市川喜一著作集 > 第17巻 ルカ福音書講解T > 第23講

27 安息日に麦の穂を摘む(6章1〜5節)

ユダヤ教における安息日

 レビの家での宴会の記事に続いて、ルカはマルコに従い、二つの安息日に関する論争を置いています。マルコは第一章でガリラヤでのイエスの宣教活動の開始を語った後、すぐに第二章でイエスの活動がユダヤ教律法学者と衝突して引き起こした激しい論争をまとめていました。先に見たように、ルカは段落の位置を変えることによって、その区分を弟子団の形成を主題とするまとまりにしていますが、その内容がユダヤ教律法学者との激しい論争であることには変わりはありません。とくに安息日に関する衝突は、それがイエスを死に追い込む直接の原因となる重大なものですから、その内容をやや詳しく見ておきましょう。
 「安息日を覚えて、これを聖とせよ」という規定は、ユダヤ教の律法の中で最も根本的な律法である「モーセの十戒」の中の一つです。その内容は「六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるからなんのわざもしてはならない」というものです(出エジプト記二〇・八〜一〇)。この律法は「殺してはならない」という律法と同じ重さの律法であって、これを犯す者は死をもって罰せられると律法に明記されています(出エジプト記三一・一二〜一七)。
 実際に死刑が行われたのかどうかは問題にされています。しかし、このような明文規定があるという事実は、イスラエルの民が安息日規定の順守をいかに真剣に受け止めていたかを示しています。最近の研究では、バビロン王がエルサレムの攻城を始めた「第十の月の十日目」(エゼキエル二四・一〜二)は安息日であったとされています。その他、アッシリヤの王やバビロンの王が、イスラエルが安息日には行動できない規定を利用して軍事攻撃をしかけたことが証明されています。マカベヤ戦争の前、イスラエルが安息日に異教の軍勢の攻撃を受けた時、信仰深い民は安息日を守るために武器をとって戦うことを拒み、全滅したこともありました(マカベヤT二・三二〜三八)。
 安息日の順守がこれほど真剣に考えられていたのは、安息日は主ヤハウェの日であって、代々にわたって「ヤハウェとイスラエルとの間の契約のしるし」とされていたからです(出エジプト記三一・一二〜一八)。安息日を守る者がヤハウェの民であり、安息日の規定を守らずこれを汚す者は、ヤハウェとの契約を破る者とされました。ラビ・ユダヤ教では、安息日はユダヤ人だけのために制定された制度であり、安息日順守とユダヤ人のアイデンティティーは同じと考えられていました。
 安息日制度の起源とかその発展の歴史について触れることはできませんが、捕囚後に律法(モーセ五書)が正典として成立して、安息日の律法も最終的な形で確立した後も、社会や生活の具体的な状況においてどのようにすれば「いかなる仕事もしてはならない」という安息日の律法を守ることになるのか、安息日を汚さないためにはどうすればよいのかが律法学者たちによって討論され研究されて、多くの細かい規定が生み出されていきました。このような規定の集積を、ユダヤ教では「ハラハー」(または「ハラカ」)と呼んでいます。イエスの時代のユダヤ教においては、「安息日にしてはならないこと」を定めた禁止「主要労働表」が三九項目もあって、日常生活の隅ずみにまで及び、その各項目にさらに細かい禁止規定が加えられる傾向が続いていました。

イエスと安息日

 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。ファリサイ派のある人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言った。(六・一〜二)

