕いておられるからだというのです。イエスは荒野でサタンとの対決に勝利し、「サタンが電光のように天から落ちるのを見た」(ルカ一〇・一八)方なのです。
 マタイはここに「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている」(三〇節)という語録を置いています。これもルカと共通で、語録資料Qからのものでしょう。もともと別の文脈にあったこの語録をここに置いたのは、イエスの中に神の支配が現に到来している以上、イエスに対する中立的な立場はありえない、全面的に従うか敵対するかのどちらかであると迫るためでしょう。

聖霊に逆らう者(12・31〜32)

 マルコでは、このように神の霊によって力ある業をしておられるイエスを、律法学者たちが「汚れた霊に取りつかれている」と判定したことに対して(マルコ三・三〇)、これを聖霊に対する冒?として、次のように厳しい断罪の宣言がなされています。「よくあなたがたに言っておくが、人の子らには、犯すどのような罪も、神を冒?するどのような冒?の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒?する者は、永遠に赦されず、永遠に罪ある者とされる」(マルコ三・二八〜二九)。ところがマタイはこれをマルコとは微妙に違う言葉で伝えています(一二・三一〜三二)。

 「人には、犯すどのような罪も、神へのどのような冒?も、すべて赦される。しかし御霊を冒?することは赦されない。また、人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも来るべき世でも赦されることはない」。(一二・三一〜三二)

  マタイでは赦される罪と赦されない罪との対比が二組になっています。第一の組はマルコの句とほぼ同じですが、第二の組では聖霊に言い逆らう罪が「人の子」に言い逆らう罪と対比されています。マルコでは「人の子」は複数形で人間一般を指し、罪を犯す側ですが、マタイでは単数形でイエスを指す称号として用いられており、冒?の対象として聖霊と対比されています(ルカは一二・一〇で第二の組の対比だけを全く別の文脈で伝えています)。このように「人の子」の意味が違う以上、それと対比して語られている「聖霊を冒?する(汚す)罪」の内容についても、マルコとマタイの違いを検討しなければならなくなります。
 イエスが用いておられたアラム語においては、「人の子」という表現は本来「ある人」、「ひとりの人」という意味であって、人一般を指す用語です。ところがこの日常的な用語が、イエスの時代にはダニエル書のような黙示思想の文書の中で、終わりの日に野獣的支配権力を滅ぼして神の支配をもたらす超越的人格存在を指す語として用いられるようになっていました。そこでイエスが日常的な「ある人」という意味で使われた「人の子」が、イエスを終末的な「人の子」と信じる人々(語録資料Qを形成した集団もそうです)によって伝承されていく過程で、その本来の意味を越えて終末的な称号として理解されるようになる場合も起こってきます。ここはそのような場合の一つではなかろうかと考えられます。おそらくマルコはイエスが用いられた本来の日常的な意味を保存して伝え、マタイ(とルカ)はそれを越えて、その中に含まれる終末的な意味を汲み出して伝えた、と考えられます。
 マルコの句においては、イエスがされている業を「汚れた霊」によるものとしたことがただちに聖霊を冒?する罪として断罪されています。それに対してマタイ(とルカ)の表現には初代教団の福音告知活動、とくにユダヤ教徒に対する福音告知が背景になっていることがうかがわれます。すなわち、イエスが用いられた「人の子」が黙示思想的な称号として理解されて地上のイエスに適用され、「人の子」すなわち地上のイエスに言い逆らい反抗することと、聖霊に言い逆らうこととが対比されることになります。地上のイエスに反対したことは、イエスを十字架につけたことまで含めて赦される。それに対して、復活後の教団が聖霊の力により福音を宣べ伝えたとき、聖霊の働きに直面しながらイエスが復活者キリストであることを拒む者は、神の最終的な救いの業を退けるのであるから、もはや赦しはありえないことになります。神はキリストの十字架において人間の一切の罪を贖い赦しておられる。そしていま福音の言葉により聖霊の迫りの中で直接聴く者の霊に啓示しておられる。この最終的な赦しを拒む者はもはや赦される機会がないというのです。
 マルコの罪を犯し赦される側の「人の子」をイエスに対する称号に転用することによって、マタイは地上のイエスに対する言い逆らいと聖霊に対する言い逆らいを区別します。そうすることで、現在マタイ共同体が聖霊によって宣べ伝えている福音に対するユダヤ教会堂側の反抗を厳しく断罪するのです。地上のイエスに逆らって死に至らせたことは赦される。しかし、聖霊によって復活されたイエスに逆らうことは赦されないという宣言です。この断罪は同時にイスラエルに対する最後の呼びかけでもあります。イエスを殺したことは赦されるのであるから、いま聖霊によって宣べ伝えられている復活者キリストを信じ受け入れるようにという呼びかけでもあるのです。

