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第二節 新約聖書の一体性

各文書の位置づけ

 新約聖書の文書には、大きく分けると、福音書という類型と書簡という類型の二つがあり、この違った類型の文書を並べて直接比較することは問題があります。しかし、主イエス・キリストを証言するという本質は同じですから、その証言の内容や傾向については、類型の違いを超えて比較して、その特色を語ることができます。前節の「新約聖書文書の多様性」で、その特色の多様性を見てきました。そして、その多様性が、各文書の成立事情の違いによるものであることを見てきました。
 では、このように(時には矛盾するような主張を含む)多彩多様な多くの文書を、統一体として理解するにはどうすればよいのでしょうか。その多様な言説の中から、統一された一つの使信を聞き取るには、どうすればよいのでしょうか。それにはまず、その多様性が生じる理由を理解することから始めなければなりません。なぜこの文書はこのような主張をし、他の文書はなぜ違うことを語るのか、その理由を理解することが、全体の統一を理解するための第一歩となります。前節の「多様性」で、各文書の多様性は成立事情の違いから来ることを見たのは、実はこの多様性の理由を理解するための作業でした。そして、その理由を理解するための作業は、実は各文書を福音の展開史の中に位置づける作業であったのです。ここで、この「位置づける」ということの意義を見ておきたいと思います。
 主イエス・キリストを宣べ伝える福音の運動は、30年の復活者イエスの顕現の出来事から始まり、神の霊の力強い働きによって、二世紀初頭までの百年足らずの間に、エルサレムからパレスチナ・シリアの全土、北アフリカ(エジプトやクレネ)、エーゲ海地域、ローマに至る東地中海世界に大きなうねりとなって波及していきました。その運動は一つの生命のうねりであり、それが表れる姿は担い手の宗教的背景や地域や時期という歴史的状況によって違ってきますが、そのうねりを引き起こす命自体は同じです。それは、主イエス・キリストの御名によって働く神の御霊の命です。
 この命のうねりは、その最初の百年足らずの間に実に多彩多様な多くの文書を生み出しました。生み出された文書は、それを生み出した命の現れです。同じ生命が違う姿で現れるのは、その命の担い手であり証言者である著者や共同体の宗教的立場(この場合はとくにユダヤ教との関係)、成立した地域や時期の歴史的状況が違うからです。これは前節の「多様性」で見たとおりです。そこで見たように、これらの違いを引き起こす要因は複雑に絡み合っていて、単純に各文書を福音の展開史の広がりと推移の図面の中に位置づけることはできません。
 前節の「多様性」では、著者(または文書を生み出した共同体)の宗教上の立場(とくにユダヤ教との関係)、成立した地域、成立した時期の三つを、その文書の特質を生む要因としてあげました。しかし、この三つを軸とする立体的な図の中に、それぞれの文書を位置づけて図示することはきわめて困難ですので、あえて単純化して、初期の福音告知の運動とユダヤ教との関係が変わってくる時期を三つの段階に分けて、各文書をそれぞれの段階に位置づけてみます。それに今回見ました地域の要因を考察に取り入れて位置づけを行ってみます。

福音の史的展開における三段階

 福音告知活動は、初期においてはユダヤ教の胎内から生まれますが、その進展はユダヤ教から出て、別の信仰集団として形成されていく過程です。その過程の三つの段階を示すのに、ユダヤ教を示す円と、福音告知活動(同時に、その結果成立した信仰共同体)を示す円との、二つの円の重なり方で図示します(クリックすると拡大)。
 その際、ユダヤ教を示す円は実線で示します。ユダヤ教は確立した宗教であり、強固な教義と組織を有しているからです。それに対して、福音告知の円は点線で示します。福音告知は生命的な新しい信仰運動であり、まだ明確な範囲とか宗教としての固い教義とか組織を持っていない、かなり流動的な運動であるからです。

