ヨハネ福音書 翻訳と講解 

 復活のいのち

                           ―― ヨハネ福音書 一一章 ――


  36 ラザロの死  (11章1〜16節)

 1 ところで、ある一人の人が病気になっていた。ラザロといって、マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの人であった。 2 このマリアは主に香油を注ぎ、その足を自分の髪の毛で拭った女である。彼女の兄弟ラザロが病気であった。 3 そこで、この姉妹は主のもとに使いを送って言った、「主よ、あなたが親しくしてくださっている者が病気です」。 4 ところが、これを聞いてイエスは言われた、「この病気は死に至るものではなく、神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。 5 イエスはマルタとその姉妹、そしてラザロを愛しておられた。6 ラザロが病気であることを聞かれたとき、イエスはおられた場所に、その時にもなお二日間留まっておられた。 7 その後になって、弟子たちに言われた、「もう一度、ユダヤに行こう」。 8 弟子たちは言った、「ラビ、つい先には、ユダヤ人たちがあなたを石打にしようとしていました。それなのに、またそこへ行かれるのですか」。 9 イエスはお答えになった、「昼間は十二時間ではないか。人は昼間に歩けばつまずくことはない。世の光を見ているからだ。 10 しかし、夜に歩くとつまずく。その人の内には光がないからである」。11 このようにお語りになり、その後、弟子たちに言われる、「わたしたちの友ラザロは、眠ってしまった。けれども、わたしは彼を起こしに行く」。 12 そこで弟子たちはイエスに言った、「主よ、眠ったのであれば、彼は助かるでしょう」。 13 イエスは彼の死のことを話されたのであったが、弟子たちは睡眠の眠りのことを話しておられるのだと考えた。 14 そこで、イエスは今度ははっきりと言われた、「ラザロは死んだのだ。 15 わたしがそこに居合わせなかったことを、わたしはあなたたちのために喜ぶ。あなたたちが信じるようになるためである。けれども、わたしたちは彼のところに行こう」。 16 すると、ディデュモスと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「われわれも行って、一緒に死のう」。


はじめに ― 一一章について

  ヨハネ福音書は、イエスがなされた力ある業(奇蹟)の中から代表的な事例を選んで、それをイエスが神の子である「しるし」として意義づけて配列し、それぞれの奇蹟の出来事に関するイエスと弟子たち、あるいはイエスと批判者たち(ユダヤ人たち)との対話から成る長い説話をつけて福音書を構成しています。このような構成から、イエスのなされた奇蹟を「しるし」として列挙してイエスを神の子として提示する、「しるし資料」または「しるし福音書」と呼ばれる文書がヨハネ福音書の元になったのではないかという想定があります。そうかもしれませんが、ヨハネ福音書の独自性は、そのような奇蹟の出来事の報告と配列ではなく、その奇蹟の意義を語る説話の方にあります。その出来事をめぐって交わされるイエスと弟子たちまたは批判者たちとの対話は、著者が復活者イエスとの交わりの中で聴いている御霊の言葉、御霊のいのちの世界を提示するために著者が構成したものであり、著者ヨハネの福音提示そのものです。
 この福音書の前半(一〜一二章)は、一連の奇蹟物語とその奇蹟に関する対話からなる説話によって構成されていますが、著者はその系列の最後に、イエスが死んだラザロを生き返らされたという最大の奇蹟を置きます。イエスが悪霊を追い出し、様々な病気を癒されたことはどの福音書にも数多く報告されていますが、その中でイエスが死んだ人を生き返らされたという事例も伝えられています。イエスが会堂司ヤイロの娘を生き返らされたことは、共観福音書のすべてに伝えられています(マルコ五・二一〜四三、マタイ九・一八〜二六、ルカ八・四〇〜五六)。また、ルカ(七・一一〜一六)はナインのやもめの息子を生き返らされたことを伝えています。ヨハネはそのような伝承の一つを素材として、独自のドラマを構成し、その中で彼の「永遠の命」の福音を提示します。
 初期の伝承でイエスの力ある働きを列挙するとき、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り」(マタイ一一・五、ルカ七・二二)と、死者が生き返ることが一連のイエスの働きの最後に最大の奇蹟として上げられていますが、この順序がヨハネ福音書の「しるし」の配列にも見られることになります。もちろん、ヨハネがラザロの生き返りを一連の「しるし」の最後にもってきたのは、復活者イエスが与えてくださるいのちの質を提示するのに、著者ヨハネがこれを最適で究極の「しるし」としたからです。
 一一章のラザロの物語も、九章の盲人の場合に劣らず、一幕のドラマとして緊密に構成されています。ただ、この最後のドラマの特徴は、出来事の意義を語る対話の形の説話が、他の場合と違い、出来事の後に語られるのではなく、ドラマを構成する出来事の中に組み込まれていることです。六章のパンの出来事の場合が典型的ですが、そこではまず出来事が語られ、その後にその出来事をめぐる対話が続きました。九章の盲人の開眼のドラマでは、その意義をめぐる対話がドラマの中にかなり組み込まれていましたが、それでもその出来事に「良い羊飼い」の説話が続いていました。このラザロの場合は、ドラマの進行のただ中に、その出来事が指し示すいのちの世界を語る対話が組み込まれています。ドラマ的な出来事によって霊の次元の言葉を語るという著者ヨハネの語りの世界が、ここでもっとも完成された姿を見せていると言えるでしょう。出来事の後にもはや長い説話は続いていません。この出来事に続くのは、それがイエスの受難につながることを語る物語です(一二章)。

