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第八章 メシアの民の出現

        マタイ福音書 一四〜一七章

はじめに

 第三ブロック(一一〜一三章)で、自分の民であるはずのイスラエルから拒否されるメシア・イエスの姿が描かれましたが、続く第四ブロック(一四〜一八章)では、拒否するイスラエルの中にメシアに属する民が形成されることが物語られます。この民は後に《エクレーシア》と呼ばれることになるのですが、マタイはこの第四ブロックで、イエスをメシア(キリスト)と告白する弟子たちの共同体を《エクレーシア》と呼び始めます(一六・一八、一八・一七)。四福音書の中で《エクレーシア》という語が用いられるのはマタイ福音書だけであり、それもこの第四ブロックに限られます。
 この第四ブロックの物語部分(厳密には一三・五三から始まり一七・二七にいたる部分)は、基本的にマルコに従っています。故郷ナザレでの拒否、バプテスマのヨハネの処刑、五千人への供食、湖上での顕現、ゲネサレトでのいやし、父祖の伝承についての論争、カナンの女、四千人への供食、しるしの要求、パン種の警告と、ほぼマルコの順序通りに物語は進み、ペトロの告白というクライマックスに至ります。それまでの物語にもマタイの特色は出ていますが、ペトロの告白の段落には、この告白こそ《エクレーシア》の土台であるという重要なマタイの神学的意義づけが出てきます。続いて山上の変容、山麓での子供のいやしとマルコの内容が踏襲されていますが、最後に神殿税というマタイだけの記事が置かれます。
 物語部分に続く説話部分(一八章)は、イエスの語録を《エクレーシア》の在り方についての訓戒というマタイ独自の形にまとめています。その中に、イエスの福音告知の核心である恩恵の支配を理解する上できわめて重要な、マタイだけの「王と家臣のたとえ」が出てきます。
 物語部分は順序も内容もほぼマルコに従っていますので、個々の段落の講解はマルコ福音書講解に委ね、ここではマタイ固有の特色に的を絞って物語の進展を追っていきます。



第一節 荒野に退くイエス

立ち去るメシヤ(13・53〜14・12)

 マルコ福音書では、イエスが故郷ナザレの人たちに拒否されるところから、イエスの福音告知活動に新しい時期が始まりました(マルコ福音書六章一〜六節の講解の中の「マルコ福音書の区分」の項を参照)。マルコではその後に「十二人の派遣」の記事が続きますが、マタイはすでに一〇章の「派遣説教」の中で扱っていますので、ここではそれを飛ばしてナザレでの拒否の後(一三・五三〜五八)、ヨハネの処刑の物語がすぐに続きます(一四・一〜一二)。その結果、ナザレでの拒否とヨハネの処刑の記事が一体となって、イエスが公衆の中での活動から身を引いて、小さな弟子たちのグループだけに御自身の秘密を語られる時期が始まることを指し示すことになります。
 マタイは、イエスの活動がヨハネの活動と不可分に結びついていることを描いてきました。イエスの福音告知活動はヨハネのバプテスマ運動の中から始まり(三〜四章)、イエスはヨハネと同じく神の支配の切迫を告げて、悔い改めを求められたのでした(四・一七)。「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤへ退かれた」(四・一二)のでしたが、今ヨハネの処刑を聞いて、「船に乗ってそこを去り、ひとり人里離れたところに退かれ」るのです(一四・一三)。ヨハネを処刑したのはガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスですが、イエスは今このヘロデが支配しているガリラヤから退き、ガリラヤ湖対岸の荒野に向かわれます。イエスは、ヨハネの処刑にご自分の時が近いことを知り、弟子たちに御自身が受けておられる啓示をしっかりと教えておくために、最後の時を弟子たちとだけで過ごそうとされます。

 「退く」という動詞は、新約聖書で14回出てきますが、その中の10回はマタイです。マタイはイエスの生涯の各時期を「退かれた」という語で区切って物語を進めていきます。これはマタイが、今やイスラエルから「退く」(去っていく)状況にある自分たちの姿を、イエスに重ねて語っている結果であると考えられます。詳しくは、本書177頁の「立ち去るイエス」の項を参照。

