市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第27講

132 オリーブ山で祈る(22章39〜46節)

オリーブ山でのイエスの祈り

 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。(二二・三九)

 夜も更けたころ、イエスは最後の食事を弟子たちとされた部屋を出て、エルサレム市街の東、キドロンの谷を隔てた向こう側にあるオリーブ山に行かれます。弟子たちもイエスに従って一緒に行きます。ユダは先に出て行っていないのですから、十一人の弟子たちが従ったことになります。
 イエスと弟子たちの一行が夜にオリーブ山に行ったことについて、ルカは「いつものように」という説明をつけています。ルカは先にエルサレムに入られてからのイエスの行動を、「それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた」(二一・三七)と伝えていました。その「いつもの習慣のように」この最後の夜も、オリーブ山の「いつもの場所」で過ごそうとされます。オリーブ山の山腹に、イエスと弟子たちが夜を過ごすのに使える自然の洞窟があったと伝えられています。
 この「いつものように」という説明には、モーセ律法を守られるイエスの姿が見られます。律法は過越祭に来る巡礼者たちに、祭りの間はエルサレムにとどまるように求めています。巡礼者の数が増えて全員がエルサレム市街に泊まることができなくなったとき、「エルサレム」の範囲は拡大解釈されて、近郊の地域も含まれるようになり、イエスの時代ではオリーブ山も「エルサレム」と見なされていました。イエスはこの規定を守られます。
 イエスと弟子たちの一行がオリーブ山に向かう途上での対話をマルコ(一四・二六〜三一)は伝えていますが、ルカはそれを何も伝えていません。マルコではイエスはゼカリアの預言を引いて、イエスの受難に弟子たちがつまずいて散らされることを予告し、「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と言われたことを伝えていますが、ルカはその予告を全面的に削除しています。これは、空の墓における「あなたがたより先にガリラヤへ行く」という告知が「まだガリラヤにおられたころ、お話になったこと」に変えられていること(二四・六)と合わせて、イエスが復活後弟子たちをガリラヤに導かれるというマルコの構想を否定し、弟子たちが復活後もエルサレムにとどまり、そこから福音の告知が始まったとするルカの構想に合わせるためです。なお、この弟子のつまずきの予告に含まれるペトロのイエス否認の予告も、ルカではガリラヤ行きの予告と切り離されて、途上の対話ではなく、最後の晩餐の席の対話とされています(二二・三一〜三四)。

 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(二二・四〇)

 マルコ(一四・三二)では「一同がゲツセマネという所に来ると」とあり、場所の呼び名があげられていますが(マタイ二六・三六も)、ルカは「いつもの場所に来ると」(原文では「その場所に来ると」)と言うだけです。出来事から遠く離れた異邦人の読者には細かい地名は必要ないとしたのでしょうか、「ゲツセマネ」という名をあげていません。ヨハネ(一八・一)も地名をあげていません。
 イエスは「いつもの場所」で最後の祈りを父に捧げようとされます。その前に弟子たちにも祈るように求められます。イエスの前には厳しい試練が待ち構えています。イエスはいよいよ定められた自分の役割を果たすべき時が来たことを覚り、それがいかに苦しいことか、その重圧の前にもだえ苦しまれます。マルコ(一四・三二〜三四)は、「イエスはひどく恐れてもだえ始め」、弟子たちに「わたしは死ぬばかりに悲しい」と洩らされたと伝えています。このイエスの恐れと悲しみが何であるのかという重大な問題には後で触れることにして、ここではルカがこのマルコの伝えるイエスの苦しみに触れていないという事実に注目するだけにします。
 イエスは弟子たちに「誘惑《ペイラスモス》に陥らないために」祈っているように求められます。ここの現在形の命令文は「祈っていなさい」と訳す方が適切でしょう(二二・四六と同形)。今サタンは弟子たちを「小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられ」ているのです(二二・三一)。これから起ころうとしている出来事を用いて、サタンは弟子たちを不信と絶望という地獄に引きずり込もうとしています。霊が祈りにおいて神との交わりに目覚めていなければ、サタンの誘惑に負けて不信と絶望に引きずり込まれてしまいます。
 この《ペイラスモス》(誘惑・試練)は今イエスが直面しておられる生涯最後の、そして最大の試練です。イエスはその生涯において様々な《ペイラスモス》(試練)に遭遇し、それと戦い打ち勝ってこられました。そのような体験が「荒野の誘惑」の記事を生み出したと見られます。弟子たちも絶えずイエスと一緒にいて踏みとどまってきました(二二・二八)。今最後の《ペイラスモス》に直面して、弟子たちにも一緒に目を覚まして祈っているように求められます。

