市川喜一著作集 > 第9巻 パウロによるキリストの福音T > 第22講

第三節 神の言葉と御霊の力

神の力と神の愛による伝道

 テサロニケにおけるパウロの宣教の働きがどのようなものであったかは、おそらく一年も経たないうちに書かれたテサロニケの信徒にあてたパウロ自身のこの手紙に生き生きと描かれています。その手紙の二章一〜一二節を見ましょう。

 1 兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。 2 無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。(二・一〜二)

 まずパウロはテサロニケでの福音宣教の働きが「激しい苦闘の中で」行われたことを語ります(一〜二節)。どのような性質の苦闘であったのかは語られていませんが、「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています」(二・一五〜一六)と書かれているところからすると、これはユダヤ人からの妨害や迫害との戦いであったと推察することができます(なぜユダヤ人がパウロを激しく迫害したかについては、ガラテヤ書簡を扱った章で詳しく触れました)。
 パウロの伝道活動はまさに獅子奮迅、命がけのものであったことは、パウロ自身が他の手紙の中で控えめに語っているところからも十分にうかがえます(たとえばコリントU一一・一六〜三三)。激しい反対と迫害の中で、命の危険を冒してまで福音を語らないではおれないパウロの姿の中に、福音が神の力であることの最初の証明があります。パウロは、「福音はすべて信じる者にとって救いに到らせる神の力である」という宣言を、その生涯を通して身をもって示しているのです。パウロが受け入れ、それに身を委ねた福音は、パウロの中にあって激しく燃えて、パウロを駆り立てているのです。それは、いかなる困難や迫害を前にしても、たじろぐことなく立ち上がらせ前進させる力であると同時に、パウロにとっては抵抗しがたい力でもあるのです。パウロの生涯はこの力の現れに他なりません。
 この力はただ強くて激しいだけのものではありません。それは力を持つ人間が陥りがちな傲慢を打ち砕き、自我を粉砕して、自己の誉れを求めることのない、真にへりくだった場に人を置く力です。その意味で、これは人間の力ではなく、「神の」力なのです。人からの力は、その力を持つ者を傲慢にし、自分の誉れを求め、他者を支配しようとします。パウロの中に働く力がそれとは反対の質の「神の力」であることが、この箇所にもよく表れています。

 3 わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。 4 わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。 5 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。 6 また、あなたがたからもほかの人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。(二・三〜六)

 三節から六節まででは、パウロの宣教の働きが「人に喜ばれるためではなく、神に喜ばれるため」であることが強調されています。それは、当時の哲学や倫理の教師たち、ときにはキリスト教の巡回教師たちの中にさえ、「迷いや不純な動機から」教えを説いて多くの人を集め、「相手にへつらったり、口実を設けて(金銭を)かすめ取ったり」する者があったからです。パウロは自分の働きがそのようなものではなく、神に喜ばれるためという純粋な動機から出たものであり、その結果「いっさい人間の誉れを求めませんでした」と断言できる質のものであったのです。この事実は、パウロの宣教の働きが「神の力」から出たものであることを示しています。
 さらに、それに続く七節から一二節までを読みますと、パウロの働きがいかに自己を求めることのない愛から出たものであるかが分かります。パウロは「わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました」と言っています。上に立って支配する者ではなく、一番下に立って仕える者となった、というのです。これが神の力によって福音を伝える者の姿です。そして、パウロはこの姿を母親と父親の比喩で語ります。

 7 わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、 8 わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。(二・七〜八)

 ここに、子をいとおしく思い、自分の命を与えたいと思うまでの母親の慈しみの心情をもって伝道したことが、率直に吐露されています。自分に何も求めることなく、命までも与えて相手を生かそうとする慈愛の心は、神の力に生きる者だけが持ちうる姿です。パウロが神の愛を説くのは、こうした自分の姿に倣う者となるようにと、実践的に説くわけです。

 9 兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。 10 あなたがた信者に対して、わたしたちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。(二・九〜一〇)