荒野に集う群衆(14・13〜21)

 イエスが自分たちから去って行かれたことを知ったガリラヤの群衆は、イエスを追って荒野に集まってきます。この群衆について、マルコ(六・三九〜四四)は「男五千人」と伝え、集合した様子を「百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした」と描いています(これは部隊組織を連想させます)。またヨハネ福音書(六・一四〜一五)は、群衆はイエスを王としようとしたと伝えています。このような伝承の中に断片的に伝えられていることをつなぎ合わせると、この荒野の集合はイエスをメシア的な王として戴いて立ち上がり、ローマの支配からの解放を戦い取ろうとした男たちの集合ではなかったかと考えられます。ところが、イエスは彼らの要求を拒み、「ひとりでまた山に退かれた」ので、彼らは期待を裏切られ、イエスに失望して去っていきます(ヨハネ六・六六)。

 イエスの時代のメシア運動については、M・ヘンゲル『ゼーロータイ――紀元後一世紀のユダヤ教熱心党』(大庭昭博訳、新地書房)を参照してください。

 時代の雰囲気とイエスのカリスマ的な能力からすると、このような性質の出来事があったことは十分推察できますが、イエスの復活後、イエスをキリストと信じる者たちはこの出来事にまったく違った意味を与えて語り伝えていきます。その変化はすでにマルコ福音書において明らかです。すなわち、マルコ福音書ではこの荒野に集まった群衆の光景は、イエスが「飼う者のない羊のような群衆を深く憐れみ、いろいろと教え」た場面として(マルコ六・三四)、また、食べ物をもってこなかった群衆に、五つのパンと二匹の魚を増やして食べさせたという奇跡物語として語り伝えられていきます。この奇跡物語は、イエスを荒野でマナを与えたモーセに勝る終末時のメシアとして示し、終末時に与えられると期待されていた「メシアの饗宴」が実現したのだと宣言しているのです(その記事については『マルコ福音書講解T』264頁の六章三〇〜四四節の段落を参照)。このような語り方は、「主の晩餐」の席で、復活された霊なる主から永遠のいのちの糧を限りなくいただいていることを体験している信徒たちの集団が、自分たちの体験を地上のイエスの出来事に重ねて語り伝えるところから出てきています。
 すでにマルコに見られる意味の変化を、マタイはさらに推し進めます。「男が五千人であった」というマルコの記事を、マタイ(一四・二一)は「女と子供を別にして、男が五千人ほどであった」として、この集団が軍事的蜂起を企んだ男だけの集団ではなく、女も子供も含む民衆であったことを明確にし、イエスの憐れみの対象としてふさわしい集団に変えています(なお、ルカとヨハネは男五千人というマルコまたは伝承の報告をそのまま踏襲しています)。それにともない、「百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした」という部隊組織を連想させる表現も削っています。こうしてマタイでは、荒野に集まった群衆の場面は、イエスが民衆への憐れみを示される場面であり、終末的な「メシアの饗宴」の実現であるという意味がいっそう明確にされることになります。

湖上の顕現(14・22〜33)