1 福音告知活動を示す(点線の)円が、完全にユダヤ教の(実線の)円内にある段階。

 これは、福音の宣教がユダヤ教の枠内で行われていた段階です。ユダヤ戦争以前の、アラム語系のユダヤ人からなるエルサレム共同体や、「語録資料Q」を生み出したパレスチナのユダヤ人の信仰運動はこの段階に属します。厳格な律法順守で「義人」と呼ばれた主の兄弟ヤコブはこの段階の代表です。この段階では、イエスを信じるユダヤ人は、ユダヤ教徒としての生活を放棄したわけではありません。あくまでユダヤ教の枠内でイエスをメシアと信じているのです。彼らはイエス派の(=イエスをメシアと信じる)ユダヤ教徒です。彼らの信仰は「ユダヤ教内キリスト信仰」です。この段階での福音告知の対象は、ユダヤ人に限られていました。ユダヤ戦争以前のパレスチナはこの段階になります。
 新約聖書内の文書では、この時期のエルサレム共同体の信仰と伝承を色濃く伝えている「ヤコブ書」は、この段階の文書としてよいでしょう。ただし、その成立はユダヤ戦争以後に離散のユダヤ人に向かって書かれた可能性もあり、問題が残ります。同じく問題がありますが、ユダ書も、この時期のパレスチナの黙示思想的信仰を伝える文書として、この段階に入れてよいでしょう。

2 福音告知活動を示す円が、ユダヤ教の円の外に出ようとして激しく移動している段階(矢印)。
  点線の円の一部はすでに実線の円の外にはみ出しているが、全部が出てしまってはいず、二つの円は横並びに一部重なっている段階。


 ユダヤ戦争以前の時期に、おもにパレスチナ以外の地域で、ユダヤ人以外の民(異邦人)に福音を宣べ伝えるようになった段階です。この時期に異邦人に福音を伝える運動を担ったのは、おもにギリシア語系のユダヤ人《ヘレーニスタイ》でした。その代表はパウロです。ペトロもアラム語系のパレスチナ・ユダヤ人でありながら、この運動の担い手として活動しています。地域的には、すでにシリアのアンティオキアで、ごく早い時期にこの運動は始まっています。その後、パウロによって福音はエーゲ海地域に進展していきます(50年代)。そして、すでにこの段階(ユダヤ戦争の以前)に首都ローマでもキリストの民が活動するようになっていました。
 この段階では、パウロが唱える「無割礼の福音」(異邦人は割礼を受けてユダヤ教に改宗しなくてもキリストの民であるうるとの福音)は成果を収め、異邦人信者が増え、キリストの民はユダヤ人と異邦人が混在するようになっていました。この段階で、ユダヤ教の外でのキリスト信仰が成立したのです。この事実を、ユダヤ教を示す実線の円の外にはみ出した点線の円の部分が示しています。
 ところが、この時期(ユダヤ戦争以前)では、点線の円の一部は、まだ実線の円の中に残っています。すなわち、ユダヤ教の枠内のキリスト信仰に立つエルサレム共同体が指導的な地位にあり、そのユダヤ教内キリスト信仰の中の(ユダヤ教を絶対視する)一部のユダヤ人が、ユダヤ教の外でキリストを信じている異邦人を、ユダヤ教の中に引き入れようとして活躍します。彼らは「ユダヤ主義者」と呼ばれます。彼らは、パウロが唱える「無割礼の福音」を非難し、異邦人信者に割礼を受けること(=ユダヤ教に改宗すること)を要求します。それに対してパウロは、ユダヤ教の外でのキリスト信仰の確立のために激しく戦います。
 新約聖書内の文書で、この段階で成立し、この段階のキリスト信仰を証言する文書は、パウロ七書簡(ローマ書、コリント書TとU、ガラテヤ書、テサロニケ書T、フィリピ書、フィレモン書)です。この段階の福音告知は、ユダヤ教の外でのキリスト信仰を確立するための戦いが主戦場となるので、パウロ書簡ではこの問題を扱った部分が重要な位置を占めることになります。ガラテヤ書はほとんどこの問題に集中しています。パウロ書簡の中でパウロの福音をもっとも体系的に提示するローマ書でも、この問題が「律法(ユダヤ教)の外での、信仰による義」の主張として大きく扱われています。
 福音書の中で、マルコ福音書は位置づけが難しい文書です。マルコ福音書がほぼユダヤ戦争の前後に成立したことは、広く認められています。そうすると、2の段階と3の段階の境目に位置することになります。先に見たように、成立地はどこであれ、ペトロの宣教と伝承をまとめて提示する福音書という性格からすると、この福音書はやはりこの段階の文書と位置づけるのが適切であると考えます。ペトロの愛弟子(ペトロT五・一三)であり、同時にパウロの一時期の協力者であったマルコが書いたと見るのがふさわしいこの福音書は、イエスの直弟子の使徒の代表者であるペトロが伝えたイエス伝承を、パウロの福音の枠を用いて提示するという性格の文書であり、この段階の最後に現れて、この段階の福音を要約する位置にある文書と見ることができます。

