市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第39講

141 イエスの死(23章44〜49節)

 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。(二三・四四)

 マルコ(一五・二五)は「イエスを十字架につけたのは午前九時であった」としていますが、マタイとルカは時刻は特定せず、それが午前であったことを前提にして、昼の十二時ごろに「全地が暗くなった」ことを伝えています。これはマルコも同じです。ヨハネ福音書(一九・一四)はピラトの裁判と判決が「過越祭の準備の日の正午ごろ」としていますので、イエスが十字架につけられたのは「正午ごろ」よりも後のことになります。イエスの十字架刑に関しては、共観福音書とヨハネ福音書では日付も一日違いますが、十字架につけられた時刻にも食い違いがあります。マルコの「午前九時」とヨハネの「正午ごろよりも後」は両立できませんが、ルカのように午前であることを前提にして時刻を特定せず、十字架につけられてから全地が暗くなる「昼の十二時ごろ」までをごく短い時間とすれば、(古代人の時刻記述の大雑把さからすると)ヨハネの記述と両立させることも可能でしょう。
 ルカは、全地が暗くなった時刻である「十二時ごろ」に「既に」という語を添えています。これは、イエスが十字架につけられてから二人の受刑者との対話や周囲の者たちの嘲笑などの出来事があったが、それはごく短い時間の出来事であって、気がつけばもう十二時頃という時刻になっていた、という気持ちを表現しているのでしょうか。
 「全地が暗くなった」ことは、マルコをはじめ共観福音書はみな報告していますが、ヨハネ福音書は触れていません。それで、この暗闇は(次節の「太陽は光を失う」と共に)ユダヤ教黙示思想において終わりの日に起こるとされる暗闇の預言(ヨエル二・一〇、三・三〜四、四・一五、ゼファニヤ一・一五など)が成就したことを指し示すために構成されたものだとする見方が出てきます。しかし、「それが三時まで続いた」という具体的な叙述が示すように、そのような現象が実際に起こったとしなければなりません。実際にある地域が一定時間異常に暗くなったという現象はしばしば報告されており、この時にそのような現象が起こったとしても不思議ではありません。
 イエスは逮捕するために来た軍勢に向かって、「今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている」(二二・五三)と言っておられます。その「闇の力」がイエスの上に力を振るい、ついに神の子を十字架につけて殺すことに成功しました。このような悲劇に太陽も顔を背け、全地が暗くなったことは、この出来事にふさわしい象徴的出来事です。

 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。(二三・四五)

 前節の暗闇の預言で引用したように、ユダヤ教黙示思想では終わりの日に太陽が光を失い闇に変わることが預言されています(ヨエル三・四)。この時全地を覆った暗闇は、その預言の成就として「太陽が光を失った」と表現されます。
 そして、この自然界に起こった「しるし」と一体に組み合わされて、宗教の世界に起こった大きな「しるし」が語られます。それは「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」という出来事です。「神殿の垂れ幕」は、エルサレム神殿の至聖所と聖所を隔てている垂れ幕のことで、その幕の前の聖所には黄金でできた香壇、七枝の燭台、備えのパンの机などの祭具が置かれ、そこで祭司たちが供え物を捧げて日常の礼拝を行います。しかし、その幕によって隔てられた奥の至聖所には、年に一度の「大贖罪日」に大祭司がいけにえの血を携えて入り、至聖所に置かれた「契約の箱」の上面の「贖罪所」に注ぎ(イエスの時代にはその箱はなくなっていたので敷石に注がれました)、民の罪の贖いの儀式を行います(レビ記一六章)。この垂れ幕は、神が臨在を現される至聖所と人が礼拝行為を行う聖所を隔てる幕であり、神と人との隔絶を象徴する垂れ幕でした。その垂れ幕が、イエスが十字架の上に命を注ぎ出されたときに、「真ん中から裂けた」のです。
 至聖所を隔てる幕が裂けるという、神殿の存在意義を根底から揺るがせるような事件を、ユダヤ教側が報告することはありません。しかし、この時代の歴史を記録したヨセフスはその著『ユダヤ戦記』(Y五3)で、エルサレムの都と神殿の崩壊を予兆する様々な不思議な出来事があったことを伝えています。その中で、「内庭の東側の内扉 ― それは真鍮でつくられていたためにきわめて重く、夕方ころにいったん閉じると、二〇人の力をもってしても開けることが殆どできない・・・・・・ ― が、夜の第六時ころ、ひとりでに開くのが認められた」という出来事を報告しています。ヨセフスはそこで多くの予兆をあげ、当時のユダヤ人たちがそれに気付かなかったことを嘆いています。また、ナザレ人福音書には、神殿の幕の代わりに、「驚くべき壮大な神殿の鴨居が崩壊した」と記されていると伝えられています。マタイ(二七・五一)はその時地震があったことを伝えています。イエスが絶命されるとき、太陽は光を失い、あたりは暗くなり、大地は震い動いて、神殿の扉が開き、垂れ幕が裂けるという不思議な現象が起こります。それは、イエスの十字架上の死の意義を指し示す「しるし」となります。