 マルコの順序に従い、民衆に食物を与えた記事の後に、逆風のために漕ぎ悩む弟子たちにイエスが水の上を歩いて近づいてこられたという物語が続きます。その内容(一四・二二〜二七)もほぼマルコと同じです。ところが、マタイはその後に、マルコにはない記事を書き加えています。すなわち、ペトロがイエスの命令に従って水の上を歩き、途中で怖くなって沈みかけ、イエスによって助けられるという記事です(一四・二八〜三三)。この記事はルカやヨハネにもなく、マタイ独自のものです。
 水の上を歩いて来られるイエスの記事は、イエスの十字架の刑死の後、ガリラヤの漁師の仕事に戻っていた弟子たちに復活されたイエスが顕現された出来事を、地上のイエスの物語に重ねたものであることは、『マルコ福音書講解』(六章四五〜五二節の段落)で詳しく論じました。マタイはマルコの記事の後に、ペトロが水の上を歩いてイエスのもとに行こうとする物語を続けます。イエスが水の上を歩いて来られた記事が本来復活者の顕現の物語であるならば、ペトロが水の上を歩いた記事も、その復活者イエスに出会ったペトロの体験、ひいていはペトロが代表するエクレーシアの体験を物語るものでなければなりません。マタイはこのペトロの物語を書き加えることによって、復活者イエスと共に生きる自分の共同体の信仰を励ますのです。
 マタイのユダヤ人共同体は、イエスがそうされたように、今や故郷のイスラエルから立ち去り、未知の世界に乗り出そうとしています。今まで自分たちを支えてきた律法はもはや通用しません。これから乗り出していこうとしている世界は、未知の神々が支配し、諸々の民がひしめく世界です。そこでどのように生きていくのか、どのように活動するのか、予定を立てたり、計画図を描くことはできません。ひたすら、復活されたイエスが共にいてくださるという信仰の現実だけに頼って、人間的には何の支えも保証もない世界に乗り出していくのです。このような共同体に向かって、マタイは水の上を歩くペトロの物語をもって語りかけます。
 「わたしである」《エゴー・エイミ》という神的称号をもって顕現された復活者イエスに向かって、ペトロは「主よ」と叫びます。このペトロの叫びには、復活者イエスを主《キュリオス》と告白する原初の信仰告白が響いています。ペトロは、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と言います。「あなたは現に水の上を歩いておられます。あなたのお言葉でしたら、水の上を歩くという人間には不可能なことでも、わたしはお言葉に従います」というのです。それが信仰です。
 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは船から降りて水の上を歩き始めます。ところが、強い風を見て怖くなり、その途端に水にのみ込まれようとします(「沈む」よりも強い感じの動詞)。ペトロは思わず「主よ、助けてください」と叫びます。イエスはすぐ手を伸ばしてペトロを捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言って、ペトロを救い上げられます。
 このペトロの姿は、復活者イエスを信じてこの世界の現実の中に歩むエクレーシアの姿であり、またキリストにある者ひとりひとりの姿です。わたしたちは、復活者イエス・キリストから目を離して世界の現実や自分の能力に目をとめますと、このような生き方をするのに自分の中には何の根拠もなく、世界には何の保証もないことに気づき、怖ろしくなります。そして、怖れと信仰は水と油です。怖れのあるところには信仰はなく、信仰のあるところには怖れはありません。主から目を離した途端、わたしたちの魂は怖れに捕らえられ、世界の現実の中にのみ込まれてしまいます。その時にできることは、ただ「主よ、助けてください」と叫んで、再び復活者イエス・キリストに目を注ぐことだけです。
 怖れて沈みそうになるペトロに、イエスは救いの手を差し伸べながら、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と叱責されます。この「信仰の薄い者よ」という叱責は、イエスを信じない者たちに向けられることはなく、イエスを信じて従っている弟子たちに向けられる叱責で、ほとんどマタイだけに出てきます(例外はルカ一二・二八)。マタイは(ここ以外では)この言葉を、「野の花、空の鳥」のたとえで、衣食のことに思い煩う弟子たちに向かって(六・三〇)、嵐の中の小舟で怖れる弟子たちに向かって(八・二六)、また、パンを持ってこなかったことを議論する弟子たちに向かって(一六・八)用いています。この用例からもわかるように、この叱責の言葉は、どのような状況でも怖れることなく、神に委ねきってイエスに従うように弟子たちを励ます激励の言葉なのです。
 マタイはこの湖上の顕現の物語を、「舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ」という文で締めくくります(一四・三三)。これはマルコと大きく違う点です。マルコは湖上の顕現物語を、「弟子たちは内心ただ呆然とするばかりであった。彼らはパンのことを悟らず、その心がかたくなになっていたからである」(マルコ六・五一〜五二私訳)という文で結んでいます。マルコは復活されたイエスの顕現の出来事を地上の出来事に重ねて語るので、それをイエスが地上におられた時の物語にするためには、弟子たちはそれが復活者の顕現であることをまだ理解していなかったとしなければなりません。そのための工夫が「弟子たちの無理解」の動機になっています(この点については『マルコ福音書講解U』終章の「マルコ福音書の二重性」を参照)。
 マタイにはそのような動機はなく、弟子たちはイエスの言葉の奥義を悟り、出来事の意義を理解していたという立場で物語を進めていきます。ここでも弟子たちは湖上で顕現して、「わたしである」《エゴー・エイミ》と名乗られる方に対して、ただちに「本当にあなたは神の子です」と告白して、「イエスを拝んだ」のです。これは、復活されたイエスに対して弟子たちがとった態度と同じです(二八・一七の「ひれ伏した」は、ここの「拝んだ」と同じ動詞です)。マタイはこの湖上の出来事を、マルコ以上に明確に、復活されたイエスの顕現として物語っているのです。

