市川喜一著作集 > 第15巻 対話編・永遠の命T > 第18講

第二節 わたしのところに来て飲め

22 イエスはどこから、どこへ(7章 25〜36節)

 25 さて、エルサレムの人たちの中のある者たちは言った、「この人は、人々が殺そうと狙っている者ではないか。 26 見よ、彼は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。議員たちは、この人がメシアであると本当に認めたのではないだろうか。 27 しかし、わたしたちはこの人がどこの出身かを知っている。メシアが来るときには、どこの出身であるかは誰も知らないのだ」。 28 そこで、神殿で教えておられるときに、イエスは叫んで言われた、「あなたたちはわたしを知っており、わたしがどこの出身であるかも知っている。わたしは自分から来たのではない。しかし、わたしを遣わされた方は真実であるが、その方をあなたたちは知らない。 29 わたしはその方を知っている。わたしはその方から出た者であり、その方がわたしを遣わしたからである」。
 30 人々はイエスを捕らえようとしたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。 31 群衆の中で多くの者がイエスを信じ、こう言っていた。「メシアが来ても、この人がしたしるしよりも多くのしるしをするだろうか」。
 32 ファリサイ派の人たちは、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを聞いた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人たちは、イエスを捕らえるために下役の者たちを遣わした。 33 そこで、イエスは言われた、「今しばらくわたしはあなたたちと一緒にいて、わたしを遣わされた方のもとに去っていく。 34 あなたたちはわたしを捜すが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである」。 35 そこでユダヤ人たちは互いに言った、「わたしたちが見つけることがないとは、どこへ行こうとしているのか。ギリシア人たちの間に離散している者たちのところに行って、ギリシア人を教えようとでもいうのか。 36 『あなたたちはわたしを捜すだろうが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである』と彼は言ったが、この言葉はどういう意味なのか」。

ユダヤ人の間のメシア論争

 さて、エルサレムの人たちの中のある者たちは言った、「この人は、人々が殺そうと狙っている者ではないか」。(二五節)

 エルサレムの住民たちは、二〇節の「群衆」とは違い、ユダヤ教指導層に近く、イエスは「人々が殺そうと狙っている者」であることを知っているので、イエスが公然と語ることに驚きます。

 「見よ、彼は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。議員たちは、この人がメシアであると本当に認めたのではないだろうか」。(二六節)

 「議員たち」は、原語では《アルコーン》ですが、これは「指導者」を意味する語で、ユダヤ教社会では、ふつう最高法院の議員を指します。
 イエスが神殿で大胆に教えておられるのに、議員たちは何も言わないのは、「この人がメシアであると本当に認めたのではないだろうか」と、エルサレムの住民たちはいぶかります。

「メシア」と訳した語は、原文では《ホ・クリストス》です。この段落はユダヤ教社会での論争ですから、当時の用例に従い「メシア」と訳します。他の邦訳はみな「キリスト」と訳していますが、新共同訳は「メシア」と訳しています。英訳でもRSVは「キリスト」ですが、NRSVは「メシア」です。

 「しかし、わたしたちはこの人がどこの出身かを知っている。メシアが来るときには、どこの出身であるかは誰も知らないのだ」。(二七節)

 エルサレムの住民は「この人がどこの出身かを知っている」のだから、この人がメシアではありえないと判断します。彼らは、イエスがナザレの出身であること、その両親や家族のことを知っています(六・四二)。
 当時のユダヤ教社会ではメシア待望が盛んでしたが、メシアの出現の仕方については様々な意見(聖書解釈)がありました。ダビデの町ベツレヘムから出るという見方(七・四二、マタイ二・五)もありましたが、エリヤが現れて油を注ぐまでは本人もそれと知らずに隠されているという伝承もありました(ユスティノス『トリュフォーンとの対話』八・四にもこの見方が言及されています。なおマルコ九・一一もこの見方に関連があるのかもしれません)。
 この「メシアが来るときには、どこの出身であるかは誰も知らない」という見方を根拠にして、出身が分かっているこの人はメシアではありえないという議論がなされます。