 親は子によいものを与えることを願うだけで、子に負担をかけることは欲しません。その親としての心遣いから、パウロは「夜も昼も働きながら、神の福音を宣べ伝えた」のです。パウロは天幕造りの技術を身につけていたので、その仕事をして一行の生活費を含め福音宣教の活動のための経費をまかなっていたのです。これはユダヤ教のラビの伝統から来ています。
 ユダヤ教ではラビを志して聖書研究に携わる者は、報酬を求めないで研究や指導の生活ができるように、なんらかの手仕事を身につけることを求められていました。パウロの場合、それはタルソの特産品であるキリキア布(山羊の毛で織った布)のテントを造る仕事でした。パウロはコリントでもエフェソでも、長期間滞在して宣教活動を進めるときは、このようにみずから働いて費用をまかない、無償で福音の恵みを与えることを原則としてきました(使徒言行録一八・三、二〇・三四〜三五参照)。(パウロが仕事をしたという事実からすると、パウロのテサロニケ滞在はかなりの長期間のものであったと推察されます。)

 11 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に 12 呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。(二・一一〜一二)

 さらにパウロは「父親がその子供に対するように、一人一人に呼びかけ」と言っています。母親が慈しみの心で子を愛するのに対して、父親は子の将来を考えて、子が正しい道を歩むように厳しく指導するという形で、子への愛を示します。パウロは信徒の一人一人に対して、「ご自身の国とその栄光にあずかるようにあなたがたを召された神にふさわしく歩むように、励まし、慰め、強く勧めた」(一二節私訳)のでした。パウロの父親としての指導は決して強圧的なものではありません。「励まし、慰め、勧める」という性質のものです。それは上からの指導ではなく、共に歩む者からの激励であり勧告です。ここで、その目的地は神の国《バシレイア》と栄光《ドクサ》であると語っている点が注目されます。パウロの福音宣教はいつも、終末的な「神の支配と栄光」の顕現を目標として見据えていることが、ここでも出ていることになります。
 ところで、パウロはここでテサロニケにおける自分の働きを「励まし、慰め、勧める」という動詞で語っていますが、これはパウロがこの手紙でしようとしていることでもあります。パウロはテサロニケの人々にキリストの福音を伝えただけでなく、その福音を聖霊による喜びをもって受け入れ(福音を受け入れた結果、聖霊を与えられて、聖霊の喜びの中に生きるようなったこと)、キリストに属する者として生きるようになった人たちに、実際にどのように歩むべきかを身をもって示し、言葉を尽くして「励まし、慰め、勧め」たのでした。今、テサロニケの人たちと一緒にいることができない状況で、手紙を書き送ることでそれをしようとしています。この手紙は、困難な状況の中でキリストにあって歩もうとする者たちへの「励まし、慰め、勧め」の手紙です。けっして教義を教え、ある規律とか戒めに従うように要求する文書ではありません。

このテサロニケ書簡はよく「勧告《パレネーシス》の手紙」と呼ばれますが、パウロが信徒に実践的な面で勧めをするとき、《パレネーシス》系の用語を用いることはほとんどなく、《パラクレーシス》とその動詞形を用いることが圧倒的に多くあります。テサロニケTでも、名詞《パラクレーシス》は二・三の一回ですが、動詞形《パラカレオー》は、この短い手紙に八回も繰り返されています。そして、この動詞こそ「励ます、慰める、勧める」という広い意味合いをもつ動詞であり、パウロの働きを指し示すのに最適の用語です。パウロがこの語をよく用いたことが、ヨハネ福音書の《パラクレートス》という聖霊の呼び方と関連があるのかどうかは分かりませんが、興味深い問題です。

 この段落(二・一〜一二)は、福音を宣べ伝える者の理想の姿を語っています。パウロが福音によって生きるとはどういうことかを身をもって示しているわけです。それは神の力の現れであると同時に、その力の質である愛の現れでもあるのです。伝道はすぐれて愛の業でなければなりません。

テサロニケ集会の成立とその歩み

 このようなパウロたちの御霊の力に溢れた福音の宣教と、神の愛に満ちた「励まし、慰め、勧め」の働きによって、テサロニケにはイエスを復活者キリストと信じる人たちの群れが成立しました。パウロはここで改めて、キリストに属する者たちの共同体が成立する根拠が何かを指し示します。