昔の人の言い伝え(15・1〜20)

 マタイはマルコに従って物語を進めます。「こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着き」、イエスはそこで多くの病人を癒されます(一四・三四〜三六)。その後に、マルコの順序通りに、「昔の人の言い伝え」に関する論争が置かれます(一五・一〜二〇)。この記事も基本的にはマルコと同じですが、マタイは微妙な形でマルコに変更を加えています。

 この「昔の人の言い伝え」に関する記事は、福音とユダヤ教との関係についてきわめて重要な意義をもっていますが、その内容の詳細と意義については『マルコ福音書講解T』の当該箇所に委ね、ここではマタイの立場を見ることに限定して講解を進めます。

 この論争は、イエスの弟子たちが手を洗わないで食事をしていることを律法違反として咎めた、エルサレムからのファリサイ派律法学者に対してなされています(一五・一〜二)。彼らによると、「手を洗わないで食事をする」ことは、「昔の人の言い伝え」を破る行為であって、それは律法に違反することであるというのです。モーセ律法は清いものと汚れたものを区別し、イスラエルの民が汚れたものに関わることなく、清いものであるように求めています。この律法の規定を実際の日常生活の中で実行するためにはどうすればよいかを、代々の律法学者たちが研究し、師から弟子に口頭で伝えられた教えが「昔の人の言い伝え」です(ユダヤ教では「ハラカ」と呼ばれています)。食事に関する「ハラカ」では、手は汚れたものに触れている可能性があるから、そのままでものを食べると、汚れたものに触れた手によって食物が汚れ、その汚れた食物を食べた人も汚れるので、食事をする前には必ず儀礼的な手洗いをしなければならないのです。この「ハラカ」を破る行為は、清くあることを求める律法を破る行為に他ならないというのです。
 この非難に対してイエスは、「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである」という《マーシャール》(謎)で答えられます(一五・一一)。福音書では、イエスはコルバンの実例をあげて、ファリサイ派は「自分の言い伝えによって神の言葉を無効にしている」と議論しておられますが(一五・三〜九)、イエスの答えの核心はこの《マーシャール》(謎)にあります。マルコはこの《マーシャール》を、「すべて外から人の中に入ってくるものは、人を汚すことはできない。それは人の心に入るのではなく、腹の中に入り便所に出ていくからである」と説明し、「(イエスは)こう言って、すべての食物を清いとされた」という解説を加えています。(マルコ七・一八〜一九)。「口から出てくるもの」については、「人から出て来るものこそ、人を汚すのである。内側から、すなわち人の心の中から、さまざまな邪悪な思いが出て来るからである。不品行、盗み、殺人、姦淫、強欲、邪悪、欺き、享楽、嫉み、誹り、高慢、愚痴など、これらの悪はすべて内側から出て来て、人を汚すのである」と説明しています(マルコ七・二〇〜二二)。
 マタイはマルコの説明をそのまま踏襲していますが、ひとつ重大な変更を加えています。すなわち、マルコの「こう言って、すべての食物を清いとされた」という句を削って、代わりに「しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない」(一五・二〇)という文を最後に置いて、イエスの《マーシャール》(謎)の解説の結論としています。このマルコとマタイの違いは、初期のエクレーシアにイエスの《マーシャール》(謎)の理解に二つの違った流れがあったことを示唆しています。
 マルコにあるように、「すべての食物が清い」のであれば、レビ記(一一章)に書かれているような清い食物と汚れた食物の区別は無意味になります。イエスは《マーシャール》(謎)の形であれ、モーセ律法(トーラー)を順守する必要はないと主張されていることになります。事実、初期のエクレーシアにおいて、ユダヤ教の食物規定を順守すべきであるという主張と、その必要はもはやないのだという主張が激突して大問題になりました。
 必要はないという主張の代表者はパウロです。パウロは「すべて(の食物)は清い」(ローマ一四・二〇)と断言し、ユダヤ人も食物規定のない異邦人と一緒に食事をするように主張しました(ガラテヤ二・一一以下)。この主張は、初期エクレーシアのユダヤ人指導者たちから激しい反対を受け、パウロは食物規定を守るユダヤ人信徒との融和に、生涯心を砕かなければなりませんでした(コリントT八章、ローマ一四章)。パウロの流れを汲む異邦人キリスト教の立場にあるルカは、神が幻によってユダヤ人指導者の代表であるペトロに、すべての食物は清いことを示されたと語っています(使徒言行録一〇章)。この物語は、ユダヤ人に食物規定を乗り越えさせることは、幻という神の非常手段による介入が必要なほど難しいものであることを示しています。
 ところが、マタイは彼のユダヤ人キリスト教の体質から、「トーラー」が無効になるという主張には耐えられません(五・一七)。マタイは、マルコの「すべての食物は清い」という文に、「トーラー」を無効にする危険を読みとってそれを削除し、代わりに「しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない」という文を置いて、イエスの《マーシャール》(謎)を「ハラカ」の問題に限定しようとしたと考えられます。すなわち、「トーラー」の清い食物と汚れた食物の区別は依然有効であるが、汚れを受けないための実際的な細則については、イエスはこの《マーシャール》(謎)で弟子たちの行為を正当化されたのであると解釈するのです。
 パウロ・マルコの立場とマタイの立場の対立は、歴史が解決しました。古代教会が異邦人世界に確立するにともなって、ユダヤ教食物規定は問題でなくなり、マタイの解釈はマルコの解釈に当然含まれる一部となり、対立するものではなくなりました。

