44 キリストであるイエス

  「あなたこそキリストです」。(マルコ福音書八章二九節 協会訳)


 これはイエスが弟子たちに「あなたたちはわたしを何者だと言うのか」とお訊ねになったとき、ペトロが答えた言葉です。おそらくペトロは当時のユダヤ人の日常の言葉で「あなたはメシアです」と答えたと推察されます。当時のユダヤ教徒は、異教徒の支配からイスラエルを救い出して神の支配を打ち立てる「油注がれた者」(メシア)の到来を待ち望んでいましたので、預言者以上の働きをされるイエスにメシアの到来を見たのでした。しかし、イエスがそういう意味のメシアでなかったことは、すぐにイエスが自分は「人々に渡される(殺される)」という秘密を語り出されたとき、ペトロがメシアにはそんなことがあってはなりませんと言い、イエスがそれを叱責されたことで明らかになります。

 わたしたちは今、復活されたイエスに向かって「あなたこそキリストです」と言い表します。それはイエスが処女から生まれた事実とか、福音書が伝えるような働きをされたのを確認したからではありません。わたしたちがそう言い表すのは、恩恵の場で聖霊の働きを受け、復活されたイエスに出会ったからです。聖霊によらなければ、だれも「イエスは主《キュリオス》である」とは言えません。新約聖書は聖霊によって復活者キリストに出会った人たちの証言です。そして聖霊は今に至るまで働き、その証言を続けておられます。

 復活者イエスに向かって、わたしたちは「あなたこそキリスト」と叫ぶのです。このキリストはもはやイスラエルを異教徒の支配から救い出すメシアではありません。人間を罪と死の支配から救い出す救済者です。世界の万民の上に立てられた主《キュリオス》です。この方をわたしたちは「主イエス・キリスト」という名で世界に告知します。その告知の一つの形がクリスマスです。クリスマスとはキリストの祝祭という意味です。その時にはマタイやルカが伝えるイエスの誕生の物語が語られ、イエス誕生の物語が劇として上演されたりします。しかし、イエスがそのような不思議な形で誕生されたからキリストであるのではなく、イエスは復活されたからキリストなのです。どのような形の誕生であっても、イエスの生涯が墓で終わっているのであれば、イエスをキリストとして祝うことはできません。クリスマスはキリストの祝祭、復活者であるキリストの祝祭であり、その方が人間としてわたしたちの歴史のただ中に現れたという聖なる出来事を祝う祝祭なのです。

 わたしたちはクリスマスを祝います。それはキリストであるイエスの誕生であるからです。キリストであるイエスの十字架によって、神はわたしたちを救う働きを成し遂げてくださいました。わたしたちは十字架され復活されたイエスをキリストとして告白します。

                                (二〇一四年12月)


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