49   信仰と愛と希望の民エクレシア 


  わたしたちの神であり父である方の御前において(なされた)、わたしたちの主イエス・キリストにおけるあなたがたの信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐を、わたしたちはいつも覚えています。(テサロニケ?T 一・三  私訳)


    天地万物を存在させている創造者なる神は、キリストにおいて背いている人間の贖いを成し遂げてくださいました。その告知である福音を信じて、「キリストにあって」神のもとに帰ってきた者を、神はご自分の民として選び分かって、時が流れる地上に、すなわち歴史の中に置いて、その中に聖霊として力強く働いておられます。わたしたちキリストにあって神の民とされた者は、モーセ契約の民であるユダヤ人と異邦諸民族から選ばれて召し出された民が一つに合わせられて、キリストによる新しい契約の民を形成しています。その民はイエス・キリストによる贖いと終わりの日の完成という二つの決定的な神の働きの二つの「時の間に」、聖霊が神の民に与える信仰と愛と希望をもって歩んでいます。

  まず第一に、地上における神の民はキリスト信仰の民、キリストにあって神を信じている民です。キリストにあって贖われ、聖霊の働きによる変革を受けて新しくされ、その新しい歩みの中で交わりを持つ人たちが形成している共同体です。これは、この世で人間が形成するあらゆる種類の共同体と性格が違います。パウロはこのようなキリストにある人たちの信仰を、単に信仰と呼んでいます。このキリストにおける神信仰の姿は、「あなたがたは…子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、わたしたちは『アッバ、父よ』と叫ぶのです」(ローマ八・一五)というパウロの言葉に端的に示されています。

  第二に、神の民は愛《アガペー》によって形成される共同体です。地上の人間は、男女の愛、親子の愛、友人の愛、正義への愛、祖国愛など、何らかの愛によって共同体を形成しています。しかし、神の民は、そのような生まれながらの人間に備わっている愛ではなく、キリストにあって賜った恩恵の源泉である神の愛、敵対する者をも無条件に赦して受け入れる愛、今まで人間が知らなかった別種の愛を知り、そういう愛によって共同体を形成するのです。聖書はこの愛を《アガペー》と呼んでいます。「敵を愛しなさい」という有名なイエスの言葉も、このような恩恵の中に生きる者の生き方を示しています。

 第三に、神の民は神の子としての栄光が現される時を待ち望んでいます。聖霊によって新しく内に生まれた永遠の命も、この旧い体の中で、そしてこの悲惨な歴史の中で呻いていますが、神が万物を新しくされる終わりの日には、新しくされたすべての被造物と共に新しくされ、キリストと共同の相続人として神の栄光を現すことになります。パウロはこれをコリントの信者たちには「死者の復活」と呼んでいます。「わたしたちは救われて、この希望を持つにいたったのです」(ローマ八・二四)。この希望が神の民の標識です。


       「曙光」目次に戻る   「市川喜一著作集」目次に戻る    ホームページに戻る