 イエスは一人のユダヤ教徒として、安息日ごとに会堂の礼拝に加わり、同胞のユダヤ人と一緒に聖書を朗読し、祈りを捧げておられました。ところが、この安息日の順守の仕方について、イエスと律法学者たちの間に激しい論争が起こるのです。この論争は各福音書に伝えられていますが、ルカもこの区分において、マルコに従い二つの安息日論争をおいています。そのうちの一つが、この段落の麦畑での論争です。
 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれたとき、弟子たちが麦の穂を摘み、手でもんで食べます(一節)。ユダヤ教律法では、他人の畑で鎌を使うことは禁じられていますが、麦の穂を手で摘んで食べることは許されています(申命記二三・二六)。これは、貧しい人たちに落ち穂を拾って持ち帰ることが許されているのと同じ人道的な配慮から出た規定です。ところが、これを見たファリサイ派のある人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言って咎めます(二節)。これは、弟子たちが麦の穂を手でもんだことが、安息日にはしてはならないとされている脱穀の仕事に相当するからです。律法学者たちが集積してきた解釈では、食べ物を調理する動作についても、してもよい動作と安息日にしてはならない労働として禁止される動作に分けられ、厳しく規定されていました。麦の穂を手でもむことは、この禁止規定に含まれていたわけです。
 ここで注目されるのは、イエスの行動や教えを監視するためにエルサレムからガリラヤまで来ている律法学者たち(五・一七)が、イエスが町を出て畑の中を通って歩いて行かれるときもついて来ている事実です。これは、先にも見たように、イエスがすでにエルサレムの神殿で過激な象徴行為をなさっていたので、イエスがどこに行かれるときも、イエスを訴える口実をつかむための厳しい監視が行われていたことを示しています。
 安息日に歩くことが許されている距離も二〇〇〇キュビト(約九〇〇メートル)と決まっています。律法学者たちがそのことを問題にしていないところをみると、この点の違反はなかったのでしょう。律法学者たちも同じ距離を歩いているのですから。ところが、麦の穂を手でもんだことが、律法学者たちの口伝伝承(ハラハー)では収穫作業になるとして問題とされます。イエスもそのハラハーの規定は十分知っておられたはずです。また、日が暮れて安息日が終わる夕方まで待っても飢え死ぬほどの状況でもなかったはずです。イエスは監視の律法学者がついて来ているのを知りながら、弟子たちが麦の穂を手でもむのを止められませんでした。イエスは意識的にユダヤ教のハラハーに挑戦しておられるように見られます。
 律法学者の「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」という詰問に対して、イエスはお答えになります。

 「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか」。(三〜四節)

 これはサムエル記(上二一・一〜六)に記されているダビデの行動です。イエスはこれを引用して、弟子たちの行動は律法違反ではないと、弟子たちを擁護されます。しかしこれは、正当防衛の理論のように、人は生存を脅かされるような緊急事態においては、律法違反も許されると主張しているのではありません。そうであれば、それは律法学者たちの「律法の支配」の枠の中の論争となります。病気の治療行為でも災害に対処する行為でも細かく禁止行為を定めたハラハーも、命にかかわる事態の場合にはそのような規定に違反する行為も認めていました。イエスがダビデの実例を引用されるのは、律法の本来の意義を示して、ユダヤ教の「律法の支配」を乗りこえるためです。

サムエル記の引用で、マルコ福音書は「大祭司アビアタルの時」としていますが、これは「祭司アヒメレク」の記憶違いによるものですから、ルカは(マタイも)時代を示す大祭司の名前を省略しています。イエスにしても、語録を伝承した共同体も、聖書本文を前に置いて論争しているのではなく、記憶から引用するので、このようなことも起こりえますが、それはこの聖書引用の意義を変えるものではありません。

共観福音書間の異同

 律法学者の「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」という詰問に対して、ダビデの行動を一つの実例として引用した上で、イエスは安息日とは本来何であるかを指し示す言葉を語られます。マルコ福音書では、こういう言葉で伝えられています。

 「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。このように、人の子は安息日にもまた主なのである」。(マルコ二・二七〜二八)

