市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第19講

第三節 十字架の福音

ガラテヤ書の結び

 このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。
(六・一一)

 言うべきことをすべて言って、ここでパウロは手紙の結びに入ります。おそらくここまでは口述筆記で書かせてきたのでしょうが、書かせたことが自分の真意に間違いないことを保証するかのように、「自分の手で」以下の結びの部分を書きます。これは、この手紙につけられたパウロの署名です。しかも、その内容が重大であることを印象づけるために、「ご覧なさい、こんな大きな字で」書いていると言います。こう言って、後から入ってきて異邦人信徒に割礼を要求する者たちと自分の違いを、最後にいま一度鮮明にします。

肉の誇りと十字架

 肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。(六・一二〜一三)

 異邦人信徒に割礼を強要するユダヤ人伝道者たちの隠された動機を、パウロは暴きます。彼らはモーセ律法が永遠に効力があると信じているのですから、異邦人信徒も救いに至るためには割礼を受けてモーセ律法を順守する必要があると主張するのは当然で、彼らも真面目なのです。しかしパウロの目から見ると、彼らがこの時期にわざわざパウロの宣教地に押しかけてきて割礼を強要するのは、自分たちが迫害されたくないからだというのです。
 ガラテヤ書の執筆の年代は正確に決めることはできませんが、五十年代の前半であることは間違いないでしょう。この時期は、ユダヤ人がローマに対する独立運動の戦い(ユダヤ戦争)を始める直前で、パレスチナではユダヤ民族主義が高まってきていました。モーセ律法を順守することによってユダヤ民族のアイデンティティーを確立し、ローマの異教支配に対抗しようとしたのです。その律法への熱意が、ユダヤ人でありながら律法を守ろうとしない者への敵意となり、暗殺事件まで引き起こすことになります。そのような民族主義の熱気の中で、イエスを信じるユダヤ人信徒の群は周囲のユダヤ人から圧力を受けることになります。ローマの権力によって十字架刑に処せられたイエスをメシアと信じることはユダヤ人にとって愚かさの極みですが、それにもまして許せないのは、イエスの信徒たちは律法をないがしろにしているのではないかという疑いでした。ユダヤの諸教会、とくにエルサレムの教団はこの嫌疑を晴らすのに懸命で、厳格な律法順守が評判で、周囲のユダヤ人から「義人」と呼ばれていた主の兄弟ヤコブを代表に立て、律法尊重の姿勢を示そうとしました。それでも、異邦人が信徒の群に加わるにしたがい、異邦人と接触を持ち、律法を汚しているのではないかという嫌疑を拭い去ることはできませんでした。
 アンティオキア事件もこのような状況から起こったのでした。指導者の一人であるペトロがアンティオキアで異邦人と食卓を共にしたという事実が伝わってきますと、エルサレム教団の立場はますます苦しいものになります。ペトロが「割礼の者たちを恐れて」共同の食卓の交わりから身を引いたのも、このようなエルサレム教団の状況を配慮したためという一面がありました。パウロはアンティオキアでこのような状況を身をもって体験したのでした。
 いまガラテヤで起こっていることも同じです。イエスを信じるユダヤ人は異邦人と交わり律法を破っているという嫌疑を晴らし、周囲のユダヤ人からの迫害を避けるためには、信仰に入った異邦人に割礼を施してユダヤ人にしてしまえばよいのです。いま彼らが異邦人信徒に割礼を強要するのは、このように自分たちが迫害を免れるためである、とパウロは断じるのです。
 パウロは自分がユダヤ人から受けている迫害を「キリストの十字架のゆえ」であるとしています。キリストの十字架は、すべての人を、すなわち割礼のない異邦人をも無条件に受け入れる神の恩恵の出来事です。キリストの十字架にひれ伏して恩恵の場に入った者にとっては、割礼と律法順守とはもはや救いの必要条件ではありません。この信仰が律法熱心なユダヤ人を怒らせ、迫害に走らせるのです。パウロの後にガラテヤに入ってきたユダヤ人伝道者は、このように「キリストの十字架のゆえに」迫害されることを避けるために、異邦人信徒に割礼を強要するのです。
 彼らは「肉において人からよく思われたがっている者たち」です。ここで「肉」というのは、人間が自分の力で達成し形成するもの全般を指しています。ここでは神との関わりが問題になっていますので、宗教や道徳の面で立派な生活をしていることを見せびらかしたい人たちだということです。割礼を受けているユダヤ人自身が律法を守っていないのに(パウロはユダヤ人の宗教生活の実状をよく知っていました―ロマ二・一七〜二四参照)、異邦人が割礼を受けて律法を守る生活に入るように指導した(ユダヤ教に改宗させた)ことを誇りたいのです。彼らは「あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいる」だけなのです。

