市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第29講

134 イエス逮捕される・ペトロ、イエスを知らないと言う(22章54〜62節)

ペトロの否認の出来事

 人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。(二二・五四)

 捕縛されたイエスは大祭司の屋敷に連れて行かれます。ここから「イエスの裁判」のプロセスが始まるのですが、四福音書はすべてその中にペトロがイエスを知らないと言って否認する記事を置いています。その位置については後で触れることにして、ルカはイエス逮捕の直後に大祭司の屋敷で起こった出来事として伝えています。
 逮捕されたイエスが連れて行かれた先について、ルカはただ「大祭司の家」とだけ書いています(マルコも)。ところが、マタイ(二六・五七)は「大祭司カイアファのところ」に連れて行ったとし、ヨハネ(一八・一三)は「アンナスのところ」としています。その年の大祭司はカイアファでしたが(ヨハネ一一・四九)、先の大祭司であり彼の舅のアンナスが実権を握っていました。おそらく「大祭司の知り合いであるもう一人の弟子」ヨハネ(後述)が目撃証人として伝えるように、アンナスの屋敷に連れて行かれたのが事実でしょうが、当時のユダヤ教の歴史を知るマタイが正式の大祭司の名を用いたという可能性が考えられます。あるいは、二人は同じ屋敷(あるいは同じ敷地)に住んでいたのかもしれません。ヨハネ(一八・二四)の記述は、両者の住まいについて確かな情報を伝えていません。
 イエスが逮捕されたときに弟子たちが一味の者たちとして逮捕されなかった事情については、ヨハネ(一八・八)だけが、イエスが「わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい」と言われたからという理由を伝えています。しかし実際は、マルコ(一四・五〇)が伝えているように、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」のです。逮捕を免れたペトロは、事の成り行きを見届けようとして、「遠く離れて」恐る恐るついて行きます。

 人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。(二二・五五)

 異端の疑いと騒乱の危険の元凶として逮捕されたイエスの仲間であるペトロが、大祭司の屋敷の中庭まで入れた事情については、ヨハネが次のように伝えています。

 シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。(ヨハネ一八・一五〜一六)

ここに出てくる「もう一人の弟子」については、拙著『対話編・永遠の命 ― ヨハネ福音書講解U』の『附論 「もう一人の弟子」の物語』
第一章を参照してください。

 過越祭は春分の頃にある祭りです。まだ寒さが残る季節であり、その年の過越祭は寒かったのでしょう、人々は中庭で焚き火を焚いて暖を取っていました。ペトロもその人たちの「中に混じって腰を下ろし」暖を取ります。そのとき事件が起こります。

 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。(二二・五六)

 大祭司の屋敷の女中が、焚き火の火で照らし出されたペトロの顔を見ます。彼女は以前、イエスがエルサレムで活動しておられたとき、ペトロが一緒にいたのを目撃していました。ペトロの顔をじっと見つめ思い出し、「この人もあの人(イエス)と一緒にいました」と言い出します。「この人もあのイエスの仲間だ」ということです。

 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。(二二・五七)

 ペトロは事の成り行きが心配でここまでついてきましたが、内心は恐怖で満たされていたのでしょう。物々しい軍勢に師のイエスは捕縛され、弟子たちはその一味として、逮捕を免れたものの厳しい詮索の対照とされているという状況は変わりません。ペトロは思わず、女中の言葉を打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言ってしまいます。

 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。(二二・五八)

 それから「少したって」、「ほかの人」(男性単数形)がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言います。今回もペトロはそれを打ち消して、「人よ、わたしは違う」(直訳)と叫びます。先の女中に対する打ち消しは思わず出たのかもしれませんが、今回は「少したってから」ですから、自分が置かれている状況を十分自覚して言った言葉です。ペトロは恐怖の中で保身の思いから、自分の判断でイエスを否認します。

 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。(二二・五九)

