市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第32講

136 最高法院で裁判を受ける(22章66〜71節)

 夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。(二二・六六〜六七a)

 先に見たように、夜中に大祭司(実際はアンナス)の屋敷で行われたのは予審であって、最高法院の正式法廷ではありません。正式の裁判は夜間には行えません。それで、「夜が明けると」民の長老会、祭司長たちや律法学者たち(この三グループは最高法院を構成するユダヤ教指導層を正確に反映しています)が集まってきて、正式の法廷が開かれます。ルカは、このようなユダヤ教の細かい訴訟手続きは異邦人読者には必要がないとしたのか、ごく簡単に「夜が明けると」という時間的な事実をあげるだけで、イエスが最高法院の正式法廷に連れ出された事実を報告します。この仕方はマルコ(一五・一)に従っています。ヨハネ(一八・二四)は「アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った」と書いています。最高法院の法廷は大祭司を議長(裁判長)として開かれますから、これも正式法廷に引き出したことを指しています。
 最高法院法廷の判決はきわめて迅速になされます。すでに予審で死刑の決議がなされているのですから、最高法院の法廷では形式的に裁決が行われ、死刑の判決が下されます。しかし、ルカはアンナスの下での予審の内容を伝えず、そのときに起こったペトロの否認の出来事だけにしていたので、夜が明けてからの最高法院の法廷で、イエスのユダヤ教側の裁判の内容を伝えることになります。そのさいルカは、マルコ(一四・五三〜六四)がしているような証人やイエスの発言などの取り調べには触れることなく(複数の証人の証言が正確に一致しなかったのでそれを正式法廷に提出することができなかったという訴訟法上の制約もあったのでしょう)、ユダヤ教側がイエスを裁こうとして、ただ一つの問題に絞って報告します。それはイエスが自分がメシアであると主張したとする告発をめぐる問題です。
 法廷はイエスに、「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と迫ります。こう「言った」という動詞(三人称複数形の分詞)は、この文の主語である「民の長老会、祭司長たちや律法学者たち」の行動を指しています。実際には法廷を代表する大祭司がこう言ったのでしょう。マルコ(一四・六一)は、大祭司がイエスに向かって「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った、と明言しています。ルカは実際の発言者には触れず、ユダヤ教最高法院の行動として、イエスにこの問いが突きつけられた事実を報告します。
 では、イエスは自分をメシアとしたという告発は誰がしたのでしょうか。イエスはご自分をメシアだと主張されたことはありません。イエスの力ある業を見た民衆の中には、イエスをメシアだとして期待する人たちがいたのは事実でしょう(ヨハネ七・三一)。弟子たちもイエスをメシアだと信じるにようになっていました(マルコ八・二九)。しかし、イエスは弟子たちにそのような事柄を口にしないように厳しく命じておられます。イエスは民衆の間に自分に対するメシア期待が起こるのを極力避けようとしておられます。
 当時のユダヤ教指導層は、民衆のイエスに対するメシア期待を極端に恐れていました。それが高じてローマに対する反乱にでもなれば、自分たちが支配するユダヤ教神殿国家の存亡の危機を招きかねません。この恐れが、彼らがイエスを殺そうとした動機です(ヨハネ一一・四五〜五三)。ところが、彼らはイエスが自分をメシアであると主張したという証拠を得られなかったので、最高法院に告発することができませんでした。ところが、弟子の一人であるユダがイエスを秘かに逮捕することができる機会を提供したので、逮捕することはできました。そのさいユダは、イエスが弟子たちには自分をメシアとしていたという内輪の情報を伝えたのではないかという推察もありえます。
 策略をもってイエスを捕らえ、偽りの証人を集めて証言させようとしましたが、それも成功しませんでした。それで、彼らは最後の手段として、イエスの口から直接言わせようとして、イエス自身に「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と迫り、自分のメシア性に対する発言を求めます。それに対してイエスはこうお答えになります。

 イエスは言われた。「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る」。(二二・六七b〜六九)