 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。(六・一四)

 パウロは、「このわたしは」と言って、彼らに対して自分の違いを強調します。彼らは肉に誇ります。すなわち自分が成し遂げた業の立派さを誇ります。それに対して、パウロはキリストの十字架だけを誇ります。十字架を誇ることは、自分の側の誇り、自分の業の立派さ、自分の価値を徹底的に否定することです。十字架を誇るとは、キリストがわたしのために死んでくださったことだけを自分の存在の拠り所とすることです。自分の価値を誇る余地はありません。
 パウロはこの節の後半で、前半の「十字架」という名詞を動詞形で用いて、世はわたしに対して、わたしは世に対して「十字架につけられている」と告白します。これは、前半で言ったキリストの十字架だけを自分の存在の拠り所としていることを、世との関係でさらに詳しく言い換えたものに他なりません。

前半の文と後半の文を繋ぐ(男性形を用いた)関係詞「それによって」は、「このキリストによって」とも「この十字架によって」とも読むことができます(「十字架」も男性名詞ですから)。事実、各国語の翻訳は二つに分かれています。「この十字架によって十字架につけられている」という言い方よりも、「このキリストによって十字架につけられている」という言い方のほうが自然に感じられますが、どちらを取ってもパウロが言おうとしていることは変わらないと思います。パウロが言う「キリスト」は十字架につけられているキリストですから。なお、口語訳は関係詞を「この十字架につけられて」と訳し、重複を避けるためでしょうか、「十字架につけられている」という動詞を「死んでしまった」と意訳しています。原文には「死ぬ」という動詞はありません。

 パウロはすでに「わたしはキリストと共に十字架につけられています」と語っています(二・一九)。そこでは十字架によって「律法に対して死んだ」のでした。ここでは「世に対して」十字架につけられたと語られています。パウロにおいては律法は世《コスモス》に属するものなのです。パウロの終末論的な意識では、世《コスモス》とは来るべきアイオーンと対立し、否定克服されるべきものです。律法はこの古いアイオーンである《コスモス》において神と人との関係を律する手段でした。しかし今や、キリストが到来され、来るべきアイオーン、新しいアイオーンが始まったのです。キリストは律法の終わりとなられたのです。わたしにとって世は十字架につけられて葬られたのです。キリストに合わせられた者はもはや古いアイオーンの規則である律法の下にはいません。キリストの十字架に合わせられて律法に対して死に、世に対して死んだのです。
 このように、パウロが「十字架」という語を用いるとき、それはイエスの十字架刑による死という歴史的な出来事を指すだけではなく、むしろ自分自身の存在の根底からの転換を指しています。新しい別の自分が生き始めるために、これまでの自分が死ぬことを指しているのです。その死は、十字架につけられて死んで復活されたイエス・キリストに合わせられて起こることですから、パウロはその死を「十字架」と呼ぶのです。「十字架」はパウロの宗教体験を象徴する徴となります。この意味で、パウロの宗教は「十字架の宗教」、パウロの福音は「十字架の福音」と呼ぶことができます。