 さらに「一時間ほど経って」、また「別の人」(ここも男性単数形)が「確かにこの人も一緒だった」と「言い張ります」(この動詞はここと使徒一二・一五だけに出てくる、ルカだけの用例)。彼が言い張るのは、「ガリラヤの者だから」という根拠からです。ペトロが「ガリラヤの者、ガリラヤ人」であるのが分かるのは、マタイ(二六・七三)が「言葉遣いでそれが分かる」と書いているように、ペトロの言葉遣いに見られるガリラヤ方言(訛り)からです。当時のエルサレムの住民は、ガリラヤのユダヤ人を(ユダヤ教の本流から離れた)田舎者として軽蔑し差別していたようです(ヨハネ七・四一、五二参照)。エルサレムの住民はその訛りによってガリラヤ人を見分けて差別していました。エルサレムの住民から見れば、ガリラヤは過激な抵抗運動の巣窟であり、ガリラヤ人であるというだけで、そのような運動の連中だとする偏見もありました。この男は、ペトロがガリラヤ人であるという理由で、ガリラヤ人であるイエスの過激な運動の一味であるとしたようです。

ユダヤ教社会における「ガリラヤ」の意義については、拙著『ルカ福音書講解T』110頁の「補説1 ガリラヤの歴史と社会」を参照。

 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。(二二・六〇)

 この時もペトロは「あなたの言うことは分からない」という表現で、自分がイエスの仲間であることを否定します。この表現は、マルコ(一四・七一)では「あなたが言っているそんな人は知らない」となっています。しかも「呪いの言葉さえ口にしながら」という説明が添えられています。「呪いの言葉」というのは、自分が言っていることが偽りであれば、自分は呪われよと、自分で自分を呪う言葉で自分の言っていることを保証する誓いの形式です。ペトロはそのような誓いをもってイエスを知らないと断言します。マタイはマルコに従っていますが、ルカには呪いの言葉はなく、ペトロの否認の表現も違います。これは、ルカがマルコの記事の一部を削除したというより、別系統の伝承を用いた可能性を示唆します。
 ペトロは三回続けて、イエスを知らないと言って、イエスの仲間であることを否認したことになります。三回繰り返すことは、徹底的に行動したことを象徴します。丁度そのときに鶏が鳴くのが聞こえます。深夜に逮捕されて大祭司の屋敷に連れてこられてから数時間が経ち、夜明けが近づいていました。ペトロが三回目にイエスを否認したとき、夜明けを告げる鶏が鳴きます。

 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(二二・六一〜六二)

 丁度そのとき、大祭司の屋敷の中で行われていたイエスに対する尋問が終わり、イエスは警護の兵士に囲まれて中庭を通られます。そのときイエスは振り向いてペトロを見つめられます。この文章で主語が「イエス」ではなく「主《ホ・キュリオス》」となっているのは、後で(=イエスの復活後に)この出来事を涙ながらに語ったペトロが、このときのイエスのことを語るのに今自分が仕えている復活者イエスを《ホ・キュリオス》と呼んで語ったからだと推察されます。それを、ペトロが語る告白を伝えた伝承がそのまま伝え、ルカがそれをそのまま用いた結果であると考えられます。マルコ(とマタイ)には「主は振り向いてペトロを見つめられた」の記述はなく、ペトロがイエスの言葉を思い出して泣いたという記事だけです(これもルカがマルコとは別系統の伝承を用いていることをうかがわせます)。そのペトロがイエスの言葉を思い出したという記事でも、マルコ(一四・七二)とマタイ(二六・七五)は「イエスの言葉」としていますが、ルカは「主《ホ・キュリオス》の言葉」と書いています。
 主の眼差し(この眼差しについては後述)を受けたペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた言葉を思い出します。これは、直前の食事の席でイエスがご自身の受難を予告されたとき、ペトロが「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言ったのに対して、イエスがペトロに言われた言葉です(二二・三三〜三四)。その「主の言葉」を思い出し、自分の不甲斐なさと背信の思いに迫られ、「外に出て」、すなわち自分をイエスの仲間として指さす人々から逃れ、屋敷の外に出て、一人だけになって激しく泣きます。このペトロの姿に、信仰の消息が深く描き出されます(後述の「ペトロの否認記事の意義」参照)。