 この語録の前半、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」という言葉は、ダビデの行動を意義づけるのにぴったりの言葉です。神が安息日の制度を律法として定められたのは、人間を祝福するためであって、人間を安息日制度の道具としてお造りになったのではないのです。もしダビデが律法の規定に従って「祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパン」を取って食べず、供の者たちにも与えなかったら、ダビデと一行は飢えで滅んでいたことでしょう。そうなることは神の御旨ではありません。神が様々な律法の規定を民にお与えになったのは、人間を祝福するためであって、その規定に縛り付けて、人間をその規定の奉仕者とするためではありません。ダビデの場合は安息日のことではありませんが、総じて律法とはそういう性格のものだから、安息日律法についても、「人の子(人間)が安息日(制度)の主人(目的)である」と言えることになります。マルコ福音書の言葉は、ほぼこのように理解できます。
 ところが、律法の立場からすれば、このダビデの行為を論拠とする議論には弱点があります。ここで律法学者が弟子たちの行動を非難したのは、空腹に迫られて他人の畑の麦の穂をつんで食べたという行為ではなく(それは律法で許されている行為です)、穂をしごくという安息日には許されていない労働をした点にあるからです。それに、ダビデの行為は安息日のことではありません。ダビデの行為を論拠とする議論は、批判に答えていないという再批判が出ることになります。
 自ら律法学者としての素養のあるマタイは、この議論の弱点を理解していたのでしょう。マルコの議論を補って再構築しています(マタイ一二・三〜八)。マタイは、マルコと同じくサムエル記からダビデの行動を引用した上で(そのさい「大祭司アビアタル」という不正確な句を削除しています)、「安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか」という言葉を入れて、ダビデの行動を安息日に関連づけています。神殿で仕える祭司は、通常であれば安息日には許されない労働行為をすることが認められています(民数記二八・九〜一〇など参照)。そうした上で、「言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある」と言って、「神殿よりも偉大なもの」(中性名詞で、イエスと共に到来している神の支配の事態)に仕える弟子たちは、神殿で仕える祭司以上に、安息日規定に拘束されていないとします。
 マタイはさらに預言者からの論拠を加えます(律法と預言者の両方を論拠とするのはラビの議論の通例です)。マタイがここに引用するホセア(六・六)の預言、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」は、すでに徴税人たちと食事を共にされるイエスに対してなされた批判に応えるときに引用されていました。マタイは、この預言者の言葉の意味を理解しておれば、安息日の細則を守るために人間に犠牲を要求し、本来「罪のない人たちをとがめる」過ちを犯さなかったであろうと、律法学者たちの律法主義を非難します。
 このように律法解釈の立場からする議論を進めたマタイは、マルコにある「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という、律法規定をまったく問題としないイエスの革命的な精神を現す語録を入れることにためらいを感じたのか、この語録を削って、「人の子は安息日の主である」だけを結論として置きます。
 ところが、律法問題とは遠いところにいるルカも、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という重要な言葉を入れず、マタイと同じく、「人の子は安息日の主である」だけを結論としています。ルカは、マルコにあるこの言葉を見ていながら削除したのでしょうか。マタイの場合は削除した可能性も考えられますが、ルカの場合は削除の可能性は低いと考えられます。このようなルカの人間重視の傾向にぴったりの重要な語録を、ルカが意図的に削除したとは考えられません。
 だいたいイエスの語録は、付け加える傾向はあっても、資料にある語録を意図的に削除することは考えにくいことです。それで、マタイとルカが依拠したマルコ福音書は、現形のマルコ福音書ではなく、それ以前の形(原マルコ福音書)であり、そこには「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という言葉はなかったのではないか、という推定がなされることになります。もしそうであれば、現形のマルコ福音書は、マタイやルカが用いたものに後からこの言葉が加えられたことになります。

この考察は、共観福音書の成立に関して「二資料説」(マタイとルカはマルコと語録資料Qの二つを基本的資料として成立したとする見方)を単純に受け取ることができないことを示唆しています。本稿の「序章・ルカ二部作の成立」で述べたように、本稿は基本的に「二資料説」に基づいていますが、この説も単純な形では成立せず、様々な制限と異なるヴァージョンを考慮に入れなければならないことが分かります。共観福音書の成立史については議論と文献は山ほどありますが、この「二資料説」の問題点に関して詳しくは、次の研究を参照してください。
E.P.Sanders & Margaret Davies, Studying the Synoptic Gospels, SCM Press, 1989 (とくに73頁以下)

