ヨハネ福音書 翻訳と講解  

    生きた水の流れ

                           ―― ヨハネ福音書 七章 ――


 20 ガリラヤに留まるイエス    (7章 1〜9節)

 1 そしてこの後、イエスはガリラヤを巡り歩かれた。ユダヤ人がイエスを殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡り歩こうとはされなかった。 2 さて、ユダヤ人の祭りである仮庵祭が近づいていた。 3 そこでイエスの兄弟たちが言った、「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。 4 公の者であることを求めながら、ひそかに事を行う者はいない。これらの事をするのであれば、世に自分を現しなさい」。 5 兄弟たちはイエスを信じていなかったのである。 6 そこで、イエスは兄弟たちに言われた、「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたたちの時はいつでも備えられている。 7 世はあなたたちを憎むことはできないが、わたしを憎んでいる。それは、わたしが世について、その業が邪悪であると証ししているからである。 8 あなたたちはこの祭りに上って行くがよい。わたしは上って行かない。わたしの時がまだ満ちていないからである」。 9 こう言って、自分はガリラヤに留まっておられた。


兄弟たちの忠告

 そしてこの後、イエスはガリラヤを巡り歩かれた。ユダヤ人がイエスを殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡り歩こうとはされなかった。(一節)
 現行の構成では、イエスはパンの出来事の後、そのままガリラヤに留まられたことになります。五章と六章が入れ替わっているという「錯簡」を認めると、七章は五章に続くことになり、ベトザタ池の出来事でユダヤ人の殺意が明らかになったので、ユダヤからガリラヤへ移られたことになります。

 イエスがベトザタの池で安息日に病人を癒して安息日律法を故意に破っただけでなく、神を父と呼んで自分を神と等しい者としたとして、ユダヤ人はイエスを殺そうと狙うようになりましたが(五・一八)、その「ユダヤ人」とはエルサレムを拠点とするユダヤ教指導層のことです。それで、イエスは彼らの支配下にあるユダヤの地には入ろうとされず、彼らの直接の監視が及ばないガリラヤを巡り歩かれることになります。ガリラヤの住人もユダヤ人ですが、彼らはイエスを殺そうと狙ってはいませんでした。したがって、ヨハネがここで(そして他の多くの箇所で)「ユダヤ人」というときは、ユダヤ人一般ではなく、ユダヤ教指導層という限定された人たちを指していることに留意しなければなりません。

     ガリラヤではイエスに対する殺意はないのですから、イエスへの殺意を理由にあげてガリラヤへ行かれたことを語る本節は、ガリラヤを舞台とする六章よりも、エルサレムを舞台とする五章に自然に続きます。この考察も「錯簡」説を支持します。

 さて、ユダヤ人の祭りである仮庵祭が近づいていた。(二節)
 ここの「ユダヤ人」は、他の民族や宗徒と区別された「ユダヤ教徒」を指しています。仮庵祭は、過越祭、七週祭と並んでユダヤ教の三大巡礼祭の一つで、秋の収穫感謝の祭りです(申命記一六・一三〜一五)。ユダヤ教徒は、この祭りの時にはエルサレムに上って祭りに参加することが求められます。

 そこでイエスの兄弟たちが言った、「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公の者であることを求めながら、ひそかに事を行う者はいない。これらの事をするのであれば、世に自分を現しなさい」。(三〜四節)
 祭りが近づいていたので、イエスの兄弟たちはエルサレムに上ろうとして、イエスにこのように言います。これは、兄弟たちもイエスがガリラヤでなさった業を見ており、多くの群衆がイエスを歓呼しているのを見ているので、ガリラヤのような辺境の地ではなく、ユダヤ教の中心地であるユダヤへ行き、このような働きを聖都エルサレムでして、弟子を集めたらどうか、という示唆です。広く民衆の指導者として立とうとする者は、ひそかに事を行うべきではない、ユダヤ教の中心で自分の存在を誇示しなさい、という忠告です。

 兄弟たちはイエスを信じていなかったのである。(五節)
 この兄弟たちの忠告について、著者は「彼らはイエスを信じていなかったのである」というコメントをつけます。もし兄弟たちが(現在のヨハネ共同体のように)イエスを信じて、イエスが誰であるかを真に理解していたならば、このようなユダヤ教に伝統的な政治的なメシアの道を歩むように忠告することはなかったであろう、という説明です。この兄弟たちの忠告は、イエスが受難の道を歩むことを予告されたとき、伝統的な政治的メシア理解しかないペトロが、「そんなことはあってはなりません」といさめた(忠告した)共観福音書の物語(マタイ一六・二二)と同一線上にあります。
 なお、このイエスの兄弟たちの記事は、著者ヨハネがイエスの家族がガリラヤの住人であること、従ってイエスはガリラヤの人であることをよく知っていることを示しています。


わたしの時はまだ来ていない

 そこで、イエスは兄弟たちに言われた、「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたたちの時はいつでも備えられている」。(六節)
 この兄弟たちの忠告を、イエスは「わたしの時はまだ来ていない」と言って断られます。自分が世に遣わされた使命を果たす出来事が起こる決定的な時はまだ来ていないのだからという理由で断られるのです。
 新約聖書で「時」《カイロス》という用語は、この場合のように、ある特別の意味をもった出来事が起こる時点とか時機を指すことがあります。ヨハネ福音書では、「わたしの時」という表現が重要な役割を果たしています。それは、イエスが十字架にかけられて地から上げられることと、復活して天に上げられることが重なって、イエスが「人の子」としての使命を完成される時を指しています(三・一四、一二・二七〜三四参照)。それはエルサレムで起こることとして、イエスはこの時エルサレムに上ることを断る理由とされます。
 「わたしの時はまだ来ていない」のに対して、「あなたたちの時はいつでも備えられている」と言われます。「あなたたち」は、直接には対話の相手であるイエスの兄弟を指しますが、間接的に彼らが代表する、この世に属する者たち一般を指しています。「あなたたちの時はいつでも備えられている」とは、この世に属する者たちがこの世の事柄を行う時機はいつでもあるという意味になります。
 このイエスと兄弟たちの対比が、続いて世から受ける憎しみの違いとして語られます。