 そこで、神殿で教えておられるときに、イエスは叫んで言われた、「あなたたちはわたしを知っており、わたしがどこの出身であるかも知っている。わたしは自分から来たのではない。しかし、わたしを遣わされた方は真実であるが 、その方をあなたたちは知らない」。(二八節)

 ユダヤ人たちは(指導層も群衆も)イエスの出身をよく知っています。もしイエスが「自分から来た」方であるならば、すなわち人間的な資格をもってイスラエルの民に来た方であるならば、その人間的出身が問題になるでしょう。しかし、イエスは「自分から来た」方ではなく、父から遣わされた方です。だから、人間的な出身は問題になりません。イエスが父から遣わされた方であることは、この福音書の繰り返し主張するところです。遣わした方は真実であり、やがて遣わす方についてイスラエルの歴史の中で証しをしてくださってきたのに、「あなたたちはいまだかってその方の声を聴いたこともないし、お姿を見たこともない」(五・三七)と、その無知とかたくなさが批判されます。

 「わたしはその方を知っている。わたしはその方から出た者であり、その方がわたしを遣わしたからである」。(二九節)

 「わたしはその方を知っている」ことは、共観福音書(マタイ一一・二七、ルカ一〇・二二)では、父親と息子の比喩で語られていますが、ヨハネ福音書では直接的に言明されます。

「その方から出た」は、「その方と共にいる」とも読めます。六・四六の場合と同じで、動詞は「いる」が用いられています。この場合、前置詞《パラ》は「の傍に」と「の傍から」のどちらも理解可能です。

 人々はイエスを捕らえようとしたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。(三〇節)

 「誰もイエスに手をかける者はなかった」のは、イエスの神的威厳にひるんだからか(七・四六)、イエスを支持する群衆が騒乱を起こすのを恐れたからでしょう。しかし、著者はそれを神の定められた時が来ていないからとし、すべてが神の御計画によって進んでいることを指し示します。

ここの「イエスの時」は、原文では「彼の時」です。ここの「時」は《カイロス》ではなく《ホーラ》が用いられています。この福音書では、この二つの用語は同じ意味で用いられています。その意味については、二・四と七・六の「わたしの時」についての講解を参照してください。

 群衆の中で多くの者がイエスを信じ、こう言っていた。「メシアが来ても、この人がしたしるしよりも多くのしるしをするだろうか」。(三一節)

 エルサレムの住民たちの間で、出身が分かっているような者はメシアでないとする意見もあれば、イエスがなされた多くのしるしを見て、この方こそ約束されていたメシアであると信じる者もいました。

わたしの行くところに来ることはできない

 ファリサイ派の人たちは、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを聞いた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人たちは、イエスを捕らえるために下役の者たちを遣わした。(三二節)

 群衆がイエスについてささやいていることを聞いたのは、群衆の間で活動しているファリサイ派の人たちですが、「下役の者たち」、すなわち神殿警備の役人(警察に相当)を派遣することができるのは、最高法院で権力をもつ「祭司長たちとファリサイ派律法学者たち」です。彼らはイエスを殺そうとする計画を実行に移します。

 そこで、イエスは言われた、「今しばらくわたしはあなたたちと一緒にいて、わたしを遣わされた方のもとに去っていく。あなたたちはわたしを捜すが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである」。(三三〜三四節)

 イエスはこの世を去って父のもとに帰ることを語っておられます。復活して栄光の場におられるイエスの次元に、不信仰な「ユダヤ人たち」は到達することはできません。「しばらくすると」ユダヤ人たちはイエスを見つけることができなくなります。

 そこでユダヤ人たちは互いに言った、「わたしたちが見つけることがないとは、どこへ行こうとしているのか。ギリシア人たちの間に離散している者たちのところに行って、ギリシア人を教えようとでもいうのか」。(三五節)