ベタニアのラザロ

 ところで、ある一人の人が病気になっていた。ラザロといって、マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの人であった。このマリアは主に香油を注ぎ、その足を自分の髪の毛で拭った女である。彼女の兄弟ラザロが病気であった。 (一〜二節)
 まずドラマの舞台と登場人物が紹介されます。ベタニアはエルサレムから東へ3キロ弱のところにある村です。エルサレムまで歩いて半時間あまりの距離になります。イエスの一行はこの村からエルサレムに入り(マルコ一一・一)、最後の週はこの村に泊まって毎日エルサレムに往復することになります(マルコ一一・一一、一四・三)。ベタニアはエルサレムにおけるイエスの活動の拠点となった村です。
 この村に、マリアとその姉妹マルタ、およびその兄弟ラザロがいました。このマリア・マルタ姉妹は、こことルカ福音書(一〇・三八〜四二)の二箇所で名があげられています(ルカではベタニアという地名はありません)。ヨハネ福音書ではここではじめて出てきますが、著者は読者によく知られた姉妹として物語を始めます。
 このマリアが「主に香油を注ぎ、その足を自分の髪の毛で拭った女」であると説明されます。マリアがイエスに香油を注ぎ自分の髪の毛で拭った記事は、この後の一二章(一〜八節)に出てきます。この記事は共観福音書にも並行記事があり(マルコ一四・三〜九、マタイ二六・六〜一三)、よく知られた伝承でした。著者はこの周知の伝承を示唆して、「あのマリア」の兄弟であると、ラザロを紹介します。

 ラザロという名前は、新約聖書ではこことルカ福音書(一六・一九〜三一)の「金持ちとラザロ」のたとえの二箇所に出てきます。マリア・マルタ姉妹の名前が一組で出てくるのもルカ福音書だけですから、ヨハネはルカ福音書を知っていたのではないかという推察も行われていますが、両福音書の成立時期からするとこの可能性は低く、むしろ地域に伝えられていた伝承を両者が別々に用いた可能性が考えられます。
 ラザロという名前も「神は助ける」という意味のヘブライ語から来ており、ユダヤ人の間では珍しい名前ではありません。ベタニアのマリア・マルタ姉妹の兄弟がラザロという名であったことは十分ありうることです。むしろ、イエスが親しくしておられたこのラザロの名がたとえ話の主人公の名前として用いられた可能性を考えなければならないでしょう。
 
  イエスはマルタとその姉妹、そしてラザロを愛しておられた。(五節)
 引用が前後しますが、ここでイエスとマリア・マルタ・ラザロとの関係を説明する五節を先に取り上げておきます。ヨハネ福音書では、イエスはしばしばエルサレムを訪れ、かなり長期にわたってエルサレムで活動しておられます。その度ごとにイエスはベタニアの「マルタとその姉妹、そしてラザロ」の家に滞在し、この三人と親しくしておられたと考えられます。とくに年若い(おそらく)弟のラザロには目をかけて慈しんでおられたのでしょう。著者(または編集者)は、この関係を「イエスは(彼らを)愛しておられた」と表現します。