ヨセフスの記事については、秦剛平訳(山本書店)『ユダヤ戦記3』169頁を参照してください。その記事では、この出来事の年代を決定することはできませんが、ラビの伝承から、これを神殿崩壊の四〇年前、すなわち紀元三〇年頃とする見方が紹介されています(NTDのルカ福音書)。

 最初期の共同体は、イエスが十字架上で死なれたとき起こった不思議な現象の中で、神殿の垂れ幕が裂けたことを、イエスの死の意義を指し示す「しるし」として、重要視して語り伝えました。ヨハネ福音書(おそらく一世紀末のエフェソでの成立)は地理的にも時間的にも神殿から遠く離れ、もはや神殿にはあまり関心がないのか触れていませんが、最初期のエルサレム伝承はこれを重視して伝え、すべての共観福音書に伝えられるようになります。幕が裂けたことは、ヨセフスがあげる様々な予兆と並んで、神殿崩壊の予兆の一つとしての意味も持ちえますが、共同体は別の意義をもつ出来事として語り伝えました。すなわち、その出来事は神殿祭儀によって神を礼拝する時代が終わり、キリストの民はもはや神殿祭儀とは無関係に、十字架された復活者キリストにあって神を礼拝し、神に近づくのであるという、新しい神礼拝の時代の到来を指し示す「しるし」として語り伝えられ、福音書に記録されることになります。
 この理解は(文書の上では)パウロに始まり新約聖書の各文書に見られますが、その典型的な表現はヘブライ書です(たとえば九・一一〜一二、一〇・二〇)。しかし、その意義を語ることは、それぞれの文書の講解ですることであって、ここでは幕が裂けたという出来事が、霊的に重大な意義をになう「しるし」として伝承され、福音書に記録されるに至ったという事実を指し示すにとどめます。

 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」。こう言って息を引き取られた。(二三・四六)

 全地を覆う暗闇が続き三時に至ったとき、イエスは大声で叫び、息を引き取られます。イエスが息を引き取り絶命されたときの様子は、福音書によって違った形で伝えられています。ルカの伝え方の特色を確認するために、他の福音書と比較してみましょう。まずマルコ福音書は次のように伝えています。

 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」。これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。(マルコ一五・三四〜三七)

 マタイ(二七・四六〜五〇)は、「エロイ」を「エリ」に変えている以外は、マルコをほぼそのまま引き継いでいます。ただ、マタイはイエスが最後に大声で叫ばれたことを伝える文に(マルコにはない)「再び」という語を入れて、それが「エロイ、エロイ」の叫びとは別の叫びであることを明確にしています。マルコの伝え方では、「エロイ、エロイ」の叫びが最後の叫びであったと理解することも可能です。それが別の叫びであったとしても、その内容は伝えられていないのですから、マルコ・マタイ系の伝承では、「エロイ、エロイ」の叫びがわれわれが知りうるイエスの最後の言葉となります。
 ヨハネ福音書は、「海綿に酸いぶどう酒を含ませて」イエスに与えた事実はマルコと同じですが、それは「エロイ、エロイ」の叫びとは関係なく(ヨハネにはこの叫びはありません)、イエスが「わたしは渇く」と言われたのに対してです。

 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ一九・二八〜三〇)