 13 このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。(二・一三)

 福音の宣教も愛による励ましと慰めと勧めも、それはすべてパウロたちが語る言葉によってなされます。テサロニケの人たちがパウロたちの語る言葉を「人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れた」(それが信仰です)とき、その言葉が神の言葉として働き、そこに神の民の共同体が成立し、神の民が歩み始めます。ここに驚くべきことが起こっています。人間であるパウロたちが語る言葉が、神の言葉として、信じる者たちの中に「現に働いている」のです。神の言葉が働くとは、神が働いておられることです。彼らの中に神が働いておられるのです。この人間の内に働く神が聖霊と呼ばれるのです。ここには「聖霊」という語は出てきませんが、この手紙の冒頭(一・五〜六)で語られていたように、聖霊の力に満たされて福音が語られ、それを受け入れた者たちが聖霊の喜びに溢れた事実が、神の言葉の働きという視点から描かれています。
 こうして神の言葉の働き、すなわち聖霊の働きによって成立したテサロニケの信徒の群れは、偶像から生ける神に立ち帰った者として、復活して高く上げられたイエスの来臨を待ち望みながら、異教世界のただ中に歩み始めます。彼らの生き方の劇的な変化は、周囲の人たちの注目を集め、いろいろと話題になったことでしょうが、その新しい生き方が周囲のギリシア世界の宗教的常識とはあまりにもかけ離れ、反感を買い、迫害を招くことになります。パウロは、自分がテサロニケを去った後、兄弟たちが迫害にあっていることを伝え聞き、迫害の中にある信徒たちを慰め励ますために、この手紙を書いています。

 14 兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです。 15 ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、 16 異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています。こうして、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです。しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。(二・一四〜一六)

 テサロニケの信徒たちの大部分はギリシア人であったと考えられますが(テサロニケはマケドニア州の州都であり、ギリシア人の都市です)、彼らはパウロたちが去った後その新奇な信仰のために周囲の同国人であるギリシア人から非難の的とされるようになります。彼らはキリストの福音を受け入れ、イエスを復活させた生けるまことの神に立ち帰り、それまでの偶像とその祭儀から離れたので(一・九〜一〇)、共同体の宗教と秩序を否定する者として、テサロニケの市民と指導者たちからの迫害にさらされることになったのです。これは、まだローマ帝国によるキリスト教徒の迫害ではありません。テサロニケはマケドニア州の州都としてローマ総督府があり、総督の支配下にありました。もともとローマ人は宗教問題には比較的寛容であったのですが、当時テサロニケは自由都市で、内部の事柄についてはある程度の自治が許されていたので、実際の行政の実権は地元民であるギリシア人が握っていました。それで「同国人」、すなわちギリシア人であるテサロニケ市民とその指導階級が、ギリシアの宗教を否定する者として信徒たちを迫害したようです。
 パウロはここで、テサロニケの兄弟たちが周囲の同国人から迫害されている事実を、「ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会」が周囲のユダヤ人たちから苦しめられたことと同じことが起こっているのだとして、いわば先輩の実例を挙げることによって、彼らだけが受けている特別なことではなく、神の民とされたことの証明として、雄々しく耐えるように励まします(一四節)。こうして、テサロニケの兄弟たちを励ますためにユダヤ人たちの福音に対する敵対的な姿勢に言及したパウロは、ユダヤ人の罪を数え上げて、それを神に敵対する行為だとして、厳しい断罪の言葉を投げつけます(一五〜一六節)。パウロは後には自分を迫害するユダヤ人たちが救われることを切に祈るようになっていますが(たとえばローマ九・一〜五)、この手紙の執筆時にはユダヤ人からの妨害や迫害がよほど骨身にこたえていたのか、激しい言葉でユダヤ人を断罪しています(パウロはユダヤ人からの迫害によってテサロニケから追われ、行き先のベレアでもテサロニケから追ってきたユダヤ人に苦しめられ、ようやくコリントに来て、この手紙を書いています)。