 マルコの場合、「このように」という語で続く「人の子は安息日にもまた主なのである」という語録の「人の子」は、自然に先行する語録の「人」と同じ意味で理解され(アラム語では「人の子」は人と同じです)、人間こそ安息日制度の主人であり目的であるという意味に理解できます。それに対して、「人の子」を黙示思想的なメシア称号として用いるQ運動(「語録資料Q」を生み出したユダヤ人の信仰運動)の流れに属するマタイは、この語録を、黙示文書がいう終末的な「人の子」であるイエスこそ安息日律法を支配する主人であるという意味にしています。
 おそらくイエスご自身はアラム語で人という意味で用いられた「人の子」という表現が、最初期の共同体でギリシア語で伝承され、それがユダヤ教会堂との対論で黙示思想が待望する終末的な「人の子」という意味で用いられるようになった消息については、先に足の麻痺した人のいやしの記事の講解で見た通りです。
 ルカはQ運動に属しているわけではありませんが、パレスチナで成立した「語録資料Q」を主要資料として用いていますので、この「語録資料Q」での「人の子」の意味と用例で用いられることになり、マタイと同じく、イエスが終末的審判者・救済者としてユダヤ教律法を超える方であるという主張になっています。
 もともとイエスの働きはすべて神の霊によるものですから、イエスが安息日律法を破るような振舞いをされるのも神の霊に駆られてされることです。御霊の働きは人間の律法解釈の集積である安息日規定に拘束されないのです。マタイやルカの場合、「人の子は安息日の主である」という言葉は、このような御霊の人であるイエスの立場を宣言する意味なのでしょう。「わたしは安息日の主である」という御霊の人イエスの宣言(アラム語で「人の子」は「わたし」を指す用例もあります)が、「人の子」というギリシア語で伝承され、ユダヤ教との論争で用いられたため、ユダヤ教黙示思想の「人の子」と重なって、問題が複雑になっているという面があります。

安息日の本質

 では、安息日とはそもそもどういう制度、何のための制度なのでしょうか。旧約聖書に遡って見ることにしましょう。
 七日目に仕事を休むという習慣ないし制度はモーセ律法よりも古いものであって、おそらく悪霊が跳梁する日である七日目には農作業を休んで、収穫に悪影響が及ぶことを避けた古代の農耕社会の制度であったと言われています。それがイスラエルにおいては、ヤハウェとイスラエルとの契約関係の基礎となる制度として、モーセ律法に取り入れられることになります。ヤハウェとイスラエルとの契約関係の根本規定である「十戒」にも歴史的進展が見られますが、その中で重要な申命記典のものと祭司典のものとを較べてみましょう。
 申命記典の「十戒」(申命記五・一〜二二)では安息日はこのように規定されています。

 「あなたがたはかってエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神ヤハウェが強い手と伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神ヤハウェは安息日を守ることを命じられるのである」。(一五節)

 前後の文脈からすれば、これは奴隷たちにも休息を与えるように、イスラエル自身がエジプトで奴隷であったことを思い起こさせるためのものですが、そのことは同時に、イスラエルが奴隷の境遇から救い出されたのはただヤハウェの働きによるのであって、人間の側の働きは何もなかったという事実を思い起させます。「それゆえ」、安息日を守るのは自分たちが贖われてヤハウェの民として存在しているのは、ただヤハウェの働きによるのであって自分の働きは何もないことを確認し、ヤハウェだけを誉め称えるためです。すなわち、安息日はヤハウェの一方的な贖いのみ業を祝う祝祭の日であると言えます。
 ところで、モーセ律法の最終段階をなす祭司典の「十戒」(出エジプト記二〇・一〜一七)では、

 「ヤハウェは六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それでヤハウェは安息日を祝福して聖とされた」。

