24  福音としてのイエスの誕生

 言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
                     (ヨハネ福音書 一章 一四節)


  「クリスマス」というのは「キリストの祝祭」という意味の語です。世界がクリズマスを祝うのは、キリストがこの世界に来られたこと、悲惨な歴史の中に救済者であるキリストが現れたことを喜び祝っているのです。では、救い主であるキリストはどのような姿で来られたのでしょうか。それを物語るのがイエスの誕生物語です。イエスの誕生は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主キリストである」という天からの声でその意義が告知されています。世界はイエスの誕生を祝うことで救い主キリストの到来を祝っているのです。

 人の一生は誕生で始まり死で終わります。人はその生涯で成し遂げた働きによって評価されます。偉大なことを成し遂げた人は偉人とか英雄としてその誕生が記念され賛美されます。イエスもその生涯で大きな働きをされました。しかしイエスの場合は、先に(曙光23で)述べたように、その死が万民の救いであるからです。イエスの十字架の死が「キリストがわたしたちのために死なれた死」であるからです。そこで神が贖いを成し遂げ、和解の言葉を背く世界に語っておられるからです。

 神はイエスを死から復活させてキリストであることを示されました。イエスはキリストであるので、イエスの誕生も生涯の働きも死もキリストの出来事となります。イエスの死が復活の光の中で神の贖い、和解の言葉となるように、イエスの誕生物語も復活の光の中で救い主キリストの到来への賛美となります。復活によって、イエスの誕生から死に至る全体がキリストの出来事となり、人間への神の最終的な言葉となります。

 「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」。初めに言葉によって世界を創造された神が、終わりにキリストの出来事によって救いの言葉を語られたのです。その救いの言葉が、わたしたちと同じ身体をもつイエスとして世界に現れたのです。この救いの言葉としてのキリストの出来事を世界に告知するのが福音です。わたしたちが救いの実現のためにすることは、ただこの神の救いの言葉である福音に自分の全存在をもってアーメンと唱えて、自分をこの神の救いの力である福音に委ねることだけです。これが信仰です。
   (2013年12月15日)


       「曙光」目次に戻る   「市川喜一著作集」目次に戻る    ホームページに戻る