十字架の二元論

 だいたい宗教には何らかの意味で二元論の相があります。すなわち、宗教はこの現実世界を否定して、それを超える別の世界に生きようとする人間の姿勢を含んでいます。そして、自分たちの信仰をもつ者とそれをもたない現実世界の対立を基本的な思考の枠組みとしています。ただ、何を基準にして対立を観るかによって、その宗教の質が決まります。ユダヤ教ではモーセ律法の内と外、黙示思想的ユダヤ教ではこの世と来るべき世、ギリシアの宗教では霊魂界と物質界、キリスト教では教会と世俗、グノーシス主義では知《グノーシス》に目覚めた世界と無知の世界、仏教では悟りと無明、こうした相容れない別々の原理で成り立つ二つの世界の対立を基本的な枠組みとする二元論が見られます。
 たしかに、パウロもこの現実世界と信仰の場との対立を語るさい、「この時代《アイオーン》」と「来るべき時代《アイオーン》」という黙示思想的二元論に特有の表現も使っています。しかし、パウロの場合は時間的・歴史的な対立軸を保持しながらも、より基本的な対立は現在の実存的対立に移っていると見ることができます。すなわち、パウロが「十字架」と呼ぶ自己の根底的な転換を経たこちら側と、その転換をしていない向こう側の対立です。パウロが十字架のあちら側にいた時には、パウロは「この時代」と「来るべき時代」という、当時の黙示思想的なユダヤ教の二元論の中で思考していました。しかし、十字架の転換を経たこちら側においては、現在と将来の対立はもはや二元論的な対立(全然別の原理に立つ世界の対立)ではなく、同じ生命の現れ方の違いになっております。黙示思想的二元論は克服されていると言ってよいでしょう。 こうして、パウロにおいては「世」と「わたし」は十字架によってあちら側とこちら側に分けられています。十字架を拒否してあくまでも自己の価値に固執する世界と、キリストと共に十字架につけられたものとして自己が否定された世界との対立です。パウロの二元論は「十字架の二元論」と呼ぶことができるでしょう。

個人の宗教

 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
(六・一五〜一六)

 十字架のこちら側、すなわち、わたしが十字架につけられて死んでいる場では、わたしが割礼を受けているか受けていないかの区別は意味がありません。割礼はあくまで十字架のあちら側、すなわち人間が自己の価値に立って神との関わりを形成しようとする場において、パウロの表現で言えば「肉によって」生きる場においてのみ、意味があるのです。十字架のこちら側では、すなわち、わたしが十字架につけられて死んでいる場では、死んだわたしの中に神が聖霊によって新しい命を吹き入れて、わたしを新しく創造してくださるという現実がすべてです。
 このように割礼の有無を問題にせず、すなわち肉の誇りを完全に捨て去って、御霊によって新しく創造される現実をすべてとして生きる人々に、神からの平和と憐れみがあるようにと、パウロは神の祝福を祈ります。そう祈ることによって、そのような原理に従って生きる道だけが神の祝福に値するのだと、パウロは強く勧めているのです。そして、その後に付け加えるように、「神のイスラエル」の上にも神の祝福を祈ります。

一六節の語句の順序は、「このような原理に従って生きていく人たちに」、「平和と憐れみがあるように」、「そして神のイスラエルの上に」となっています(協会訳はこの語順に忠実に訳しています)。新共同訳は、最後の「神のイスラエルの上に」を「このような原理に従って生きていく人たち」と同格と見て、この句についている接続詞《カイ》を「つまり」と訳しています。多くの注解者がこの解釈をとっています。しかし、この《カイ》は普通の「そして」とか「また」という意味に理解して、「そして(また)神のイスラエルの上にも」と理解する可能性を否定できません。語句の順序からすると、そう理解する方が自然です。そう理解すると、「神のイスラエル」は「このような原理に従って生きていく人たち」とは別の人たちを指すことになります。この場合は、パウロはキリストの福音によって召された人々と並んで、先に選ばれた神の選民イスラエルにも神の祝福を祈っていることになります。パウロが神の救済のご計画として異邦人の救いと共にイスラエルの最終的な救いを確信していたこと(ロマ九〜一一章)を考えると、パウロが最後にイスラエルへの祝福を付け加えたとしても不思議ではありません。「このような原理に従って生きていく人々」、すなわちキリストの民をまことの「神のイスラエル」と表現することは、パウロの思想に適っていますし、決して間違った解釈ではありませんが、ここでパウロが書いていることは実際のイスラエルの民のことである可能性を捨て去ることはできません。

