市川喜一著作集 > 第11巻 パウロによるキリストの福音V > 第15講

第六章 神の然り

        ― コリントの信徒への手紙 Uから(下) ―


        (本章で書名のない引用箇所はすべてコリント第二書簡の章節を指しています)

はじめに――「和解の手紙」

 コリントでの「二度目の滞在」で悲しい思いをして、深く傷ついてエフェソに帰ってきたパウロは、どうにかしてコリント集会の支持を回復しようとして「涙の手紙」を書きます(本書第三章)。手紙だけでは十分ではないと感じたパウロは、事態を収拾するために信頼する同労者テトスをコリントに派遣します(テトスが「涙の手紙」を携えてコリントに行ったのかどうかは確定できませんが、その可能性は大いにあります)。テトスは以前にパウロの意を受けて募金のためにコリントで活動したこともあり(一二・一八)、コリントの人々と親しく、また信頼もされていたはずです。
 このコリントへの「中間訪問」と「涙の手紙」の執筆やテトスの派遣という一連の出来事は、エフェソでの騒乱と投獄の前でなければなりません。この事件の後でパウロが長くエフェソに滞在して活動を続けることは(おそらくは追放処分されているので)できないはずです。この事件の後、パウロはエフェソを出て北に向かい、トロアスに来ます。トロアスは、第二次伝道旅行のとき、幻を見てマケドニア州に渡ることになった港町です。
 パウロはトロアスでキリストの福音を伝える活動をします。トロアスでのパウロの活動は順調に進みますが、パウロはテトスからの報告を期待と不安の気持ちで待ちわびていたのでしょう、少しでも早く報告に接することができるように、トロアスでの働きを途中で切り上げるようにして対岸のマケドニアに渡ります。コリントからの報告を携えてくることを期待していたテトスがなかなか到着しないので、不安にかられてパウロは、コリントからマケドニア経由でトロアスに向かうことになっているテトスに一日でも早く会うためにマケドニアに急いだのです(二・一二〜一三)。このような行動に、パウロがコリント集会の問題にどれほど深く心を痛めていたかがうかがわれます。
 マケドニア州に着いたときの状況について、パウロ自身がこう言っています。「マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には、全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです」(七・五)。外にはパウロの宣教活動の成果を覆そうとする勢力との戦い(それには最近の投獄の体験も含まれています)、内にはコリント集会を、ひいては異邦人伝道の成果を失うのではないかという恐れにより、身には安らぎがなく、ことごとに苦しんでいたのです。
 ところが、テトスが吉報を携えて来ました。コリント集会は今やパウロへの信頼を回復し、これまでの態度を悔い改めたというのです。パウロがテトスと再会したのはマケドニア州のどこであるのかは確定できませんが、おそらくフィリピとかテサロニケというような、パウロが建てた集会がある都市だったのでしょう。パウロはそれまでの不安と恐れが深かっただけに、このテトスがもたらした報せによって受けた喜びは大きく、慰めもまた深いものでした(七・六〜七)。こうしてパウロはコリント集会との和解を喜ぶ手紙を書きます。この「和解の手紙」がテトスと再会したマケドニアで書かれたのか、またはエフェソに帰ってから書かれたのか、研究者の説は分かれています。しかし、投獄されたのであれば、追放の処分が伴っていたことでしょうから、エフェソに帰って書いたとするよりは、マケドニアで書いたと見る方が順当でしょう。書かれた時は、先の「涙の手紙」からある程度の期間が経っていることが想定されるので、五五年頃(前半)と見てよいでしょう。
 この「和解の手紙」は現在の「コリント信徒への手紙U」の一章一節〜二章一三節と七章五節〜一六節、および一三章一一〜一三節の結びの挨拶に保存されていると見られます。現在の「コリント信徒への手紙U」は、この「和解の手紙」を枠として、その中に他の機会に書かれた手紙を組み入れて編集されたものと見られます。二章一三節と七章五節は自然に続いており、それを裂くように「最初の弁明」の手紙が挿入されたのはどういう意図によるのかは説明困難な問題です。ここでは「錯簡」(コーデックスを綴じるときに頁を間違えて綴じること)を推定しなければならないのかもしれません。