 「世はあなたたちを憎むことはできないが、わたしを憎んでいる。それは、わたしが世について、その業が邪悪であると証ししているからである」。(七節)
 世は、世に属する者たちを憎むことはできません。彼らは自分に属する者たちだからです。ところが、世はイエスを憎みます。イエスはこの世に属する者ではなく、この世に対立し、世がなす業が邪悪であることを暴露する方であるからです。イエスの姿は、世界の在り方が間違っていることを示しています。
 ところで、この福音書が「世」《コスモス》というとき、ギリシア人が存在界全体を《コスモス》と呼ぶような意味で用いている場合や、世間の人々一般を指す常識的な用法もありますが、しばしば自分たち(ヨハネ共同体)に厳しく対立しているユダヤ教世界(具体的にはユダヤ教会堂勢力)を指していることがあります。ここも、イエス(およびイエスを信じて生きているヨハネ共同体)とユダヤ教会堂勢力との対立として読むといっそう輪郭がはっきりしてきます。イエスの生涯とヨハネ共同体の存在は、ユダヤ教の在り方が間違っていることを顕わにするのです。この福音書は、イエスを殺し、イエスを告白する者(ヨハネ共同体)を憎み迫害するユダヤ教会堂勢力の「業が邪悪である」と告発します。この主題は福音書全体に繰り返し現れます。

 「あなたたちはこの祭りに上って行くがよい。わたしは上って行かない。わたしの時がまだ満ちていないからである」。こう言って、自分はガリラヤに留まっておられた。(八〜九節)
 あなたたち、すなわちユダヤ教に所属している人たちが、その祭儀にあずかるためにエルサレムに上って行くのは当然です。しかし、イエスは「わたしは上って行かない」と言われます。そして、エルサレムで使命を果たすべき「わたしの時」がまだ満ちていないからだと理由を加えられます。
 ここで「時が満ちる」という表現が用いられています。この表現は、マルコ福音書がイエスの神の国宣教の主題として掲げたイエスの第一声にも用いられています(マルコ一・一五)。これは、イエスの十字架と復活の出来事こそ、イスラエルの歴史が準備し、預言者が預言したことの実現であるとする福音の告知の第一項に他なりません(ローマ一・二、コリントT一五・三〜五)。この「時は満ちた」という告知は、初期の福音宣教において共通の標語であったと見られます。ヨハネ福音書はそれを、「わたしの時」という言葉で、イエス御自身が語られたとするのです。
 「わたしの時がまだ満ちていない」と言って、イエスはガリラヤに留まっておられます。ユダヤ教徒である兄弟が神殿のあるエルサレムにいるとき、イエスは神殿のない辺境の地ガリラヤにおられることは象徴的です。イエスに属する民は神殿のないところで、イエスと共に神を拝むことになります。


   21 仮庵祭に上るイエス  (7章 10〜24節)

 10 だが、兄弟たちが祭りに上って行った時、イエスもまた人目を避け、ひそかに上って行かれた。 11 ところで、ユダヤ人たちは祭りの間イエスを捜し、「あの男はどこにいるのだろう」と言っていた。 12 群衆の間では、イエスについていろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。 13 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者は誰もいなかった。
 14 祭りもすでに半ばになったころ、イエスは神殿に上って行って、教え始められた。 15 すると、ユダヤ人たちは驚いて言った、「この男は学んだこともないのに、どうして聖書が分かるのか」。 16 そこで、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしを遣わされた方の教えである。 17 誰でも、この方の御心を行おうとするならば、この教えが神からのものであるか、わたしが自分自身から語っているものであるかが分かるであろう。 18 自分から語る者は自分自身の栄光を求めるが、自分を遣わされた方の栄光を求める者は真実であって、その中に不義はない。 19 モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。それだのに、あなたたちの中で律法を行う者は誰もない。なぜ、あなたたちはわたしを殺そうとするか」。 20 群衆は答えた、「お前は悪霊につかれている。誰がお前を殺そうとしているものか」。 21 イエスは答えて彼らに言われた、「わたしが一つの業をしたので、このことであなたたち皆が驚いている。 22 モーセがあなたたちに割礼を与えたので、――実はモーセからではなく、父祖たちからであるが――あなたたちは安息日でも人に割礼を施している。 23 モーセの律法が無効にならないように、人は安息日でも割礼を受けるのに、わたしが安息日に人を全身すこやかにしたことで、わたしに腹を立てるのか。 24 外見で裁かず、正しい裁きをしなさい」。


ひそかにエルサレムへ

 だが、兄弟たちが祭りに上って行った時、イエスもまた人目を避け、ひそかに上って行かれた。(一〇節)
 兄弟たちはイエスに、「公の者であることを求めながら、ひそかに事を行う者はいない。これらの事をするのであれば、世に自分を現しなさい」と言って、イエスにエルサレム行きを促しました(四節)。しかし、イエスは「公の者であることを求める」ことはなく、「人目を避け、ひそかに」エルサレムに上られます。
 この時、エルサレムに上られたイエスは、再びガリラヤに戻られることはありません。秋の仮庵祭から、冬の神殿奉献記念祭(一〇・二三)を経て、翌年春の過越祭に受難されるまで、エルサレムとその周辺で活動されることになります。この点で、過越祭のときにエルサレムに上り受難されたとする共観福音書の記述とは異なります。

 ところで、ユダヤ人たちは祭りの間イエスを捜し、「あの男はどこにいるのだろう」と言っていた。(一一節)
 ここの「ユダヤ人」は、祭りに来ている一般のユダヤ人群衆ではなく、ユダヤ教指導層を指します。彼らは、イエスを殺そうとして、イエスを捜しているのです(五・一八)。