 イエスはこの世を去って父のもとに帰ることを語っておられるのですが、ユダヤ人たちはその意味が分かりません。ユダヤ人たちが捜しても見つけることができないように、遠くに去って「離散している者たちのところに行って、ギリシア人を教えようとでもいうのか」と考えます。
 「離散している者たち」《ディアスポラ》とは、「イスラエルの地」パレスチナから離れて、世界の各地に散らばり、異邦諸都市に(ここでは「ギリシア人たちの間に」と表現されています)住んでいるユダヤ人たちのことです。離散のユダヤ人は、住んでいる都市に会堂を造り、ユダヤ教徒としての生活を守り、団結していました。
 ユダヤ人たちは、イエスがエルサレムから逃れて、どこか遠くの異邦都市に住む「離散のユダヤ人」のところに行き、そこでギリシア人たちに自分の教えを説こうとしているのではないかと推察します。当時《ディアスポラ》のユダヤ人会堂は、周囲の異邦人(まとめて「ギリシア人」と呼ばれています)にユダヤ教を教える伝道活動を熱心に行っていました(マタイ二三・一五参照)。

 「『あなたたちはわたしを捜すだろうが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである』と彼は言ったが、この言葉はどういう意味なのか」。(三六節)

 三四節のイエスの言葉は、「しばらく」の後、「イエスの時」が来て、イエスが天に上げられて父のもとに帰られることを指しています。「わたしがいるところに、あなたたちは来ることができない」とは、この復活者として栄光の場におられるイエスの次元に、不信仰な「ユダヤ人たち」は到達することができないことを意味しています。ところが、ユダヤ人たちはこの霊的な意味が理解できず、地上の行動として離散のユダヤ人のところに行くことしか思いつきません。ここにも、この福音書で繰り返し現れる、イエスの言葉の霊的な次元と聞く者の地上的な理解の行き違いが語られていることになります。

23 生きた水の流れ(7章 37〜39節)

 37 祭りの最終日である大祭の日に、イエスは立ち上がり、叫んで言われた、「誰でも渇く者は、わたしのところに来て飲みなさい。 38 わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹から生きた水の川が流れ出るであろう」。 39 これは、イエスを信じた者が受けることになる御霊のことを言われたのである。イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだなかったのである。

水の祭り

 祭りの最終日である大祭の日に、イエスは立ち上がり、叫んで言われた。(三七節前半)

 仮庵祭は、出エジプト後の荒野の旅を覚えるために、木の小枝で造った仮設の小屋で七日間過ごすという歴史的記念祭儀ですが(レビ記二三・三四〜四三)、同時に農業祭儀として、秋にその年の収穫を神に感謝し、それ以後の雨乞いを兼ねた祭儀でもありました。神殿では毎日シロアムの泉から汲んだ水を祭壇に運ぶ行列が行われ、人々は四種の木の枝をかざして賛美を歌って行進しました。また、期間中神殿には常に燈火が灯されたので、仮庵祭は光と水の祭りとしての性格をもっていました。それで、仮庵祭を背景とする七〜八章では、光と水が重要な象徴として用いられることになります。
 ユダヤ教では「祭り」といえば仮庵祭を指し、もっとも重んじられた祭りです。捕囚後、八日目が加えられて、八日目が「大いなる祭りの日」とされました。ここで「祭りの最終日である大祭の日」とあるのは、この八日目の「大いなる祭りの日」のことになります。この日には、シロアムの泉から汲んだ水を祭壇に運ぶ行列が盛大に行われたことでしょう。

つけ加えられた八日目には祭壇に水を注ぐ行事もなく、特別の祭儀も行われなかったのであるから、著者は七日目の「大祭」のことを言っているという見方もあります。いずれにしても、七日目か八日目かは重要ではなく、イエスの呼びかけの舞台が水の祭りである仮庵祭の「大祭」であればよいのです。