第一節 神の慰めと神の信実

神の慰め

挨拶

 1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(一・一〜二)

 この手紙の挨拶の文で、パウロは「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされた」者であることを明言して、集会に対する使徒としての自分の立場を改めて明らかにした上で語りかけます。語りかける対象は「コリントにある神の教会《エクレーシア》と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ」となっていますが、実質的にはコリントの集会にあてた手紙です。コリントの集会でアカイア州に住むすべての神の民を代表させていることになります。
 手紙ではふつう挨拶の後に神への賛美と感謝が続きますが、この手紙ではとくに「神の慰め」が賛美と感謝の主題となっています。これは、コリント集会のことで心痛が深かっただけに、その解決によって受けた慰めが大きかったからです(七・五〜七)。パウロは、この時に受けた神からの慰めの中でこの手紙を書いています。

苦悩と慰め

 3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。4 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。5 キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。7 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。(一・三〜七)

 パウロにとって、そしてわたしたちにとって、神は「わたしたちの主イエス・キリストの父である神」であり、「慈愛に満ちた父」ですが、この手紙の場合とくに「慰めを豊かにくださる神」なのです(三節)。ところで、慰めは苦難を前提にしています。苦難がなければ、慰めもありません。慰めとは、苦難の中での喜びであり、不安や恐れの中での確かさと希望です。人からの慰めがもはや及ばなくなった苦難の中で、それでもなお天来の喜びや希望を実感するとき、わたしたちは神の慰めを知るのです。そして、神の慰めを知ることは、神が自分に寄り添っていてくださること、神が自分と共にいてくださることを体験することなのです。
 「慰め」はギリシア語では《パラクレーシス》と言います。この語の動詞形《パラカレオー》は本来「そばにいて呼び求める」という意味の語で、そうする人を指す《パラクレートス》は法廷用語では弁護士を指すことになります。ヨハネ福音書では受難の前夜の「訣別説教」で、イエスが弟子たちに聖霊を「別の《パラクレートス》」として遣わすことを約束しておられます。この《パラクレートス》を、わたしは「同伴者」と訳しています。それは、地上のイエスがいつも弟子たちと一緒にいて助けてくださったように、復活されたイエスが遣わしてくださる聖霊が、「同伴者」としてこれからはずっと一緒にいて助けてくださるようになるからです。このように「神の慰め」は、神が寄り添ってくださっていることの結果であり、それはキリストにあって賜る聖霊によって起こる現実です。
 パウロは自分が苦難の中で受けた神の慰めを感謝しているだけでなく、その慰めによって「あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができる」ことを感謝しています(四節)。このように、苦難の中にある人に寄り添って、自分が苦悩の中で受けた神の慰めをもって慰めることができる者こそ真の宗教者です。キリスト者にそれができるのは、「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです」(五節)。キリスト者、とくにキリストの使徒は、キリストに結ばれているゆえに、キリストのいのちをこの世界で生きる苦しみ、すなわち「キリストの苦しみ」がその身に及んでいます。同時に、その苦しみの中で、「キリストを通して」受ける御霊によって、神が寄り添っていてくださるという慰めを受けています。この「わたしたちに満ちあふれているキリストの慰め」が苦悩の中にいる人に及ぶのです。神の慰めを体験しているキリスト者の存在を通して、苦悩に満ちた世界に神の慰めが波及するのです。この「キリストによる神の慰め」こそ、キリスト者が発散する「キリストの香り」のもっとも大切な一面です。内村鑑三の「キリスト信徒のなぐさめ」も、まさにこのようなキリストの香りのみごとな一例です。
 パウロは自分の苦悩とその中で受ける神の慰めを、コリントの人たちの慰めと救いのためのものであるとします。「わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです」(六節)。ここでの「わたしたち」は使徒パウロとその一行であり、「あなたがた」はコリント集会の人たちを指しますが、この「わたしたち」と「あなたがた」の関係は、キリスト者とキリスト者に接する人々との関係にも適用されます。キリスト者とその群である《エクレーシア》は、キリストにあって受ける苦難と慰めによって、世界の慰めと救いの基礎となっているのです。
 パウロはコリントの集会について「あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません」と言っています。そして、その理由として「なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです」言っています(七節)。このパウロのコリント集会の将来に対する確信は、どうすればわたしたちが接する人たちの将来に希望を持つことができるかという問題に対して示唆を与えます。もしわたしたちが、その人もわたしたちが受けている神の慰めを受けていることを知ることができれば、その人の将来は滅びではなく救いであることを確信できるでしょう。そのためにも、わたしたちはキリストにあって受ける神の慰めを、生涯を通して周囲に及ぼしていく使命を果たさなければなりません。

