市川喜一著作集 > 第11巻 パウロによるキリストの福音V > 第12講

第五章 奴隷も自由人もない

         ― フィレモンへの手紙から ―


        (本章で書名のない引用箇所はすべてフィレモン書の節を指しています)


はじめに

 「フィレモンへの手紙」は新約聖書の中でも特異な手紙です。僅か二五節という短さも目立ちますが、何より内容が特異です。パウロの手紙はみな集会《エクレーシア》あてに書かれており、信徒の群れに福音の真理を説き、集会の諸問題を取り扱っています。ところが、この書簡だけはフィレモンという個人にあてられており、内容も一人の奴隷の扱いについての依頼です。その他のことはほとんど書かれていません。たしかに、宛先には「あなたの家にある《エクレーシア》へ」という句もつけられてはいますが、内容はフィレモン個人に語りかけるものです。
 このような個人的な書簡がなぜ新約聖書の中に入れられたのか、それも他にも多数あると考えられるパウロの個人的書簡の中から、なぜこの書簡だけが入れられたのかという問いが出てきます。この問いはフィレモン書の理解にとってもっとも重要な問題であると考えられます。フィレモン書については、この問題を中心に考えることになりますが、その前に書簡の内容をできるだけ正確に理解するように努めましょう。
 「牧会書簡」もテモテとかテトスという個人あてになっていますが、その内容と性格は集会に関わるもので、きわめて牧会的であり、「個人的書簡」とは言えません。なお、フィレモン書の理解にはローマの奴隷制の知識が前提になりますので、後の第三節「福音と奴隷制」の中の「ローマの奴隷制」という項を先に読まれると、いっそう分かりやすいと思います。



第一節 フィレモン書の講解

フィレモン書の執筆事情

獄中書簡

 パウロはこの手紙を獄中から書き送っています(一、九、二三節)。投獄の場所としては、同じく獄中からの手紙であるフィリピ書の場合のように、ローマ、カイサリア、エフェソが提案されていますが、その中でエフェソがもっとも適切な場所と考えられます。すなわち、この手紙もフィリピ書が書かれたのと同じエフェソの獄中から、ほぼ同じ時期に書かれたと見られます。
 執筆場所がエフェソであると見られるのは、宛先のフィレモンがコロサイの人であり、そこから来たオネシモが、ローマやカイサリアというはるか遠方の大都会よりも近くの大都市である州都エフェソに助けを求めて来たと見られること、さらにパウロは釈放されたらすぐにフィレモンを訪ねたいので宿泊の用意をしてくれるように頼んでいること(二二節)からも分かります。西の果てのイスパニアを目指して(囚われの身ながら)ローマまで来たパウロが、釈放されたら東方のアジア州の小都市コロサイをすぐに訪ねようとしているとは考えられません。また、カイサリアでは皇帝に上告している身であり、間近な釈放は期待できない状況です。
 フィレモンがコロサイの人であることは、彼の奴隷であったオネシモがコロサイの人であるというコロサイ書四章九節の記事から分かります。コロサイ書四章七〜一七節の挨拶は、その中に記されている人名がフィレモン書二三〜二四節の人名と重なっており、両書の密接なつながりを示唆しています。コロサイ書に関しては、それがパウロの真正の書簡であるかどうかが争われており、コロサイ書を扱うときに議論しなければなりませんが、ここではもしそれがパウロの真正の書簡でないとしても、執筆者はパウロのごく身近な人物で、エフェソ周辺の事情や人脈に通じている人であると考えられるので、人名と状況についての情報は信頼できると見ていきます。