 群衆の間では、イエスについていろいろとささやかれていた。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。(一二節)
 ユダヤ教指導層はイエスに対する殺意を固めていましたが、群衆の意見は分かれていました。「良い人だ」と言う者もいれば、「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいました。ユダヤ教において「惑わす」とは、正しくない律法の解釈を教え、律法に反する行為に導くことです。このような行為をなす者には死刑を含む厳しい処罰が定められていました。

 しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者は誰もいなかった。(一三節)
 群衆もユダヤ人ですから、この「ユダヤ人たち」は、ユダヤ人群衆とは区別されるユダヤ教指導層を指すことは明かです。ここは、ヨハネが用いる「ユダヤ人」の意味がはっきり出ている実例です。
 ユダヤ人群衆は、会堂などでのユダヤ教指導層からの処罰を恐れて、公然とイエスについて語る者は誰もなく、お互いの間でイエスのことをいろいろと「ささやいていた」のです。

仮庵祭での論争

 祭りもすでに半ばになったころ、イエスは神殿に上って行って、教え始められた。(一四節)
 仮庵祭は七日間にわたって行われました(申命記一六・一五)。「祭りもすでに半ばになったころ」、すなわち祭りの三日目か四日目に、イエスは神殿で公然と教え教え始められます。

 すると、ユダヤ人たちは驚いて言った、「この男は学んだこともないのに、どうして聖書が分かるのか」。 (一五節)
 彼らの言葉から、ここでイエスは聖書を引いて教えられたことが分かります。「ユダヤ人たち」、すなわち聖書の専門家であることを自任するユダヤ教指導層は、自分たちと違う聖書理解をもって民衆を教えるイエスの教えに「驚き」ます。この驚きは、イエスの知恵に驚嘆したというのではなく、自分たち権威ある者の教えと違うことを神殿で大胆に教えるイエスの態度に驚愕したという意味です。
 「学んだこともない」というのは、ラビに弟子入りして、正式に律法の教育と伝授を受けたこともないという意味です。律法を教える者は、その教えがどのラビの権威によるのかが問われました。イエスは、そういう意味では誰かのラビの弟子として正式の印可を受けたラビではありません。いわば無免許で教えるイエスの大胆不敵さに、彼らユダヤ人たちは驚くのです。

 「どうして聖書が分かるのか」というのは、イエスの聖書理解の深さに驚いているのではなく、正式に律法学者について学んだこともない者にどうして聖書がわかるものか、という批判または非難です。以下のイエスの答えは、イエスの教えに従うヨハネ共同体に対するユダヤ教からの批判に対して、ヨハネ共同体がイエスの教えこそ神からのものであるとする弁証と重なっています。


神からの教え

 そこで、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしを遣わされた方の教えである」。(一六節)
 イエスは彼らユダヤ人たちに、自分の教えが自分の着想から出た新奇なものではなく、イエスを遣わされた方、すなわちイエスの父でありイスラエルの神である方の教えに他ならないと宣言し、その根拠を続けて語られます。
 「誰でも、この方の御心を行おうとするならば、この教えが神からのものであるか、わたしが自分自身から語っているものであるかが分かるであろう」。(一七節)
 「この方」は、前節の「わたしを遣わされた方」を指しています(原文は「彼」)。イエスを遣わされた方、すなわち父の御心を行おうとするならば、という言い方は、その方の御心が分かっていることが前提されています。それは、イエスを遣わされた方はイスラエルの神であり、その神の御心は律法によって示されているという理解が前提されています。もし律法を真剣に行おうとすれば、イエスが教えておられることが神から出たものであるのか、それともイエスが自分の思いから勝手に語っておられるものであるかが分かるはずだというのです。この節は、イエスの教えは聖書の律法とは別物であるのではなく、律法を成就するものであるというユダヤ人キリスト教徒の確信(マタイ五・一七参照)を、ヨハネも共有していることを示しています。

 「自分から語る者は自分自身の栄光を求めるが、自分を遣わされた方の栄光を求める者は真実であって、その中に不義はない」。(一八節)
 さらに、教えの真偽を判断する基準として、語る者が誰の栄光を求めているかという基準が加えられます。「自分から語る者は自分自身の栄光を求める」ものです。ところが、イエスは自分の栄光を求めることはなく、いつも「自分を遣わされた方」、すなわち父の栄光を求めておられます。この事実が、イエスの教えがイエスという人間から出たものではなく、父から出たものであり、それを語るイエスは真実を語る方、その中に嘘とか偽りのない方であるとを示している、とヨハネ共同体は「ユダヤ人たち」に弁証します。ここでの「不義」は、「真実」の反対語として、ほとんど「嘘、偽り」と同じです。

理不尽な殺意

 「モーセはあなたたちに律法を与えたではないか。それだのに、あなたたちの中で律法を行う者は誰もない。なぜ、あなたたちはわたしを殺そうとするか」。(一九節)
 ここの「あなたたち」は、「ユダヤ人たち」、すなわちイエスと対立し、イエスを律法の冒涜者として殺そうとするユダヤ教指導層を指しています。あなたたちはモーセ律法は神からのものであるとしているが、あなたたちの中で律法を行う者は誰もないではないか、とヨハネ共同体はユダヤ教会堂に対する反駁をイエスの言葉として突きつけます。
 その上で著者ヨハネは、「なぜ、あなたたちはわたしを殺そうとするか」と、イエスを殺したユダヤ教指導層に対する詰問を、地上のイエスに語らせます。この詰問は、ベトザダの池での出来事と、その時のイエスの言葉から、「ユダヤ人たちはますますイエスを殺そうと狙うようになった」(五・一八)ことを受けています。

