市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第12講

120 神殿の崩壊を予告する(21章5〜6節)

イエスの神殿崩壊の予告

 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。(二一・五)

 マルコによると、この段落はイエスと弟子たちとの間の対話になっています(マルコ一三・一〜二)。イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と言ったのに対して、イエスがお答えになったことになっています。それに対してルカは、なおイエスが神殿境内におられるときに、参拝に来た巡礼者たちが神殿の石と奉納物の飾りの立派さを賛嘆したのに対してイエスが語り出されたことになっています。「ある人たち」とあるだけで、弟子とは特定されていません。
 この神殿は、ユダヤ人がバビロン捕囚から帰国した後に再建した神殿で、ソロモンが建てた神殿と区別するために「第二神殿」とも呼ばれます。建設された当初は、そのあまりの粗末さに壮麗なソロモンの神殿を知っている長老は涙を流したと伝えられています。しかし、建築マニアのヘロデ大王が立派な建物に建て替えます。改築工事は前一九年に始まり、前九年に一応落成して献堂式が行われますが、その後も工事は続き、イエスの時には「この神殿は建てるのに四六年かかった」と言われています(ヨハネ二・二〇)。その「見事な石」は、今もユダヤ教徒が祈りに集まる「嘆きの壁」に見ることができます。「奉納物」は、聖所の入口の上部に置かれた純金で造られた葡萄樹など、神殿を飾るために(祈願成就などで)寄進された宝物類です。神殿は多くの奉納物で華麗に飾られていました。ヘロデが再建した神殿は「ヘロデの神殿」とも呼ばれ、その壮麗さは「世界の七つの驚異」の一つに数えられるようになり、地中海世界の各地から多くの巡礼者(当時の観光客?)を引きつけるようになります。
 建物が見事であるだけでなく、エルサレム神殿はユダヤ人にとって神が臨在される場所として唯一の信仰の拠り所であり、民の誇りでした。その神殿が徹底的に破壊されることを、イエスは独特の鋭い表現で語り出されます。

 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」。(二一・六)

 イエスは、神殿の立派さに見とれているユダヤ人巡礼者たちの賛嘆の言葉を耳にされます。その賛嘆には、このような立派な神殿で礼拝される神は、その神殿を、そしてその神殿で神を礼拝する民を安泰に守られるに違いないという、あのエレミヤが告発した「偽りの平安」の思いが響いているのを聴き取られたのでしょう。それをきっかけにして、同じように神殿の壮麗さに目を奪われている弟子たちに語りかけられます。これは直前の段落(二一・一〜四)で、賽銭箱にレプトン二枚を投げ込んだやもめを見て弟子たちに語りかけられたのと同じ構造です。「あなたがたはこれらの物に見とれているが」というのは、弟子たちを指していると理解しなければなりません。以下に続くイエスの警告や迫害の予告の言葉は明らかに弟子たちに向けられたものです。
 実際に神殿がローマ軍によって破壊されたとき、火をかけられて燃え落ちます。それで、このイエスの神殿崩壊予告の言葉は、火に言及することがなく実際の姿と違うので、それが事後預言でないことを示す証拠だとされます。しかし、イエスが地上の働きの中で神殿の崩壊を語られたことは、この場合の表現に依存する必要はなく、他の語録からも十分確認できます。これまでにイエスはしばしば神殿の崩壊に言及しておられます。
 神殿で商人たちを追い出すという過激な象徴行為をされたとき(それはヨハネ福音書が伝えるようにガリラヤでの活動前の出来事と見なければなりません)、イエスはすでに「この神殿を壊してみよ。わたしは三日で起こすであろう」と言って、神殿に代わる新しい礼拝が始まることを口にしておられます(ヨハネ二・一九)。この事実は、イエスがその活動の初めから神殿の時代が終わったのを見ておられたことを指し示しています。
 ガリラヤで働きを終えて最後にエルサレムに向かわれる途上で、神が遣わされた者を拒否して殺そうとするイスラエルについて、「見よ、お前たちの家は見捨てられる」と預言しておられます(一三・三一〜三五)。そして、いよいよ都が見えてきたとき、都のために泣いて言われます、「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」(一九・四三〜四四)。
 このようにイエスはその福音告知の働きの期間中ずっと、ご自身を殺す勢力の拠点としての神殿の滅びを見据えて来られましたが、最後にその神殿の境内でその滅びを明言されます。マルコでは(マタイでも)この予告は神殿の外で弟子たちに秘かにされたことになっていますが、ルカはそれを神殿境内で弟子たちに語り出されたものとしています。
 イエスがしばしば口にされた神殿崩壊の預言は、ユダヤ人である弟子たちに強烈な印象を与えていたと考えられます。ユダヤ教徒にとって神殿が滅び、そこで行われる神への礼拝がなくなるというようなことは想像もできないことであり、天地が崩れるような驚愕であったことと想像されます。そこで、このイエスの神殿崩壊預言が最初期の共同体でどのように伝えられ理解されたかを見ておきましょう。