執筆の状況と目的

 この手紙を理解する上で重要なことは、どういう状況でパウロはこの手紙を書いているのか、また、どういう目的で書いているのかの二点です。状況については、オネシモは主人フィレモンに何らかの損害を与えて(たとえばお金を盗んで)逃亡した奴隷であって、身を隠すために大都市であるエフェソに逃げてきたところ、何らかの機会に獄中のパウロに接し、キリストを信じる者になったと、これまで説明されてきました。しかし、この通説には多くの問題点があります。
 もしオネシモが逃亡奴隷であるならば、オネシモがパウロを訪ねてきたことは理解できません。逃亡奴隷は発見されると処刑もありうる厳しい処置を覚悟しなければなりませんでした。そのような逃亡奴隷が主人の知り合いである人のところに現れることはまずありません。
 比較の実例として、プリニウスのサビニアヌスにあてた手紙がよく引用されます。主人に損害を与えた解放奴隷(解放奴隷も元の主人に忠誠を尽くす道義的義務を負っていました)が主人の友人のところに駆け込み、悔い改めの真情を吐露して執り成しを頼み、その友人(プリニウス)は主人(サビニアヌス)に彼を赦してやるように説得する手紙を書いています。しかし、この手紙の主題は解放奴隷の悔い改めと赦しであるのに対して、フィレモン書には主人に対するオネシモの悔い改めへの言及はなく、赦してやるようにという勧めもありません。この比較はかえって、フィレモン書が逃亡奴隷の赦しのための執り成しの手紙でないことを示唆します。
 なぜオネシモがパウロのもとに来たのかを説明するために多くの提案がなされました。エフェソに逃亡してきたが役人に見つかって投獄されたところ、たまたま同じ獄にパウロがいたという説明も、あまりにも偶然に頼った説明で説得力がありません。また、すでにキリスト者となっていたフィレモンが、パウロの活動を助けるために自分の奴隷オネシモを代わりに派遣したという説明も、手紙の本文と合いません。やはりオネシモは何らかの形で主人フィレモンに金銭的な損害をもたらしてトラブルがあったと見られます(一八節)。ただ、オネシモは主人から逃亡する気持ちはなく、主人との間に立って問題を収めてくれる人物としてパウロを頼って来たと見てよいでしょう。主人の知人に仲介を依頼して、その知人のもとに来た奴隷は逃亡奴隷とは見なされませんでした。オネシモはまだキリスト者ではありませんでしたが、主人フィレモンがキリストを信じ、アジア州での指導者パウロを深く尊敬していたことはよく知っていたはずです。そのパウロの仲介があれば主人の怒りはとけて、再び主人のもとに帰ることができると願って、パウロを訪ねてエフェソに来たのではないかと考えられます。

ローマ法の規定では、不始末を犯して処罰の危険にさらされている奴隷は、主人の知り合いのところに行って仲介を依頼することが認められていました。このような状況では、奴隷は「逃亡奴隷」とは見なされませんでした。主人の知人のところに行ったのであれば、逃亡の意図はないと見なされたのです(マーフィー=オコゥナー『パウロ』177頁)。