 ところで、キリストと共に十字架につけられるのは、あくまで一人ひとりの人間です。キリストに合わせられて共に十字架につけられ、十字架の場で聖霊を受けて新しく創造されることは、団体に起こる出来事ではなく、一人ひとりの内面に起こる霊的現実です。それに対して「割礼」は、第三者が外から確認できる儀礼ですから、それを受けた者の集団と受けていない者の集団を区別する原理になります。ですから、パウロが「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」と宣言するとき、パウロは、人類の長年の所産であった、外面的な儀礼によって形成される集団的・社会的な現象としての宗教を克服して、個人の内面的な霊的現実に立つ宗教の到来を宣言していることになります。
 その後、キリスト教が社会的勢力となるに従って、キリスト教は洗礼とか聖餐という儀礼を重視する教会制度として発達してきました。しかし、キリストの福音は本来、そういう儀礼の上に成り立つ制度的宗教を克服する霊的な力であることを見落としてはならないと思います。パウロが神の祝福を祈るのは「このような原理に従って生きていく人たち」、すなわち、割礼とか洗礼とかの外面的な儀礼の有無にこだわることなく、パウロが「十字架」という象徴で指し示している実存の根底からの転換を成し遂げ、御霊による新しい創造の場に生きていく人たちであることを忘れてはなりません。

イエスの焼き印

 これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。(六・一七〜一八)

 筆を擱(お)くにあたってパウロは、これだけはっきりと書いたのだから、この問題についてこれ以上わたしを煩わすことのないようにとの願いを加えます。そして、「わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです(から)」と言って、これを書き送った者が誰であるかを、ガラテヤの人々に、また、パウロを非難しているユダヤ主義者たちに思い起こさせます。
 「焼き印」《スティグマ》というのは、もともとは所有者を示すために家畜に焼き鏝でつけた印とか文字でした。オリエント世界では奴隷に「焼き印」が用いられましたが、ギリシア・ローマ世界では一般的ではありませんでした。逃亡とか重大な犯罪を犯した奴隷だけに焼き鏝とか刺青(入れ墨)で印や文字がつけられたのでした。広く奴隷に所有者を示す《スティグマ》が用いられたことを示す文献は新約聖書時代以後になります。また、東方の諸宗教では、熱烈な信者がある神に属していること、また自分がその神に仕える者であることを示すために、自分の身体にその神の印をつけたと伝えられています。刺青でつけられた神の印は、その神の守護を保証する護符のような意味もあったようです。
 パウロの場合、「イエスの焼き印を身に受けている」とはどういうことでしょうか。パウロはその焼き印を「わたしの身体《ソーマ》につけている」と表現していることからして、また、その「焼き印」《スティグマタ》が複数形であることからして、イエスを宣べ伝えることによって受けた迫害で、石を投げつけられたり鞭打たれるなどして受けた身体の傷跡であると考えられます。パウロはイエス・キリストを宣べ伝えることで受けた苦難を数え上げるとき、まずこう言っています。

 「(彼らは)キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、・・・・・」。
(コリントU一一・二三〜二五)

 パウロがガラテヤ書を書いているとき、背中の鞭打ちの傷がまだ腫れ上がり痛んでいたのかもしれません。パウロがそのような傷跡を「イエスの焼き印」と呼ぶとき、パウロは自分を「キリスト・イエスの奴隷」(ロマ一・一)として示すと同時に、自分が直接キリスト・イエスに所属する者であり、「人々からでもなく、人を通してでもなく」直接キリスト・イエスから派遣された使徒である(一・一)ことを、それらの傷跡を証人として示すのです。こうして、書簡の最後は最初の句と呼応して、この書簡を通してガラテヤの人々に語りかける者が誰であるかを指し示していることになります。