 ヨハネ福音書では、イエスは大声で叫ぶことなく、静かに「頭を垂れて息を引き取られた」ことになります。最後に発せられた言葉は、「成し遂げられた」という言葉であり、イエスが父から与えられた使命をこの十字架上の死で成し遂げたことを自覚しておられたことを指し示しています。
 ルカはマルコ福音書を知っていたことが十分推察されます。ルカは多くの箇所で(とくに第一部と第三部で)マルコ福音書を用いていることが見られます。一方ルカは、(直接ヨハネ福音書を知らないとしても)少なくともヨハネ福音書と共通の伝承を知っていた可能性があります。ルカの記事には、マルコよりもヨハネの伝承に近い内容がしばしば見られます。さらにルカは独自の伝承と資料をもっていたことが推察され、ルカ福音書の資料問題は複雑な様相を見せています。ここでルカの資料問題に立ち入ることはできませんが、イエスが息を引き取られる重要な場面で、ルカがどのような姿勢でそれを伝えているかを見ておきたいと思います。
 まず目立つ事実は、ルカはマルコの「エロイ、エロイ」の叫びを伝えていないということです。ローマの兵士が「海綿に酸いぶどう酒を含ませて」イエスに与えた事実は、みなが目撃している事実ですから、省略することなく伝えていますが、それを三時間の暗闇の最後にイエスが「エロイ、エロイ」と叫んで絶命されるときの出来事ではなく、(先に見たように)その暗闇が始まる前に持ってきて、それをローマ兵によるイエスへの侮辱の場面に変えています。その変更は、海綿に酸いぶどう酒を含ませてイエスに与えた事実と関連して伝えられている「エロイ、エロイ」の叫びを伝えるのを避けるためであると考えられます。
 この叫びは、イエスが最後に神に見捨てられた者として死んでいく苦悩を示すものとして、イエスを批判したり侮辱する者たちの好材料となるので、イエスを神の子として告知する側には重荷になります。そのような言葉を、それを告知する共同体が創作することはありえないので、その叫びは事実であるとしなければなりません。最初期の共同体は、イエスが最後に発せられたこの言葉を重視して、とにかく事実通り忠実に伝えました。それがマルコ福音書に書き留められることになります。
 しかし、それが重荷であるだけ、それに触れないで済まそうという動機が働くのも事実です。時が経つほど、歴史的事実の正確さよりも、状況への配慮と著者の福音理解の特質からする独自の形が出てくるようになります。ヨハネ福音書がこの「エロイ、エロイ」の叫びを伝えていないのも、著者は自分の福音告知の中でとくにその言葉を伝えることは必要ではないとしたからではないかと考えられます。
 ルカの場合は、理解するのが難しいこの言葉を外すことで、「《アフェシス》の福音」、「恩恵の福音書」を告知されるイエスの姿を最後まで一貫させようとしたのではないかと推察されます。「エロイ、エロイ」の叫びは、批判者に好材料を提供するだけでなく、罪の赦し、無条件の恩恵を与えられるイエス自身が神の裁きに苦悩する姿として、首尾一貫しないように見えます(実はそうではないのですが)。ルカはあくまで一貫してイエスを恩恵の告知者として描こうとします。「エロイ、エロイ」の叫びを伝えていない点で、ルカはマルコよりもヨハネに近い側にいます。
 ルカは、イエスが息を引き取られるとき発せられた叫びの言葉を、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と伝えています。「わたしの霊を御手にゆだねます」という祈りの言葉は詩編三一編六節にありますが、詩編では「まことの神、主よ」という呼びかけになっています。イエスは日頃神を「父」と呼んで、親しい交わりに生きておられました。最後の瞬間、イエスはこの呼びかけと、親しんでおられた詩編の祈りの言葉で父に祈られます。ルカが伝えるイエスの姿は、最後まで親しい交わりにある父に一切を委ねるイエスであり、神に見捨てられた苦悩を叫ぶマルコのイエスと対極にあります。
 なお、この最後の祈りは、殉教者ステファノの「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」(使徒七・五九)の最後の祈りと(用語は違いますが内容は)同じであることが注目されます。このことについては、後で取り上げることになります。

 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。(二三・四七)

 処刑執行役の責任者である百人隊長は、このイエスの最後を見て感動し、「本当に、この人は正しい人だった」と言った、とルカは伝えています。「この出来事を見て」というのは、イエスが息を引き取られるときの姿だけでなく、十字架につけられてから息を引き取られるまでの出来事のすべてを見て、という意味と考えられます。その姿の中に、百人隊長はたんなる犯罪者とかローマの支配に叛逆する叛徒ではなく、神から遣わされてその使命を果たして死んでいく宗教的人格を認めたと言えます。こうして、この百人隊長はイエスの正しさを認めた最初のローマ官憲となります。
 マルコ(一五・三九)では、「本当に、この人は神の子であった」と言った、となっています。ユダヤ教の神学に無縁なローマの軍人の言葉としては、「正しい人」と「神の子」の違いを議論することは無意味でしょう。マタイ(二七・五四)は、「地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れ」、こう言ったと伝えています。十字架のイエスの高貴な姿に感動したからではなく、イエスが絶命されたときに起こった異常な現象に畏怖を感じたので、百人隊長がこう言ったことになります。描き方は違いますが、共観福音書はそれぞれの仕方で、十字架上のイエスの姿は異教徒も認めざるをえない高貴なものであったことを伝えています。

 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。(二三・四八)

 ここでは、普通選ばれた神の民を指す《ホ・ラオス》ではなく、たんなる群衆を指す《オクロス》が使われています。ここでは、たまたま通りかかってこの出来事を見た群衆を指しています。彼らも十字架上のイエスの高貴な姿とその最後を見届けて、もはや嘲笑したりののしったりすることができなくなり、深刻で悲劇的なことが起こったのだと覚り、「胸を打ちながら」帰って行った、とルカは伝えています。「胸を打つ」は、イスラエルでは深い嘆きや(イザヤ三二・一二)、悔い改めの感情(一八・一三)を表すジェスチャーですが、ここでもイエスの最後を見た群衆が悲痛な感情に襲われたことを示しています。ルカはこの情景を書き加えることで、イエスの十字架上の死の高貴さをいっそう印象深くしています。