3 福音告知によって形成されたキリストの民が、ユダヤ教の円の外に出てしまって、二つの円が離れてしまっている段階。

 66年に始まり73年に終結する(第一次)ユダヤ戦争は、70年のエルサレム陥落と神殿破壊をクライマックスとする歴史的大事件ですが、これは福音の展開にとっても決定的に重要な事件となり、時代を画することになります。それは、この出来事によりエルサレム共同体はその指導的地位を失い、異邦人集会をユダヤ教の枠の中に引き入れようとするユダヤ教絶対主義者の影響も弱まり、ユダヤ教の外のキリスト信仰が確立するようになるからです。
 また、ユダヤ戦争を生き延びたファリサイ派ユダヤ教の指導者は、戦後に沿岸地方の小都市ヤムニアに最高法院の継承機関である「法院」を形成して、世界のユダヤ教徒を指導するようになりますが、その「法院」はイエスを信じるユダヤ教徒を異端者として会堂から追放することになります。それまでは、イエスを信じるユダヤ教徒は会堂に所属して、ユダヤ教徒として生活することができましたが、この時期にはそれができなくなり、ユダヤ教とキリスト信仰共同体《エクレーシア》の重なりはなくなります。こうして、ユダヤ教の円とキリスト信仰共同体の円は、重なりのない離れた二円となり、ユダヤ教会堂とキリスト共同体は、互いに非難と攻撃(ときには迫害)だけの断絶した関係になります。
 新約聖書の中の文書は、パウロ書簡をはじめこれまでにあげた少数の文書以外のすべての文書は、この段階の文書になります。先に、エーゲ海地域でユダヤ戦争以後の時期に成立した文書(六つのパウロ名書簡)が、福音理解あるいはキリスト告白においてパウロ書簡と微妙に違ってきていることを見ましたが、これらのパウロ名書簡はこの段階の証言です。パウロ名書簡だけでなく、ペトロの名をもって書かれたペトロ書簡や、この時期の成立のヘブライ書などもこの段階の証言です。この時期は、パウロやペトロというような使徒の名を用いて書かれた書簡がキリストの民の信仰を証言し、指導する時代ですから、わたしはこの時期を「使徒名書簡の時代」と呼んでいます。
 この段階の文書で、新約聖書時代(新約聖書の諸文書が成立した時代)の最後に位置する重要な文書がルカの二部作(ルカ福音書と使徒言行録)です。年代的にはこれより後に成立した文書があるかもしれませんが、その位置と意義からすると、ルカの二部作はこの段階の福音をまとめる位置にあります。拙著『ルカ福音書講解T』の「序章・ルカ二部作の成立」で見ましたように、ルカの二部作は、第一部(ルカ福音書)のイエスの「神の国」宣教と、第二部(使徒言行録)の使徒たちのキリスト宣教を通して、福音が異邦人に与えられていることが神の御計画であることを、歴史を記述することによって示しています。
 この段階で成立した重要な文書に、ヨハネ文書(ヨハネ福音書とヨハネ書簡)があります。ヨハネ福音書は、初期のパレスチナ・シリアのユダヤ教的な伝承を継承していますが、成立はユダヤ戦争以後のエーゲ海地域(エフェソ)であると見られます。この福音書は、九章の生まれながら目の不自由な人のいやしの物語に出てくるように、すでにユダヤ教会堂はイエスを信じるユダヤ人を会堂から追放するという決議をしています(ヨハネ九・二二)。この福音書は「ユダヤ人」を主キリストに敵対する勢力として激しく非難しています。このような事実は、この福音書が第三の段階で成立し、その段階の証言であることを示しています。
 同じエーゲ海地域でユダヤ戦争以後の時期に成立したと見られるもう一つの重要な文書に、ヨハネ黙示録があります。このヨハネ黙示録は、一読して明らかなように、パレスチナのユダヤ教黙示思想の伝承を継承し、第一段階のパレスチナのユダヤ教内キリスト信仰の証言である一面をもっています。しかし、この黙示録はユダヤ戦争以後のエーゲ海地域で、ローマ帝国からの迫害が行われるようになった段階で成立し、そのような状況でのキリスト信仰の質を証言している文書として、やはり第三段階の文書と見るべきでしょう。
 この段階で成立したさらに重要な文書にマタイ福音書があります。先に見たように、マタイ福音書はシリアでユダヤ戦争の後かなり経って成立したと見られます。ほぼ同じような時期にエーゲ海地域で成立したルカの二部作と較べますと、ルカの二部作が異邦人世界での福音告知の場で成立し、異邦人のために書いているのに対して、マタイ福音書はユダヤ人信者の共同体で生み出され、ユダヤ教律法学者的な体質の著者がユダヤ人のために書いています。そのため、これからは異邦人のヘレニズム世界に出て行かなければならない必要は説かれていますが、律法の完成を説くなど(マタイ五・一七〜二〇)、ユダヤ教内のキリスト信仰の質を色濃く残しています。マタイの共同体は、第一段階のユダヤ教内キリスト信仰の場で成立した「語録資料Q」の流れに属し、マタイはユダヤ人からなる共同体に、イエスをメシアと信じて生きる生き方を説いています。この点で、ヤコブ書と同様、第一段階のユダヤ教内キリスト信仰の証言としての一面を持っています、しかし同時に、もはやユダヤ教とは相容れない立場を鮮明にして、ユダヤ教から退去する姿勢を取り、ユダヤ教会堂を激しく批判しています(マタイ二三章)。この点で、第三段階での成立と、その段階のユダヤ人共同体のキリスト告白の証言と見ることができます。
 この段階で、まだユダヤ教内部にイエスを信じるユダヤ人が残っていますが、彼らはエビオーン派として、福音展開史の片隅を占めるだけになります。