異邦の女の信仰(15・21〜28)

 続くカナンの女の娘が癒された記事(一五・二一〜二八)も、基本的にはマルコ(七・二四〜三〇)と同じです。ただ、この異邦人の女性がイエスに向かって、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫んでいる言葉は、マルコにはなく、マタイの特色を示しています。マタイによれば、異邦人もダビデの子、すなわちイスラエルに約束されていたメシアの憐れみによって救いに入れられるのです。イエスがダビデの子であることを強調するマタイの特色は、冒頭の系図以来一貫しています。
 もう一つ、マルコにはないお言葉をマタイは加えています。イエスは「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言って、この異邦人女性の願いを拒否しておられます。このお言葉は、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」(一〇・五〜六)という派遣説教のお言葉と共に、地上のイエスはご自分の働きと使命をイスラエルに限定しておられたことを伝えています。これから異邦世界への福音告知に乗り出そうとしているマタイが、あえてこのような矛盾する語録を伝えているのは、イエス伝承に対するマタイの強い忠誠心からだと考えられます。
 さらに懇願する女性に、イエスは「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言われますが、女性はこのイエスのお言葉をそのまま自分の身に引き受けて、「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と答えます。イエスはこの答えを聞いて、「あなたの信仰は見上げたものだ」とお誉めになり、「あなたの願いどおりになるように」と言われます。そのとき娘の病気は癒されたのです。
 この女性は自分を、パンをいただく資格のある子供ではなく、資格のない小犬の場に置いたのです。このように自分を無資格の場に置いて、神の恩恵だけに身を委ねる姿が信仰です。この異邦人女性はイエスの憐れみだけに縋ることによって神の恩恵の支配に飛び込みました。こうして、異邦人が信仰によって神の民に加わることを、マタイは先の異邦人百人隊長の記事(八・五〜一三)と合わせて、二つの記事で語るのです。

 異邦人の信仰についての二つの記事の構造が並行していることについては、本書119頁の「百人隊長の信仰」の項を参照してください。