 フィレモンが(エフェソで)直接パウロに会って信仰に入ったのか、エパフラスのコロサイ伝道で信仰に入ったのかは分かりません。この手紙の執筆以前には、パウロはコロサイを訪れていないようです。コロサイではエパフラスがパウロの意を受けて活動していました。主人のフィレモンがエパフラスと親しいことをよく知っているオネシモが、エパフラスに相談し、エパフラスがオネシモをパウロのもとに連れてきたと見ると、オネシモがパウロのところに来た事情がよく理解できます。
 エフェソに来てみるとパウロは捕らえられて獄舎につながれています。オネシモはエフェソの信徒に案内されて獄中のパウロに面会します。獄舎でのパウロの扱いは、(フィリピ書の講解で見ましたように)外来者とも会うことができる比較的ゆるやかなものであったようです。状況と心情を述べてパウロと語るうちに、オネシモはパウロから溢れる福音の力に圧倒されて、キリストを受け入れ回心を体験します。パウロはオネシモのことを「わたしが監禁中にもうけたわたしの子」と呼んでいます(一〇節)。オネシモはこのとき聖霊に満たされて、魂に深く生けるキリストを体験したことでしょう。それからは、オネシモは深くパウロを敬愛し、獄中のパウロに仕え、パウロもまた、この信仰に燃える聡明な青年を心から愛するようになったようです。パウロはオネシモを「わたしの心であるオネシモ」とまで言っています(一二節)。
 パウロはオネシモを彼の主人フィレモンのもとに送り帰すにあたって手紙を書き、それをオネシモに持たせます。それがこの「フィレモンへの手紙」です。おそらくパウロとしては直接フィレモンに会って話をしたいところでしょうが、囚われの身であるので、それはかないません。そこでこの手紙を書いて、オネシモについての頼み事を伝えるのです。その頼み事は、かなり微妙な問題を含んでいるので、パウロは真心をこめて書きながらも、修辞の限りをつくし、一つひとつの表現に気を配って書いています。多くの研究者がこの手紙を、古代の依頼の書簡の中でもっとも美しい書簡の一つに数え、「このような文章でなされた依頼をだれが断ることができようか」とも言っています。
 では、その「頼み事」とは何でしょうか。すなわち、この手紙が書かれた目的は何でしょうか。解答はこの手紙を綿密に読んだ後に出ることですが、あえて結論を先に出しておきます。それは、この手紙を逃亡奴隷の赦しをその主人に求める手紙であるとする通説が先入観となって読まれることが多いので、別の選択肢もあることを示して、できるだけ先入観なく解釈することができるようにするためです。
 パウロはこの手紙で、奴隷オネシモの所有者であるフィレモンに、オネシモを解放し、パウロの協力者として福音の働きに参加できるようにしてほしいと頼んでいるのです。当時の奴隷制の下では、奴隷をどのような形で働かせるかを決めるのは所有者である主人の権限であって、他人が指図することはできません。もちろん解放するかどうかは主人の決めることであって、第三者には決定権はありません。パウロはそうする権限がある主人フィレモンに、オネシモを解放してパウロの働きの協力者となることができるようにしてほしいと頼んでいるのです。はたして、この手紙はそのような依頼をしているのか、または通説のように逃亡奴隷の赦しを求めているのか、本文をできるだけ先入観なく読んでいきましょう。
 ここであげたような依頼をしている手紙であると強く主張したのは、J・ノックスです( Interpreter's Bible)。彼の主張はまだ広く受け入れられてはいませんが、多くの注解で重要な仮説として顧慮されるようにはなっています。たしかに、決定的な根拠が十分でないとする批判もありますが、わたしは最後に述べる「後日物語」から見ても、この手紙が新約聖書正典に入れられたことを説明することができるもっとも適切な理解であると考えています。

手紙の内容

挨拶

 1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、 2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。 3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(一〜三節)

 手紙の挨拶で、差出人パウロは自分を「キリスト・イエスの囚人」と呼んでいます。この表現には、キリスト・イエスに捕らえられてこのような生き方をせざるを得ない者であるという気持ち(フィリピ三・一二)も背後にあるでしょうが、ここではやはり投獄されて囚人の身であるという具体的な状況が意味されています。「キリスト・イエスの囚人」という表現には、キリスト・イエスに仕えることが原因で投獄された者、キリスト・イエスのために獄舎の苦しみを受けている者という気持ちが滲み出ています。あなたに頼み事をする者はこのような立場の者であると最初から印象づけています。
 「および兄弟テモテから」と加えられていますが、内容は実質的にパウロの個人書簡です。しかし、パウロはこの手紙を純粋に私信とはしないで、この頼み事が《エクレーシア》の公の問題であることを示すために、他の公の書簡の場合のように、共同の働き人テモテの名を差出人に加え、宛先にも「あなたの家にある《エクレーシア》へ」と加えるのです。
 受取人は「わたしたちの愛する協力者フィレモン」となっています。おそらくパウロはこの時までフィレモンには会っていません。しかし、すぐ後に述べますように、フィレモンの信仰と愛の働きを「聞いて」おり(五節)、まだ見ないフィレモンを愛し、自分の協力者として信頼していることを表明します。「姉妹アフィア」は、おそらくフィレモンの妻でしょう。「アルキポ」もフィレモンの家の一員ではないかと考えられています。

フィレモンの信仰と愛

 4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。 5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。 6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。 7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。(四〜七節)