 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」。(二二・四一〜四二)

 弟子たちに祈っているように求められましたが、それは弟子たちが誘惑に陥らないためでした。イエスご自身は、この試練に一人で立ち向かうために弟子たちから少し離れて祈られます。その距離は、投げた石が届くほどの距離で、イエが切々と祈られる声も届き、イエスの祈りが伝えられることになります。
 ルカはイエスは「ひざまずいて」祈られたとしていますが、マルコ(一四・三五)は「地面にひれ伏し」て祈られたとしています。ユダヤ教徒は普通立って祈りますから、両方ともこの時のイエスの祈りがいかに自分を投げ出した切実なものであったかを示しています。しかし、マルコの方がこの場面にいっそうふさわしいと感じられます。イエスの受難を描いたデューラーの版画も、この場面を地にひれ伏して祈られる姿で描いています。ルカの「ひざまずいて」は、後に殉教者が死に直面して祈る時の姿勢として用いられていますが(使徒七・六〇のステファノ、使徒二〇・三六のパウロ)、それをイエスの場合にも用いていることになります。
 この時のイエスの祈りはマルコ(一四・三六)もルカもほぼ同じ言葉で伝えていますが、違いも見受けられます。マルコがイエスが神に「アッバ、父よ」と呼びかけられたと伝えていますが、ルカは「アッバ」というアラム語の呼びかけを伝えず、「父よ」というギリシア語だけにしています。イエスはアラム語を用いる普段の祈りで「アッバ」と呼びかけて祈っておられたと考えられますが、イエスの言葉を伝えるイエス伝承を用いて書かれた福音書に、この「アッバ」というイエスの祈りの呼びかけが伝えられているのはこのマルコの一節だけです。パウロ書簡には二箇所(ガラテヤ四・六、ローマ八・一五)に出てきており、使徒時代の共同体では祈りに「アッバ」という呼びかけが用いられていたことを垣間見させますが、福音書がすべてギリシア語で書かれる時代には、このアラム語は用いられなくなります。しかし、ゲツセマネでの切々たるイエスの祈りの声を聞いたペトロは、そのときのイエスの「アッバ!」を語り伝えないではおれなかったのでしょう、アラム語のままで語り伝え、それがマルコに保存されたと見られます。この「アッバ」は、もっとも確かな「イエス自身の声」です。しかし、さらに時代が降ったマタイやルカにはこのアラム語の呼びかけはありません。その声を直接聞いたペトロの切実さは消えていきます。
 ルカは「御心なら」と書いていますが、マルコでは「あなたは何でもおできになります」と呼びかけて、「(何でもできるあなたが)この杯をわたしから取りのけてください」と願っておられます。この方が願いの切実さが強いと感じさせます。ルカの「御心なら」は、どうしても取りのけてくださいという切実さが弱く、やや冷静な客観的記述の印象があります。
 しかし、マルコとの最大の違いは、マルコはイエスがこの祈りを三回繰り返されたと伝えていますが、ルカはこれを一回にしている点です。イエスがこの祈りを三回も繰り返されたのは、今イエスに突きつけられている「杯」を飲み干すことがイエスにとっていかに苦しいことであったか、その「杯」を取りのけていただくことがいかに切実な願いであったかを強調しています。ところが、それを一回にまとめるルカの記述は、その切実さが弱まり、イエスの祈りの内容を伝えることにとどまるという印象を与えます。総じてマルコの書き方には現場に居合わせた者の証言という臨場感が残っていますが、ルカになると、出来事を客観的に報告する歴史家の筆致を感じさせるようになります。