パウロとイエス

 パウロが「イエスの焼き印を身に受けている」と言うのを聞くと、パウロが「イエス」とのつながりをいかに強く意識していたかを印象づけられます。この機会に、パウロが「イエス」とどう関わっていたのかを再考しておきたいと思います。
 パウロはイエスとほぼ同世代のユダヤ人でした。パウロが少なくとも青年期以後エルサレムで生活したことを考慮にいれますと、パウロはイエスのことを何らかの程度で知っていた可能性があります。イエスと会って言葉を交わすことはなくても、顔を見る機会はあったかもしれません。サンヘドリンでのイエスの裁判のときにパウロが議員として出席していたと推察する学者もあります。しかし、パウロがイエスの弟子でもなく、同調者でもなかったことは明らかです。
 パウロが実際に初めてイエスと関わるのは、パウロがエルサレムでイエスを信じるユダヤ人、それも「ヘレニスト」と呼ばれるギリシア語を話すユダヤ人の信徒を迫害したときでした。パウロ自身もヘレニストの一人であり、当時エルサレムのギリシア語系ユダヤ人の会堂で律法の教師として働いていたのですが、その中のイエスを信じるユダヤ人がモーセ律法と神殿祭儀について批判的な態度をとるのを見て、彼らと彼らをそのような背教へと導いた教師であるイエスを許すことができませんでした。律法(ユダヤ教)への熱心のゆえに、パウロはそのようなギリシア語系ユダヤ人を迫害します。パウロは迫害者として初めてイエスの名と教えに接するのです。
 ダマスコの信徒を捕縛しようとして急いでいたとき、パウロは強い光に打たれて倒れます。それは、パウロにとって神的な存在の顕現でした。その出来事を伝えるルカの物語(使徒言行録九章)はかなり脚色されているかもしれませんが、その記事が伝える通り、神的栄光の中に現れた方がイエスであると分かったことがパウロの体験の核心です。この体験によって、パウロは今まで迫害していたイエスにひれ伏し、それ以後は生涯を通してイエスに仕える奴隷として働くことになります。
 ガラテヤ書(六・一七)の「スティグマ」を、この時に受けた身体の傷痕とか、この時パウロはイエスの奴隷であることを示すとか、イエスという神に所属する者であることを示す入れ墨をしたと推察する学者もいますが、この推察は根拠がなく、無理だと思われます。先に述べたように、イエスを宣べ伝えることによって受けた迫害による傷痕と理解するのが自然でしょう。
 このような劇的な転換を体験したパウロが、生涯イエスに対する熱い思いで献身を貫き、自分を「キリスト・イエスの奴隷」と自覚し、迫害によって受けた傷痕を「イエスの焼き印」と表現することは十分理解できます。ところが、パウロは福音を宣べ伝えるにあたって、イエスの言葉や働きを伝える「イエス伝承」をほとんど用いていません。すなわち、福音を語り、批判者と論争し、信徒を指導するにさいして、イエスの言葉を引用したり、イエスの奇跡や生涯の出来事に触れることはほとんどありません。もちろん、イエスが十字架につけられて死なれた事実は語られますが、福音書の受難物語のように、イエスの受難の経緯を語ることはありません。これはパウロの福音宣教における顕著な事実です。
 そこから、パウロは地上のイエスに無関心であり、パウロの福音はイエスの教えとは違うという見方が出てきます。パウロは、イエスの単純な神の愛の宣教を複雑なユダヤ教的義認論に変えてしまったとか、パウロはイエスとは別のヘレニズム的な宗教を造り上げたとか言われ、「パウロからイエスへ帰れ」というスローガンが叫ばれるようになります。
 はたしてパウロは地上のイエスには無関心だったのでしょうか。それとも、パウロは地上のイエスに深い関心を持っており、イエスの言葉や働きを伝えるイエス伝承を熟知していたが、何らかの理由で福音宣教においてそれを用いなかったのでしょうか。その場合、パウロがイエス伝承を用いないという事実はどう説明されるのでしょうか。
 パウロの回心の性質、「イエスの奴隷」とか「イエスの焼き印」というような発言、何よりも同時代のイエスをメシア・キリストとして宣べ伝えるという宣教内容からして、パウロが地上のイエスに無関心であったと考えることはできません。イエスが何を教え、どのような行動をし、どのような生涯を送った方であるかは真剣な問題であったはずです。
 事実、パウロがイエス伝承を知っていたことを示唆する言葉遣いが書簡にかなりあります。パウロが「主の言葉」として直接引用ないし言及しているのはコリント書簡の三箇所(コリントT七・一〇〜一一、九・一四、一一・二三〜二五)とテサロニケ書簡の一箇所(テサロニケT四・一五以下)ですが、テサロニケ書簡の「主の言葉」は初期教会の霊感された預言者の言葉が「主の言葉」として受容されたケースと考えられるので、イエスの言葉の引用である可能性はコリント書簡の三箇所だけという僅かの数になります。しかし、パウロ書簡にはイエス伝承に用いられている用語がかなり認められるので、パウロはイエス伝承にかなり親しんでいたことが推定されます。

