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95 処女降誕と復活信仰

 「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。

(ルカ福音書 一章三五節)


 イエスの誕生を祝うクリスマスは今やこの国でも華やかな年中行事になっています。しかし、イエスがマリアから生まれたことは皆知っていますが、その誕生が処女からの誕生であったという告知は無視しています。この科学の時代にそのような馬鹿げたことを信じることができるかという態度です。イエスは処女から生まれた神の子であるからイエスを信じなさいと言われても、科学時代の現代人には受け入れられないのは当然です。
 福音はそんなことは求めていません。福音は「キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、三日目に復活したこと」を告知し、それを信じて復活者イエス・キリストに従う者には神の霊である聖霊が与えられることを約束しているのです。そのイエスがどのように生まれたかは問題にしていません。事実、最初この福音が告知されて信仰に入り、聖霊を受けて新しい命に歩んだ人たちの大部分は、イエスがどのように生まれたかは知りませんでした。
 イエスが復活されたのは聖霊の働きです。弟子たちが復活されたイエスに出会った体験も聖霊の働きです。イエスは十字架につけられて死なれましたが、聖霊の働きによって復活し、神の子キリストとして立てられたのです。その出来事を告知するのが福音であり、その福音を信じる者は聖霊を受けて神の子とされるのです。このように聖霊によって復活者イエス・キリストとの交わりに生きる者は、聖霊によって復活し神の子となられた方を賛美しないではおれません。ルカ福音書にある誕生物語は、このように聖霊によって新しく生まれて神の子とされた者たちの共同体が、同じく聖霊によって復活し神の子とされたイエスを賛美する賛歌です。
 その賛歌の中で、イエスが処女マリアから生まれたことが賛美されます。それはイエスが人間の働きではなく聖霊の働きによって死者の中から復活されたこと(生まれたこと)を、その誕生に重ねて賛美しているのです。イエスは人間の働きのないところで、ただ神の霊の働きによってお生まれになったことを賛美しているのです。それができるのは、自分も聖霊によって新しく生まれ、神の子としての命に生きるようになった者の特権です。処女降誕の信仰は復活信仰の一部です。クリスマス(降誕節)の祝祭はイースター(復活節)の賛美に含まれます。

                              (天旅 二〇一一年4号)