市川喜一著作集 > 第18巻 ルカ福音書講解U > 第30講

88 エルサレムのために嘆く(13章31〜35節)

 ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。(一三・三一)

 ここで「イエスはエルサレムへ向かって進んでおられた」という二二節の記事を思い起こすことになります。ガリラヤからエルサレムに行くのに二つのルートがあります。一つは(ヨルダン川を東に渡ることなく)真っ直ぐ南下してサマリアを通るルートです。もう一つは、一度ヨルダン川を東に渡り、ヨルダン川東岸地域を南下し、死海に近いところで再びヨルダン川を西に渡り、エリコを通ってエルサレムに至るルートです。ユダヤ教徒とサマリア教徒は仲が悪かったので、エルサレム神殿に巡礼するユダヤ教徒は、サマリアを避けてヨルダン川東岸ルートをとることが多かったようです。イエスはエルサレムからガリラヤに戻るときにサマリアを通られたこともありましたが(ヨハネ四・四)、最後のエルサレム行きのときはヨルダン川東岸のルートを通られます。そのことは「旅行記」の最初に示唆されていましたが(九・五一〜五五)、(ここと)イエスがエリコを通られたことを語る記事(一九・一)からも確認できます。
 イエスの時代、ヨルダン川東岸のペレアは、ガリラヤと共に、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスが領主として支配していました。このヘロデは、先に洗礼者ヨハネを殺しています(九・九)。ローマの権力者から支配権を認められて領主となっているヘロデは、自分の領土内での不穏な動きには神経質でした。とくにイエスの時代に頻発していたメシア運動には、神経をとがらせていました。彼が洗礼者ヨハネを逮捕投獄し、ついには処刑したのも、洗礼者ヨハネの運動が大きなメシア運動となり(事実多くのユダヤ教徒がヨハネをメシアと仰ぐようになりました)、ローマに対する反乱となることを恐れたからであると考えられます。同じ理由でヘロデがイエスを殺そうとしたことは十分ありうることです。イエスの噂を聞いてヘロデは思い悩んでいます(九・七〜九)。領地のガリラヤでは民衆の支持が強く、下手に手を出すことはできませんでしたが、今イエスは僅かの弟子たちだけを引き連れて、旅人として自分のもう一つの領地ペレアにいます。この機会をとらえてイエスを殺そうとします。
 ファリサイ派の人々がイエスに対するヘロデの殺意を伝えたのは、イエスに対する好意から危険を警告したのか、他の動機(ヘロデと組んでイエスを脅迫し追い出そうとしたなど)からであるのかは分かりません。ファリサイ派だからといって皆がイエスに敵対していたとは限りません(ファリサイ派に対する激しい批判は福音書が書かれた時代のユダヤ教教団に対するものです)。イエスはファリサイ派の人たちとも招かれて食事をしたり、律法について議論をするなどしておられます。イエスに対して敬意を持っていたファリサイ派の人も「何人か」はいたはずです。

 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい」。(一三・三二)

 ヘロデの殺意を伝えた人たちは、ヘロデの宮廷と何らかの接触があり、ヘロデの言動を知る機会がある人たちでしょう。その人たちに、イエスはご自分の言葉をヘロデに伝えるようにと言われます。そのさい、イエスはヘロデを「あの狐」と呼んでおられます。権力者に取り入るためには変幻自在に自分を偽ることができる狡猾な領主を、イエスは「狐」と呼んで、彼の殺意が正しい動機からのものではなく、偽りからのものであることを示し、その上で権力者の偽りと対照して、神の真理に従って歩むご自身の使命を彼に伝えるように言われます。
 ヘロデへのイエスの伝言は、「わたしは、今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」というものです。イエスは、自分の命を狙う権力者に対しても、ご自分がこれからしようとすることを明確にお伝えになります。ヘロデが死をもって脅そうとも、イエスは今日も明日も、神からの力によって悪霊を追い出し、病気をいやすという、神から委ねられた働きを進め、「三日目に」、すなわち一日目の今日と二日目の明日の次の日に、「わたしは全うされる」時まで「自分の道」をひたすら進まれます。
 最後の文は「わたし」を主語として、「完全にする、成し遂げる」という意味の動詞の受動態が用いられています。この「わたしは全うされる」という表現でイエスが何を意味しておられるのかは、次節の言葉が指し示しています。

 「だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」。(一三・三三)

 この文は、「だが、しかし」という語で始まります。イエスは死を覚悟してエルサレムに向かう旅を進めておられます(九・二二、五一)。エルサレム到着が死を意味するとしても、「それにもかかわらず」その受難の地への道を、今日も明日も、その次の日も進まなければなければならない、それが「自分の道」、すなわち神から自分に与えられた使命だからと言われます。イエスがエルサレムへの旅の途中で繰り返しエルサレムでの受難を予告されたことが福音書で報告されていますが、ここもその受難予告の中の一つとなります。この予告にも、神の定めの必然を指す《デイ》(ねばならない)が用いられていることが注目されます(九・二二にも)。
 「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえない」という伝承とか文言は、旧約聖書にはとくに見当たりません。これは事の性質上そうならざるをえない必然を、イエスが語り出されたものと見られます。すなわち、エルサレムには神殿があり、神とイスラエルの関わりはすべてこの場所で起こります。神が預言者を遣わしてイスラエルに語りかけられる活動も、ここを舞台として行われ、その預言者が受け入れられてイスラエルを励ますのも、拒否されて打ち殺されるのもこの都市での出来事となります。イエスはすでにイスラエルが自分を拒んでいることを知っておられます。ヘロデの殺意もその表現の一つです。それゆえに、神からイスラエルに遣わされた者として、自分がエルサレムで死ぬ必然を覚悟しておられ、それがこのような言葉になったと見られます。
 イエスにとってエルサレムで死ぬことが、「わたしは全うされる」ことになります。神からイエスに与えられた使命が死によって全うされ、神の意志と計画が成就します。イエスはエルサレムにおけるご自身の死を、そのような神の御旨の必然として受け止めておられます。しかし同時に、神の御旨を全うして死ぬイエスを、神は死の中に放置されることなく、死の中から起こしてくださる、すなわち復活させてくださることも、神の御旨の必然として確信し、予告しておられます(九・二二)。ただ、ここでは死によって全うされるという面が前面に出ています。
 エルサレムにおけるご自分の死を神の必然として語られたイエスは、神から遣わされたイエスを殺すエルサレムの滅びの必然を思って、エルサレムのために嘆かれます。