   このラザロが病気になります。この病気は、すぐ後には死亡しているという事実から、瀕死の重い病気であったことになります。

 

昼と夜

 そこで、この姉妹はイエスのもとに使いを送って言った、「主よ、あなたが親しくしてくださっている者が病気です」。(三節)
 ラザロの病気を伝えるマリア・マルタ姉妹からの使者がイエスのもとに到着したところから、このドラマの最初の場面(第一場)が始まります。登場人物はイエスと弟子たちです。場所は、イエスと弟子たちの一行が留まっている「ヨルダン川の向こう側」(一〇・四〇)です。
 この姉妹は(使いの者を通してですが)イエスに向かって「主よ」と呼びかけています。主《キュリオス》という用語は、新約聖書では復活してキリストとされた方の称号として用いられるようになりますが、もともと日常生活の中で、弟子が先生に、また女性が男性に敬称として普通に用いた語です。一一章には「主」という用語が比較的多く(八回)出てきますが、二節以外はみな呼びかけとして用いられており、ここでは信頼し尊敬する師に対する敬称として用いられています(一三・一三参照)。

 
 ところが、これを聞いてイエスは言われた、「この病気は死に至るものではなく、神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。(四節)
 ラザロが重い病気であることを聞かれたイエスが言われた言葉は、生まれながら目の見えない人について言われたお言葉(九・三)を思い起こさせます。どちらの場合も、イエスは目の前の事実を原因・結果の鎖の中で見るのではなく、神の恩恵の視点から見られます。盲人の場合は、その不幸が誰の罪の結果であるのか、その原因が問題となっていました。イエスは生まれながらの盲目という事実を、神の恩恵の働きが現れるためとされました。ここでは、「この病気は死に至るものではない」として、すなわち目の前の重病を死の原因として見るのではなく、神の栄光の機縁と見て、「神の栄光のため、神の子がそれによって栄光を受けるためのもの」とされます。すなわち、イエスがその死に至らざるをえない病を克服することによって神の子としての栄光を現し、それによってイエスを遣わされた神が栄光をお受けになるためです。
 
 ラザロが病気であることを聞かれたとき、イエスはおられた場所に、その時にもなお二日間留まっておられた。その後になって、弟子たちに言われた、「もう一度、ユダヤに行こう」。(六〜七節)
 姉妹は「あなたが親しくしてくださっている者」が重病で死に瀕していますと言って、イエスの人間としての情に訴えていますが、イエスは人の情に従って直ちに行動されるのではなく、あくまで神の御心を求めて時を待たれます。
 イエスが滞在しておられる「ヨルダン川の向こう側」の地がベタニアから何日ほどの行程の地か分かりませんが、イエスがその地になお二日留まったあと出発してベタニアに到着された時、ラザロが死んでから四日経っていたことからすると、姉妹が使いを送り出した後すぐにか、それほど日が経っていない時にラザロは亡くなったと考えられます。
 報せを聞いてから二日間出発されなかったのは、ラザロの死の後に到着するためでした。イエスはラザロの死を知ってから出発されます。それは、エルサレムに入る直前に行われる最後の「しるし」を病人のいやしではなく、死者を生き返らせる業とするためでした。この時点でイエスがラザロの死を知っておられたことは、イエスご自身が明言しておられます(一四節)。
 「ヨルダン川の向こう側」の地になお二日間留まって後、イエスは弟子たちに、「もう一度、ユダヤに行こう」と言われます。先頃の神殿奉献記念祭での論争でユダヤ人たちがイエスを石打にしようとしたので、イエスはユダヤの地を去り、ヨルダン川を東に越えて、「ヨルダン川の向こう側」(ヘロデの領地であるペレア)へ来られたのでした(一〇・三一〜四二)。イエスはラザロのところに行くためにそのユダヤの地に再び戻ろうと言われます。ラザロがいるベタニアは、エルサレムのごく近くにあるユダヤの村です。

 弟子たちは言った、「ラビ、つい先には、ユダヤ人たちがあなたを石打にしようとしていました。それなのに、またそこへ行かれるのですか」。   (八節)
 弟子たちはこう言って、ユダヤに行くことは命の危険を招くことであるとして、イエスを引き止めようとします。これは、受難の道を進もうとされるイエスを、「そんなことはあってはなりません」と引き止めたペトロの言葉を思い起こさせます(マルコ八・三一〜三三)。