 群衆は答えた、「お前は悪霊につかれている。誰がお前を殺そうとしているものか」。(二〇節)
 ここまでイエスは「ユダヤ人たち」に「答えて言われた」となっているのに(一五節と一六節)、ここで突然、イエスの詰問に対して「群衆は答えた」となります。「ユダヤ人たち」は確かにイエスに対して殺意を抱いています(五・一八)。しかし、群衆の態度は割れています(一二節)。イエスを信じない者も、イエスに殺意まではもっていません。ただ、イエスの言葉があまりにもユダヤ教の常識とかけ離れているので、「お前は悪霊につかれている」という判断しかできないのです。これは、律法が支配する社会の常識からいちじるしく外れた人物に投げかけられた罵声です。
 「彼は悪霊に憑かれている」というレッテルは、共観福音書にも出てきます。洗礼者ヨハネもこう呼ばれています(マタイ一一・一八)。律法学者たちはイエスについて「彼はベルゼブルに取りつかれている」とか「彼は悪霊どもの頭によって悪霊を追い出している」と判断し、世間の人々も「イエスは気が狂っている」と言っていました(マルコ三・二一〜二二)。
 イエスと「ユダヤ人たち」の間で動揺し、「悪霊につかれている」としか見ることができない群衆に向かって、イエスは(ひいていはヨハネ共同体は)「外見で裁かず、正しい裁きをしなさい」と、正しい判断をするように呼びかけます。そして、その判断の材料として、割礼の問題を取り上げます。
 イエスは答えて彼らに言われた、「わたしが一つの業をしたので、このことであなたたち皆が驚いている」。(二一節)
 「一つの業をした」というのは、イエスの奇跡的な業一般ではなく、「一つの」業、すなわち、ベトザタの池で足の麻痺した人を癒された業を指しています。ここの論争(七・一五〜二四)は、ベトザタの池での出来事をめぐる論争(五章)の続きとして読むと理解しやすくなります。

 「驚いている」のは、奇跡的な出来事に驚いているだけでなく、イエスが安息日をあえて破るような振る舞いをされたことに驚いたのです。とくに「ユダヤ人たち」(律法学者などユダヤ教指導層)のこの驚きが、イエスを異端者として訴えて処刑しようとする殺意へと変わっていきました。安息日を破るように教唆する行為は、ユダヤ教では死罪に相当します。

 「モーセがあなたたちに割礼を与えたので、――実はモーセからではなく、父祖たちからであるが――あなたたちは安息日でも人に割礼を施している」。(二二節)
 創世記はモーセの書の一部です。したがってユダヤ教では、創世記一七章で命じられている割礼の規定は、モーセによって与えられた規定となります。著者は、このユダヤ教の常識に従って「ユダヤ人たち」と論争しています。
 その後に、「実はモーセからではなく、父祖たちからであるが」という文が挿入されています。この部分は、後の編集者による挿入と見られます。割礼はモーセではなくアブラハムの時代から始まっているので、後の編集者がよりいっそう正確な表現を加えて、批判をかわそうとしたしたのでしょう。
 ユダヤ教では安息日でも割礼は施していました。ここでは、ユダヤ教で普通に行われている慣習を取り上げて、イエスが安息日に病人を癒されたことを律法違反として非難する「ユダヤ人」を反駁する論拠にしています。同じような安息日の癒しを批判する者に対して、マルコ福音書(三・四)では、イエスは「安息日に許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」と反論しておられます。すなわち、ユダヤ教とは関係なく、人間としての倫理観が論拠にされていますが、ヨハネ福音書はモーセ律法の規定を論拠にすることで、ユダヤ人同士の論争という性格が強く出ています。

 「モーセの律法が無効にならないように、人は安息日でも割礼を受けるのに、わたしが安息日に人を全身すこやかにしたことで、わたしに腹を立てるのか」。(二三節)
 割礼は身体の一部に手を加えるのに対して、イエスの癒しは全身をすこやかにする行為です。身体の一部と全身が対照されて、小さいことが許されるのであれば、大きいことはなお許されるというユダヤ教の論理がここに用いられています。

 「外見で裁かず、正しい裁きをしなさい」。(二四節)
 外から見える行為を律法の規定に照らして判断するのではなく、その行為が出てくる源である霊の質をしっかり見極めるように求め、それを「正しい裁きをする」と表現しています。ここでも、イエスの言葉に、対立するユダヤ教会堂勢力に対して向けられたヨハネ共同体の訴えが重なっています。


  22 イエスはどこから、どこへ   (7章25〜36節)

 25 さて、エルサレムの人たちの中のある者たちは言った、「この人は、人々が殺そうと狙っている者ではないか。 26 見よ、彼は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。議員たちは、この人がメシアであると本当に認めたのではないだろうか。 27 しかし、わたしたちはこの人がどこの出身かを知っている。メシアが来るときには、どこの出身であるかは誰も知らないのだ」。 28 そこで、神殿で教えておられるときに、イエスは叫んで言われた、「あなたたちはわたしを知っており、わたしがどこの出身であるも知っている。わたしは自分から来たのではない。しかし、わたしを遣わされた方は真実であるが、その方をあなたたちは知らない。 29 わたしはその方を知っている。わたしはその方から出た者であり、その方がわたしを遣わしたからである」。
 30 人々はイエスを捕らえようとしたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。 31 群衆の中で多くの者がイエスを信じ、こう言っていた。「メシアが来ても、この人がしたしるしよりも多くのしるしをするだろうか」。
 32 ファリサイ派の人たちは、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを聞いた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人たちは、イエスを捕らえるために下役の者たちを遣わした。 33 そこで、イエスは言われた、「今しばらくわたしはあなたたちと一緒にいて、わたしを遣わされた方のもとに去っていく。 34 あなたたちはわたしを捜すが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである」。 35 そこでユダヤ人たちは互いに言った、「わたしたちが見つけることがないとは、どこへ行こうとしているのか。ギリシア人たちの間に離散している者たちのところに行って、ギリシア人を教えようとでもいうのか。 36 『あなたたちはわたしを捜すだろうが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである』と彼は言ったが、この言葉はどういう意味なのか」。


ユダヤ人の間のメシア論争

 さて、エルサレムの人たちの中のある者たちは言った、「この人は、人々が殺そうと狙っている者ではないか」。(二五節)
 エルサレムの住民たちは、二〇節の「群衆」とは違い、ユダヤ教指導層に近く、イエスは「人々が殺そうと狙っている者」であることを知っているので、イエスが公然と語ることに驚きます。