木はその実で知られる(12・33〜37)

 木はその実で良し悪しが知られるというたとえは、すでに「山上の説教」で偽預言者を見分けるようにという警告の中で用いられていました(七・一五〜二〇)。マタイはこのたとえを、イエスの働きが聖霊によるものであることを主張する文脈でもう一度用います(三三節)。イエスの働きが悪霊の頭によるものではなく神の霊によるものであることは、その働きの結果を見れば分かるではないかという主張です。同じことが倉からものを取り出す人のたとえで繰り返されます(三五節)。善い人は自分の内に良いものだけを入れているので、そこから出てくるものは自然に良いものだけであるが、悪い人からは悪いものだけが出てくるというのです。
 この二つのたとえでイエスの働きが神の霊による「良いもの」であると主張すると同時に、イエスを拒否する者たちを「蝮の子ら」と決めつけて、本性が悪であるから悪いものしか出てこないのだと断罪するのです(「蝮の子ら」という表現は洗礼者ヨハネが用いた句であり、マタイがヨハネと共同戦線に立っていることをうかがわせます)。それは、彼らのイエスへの拒否(不信仰)はそのような性質の悪であると言っているのです(三四節)。
 そのさい、信仰とか不信仰はイエスに対する告白の言葉の問題として取り扱われます。悪い人が悪い言葉(イエスへの非難と拒否)を語るのは、その本性が神に逆らう悪であるからだというのです。口から出る言葉は、心にあふれている中身が外に出てくるのであって、心と一体です。心と口(言葉)の一体性は、「心で信じて義とされ、口で言い表して救われる」(ローマ一〇・一〇)など、新約聖書では繰り返し強調されていますが、ここでは悪しき言葉(イエスに対する非難の言葉)が神の裁きの日に責任を問われるという面が強調されています(三六節)。
 この段落は、人間の霊性は言葉と一体であるという原理(三七節)を語っていますが、マタイがこの福音書を書いた状況では、イエスを悪霊の力によって人を惑わす「魔術師・詐欺師」であると非難する会堂に対してなされた反論であり断罪であるという性質が濃厚です。
 

しるしを求める(12・38〜42)

 マルコ(八・一一〜一二)では別の文脈に置かれている「しるしの拒否」を、マタイはベルゼブル論争との関連でも用いてここに置きます(一二・三八〜四二)。マタイはこの資料を一六・一〜四で再度用いています。これも「よこしまで神に背いた時代」に対するマタイの断罪です。
 イエスの働きが神の霊によるものであるという主張に対して、敵対する陣営からその「しるし」(証拠)を示せと言う要求が繰り返されたのでしょう(三八節)。イエスに対してもしるしが要求されましたが、イエスは単純にそれを拒否しておられるだけです(マルコ八・一一〜一二)。ところが、マタイは「ヨナのしるしのほかには」を加え(三九節)、ヨナのしるしとは「人の子」であるイエスの死と復活を指すことを明言します(四〇節)。すなわち、イエスの復活こそ最大のしるしであって、イエスの復活を信じない者には、それ以外のいかなるしるしもありえないと、彼らの要求をはねつけるのです。
 このような付加はイエスの復活後になって初めて可能になるのですから、(ルカと共通の)この語録は語録資料Qの段階で成立したものと見られます。マタイはそれを用いて、イエスの復活を信じない「今の時代」の会堂の不信仰を断罪するのです。
 ところで、ヨナの物語の本来の核心は、神の裁きを宣べ伝えるヨナの説教を聞いたニネベの人たちが悔い改めたことですから、マタイはヨナ物語の本題に戻って、「ヨナにまさるもの」(中性名詞でキリストにより到来した終末的事態を指す)が来ている今は、ニネベの異邦人以上にイスラエルはキリストの福音に聴き従って悔い改めるべきであることを加えます(四一節)。「南の女王」の物語も同じです。イスラエルの知恵を代表する「ソロモンにまさるもの」が来ている今は、イスラエルは異邦の女王以上に、この終末的な知恵である福音に聴き従うべきであると、マタイは「今の時代」に訴えるのです(四二節)。

