市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第3講

第二節 使信の内容

復活したイエスとの遭遇

 前述の「使徒パウロ」において、パウロが「使徒とされた」ダマスコ途上での出来事を見ましたが、その出来事は同時に、パウロに使者として伝えるべき事柄が啓示される出来事でした。パウロが使徒として伝えるべく委ねられた「神の福音」の内容は、この出来事において与えられ、決定されていたのです。その時パウロに現れた復活者「主イエス・キリスト」こそ、その内容に他ならないのです。パウロはこの時に自分に現れた方を、生涯をかけて宣べ伝えていくのです。
 この出来事をパウロ自身は、「(神が)御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき」と語っていました(ガラテヤ一・一六)。神が御子を啓示されたのは、「御子を福音として宣べ伝えるため」(私訳)だというのです(ここの表現は、直訳すれば「その方を福音するため」となります)。啓示された御子を福音として宣べ伝えることが、使者パウロに委ねられた使信(メッセージ)なのです。ここでパウロは啓示された方を「御子」と呼んでいますが、これはパウロの長年の福音宣教の活動の中で確立され、広く信徒の群れにおいて用いられていた呼び方を使ってこの時の体験を語っているわけです。では、この出来事が起こったその時においては、パウロは自分に現れた方をどのような方として「見た」のでしょうか。
 パウロがダマスコ途上で全生涯を変えるような決定的な体験をしたことは間違いありません。それはパウロの生涯そのものが証明しています。そして、それはパウロの神観をも決定的に変えてしまう体験でした。それまでのファリサイ派ユダヤ教の神、すなわち律法の授与者としての神、律法によって人間と関わる神とはまったく違う神、すなわち「キリストを死者の中から復活させ」、そのキリストによって最終的に人間との関わりを打ち立てた神を宣べ伝えるようになった事実が、それを示しています。このことから、パウロはこのとき何らかの意味で神的なものとの出会いを体験したと見ることができます。このような神的な現実との遭遇はイスラエルの歴史では珍しいことではなく、アブラハムやモーセを初め、イスラエルの預言者たちはみなこの種の体験をしています。それがイスラエルの歴史を形成してきました。
 パウロの場合決定的に重要なことは、パウロは自分に現れた神的な方をイエスだと認識したことです。パウロはダマスコ途上の体験を語るときに、「わたしは主イエスを見たではないか」と言っています(コリントT九・一)。さらに、その全書簡においてパウロが復活者キリストのことを語るとき、「イエス・キリスト」とか「キリスト・イエス」と呼んでいることからしても、パウロはダマスコで遭遇した方をイエスであると認識したことは確実です。
 おそらくパウロは地上のイエスを直接知らなかったでしょう。パウロが知っているイエスは、いま自分が迫害している人たち、すなわち律法以外に救いの道があると称して律法の神聖を汚す背教者たちが師と仰いでいる人物、自分を神に等しい者であると称して最高法院で有罪とされ処刑された人物として知っているだけでした。パウロはイエスを間接的に敵として知っていただけでした。そのパウロがどうして神的な栄光の中に自分に現れた方をイエスであると認識することができたのでしょうか。
 これはパウロの霊的体験の次元のことですから、第三者の立場からの説明は不可能です。パウロに現れた方が、自分がイエスであることを示されたとしか言えません。このことをルカは使徒言行録九章で劇的に描いています。パウロがダマスコに近づいたとき、天からの光が彼を照らし、彼は地に倒れ伏します。自分の前に現れた神的な威厳と栄光の人格に向かって思わず「主よ」と叫び、「あなたはどなたですか」と尋ねます。すると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という答が返ってきます。使徒言行録の記事には劇的な脚色が含まれているのかもしれませんが、その記事の核心は事実です。すなわち、このとき顕現された方自身が名乗られることによって、パウロはその方をイエスであると認識したのです。
 このパウロのダマスコ体験は、復活されたイエスとの「出会い」と言われますが、この場合「出会い」という表現は弱すぎて適切ではありません。ここでパウロは、待ち望んでいた人物にとうとう出会ったのでもなく、たまたま出会ったのでもありません。それは敵との「遭遇」です。敵方の将が突然圧倒的な力と威厳をもって、目をつけていた攻撃隊長の目前に出現したのです。攻撃していたパウロは、この方の栄光に圧倒され、地に倒れ伏し、一瞬にして降参してしまいます。このとき以来パウロはこの方の「奴隷」となって、この方に命を捧げて仕える者になるのです。パウロは最後の手紙の冒頭で、「キリスト・イエスの奴隷であるパウロから」(ローマ一・一私訳)と書いています。この表現はダマスコ以来のパウロの立場と生涯を一言で言い表しています。