 「見よ、彼は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。議員たちは、この人がメシアであると本当に認めたのではないだろうか」。(二六節)
 「議員たち」は、原語では《アルコーン》ですが、これは「指導者」を意味する語で、ユダヤ教社会では、ふつう最高法院の議員を指します。
 イエスが神殿で大胆に教えておられるのに、議員たちは何も言わないのは、「この人がメシアであると本当に認めたのではないだろうか」と、エルサレムの住民たちはいぶかります。

 「しかし、わたしたちはこの人がどこの出身かを知っている。メシアが来るときには、どこの出身であるかは誰も知らないのだ」。(二七節)
 エルサレムの住民は「この人がどこの出身かを知っている」のだから、この人がメシアではありえないと判断します。彼らは、イエスがナザレの出身であること、その両親や家族のことを知っています(六・四二)。
 当時のユダヤ教社会ではメシア待望が盛んでしたが、メシアの出現の仕方については様々な意見(聖書解釈)がありました。ダビデの町ベツレヘムから出るという見方(七・四二、マタイ二・五)もありましたが、エリヤが現れて油を注ぐまでは本人もそれと知らずに隠されているという伝承もありました(ユスティノス『トリュフォーンとの対話』八・四にもこの見方が言及されています。なおマルコ九・一一もこの見方に関連があるのかもしれません)。
 この「メシアが来るときには、どこの出身であるかは誰も知らない」という見方を根拠にして、出身が分かっているこの人はメシアではありえないという議論がなされます。

 そこで、神殿で教えておられるときに、イエスは叫んで言われた、「あなたたちはわたしを知っており、わたしがどこの出身であるも知っている。わたしは自分から来たのではない。しかし、わたしを遣わされた方は真実であるが、その方をあなたたちは知らない」。(二八節)
 ユダヤ人たちは(指導層も群衆も)イエスの出身をよく知っています。もしイエスが「自分から来た」方であるならば、すなわち人間的な資格をもってイスラエルの民に来た方であるならば、その人間的出身が問題になるでしょう。しかし、イエスは「自分から来た」方ではなく、父から遣わされた方です。だから、人間的な出身は問題になりません。イエスが父から遣わされた方であることは、この福音書の繰り返し主張するところです。遣わされた方は真実であり、やがて遣わす方についてイスラエルの歴史の中で証をしてくださってきたのに、「あなたたちはいまだかってその方の声を聴いたこともないし、お姿を見たこともない」(五・三七)と、その盲目と不信が批判されます。

 「わたしはその方を知っている。わたしはその方から出た者であり、その方がわたしを遣わしたからである」。(二九節)
 「わたしはその方を知っている」ことは、共観福音書(マタイ一一・二七、ルカ一〇・二二)では、父親と息子の比喩で語られていますが、ヨハネ福音書では直接的に言明されます。

 人々はイエスを捕らえようとしたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。(三〇節)
 「誰もイエスに手をかける者はなかった」のは、イエスの神的威厳にひるんだからか(七・四六)、イエスを支持する群衆が騒乱を起こすのを恐れたからでしょう。しかし、著者はそれを神の定められた時が来ていないからとし、すべてが神の御計画によって進んでいることを指し示します。

 群衆の中で多くの者がイエスを信じ、こう言っていた。「メシアが来ても、この人がしたしるしよりも多くのしるしをするだろうか」。(三一節)
 エルサレムの住民たちの間で、出身が分かっているような者はメシアでないとする意見もあれば、イエスがなされた多くのしるしを見て、この方こそ約束されていたメシアであると信じる者もいました。


わたしの行くところに来ることはできない

 ファリサイ派の人たちは、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを聞いた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人たちは、イエスを捕らえるために下役の者たちを遣わした。(三二節)
 群衆がイエスについてささやいていることを聞いたのは、群衆の間で活動しているファリサイ派の人たちですが、「下役の者たち」、すなわち神殿警備の役人(警察に相当)を派遣することができるのは、最高法院で権力をもつ「祭司長たちとファリサイ派律法学者たち」です。彼らはイエスを殺そうとする計画を実行に移します。

 そこで、イエスは言われた、「今しばらくわたしはあなたたちと一緒にいて、わたしを遣わされた方のもとに去っていく。あなたたちはわたしを捜すが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである」。(三三〜三四節)
 イエスはこの世を去って父のもとに帰ることを語っておられます。復活して栄光の場におられるイエスの次元に、不信仰な「ユダヤ人たち」は到達することはできません。「しばらくすると」ユダヤ人たちはイエスを見つけることができなくなります。

 そこでユダヤ人たちは互いに言った、「わたしたちが見つけることがないとは、どこへ行こうとしているのか。ギリシア人たちの間に離散している者たちのところに行って、ギリシア人を教えようとでもいうのか」。(三五節)
 イエスはこの世を去って父のもとに帰ることを語っておられるのですが、ユダヤ人たちはその意味が分かりません。ユダヤ人たちが捜しても見つけることができないように、遠くに去って「離散している者たちのところに行って、ギリシア人を教えようとでもいうのか」と考えます。
 「離散している者たち」《ディアスポラ》とは、「イスラエルの地」パレスチナから離れて、世界の各地に散らばり、異邦諸都市に(ここでは「ギリシア人たちの間に」と表現されています)住んでいるユダヤ人たちのことです。離散のユダヤ人は、住んでいる都市に会堂を造り、ユダヤ教徒としての生活を守り、団結していました。
 ユダヤ人たちは、イエスがエルサレムから逃れて、どこか遠くの異邦都市に住む「離散のユダヤ人」のところに行き、そこでギリシア人たちに自分の教えを説こうとしているのではないかと推察します。当時《ディアスポラ》のユダヤ人会堂は、周囲の異邦人(まとめて「ギリシア人」と呼ばれています)にユダヤ教を教える伝道活動を熱心に行っていました(マタイ二三・一五参照)。