  古代の手紙の通例に従い、挨拶の後に相手についての感謝とか祈りの言葉が来ます。ここではもっぱらフィレモンについて、彼の主イエスへの信仰と聖なる者(キリストに属する者たち)への愛の働きについて、それを与えてくださった神への感謝が捧げられています(四〜五節)。おそらくパウロはフィレモンとは直接知り合っているのではなく、フィレモンのことを(おそらくエパフラスから)伝え聞いて、彼が福音のために尽くしていることを喜び、よき協力者を得たと神に感謝していたのでしょう。しかし、パウロはさらに「あなたの信仰の交わりが活発になるように」祈っています(六節)。
 「信仰の交わり」とは、ここでは同じキリスト信仰によるお互いの間の交わりを指していると見られます。「活発になるように」という句は、「わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを知ることによって」という句で説明されています。すなわちパウロは、フィレモンがパウロを中心とする福音の働きにさらに積極的に参加するようになることを期待しているのです。それは、これから述べる頼み事にフィレモンが積極的に応じてくれるようにという伏線でもあります。
 パウロはまた、フィレモンの愛によって自分が励まされて(あるいは慰められて)喜びを得ただけでなく、キリストの民の心《スプランクナ》が「元気づけられた」と言って、フィレモンへの感謝を表現しています。この「《スプランクナ》を元気づける」という表現は、手紙の終わりに「キリストによって、わたしの心《スプランクナ》を元気づけてください」という形で繰り返されます(二〇節)。ここでも、フィレモンがこれまで聖徒たちの心を元気づけた実績を伏線にして、パウロの頼みも聞いてくれるように訴えていることが分かります。

《スプランクナ》はもともと動物や人の内蔵を指す語で、ここでは心の奥底を指しています。パウロはこの語をこの短い手紙で三回用いており(七、一二、二〇節)、この手紙がパウロの心情の吐露であることをうかがわせます。《スプランクナ》については、本書208頁の「熱愛」についての講解を参照してください。

パウロの頼み

 8 それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、 9 むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。 10 監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。 11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。 12 わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。 13 本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、 14 あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。(八〜一四節)