 神からの水の賜物を感謝し、また祈り求める祭りに集うユダヤ人群衆に向かって、「イエスは立ち上がり、叫んで」言われます。普通ラビは座って教えました。イエスも弟子に教えるときは座られました(マタイ五・一)。ここで特に「立ち上がり、叫んで(大声で)言われた」というのは、祭りに集まっている大勢の群衆に呼びかけるためだけでなく、ここで言われていることが特に重要なことであることを示しています。ヨハネ共同体は、ユダヤ人たちに向かって、とくに声を大にしてこのことを訴えたいのです。命の水を祈り求めるこの祭りは、イエスを信じることによって成就するのです。

渇く者は来なさい

 「誰でも渇く者は、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹から生きた水の川が流れ出るであろう」。(三七節後半〜三八節)

 人間は水を飲まないで生きることはできません。体内に水分がなくなると渇きを覚えます。渇きは水分を求める体の訴え、命の訴えです。この体が覚える渇きは、古来どの宗教でも魂が自分を生かす真実の生命を慕い求める欲求の象徴として用いられていきました。イスラエルでは詩篇四二編(二節)の「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める」という祈りが代表的な表現です。預言者も、「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい」と招いています(イザヤ五五・一)。この渇きと水のメタファーは、ヨハネ福音書(ここの他に四・一四、六・三五)だけでなく、ヨハネ黙示録(七・一六、二一・六、二二・一七)にも繰り返し現れます。
 このように、渇きを覚える魂に向かって、イエスは声を大にして呼びかけられます。すなわち、この呼びかけはヨハネ共同体が、真の命を求めて呻いている世界に向かって呼びかける福音の中心主題なのです。
 「わたしを信じる者」は、この福音が繰り返し用いている、前置詞《エイス》を伴った「わたしの中へと信じ入る者」という表現です。復活者イエスに自分の全存在を投げ入れて生きる者のことです。そのようにイエスを信じる人は、「その人の腹から生きた水の川が流れ出る」ようになることが約束されます。これは約束であり、「流れ出る」は未来形です。これが未来形であることの意味は、すぐ後の三九節で説明されることになります。
 この「生きた水」が聖霊を指すことは、すぐ後(三九節)で明言されます。すでに四章のサマリアの女との対話で、イエスは「生きた水」を与える者とされ、その水は「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」とされていました(四・一四)。ここでは、その水が溢れ出て外の世界を潤していく様が川の象徴で語られます(ヨハネ黙示録二二・二参照)。「川」は複数形で語られています。
 その「生きた水の川」は「その人の腹から」流れ出ると表現されます。原文は「彼の腹から」となっています。それで古来、「彼の」がイエスを指すのか(西方教会系)、信じる者を指すのか(東方教会系)、解釈が分かれてきましたが、これがイエスの言葉の中にあることから、「彼の」はイエス自身ではなく他の人を指すと理解するのが自然です。さらに、四章一四節の「わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」との並行関係からも、「信じる者」を指すと理解すべきでしょう。

「その人の腹から」は、「その人の内から」という意味ですが、たんに内面を指すよりも強く、人間存在の最奥を指す象徴として「腹」を用いていると考えられますので、「腹から」と直訳しておきます。

 「聖書が言っているように」とありますが、旧約聖書には正確に同じ言葉はありません。しかし、神の霊の注ぎが川とか水の流れにたとえられるところは多くあります(イザヤ四三・一九〜二〇、四四・三、エゼキエル四七・一〜一二など)。著者はそのような箇所を念頭において、聖書をよく知っているユダヤ人たちに、イエスを信じることこそ聖書の成就であることを呼びかけているのです。

聖霊の約束

 これは、イエスを信じた者が受けることになる御霊のことを言われたのである。イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだなかったのである。(三九節)