 イエスはお答えになった、「昼間は十二時間ではないか。人は昼間に歩けばつまずくことはない。世の光を見ているからだ。しかし、夜に歩くとつまずく。その人の内には光がないからである」。(九〜一〇節)
 「昼間は十二時間ではないか」という言葉は、昼間はいつまでも続くものではなく、十二時間という限度があることを思い起こさせるための言葉です。これは、「だれも働くことができなくなる夜が来る」(九・五)と同じことを言おうとしていると理解すべきです。この言葉によってイエスは、引き止めようとする弟子たちに、「(だから)わたしたちは、わたしを遣わされた方の業を、まだ日があるうちに行わなければならない」(九・四)と、危険のある地に赴く決意を示しておられるのです。
 この昼と夜の比喩を用いたイエスのお言葉をきっかけにして、著者は「世の光」の説教をここに挿入します。昼間に歩けば明るいので物につまずいて倒れることはなく、夜の暗闇に歩くと何も見えないので物につまずいて倒れるという実際の経験を比喩にして、「世の光」がある間に、この「世の光」に照らし出されて歩むように説き勧めています。「人の内には光がない」、すなわち、生まれながらの人間の内には、真理を照らし出す光はないのです。したがって、上からの「世の光」に照らされるのでなければ、つまずかずに歩くことはできません。上からの「世の光」とは復活者イエスです。復活者イエスこそ「世《コスモス》を照らす光源」です。これは、「わたしが世の光である」(八・一二)という主張の変奏です。ここにも、地上のイエスの出来事を語る物語の中に、「継ぎ目なく」ヨハネ共同体の説教が編み込まれている実例が見られます。


わたしは彼を起こしに行く

 このようにお語りになり、その後、弟子たちに言われる、「わたしたちの友ラザロは、眠ってしまった。けれども、わたしは彼を起こしに行く」。 (一一節)
 イエスはラザロが死んだことを知っておられます。しかし、彼の死を「眠った」と表現されます。この表現は、マルコ福音書に伝えられている会堂長ヤイロの娘の場合と同じです(マルコ五・三九)。著者ヨハネはマルコ福音書を知っていた可能性はありますので、イエスが死を眠りと表現された語録を用いて、ここのイエスと弟子たちの対話の場面を構成したことも考えられます。しかし、イエスが死を眠りと語られたことはごく初期からどの方面の群れでも語り伝えられていたと見られます。そのことは、一番最初に書かれた文書であるパウロのテサロニケ第一書簡にも、死んだ者たちが「眠った者たち」とごく自然に表現されていることからもうかがわれます(テサロニケT四・一三〜一五、五・一〇)。ルカも初期の信徒たちが死を眠りと表現したことを伝えています(使徒七・六〇)。したがって、ヨハネ共同体がごく初期から死ぬことを「眠る」と表現していたことは十分考えられます。
 「彼は眠ってしまった」という表現に呼応して、イエスは「彼を起こしに行く」と言われます。ここの「起こす」は、睡眠から目覚めさせることを指す動詞です。イエスの復活を指す「(死者の中から)起こす」というときに用いられる動詞《エゲイロー》とは別の動詞です。

 そこで弟子たちはイエスに言った、「主よ、眠ったのであれば、彼は助かるでしょう」。イエスは彼の死のことを話されたのであったが、弟子たちは睡眠の眠りのことを話しておられるのだと考えた。(一二〜一三節)
 ここもヨハネ福音書特有の、イエスと弟子たちの間の次元の違いが露呈する場面の一つです。用語は睡眠と目覚めさせることを指すものですが、イエスは死者を復活させる神のいのちの世界を見つめて、死んだラザロを生き返らせる働きを語っておられます。それに対して弟子たちは、イエスの言葉を睡眠と死の関係という地上の経験の範囲内でしか理解していません。激しい苦痛から解放されて眠れるようになったのであれば、治る可能性は高いと考えたのでしょう。