「現代聖書講座」(日本基督教団出版局)第二巻所収の青野太潮『イエスとパウロ』に、パウロ書簡の用語と福音書に見られるイエス伝承の用語との並行事例が多く挙げられています。この青野論文は、「イエスとパウロ」の関わりについて問題の所在とその解決の方向を簡潔によくまとめていると思われます。本稿もこの論文に負うところが多くあります。ただ、聖霊の視点(後述)が落ちていることが残念です。

 パウロがエルサレムやアンティオキアで「受けた」(コリントT一五・三)のはケリュグマ伝承だけではなく、イエスの言葉や働きや生涯を語り伝えるイエス伝承も含まれていたはずです。パウロはアンティオキアで十年以上にわたって、バルナバやシラスなどエルサレム教団の中核にいたユダヤ人と一緒に働いてきました。その間にイエス伝承について何も伝えられなかったと想像することはできません。むしろパウロは、エルサレムからアンティオキアに来て教団を形成したギリシア語系ユダヤ人を通して、エルサレム教団のイエス伝承を熟知するに至ったと見る方が自然です。
 パウロがイエス伝承をよく知っていたとすれば、パウロが書簡でイエス伝承に言及することがきわめて少ないという事実は、どう説明されるのでしょうか。まず第一に考えられることは、パウロが宣教した時期においてはまだ「福音書」という形での宣教は成立していなかったという事情です。パウロ書簡が書かれたのは五十年代ですが、最初の福音書であるマルコ福音書が書かれたのは七十年前後だと考えられます。マルコ福音書が書かれるまでは、イエス伝承は口頭で伝えられ(一部は文書になっていた可能性もあります)、広く信徒の間で共有財産のように保持されていました。それで、伝道者が教えたり勧めをしたりするとき、一々イエスの言葉を引用しなくても、それがイエスの教えであることはすぐに諒解されたと考えられます。たとえば、パウロが「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ロマ一二・二一)と勧めるとき、それは「敵を愛しなさい」と言われたイエスの教えと同じであることは、イエスの名を挙げていなくても十分理解されたと思われます。
 ところが、マルコ福音書が成立し普及するにしたがって、事情が変わってきました。ペトロのようなイエスの言葉や働きの直接の証人たちが世を去る時期に、マルコは貴重なイエス伝承を福音の宣教の枠内にしっかりと組み込んだ文書を書くことによって、「福音書」というまったく新しい類型の文学を創造します。こうしてマルコ以後、マタイ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書、トマス福音書など、イエス伝承を用いてキリストの福音を語るという「福音書」が多く生み出されることになります。イエス伝承が生きた資産であった時代のパウロには、まだ「福音書」という形で福音を語る発想はなかったのでしょう。
 「福音書」という類型が成立した後でも、教団内の問題について発言する書簡では、イエス伝承を用いないという傾向があったようです。典型的な例はヨハネ福音書とヨハネ書簡です。両者は同じ著者(少なくとも同じ共同体)の所産ですが、福音書においては当然イエス伝承が主体であるのに対して、書簡ではイエスの言葉や働きに言及することはほとんどありません。パウロ書簡にイエス伝承がない理由も、それが福音書でなく書簡であるという類型の違いから説明できます。
 第二に、パウロの場合、パウロが置かれていた特別の事情もその理由になっていたようです。ガラテヤ書に典型的に見られるように、パウロは生涯を通して、エルサレム教団の権威を背景とするユダヤ人キリスト教の伝道者と対立しなければなりませんでした。彼らがパウロを批判し、パウロの使徒としての権威を疑問視するときの攻撃の武器は、パウロがイエスの直弟子ではなく、イエスから直接教えを受けていないという事実でした。パウロに対抗して彼らは、イエスの直弟子たちによって形成され、実弟ヤコブの指導下にあるエルサレム教団こそイエスの教えを正しく保持する教団であり、イエス・キリストを信じるようになった異邦人はエルサレム教団の指導に従うべきだと主張したのでした。