この箇所のユダヤ人に対する断罪が、ローマ書九〜一一章に見られる、イスラエルは最終的には救われるとのパウロの確信と矛盾するので、後の挿入と見る研究者もいます。しかし、ローマ書におけるイスラエルの救いも悔い改めを前提にしていますし、ここが現在敵対的態度を改めない「ユダヤ教会堂」に対する非難であるとすれば、ローマ書の祈りと確信とに矛盾するものではありません。救済史においてイスラエルが占める位置については、ローマ書で語っていることがパウロの基本的な理解と確信であって、この箇所のような言葉は、特殊な状況における発言であるとして、または、当時信徒の間に広く流布していたユダヤ人攻撃の伝承的文章(たとえばマタイ二三章の一部、ルカ一一・四七〜五一、マルコ一二・一〜九、使徒七・五二など)を、テサロニケの人たちを励ますためにパウロが使用したと見ることもできるでしょう。

 パウロはここでユダヤ人の罪を数え上げます。まず、「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害した」事実を取り上げます。これは、ユダヤ人が同国人を殺したり迫害したと言っているだけでなく、ユダヤ人が神の救済史の担い手である旧約聖書の預言者たちや、主《キュリオス》としてのイエスや、福音の使徒である「わたしたち」を迫害したり殺した歴史を指しています(預言者よりも主イエスが先に来ていることは、この言い方がキリスト教の伝承的な表現を用いていることを示唆しています)。

ここで「ユダヤ人たちは主イエスを殺した」と語られていることが注目されます。歴史的に正確に言えば、ローマ人がイエスを殺したのですが、処刑を求めてイエスをローマ人に引き渡したのはユダヤ教最高法院であるとして、先にあげたキリスト教側のユダヤ人攻撃の伝承的表現では、「ユダヤ人がイエスを殺した」となっていったと見られます。これは、ユダヤ教会堂側からの激しい迫害にさらされていた時期のキリスト教側の発言ですが、それが後にキリスト教世界におけるユダヤ人迫害の口実となったことは、聖書を歴史的な場に置かず教条的に解釈した結果からくる不幸な事態でした。この点については、拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』320頁「マタイの反ユダヤ教論争」の項を見てください。

 このように神の救済史の担い手を殺したり迫害することによって、ユダヤ人たちは神に敵対し、すべての人を救おうとされる神の働きを妨げることで、「神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し」ていると断罪されます。 その具体的な現れとして、現在ユダヤ人たちがパウロの福音宣教を激しく妨害している事実が、最後に取り上げられます。そのようなユダヤ人たちはいま現に「異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げている」のです。「こうして、(ユダヤ人は)いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです」。しかし、そのような迫害はいつまでも続くものではありません。「しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨み」、迫害者としてのユダヤ人は厳しい神の処罰を受けることになります。パウロはまだ七〇年のエルサレム神殿の破壊を知りませんが、このような文言で迫害者としてのユダヤ人を非難してきたキリスト教徒は、七〇年のエルサレム神殿の崩壊を「神の怒りが余すところなく彼らの上に臨んだ」結果と見ることになります。

パウロの心配と書簡の執筆事情

 パウロがテサロニケでいかに深い愛の心で伝道したかは、この手紙を書くようになった事情についてパウロが語っている以下の段落にもよく出ています。続いて二章一七節から三章一三節までを読んでみましょう。この部分は本文を読むだけでパウロの熱い思いが十分伝わってきますので、解説は最小限にして本文を掲げるだけにします。

 17 兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、――顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。18 だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。19 わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。20 実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。(二・一七〜二〇)

 この箇所で、パウロはこの手紙を書いた時の状況と自分の心情を語っています。それによりますと、ユダヤ人からの迫害と騒乱でテサロニケを立ち去らなくてはならなくなったパウロとその一行は、旅を続けてアテネまで来ますが、信仰に入ったばかりの信徒たちが周囲の人々から非難され迫害されている状況を思うと心配でたまらず、信徒の様子を知るために、また苦難の中にいる信徒を励ますために、パウロは協力者テモテをテサロニケに派遣します。
 苦難の状況にいるテサロニケの信徒たちに対して、いかに深く心を寄せているか、いかに強く再会することを願っているか、パウロはその真情を率直に吐露しています。そのことは読むだけで十分伝わってきますが、この箇所で福音の内容という観点から見て重要なことは、パウロが自分の福音宣教活動を主イエスの来臨《パルーシア》という視点から見ていることです。パウロがテサロニケの信徒たちについて、苦難に遭って信仰が動揺しないかと心配している理由を次のように書いています。