一つの命の多様な現れ

 以上、前節の「多様性」で見た各文書の成立事情の違いによる内容や特色の相違を、新約聖書時代の福音展開史の中に位置づけてみました。このような「位置づけ」を試みたのは、多様な各文書を統一的に理解するためでした。
 本節「一体性」の最初に述べたように、「その運動(福音告知活動)は一つの命のうねりであり、それが表れる姿は担い手の宗教的背景や地域や時期という歴史的状況によって違ってきますが、そのうねりを引き起こす命自体は同じです。それは、主イエス・キリストの御名によって働く神の御霊の命です」。一つの生命を宿し、その生命を表現する歴史は一つの有機体です。人間の体を見ても、同じ生命を表現するのにそれぞれの肢体は、それが置かれている位置によって違った働きをして、生命は違った現れ方をします。キリストにあって歴史の中に働く神の御霊の命も、それを現す有機体の中でその担い手が置かれている位置によって、違った現れ方をします。
 この御霊の命が新約聖書時代の歴史の中に現れてくる姿はきわめて複雑であり、それを一つのシステムとして表現することは至難のことです。それで、今回はこの歴史過程をあえて単純化し、ユダヤ教の胎内から生まれたキリストの福音が、ユダヤ教から出て、別の信仰集団を形成する過程という視点から見て、その視点を軸として、その過程を三段階に分け、それぞれの文書を各段階に位置づけることによって、各文書の内容と特色の違いを理解するように試みました。これは、同じ命が違った現れ方をする理由を理解し、全体を同じ命の現れとして統一的に理解するためでした。
 しかし、その違いの理由を理解することよりも大切なことは、この多様な文書を生み出している同じ一つの命の質そのものを理解することです。そのためには、自らがこの命を受け、この命に生きるという現実がなければなりません。この現実があるときはじめて、この多様な文書からなる新約聖書を統一体として理解することができるのです。わたしたち自身が、キリストにあって、キリストの場に働く御霊によって生きるときに、新約聖書は一つの命の多様多彩な表現として、命の共感・共鳴の中でその豊かさを示すことになります。