 「『あなたたちはわたしを捜すだろうが、見つけることはないであろう。わたしがいるところに、あなたたちは来ることができないのである』と彼は言ったが、この言葉はどういう意味なのか」。(三六節)
 三四節のイエスの言葉は、「しばらく」の後、「イエスの時」が来て、イエスが天に上げられて父のもとに帰られることを指しています。「わたしがいるところに、あなたたちは来ることができない」とは、この復活者として栄光の場におられるイエスの次元に、不信仰な「ユダヤ人たち」は到達することができないことを意味しています。ところが、ユダヤ人たちはこの霊的な意味が理解できず、地上の行動として離散のユダヤ人のところに行くことしか思いつきません。ここにも、この福音書で繰り返し現れる、イエスの言葉の霊的な次元と聞く者の地上的な理解の行き違いが語られていることになります。



  23 生きた水の流れ   (7章 37〜39節)

 37 祭りの最終日である大祭の日に、イエスは立ち上がり、叫んで言われた、「誰でも渇く者は、わたしのところに来て飲みなさい。 38 わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹から生きた水の川が流れ出るであろう」。 39 これは、イエスを信じた者が受けることになる御霊のことを言われたのである。イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだなかったのである。

水の祭り

 祭りの最終日である大祭の日に、イエスは立ち上がり、叫んで言われた。(三七節前半)
 仮庵祭は、出エジプト後の荒野の旅を覚えるために、木の小枝で造った仮設の小屋で七日間過ごすという歴史的記念祭儀ですが(レビ記二三・三四〜四三)、同時に農業祭儀として、秋にその年の収穫を神に感謝し、それ以後の雨乞いを兼ねた祭儀でもありました。神殿では毎日シロアムの泉から汲んだ水を祭壇に運ぶ行列が行われ、人々は四種の木の枝をかざして賛美を歌って行進しました。また、期間中神殿には常に燈火が灯されたので、仮庵祭は光と水の祭りとしての性格をもっていました。それで、仮庵祭を背景とする七〜八章では、光と水が重要な象徴として用いられることになります。
 ユダヤ教では「祭り」といえば仮庵祭を指し、もっとも重んじられた祭りです。捕囚後、八日目が加えられて、八日目が「大いなる祭りの日」とされました。ここで「祭りの最終日である大祭の日」とあるのは、この八日目の「大いなる祭りの日」のことになります。この日には、シロアムの泉から汲んだ水を祭壇に運ぶ行列が盛大に行われたことでしょう。

 神からの水の賜物を感謝し、また祈り求める祭りに集うユダヤ人群衆に向かって、「イエスは立ち上がり、叫んで」言われます。普通ラビは座って教えました。イエスも弟子に教えるときは座られました(マタイ五・一)。ここで特に「立ち上がり、叫んで(大声で)言われた」というのは、祭りに集まっている大勢の群衆に呼びかけるためだけでなく、ここで言われていることが特に重要なことであることを示しています。ヨハネ共同体は、ユダヤ人たちに向かって、とくに声を大にしてこのことを訴えたいのです。命の水を祈り求めるこの祭りは、イエスを信じることによって成就するのです。

渇く者は来なさい

 「誰でも渇く者は、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているように、その人の腹から生きた水の川が流れ出るであろう」。(三七節後半〜三八節)
 人間は水を飲まないで生きることはできません。体内に水分がなくなると渇きを覚えます。渇きは水分を求める体の訴え、命の訴えです。この体が覚える渇きは、古来どの宗教でも魂が自分を生かす真実の生命を慕い求める欲求の象徴として用いられていきました。イスラエルでは詩篇四二編(二節)の「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める」という祈りが代表的な表現です。預言者も、「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい」と招いています(イザヤ五五・一)。この渇きと水のメタファーは、ヨハネ福音書(ここの他に四・一四、六・三五)だけでなく、ヨハネ黙示録(七・一六、二一・六、二二・一七)にも繰り返し現れます。
 このように魂に渇きを覚える魂に向かって、イエスは声を大にして呼びかけられます。すなわち、この呼びかけはヨハネ共同体が、真の命を求めて呻いている世界に向かって呼びかける福音の中心主題なのです。
 「わたしを信じる者」は、この福音が繰り返し用いている、前置詞《エイス》を伴った「わたしの中へと信じる入る者」という表現です。復活者イエスに自分の全存在を投げ入れて生きる者のことです。そのようにイエスを信じる人は、「その人の腹から生きた水の川が流れ出る」ようになることが約束されます。これは約束であり、「流れ出る」は未来形です。これが未来形であることの意味は、すぐ後の三九節で説明されることになります。
 この「生きた水」が聖霊を指すことは、すぐ後(三九節)で明言されます。すでに四章のサマリアの女との対話で、イエスは「生きた水」を与える者とされ、その水は「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」とされていました(四・一四)。ここでは、その水が溢れ出て外の世界を潤していく様が川の象徴で語られます(ヨハネ黙示録二二・二参照)。「川」は複数形で語られています。
 その「生きた水の川」は「その人の腹から」流れ出ると表現されます。原文は「彼の腹から」となっています。それで古来、「彼の」がイエスを指すのか(西方教会系)、信じる者を指すのか(東方教会系)、解釈が分かれてきましたが、これがイエスの言葉の中にあることから、「彼の」はイエス自身ではなく他の人を指すと理解するのが自然です。さらに、四章一四節の「わたしが与える水はその人の中で湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう」との並行関係からも、「信じる者」を指すと理解すべきでしょう。

 「聖書が言っているように」とありますが、旧約聖書には正確に同じ言葉はありません。しかし、神の霊の注ぎが川とか水の流れにたとえられところは多くあります(イザヤ四三・一九〜二〇、四四・三、エゼキエル四七・一〜一二など)。著者はそのような箇所を念頭において、聖書をよく知っているユダヤ人たちに、イエスを信じることこそ聖書の成就であることを呼びかけているのです。