 そこで、イエスは今度ははっきりと言われた、「ラザロは死んだのだ。わたしがそこに居合わせなかったことを、わたしはあなたたちのために喜ぶ。あなたたちが信じるようになるためである。けれども、わたしたちは彼のところに行こう」。(一四〜一五節)
 そこでイエスは、はっきりと「ラザロは死んだのだ」と言われます。その上で、「わたしがそこに居合わせなかったことを、わたしはあなたたちのために喜ぶ」と言われます。ラザロが息を引き取る場に居合わせなかったのは、イエスが意図されたことです。イエスは、出発を二日延ばして、ラザロが死んでから到着するようにされました。ここでその意図がイエスご自身によって語られます。すなわち、イエスがラザロの死の後に到着されたのは、「あなたたちが信じるようになるため」であると明言されます。これはどういう意味でしょうか。
 もしイエスがラザロの死の前に到着されて癒されたのであれば、それは病気の癒しの働きとなります。弟子たちはすでにイエスが数多くの病気を癒されたのを見て、イエスが神から遣わされた方であることを信じています。しかし福音における信仰とはそれ以上のものです。「信じる」とは「死人を生かす神」を信じることであり、イエスが死者の中から復活しておられると信じることであり、その復活者イエスが死んだわたしを復活させてくださると信じることです。弟子たちがこのように「信じる」ようになるために、イエスがそのような方であることを指し示す「しるし」として、イエスは死んだラザロを生き返らせるという究極のしるしをお見せになるのです。
 ラザロが死んでしまっている以上、常識ではもはや行っても仕方のないことですし、また行く必要はないのですが、しかし死の事実にもかかわらず、危険を冒してもそこへ行こうという意味で、「けれども、わたしたちは彼のところに行こう」と続きます。

 すると、ディデュモスと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「われわれも行って、一緒に死のう」。(一六節)
 イエスを石打にしようとしたユダヤに行くことは死の危険を冒すことを意味しました(一一・八参照)。弟子の一人トマスが「われわれも行って、(先生と)一緒に死のう」と、イエスに従って行く決意を述べ、仲間の弟子に決心を促します。トマスは、共観福音書では十二弟子のリストに名前が出てくるだけで、その働きは何も伝えられていませんが、ヨハネ福音書ではここや後に見られるように重要な意義を与えられています。


  37 わたしが復活であり命である  (11章 17〜27節)

 17 さて、イエスは到着されたとき、ラザロがすでに四日も墓にあることをお知りになった。 18 ところで、ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどの距離であった。 19 ユダヤ人たちの多くが、兄弟ラザロのことで慰めるために、マルタとマリアのところに来ていた。 20 さて、マルタはイエスが来られると聞いて迎えに出たが、マリアは家の中で座っていた。 21 そこで、マルタはイエスに向かって言った、「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 22 けれども、あなたが神に求められることは何でも、神があなたにあたえてくださることは、今でもよくわかっています」。 23 イエスは彼女に言われた、「あなたの兄弟は復活するであろう」。 24 マルタは言った、「終わりの日の復活のときには彼が復活することは存じております」。 25 イエスは彼女に言われた、「わたしが復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 26 また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない。あなたはこのことを信じるか」。 27 彼女はイエスに言った、「はい、主よ、あなたは世に来るべきメシア、神の子であると、わたしは信じてきました」。

 

マルタとの対話

 ドラマの第二の場面(第二場)は、ベタニア村に到着されたイエスと出迎えたマルタとの対話です。

 さて、イエスは到着されたとき、ラザロがすでに四日も墓にあることをお知りになった。(一七節)
 イエスはまだ墓に到着しておられません(三〇節と三四節参照)。ですからここの「気づかれた」《ヘウリスコー》(英語の find)は、直接事実をご覧になったのではなく、人からの報告でお知りになったということになります。
 「墓にある」というのは「墓の中に置いてある」という感じの表現です。当時の墓は、山腹をくりぬいた横穴を石で塞いでおく形のものが多くありました。遺体は土に埋めるのではなく、布で巻いて横穴に横たえて置かれました。ラザロの墓もイエスの墓もそのような形の墓とされています。
 葬られて四日も経っていることが述べられているのは、これが仮死状態のラザロの蘇生ではなく、ラザロの死が確実な事実であることを強調するためです。