光源としてのキリスト

 この同じ一つの命が様々な違った姿で現れることを、わたしはこれまでしばしば光源とスクリーンの比喩で語ってきました。たとえば、同じエーゲ海地域で、同じくユダヤ戦争後の時代に成立したコロサイ・エフェソ書とヨハネ黙示録では、同じキリストを告知する文書でも、キリストの姿は大きく違っています。その事実を説明するのに、同じ光源から出るキリストの光でも、それを投影するスクリーンが違えば、そこに映し出されるキリストの姿も違ってくると説明してきました。
 コロサイ・エフェソ書の著者は、パウロから受け継いだ御霊のキリストの命に生き、そのキリストを証言するために書いています。しかし、彼らの思考の枠組みは、パウロよりも一段とギリシア化されたものであり、パウロが熱烈なユダヤ教徒として前提としている救済史的な枠組みよりも、ヘレニズム世界の宇宙論的な枠組みで思考しています。彼らは、自分の内に輝くキリストの光を、多くの霊界の層からなるヘレニズム世界の宇宙(コスモス)というスクリーンに投影して、そこに映し出されるキリストを語るようになります。両書においては、キリストはこの霊的宇宙(コスモス)を支配される方であり、キリスト者およびキリスト共同体《エクレーシア》の目標は、将来のキリストの来臨による完成ではなく、現在この霊的宇宙(コスモス)を支配されるキリストに満たされることになります。
 それに対してヨハネ黙示録は、自分の内に燃えるキリストの光を、黙示思想的な歴史の終末というスクリーンに投影します。そのスクリーンに現れるキリストの姿は、将来(それは間近ですが)世界に来臨して、邪悪な支配を打ち破り、神の支配を完成される栄光のキリストです。著者である預言者ヨハネは、パレスチナ黙示思想の伝統を継承するユダヤ人であり、ローマ帝国による迫害という状況で、キリストの光を投影するスクリーンとしては、黙示思想的な終末というスクリーン以外にはありえなかったのでしょう。

光源とスクリーンの比喩については、拙著『パウロ以後のキリストの福音』259頁の「一つの光源と様々なスクリーン」の項を参照してください。

 この光源とスクリーンの比喩は、ヘレニズム的宇宙論(コスモロジー)とユダヤ教黙示思想というような大きな枠組みの対比では有効かもしれませんが、さらに細かい相違を説明するには不向きな面があります。そのためには比喩をもう少し精密にして、光源とスクリーンの間にプロジェクター(投影機)を入れて考えると適切かと思います。すなわち、同じ光源を内に備えていても、プロジェクターが違えばスクリーンに映る映像は違ってきます。その際、「プロジェクター」とは、投射機器だけでなく、装置される原画も含みます。キリストにおける御霊の命という同じ光源を内に備えていても、どのようなプロジェクターを用いるか、とくにどのようなフィルム原画を装着するかで、スクリーンに映る映像は大きく変わります。
 福音の担い手が置かれている歴史的状況の違いは、この意味でのプロジェクターの違いと見てよいでしょう。同じキリストの命という光源を内に宿していても、その担い手の宗教史的立場とか、活動地域の特性とか、文書の成立時期とかの要因が、複雑なスライド原画となって、文書というスクリーンに微妙に違った姿のキリストを映し出します。ここまでに見た新約聖書文書の多様性と、それがどの段階の状況を映し出しているのかの位置づけの試みは、その違いの理由を理解することによって、映像の違いに囚われることなく、光源であるキリストの命に迫り、その命の光そのものを受け取るためです。この映像の違いの理由を理解していなければ、映像を絶対化して、映像が示す特殊な姿のキリストをキリストのすべてであるとする誤りに陥ります。
 こうして、多様な文書からなる新約聖書の一体性は、この多様性を生み出す原動力であるキリストの御霊の命にあずかり、多彩な文書の光源である御霊のキリスト御自身との交わりに生きることによって、はじめて把握することができます。その光源から見ると、各文書の違いの意義が理解でき、全体を統一体として理解することができます。それがなければ、相矛盾する内容を含む多様な諸文書を統一体として理解することはできないでしょう。