 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。(二三・四九)

 弟子たちはここにいません。「イエスを知っていたすべての人たち」というのは、おそらくエルサレムでのイエスの活動に接して、イエスのことを知るようになった人たちでしょう。ルカは誇張して「すべての人たち」と書いていますが、実際はそれほど多くの人ではなかった考えられます。そのような人たちと一緒に「ガリラヤから従って来た婦人たち」が、遠くに立って、十字架刑によるイエスの処刑の一部始終を見届けます。この後「イエスを知っていたすべての人たち」は特別の役割を果たしてませんが、「ガリラヤから従って来た婦人たち」は、イエスが葬られた墓を見届け、その墓が空になっていたのを弟子たちに知らせるなど、復活証言において重要な役割を果たすことになります。その婦人たちとは誰であったかは、その働きが語られるところで扱うことにします。

 イエスの地上の生涯には、このあと「墓に葬られる」ことを物語る段落(二三・五〇〜五六)が続きます。たしかに、人の生涯は埋葬で終わります。しかし福音書の場合、この埋葬の記事は、イエス復活の証言としての「空の墓」の一部を構成するものであって、それだけで意義をもつものとして記録され伝えられているものではありません。本講解では、二三章五〇節から二四章一二節までの墓に関する記事を、物語の単元としては一つのものと見て、イエス復活の証言として「空の墓」の標題で扱うことにします。したがって、その段落は次章の復活物語で取り扱うことになります。



結び ― ルカが伝える十字架上のイエス

 ルカ福音書第三部でイエスの受難物語を読んできましたが、今回その最後の局面である十字架上の死を伝えるところまで来ました。すでにここに至るまでの物語においてルカの特色が(とくにマルコに較べて)見られましたが、この十字架上の死を伝えるルカの記事にも、ルカが告知する福音の特質がよく表れていることが見られます。ここでは特殊な性格のヨハネ福音書との比較はお預けにして、ルカの時代の共同体に広く知られるようになっており、ルカもそれに依拠して書いたと考えられるマルコ福音書と比較して、その特質を見ておきたいと思います。
 イエスの十字架上の死を伝えるルカの記事には、二つの明確な特色があります。一つは、マルコ福音書にはない(そして他のどの福音書にもない)十字架の上でも罪の赦しを告知されるイエスを伝えているという事実です。十字架上で最初にイエスが発せられた言葉は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」という赦しを父に求める祈りでした。そして、イエスを信じた受刑者の一人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言って、無条件の恩恵を告知された言葉です。これは講解で述べたように、生涯を通して「罪の赦し《アフェシス》の福音」を宣べ伝えてこられたイエスの姿を最後まで貫くルカの福音告知の特色です。
 もう一つの特色は、マルコが伝えている「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」というイエスの最後の叫びをルカが伝えていないことです。ルカがマルコを知っている以上、これはルカが意図的に削除したと見ざるをえません。ルカはこれまでにも、受難を予告されたイエスを諫めたペトロを叱責された記事(マルコ八・三一〜三三)を削除し、エルサレムにお入りになる前に語られた「杯」の言葉(マルコ一〇・三五〜四五)を伝えず、ゲツセマネの祈りも簡略にしていることなど、マルコに較べると世の罪を負って苦しむ「主の僕」の姿は希薄です。その姿勢が、神から見捨てられた苦悩を言い表しているとみられるこの叫びを削除させ、代わりに「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という、変わらぬ信頼をもって命を父に委ねる子の祈りにしています。
 この二つの特質を合わせると、ルカが伝える十字架上のイエスの死は、自分の信仰とか使命に命を献げ、父への信頼による平安の中に死んでいく殉教者の死を思わせる面があります。もちろんルカもイエスの死が人々の罪を赦すために世の罪を背負って死なれた神の子の死であることはよく知っており、「最後の晩餐」伝承を伝えることで、その理解を示しています。しかし、ルカの時代にはすでにステファノをはじめ多くの殉教者が出ていました。ルカはその伝承を知っており、その代表としてステファノの殉教を詳しく伝えました。その殉教者たちの原型としてイエスの十字架を描いたのではないかと推察させる節があります。十字架の出来事から地理的にも時間的にも遠く離れた異邦人の世界で福音書を書いているルカにとって、十字架上の実際の出来事よりも、ルカが告知しようとする福音の理念を表現する方が優先されたのかもしれません。