 ところで、ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどの距離であった。ユダヤ人たちの多くが、兄弟ラザロのことで慰めるために、マルタとマリアのところに来ていた。(一八〜一九節)
 この対話の主人公であるマルタが登場する前に、ベタニアに多くのユダヤ人が来ていたことが語られます。
 まず、ベタニアがエルサレムから近いことが、数字を上げて説明されています。1スタディオンは約185メートルですから、「15スタディオン」は3キロ弱の距離になります。歩いて半時間ほどでしょう。マルタ・マリア・ラザロの兄弟姉妹には、近くのエルサレムにも多くの親族や知人が多くいたのでしょう。彼らがラザロの葬儀に参列して、マルタ・マリア姉妹を慰めるために、近くのベタニアに集まります。集まった人たちをわざわざ「ユダヤ人たち」と呼ぶのは、この出来事がイエスを石打にしようとしたエルサレムのユダヤ人たちの目の前で起こったことであることを思い起こさせるためであると考えられます。
 このドラマでは後に(二八〜三七節参照)、葬儀に集まった「ユダヤ人たち」が、ギリシア悲劇のコロス(合唱隊)のように、状況や背景、また登場人物の心情などを説明する役目を果たすようになりますが(これは現代のオペラでもよく用いられる手法です)、この箇所はこのドラマにおける大勢のユダヤ人たちの存在を説明する伏線です。
 それだけでなくユダヤ人たちの存在は、この「しるし」がユダヤ人たちの間でなされたことを指し示して、多くのユダヤ人たちをこの「しるし」の目撃証人とするためでもあると考えられます。この出来事は、マルタ・マリア姉妹の家庭の中でのプライベートな出来事ではなく、エルサレムのユダヤ人たちの間で起こった「しるし」として、パブリックな意味を持った出来事となります。

 さて、マルタはイエスが来られると聞いて迎えに出たが、マリアは家の中で座っていた。(二〇節)
 イエスが来られたと聞いて、マルタは集落の外にまで迎えに出て行きます。イエスはまだ村(集落)の中には入っておられません(三〇節参照)。マルタが立ち上がって迎えに出かけたのとは対照的に、「マリアは家の中で座って」います。この対照的な行動は、ルカ(一〇・三八〜四二)が描いている二人の行動と対応しています。

 そこで、マルタはイエスに向かって言った、「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。けれども、あなたが神に求められることは何でも、神があなたにあたえてくださることは、今でもよくわかっています」。(二一〜二二節)
 マルタは、ラザロが死んでから到着しようとされたイエスの意図を知るよしもありません。もう少し早く来てくださっていたら、イエスの癒しの力によってラザロは死なずにすみ、このような悲しい思いをしなくてもよっかたでしょうにと、自分の辛い心情を訴えます。しかし、そのような悲しい心情の中でも、マルタはイエスを神から来られた方であることを信じています。そのような方として、「あなたが神に求められることは何でも、神があなたにあたえてくださること」は、ラザロが死んでしまった「今でも」変わらないことを言い表します。信仰は目に見える現実を乗り越えます。

 イエスは彼女に言われた、「あなたの兄弟は復活するであろう」。(二三節)
 マルタが「あなたが神に求められることは何でも、神があなたにあたえてくださることは、今でもよくわかっています」と、イエスに対する信仰を言い表したのに応えて、イエスが神に求め、神が与えてくださるものは復活であることを、イエスは明確に応えられます。イエスはすでに、「わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」と言っておられます(六・四〇)。
 ここに用いられている「復活するであろう」という動詞(未来形)は、死者の復活を指す《アナスタシス》という語の動詞形です。イエスがここで語られた言葉として、著者ヨハネが「あなたの兄弟は生き返るであろう」ではなく、「あなたの兄弟は復活するであろう」という表現を用いたのは、ユダヤ教の復活信仰を克服する福音の復活信仰を提示するための対話を導入しようとしているからです。