戻ってくる悪霊(12・43〜45)

 新約聖書時代のユダヤ人社会では、悪霊祓いはよく行われていました。だいたい病気は悪霊の仕業だと考えられていたので、祈祷(や呪文)による治癒は悪霊祓いの結果であると見られていました。そのさい、治癒は一時的で、再び以前よりも悪い状態に陥るケースもしばしばありました。そのようなケースは、追い出された悪霊が仲間の悪霊を引き連れて戻ってきたのだと説明されました。マタイはそのような悪霊祓いのケースを用いて、「この悪い時代の者たち」も同じだと断罪するのです(一二・四三〜四五)。「この悪い時代」というのは、マタイの時代のユダヤ教会堂勢力です(この段落もルカと共通で、語録資料Qからと見られます)。
 マタイが「この時代」というとき、マタイは洗礼者ヨハネとイエスの告知から始まりマタイ自身の時代にいたるユダヤ人社会を念頭に置いていたはずです。それは「悪い」時代であったのです。ユダヤ人社会を指導する最高法院や会堂は、洗礼者ヨハネの迫っている審判の告知を聴いても悔い改めず、イエスの「神の支配」の使信を受け入れず、家を空き家のままにしていたので、偏狭な国粋主義という狂気(悪霊)に取り憑かれてユダヤ戦争を引き起こし、ついに壊滅的打撃を受けたのです。ユダヤ戦争敗北によってその狂気は取り除かれましたが、その後に成立したファリサイ派主導のヤムニヤ体制は、さらに悪くなり、厳格な律法支配の体制の下にイエスの民を異端としてユダヤ人社会から追放しようとするに至ったのです。マタイには「この時代」は以前よりもますます悪くなっていく時代であったのです。

神の家族(12・46〜50)

 イエスがユダヤ人社会から拒否されていく姿を物語ったブロック(一一〜一二章)の最後に、マタイはイエスの下に集まる小さい群の姿を描いて、次の第四ブロック(一四〜一八章)の主題となる「イエスの民」の存在を萌芽の形で示唆します。
 この段落(一二・四六〜五〇)のイエスの家族は、マルコ(三・三一〜三五)では否定的な色合いで描かれていました。イエスの身内の者たちは「彼(イエス)は気が変になっている」として取り押さえに来た(マルコ三・二一)物語の続きに置かれているので、イエスの母と兄弟が外に立って、人をやってイエスを呼ばせたのも、イエスの活動を止めさせようとしている印象を与えます。マタイは、誕生物語で母マリアの信仰を高く評価した立場もあり、この否定的な色彩を取り除いて、ただイエスと話をしたいので外に立っていたとしています。しかし、内容はマルコと同じく、イエスとの結び付きは親子とか兄弟という血縁によるものではなく、「天の父の御心を行う」という霊的同質性だけであることが際立たせられます。福音の場では、「天の父の御心を行う」とは律法の完全な順守ではなく、イエスがそうであったように、父の恩恵に委ねきった在り方を指します。そのような父の御心にかなった者が、イエスを長兄とする神の家族なのです。家族とか民族という血縁は、神の家族となるのに何のかかわりもありません。