 そのさい彼らが拠り所としたのは、エルサレム教団に保持されているイエス伝承であったと見られます。パウロが自分のキリスト宣教に比べて、彼らの宣教を「言葉の知恵」(コリントT一・一七)とか「優れた言葉や知恵」(コリントT二・一)による宣教だとするのは、彼らがイエス伝承にある「イエスの言葉」とその解釈の知恵を宣教の拠り所としていた(たとえば語録資料Qとかトマス福音書のように)ことを指している可能性があります。また、パウロがイエスの奇跡にいっさい触れないのは、彼らがイエス伝承に語られているイエスの奇跡物語を利用して、自分たちが行う奇跡を誇っていたからとも推察されます。
 このような批判者たちに対抗するために、イエスの言葉や働きを根拠にして論争することは、それは彼らが権威として誇るエルサレム教団からパウロも受けた伝承ですから、敵の土俵で戦うことになり、不利であることは明らかです。こうして、パウロはイエス伝承に触れることにはきわめて慎重にならざるをえなかったという事情があったようです。
 以上にあげた二つの事情の他に、パウロがイエス伝承を用いないもっとも基本的な理由は、パウロのキリスト宣教の質にあると思われます。パウロの宣教は、伝え聞いたイエスの言葉を教えて、イエスがこう言われたのだからその言葉に従いなさい、というような過去のイエスの言動に権威を求めるようなタイプの宣教ではありませんでした。パウロが宣べ伝えたキリストは「霊なるキリスト」でした。パウロは、自分が体験し、自分の内に生きておられる霊なるキリストを拠り所とし、十字架につけられたキリストを宣べ伝えたのでした。そして、そのキリストを信じる者が聖霊を受けて、聖霊により新しい命を生きるようになることが、パウロの福音宣教の本質でした(ガラテヤ三・一〜五)。
 ですから、パウロが書簡を書いて信徒たちに教えたり勧めをするとき、パウロは聖霊に教えられた言葉をもって語り、聴く方(書簡の読者)にも御霊の導きによる理解を期待しています(コリントT二・一二〜一三)。パウロ書簡は、語る者も聴く者も同じ御霊に生きているという場に成立しているのです。パウロはこの共通の御霊を拠り所として教えますので、過去のイエスの言葉を権威として引用する必要はないのです。これが、パウロがイエス伝承を引用しない基本的な理由であると思われます。
 パウロが御霊によって生きている者として語るとき、イエスの言葉を引用しなくても、その内容は自ずからイエスの教えと同じになってくるのです。パウロの内に働く御霊は、イエスの中にあって働いていた御霊と同じだからです。ここに、イエスの福音とパウロの福音の同質性の基盤があります。イエスとパウロでは、救済史上の立場の違い(復活前と後)、育ちと働きの場の違い(パレスチナのユダヤ人村落とヘレニズム世界の都市生活)から、用語や表現に違いがあり、福音の個々の内容についても違いがあります。しかし、「恩恵の支配」というような基本的な内容は同一であり、そこから出る教えも基本的には同質です。
 パウロが御霊により自由に語るとき、イエスの言葉を引用しなくても、ときにパウロが熟知しているイエス伝承の言葉遣いが出てくるのは自然なことですが、それは虫眼鏡で調べるようにしないと気がつかない程度です(前出青野論文参照)。それに対して、旧約聖書の言葉は、多数の直接引用を含めて、パウロ書簡の隅々にまで溢れていることは一読して明らかです。これは、パウロが敬虔なユダヤ教徒の家庭に育ち、律法(聖書)の教師として働いてきた経歴からしますと当然です。しかし、イエス伝承の場合も旧約伝承の場合も、パウロが御霊によって恩恵の事態を表現するための用語を提供しているだけであって、権威として内容を規定しているわけではありません。