 ここでパウロは手紙の本題に入ります。まず、パウロはキリストの使徒としてフィレモンに命じてもよい立場であることを思い起こさせた上で(八節)、そうはしないで「愛に訴えてお願い」するのです。そうすると、そのような願いを退けることは、使徒としての権威による命令に背く以上に、しにくいことになります。さらに、パウロはそのお願いをする者が、「キリスト・イエスの囚人」であることを繰り返して、キリストのために命をかけた苦労をしている者であることをフィレモンに訴えます(九節)。ここではさらに、「年老いて」と自分が老境にあることも付け加えて、そのような者の「心を喜ばせてほしい」(二〇節)という頼みの伏線として、どうしてもこの頼みは聞いてもらいたいのだと訴えているのです。
 エフェソでの投獄を54年頃としますと、紀元前後の生まれのパウロは、このとき五十歳代の年齢であったと見られます。紀元前の誕生とすると六十歳近くになっていた可能性もあります。平均寿命の短い当時では、六十歳は老人と言ってもよい年齢でした。
 このような伏線の書き方は、逃亡奴隷を赦して受け入れてほしいという願いよりは、自分の奴隷一人をこれからのパウロの働きのために差し出してほしいという頼み事のためと理解する方が適切です。老境の身で、これからも投獄をはじめ苦労を重ねなければならないのです。その身を助けるために、若くて優秀なオネシモ、自分の心《スプランクナ》になっているオネシモにぜひ傍にいてもらいたいのです。
 このような前置きをした後、パウロは「監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです」と本題を切り出します(一〇節)。「執筆の事情」のところで述べましたように、オネシモは獄中のパウロと会い、キリストへと回心したのです。
 「オネシモ」という名前は「役立つ」という意味の語で、奴隷によくつけられた名前です。奴隷には、このような便宜的な名前や神話上の名前がよく与えられていました。主人はよく役立つ奴隷であることを期待して、それを名前にして呼んでいたのでしょう。ところがオネシモは、名に反して、主人フィレモンに対して何か不始末をして、「以前はあなたにとって役に立たない者でした」(一一節)と言われる者でした。ところが、キリストを信じて回心を経験してからは、人が変わり、誠実で役立つ者になったことをパウロは保証します。そのさい、「あなたにとって」、すなわち主人としてのフィレモンにとって役立つ者になっただけでなく、パウロは「わたしにとっても」役立つ者となったと付け加えています。この付け加えは、オネシモをわたしの助け手として派遣してほしいという願いを示唆しています。たんにオネシモを赦して、再び忠実な奴隷として受け入れてほしいという頼みであれば、この表現は不要です。
 パウロは奴隷所有者の法的権利を知っており、オネシモを一旦は主人のもとに送り返す必要があることを理解しています。オネシモが奴隷という身分である以上、主人の許可なしには勝手な行動はできないのです。しかし、オネシモを主人フィレモンのもとに送り帰すにあたって、パウロは「わたしの心《スプランクナ》であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します」と書きます(一二節)。この一文は、パウロが今どれだけ深くオネシモと結びついており、オネシモが傍にいてくれることが必要であるかをフィレモンに訴えています。この表現は、後で(二〇節)「わたしの心《スプランクナ》を元気づけてください」という表現で、頼みを聞いてくれることを懇請するさいの伏線になっています。「わたしの《スプランクナ》であるオネシモ」を手放して送り帰すのであるから、そのオネシモをわたしのもとに再び送り帰すことによって「わたしの《スプランクナ》を元気づけて」ほしいというのです。
 ところで、「彼を送り帰します」と言った直後、パウロは本心を漏らしています。「本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思った」のが本心です(一三節)。ここで「福音のゆえに監禁されている間」と訳されている部分は、直訳すると「福音の縄目において」となります。「縄目」と訳した《デスモス》(複数形)は、たしかに獄舎での監禁を意味しますが(一〇節)、「福音の縄目」という表現は、「キリストに捕らえられている」者、そういう意味での「キリスト・イエスの囚人《デスミオス》」として、どのような苦難が来ても福音のために働くべく拘束された生涯を送る者という意味も込められていると見られます。すなわち、監禁中だけではなく、パウロはこれからの福音のための働きにおいて、ずっとオネシモに協力してもらいたいのです。
 パウロがこのようにオネシモを傍におくことにこだわるのは、おそらくオネシモの聡明さに気づいたこともあるのでしょうが、やはりオネシモの若さにあったのではないかと推察されます。後の「後日物語」で扱う事柄から推論すると、この時のオネシモは二十歳代か、むしろ二十歳前であったと考えられます。この時パウロはすでに老境にあります。これまでのパウロの協力者たち、すなわちテモテやテトス、シラス、アキラやプリスカらも相応の年齢に達していたことでしょう。それに比べると、オネシモはやはり一段と若く、次の世代を担う位置にいることになります。また、この地域の出身者として、将来エフェソと周辺の諸集会に奉仕する人材として期待したことも考えられます。

ローマ社会では一般に奴隷は三十歳までに解放されたので(後の「ローマの奴隷制」参照)、奴隷のオネシモは二十歳代かそれ以下と見られます。

 福音の働きのための協力については、本来ならばフィレモンに要請してもよいことですが、パウロは「あなたの代わりに」オネシモに傍にいて協力してほしいというのです。ここでパウロがこのような本音を漏らしている事実は、この手紙が逃亡奴隷を送り帰すために書かれたものではなく、オネシモを福音の協力者として手元におくことを許可してほしいと依頼している手紙であることを、強く示唆しています。
 パウロはフィレモンに「なすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、 むしろ愛に訴えてお願いしています」と言います。それで、「あなたの承諾なしには、わたしは何もしたくありません」(主語は「わたし」です)と続けます。逃亡奴隷を受け入れることはフィレモンのすることです。この文は逃亡奴隷の受け入れを依頼する手紙では意味をなしません。「わたしは何もしたくありません」というのは、パウロがオネシモを傍に止めておくことを指していると理解しなければなりません。このような文脈からすると、「それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです」(一四節)という文章も、「善い行い」を逃亡奴隷を赦して受け入れることを指すと見るよりも、一人の奴隷を福音の働きのために自由にする(解放する)ことを指していると見る方が、自然に理解できます。

愛する兄弟として

 15 恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。 16 その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。
(一五〜一六節)