ルカは、ダマスコ途上で起こったパウロの回心の出来事を、使徒言行録で三回繰り返して描いています。第一回目はダマスコ途上の出来事をルカが報告します(九・一〜一九)。第二回目は、エルサレムで騒乱に巻き込まれて逮捕された時、エルサレムの民衆にパウロがした弁明の演説として(二二・三〜二一)、そして第三回目はアグリッパ王の前でのパウロ自身の弁明として(二六・九〜二〇)です。三回も繰り返していることは、ルカがこのパウロの回心の出来事を福音の展開の歴史における最重要事としていることを示しています。この三つの報告は、細部で違いもあり、ルカの編集の手を感じさせますが、基本的な内容は一致しています。天から強烈な光が射したこと、その光によってパウロが地に倒れ伏したこと、迫害者への叱責、パウロの問いかけに対してイエスであるとの答えなどは同じです。ただ、この出来事がパウロを異邦人への使徒とする召命の出来事であったことについては、第一と第二の報告がダマスコ途上の体験の後であったとしているのに対して、第三の報告では同時の出来事にまとめられていることが違います。このルカの物語は、パウロが宣教活動の中で語った自分の回心の物語や周囲の人たちの証言が語り伝えられて形成されていた伝承をルカが用いたと見られ、遡ればパウロ自身から出ていると考えられます。パウロは書簡の中で自分の回心体験に触れることは稀であり、またきわめて簡潔ですが、書簡におけるパウロ自身の証言とルカの記述は矛盾していません。一見大きな違いに見えるのは、書簡と歴史記述という文書の性格の違いによります。わたしたちはルカの物語から、パウロの霊的体験の様相を垣間見ることができます。

イエス復活の信仰と証言

 神的栄光をもって顕現し、パウロに語りかけ働きかけた方がイエスであるという認識が、イエスは復活されたという信仰告白の中身です。パウロはイエスの死や埋葬を目撃したわけではありません。イエスがどのように死なれ埋葬されたにしても、イエスが死なれたという事実は確かです。そのイエスがいまこうして現れ、語り、働かれるのです。この事実が、「イエスは復活された」という表現で告白されるのです。これは、ペトロたちイエスの直弟子であった人たちにとっても同じです。誰もイエスが復活される現場を見た者はいません。しかし、確かに十字架上に死なれたイエスが、いま現に自分に現れ、生きて働いておられるのです。この体験を、ペトロたちやパウロはイエスの「復活」として証言し、宣べ伝えたのです。キリストの福音の全事態は、このイエスの復活を根底として成り立っているのです。
 復活されたイエスが「キリスト」なのです。この「キリスト」として復活されたイエスにおいて神は救済の最終的な働きを成し遂げてくださっているという告知が「イエス・キリストの福音」です。「イエス・キリスト」という呼び方には、本来「復活してキリストとされたイエス」という意味がこめられています。後にヘレニズム世界において、「キリスト」という名称が世の救済者という称号の意味を希薄にし、「イエス・キリスト」が固有名詞のようになったため、《キュリオス》(主)という称号が添えて用いられる場合が多くなります。また、復活されたイエスが神と特別の関係にある方であることを強調して「御子」という称号が用いられるようになります。こうして、復活されたイエスにおいて救いが与えられているとの告知は、「主《キュリオス》・イエス・キリストの福音」とか「御子の福音」と呼ばれるようになります。