 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった」。(一三・三四)

 「預言者たち」と「自分(エルサレム)に遣わされた人々」は、ここでは同じ人たちを指しています。神からイスラエルに遣わされて神の言葉を伝えた人々です。彼らはエルサレムに遣わされ、エルサレムで語り、エルサレムに悔い改めを迫りました。ところが、エルサレムは彼らを拒否して、「預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者」となりました。このように神を拒否したエルサレムは、神から拒否されて滅びざるをえません。イエスは心に深くエルサレムの滅びを嘆かれますが、その思いに重なって神の霊が神の思いを語り出します。
 「わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」の「わたし」は、繰り返し預言者を遣わしてエルサレムに語りかけられた神を指しています。イエスのエルサレムに対する嘆きの言葉は、エルサレムに対して滅びを定めざるをえない神の嘆きとなり、イエスの嘆きと融合します。ここでイエスは預言者として、主なる神がイスラエルに語られる言葉を語り出しておられます。
 イエスはこの旅の終わりに、オリーブ山からエルサレムの都を見て泣かれます(一九・四一〜四四)。このイエスの涙は、滅びに定められたエルサレムに対するイエスの悲嘆の涙であり、それは御自身の民のかたくなさと破滅を嘆く神の悲嘆と重なって、このエルサレムへ向かう旅の途中ずっとイエスの心を満たしていたことを示しています。
 神が民を御自身の庇護の下に置こうとされたことは、ここで「めん鳥が雛を羽の下に集めるように」と表現されています。この鳥の翼のイメージはすでに申命記(三二・一一)に現れ、預言者によって用いられていますが(イザヤ三一・五)、詩編でも神の庇護を賛美したり祈り求めるさいに繰り返し用いられています(詩編一七・八、五七・二など多数)。この翼のイメージを用いて、神が民を護るために何度も預言者を遣わして御自身の恵みの懐に集めようとされたことが語られます。「お前の子ら」というのはエルサレムの市民を指しますが、ここではイスラエルの民を代表する呼び名です。しかし、その呼びかけを受けた民は、呼びかけに応じようとはしませんでした。呼びかけをもたらした預言者たちを殺し、呼びかけを拒否しました。
 イエスは今、最後に遣わされる自分を殺そうとしているエルサレムの滅びが避けられないことを思い、その滅びを予告されます。

 「見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない」。(一三・三五)

 イエスは後に神殿の崩壊とエルサレムの滅亡を詳しく預言されますが(二一章)、その預言はすでにエルサレムに向かう旅の途上で始まっています。ここの「お前たちの家」は、神殿に限定されず、エルサレム全体を指しています。イスラエルの民が自分たちの家とし、そこに神が住み、そこで神の啓示が与えられるとしている都エルサレムが、神から見捨てられて、異教徒が蹂躙するにまかされるという預言です。これは、ユダヤ教徒には天地が崩れるというのと同じくらい衝撃的な預言です。
 その預言の直後に(原文では)「お前たちは決してわたしを見ることがない」という言葉が続いています。エルサレムが滅亡した後、イスラエルはイエスを見ることはないという預言です。ここでは、イスラエルがイエスを自分たちの中から除く出来事(十字架)とエルサレムの滅亡が重なって見られています(実際の出来事としては四十年ほどの間隔があります)。しかし同時に、イスラエルが再びイエスを見る時が来ることも預言されます。イスラエルは、しばらくの間イエスを見ることはないが、やがて再びイエスを見て、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と、歓呼してイエスを迎えるときが来ると預言されます。それは「キリストの来臨」《パルーシア》の時です。その時には、イスラエルは全地の諸国民と共に、栄光の中に到来されるイエスに向かってこう叫ぶことになると預言されます。この叫びは、イエスがエルサレムに入られるとき、一部のユダヤ人によって声高らかに唱えられましたが(一九・三七〜三八)、それはイエスが栄光をもって来臨されるときの予表となりました。
 こうして、この段落では、ヘロデの殺意を機縁として、エルサレムの滅亡を預言する預言者としてのイエスの姿を見ることになります。イエスは預言者以上の方です。しかし、預言者として時代に語りかけるという働きもなしておられます。バビロンによってエルサレムが破壊されるとき、その前に多くの預言者を遣わして警告し、悔い改めを呼びかけられた神が、さらに決定的なエルサレムの破滅を前にして、預言者を一人も遣わされないことがあるでしょうか。実に、神は洗礼者ヨハネとナザレのイエスという大預言者を遣わされたのです。