市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第7講

116 復活についての問答(20章27〜40節)

ユダヤ教における「死者の復活」

 さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。(二〇・二七)

 神殿で毎日民衆に教えを説いておられるイエスに、神殿の支配層はなんとかして民衆の前でイエスを追い詰めようとして論争をしかけてきます。先にはファリサイ派とヘロデ派(エッセネ派?)の論客が論争を挑みましたが、イエスの見事な答えに圧倒されて退散しました。今度はサドカイ派の者がイエスに論争をしかけます。
 サドカイ派が登場するのは、ルカ福音書ではここだけです(マルコ福音書も同じ)。ルカは(マルコに従い)、ユダヤ教各派の主張に不案内な異邦人読者のために、サドカイ派の主張を解説して、この問答の意義を明らかにしようとします。サドカイ派は大祭司をはじめ祭司貴族階級とその周辺の人々が多く、神殿の支配的勢力を占めていました。神学的には保守派で、モーセ五書に書かれていることだけを神からの啓示として、それ以後の展開を認めませんでした。ファリサイ派が時代の状況に即してモーセ律法の解釈を述べた律法学者たちの口伝の集積を「口伝律法」として、モーセ五書の成文律法と同等の権威を認めたのに反対し、あくまで書かれたモーセ律法だけに固執しました。それで、ファリサイ派がヘレニズム期の時代の流れの中で、霊魂の不滅や終わりの日の復活と審判の思想を形成したのに対して、サドカイ派はそれに反対し、それがモーセ五書の律法に書かれていないことを理由に、ファリサイ派が主張する天使の存在や死後の霊魂の存在、最後の日の死者の復活などはないと主張していました。後にパウロは最高法院での裁判のときにこの両派の対立をついています(使徒二三・六〜九)。
 ここで「復活《アナスタシス》がある」という信仰は、神は終わりの日に御自身に属する民を死者の中から復活させるという信仰を指しています。この信仰はイスラエルの歴史においてごく後期になって成立したものです。旧約聖書では、ごく後期に属する黙示録的な部分の僅かな箇所に暗示的な文言が例外的に出てくるだけで(イザヤ二六・一九、ダニエル一二・一〜三など)、全体としては死者の復活を語ることはありません。しかしダニエル書以降新約時代直前に多く書かれた黙示文書になると、死者の復活の信仰が前面に出てくるようになります。ファリサイ派の律法学者は、時代が生み出す新しい信仰を律法の新しい解釈として受容し、その解釈をモーセ律法の本文と同じ権威のある伝承として蓄積したので、死者の復活の信仰も受け入れ、彼らの信条としていました。エッセネ派も黙示思想的傾向が強く、死者の復活を信じていました。それに対してサドカイ派は保守的で、モーセ五書の本文に書かれていること以外は認めようとしなかったので、この新しい信仰を拒否しました。
 共観福音書で見るかぎり、イエスは「死者の復活」を積極的に宣べ伝えられたことはありません。イエスは、弟子たちに秘かにご自分の受難と復活について語られた場合以外、復活という言葉を口にされたこともありません。しかし、当時すでにユダヤ教の正統信条として広く民衆に受け入れられていた「死者の復活」の信仰を当然の前提として神の国を語られたことがルカ一四・一四などからもうかがえます。サドカイ派の者たちは、復活の信仰に関する限りイエスはファリサイ派の立場に立つ者として、その信仰が律法に矛盾することを取り上げて論争を挑み、言葉じりをとらえようとします。以下の質問は、「復活がある」ことを否定するサドカイ派の人々が、「復活がある」と主張するファリサイ派と論争するときに、ファリサイ派の復活信仰の矛盾をつくため好んで用いた論法でした。

復活論争

 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と」。(二〇・二八)