旧約の律法を超える御霊の福音を宣べ伝えるパウロが、自分の主張の論拠として旧約聖書を引用するという、一見矛盾と見える態度については、別の機会(ローマ書の講解)に触れることにします。

 最後に、パウロが地上のイエスに無関心であったという主張の根拠として、しばしば引用される次のパウロ自身の言葉について触れておきます。

 「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません」。(コリントU五・一六)

 はたしてこの言葉は、パウロが地上のイエスのことを知ろうとはしないと言っているのでしょうか。そうではありません。この節をそのように解釈することは無理です。この節の動詞の主語はすべて「わたしたち」であり、強調する人称代名詞が文頭に置かれています。他の人たちはともかく、「わたしたち」は今後「だれをも」肉に従って知ろうとはしないと言っているのです。この「だれをも」の中にキリストをも含ませる後半の文が加えられ、前半の文の主張を強調しているのです。
 この一六節は先行する一一〜一五節を受けて「それで」という語で始まっています。それで、一六節の「わたしたち」は、前後の文の流れから見て、「一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになる」と考えている「わたしたち」であり(一四節)、「キリストにある者」として新しく創造された者たち(一七節)を指します。そういう「わたしたち」はもはやだれをも「肉に従って」知ることはないのです。
 「肉に従って」《カタ・サルカ》という句は「人間の観点から見ると」という一般的な意味で用いられる場合もありますが(ロマ一・三、四・一など)、パウロがいう「肉」とは普通「御霊」に対立するものであり、「肉に従って」は「御霊に従って」と対立する句として用いられています(ロマ八・四〜五など)。その場合の「肉に従って」とは、「人間の側の働きとか価値に基づいて」という意味となります。この節の「肉に従って知ろうとはしない」も、先行する段落の内容を受けて理解しますと、古い人は死んでいるのですから、人間の側の価値とか働きによって判断することは一切しないという意味になります。「一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになる」場においては、一切の人間的な価値判断は無意味になっているのです。
 もし今までキリストを「肉に従って知っていた」としても、すなわち、自分の働きや価値を計る目標とか基準としてキリストを見ていたとしても、「自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きる」ようになった今は、もうそのように知ることはできません。自分を否定しながら自分の中に生きてくださる方として、自分の無価値の中に現れる命としてキリストを知る以外の知り方はできません。
 「肉に従ってキリストを知ろうとはしない」とは、こういう霊的な次元の問題であって、地上のイエスの歴史的事実を知ることと関係がありません。もしこれを地上のイエスの歴史的事実を知ることと理解しますと、前半の「だれをも肉に従って知ろうとはしません」も同じように理解しなければならず、そうするとわたしたちは現実の一切の社会的・歴史的関係から出て行かなければならなくなります。