 フィレモンが強いられてではなく自発的に「善い事」をしてくれるのを願うパウロは、パウロが頼んでいることをフィレモンが受け入れることができない場合も想定して、すなわち、フィレモンがオネシモを奴隷として手元に置く場合を想定して、「その場合には」にはどうしてほしいのかを述べます(一五〜一六節)。これは、フィレモンがパウロの頼みを断る余地も残しておく、実に細やかな心配りから出た文章です。
 オネシモが不始末をして「しばらくの間」フィレモンのもとから「引き離されていた」のは、その事が機縁となってキリストに出会い、誠実な人間に生まれ変わることによって、 フィレモンが彼を「いつまでも自分のもとに置くためであった」と考えることもできると述べます(一五節)。すなわち、パウロが願っているのとは違った成り行きを想定しているのです。しかし、この想定には「恐らく〜かもしれません」という表現が用いられており、パウロの本心の願いではないことが示唆されています。そして、「その場合には」と続きます。
 フィレモンがオネシモを「いつまでも自分のもとに置く」場合には、オネシモをもはや奴隷としてではなく、「愛する兄弟として」扱うようにパウロは求めます(一六節)。これは、奴隷の所有者であるキリスト者に、キリストの使徒パウロが求めるのです。オネシモは今やキリストに属する者として、フィレモンと同じ父なる神から生まれた子であり、兄弟なのです。主キリストにあってオネシモはパウロの兄弟であり、フィレモンの兄弟であるのです。「いつまでも自分のもとに置く」場合には、オネシモを「奴隷以上の者、つまり愛する兄弟として」として共に暮らすように求めます。これは福音がもたらす新しい人間関係の姿です。
 オネシモを愛する兄弟であるとするとき、パウロは「特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと」そうであると言っています。パウロがオネシモを「わたしの心である」と言って、彼との強い結びつきを表現していましたが、フィレモンにとっては「なおさら」強い結びつきがあるはずだというのです。なお、「あなたにとってはなおさらのこと」という句には、「肉にあっても主にあっても」(直訳)という説明がついています。これは、オネシモが小さいときからフィレモンの家に暮らし、人間的にも深い絆がある上に、今は主にあって同じ信仰に生きる仲間になったのだから、という意味でしょう。つい先ほど知り合ったばかりのパウロですら、このように深い結びつきを感じているのですから、ずっと一緒に暮らしてきたあなたにとってはなおさら深い結びつきがあるはずだということです。

心を元気づけてほしい

 17 だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。 18 彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。 19 わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。 20 そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。  21 あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。 22 ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。(一七〜二二節)