と意義づけられています。すなわち、安息日は創造の完成を祝う祝祭です。ここでも人間は自分の手の業をいっさい休んで、ただ神の創造の業によって自分と世界が存在することを喜び感謝し、同時にやがて終末の時には神の創造の業が完成して、栄光の中に顕れることを誉め称えるための制度です。
 このように、安息日は本来まことに喜ばしい神と人との祝祭の日です。創造と贖いと完成を祝う喜びの日です。神はそのように、人間が神の前に自分の存在を喜び祝う日として安息日を定められた。まさに「安息日は人のためにある」のです。それがいつの間にか変質し、イエスの時代のユダヤ教においては、「これはしてはならない。あれはしてはならない」という規則に人間が縛られる日になってしまっていました。人間は安息日の規定を満たすための素材とか道具のように扱われるようになっていました。どうしてこのような倒錯が起こったのでしょうか。
 それはイスラエル(神の民)が神との契約関係に正しく留まっていなかったからです。ヤハウェはアブラハムの子孫をエジプトの奴隷の家から救い出して御自分の民とされました。彼らが神の民となったのは、彼らにそうなるだけの価値があったからではなく、ただヤハウェが彼らを選ばれたからであり、ただヤハウェの働きによって解放されたからです。すなわち、神との関わりはひたすら神の恩恵に基づいているのです。契約の条項である「十戒」もこの無条件の恩恵の中で与えられています。それは、「あなたがたはわたしの恵みによって選ばれ、救われてわたしに属する民となったのであるから、このようなことはしない」という恩恵の言葉です。ところが、イスラエルはその「十戒」とそれに基づくすべての律法を、それを自分が行うことによって神との関係を造り出す手掛りに変えてしまったのです。それはすべてのことにおいて、神との関係においても自分が主人になろうとする人間本性から起こった悲劇です。安息日の規定も例外ではありません。本来神の恩恵によって人間の喜びのために賜った祝祭の日を、「仕事をしない」という定めを守ることによって神との関係を確立する努力の日にしてしまい、それを破る者への処罰を恐れて「これはしてはならない。あれもしてはならない」という細かい規定に縛られるようになったのです。
 このような状況において、イエスの「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」という言葉はまことに革命的です。イエスは当時のユダヤ教が求めているような律法順守はもはや必要ではない、と言っておられるのです。イエスの中では、すでに安息日が成就しているのです。律法を行うのとは全く別に、賜った聖霊により神との交わりが実現し、イエスの中では創造・贖い・完成の祝祭がすでに祝われているのです。聖霊によりイエスの中に到来している「神の支配」の現実は、律法の細則順守を要求するユダヤ教に対する挑戦とならざるをえません。

 「このように、人の子は安息日にもまた主なのである」。(六・五)

 人間が安息日のために造られたのではありません。人間のために安息日の制度が定められたのです。そうであるならば、終わりの日に人間が本来の姿に回復される時、人間はもはや安息日律法に縛られた奴隷ではなく、安息日の定めを自分の内に成就している者となり、その主人となります。イエスは、このように終わりの日に出現する新しい人間を先取りし代表する者として、ご自身を「人の子」と呼ばれるのです。共同体はイエスを「人の子」として、安息日の主と宣言するのです。「人の子」イエスは、聖霊による神との交わりの中で、すでに「安息日の主」になっておられます。しかしこれはイエスだけのことではありません。やがてイエス・キリストにあって贖われ、同じ聖霊の現実に生きるようになる新しい人間すべてに成就することです。今や人間は、キリストにあって、創造と贖いと完成の喜びの祝祭である安息日を毎日祝うことができます。それをどのように表現するかは人間の自由です。もはやユダヤ教の規定には縛られていません。人間は安息日の主人です。
 キリスト教会はユダヤ教の安息日(土曜日)を廃して、イエスが復活された週の第一日(日曜日)を「聖日」として祝うようになりました。ユダヤ教では安息日の定めを守ることが神の民のしるしとされていたのですから、この事実は最初期の共同体がユダヤ教とはっきりと訣別したことを示しています。イエスが安息日の律法に対して語られた言葉が事実となって実現しました。現代の教会は、このことの意義をしっかりと保持していなければなりません。もし教会が「これをしてはならない。このような教会活動をしなければならない」というような形で「聖日を守る」ことを要求するならば、それは人間を再び律法の奴隷にすることになります。