 この律法規定は申命記二五章五〜一〇節の規定を要約したものです。これは古代の部族社会で行われていたレビレート婚の習慣をイスラエルの民の法として取り入れたものです。古代の部族社会では男子による家名の継承が重要でしたから、ある家長が跡取りの男子を残さず死んだ場合は、その妻は他家に嫁ぐことは許されず、亡夫の弟と結婚して、生まれた長子を亡夫の家の跡取りとして、彼の家を続かせなければならないと規定されていました。弟がその義務を果たさないことは恥ずべきこととされていました。もっともこの義務は同居している弟に限られていたようです。このような結婚を「レビレート婚」と言いますが、族長時代のイスラエルにもこのような習慣があったことが、創世記三八章(とくに八節参照)に伝えられています。死者の復活を否定するサドカイ派は、復活を認めるとこのモーセ律法が成り立たたなくなることを理由にあげ、復活を認めるファリサイ派を批判していました。彼らはその議論をイエスに向けます。

 「ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです」。(二〇・二九〜三三)

 復活を認めると、このような場合その女は七人の男の妻とならなければならないが、そのようなことは律法では許されていない。そうすると、復活を認めることによってモーセ律法は矛盾に陥ることになるから、復活を認めることはできないという論理です。「復活の時、その女はだれの妻になるのか」という問いは、ファリサイ派の復活信仰の矛盾をつく難問でした。ファリサイ派の律法学者はこの問いに「その女は最初の男が夫となる」と答えていたようですが、問う者と同じモーセ律法の絶対性の立場に立つ限り、どう答えても自己矛盾は避けられません。

 イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」。(二〇・三四〜三六)

 イエスはこの問いに対して、その問いが出てくる立場そのものの間違いを指摘することによって、問いそのものを無効にされます。問う者は、「次の世に入って死者の中から復活する」者も、この世でめとったり嫁いだりする者と同じような結婚関係をもつと前提していますが、その前提そのものが間違いだと、イエスは暴露されます。
 実はマルコではこの言葉の前に、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか」という言葉があります(マルコ一二・二四)。マタイ(二二・二九)は、少し表現は違いますがこの言葉を保持しています。質問者が思い違いをしている理由を指摘するこの重要な言葉が、ルカにない理由は分かりません。ルカはこの言葉の代わりに、「この世の子らはめとったり嫁いだりするが」という文を置いて、「この世」と「次の世」の対比を強調しています。この言葉がないだけでなく、この箇所(三四〜三六節)のルカの用語と表現はマルコと大きく違っており、マルコの記事を変更したというより、別の系統の資料を用いて書いたのではないかと推察させるほどです。
 マルコ(一二・二五)は単純に「死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」と書いて、「誰の妻となるのか」という問いが成り立たないことを指摘しています。復活とは神による新しい世界の創造であり、そこでは人間は天使のように朽ちることのない体をもって生きるのであるから、死ぬべき体の人間が地上に存続するために必要としている結婚は、復活の世界ではもはや存在しない、という明確な論理です。
 それに対してルカは、「この世《アイオーン》」と「次の世《アイオーン》」という黙示思想の用語を使って、死者の復活の信仰が黙示思想に属するものであることを思い起こさせます。その上で、「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々」という表現を使って、そのような人々は「めとることも嫁ぐこともない」と現在形の動詞を用いて彼らの在り方を描くので、(来たるべき世では)復活するにふさわしいと(現在すでに)認められている人たちは、今この世で結婚しない生き方をするという理解を可能にします。マルコの単純な表現を知っているはずのルカが、このような複雑な表現に変えた理由とか意図は分かりません。
 後のキリスト教の歴史において、修道僧や教会聖職者は結婚しないことが求められますが、その根拠としてこの言葉が用いられたとしたら、それは問題です。というのは、「めとることも嫁ぐこともない(=結婚しない)」理由は、「この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」とされています。すなわち、天使に等しい者となり、もはや死ぬことがない状態になってはじめて、生命の継承のための結婚が不要になるのです。それゆえ、人間が地上にいて死ぬべき身体の中にある限り、「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々」でも結婚が不要になるわけではありません。「復活にあずかる者として、神の子である」から結婚が不要とかふさわしくないとされるならば、御霊によって神の子とされ、復活にあずかる希望をもって生きているキリスト者には、結婚は無用となります。後にグノーシス派の教会には、結婚を避ける傾向が出て来ますが、この言葉の誤用もあったのかもしれません。

 「死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである」。(二〇・三七〜三八)