聖霊の約束

 これは、イエスを信じた者が受けることになる御霊のことを言われたのである。イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだなかったのである。(三九節)
 イエスが言われた「生きた水」とは、「イエスを信じた者が受けることになる御霊のことを言われたのである」と、著者自身が解説します。十字架され復活されたイエスを信じることによって、神が終わりの日に注ぐと約束されていた聖霊を受けるという使信は、使徒たちが宣べ伝えた福音の共通の基本条項でした(使徒二・三八〜三九、ガラテヤ三・二)。そして、それは「イエスを信じた者」たちの共通の体験、ヨハネ共同体の体験でした。
 著者は、このことはすでにイエスが語っておられたことだとするのです。ただ、地上のイエスがこのことを語られた時には、「イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだなかった」から、この言葉は将来のことを語る約束になるのだと、著者は解説します。
 この福音書では、「栄光を受ける」は、イエスが十字架に上げられることと復活して天に上げられることが一体となった出来事を指しています。信じる者が聖霊を受けるのは、イエスの十字架・復活の出来事の結果であることが前提されています。「御霊はまだなかった」というのは、「御霊はまだ来ておられなかった」(御霊が来て、世におられる事態はまだ始まっていなかった)という意味です。

 最初期の「イエスを信じた者たち」の群れは、自分たちの存在と歩みが、キリストにあって上より賜った御霊によるものであることを深く自覚していました。そのことは、どの福音書もイエス・キリストを「聖霊によってバプテスマする方」として告知していることからも分かりますが、とくにルカはそれを地上のイエスご自身が「父の約束」として語られたという形で強調しています(ルカ一一・一三、使徒一・四)。ヨハネ福音書も、この聖霊の約束を地上のイエスが仮庵祭で叫ばれた告知として世に示すのです。


  24 イエスに対する群衆と指導者の態度  (7章40〜52節)

 40 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は本当にあの預言者だ」と言う者や、 41 「この人はメシアだ」と言う者もいたが、反対に「メシアがガリラヤから出ることがあろうか。 42 メシアはダビデの子孫で、ダビデがいた村ベツレヘムから出ると、聖書は言ったではないか」と言う者もいた。 43 こうして、イエスのことで群衆の間に分裂が生じた。 44 彼らの中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。
 45 さて、下役の者たちが祭司長とファリサイ派の者たちのところに戻ってきたとき、彼らは下役の者たちに言った、「どうしてあの男を連れてこなかったのか」。 46 下役の者たちは答えた、「あの人のように語った者は誰もありません」。 47 ファリサイ派の人たちは彼らに答えた、「お前たちまでも惑わされたのか。 48 議員やファリサイ派の者で彼を信じた者は誰もないではないか。 49 しかし、律法を知らないこの群衆は呪われている」。 50 彼らの中の一人で、以前イエスのもとに来たことがあるニコデモが彼らに言った、 51 「われわれの律法は、まず本人から聴取して、何をしたのかを確かめた上でなければ、人を裁かないのではないか」。 52 彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤの出身なのか。よく調べ、ガリラヤから預言者は出ないことを理解しなさい」。


群衆の反応

 この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者もいたが、(四〇節〜四一節前半)
 仮庵祭でイエスが祭りに集うユダヤ人群衆に語られた言葉を聞いて、イエスに対する群衆の態度は二つに分かれます。一方では、イエスをメシアではないかとする期待と、他方ではイエスはメシアではありえないとする意見もありました。
 ある者は「この人は本当にあの預言者だ」と言ったとありますが、ここの「あの預言者」とは、単数形の「預言者」が定冠詞つきで用いられているので、申命記(一八・一五)に終わりの日に現れると預言されていたモーセのような預言者を指しています。これは「メシア」を指す称号となっていましたから、用語は違いますが、これは「この人はメシアだ」と言うのと同じです。

 反対に「メシアがガリラヤから出ることがあろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデがいた村ベツレヘムから出ると、聖書は言ったではないか」と言う者もいた。(四一節後半〜四二節)
 他方、イエスはメシアでありえないとする意見もありました。「反対に」という句は原文にはなく、対照を示す小辞があるだけですが、文意を明らかにするために、この語を補って訳しています。
 当時のユダヤ人にとって、ガリラヤはつい最近ユダヤ教化された異教の地であって、「異邦人のガリラヤ」と呼ばれていました(マタイ四・一五)。そのような地域からメシアが出ることはありえないと考えられていました。
 当時のユダヤ教、とくに主流のファリサイ派の律法学者は、ダビデに与えられたナタンの預言(サムエル記下七・八〜一六)などに基づき、メシアはダビデの子孫であるとし、ある人物がメシアであるための四つの要件の一つにしていました。

 この「メシアはダビデの子孫から出る」という期待は、ミカ書五章一節の預言に基づき、さらに具体的に「ダビデがいた村ベツレヘムから出る」、すなわちメシアがダビデの出身地ベツレヘムから出るという待望となり、当時のユダヤ人の間で有力な意見になっていました。マタイとルカの誕生物語もこのメシア待望の実現として語られることになります。
 ユダヤ人にイエスをメシアとして宣べ伝えるために、最初期のユダヤ人の教団(とくにマタイ)はイエスがダビデの子孫であることを強調しましたが、ヨハネはここで群衆の意見として触れる以外に、ダビデの名に言及していません。すでに、異邦人への使徒パウロはイエスをメシア・キリストとして宣べ伝えるさいに、ユダヤ人の教団で形成されたキリスト伝承(たとえばローマ一・二〜四)を引用する場合以外は、イエスがダビデの子孫であることを根拠にすることはありませんでした。ヨハネはさらに徹底して、ここで群衆の意見としてあげる以外には、ダビデの名は一回も出てきません。これは、ヨハネ福音書の成立が異邦人環境であることを示しているというよりは、この福音書においてイエスは「天から」来られた方であって、地上の家系とか出身は問題にならないからです。ユダヤ人がイエスの家系や出身を問題にするのは神を知らないからだと、メシアの出身に関する議論は厳しく退けられます(六・四二、七・二八)。当然、ヨハネ福音書には誕生物語はありません。