 マルタは言った、「終わりの日の復活のときには彼が復活することは存じております」。(二四節)
 ユダヤ教における復活信仰の成立は、比較的新しいことです。旧約聖書の本体部分(モーセ五書)には死者の復活という信仰や思想はなく、預言書の中でかなり後期に成立した黙示文書(イザヤ黙示録やダニエル書など)に、死者の復活(死んだ神の民が終わりの日に復活するという信仰)が示唆されている程度です。イエスの時代のユダヤ教においては、モーセ五書しか権威を認めないので死者の復活を否定するサドカイ派と、捕囚期以後の変化に対応して死者の復活を信じるファリサイ派が対立していました(マルコ一二・一八〜二七、使徒二三・六〜一〇)。民衆の間ではファリサイ派が有力で、死者の復活の信仰は、イエスの時代ではユダヤ教の主流になっていました。イエスもこの信仰を前提にして語っておられます。ヨハネ福音書執筆の時代(70年以後)では、サドカイ派は消滅し、ユダヤ教はファリサイ派ユダヤ教となり、終わりの日に死者が復活することはユダヤ教の公式の教義となっていました。マルタは信心深いユダヤ教徒として、この信仰を告白していることになります。
 マルタの言葉は、ファリサイ派ユダヤ教の復活信仰の告白です。このファリサイ派ユダヤ教の復活信仰に対して、ヨハネ共同体はそれを克服する自分たちの復活信仰を対置します。ヨハネ共同体は、自分たちの復活信仰を、「わたしが〜である」という復活者イエスの自己宣言の形で言い表します。それが次の二五〜二六節の言葉です。これは、一一章のラザロ物語のクライマックスをなすだけでなく、ヨハネ福音書の使信の核心をなす重要な言葉となります。

 

わたしが復活である

 イエスは彼女に言われた、「わたしが復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない。あなたはこのことを信じるか」。(二五〜二六節)
 ヨハネ福音書はその福音の使信をここまで繰り返し、「わたしが〜である。わたしを信じる者は・・・・するであろう」という独自の形式で提示してきました。ここでその形式による福音の提示が最高峰に達します。

 「わたしが復活であり、いのちである」という宣言の「わたし」は、復活者イエスです。マルタが言い表したユダヤ教の教義としての復活信仰に対して、ヨハネ共同体は、復活者であるイエスこそが復活そのものであり、永遠のいのちそのものであると宣言します。ここの「いのち」は《ゾーエー》で、生まれながらの命である《プシューケー》とは別の「永遠のいのち」を指しています。永遠の命も、ユダヤ教では「来るべき世」における命として、終わりの日に神の民に与えられるものとされていました。

 将来に待望される終わりの日の復活と永遠の命に対して、この福音書はいま現に自分たちに語りかけ働いておられる復活者イエスこそが、すでに復活でありいのちであると宣言します。これこそヨハネが提示する福音の核心です。
 復活者イエスがいま現に復活であり、いのち《ゾーエー》そのものなのですから、この復活者イエスを信じる者は「死んでも生きる」ことになります。
 「わたしを信じる者」は、原文では「わたしの中へ信じ入る者」という意味の表現が用いられています。イエスを信じ、イエスの中へ自分を投げ入れ、イエスと結ばれている者ということです。パウロの「キリストにあって」と同じ消息です。このように復活者イエスに合わせられている者には、もはや死ぬことのない《ゾーエー》の命が来ているのですから、「死んでも生きる」ということになります。
 生まれながらの命《プシューケー》はいずれ必ず死にますが、復活者イエスに結ばれて生きているいのち《ゾーエー》は死ぬことなく、《プシューケー》の死を超えて生きます。同じ人間の中に、《プシューケー》の命に生きる「わたし」とは別に、別種の命である《ゾーエー》に生きる別の「わたし」が誕生しているのです(三章のニコデモとの対話を参照)。ですから、「《プシューケー》が死んでも、《ゾーエー》は生きる」のは当然のことですが、そのいのちの種類が違うことを表に出さないで語ると、「死んでも生きる」という、驚くべき逆説的宣言になります。復活者キリストという場では、人は「死んでも生きる」という存在になります。「永遠のいのち」とは、このような意味で死を克服しているいのちです。
 「死んでも生きる」に対応して、「生きていてわたしを信じる者」はいつまでも死ぬことはないと宣言されます。原文は「生きていて、そして、わたしを信じている者」ですが、ここの「そして」は出来事の順序ではなく、共存とか重なりを示しています。内容は「わたしを信じつつ生きる者」、「わたしを信じることによって生きている者」ということです。このように復活者イエスを信じて生きている者、すなわち復活者イエスと結ばれて生きている者は、《ゾーエー》のいのちに生きているのですから、このいのちはいつまでも(原文は「永遠に」)死ぬことはありません。復活者イエスを信じる者は、このような意味で「永遠に死なない」のですが、《プシューケー》の命しか見えない人たちには、この宣言は不可解というほかありません。そのために、この言葉を巡ってユダヤ人たちとの間に論争が起こったことが先に伝えられていました(八・五一〜五三)。
 このように、復活者イエスを信じることによって「死んでも生きる」とか「いつまでも死ぬことはない」という事態が起こることを、「あなたは信じるか」と問いかけられます。この問いは地上のイエスとマルタの対話としては、今目の前にいます地上のイエスがそのような復活といのちそのものでいます方、すなわち復活者イエスであると信じるかという問いになります。それは、イエスが永遠に神と共にいます御子の受肉であると信じるかという問いになります。
 しかし、この福音書を書いている著者の状況では、終末の日の死者の復活を待ち望んでいるユダヤ教会堂に向かって、ヨハネ共同体が、現にいま復活であり命である復活者イエスを信じるように呼びかけていることになります。