 死者の復活はないとするサドカイ派の人たちに、イエスは聖書の箇所を引用して、彼らが「聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしている」のだと指摘されます。ここでイエスが引用しておられる聖書は、出エジプト記の三章で燃え尽きないで燃えている柴の間から主がモーセに現れて語りかけられたことを物語る箇所です。その六節でモーセに現れた主は「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われ、一五節ではモーセを民に遣わすにあたって、「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた」と言われたとされています。ユダヤ教では出エジプト記を含むモーセ五書はモーセが書いたものとされていますから、この記事をイエスはモーセが主を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼んだことを示す記事として引用されます。この有名な記事はユダヤ教徒であればみな熟知しています。イエスはそれを引用して、そこに死者の復活が明記されているとされるのです。これは驚くべき聖書理解です。
 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」は、「ヤハウェ」という御名が啓示される前から用いられた神の名であって、イスラエルの民にとって最も古くて親しみ深い御名です。イエスはこの御名の中にすでに、神が死者を復活させる方であることが示されていると言われます。死者の復活の信仰はイスラエルの歴史の最後の時期になってようやく成立したものであるとされていますが、イエスのような聖書理解によれば、その啓示はイスラエルの歴史の最初からすでに与えられていたことになります。それはイスラエルの盲目の故に隠されていただけで、いま神の命に直結して生きておられるイエスによって覆いが除かれ、聖書の全体が死者を復活させる神の啓示となります。
 神が燃える柴の中からモーセに語りかけられた時、アブラハム、イサク、ヤコブはすでに死んでいました。もし神が彼ら父祖たちを復活させないで死の中に放置する神であれば、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」は「死んだ者たちの神」となります。神が命の根源であり、生命そのものである以上、神は死んだ者たちの頭ではありえない。神は生きている者たちの生命の源泉、生きている者たちの頭でなければなりません。その神が「アブラハムの神」と名のられる以上、アブラハムはその神に属する者として生きていなければなりません。
 すでに死んだアブラハムが生きているというのは、彼の霊魂が存続しているという意味ではありません。イスラエルにはギリシア人のような霊魂不滅の考え方はありません。生きるというのは、あくまで体をそなえた命の活動として理解されています。したがって、アブラハムが生きているということは、アブラハムの復活を前提とした表現です。神はモーセに「アブラハムの神」と名のられることによって、ご自身が死者を復活させる者であることを啓示しておられるのです。さらに、もし父祖たちが死の中に放置されるのであれば、彼らに与えると約束された神の約束は実現できない空約束になってしまいます。約束に対する神の信実という観点からも、「アブラハムの神」という御名はアブラハムの復活を前提として含んでいることになります。
 このように、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」という言葉は、伝承されたイエスの言葉(ロギオン)の中でも最も重要な言葉の一つです。このような根源的な神理解がイエスの聖書全体の理解を貫き、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という御名を復活の啓示と理解させています。このような理解は聖書の言葉の小手先の解釈技術から生まれるのではありません。イエスが神の霊、神の力に満たされて生きておられた現実から流れ出るものです。たしかに当時の黙示文学には、復活にあずかる者たちは天使のようになり、結婚も飲食も必要でなくなるというような記述も見られます。しかし、ここに示されているような、最も古い神の名を、ひいては聖書全体を復活の啓示とするような理解はユダヤ教に類例がありません。これは御霊に満たされておられたイエスだけが達しえた境地であると考えられます。
 なおルカは「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」という言葉の後に、マルコにはない「すべての人は、神によって生きているからである」という言葉を加えています。原文は「すべての人は神に生きるからである」とあります。この「神に」という与格(三格)がどういう意味であるのかが問題です。与格(三格)の名詞は「によって」という意味で用いられる場合もありますが、本来は「〜に(向かって、対して)」という意味合いを示す格です。欧米語の翻訳はほとんどみな「神に生きる」と訳しており、新共同訳のように「神によって」と訳しているものはありません。この三格は「神との関わりで」とか「神に関わるかぎり」という理解も可能です。
 この文が「〜だからである」という理由を示す語で先行する「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」という文に続いていることからすると、「すべての人、すなわち人間は誰であっても、いのちそのものである神との関わりにあるかぎり、神のいのちにつながって生きているのだから」と解釈するのが適当と考えられます。そうすると、三七〜三八節は、神が「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と名乗ってアブラハム、イサク、ヤコブをご自身との関わりに置いておられる以上、神との関わりにある者として彼らはみな生きていることになる、と解釈することになります。

 そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。(二〇・三九〜四〇)

 サドカイ派の者たちに対するイエスの答え、とくにモーセ五書の言葉を用いて死者の復活を根拠づけられたイエスの聖書の理解に、専門の律法学者も驚きます。そのような聖書の理解を示した学者はいません。こうお答えになったイエスの霊的権威に圧倒されて、何か言葉尻をとらえようとしてイエスを取り囲んでいた者たちも、それ以上あえて質問することはできなくなります。
 マルコ福音書では、この復活問答の後に「最も重要な掟」についての問答があり(マルコ一二・二八〜三四)、その後に「もはや、あえて質問する者はなかった」という文が来ます。しかしルカは、「最も重要な掟」についての問答を省略していますので、この文が復活問答の後に来ることになります。ルカがこれを略したのは、おそらくすでに「善いサマリア人」のたとえで、これと同じ性格の問答を用いた(一〇・二五〜二八)からであると考えられます。ルカは重複を避ける著作家です。

新約聖書における「死者の復活」

 このような「死者の復活」についての議論が福音書に置かれているのは、キリスト信仰共同体にとってどのような意味があるかを、ここで考察しておきたいと思います。最初に採り上げなければならないのは、この問題についてのパウロの議論です。
 パウロは五〇年代にエーゲ海地域の諸都市にキリストの福音を告知する活動を進めました。パウロが告知したキリストの福音は、「十字架につけられた姿の復活者キリスト」ですが、そのキリストはやがて栄光の中に来臨され、そのときキリストの民は死者の中から復活するという告知が含まれていました。そのことはこの時期に書かれたテサロニケ第一書簡からも明らかです。彼の福音活動によりコリントにもキリストを信じる者たちの共同体が形成されます。ところが、その数年後エフェソで活動しているときに、コリント集会から来た使者からコリントの集会に「死者の復活などはない」と主張する人たちがいることを伝えられます。驚いたパウロはコリントの集会に手紙(コリント第一書簡)を書き送り、その中(一五章)で「死者の復活」を否定することは、キリストの復活を否定することであり、キリストの福音を台無しにすることだと、激しい調子で「死者の復活」を弁証しています。その議論の詳細は、拙著『パウロによるキリストの福音U』の「第六章・死者の復活」を見ていただくことにして、ここではそのような議論をしなければならなかったという事実の意義を考えてみたいと思います。
 「死者の復活」を否定したコリントの人たちは、キリストの復活を否定したのではありません。キリストの復活を否定することは福音を否定することであり、キリスト者の共同体の中にいることはできません。「死者の復活」の信仰とは、神は終わりの日にキリストにあって死んだ者たちを死者の中から復活させて、栄光の体をもつ者としてくださるという信仰です。彼らはこの「死者の復活」を否定してもキリストを否定することにはならないと考えていたのです。彼らはキリストにあって救われることを、「死者の復活」抜きで理解していたのです。
 彼らがどういう理由で死者の復活を否定したのかは、パウロの反論の手紙からは分かりません。この信仰はギリシア人の宗教観からは理解しがたい信仰であり、おそらくギリシア人の宗教的体質が反発させたのではないかと推察されます。ギリシア人にとって体は霊魂の牢獄であり、せっかく体から解放されて永遠の世界に入った霊魂が再び体に結びつけられることは決して願わしいことではなかったのでしょう。しかし、聖書の救済史的な世界に生きているユダヤ人パウロは、キリストの出来事を救済史の枠の中で理解し告知しています。その視点から、終わりの日の死者の復活を否定することは、その根拠として神がキリストを復活させたことを無意味にすること、キリストの復活を否定すること、福音と信仰を空しくすることだとして激しく反対し、死者の復活を福音の本質的内容(それがなければ福音が福音でありえない内容)として告知します。
 しかし、そのパウロも最後に書いたローマ書では、終わりの日の死者の復活を前面に出すことはせず、信じる者の希望の内容として触れるに止めています(ローマ八・一八〜二五)。これは、ローマ書がガラテヤ書と同じく、律法とは別の義を確立することを主題とするからでしょう。