 イエスが言われた「生きた水」とは、「イエスを信じた者が受けることになる御霊のことを言われたのである」と、著者自身が解説します。十字架され復活されたイエスを信じることによって、神が終わりの日に注ぐと約束されていた聖霊を受けるという使信は、使徒たちが宣べ伝えた福音の共通の基本条項でした(使徒二・三八〜三九、ガラテヤ三・二)。そして、それは「イエスを信じた者」たちの共通の体験、ヨハネ共同体の体験でした。
 著者は、このことはすでにイエスが語っておられたことだとするのです。ただ、地上のイエスがこのことを語られた時には、「イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだなかった」から、この言葉は将来のことを語る約束になるのだと、著者は解説します。
 この福音書では、「栄光を受ける」は、イエスが十字架に上げられることと復活して天に上げられることが一体となった出来事を指しています。信じる者が聖霊を受けるのは、イエスの十字架・復活の出来事の結果であることが前提されています。「御霊はまだなかった」というのは、「御霊はまだ来ておられなかった」(御霊が来て、世におられる事態はまだ始まっていなかった)という意味です。

三九節に二回出てくる《ト・プニューマ》は、人間の内にある霊的次元ではなく、外から与えられる神の霊、すなわち聖霊であることが、この文によって明確になります。パウロ書簡やヨハネ文書を解釈するとき、《ト・プニューマ》(定冠詞つきの「霊」)が(僅かの例外を除き)聖霊を指す用語であることを留意しなければなりません。  最初期の「イエスを信じた者たち」の群れは、自分たちの存在と歩みが、キリストにあって上より賜った御霊によるものであることを深く自覚していました。そのことは、どの福音書もイエス・キリストを「聖霊によってバプテスマする方」として告知していることからも分かりますが、とくにルカはそれを地上のイエスご自身が「父の約束」として語られたという形で強調しています(ルカ一一・一三、使徒一・四)。ヨハネ福音書も、この聖霊の約束を地上のイエスが仮庵祭で叫ばれた告知として世に示すのです。

24 イエスに対する群衆と指導者の態度(7章40〜52節)

 40 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は本当にあの預言者だ」と言う者や、 41 「この人はメシアだ」と言う者もいたが、反対に「メシアがガリラヤから出ることがあろうか。 42 メシアはダビデの子孫で、ダビデがいた村ベツレヘムから出ると、聖書は言ったではないか」と言う者もいた。 43 こうして、イエスのことで群衆の間に分裂が生じた。 44 彼らの中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。
 45 さて、下役の者たちが祭司長とファリサイ派の者たちのところに戻ってきたとき、彼らは下役の者たちに言った、「どうしてあの男を連れてこなかったのか」。 46 下役の者たちは答えた、「あの人のように語った者は誰もありません」。 47 ファリサイ派の人たちは彼らに答えた、「お前たちまでも惑わされたのか。 48 議員やファリサイ派の者で彼を信じた者は誰もないではないか。 49 しかし、律法を知らないこの群衆は呪われている」。 50 彼らの中の一人で、以前イエスのもとに来たことがあるニコデモが彼らに言った、 51 「われわれの律法は、まず本人から聴取して、何をしたのかを確かめた上でなければ、人を裁かないのではないか」。 52 彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤの出身なのか。よく調べ、ガリラヤから預言者は出ないことを理解しなさい」。

群衆の反応

 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者もいたが、(四〇節〜四一節前半)

 仮庵祭でイエスが祭りに集うユダヤ人群衆に語られた言葉を聞いて、イエスに対する群衆の態度は二つに分かれます。一方では、イエスをメシアではないかとする期待と、他方ではイエスはメシアではありえないとする意見もありました。
 ある者は「この人は本当にあの預言者だ」と言ったとありますが、ここの「あの預言者」とは、単数形の「預言者」が定冠詞つきで用いられているので、申命記(一八・一五)に終わりの日に現れると預言されていたモーセのような預言者を指しています。これは「メシア」を指す称号となっていましたから、用語は違いますが、これは「この人はメシアだ」と言うのと同じです。

 反対に「メシアがガリラヤから出ることがあろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデがいた村ベツレヘムから出ると、聖書は言ったではないか」と言う者もいた。(四一節後半〜四二節)