 ここでパウロは「わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します」(一二節)という、この手紙の本来の状況に戻り、送り帰すオネシモを「わたしと思って迎え入れてください」と頼みます(一七節)。この頼みにも、オネシモを「わたしの心《スプランクナ》である」と言ってきたパウロの気持ちが滲み出ています。パウロだと思って受け入れるとき、もはやオネシモを自分の支配下にある奴隷と見ることはできません。
 オネシモに対するパウロの一体感は強く、オネシモの負債を自分の負債として引き受けるとまで言っています(一八節)。もしオネシモが何か不正をしてフィレモンに損害を与えたとか、または負債があるとすれば、それを自分の負債としておくようにと書き、「わたしが自分で支払いましょう」と約束します。その約束の部分は、「わたしパウロが自筆で書いています」と自筆で書き、いわば署名をして、誠実な実行を保証します(一九節前半)。
 オネシモの負債を自分が支払うという約束は、逃亡奴隷の赦しを求める場合にも適切です。しかし、福音の働きのために解放してほしいという依頼の場合にはさらに適切です。逃亡奴隷をもとの主人に送り帰して、処罰することなく再び奴隷として使用することを求める場合には、その奴隷が主人に与えた損害だけを補償すればよいわけです。その奴隷が負債によって奴隷となっている場合、その負債まで返す必要はありません。ところが、債務奴隷を解放する場合は、その負債の清算が必要になります。パウロが「もしあなたに損害を与えたのであれば」に「もし負債があれば」と付け加えているのは、解放を求める場合に意味があることになります。オネシモが債務奴隷であるかどうかは確定できませんが、当時は多くの人が負債のために奴隷になったと言われています(後の「ローマの奴隷制」参照)。
 このようにパウロがオネシモの負債を引き受けて自分が支払うとまで言っているのは、オネシモが起こした金銭的な不始末が、オネシモの解放を遅らせることを心配して、即刻オネシモを解放してもらうことができるように配慮してのことだと考えられます。パウロにとって時は急ぎます。悠長に時期を待っていることはできないのです。
 このようにオネシモの負債を自分の負債として引き受け、その支払いを約束したパウロは、フィレモンに「このさい、あなたがあなた自身をわたしに負っていることは言わないでおきましょう」と付け加えます(一九節後半私訳)。これは、フィレモンがパウロの働きによってキリストを知り、信仰に入ったことを指しています。この手紙を書いた時まではパウロはコロサイを訪れてはいないようです(コロサイ二・一参照)。もしフィレモンが直接パウロから福音を聴いて回心したのであれば、エフェソに来てパウロの伝道活動に接したのでしょう。エパフラスのコロサイ伝道で回心したとしても、エパフラスはパウロの協力者として派遣された伝道者であり、彼の伝道はエフェソを拠点とするパウロのアジア州宣教の一環としてなされたのですから、パウロはこのように言うことができる立場です。
 パウロはフィレモンにこの事実を思い起こさせ、フィレモンが神の子としての自分、永遠の命を生きる自分の存在をパウロに負っていることに言及します。しかし、それだからパウロの頼み事を聞く義務があるとは言わないと書いています。パウロはあくまで「あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします」という立場を貫きます。しかし、このような言及自体がフィレモンにかなり強烈な圧力になったはずです。わたしがオネシモの負債を支払うのであるから、あなたもわたしへの負い目を心に留めてわたしの頼みを聞いてほしいと、パウロはフィレモンに迫っていることになります。そのような圧力をかけてもオネシモが欲しいのは、パウロが福音の働きのためにいかに切実にオネシモを必要としていたかを示しています。
 この言及が含意していることをパウロは続く文章で明言します。「そうです、兄弟よ、わたしの方も(強調)あなたから主にあって益を得たいのです」(二〇節前半の私訳)というのは、あなたはわたしから福音を受けるという益を得たのであるから、わたしもあなたからオネシモを得るという益を得たいと言っているのです。この文も、逃亡奴隷の受け入れを求める手紙よりも、オネシモを福音の働きのために解放して自分のもとに送ってほしいという依頼の手紙によく合います。
 「オネシモ」という名は「役立つ」とか「益になる」という意味の語ですから、パウロがこの「オネシモ」という名詞と同系の「益を得たい」《オナイメーン》という動詞を選んで用いたのは、「オネシモを得たい」という気持ちを滲ませているのかも知れません。
 オネシモを送り帰してほしいという頼みを、パウロは最後に「わたしの《スプランクナ》を、キリストにあって元気づけてください」(二〇節後半の私訳)という表現で締め括ります。パウロはすでにオネシモを「わたしの心《スプランクナ》である」と言って、彼を手放すことがいかに辛いことであるかを示唆していました。《スプランクナ》を腸(はわらた)と訳すならば、頼み事を締め括るにあたって、わたしの腸であるオネシモを送り帰すことで、「わたしの腸を元気づけてください」と頼むのです。
 「あなたから益を得たい」にも「わたしの《スプランクナ》を元気づけてください」にも、「主にあって」または「キリストにあって」という句がついています。これは、パウロがオネシモを得ることは「主キリストにおける」出来事であること、すなわちこの手紙は全くの個人的依頼ではなく、キリストの福音のための公の依頼であることをフィレモンに思い起こさせています。
 最後にパウロは「わたしはあなたの従順を信じてこの手紙を書きました。あなたはわたしが言っている以上のことをしてくれることは分かっています」(二一節私訳)と書いて念を押します。「従順」《ヒュパコエー》という語は、同じ時期に書かれたと見られるフィリピ書でもパウロは用いていましたが(フィリピ二・一二)、ここでもパウロの命令に対する服従ではなく(それはこの手紙の基本的な原則に反します)、キリスト者としてのキリストへの従順一般を指すと見られます。前の節で、パウロの頼みを聞くことは「主キリストにある」信仰の行為であることを示唆していましたが、ここでパウロは、フィレモンの信仰の従順を前提にしてこの依頼の手紙を書いたと言っているのです。その信頼の上で、フィレモンはパウロがここで書いている以上のことをしてくれるであろうと期待しているのです。
 パウロはこの手紙で、オネシモをもはや奴隷としてではなく兄弟として、またパウロ自身と思って受け入れるようにとは書いていますが、オネシモを解放して、パウロの協力者として働けるように送り返してほしいとは書いていません。しかし、これまで本文を綿密に検討して、パウロは言外にこの願いを強く示唆していることが理解できました。パウロは最後にこの言葉で、フィレモンがパウロの真意を察して、この手紙で明言されている以上のこと、すなわちパウロが本心で望んでいることを実行してくれることを期待しているのです(二一節)。
 なお、パウロは「ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます」と付け加えます。それは、「あなたがたの祈りによって、あなたがたに会う恵みをいただけるという希望があるからです」(二二節私訳)。パウロは現在エフェソの牢獄に監禁されています。しかし、フィレモンの家の集会の人たちや周囲の人たちの祈りによって助けられ、釈放されて再び自由に活動できる日を神が恩恵として与えてくださることを信じ、その日にはコロサイを訪れて、直接フィレモンとその家の集会の人々に会って励ましたいと希望しています。
 パウロの訪問をフィレモンが喜んで迎えることができるかどうかは、フィレモンがパウロの頼み事を聞いたかどうかで決まります。オネシモの扱いは、集会での公の問題として脚光を浴びることになります。この宿泊の用意の依頼も、フィレモンにパウロの願いを聞くことを強く促す効果をもっています。