ヘレニズム世界における「死者の復活」信仰への反発については、拙著『パウロによるキリストの福音U』339頁「第八節 補論 霊魂不滅と死者の復活 ― ヘレニズム世界における復活の福音」を参照してください。

 パウロ以後のパウロ系共同体では、死者の復活の信仰は後退していきます。パウロ以後に書かれたパウロ名書簡(コロサイ書やエフェソ書)では、キリストの来臨《パルーシア》の待望は、なくなったわけではありませんが、信仰の前面からは退場し、来臨に際して起こると待望されていた「死者の復活」も触れられることがなくなります。パウロにおいては復活はあくまで将来のこととして語られていましたが、このパウロ名書簡では過去形で語られるようになり、キリストにあって聖霊によって生まれ出た新しい命に焦点が当てられるようになります。総じて、ユダヤ教的な救済史の枠組みではなくヘレニズム的なコスモロジー(宇宙論)の枠組みでキリストの救済が理解されるようになります。

最初期後期に成立した使徒名書簡(コロサイ書、エフェソ書、ペトロ書など)では、「死者の復活」信仰がなくなったのではなく、黙示思想的な表現を脱し、現在受けている御霊の命が、キリストが現れるときに顕現するという意味で《アポカリュプシス》(現れること)という語を用いて語られることになります。このことについては、拙著『パウロ以後のキリストの福音』の中のこれらの書簡の講解を参照してください。

 このような状況のエーゲ海地域の諸集会にルカ福音書が登場して読まれるようになったという状況を想像してみましょう。この地域の諸集会がパレスチナ・シリア地域で成立したマルコ福音書やマタイ福音書をすでに知っていたかどうかは確認できませんが、少なくともルカ福音書はこの地域で成立し、そこで流布したことは確実です。そうすると、この地域の諸集会のキリスト者はこの福音書にある復活問答を読み、この問題についての主イエスの発言を聴くことになります。そこでなされた「復活はない」という主張に対するイエスの反論は、「死者の復活」を否定したり、それに無関心になっていた人たちの目を覚まさせ、共同体の復活信仰に重要な指針となり、刺激となり、回復させる力となったのではないかと想像させます。パウロ書簡がどれだけ知られていたかは確認できず、パウロ書簡集が流布するのはかなり後(二世紀に入ってから)と考えられるので、ルカ福音書のこの記事が復活信仰の回復剤となったという想像も許されるでしょう。
 もう一つ新約聖書で「死者の復活」が問題になるのはヨハネ福音書です。この福音書は、イエスを信じる者は現在すでに永遠の命を得ているということを使信の中心に置いて強調し、将来の死者の復活に触れることはほとんどありません。これは同じ時期に同じ地域で成立したコロサイ書やエフェソ書などのパウロ名書簡と同じ線上にあります。ところが六章の「命のパン」の章で、「わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」(ヨハネ六・四〇)と、現在すでに永遠の命をもっているという宣言に、終わりの日の復活が加えられる場合が数カ所出てきます(六章三三、四〇、四四、五四節)。この「死者の復活」への言及は、この福音書の基本的な使信に沿わないので、後代の編集による挿入であるとする見方がなされるようになります。しかし、それがどのような事情によるものであるにせよ、正典として新約聖書に入れられているヨハネ福音書は、「死者の復活」の信仰を受け入れています。この事実が重要です。
 一世紀の終わりから二世紀にかけて、キリストの福音は様々な形で語られ、広まっていきました。終末待望の内容と復活については、実に多様な見解が行われていました。その混沌の中で、福音書(エーゲ海地域ではルカ福音書)の復活問答の記事は、「正統派」の信条形成に大きな力になったと推察されます。事実、二世紀半ばに成立したとされる「ローマ信条」(使徒信条の原形)では、「我は身体のよみがえりを信ず」という項目が入れられるようになります。