 他方、イエスはメシアでありえないとする意見もありました。「反対に」という句は原文にはなく、対照を示す小辞があるだけですが、文意を明らかにするために、この語を補って訳しています。
 当時のユダヤ人にとって、ガリラヤはつい最近ユダヤ教化された異教の地であって、「異邦人のガリラヤ」と呼ばれていました(マタイ四・一五)。そのような地域からメシアが出ることはありえないと考えられていました。
 当時のユダヤ教、とくに主流のファリサイ派の律法学者は、ダビデに与えられたナタンの預言(サムエル記下七・八〜一六)などに基づき、メシアはダビデの子孫であるとし、ある人物がメシアであるための四つの要件の一つにしていました。

「メシアの要件」について詳しくは、拙著『マルコ福音書講解U』90頁の「69 ダビデの子」を参照してください。

 この「メシアはダビデの子孫から出る」という期待は、ミカ書五章一節の預言に基づき、さらに具体的に「ダビデがいた村ベツレヘムから出る」、すなわちメシアがダビデの出身地ベツレヘムから出るという待望となり、当時のユダヤ人の間で有力な意見になっていました。マタイとルカの誕生物語もこのメシア待望の実現として語られることになります。
 ユダヤ人にイエスをメシアとして宣べ伝えるために、最初期のユダヤ人の教団(とくにマタイ)はイエスがダビデの子孫であることを強調しましたが、ヨハネはここで群衆の意見として触れる以外に、ダビデの名に言及していません。すでに、異邦人への使徒パウロはイエスをメシア・キリストとして宣べ伝えるさいに、ユダヤ人の教団で形成されたキリスト伝承(たとえばローマ一・二〜四)を引用する場合以外は、イエスがダビデの子孫であることを根拠にすることはありませんでした。ヨハネはさらに徹底して、ここで群衆の意見としてあげる以外には、ダビデの名は一回も出てきません。これは、ヨハネ福音書の成立が異邦人環境であることを示しているというよりは、この福音書においてイエスは「天から」来られた方であって、地上の家系とか出自は問題にならないからです。ユダヤ人がイエスの家系や出身を問題にするのは神を知らないからだと、メシアの出身に関する議論は厳しく退けられます(六・四二、七・二八)。当然、ヨハネ福音書には誕生物語はありません。

 こうして、イエスのことで群衆の間に分裂が生じた。(四三節)

 こうして、聖霊の賜物を与える方としてのイエスをめぐって、ユダヤ人群衆は二つの陣営に分裂します。この表現には、イエスを信じて御霊の賜物にあずかり、御霊によって新しい命に生きるようになったヨハネ共同体と、イエスを拒み、古いモーセ律法の世界に生きるユダヤ教会堂勢力との対立というユダヤ教団の分裂の現実が反映していると見られます。

 彼らの中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。(四四節)

 「彼ら」とはイエスを信じない陣営のユダヤ人たちを指していることは当然です。彼らの中で律法順守に熱心な厳格派は、イエスをメシアを自称して民を惑わす者として告発するために捕らえようとします。異端者を放置することは、彼らには律法を汚すことになるのです。しかし、(著者の視点からすれば)まだ(神が定めた)時が来ていないので、「誰もイエスに手をかける者はなかった」ということになります。

指導者の反応

 さて、下役の者たちが祭司長とファリサイ派の者たちのところに戻ってきたとき、彼らは下役の者たちに言った、「どうしてあの男を連れてこなかったのか」。(四五節)

 「下役の者たち」(神殿警護の役人)はすでにイエスを逮捕するために派遣されていました(七・三二)。彼らがイエスを逮捕しないで戻ってきた時、「祭司長とファリサイ派の者たち」は「どうしてあの男を連れてこなかったのか」と詰問します。「祭司長とファリサイ派の者たち」は、この福音書ではヨハネ共同体に対立し迫害するユダヤ教指導層勢力を代表し、イエスを探索逮捕して処刑に至らせた責任者です(一一・四七、五七)。

 下役の者たちは答えた、「あの人のように語った者は誰もありません」。(四六節)