アジア州での苦難

 8 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。9 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。10 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。11 あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。(一・八〜一一)

 ここでパウロは、「アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい」と言って、エフェソで受けた苦難について語ります。アジア州で受けた苦難というのは、州都エフェソでの苦難を指しています。先に見たように、パウロはエフェソに二年余り滞在して、反対する勢力と戦いながら活動し、また、エフェソを拠点として近隣の地域に福音を伝えたのでした。そして、そのエフェソで投獄され、死刑をも覚悟しなければならないような状況に追い込まれました。そのような状況から救い出されたのは神の奇跡によるとしか言えないほどの危険な状況であったのです。パウロは「生きる望みさえ失ってしまい」、もはや「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになり」ます。このエフェソでの獄中体験が、パウロの復活信仰をいっそう深く具体的なものにしたのです。パウロはエフェソでの投獄体験に直接言及していませんが、その体験によって復活信仰が深められ、切実なものになったことは、その時の獄中で書かれたと見られるフィリピ書や、その後に書かれたと見られるコリント第二書簡に色濃く反映しています(たとえばフィリピ三・一〇〜一一、二〇〜二一、コリントU四・七〜五・五など)。

神の信実

理解して欲しい

 12 わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。13〜14 わたしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません。あなたがたは、わたしたちをある程度理解しているのですから、わたしたちの主イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとってもわたしたちが誇りであることを、十分に理解してもらいたい。(一・一二〜一四)

 次にパウロはコリント訪問の計画を変えたことや予定の遅れについて、その真意を説明しようとします(一・一二〜二・四)。その説明に先立って、パウロはまず自分の行動が「神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動」してきたものであることを保証し、コリントの人たちがその事実を理解するように求めます(一二〜一四節)。
 パウロの説明は二つにまとめられます。一つは、神の信実と、その神から受けた純真と誠実に訴えて、「あなたがたに向けたわたしたちの言葉は『然り』と同時に『否』となるものではなく」、今は遅れていても必ず実行されるのだと言明します(一・一二〜二二)。もう一つは、訪問が遅れているのは、「あなたがたへの思いやりから」だという真意の説明です(一・二三〜二・四)。ここでは第一の説明を取り上げ、第二の説明は次節で扱います。

神の信実

 15 このような確信に支えられて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。16 そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした。17 このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。18 神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。19 わたしたちは、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。20 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。21 わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。22 神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に御霊を与えてくださいました。(一・一五〜二二)