光源としてのキリストと正典

 ところで、新約聖書の諸文書が生み出された時代には、現在の新約聖書に収められている二七の文書の他にも多くの信仰文書が書かれていました。そして、それ以後の時代(二世紀から三世紀)には、実におびただしい数の信仰文書が生み出されました。その中には、光源自体が変わってしまっていると判断せざるをえないような文書も現れます。
 もちろん、変わった側の文書も、これが真の命であり、真理の光だと主張するのですから、激しい論争が起こることになります。この時期(二世紀から三世紀)の論争は、自分たちこそ使徒たちの教えを正統的に継承していると主張するいわゆる「正統派」と、特別に自分たちに与えられた霊的知識《グノーシス》による救済を主張する「グノーシス主義」諸派との論争となります。この論争の経過は本稿の範囲を超えますので立ち入ることはできませんが、結局正統派が勝利して、グノーシス主義諸派は歴史の舞台から消えていきます。
 この過程で、正統派からは多くの「異端論駁」の書が書かれ、正しい使徒的信仰の基準として受け入れることができる文書の選別が行われるようになります。この選別についてもかなりの曲折がありましたが、ようやく四世紀に入って現在の二七の文書が、正しい使徒的信仰の基準として当時の共同体に広く認められ、「正典」となります。
 こうして使徒たちの信仰を正しく継承するものと認められた「正典」諸文書にも、以上に見たように様々な違いや矛盾があり、けっして教義として統一されたシステムではありません。しかし、正典は、その多様な映像を映し出している光源の同一性を保証しています。この保証は、初期のキリスト共同体全体が、三世紀を超える信仰体験によって戦い取ったものであり、尊重されなければなりません。

新約聖書と現代

 このように多様な新約聖書諸文書を、同じ命が通じている異なる機能の肢体からなる有機体として、また同じ光源から発する多彩な映像の集合として理解するとき、現代のわたしたちが新約聖書をどのように受け取り、どのように生かすべきかが見えてきます。
 まず、このような理解から、新約聖書文書にある映像の一部を絶対化することの誤りが見えてきます。分かりやすい例をあげますと、新約聖書の中に「千年王国」の預言があります。これは、先に見たようにユダヤ教終末思想というスクリーンに映し出された特殊なキリストの映像です。それを絶対化して、その実現を信仰の要件としたり教義とするのは、特殊な一つの映像を絶対化する誤りです。
 このような極端な場合だけでなく、パウロの信仰義認の主張さえも、ここで見たように、福音がユダヤ教の枠を超えようとして激しく戦っている段階のものであることを理解すれば、それを福音の核心とすることは不適切であることが分かります。現にコロサイ・エフェソ書では、そうではなくなっています。もちろん、この教説は恩恵の絶対性の表現の一つとして不滅の意義をもっていますが、その教説自体の位置を見誤らないようにしなければなりません。
 わたしたちの課題は、新約聖書の文言を不変の教義として信奉・服従するのではなく、その多様な証言を生み出している命、キリストにある御霊の命そのものを受け取り、その命を現代に生きることです。新約聖書各文書に映し出されている多彩な映像を映し出している光源である御霊のキリストを内に宿すことによって、その光によって現代というスクリーンにキリストの姿を映し出すことです。わたしたちの存在がプロジェクターとなって、現代という歴史の状況にキリストの栄光が映し出されること、これが現代に生きるキリスト者の使命です。どの時代のキリスト者も、この使命が課せられています。