受けて伝える

 さて、パウロは、ダマスコ途上で自分に現れた「イエス・キリスト」を福音として宣べ伝えていくのですが、そのさい自分の体験を語ることによってキリストを宣べ伝えることはしません。十字架につけられたイエスが復活されたことを、あくまで世界の中で起こった出来事、世界が直面しなければならない出来事として宣べ伝えていきます。パウロはキリストを、たんに自分一人の体験や想念の中のキリストではなくて、多くの人がその出会いの体験を共有できる(という意味で)客観的な出来事として宣べ伝えます。そのために、パウロは自分以外の信徒たちが言い表しているキリスト告白、正確に言えばエルサレム教団など有力な信徒集団がパウロ以前に形成してきたキリスト告白を、自分のキリスト宣教の内容として宣べ伝えていきます。このことはパウロ自身がはっきりと認めて、こう言っています。
 パウロはコリントの信徒たちに向かって、「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」と言って、こう続けます。

 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。
(コリントT一五・三〜五)

 ここでキリストについて語られていることが「福音」であり、その「最も大切な」内容なのですが、それはパウロ自身も「受けた」ものだというのです。受けたものを伝えるという行為は「伝承」を形成します。ここでパウロは自分がキリストに関する伝承の担い手であることを明言しているわけです。パウロがこの伝承をどこから受けたのかは決定できません。おそらくエルサレム教団かアンティオキア教団から受けたと考えられます。どこから受けたかは重要ではありません。ここではパウロが「福音」を受けて伝えるという伝承の流れの中で宣べ伝えているという事実が重要です。

キリスト伝承

 パウロが福音を宣べ伝えるにさいして、自分以前のキリスト伝承を用いていることは、この箇所以外にも彼の手紙の中で何箇所かに見られます。もっとも典型的な箇所はローマ書の冒頭にあります。パウロはローマの信徒へ語りかけようとして、まず最初に自分が「神の福音」のために選び出され、召されて使徒となった者であることを明言した後、自分に委ねられた「神の福音」とはどのような告知であるのかを説明します。

 「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです」。(ローマ一・二〜四)

 先に引用したコリント書簡の箇所(コリントT一五・三〜五)もそうですが、このローマ書の箇所は用語や文体から見て、またキリスト理解の特徴からしても、パウロ自身が書いた文ではなく、パウロ以前に形成された定型的なキリスト告白を引用していることは明らかです。このような伝承された定型的なキリスト告白を用いて、パウロは自分が宣べ伝える「神の福音」の内容を提示するのです。それは、自分が宣べ伝えているキリストが、自分一人の体験とか思想から出たものではなく、多くの人々からなる教団の共通の体験と信仰から出たものであり、自分もそれに与っているものであることを示すためです。
 復活されたイエスを約束された救済者キリストとする信仰運動は、ユダヤ人の間の運動として始まりました。その最初期においては、そう宣べ伝える者も、それを聴いて信じ、信仰の共同体を形成した者も、みなユダヤ人でした。そのような共同体で形成されたキリスト告白がユダヤ教的な用語や枠組みを用いるのは自然なことです。先に見たコリント書簡の場合もそうですが、このローマ書の場合も、パウロが用いていますキリスト告白伝承はユダヤ教的色彩を色濃く示しています。
 まず第一に、この福音は、「神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもの」であることが強調されます。「聖書」というのは、わたしたちが旧約聖書と呼んでいる書のことで、イスラエルの宗教伝承の集成を指します。この時代ではまだ正典として一冊の書物になっていたわけではありません。ここでも「聖なる」という形容詞をともなった「書かれたもの(複数形)」という語が用いられています。この語は、ここと先に引用したコリント書簡のキリスト告白伝承に用いられている他は、ほとんど用いられていません。これは当時のユダヤ人が、「律法」や「預言者」の諸書を指すのに用いていたものです。モーセをはじめ神の霊感を受けた預言者たちが語ったことが、これらの諸書の中に書きとどめられてイスラエルの宗教伝承を形成したのですが、それにはやがてイスラエルには神から油を注がれた救済者(メシア)が遣わされるという約束が含まれていました。それは当時のユダヤ教において広く認められていた希望です。福音はイエス・キリストを宣べ伝えるにあたって、まず第一に、この方こそ「神が既に聖書の中で預言者を通して約束された」方であり、イスラエルの希望を成就する方であると宣言するのです。
 この方は「御子」と呼ばれています。どうして「御子」と呼ばれるのかは、すぐに続く告白文が語っています。イエスは「死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」のです。すべては、イエスが死者の中から復活されたという出来事から始まります。復活されたイエスの現れに接した弟子たちはみなユダヤ人ですから、当然この出来事の意味を聖書の光に照らして理解しようとしました。そのさい彼らに光を投じた聖書の箇所の一つが、メシア詩編として有名な詩編第二編です。その中に「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ」という句があります(七節)。主から油を注がれて諸国民の支配者としての座に即位させられた王であるメシアについて、この句があるわけです。それで、最初期のユダヤ人の教団は、復活によって神から遣わされたメシアであることが示されたイエスについて、その死者の中からの復活こそ、神がメシアについて語られた「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ」という言葉を実現された出来事であると理解し、イスラエルに対する約束の成就であるとしたのです。こうして、復活によってメシヤとされた方は、神によって生まれた神の子とされたのです。
 このような理解から出たキリスト伝承があったことは、使徒言行録一三章のパウロのユダヤ人への福音宣教の中にも示されています。この演説でパウロはユダヤ人の聴衆に向かってイスラエルの歴史を要約した後、イエス復活の出来事を語り、こう結んでいます。