 この時のイエスの祈りを解釈するさいの最大の課題は、イエスがこれほど切実に取りのけられることを願われた「杯」とは何か、その「杯」の意味内容の問題です。実はマルコ福音書には、イエスがエルサレムにお入りになる直前に、エルサレムで受けようとされている苦しみについて「杯」という象徴を用いて語られた記事(マルコ一〇・三五〜四五)があります。イエスがゲツセマネで取りのけることを父に願われた「杯」が何であるかは、そこの講解で説明されていますので、ゲツセマネの祈りではそれを前提にして扱うことができました。ところがルカは、その記事を省略していますので、ここで始めて「杯」という象徴表現が出てくることになります。
 旧約聖書では、杯は神からの救いや祝福の象徴として用いられています(詩編二三・五、一六・五、一一六・一三など)。しかし同時に、神の審判の象徴としても用いられています(イザヤ五一・一七〜二三、エレミヤ二五・一五〜二九、詩編七五・九など ―― 審判の象徴としての杯は神明裁判で被告が苦い水を飲まされた杯に起源があるのかもしれません)。イエスはそこでご自分が受けなければならない苦難を「わたしが飲む杯」と表現しておられます(マルコ一〇・三八)。ヨハネもイエスがこのような意味での「杯」について語られたことを知っています(ヨハネ一八・一一)。
 この杯には神の怒りと裁きという苦い水が満たされて、イエスに突きつけられているのです。イエスにとってこの杯を飲むことがいかにつらいことであったかは、ゲッセマネで三度まで「この杯をわたしから取り除けてください」と祈られたことからもうかがえます。それは単なる肉体の苦しみではなく、神の裁きに身を委ねる魂の苦しみ、永遠の死の苦悩です。子として父との絶えざる交わりの中に生きてこられたイエスにとって、これだけはどうしても取り去っていただきたい「杯」です。
 この「杯」という象徴が指し示している霊的現実、すなわちイエスがここで味わっておられる苦悩の中身はあまりにも深くて、いかなる注解や講解の筆もその前で立ちすくむだけです。「キリストの十字架」の出来事は、すでにここで始まっています。イエスはその「杯」を十字架の上で飲み干されることになります。この時のイエスの苦しみの霊的内容を記述することは、「キリストの十字架」の出来事、神の子キリストによる贖罪の出来事の全体を記述することになります。それは全新約聖書神学の課題であり、この箇所の講解がなしうることではありません。それでもなお、口ごもりながらでも「杯」が指し示している内容を語るとすれば、それは神への背きという人間の罪に対する聖なる神の怒り(審判)の杯であり、父との親しい交わりの中で神の命に生きてこられたイエスにとって、それを受けて永遠の死に直面することほど恐ろしいことはありません。罪を知らない神の子が罪とされて、神の怒りに直面しているのです。イエスは何でもできる父に、もし自分がこの杯を飲み干す以外に人を救う方法があれば、この杯だけは飲まないですむようにしていただきたいと迫られます。しかし、この杯は取りのけられることなく、突きつけられたままです。子の切なる願いを聞き入れることができず、父も子の苦しみを共にしておられます。苦闘の祈りの末、イエスは「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と、父の御心を受け入れ、この杯を飲み干す覚悟を決められます。イエスは「父よ、あなたの意志が行われますように」という祈りをもって生涯を貫かれた方です。その祈りがこの最後で最大の試練において貫かれます。
 このような「神の子キリストの十字架」による贖罪の深みは別の場で扱わざるをえませんが、ここでは、イエスご自身がこの「杯」を前にして、「ひどく恐れてもだえ始め」、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と言われた事実は、この時のイエスの祈りには人知が到達できない深い《ミュステーリオン》(奥義、神秘)があることを指し示していることに触れるにとどめます。ただルカは、マルコと違って、イエスが祈りを前にして「ひどく恐れてもだえ始め」られたことを伝えず、すぐにイエスの祈りの内容に入りました。そのことを不十分と感じたのか、その後に次のようなイエスの苦しみを記述する節が来ます。

 〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕(二二・四三〜四四)

 この二節が(底本で)[ ]に入れられているのは、この二節を欠く古代の有力な写本があり、元のルカ福音書にはなかった文章が後で挿入された可能性があることを示しています。十字架の出来事を描くルカの記述の特徴(「エロイ、エロイ・・・・」の叫びが削除されているなど ― 後述)からすると、元のルカ福音書にはこのような記述はなかったと見てよいでしょう。しかし、後にマルコ福音書が普及し、ゲツセマネの祈りにおけるイエスの苦悶の意義が重要視されるようになった時に、それを欠くルカの記事を補うために、このようなイエスの苦悶を強調する文が挿入されたのではないかと推察せざるをえません。この二節の挿入により、ルカ福音書もマルコ福音書と同じく、イエスの十字架の秘義を指し示す拠点をもつことになります。

文体はルカ的ですが、内容表現があまりにも感情的で、全体の客観的報告の調子とは異質だとして、本文から除く注解者もあります(たとえばWBCのノーランド)。新共同訳を含め多くの現代語訳は、底本と同じく[ ]に入れて本文に保持しています。

 この祈りにおけるイエスの苦悶を表現するのに、マルコ(一四・三三)は「ひどく恐れてもだえ始め」と動詞を用いていましたが、ここでは《アゴニア》(苦悩、苦悶)という名詞を用いて表現されています(この名詞は新約聖書ではここだけです)。天使の出現はルカ的表現(一・一一)で書かれています。「汗が血の滴るように地面に落ちた」という表現は、祈りの切実さを表現しようとしたのでしょうが、このような誇張された表現はルカのペンから出たものではないと判断する注解者が多いようです。
 この箇所の本文批評的な見解がどうであれ、わたしたちはマルコ福音書の証言により最後の夜の祈りにおけるイエスの苦悶を知っているのですから、ルカの歴史的事実の冷静な報告の背後に、この二節を挿入した人たちと同じく、この祈りにおける主の苦悩を瞑想し、そこに十字架の秘義を読み取るべきでしょう。

 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。(二二・四五〜四六)

 イエスは自分に差し出されている「杯」を前にして、三度までそれを取りのけてくださることを父に祈られます。しかし、「杯」は突きつけられたままで取りのけられません。イエスは自分がその「杯」を飲み干す以外には父の御心が行われる道はないのだと悟り、「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」との祈りで祈りを終えられます。
 祈り終えて、(ルカでは跪いている姿勢から、マルコでは地面にひれ伏している姿から)立ち上がって弟子たちのところに戻って来てご覧になると、弟子たちは眠っています。イエスは弟子たちに「なぜ眠っているのか」と声をおかけになります。イエスは祈りに入る前に、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と弟子たちに求められました。しかし、弟子たちはイエスの求めに応えることができず、眠り込んでしまっています。
 この弟子たちの眠りについて、ルカは「悲しみの果てに」という説明をつけています。ここに用いられている《リュペー》という名詞は、悲しみとか苦悩を意味する語です。この説明は、その後の出来事の進展を知っている立場から、この時の弟子たちの心情を説明したものです。すぐ後にイエスは逮捕され、裁判にかけられ、十字架刑によって処刑されます。このような成り行きは弟子たちが予想しなかったことであり、この出来事に直面して弟子たちは落胆し、悲しみの中で「散らされて」ガリラヤに戻ります。しかし、そのことが実際に起こるまでは、弟子たちはメシアと信じているイエスがエルサレムではその力を発揮して大いなることを行われ、神の支配が実現すると信じ期待していたのです(一九・一一、マルコ一〇・三七)。その期待はここでもまだ続いていた可能性があります。弟子たちが「悲しみの果てに」眠り込んでいたとするのは、十字架以後の弟子たちの悲しみを知っているルカの説明であって、必ずしも事実であるとは限りません。
 弟子たちの眠りについては、もう一つ重要な箇所があります。それは「山上の変容」の時の弟子たちの眠りです(九・三二〜三三)。その時は、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子がイエスの側にいました。このゲツセマネでも、ルカは伝えていませんがマルコ(一四・三三)によれば、この三人がイエスの側にいます。イエスは十二人の弟子に「苦しみを受ける人の子」の奥義を語り出された後、エルサレムへの最後の旅程の一歩を踏み出すにあたって、一人父との交わりに没入しようとされます。このときイエスはペトロ、ヨハネ、およびヤコブの三人を連れて山に登られます。この三人はゲツセマネの祈りのときと同じです。ここの山での祈りとゲツセマネの祈りは、受難の旅の始めと終わりに位置して、対応しています。おそらくイエスは、この祈りの場で与えられる秘義の啓示について、この三人を証人として側におらせようとされたのでしょう。
 この二つの重要な場面で、同行した三人の弟子が眠気に襲われたことも同じです。ルカのこの箇所(九・三二)の表現では、「眠りに押さえつけられていた」というような動詞が用いられています。マタイ(二六・四三)は同じ動詞、マルコ(一四・四〇)は同系の動詞をゲツセマネの祈りの場面で用いています。「ペトロは自分で何を言っているのか、わからなかった」(ルカ九・三三)と、「(弟子たちは)何と答えたらよいのか、わからなかった」(マルコ一四・四〇)と、両方の場合で弟子たちの心理状態も同じです。山上でもゲツセマネでも同じですが、そのような緊迫した状況で弟子たちが自然に眠くなることは考えられません。弟子たちは何か霊的な力を受けて、通常の状態を超えた意識状態(一種のエクスタシーの状態)に陥っていたと考えられます。
 そのような特殊な意識状態で、ペトロたちは御霊による幻(ビジョン)を体験します。変容の山上ではイエスの隠されていた栄光を啓示され、ゲツセマネではイエスの苦悩の祈りの中身を聴き取ることになります。イエスの変容があった山とオリーブ山での三人の弟子の眠りは、このような一種のエクスタシーの状態で受けた啓示の体験ではなかったかと、わたしは推察しています。