 こうして、イエスのことで群衆の間に分裂が生じた。(四三節)
 こうして、聖霊の賜物を与える方としてのイエスをめぐって、ユダヤ人群衆は二つの陣営に分裂します。この表現には、イエスを信じて御霊の賜物にあずかり、御霊によって新しい命に生きるようになったヨハネ共同体と、イエスを拒み、古いモーセ律法の世界に生きるユダヤ教会堂勢力との対立というユダヤ教団の分裂の現実が反映していると見られます。

 彼らの中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、誰もイエスに手をかける者はなかった。(四四節)
 「彼ら」とはイエスを信じない陣営のユダヤ人たちを指していることは当然です。彼らの中で律法順守に熱心な厳格派は、イエスをメシアを自称して民を惑わす者として告発するために捕らえようとします。異端者を放置することは、彼らには律法を汚すことになるのです。しかし、(著者の視点からすれば)まだ(神が定めた)時が来ていないので、「誰もイエスに手をかける者はなかった」ということになります。


指導者の反応

 さて、下役の者たちが祭司長とファリサイ派の者たちのところに戻ってきたとき、彼らは下役の者たちに言った、「どうしてあの男を連れてこなかったのか」。(四五節)
 「下役の者たち」(神殿警護の役人)はすでにイエスを逮捕するために派遣されていました(七・三二)。彼らがイエスを逮捕しないで戻ってきた時、「祭司長とファリサイ派の者たち」は「どうしてあの男を連れてこなかったのか」と詰問します。「祭司長とファリサイ派の者たち」は、この福音書ではヨハネ共同体に対立し迫害するユダヤ教指導層勢力を代表し、イエスを探索逮捕して処刑に至らせた責任者です(一一・四七、五七)。

 下役の者たちは答えた、「あの人のように語った者は誰もありません」。(四六節)
 逮捕に向かった下役たちは、イエスが語られる言葉の権威に圧倒されて手が出せませんでした。彼らが驚嘆したのは、イエスが語られた内容であるよりは、語り方に権威があったからです。「あのような事柄を語った」ではなく、「あのような権威をもって語った」人はいないと驚くのです。共観福音書では、会堂でイエスの教えに接した群衆が「権威ある者として」語られるイエスに驚きます(マルコ一・二七)。イエスの存在から発する霊的権威に驚いた人たちの印象が語り伝えられて伝承となっていたのでしょう。ヨハネ福音書では、ここに見るように、敵対する勢力もイエスの権威に圧倒されたとされ、ゲッセマネの園ではイエスを逮捕しにきた軍勢が、イエスの「エゴー・エイミ」という言葉の力に圧倒されて、「後ずさりして、地に倒れた」とされます(一八・六)。

 ファリサイ派の人たちは彼らに答えた、「お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の者で彼を信じた者は誰もないではないか。しかし、律法を知らないこの群衆は呪われている」。(四七〜四九節)
 律法の専門家としてのユダヤ教指導層は、イエスの教えを律法違反として否定していました。彼らの立場からすれば、もっとも重要な規定である安息日律法を破るような者はメシアではありえません。
 ファリサイ派の律法学者は、自分たちだけが律法(聖書)を正しく解釈して教えることができるとして、律法の知識を独占していました。そして、自分たちの教えに反したり、またはそれに依らずに民衆が勝手に聖書を解釈することを禁じ、そうする者を「呪われる」という用語で断罪しました。ここでは、群衆の中にイエスをメシアと信じる者があることを、律法の無知からくる呪われた行為と断罪しています。

 彼らの中の一人で、以前イエスのもとに来たことがあるニコデモが彼らに言った、「われわれの律法は、まず本人から聴取して、何をしたのかを確かめた上でなければ、人を裁かないのではないか」。(五〇〜五一節)
 以前、夜ひそかにイエスのもとに来て、イエスと問答したニコデモは、最高法院の議員で、ファリサイ派に属しています(三・一)。このニコデモが、イエスを異端裁判にかけようとする同僚たちに異議を申し立てます。その異議は、裁判の手続き上の問題です。聖書にも訴訟に関する規定がありますが(たとえば申命記一・一六〜一七、一七・四など)、律法学者たちはそれを具体的に細かく規定して訴訟法の体系を作り上げていました。ニコデモが「われわれの律法は」と言ったのは、そのような訴訟法を指しているのでしょう。

 異端裁判(背教訴訟)の場合はエルサレムの最高法院七一人の総会で審理され、少なくとも二人の証人の証言が厳密に一致することが求められていました。当然最高法院での本人からの聴取が含まれます。

   異端裁判については、シュタウファー『エルサレムとローマ』(荒井献訳)第一〇章「ユダヤの異端律法」を参照。

彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤの出身なのか。よく調べ、ガリラヤから預言者は出ないことを理解しなさい」。(五二節)
 王国時代にはガト・ヘフェル(ガリラヤの地名)出身の預言者アミタイの子ヨナがいました(列王記下一四・二五)。しかし、捕囚後は「異邦人の地」となったガリラヤから預言者が出るとは、当時のエルサレムのユダヤ教指導層には考えられませんでした。彼らはニコデモに、「よく調べて、理解しなさい」と言っていますが、聖書にはこのことを明言する箇所はありません。ファリサイ派律法学者たちはニコデモに、ファリサイ派の聖書解釈の伝統をよく調べるように要求しているのでしょう。彼らは、自分たちの聖書解釈の立場によって、ガリラヤ出身者は預言者でありえないとする先入観でイエスを判断しています。ここには当時のエルサレムとガリラヤの対比がよく出ています。エルサレムはユダヤ教の聖地であり中心地であるのに対して、ガリラヤはもともと「異邦人の地」であり、最近ユダヤ教化されたばかりの辺境の地であったのです。イエスはこのガリラヤから出た預言者以上の方なのです。



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