 「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです」。(二・一九〜二〇)

 苦闘の中で福音を宣べ伝えて主の民として捧げることができたテサロニケの信徒たちこそ、主イエスの《パルーシア》(来臨)にさいして自分たちの「誇るべき冠」となるというのです。その信徒たちが苦難の中で「誘惑する者に惑わされ」、信仰を動揺させて失うようなことになれば、「わたしたちの苦労が無駄になってしまう」と心配しなければならないのです。このような心配から、パウロは信徒たちの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。

 1 そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、 2 わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。それは、あなたがたを励まして、信仰を強め、3 このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした。わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。4 あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しましたが、あなたがたも知っているように、事実そのとおりになりました。5 そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。(三・一〜五)

 このような文脈の中で見ますと、パウロが「あなたがたのもとにいたとき、わたしたちがやがて苦難に遭うことを、何度も予告しました」(三・四)と言っているのは、主イエスの《パルーシア》によって神の支配と栄光が顕現する前に、神の民が受けなければならない終末的な苦難を指していることが分かります。パウロは、自分も信徒たちも、終わりの時に主に召された主の民であると自覚していたのです。自分が受けている苦難も、テサロニケの信徒たちがいま信仰のために遭っている苦難も、終末の時に現れる神の栄光の光によって照らし出されて、意義づけられています。そういう性質の苦難であるゆえに、苦難が現実的であればあるほど、神の支配と栄光の顕現も確かな将来として待ち望まれるようになるのです。

 6 ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。7 それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。8 あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。9 わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか。10 顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。(三・六〜一〇)

 このようにテサロニケの信徒たちの信仰の動揺を心配しているパウロのもとに、テモテがうれしい知らせをもって戻って来ました。テモテは、彼らがしっかりと信仰に立ち、主に結ばれて歩んでいること、また、パウロに対する周囲からの中傷を受け付けず、パウロたちを慕って会いたがっていることを知らせてきたのです(三・六)。
 この知らせを聞いて、パウロは喜びにあふれます。主イエスの来臨にさいして自分の誉れとなり冠となる人たちがしっかりと信仰に立っていてくれることは、使徒として苦難に直面しているパウロにとって大きな励ましとなるだけではありません(三・七)。パウロは「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです」とまで言っています(三・八)。自分が命をかけて福音を宣べ伝えて主に導いた人たちが、信仰を失い主から離れるようなことがあれば、それは福音宣教に命をかけたパウロにとって、使者としての死を意味することになるというのです。この一語に、パウロの福音の使者としての使命感の激しさが表れています。
 テモテがパウロのもとに戻ってきたのは、パウロがアテネを去ってコリントに来ていた時であると考えられます。アテネにはごく短期間いただけで、すぐコリントに来たようです。テモテの知らせを聞いて、あふれるような大きな喜びの中で(三・九)、再びテサロニケの兄弟たちに会うことができるように切に祈りながら(三・一一)、パウロはこの手紙を書くのです。それでこの手紙は、非難や論争の言葉はなく、感謝と喜びにあふれた手紙になっています。

 11 どうか、わたしたちの父である神御自身とわたしたちの主イエスとが、わたしたちにそちらへ行く道を開いてくださいますように。12 どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ちあふれさせてくださいますように、わたしたちがあなたがたを愛しているように。13 そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。(三・一一〜一三)

 最後にパウロは、テサロニケの兄弟たちのために切に祈ります。その祈りは、彼らが愛に満ち溢れるようになることと、主イエスの来臨に際して彼らが非のうちどころのない聖なる者になるようにという二つの点に焦点が結ばれています。このことが何を意味するのかは、次章の主題である「キリストの来臨」と深く関連していますので、次章で改めて取り上げることにします。