 パウロがまずコリントへ行くことを計画したのは、「このような確信に支えられて」、すなわち「わたしたちの主イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがたが誇りであるように、あなたがたにとってもわたしたちが誇りである」(一四節)という確信に支えられて、コリントの集会が「もう一度恵みを受けるように」願ってのことであった、と真意を説明します。コリントの集会は、パウロの最初の伝道活動で「キリストにあって、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされ、キリストについての証しが確立され、その結果、賜物に何一つ欠けるところがない」(コリントT一・五〜七)と言われるほど、大きな恵みを受けていました。パウロはこのコリント集会を誇りとし、また重視して、何とかしてさらに強くしたいと願い、まずコリントに行く計画を立てます(一五節)。
 パウロは、(おそらく海路で)まずコリントへ直行し、コリントでもう一度活動し、コリント集会を堅固にし、それからコリントを拠点としてマケドニア州の諸集会での募金活動を進め、コリントから送り出してもらって、献金を携えてエルサレムに向かう計画を立てます(一六節)。この計画はすでに第一書簡を書き送ったときの計画、すなわちマケドニア州経由でコリントに行く計画(コリントT一六・五〜七)と違っています。この時の計画は(これまでに見てきたように)パウロの側とコリント集会の側の事情の急変で実行できなくなり、予定になかった「二度目の滞在」を急に余儀なくされたりしました。その後に立ててコリントにも通告したこの新しい計画(一・一五〜一六の計画)もなかなか実行できず、コリントの人たちの中には、パウロの訪問予定の変更や遅れについてその動機を疑い、パウロに疑念を持ったり、批判したりする人があったようです。パウロの使徒性を問題にした論敵たちも、パウロが計画を変えたり、計画通りに来ないことを取り上げて、コリントの人たちにパウロの誠意を疑わせるような言動をしたのでしょう。そのような疑念や批判に対して、パウロはエフェソでの苦しい状況を理解するように求め(一・八〜一一)、自分の言葉の確かさを保証し、また真情を吐露して、訪問を遅らせている真意を説明します。
 ここでわたしたちにとって重要なことは、パウロが自分の言葉の確かさを保証するのに、「神の信実」を引き合いに出し、「神の信実」の上に自分の行動を置いていることです(一五〜一八節)。人間的な考えによる計画であれば、「然り、然り」が同時に「否、否」となる可能性があります。すなわち、そうすると言っておいて、それをしないことがありえます。しかし、「神は信実な方です」から、その「神の純真と誠実によって、(肉によらず)神の恵みの下に行動している」自分たちの言葉は、「然り」であると同時に「否」となることはありえないというのです。すると言った以上、必ずするのです。パウロは自分の言葉と行動の確かさを「神の信実」によって根拠づけています。その上で、自分の言葉の確かさの根拠になっている「神の信実」について重要な発言(一九〜二二節)を続けます。
 「信実」とは、人格において言葉と現実(行動を含む在り方全体)が一致している姿です。「信」という字は「人」と「言」が一体となっている姿です。その「言」が「成る」という意味で「誠」と言ってもよいでしょう。「神は信実な《ピストス》方です」というのは、神は信そのもの、誠そのもの、至誠至信の方であるということです。ですから、神は神が語られた言葉そのものであり、その言葉を必ず実行されます。具体的には、神は歴史の中であらかじめ語られた言葉、すなわち約束は必ず実行されるということです。イスラエルの民も詩編の中で、この神の「信実《エムナー》」を神の「慈しみ《ヘセド》」と並んで、自分たちの存在と救いの根拠として賛美してきました。パウロが宣べ伝える「キリストの福音」は、実にこの「神の信実」の告知に他ならないのです。
 パウロたちがコリントの人たちに宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではなく、「然り」だけが実現した方、すなわち、その方においてイスラエルの歴史の中で与えられてきた神の約束の言葉がことごとく実現した方なのです。これがいつも福音の第一項目です。この方を信じる者は、この方によって神に「アーメン」(然り)と唱えます。「アーメン」は《エムナー》(信実)と同系の語です。「アーメン」と唱えるのは、「然り、あなたは信実です。あなたはキリストにおいて御約束をことごとく実現されました」と、神に栄光を帰して賛美しているのです。
 この信実な神が、わたしたちとあなたがたの双方をキリストの中へ結びつけ、「油を注いでくださった」、すなわち、「わたしたちに証印を押して、保証として御霊をわたしたちの心に与えてくださった」のです。このように信実な神によってキリストにあって結ばれ、共に御霊の証印を受けているわたしたちとあなたがたの間に、どうして「然り」が同時に「否」となるような不信実なことなどありえようか、とパウロは言っているのです。

二二節冒頭の《カイ》は、「また」(そしてさらに)という意味ではなく、「すなわち」の意味に理解すべきでしょう。「油を注いでくださった」上さらに「保証の御霊を与えてくださった」のではなく、二二節は「油を注ぐ」という象徴的な表現の内容を具体的に説明していると見るべきです

