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105 子供を祝福する (18章15〜17節)

 ルカは第二部の「旅行記」ではマルコから離れて、マルコにはない「語録資料Q」や彼の特殊資料Lを用いて、ルカ独自の物語を構成してきました。ここでルカはマルコに戻り、マルコ福音書の記述に沿って物語を進めていきます。エルサレムに入る直前のエリコでの徴税人ザアカイの話と「ムナ」のたとえでは、一時またマルコから離れていますが、その後ではマルコに忠実に従い、第三部の「エルサレムでの受難」の物語に入っていきます。

 イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。(一八・一五)

 この「子供を祝福する」の段落は、マルコ(一〇・一三〜一六)とマタイ(一九・一三〜一五)に並行記事があります。マタイとルカは基本的にはマルコに従っていますが、それぞれ少しずつ変えています。マタイはマルコの「触れていただくために」を、「手を置いて祈っていただくために」と詳しくしています。ルカはマルコをそのまま用いています。当時の人は、霊的な働きをする方に触れる、あるいは触れていただくことによって、霊的な祝福が伝わると信じていましたから、神の霊によって大きな働きをしておられるイエスのことを聞いた多くの母親が、イエスから神の祝福をいただくために、幼い子供たちを連れてきて触れていただこうとします。
 マルコは通常の「子供」を意味する語《パイス》の縮小形《パイディオン》を用いて、母親が「幼い子供」を連れてきたとしています。マタイはそのままその語を用いていますが、ルカはここで「胎児、生まれたばかりの乳児」を指す《ブレフォス》にしています。しかもその前に「もまた、さえも」という意味を示す語を置いて、「乳飲み子までも」連れてきたとしています。
 これは、弟子たちが「これを見て叱った」理由を強調するためではないかと考えられます。マルコは、「幼い子供たち」を連れてきたのを見て弟子たちが叱ったとしていますが、それは、イエスが大きな事業を成し遂げようとしておられるエルサレムがいよいよ近くになっているこの時期に、まだ律法のことも分からず一人前のユダヤ教徒ではない子供たちを連れてきて、先生や自分たちを煩わすことを叱ったと考えられますが、ルカは「乳飲み子までも」とすることで、その意味を強調したのではないかと考えられます。

 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」。(一八・一六)

 人々が連れてきたのは乳飲み子だけでなく、乳飲み子を含む「幼い子供たち」であったことは、このイエスの言葉からも分かります。イエスは「彼ら」(原文は代名詞)を呼び寄せて、「その幼い子供たちをわたしのところに来させなさい」と言っておられます。したがって、イエスが呼び寄せられた「彼ら」は、(新共同訳のように)乳飲み子だけでなく、「乳飲み子までも」含む幼い子供たちであったことになります。
 弟子たちが子供を連れてきた人たちを叱ったのを見られたイエスは、「憤って彼ら(弟子たち)に言われた」とマルコ(一〇・一四)は書いていますが、ルカはこれを「彼ら(幼子たち)を呼び寄せて言われた」としています。ルカがマルコの記事を変えたのか、ルカはマルコと別の系統の伝承を用いているのかは確認できませんが、ルカがマルコを知っている以上、ルカは(マルコがしているように)イエスが「憤った」ことは伝える必要はないとしたことになります。しかし、この時のイエスの憤りは、幼子がイエスのもとに来るのを拒否した弟子たちの行動を、神の国の本質に背く行動として、イエスがいかに重大視しておられるかを示す姿として重要です。
 イエスが「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と言われた理由が、理由を示す小辞《ガル》で導かれる「神の国はこのような者たちのものであるからだ」という文で明言されています。イエスは「彼らのものである」とは言われず、「このような者たちのものである」と言っておられます。すなわち、子供が子供であるがゆえにただちに「神の国」に所属するのではなく、大人が(イエスはここで大人たちに向かって語っておられます)この子供や乳飲み子のような姿にならなければ「神の国」に入ることはできない、と言っておられるのです。そのことは次節で明言されます。

 「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。(一八・一七)

 イエスは改まった口調で、「アーメン、わたしはあなたたちに言う」と語り出されます。これは、先にも述べたように、モーセを超える権威をもって、モーセ律法の原理を超えることを語り出されるイエスの語り方です。モーセ律法の原理では神の支配にあずかるのは律法を順守する者ですから、幼子はまだ律法を知らず、自ら守ることもできないので、ユダヤ教では子供は神の支配とは関わりのない者とされていました。厳格な律法順守で有名なクムラン宗団は「愚か者、馬鹿者、年少の子供は共同体に入ってはならない」としていました(4QDb)。そのようなユダヤ教の原理に対して、イエスは「子供のように」神の国を受け入れるのでなければ、決して「神の国」に入ることはできない、と断言されます。
 この場合、「子供のように」というのは、どのような姿を指しているのでしょうか。現代のわたしたちの間では、幼子は純真、疑いを知らない純粋無垢の象徴のように扱われることが多いようですが、ユダヤ教社会では、先に見たように、違っていたようです。すべてを律法の観点から見るユダヤ教社会では、子供はまだ律法を知らず、本能的、利己的で、悪しき衝動を抑制して自己を鍛えていない未成熟者と扱われていました。しかし、ここでイエスは子供を律法の観点からではなく、すなわち何をすることができるかという観点からではなく、「神の国」との関わりの観点から見ておられます。イエスにおいて「神の国」は「恩恵の支配」のことですから、神が恩恵として差し出しておられるものを受け取るかどうかという観点から見られることになります。それは、ここで「受け入れる、受け取る」という動詞が用いられていることからも分かります。
 乳飲み子を含む幼子は、自分で生存することはできません。親が与えてくれるものを受け取ることだけで生存しています。そのように、自分の能力で存在するのでなく、自分からは何もできない者として、親が与えてくれるものに全面的に依存して存在している姿を、イエスはここで「幼子のように」と言っておられるのです。ルカが「乳飲み子までも」と書いたのは、子供のこの姿を強調することにもなっています。
 このような幼子の立場で神が差し出してくださっている無条件の恩恵を無条件に受け取り、その恩恵だけに委ねて生きる者だけが、神の支配の現実に入っていくことができるのです。先の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえの徴税人は、自分が無資格であることの自覚を指し示していました。無資格の自覚は恩恵を恩恵とする信仰の表れです。この幼子の言葉では、無条件の受け取りが前面に出ています。この無条件の受け取りが信仰です。パウロは「信仰によって義とされる」と言いました。信仰は恩恵を前提としています。わたしたちは「恩恵により信仰によって救われている」のです(エフェソ二・一〇)。ルカがこのイエスの語録を伝えるとき、パウロの福音活動圏で働いていたルカには、パウロのこの旗印が響いていたことでしょう。