 たとえイエスがご自分の口からご自分が何者であるかを明言されても、彼らが信じてその事実を受け入れることは到底できないことをご存知です。また、イエスが彼らにご自分の発言をどう理解するかを尋ねても、彼らが答えようとはせず、ただイエスの発言の言葉じりをとらえて裁こうとするだけであることもご存知です。この言葉には、復活者イエスを告知してもそれを信じようとせず、共同体の問いかけにもまともに答えようとしないユダヤ教側の対応に対する復活後の共同体の無念の思いが重なっているように感じられます。
 しかし、相手が信じようとせず、答えようともしないことが分かっていても、イエスはご自身についての事実を言い表さないで済ますことはできません。イエスはユダヤ教最高法院の問いかけに、すなわち全イスラエルの問いかけに明確にお答えになります。イエスのお答えの言葉は、福音書によって少しずつ違った形で伝えられています。
 マルコ(一四・六一〜六二)は、大祭司の「お前はメシア、ほむべき方の子であるのか」という尋問に対して、イエスは「《エゴー・エイミ》(わたしはある)」という、あの神的自己宣言の言葉でお答えになり、その後に「あなたたちは、人の子が大能の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見るであろう」(私訳)という黙示文学的表現(ダニエル七・一三〜一四)を用いて、これから後(復活後)のご自身の身分を言い表されたと伝えています。このマルコの記事は、神を「ほむべき方」とか「大能」という表現で指しているなど、当時のユダヤ教での実際の法廷のやりとりにもっとも近いのではないかと見られています。最高法院にはニコデモなど秘かにイエスを信じている議員もいたのですから、そのやり取りは目撃証人によって伝えられたことが十分考えられます。
 マタイ(二六・六三〜六四)は、《エゴー・エイミ》の宣言は伝えないで、「それはあなたが言ったことです」(この表現については後述)とお答えになり、その後にマルコと同じく「大能の右に座る」という黙示文学的表現で、復活後の地位を言い表されたとしています。マタイはユダヤ教律法学者としての素質から、この《エゴー・エイミ》という宣言の重大性をよく知っているからでしょうか、神的自己宣言としての《エゴー・エイミ》は、湖上での顕現の場面以外では使っていません。
 ルカは、マルコにある《エゴー・エイミ》という宣言は、異邦人読者にはあまりにも理解できない表現であるとしたのか、伝えることなく、「今から後」、すなわち復活後にイエスが着かれる地位についての黙示文学的表現による宣言だけにしています。そのさい、マルコでは「大能の右」という表現で「神の右」が意味されていたのですが、ルカはユダヤ人でない読者のために、「神の」を付けて「神の大能の右」としています。復活されたイエスの地位を示すのに、「神の右に座し」とした《ケリュグマ》の表現が影響している可能性もあります。
 これまで弟子たちだけに秘かに語っておられた「人の子」の秘密を、イエスはいま大祭司の前で公然と宣言されます。この言葉でイエスは、《エゴー・エイミ》という謎めいた表現で語られた内容を明確にされています。この言葉がダニエル書七章の「人の子」の幻から取られていることは明らかです。たしかに、「天の雲に囲まれて来る」という表現は、ダニエル書のような黙示文学に親しみ、間近いパルーシアを待ち望んでいた最初期共同体が伝承の過程で付け加えた可能性があります。しかし少なくとも、ルカが伝えている、「しかし、今から後、人の子は神の大能の右に座る」という短い形は、この場でのイエスの発言と受け取ることができます(コルペ)。
 そしてこの場面で、すなわち「おまえは誰か」という全イスラエルの公式の問いかけに命がけで答える場面で、イエスは自分以外の「人の子」の到来を期待しておられたというような説は問題になりません。イエスはご自分が「今から後、全能の神の右に座る」と宣言しておられるのです。

 そこで皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」。(二二・七〇)

 「神の大能の右に座る」と宣言されたイエスに向かって、法廷の議員たちは「では、お前は神の子か」と問い詰めます。ここでも、マルコは大祭司が問い詰めたとしていますが、ルカは法廷手続きの細部には触れず、審問の内容だけに絞っています。
 ユダヤ教では詩編二編と一一〇編がメシア詩編として解釈されていました。詩編二編で「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ」と言われる方、すなわち神の子である方が王として即位されるのですが、その即位は詩編一一〇編で「わたしの右の座に就くがよい」と言われています。自分が「神の大能の右に座る」というのであれば、お前は自分を「神の子」とするのか、という問いです。
 この問いに対してイエスは、「わたしがそうだ(=神の子だ)とは、あなたたちが言っているのだ」とお答えになります。この文では「あなたたち」が強調されています。イエスの答えは、「わたしがそうだと言っているのは、(わたしではなく)あなたたちの方だ」ということになります。イエスはご自身がこれまで自分を神の子であると公に宣言されることはありませんでした。ただイエスを除きたい祭司長たちが、イエスが自分を神の子として、自分を神と等しい者とする冒?の罪を犯しているとしているだけだ、と返答をされたことになります。
 この文を、「わたしがそうだと、あなたたちは言うのか」という疑問文とする解釈もあります。写本には句読点はないのですから、この読み方も可能です。しかしこの解釈では、次節の「我々は本人の口から(神を汚す言葉を)聞いたのだ」ということにはなりません。やはり、「わたしがそうだと言っているのは、あなたたちの方だ」と理解して、祭司長たちがイエスを断罪するために、イエスの言葉を自分を神と等しい者とする冒?だと(勝手に)主張しているのだ、とするのが適切でしょう。

 人々は、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と言った。(二二・七一)

 前節のイエスの答えを、「わたしがそうだと言っているのは、(わたしではなく)あなたたちの方だ」と理解しても、この言葉から「我々は本人の口から(神を汚す言葉を)聞いたのだ」ということにはなりません。これはイエスの(前節の)答えに断罪の口実をつかむことができなかった祭司長たちが、先にイエスが言われた「今から後、人の子は全能の神の右に座る」という言葉を指して、「我々は(すでに)本人の口から(神を汚す言葉を)聞いたのだ」として、これ以上の証言は必要なく、法廷におけるイエスの「今から後、人の子(であるわたし)は神の右に座る」という宣言自体が死に値する冒?の罪だとします。マルコ(一四・六二〜六三)では、イエスが「神の右に座る」と宣言された直後に、大祭司が衣を裂いてこう叫んでいますが、ルカの「本人の口から聞いた」も、このマルコの構成で理解すべきでしょう。
 自分をメシアであると主張しただけでは罪になりません。イエスの時代の前後に多くのメシア自称者が現れましたが、皆が死刑の判決を受けたのではありません。著名な律法学者のラビ・アキバがバル・ホクバ(第二次ユダヤ戦争を指導したカリスマ的指導者)をメシアと認めて支持したような例もありました。当時の民衆はメシアの到来を待望していましたから、律法学者たちもメシアの要件を規定して、そのメシア主張が正当であるかどうかを判断するように努めていました。しかし、イエスの時代の大祭司と祭司長たち(彼らは大体サドカイ派です)は、先に見たように、強力なイエスのユダヤ教改革運動を恐れて、イエスを取り除く意図をもって、イエスを死刑に定めることを画策した裁判を進めます。

 律法学者たちによるメシアの要件については、拙著『マルコ福音書講解U』90頁の「ユダヤ教のメシア待望」の項を参照してください。