市川喜一著作集 > 第19巻 ルカ福音書講解V > 第49講

4 マリア、エリサベトを訪ねる (1章39〜45節)

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。(一・三九〜四〇)

 「そのころ」というのは、マリアが天使の告知を受けてから何ほどかの日時が経ったころを指しているのでしょう。しかし、ルカはこの表現を物語のつなぎに用いるだけですから、出来事の日時を問題にすることはありません。マリアは天使のお告げで親戚のエリサベトが懐妊してもう六か月にもなっていることを知って、急にエリサベトに会いたくなり、彼女のところに急ぎます。「急いで」の一句に、この時のマリアの上から迫られている熱い気持ちが表されています。この句は「熱心に」とか「決意をもって」と訳すこともできます。
 マリアが向かった行き先は「ユダの町」とされています。「ユダ」が地名として出てくるのは、こことマタイ二・六だけで議論は残りますが、南の「ユダヤ」地方を指すとしてよいでしょう。これをヘブロンの南九キロにある古い祭司の町「ユタ」(ヨシア記一五・五五)とする説もあります。「山里」は山が連なる地域を指し、パレスチナのいたるところにありますが、ここは「ユダヤの山地」を指すと見てよいでしょう。エルサレムに住む祭司は少数で、大多数の祭司は周辺の「ユダヤの山地」に点在する町とか村に住み、神殿での務めの期間だけエルサレムに上り、務めが終わると「自分の家に」帰りました。アビヤの組の祭司ザカリアもそのような祭司の一人でした。
 そうすると、マリアはガリラヤのナザレに住んでいるのですから、マリアはガリラヤから「ユダの町」まで女一人で数日の山地の旅をしたことになります。ところがマタイの誕生物語には、ヨセフとマリアがイエスの誕生前はガリラヤのナザレの住人であったことを示唆する記述はなく、むしろ誕生後ヘロデの幼児虐殺を逃れてユダヤからエジプトに避難し、ヘロデの没後帰国して、ナザレに移住したとしています。マタイの記事は、ヨセフの家はベツレヘムにあったという前提で語られています。マタイ福音書(二・七〜一二)には、「ヘロデは占星術の学者たちを・・・・・ベツレヘムへ送り出した。・・・・・彼らが家に入って見ると、幼子は母マリアと共におられた」とあります。もしイエスの誕生前にヨセフとマリアの家がベツレヘムにあったとすると、マリアがそう遠くない「ユダの町」に親戚のエリサベトを訪ねたのも、無理のない日常的な場面として理解できます。
 イエスは「ナザレのイエス」と呼ばれていて、ナザレで生まれ育った人物として広く知られていました。この歴史的事実と、「イエスはヘロデ王の時代にベツレヘムでお生まれになった」というイエス誕生の基本的な伝承を両立させるために、ルカはナザレの住人のマリアが旅先のベツレヘムで出産したという劇的な物語を構成したと考えられます。そのさい、マリアのエリサベト訪問の伝承は、この物語をヨハネとイエスの並行関係で構成しようとするルカにとって捨てがたく、マリアにやや無理な旅をさせることになったのでしょう。そして、せっかく遠路はるばる旅をしてきたのですから、マリアはエリサベトの家に三か月も滞在することになります(一・五六)。マリアは婚約中であって、まだヨセフの家には入っていませんので、このような長期の滞在も可能です。  

 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」。(一・四一〜四二)

 「おどった」と訳されている語は、「跳び上がる」という意味の語です。胎児は六か月以上になっているのですから、エリサベトはその胎動を感じることができます。その時、エリサベトは「聖霊に満たされて」声高らかにマリアと胎内の子を祝福します。ルカは「聖霊」の働きに触れることが多い福音書記者です。その傾向はとくに誕生物語で目立ちます。ルカはその福音書で「聖霊」という語を一三回用いていますが(これは他の福音書と較べると圧倒的に多い回数です)、その中の六回は誕生物語に出てきます。この事実はこの誕生物語が、日頃聖霊の働きを強く体験していて、恵みの事態をすべて聖霊の働きに帰して神を賛美していたルカの時代のパウロ系共同体での成立であることを示唆しています。実際にマリアが出産したときのユダヤ教社会では、このように「聖霊」が言及されることはなかったはずです。
 エリサベトは聖霊に満たされて「あなたは女の中で祝福された方です」と叫んだのですから、これは聖霊の叫びになります。この聖霊によるマリアへの祝福は、すぐ後に続く「マリアの賛歌」(とくにその前半)にその応答を見出します。「あなたの胎の実」(直訳)への祝福も、「マリアの賛歌」(とくにその後半)にその応答を見出します。「エリサベトの祝福」と「マリアの賛歌」は一対となって、神の恵みを受けた二人の女性の対面場面(一・三九〜五六)を構成します。

 「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました」。(一・四三〜四四)

エリサベトはマリアを「わたしの主のお母さま」と呼んでいます。この呼び方は、やがてマリアから生まれる子が自分の《キュリオス》(主)となることを知っている者の呼び方です。この呼び方には、復活されたイエスを《キュリオス》と呼んだ最初期共同体の信仰が反映しています。ここでエリサベトは、イエスを《ホ・キュリオス》と言い表すキリスト信仰を予感する魂として描かれています。
 胎児は母親の感情の影響を受けると言います。マリアに会ったときのエリサベトの聖霊による感情の高揚が胎児を刺激して、胎児が母胎の中で跳び上がります。それを感じたエリサベトは、自分の聖霊による喜びの中で、「胎内の子は喜んでおどりました」と表現します。

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。(一・四五)

 天使ガブリエルが伝えた主の言葉を、「わたしは主の奴隷です。お言葉どおりこの身になりますように」と言って、ひれ伏して受け入れたマリアを、エリサベトは「なんと幸いでしょう」と祝福します。この信仰がマリアを「女の中で祝福された者」とします。エリサベトは今も、夫の祭司ザカリアが天使の言葉を信じなかったためにものが言えなくなっている現実に直面しています。それだけにマリアが信仰によって祝福されていることを強く意識するのでしょう。このエリサベトの祝福にも、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じる」信仰に生きた最初期共同体の信仰が鳴り響いています。