絶信の信

 パウロはコリント集会に対する自分の言動の信実を保証するために神の信実を引き合いに出しましたが、パウロの言葉は当面の目的を超えて、「神の約束はことごとくキリストにおいて実現した」という、救済史上のキリストにおける神の信実にまで及びました。信仰とは、キリストに現されたこの神の信実に「アーメン、然り」と唱えて、身を委ねることです。
 わたしも初めは、信仰をキリストに対する自分の誠意とか忠誠心のように考えていました。しかしある時、自分の弱さに突き当たり、自分の信仰心に絶望して、神が信実であるという事実だけに自分の全存在をかけざるをえなくなりました。このように、自分の信仰に絶して神の信実だけに全身を委ねている姿を、わたしは「絶信の信」と呼んでいます。わたしはこのような「絶信の信」によって、キリストの福音に身を委ねたとき、聖霊の注ぎを受けたのです。まことに、神はこのように自分に絶望したわたしに聖霊を注いで、「お前はわたしのものだ」という証印を押してくださいました。それ以来、わたしは自分の信仰や力ではなく、神の恩恵の御力によって歩む者とされ、神の信実だけを土台として信仰の生涯を生きることになりました。わたしは自分の信仰では生きていけない者です。「絶信の信」は、キリストにおいて無資格の者に無条件で救いを与えてくださる神の「恩恵の支配」の一つの姿です。道徳的・人格的な価値だけでなく、信仰さえも資格ではなくなるのです。「信仰によって義とされる」とか「信仰によって聖霊を受ける」というときの信仰は、わたしにとってはこの「絶信の信」に他なりません。
 パウロもこのような信じる者の姿を、「自分に死んでキリストに生きる」と告白していましたが、この「絶信の信」の消息は、後になってパウロの信仰を受け継ぐ人たちの中で次のように定式化されることになります。

 「わたしたちは不信実であっても、キリストは信実であり続ける。キリストはご自身を否むことができないからである」(テモテU二・一三 私訳)。

「絶信の信」については、「マルコ福音書講解 63」において「神の信」という主題で、また、拙著『神の信に生きる』の第T部第一講「神の信」で詳説していますので、ここでは簡単に触れるだけにとどめます。

神の大肯定

 このように、この段落の「然り」と「否」は、言葉を実行するかしないかを指す表現ですが、「この方(キリスト)において然りが実現した」という言葉は、ここで扱われている信実の問題を超えてさらに大きな広がりを示唆します。すなわち、そのままでは神の「否」、神の拒否が突きつけられている世界に、キリストという場だけに神の「然り」、神の大肯定が実現したのです。
 パウロは、「人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現しておられます」(ローマ一・一八)と言っています。神なき世界は「神の怒り」の下にあるのです。「神の怒り」とは神の拒否、神の「否」です。神はこのような世界を受け入れることを拒否し、「否」を突きつけておられるのです。わたしたちも、生まれながらのままでは、この世界に属する者として、神の「否」の下にあるのです。そして、神の「否」はわたしたちの一人ひとりの内面で言い難い否定の壁となって、わたしたちの精神を圧迫し、いのちを押し殺しているのです。
 わたしは、学生の頃に読んだゲーテの「ファウスト」の中で、ファウストに現れた悪魔メフィストフェレスが、「お前は誰だ」というファウストの問いに答えた言葉が忘れられません。彼はこう答えました、「わたしはすべてを否定する霊である」。その頃のわたしは、すべてのことが無意味に感じられ、自分の存在を肯定することができず、深い不安の中に陥っていましたので、この言葉に妙な共感を覚えました。この内なる否定の壁をどうすれば打ち破り、大肯定の世界に生きることができるのかを模索していました。そのような時にキリストの福音に接したのです。
 「キリストにおいて然りが実現した!」。これが福音です。わたしに来た喜びの告知です。神はキリストにおいて世界と和解しておられるのです。キリストにおいて神御自身が成し遂げてくださった贖いのわざによって、人の罪の責任を問うことなく、無条件で受け入れてくださっているのです。キリストにおいて神は「然り」を与えてくださっているのです。そして、その「然り」を聖霊の証印によって、一人ひとりの生きる現実としてくださっているのです。キリストという和解の場において初めて、「神を喜ぶ」という大肯定の生が始まるのです(ローマ五・一〇〜一一)。
 よくプラス思考の重要性が説かれます。しかし、自分の存在そのものを肯定できなければ、小手先の「プラス思考」だけでは人生の根本的な矛盾を克服することはできません。人生の様々な苦難や失敗や苦悩という「否」の中で、神の「然り」を実感することが「神の慰め」であり、死という究極の「否」に直面しながら神の「然り」を持つことが復活の希望です。復活者キリストにおいて根元的な肯定が実現したのです。