 逮捕に向かった下役たちは、イエスが語られる言葉の権威に圧倒されて手が出せませんでした。彼らが驚嘆したのは、イエスが語られた内容であるよりは、語り方に権威があったからです。「あのような事柄を語った」ではなく、「あのような権威をもって語った」人はいないと驚くのです。共観福音書では、会堂でイエスの教えに接した群衆が「権威ある者として」語られるイエスに驚きます(マルコ一・二七)。イエスの存在から発する霊的権威に驚いた人たちの印象が語り伝えられて伝承となっていたのでしょう。ヨハネ福音書では、ここに見るように、敵対する勢力もイエスの権威に圧倒されたとされ、ゲッセマネの園ではイエスを逮捕しにきた軍勢が、イエスの「エゴー・エイミ」という言葉の力に圧倒されて、「後ずさりして、地に倒れた」とされます(一八・六)。

 ファリサイ派の人たちは彼らに答えた、「お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の者で彼を信じた者は誰もないではないか。しかし、律法を知らないこの群衆は呪われている」。(四七〜四九節)

 律法の専門家としてのユダヤ教指導層は、イエスの教えを律法違反として否定していました。彼らの立場からすれば、もっとも重要な規定である安息日律法を破るような者はメシアではありえません。
 ファリサイ派の律法学者は、自分たちだけが律法(聖書)を正しく解釈して教えることができるとして、律法の知識を独占していました。そして、自分たちの教えに反したり、またはそれに依らずに民衆が勝手に聖書を解釈することを禁じ、そうする者を「呪われる」という用語で断罪しました。ここでは、群衆の中にイエスをメシアと信じる者があることを、律法の無知からくる呪われた行為と断罪しています。

 彼らの中の一人で、以前イエスのもとに来たことがあるニコデモが彼らに言った、「われわれの律法は、まず本人から聴取して、何をしたのかを確かめた上でなければ、人を裁かないのではないか」。(五〇〜五一節)

 以前、夜ひそかにイエスのもとに来て、イエスと問答したニコデモは、最高法院の議員で、ファリサイ派に属しています(三・一)。このニコデモが、イエスを異端裁判にかけようとする同僚たちに異議を申し立てます。その異議は、裁判の手続き上の問題です。聖書にも訴訟に関する規定がありますが(たとえば申命記一・一六〜一七、一七・四など)、律法学者たちはそれを具体的に細かく規定して訴訟法の体系を作り上げていました。ニコデモが「われわれの律法は」と言ったのは、そのような訴訟法を指しているのでしょう。
 異端裁判(背教訴訟)の場合はエルサレムの最高法院七一人の総会で審理され、少なくとも二人の証人の証言が厳密に一致することが求められていました。当然最高法院での本人からの聴取が含まれます。

異端裁判については、シュタウファー『エルサレムとローマ』(荒井献訳)第一〇章「ユダヤの異端律法」を参照。

 彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤの出身なのか。よく調べ、ガリラヤから預言者は出ないことを理解しなさい」。(五二節)

 王国時代にはガト・ヘフェル(ガリラヤの地名)出身の預言者アミタイの子ヨナがいました(列王記下一四・二五)。しかし、捕囚後は「異邦人の地」となったガリラヤから預言者が出るとは、当時のエルサレムのユダヤ教指導層には考えられませんでした。彼らはニコデモに、「よく調べて、理解しなさい」と言っていますが、聖書にはこのことを明言する箇所はありません。ファリサイ派律法学者たちはニコデモに、ファリサイ派の聖書解釈の伝統をよく調べるように要求しているのでしょう。彼らは、自分たちの聖書解釈の立場によって、ガリラヤ出身者は預言者でありえないとする先入観でイエスを判断しています。ここには当時のエルサレムとガリラヤの対比がよく出ています。エルサレムはユダヤ教の聖地であり中心地であるのに対して、ガリラヤはもともと「異邦人の地」であり、最近ユダヤ教化されたばかりの辺境の地であったのです。イエスはこのガリラヤから出た預言者以上の方なのです。