市川喜一著作集 > 第22巻 続・聖書百話 > 第22講

22 いつまでも残るもの

 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

(コリントT 一三章 一三節)


 この言葉は使徒パウロが聖霊の賜物について書き送った手紙の中の一節です。最初期のキリスト者の共同体には聖霊の働きが著しく、預言や異言や病気の癒しなどの形で現れていました。パウロはそれらを賜物として大切にするように勧めながらも、「最高の道を教えよう」と言って、愛を追い求めるように説き、最後にこの言葉で結びます。その理由としてパウロは、「愛は決して滅びない。預言は廃(すた)れ、異言はやみ、知識は廃(すた)れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから」と言っています。
 これまでの曙光で書いてきたように、信仰と愛と希望は聖霊の賜物です。知識や預言や癒しなどの霊の働きは部分的・一時的であり、やがては廃れるものであると言われているのに、この三つは廃れることなく「いつまでも残る」と言われるのは、この三つは聖霊が人間存在そのものにもたらす新しい形だからです。それは聖霊がもたらす新しい命が結ぶ実だからです。
 人間は三つの次元をもつ存在です。神との関わりという宗教的次元、隣人との関わりという社会的次元、時間の中にいるという歴史的次元です。図式的にいうと、神との関わりという垂直軸、隣人との関わりという水平軸、時間の中の存在という時間軸、この三つの軸の交点に生きる存在です。人間がどのような宗教的・社会的・歴史的状況にいようとも、福音がもたらす聖霊は、同じ信仰と愛と希望という、人間存在の新しい形、いつまでも残る実を結びます。
 神との関わりという垂直軸では、天地の創造者である唯一の神に「父よ」と祈り、その子として、もはや影に過ぎない儀礼によってではなく霊による礼拝を献げます。隣人との関係という水平軸では、父の無条件の恩恵の場に生きる者として、相手の価値にかかわらず(敵であっても)無条件の愛をもって、隣人を自分を愛するように愛します。そして、時間の中にある者としては、いかなる状況にあっても将来の善(死者の復活を含む神の支配、神の国)の完成を確信して生きることができます。それは、その完成の保証としての神の御霊を宿しているからです。御霊の現実は終末が時間の中に突入している事態です。終末の前味です。 最後にパウロは、神の命の質を直接に表現するものとして、愛を「最も大いなるもの」と呼んでいます。