最初期の福音告知における神殿

 イエスが十字架上に死なれた後、弟子たちは復活されたイエスの顕現を体験します。それは聖霊による復活者イエスとの出会いの体験でした。この聖霊体験の中で、弟子たちはイエスの十字架の死が神による贖いの出来事であり、今やキリストとして立てられた復活者イエスとの交わりの中で真の礼拝が実現していることを悟ります。弟子たちは、十字架され復活されたキリストが神殿に代わる新しい神と人間の出会いの場であることを悟ります。弟子たちはイエスの復活後も、ユダヤ教徒として神殿の礼拝に参加していますが、その中でこのような理解を大胆に語り出す者が出てきます。その最初の証人がステファノです。
 ステファノは、「あのナザレの人イエスは、この場所(神殿)を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう」と言っている、と訴えられます(使徒六・一四)。この訴えに対し、ステファノは会堂の法廷でアブラハムから始まるイスラエルの全歴史を振り返って、イスラエルがいつも聖霊に逆らい、預言者を殺し、ついに預言者がその到来を預言した義人イエスを「殺す者」となったと告発します(使徒七章)。その中でステファノは、神殿について「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みにならない」と宣言し、その神殿に代わる礼拝を告知したイエスとそれを証言するステファノに反対するユダヤ人は「心と耳に割礼を受けていない人たちで、いつも聖霊に逆らっている」と断定します(使徒七・四八〜五一)。このように神殿を不要とするような発言をするステファノを、ユダヤ人は赦すことはできず、石打にして殺します。ステファノは、救済史において石の神殿とそこでの祭儀システムの時代が終わったことを証言することで、最初の証言者=殉教者(マルテユス)となります。
 まだ神殿が健在であった時代に、キリスト信仰、すなわち「十字架されたキリスト」の信仰こそ、神殿礼拝に代わる新しい神との出会いの場であることをもっとも明確に理解し、それを告知したのはパウロです。パウロは「しかし今や、律法とは別に(律法の外で、律法とは無関係に)神の義が現された」と宣言し、それを「信仰(イエス・キリストの信仰)による義」として告知します。この場合の「律法」は神殿における全祭儀体系を含むモーセ律法の全体、ユダヤ教の全体を指しています。「しかし今や」という句が指し示しているように、キリストの十字架と復活の出来事によって、救済史の新しい時代が到来したことを告知したのです。これまでの神殿祭儀は不要になり、十字架された復活者キリストが神と出会う場となったのです。そのことをパウロは次のように語ります。

 人間はすべて罪に陥ったので、神の栄光を失っており、ただ、キリスト・イエスにある贖いによって、神の恵みにより、無代価で義とされるのです。神はこのキリストを、信実によって、その血による贖いの場としてお立てになりました。(ローマ三・二三〜二五 私訳)

 ここで「贖いの場」と訳したギリシア語《ヒラステーリオン》は、至聖所に置かれた契約の箱の金の覆いの板を指します。そこに年に一度贖罪のいけにえの血が注がれて民の罪が贖われ、生ける神が臨在されて語りかけるという、神殿祭儀の核心をなす場所です。このローマ書の箇所は、今や神は十字架された復活者キリストをこの「贖いの場」《ヒラステーリオン》としてお立てになったので、エルサレム神殿の祭儀は成就し、乗り越えられ、不要になったと宣言しています。これはパウロから始まる理解ではなく、エルサレム共同体の告白です(そのことはこの箇所の極めて強いユダヤ教の祭儀的表現が示しています)。しかし、その理解をもっとも明確に告白して、「律法(ユダヤ教)と関係のない」救いの道を諸国民に告知したのはパウロです。そのため、ユダヤ人から「疫病のような男」として激しく憎まれ、そのために殉教する結果となります。
 このようにイエスの預言と聖霊の示しによって、神殿はもはや救済史上の意義を失っているという理解があったので、最初期のユダヤ人キリスト者は、ユダヤ教徒でありながら神殿の命運にはそれほど深刻に動揺せず、その崩壊にも驚かなかったのではないかと考えられます。エルサレムのユダヤ人キリスト者は、周囲のユダヤ人のように、神殿を異教徒の攻撃から守るために身命を賭すというようなことはなく、ローマ軍に包囲される前にエルサレムを脱出しています。わたしは長年、エルサレム共同体との接触でイエスの神殿崩壊の預言を知っているはずのパウロが、神殿の命運について何も語っていないことに不審の思いを抱いていましたが、このように救済史においてすでに神殿の意義がなくなっていることを知っているので、パウロは(ローマ書九〜一一章などで)イスラエルの将来を神殿抜きで語ることができたのだと理解するようになりました。
 第二世代のパウロ名文書(コロサイ書やエフェソ書)になると、神殿の崩壊は遠い土地での過去の事件であり、パウロも触れていない神殿の命運には関心がなく、言及されることもありません。総じて律法(ユダヤ教)との関係は真剣な問題となることはありません。
 実際に神殿が崩壊した後に、十字架・復活のキリストこそが神殿の祭儀を成就する方であることを、もっとも印象的にヘレニズム世界の人々に説き示したのはヘブライ書の著者です。彼はヘレニズム世界の人たちに馴染み深い寓喩的解釈法を駆使して、ステファノやパウロが命がけで指し示した真理、すなわち十字架・復活のキリストこそユダヤ教の神殿祭儀を完成成就する出来事であることを論証します(ヘブライ書八〜一〇章)。

ルカ二部作(ルカ福音書と使徒言行録)において神殿礼拝が好意的に描かれる箇所が多いことについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節「ルカ二部作成立の状況と経緯」、とくに430頁「W マルキオンの衝撃」の項を参照してください。