37 キリストの民 

   エクレシア(御民)はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしておられる方の充満です。
     (エフェソ書一・二三)


   神は昔アブラハムを選び、その子孫をご自分の民イスラエルとして、その中に働かれました。しかし今や、キリストによって救いの業を成し遂げ、キリストを告知する福音によってキリストを信じる民を世界の諸民族の中から招いてご自分の民としておられます。新約聖書はその民を「エクレシア」と呼んでいます。エクレシアは終わりの日に地上に創造された神の民です。

 人間は一人では生きられません。必ず共同体を形成します。家族から民族まで同じ血筋で結ばれる共同体から、経済活動を共にする会社などの利益共同体、地域の共同生活の秩序を法で律する国家まで、様々な種類の共同体が人間の生活を造り上げています。その中でエクレシアは、どのような種類の共同体とも違う独特の性質の共同体です。それは血縁とか地縁、また一切の利害関係とも無縁で、ただ同じキリスト信仰によって結ばれた共同体です。それは聖霊の働きによって形成された共同体です。

 エクレシアはキリスト教共同体(教会)と同じではありません。教会はキリスト教という宗教によって形成された宗教共同体です。それは祭儀と教義によって形成され歴史上の多くの宗教共同体の一つです。エクレシアは、教会の中にあっては「見えない教会」として働いています。そして教会の外にもエクレシアは形成され、その中にキリストの神が働いておられます。キリスト教という宗教の壁を貫通して働かれる聖霊によって形成される交わり・共同体(コイノニア)がエクレシアです。

 このエクレシアは「キリストの体」です。見えない霊として働いておられるキリストの働きの結果が人間の共同体の姿をとって地上に現れたものです。キリストの神は神殿や教会堂の中におられるのではなく、キリスト信仰共同体の中に働いておられるのです。キリストは終わりの日に現れた神の救いであり、聖霊は終わりの日に実現した神の救いの働きそのものであり、終わりの日に実現されると語られていた「神の支配」の現実です。キリストの民エクレシアは、今地上で終わりの日の「神の国」を生きています。しかし、その聖霊の現実である神の支配(神の国)は、古い人間性のただ中に宿っているので、この世との激しい戦いの中にあります。エクレシアはその戦いの中で神の支配の勝利と完成を祈り待ち望まないではおれません。
    (2014年6月15日)


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