結びの挨拶

 23 キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。 24 わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。 25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。(二三〜二五節)

 手紙の結びの挨拶では、最初にエパフラスからの挨拶が来ます。エパフラスはフィレモンや彼の家の集会によく知られた親しい人物だからです。エパフラスはコロサイ出身で(コロサイ四・一二)、エフェソを拠点とするアジア州でのパウロの宣教活動に協力し、出身地のコロサイで福音を宣べ伝えて集会を形成し(コロサイ一・七)、その近隣のラオデキアやヒエラポリスでも活動しました(コロサイ四・一三)。従って、フィレモンとその家にある集会はエパフラスの活動によって成立した可能性が強いと考えられます(前述したように、フィレモンがエフェソで直接パウロから福音を聞いた可能性も排除できませんが)。 エパフラスはエフェソに戻ってきて、パウロにコロサイの人々の「キリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛」を伝えたようです(コロサイ一・四、一・八)。そのさい、パウロはエパフラスを通して、フィレモンの信仰と愛についても「聞いた」はずです(五節)。そのエパフラスがエフェソでの騒乱に巻き込まれて、今パウロと一緒に投獄され、「共に囚われの身」となっているのです。パウロは共に獄中にいるエパフラスのフィレモンとその家の集会に対する熱い思いを伝えます。

前述のように、このエパフラスがフィレモン家の奴隷であるオネシモをパウロのもとに連れてきたと推察する場合は、エパフラスの投獄はパウロの投獄と同時ではなく、パウロの投獄よりも後であったと見なければなりません。

 次に「わたしの協力者たち」として上げられている「マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカ」は、エパフラスのようにパウロと一緒に投獄されているとは言われていませんが、エフェソでのパウロの活動の協力者であり、獄中のパウロと連絡を取り合っていたのでしょう。ここのマルコとルカが福音書の著者のマルコとルカであるとすれば、マルコとルカはこの時期エフェソでパウロと一緒に福音活動に従事していたことになり、初期の福音の展開と福音書の成立について興味深い情報を提供していることになります。
 最後に、手紙の通例として、「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように」という祈りをもって締め括ります。

コロサイ書(四・一〇)では、アリスタルコもパウロと一緒に捕らわれの身となっているとあります。フィレモン書との関係については、コロサイ書の講解のときに取り扱います。