 「神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、『あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです」。(使徒一三・三三)

 イエスの復活こそイスラエルに与えられていた約束の成就であるというのです。すなわち、復活されたイエスこそイスラエルへの約束を成就するメシヤ・キリストであるのです。ところが、当時ユダヤ人の間には「メシヤはダビデの子孫から出る」という確信が広く行き渡っていました。それで、イエスが約束されていたメシヤであることをユダヤ人に宣べ伝えるにさいして、イエスがダビデの子孫であることが強調されるようになります。復活によってメシヤ・キリストとされたイエスがダビデの子孫であることを主張するキリスト告白は、典型的なユダヤ人のキリスト告白の型を示しています。そのようなキリスト伝承があり、それが異邦人伝道の分野でも根強く伝えられていたことは、パウロ以後にパウロ系の共同体で成立したと考えられる文書にも見られます。

 「イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、死者の中から復活された方であり、ダビデの子孫から出た方なのです」。(テモテU二・八 私訳)

 この私訳ではあえて原文の順序を再現する形で訳しています。すなわち、「死者の中から復活された方」が先で、「ダビデの子孫」は後につけ加えられています。この順序はこの型のキリスト伝承の本来の意味をよく保持していると見られます。イエスはまず何よりも「死者の中から復活された方」であることによってキリストであり、イスラエルへの約束を成就する方であるのですが、「ダビデの子孫から」出た方であることをつけ加えることによって、その方がイスラエルへの約束を実現する方であることを、さらに強くユダヤ人に確証しようとしているのです。
 ローマ書で引用されているキリスト伝承は、この型の伝承がさらに形を整えられて定型化した時期のものを示しています。イエスの地上の段階が「肉によればダビデの子孫から生まれ」と語られ、復活後の段階が「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」とされ、二つの段階が正確に対応する形で表現されています。そして、その二つの段階が信仰告白の順序ではなく、出来事の順序に従って並べられています。
 このような伝承を引用しながら、パウロ自身がキリストについて語る時には、キリストがダビデの子孫であることについては触れることはありません。しかし、パウロがこのようなユダヤ人教団のキリスト伝承を引用することは、その意味は小さいものではありません。そうすることによって、パウロは自分が宣べ伝えている福音が最初期の全教団、とくにエルサレム教団の福音と一つであること、さらに自分の福音がイスラエルの全歴史に根ざしていることを示しているのです。