もはやユダヤ教の中にいることはできなくなり、明確にユダヤ教の「会堂」から出て、別の信仰共同体となります。このキリスト信仰共同体は《エクレーシア》と呼ばれたので、この時期には《シュナゴゲー》(会堂)と《エクレーシア》が厳しく対立し、「会堂」からのキリスト信仰に対する厳しい迫害に対して、《エクレーシア》も激しい会堂攻撃の言葉で応酬することになります。それがこの時期に書かれたマタイ福音書(とくに二三章)やヨハネ福音書に出てくることになります。

 最初期の百年に続く次の百年、二世紀初頭から三世紀初頭までの百年は、先に見たように、キリストの民が「キリスト教会」となり、「キリスト教」という宗教をローマ世界にもたらす百年となります。最初期の《エクレーシア》の指導者(使徒たち)はユダヤ教に忠実なユダヤ教徒であったので、福音によって「ユダヤ教」から脱出したはずの《エクレーシア》も、その実際の生活や共同体の形においてはユダヤ教の強い影響下にありました。それで、二世紀に《エクレーシア》が「教会」となったとき、それはユダヤ教「会堂」をモデルとして形成されるようになります。キリスト教会の礼拝はユダヤ教会堂での礼拝をモデルとしていることは明らかです。とくに、その礼拝で旧約聖書が正典として読まれたことは、キリスト教がユダヤ教の延長上にあり、周囲のローマ人たちからキリスト教がユダヤ教の一派のように見なされ、ユダヤ教徒とキリスト教徒との区別がはっきりとされなかったことは避けられないことでした。キリスト教徒に対する迫害においても、「ユダヤの悪習に染まり」が理由とされることもありました。現代においても、キリスト教はユダヤ教と一括(ひとくく)りにされて、「ユダヤ・キリスト教」と呼ばれることもあります。

 「教会」がユダヤ教の聖典である旧約聖書を自分たちの「正典」として受け入れるようなったことについては、二世紀のグノーシ派に対抗する正統派の激しい論戦の結果であることは先に見たとおりです。「キリスト教会」がユダヤ教の聖典である旧約聖書を受け入れたことによって、キリスト教はユダヤ教の体質、とくにその律法主義的体質を受け継ぐことになります。そのために「教会」は絶えざる「宗教改革」の必要を背負うことになります。しかし、キリスト教会が旧約聖書を受け入れることは、福音の本質からして必然のことでした。ここでも「福音の史的展開における必然」ということが言われます。それは福音が告知するキリストの出来事が旧約聖書の預言の成就であったからです。福音はキリストの出来事を「聖書に書いてあるように」という形で宣言しました。グノーシス派のように旧約聖書を拒否することは、キリストの出来事をイスラエルの歴史の成就とすることを否定することになり、イスラエルの歴史の中で形成された救済史的唯一神信仰を否定することになるからです。

 こうして、二世紀には「キリスト教会」はユダヤ人会堂とは別の宗教共同体としてローマ社会に現れ、ユダヤ教とは別の「宗教」である「キリスト教」をこの世界にもたらします。先に見たように、「キリスト教」は古代都市の国家宗教と対立する別の一つの「宗教(レリギオ)」として成立しましたが、同時にまた、もともとそのような「宗教(レリギオ)」ではなかったユダヤ教とも違う別の「宗教」として自身を形成し、ローマ社会に登場します。


結 び

 このようにローマ世界に登場した「キリスト教会」は、「宗教」から脱出した共同体であると同時に、「キリスト教」という新しい「宗教」を形成せざるをえない共同体であるという矛盾を内に抱えることになります。この「宗教」からの脱出と「宗教」形成の必然との相克が、その後の「教会」と「キリスト教」の歴史を構成する原理となります。「教会史」とか「キリスト教史」は、この二つの相反する方向に働く力の相克の歴史として描くことになります。二千年にわたるその歴史の詳細は、それぞれの分野の専門書に委ねざるをえませんが、本書では次節(終章第二節)でそれを原理的に考察して、本書全体の結びとします。「原理的に考察する」のは、本節(第一節)で見た二世紀における「教会」と「キリスト教」の成立を素材として、本来「宗教」からの解放の力である福音が新しい「宗教」を生み出した事実の意義と、福音が生み出した「宗教」である「キリスト教」において、福音がどのような位置を占め、どのような役割を担うのかを考察することによって、「福音とは何か」という原理的な問いにさらに明確に答えるためです。

 


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