 彼女はイエスに言った、「はい、主よ、あなたは世に来るべきメシア、神の子であると、わたしは信じてきました」。(二七節)
 イエスの問いかけにマルタはこう答えます。原文では「メシア、神の子、世に来るべき方」と三つの称号が並んでいます。「世に来るべき方」はユダヤ教のメシア待望を表現する句ですから、これは「メシア、神の子」の説明として、「世に来るべきメシア、神の子」としておきます。「メシア」と訳した箇所の原文は《ホ・クリストス》(定冠詞付きのクリストス)です。このマルタの告白には、初期の教団の「神の子キリスト」の告白が重なっていると見られますが、地上のイエスとマルタとの対話の場面としては、当時のユダヤ人の用語である「メシア」という語で訳しておきます。
 マルタは「信じてきました」と言っています。動詞は現在完了形です。今までずっと信じてきましたし、そしてラザロが死んだ今も信じていることを強調しています。マルタはまだ復活されたイエスに出会っていませんし、イエスが死者を復活させる方であることを示す「しるし」も見ていません。しかし、「世に来るべきメシア、神の子」である以上、その方が言われるように、その方が復活でありいのちそのものであること、またこの方を信じる者は「死んでも生きる」とか「いつまでも死ぬことはない」ということを信じます。マルタは見ないで信じる信仰を言い表します。

 

  38 ラザロが生き返る(11章 28〜44節)

 28 このように言ってから、マルタは去って、姉妹のマリアを呼んで、そっと言った、「先生が来ておられ、あなたを呼んでおられますよ」。 29 マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに来た。 30 イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。 31 家の中でマリアと一緒にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がり出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思って、後を追った。32 そこで、マリアはイエスがおられるところに来て、イエスを見ると足下にひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」。 33 イエスは彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをごらんになって、霊に激し、心騒ぎして、 34 「彼をどこに置いたのか」と言われた。人々は言った、「主よ、来て、ごらんください」。 35 イエスは涙を流された。 36 そこで、ユダヤ人たちは言った、「ごらんなさい。どれほどラザロを愛しておられたことか」。 37 しかし、彼らの中のある者たちは言った、「盲人の目を開けたこの人でも、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」。
 38 イエスは再びご自身の中で激して墓に来られる。墓は洞穴で、石が塞いでいた。 39 イエスが「その石を取りのけなさい」と言われると、死んでしまった者の姉妹マルタが言う、「主よ、もう臭っています。四日たっているのですから」。 40 イエスは彼女に言われる、「わたしはあなたに言わなかったか、信じるならば、神の栄光を見ることになると」。 41 そこで、人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を上げて、言われた、「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださったことを賛美します。 42 わたし自身は、あなたがいつもわたしの願いを聞き入れてくださることを知っています。しかし、こう言ったのは、回りに立っている群衆のためです。すなわち、あなたがわたしを遣わされたのであることを、彼らが信じるようになるためです」。 43 こう言って、大きな声で叫ばれた、「ラザロよ、外に出て来なさい」。 44 死んでいた者が、足と手を布で巻かれたままで出て来た。顔は覆い布で包まれていた。イエスは言われた、「解いて、行かせてやりなさい」。


マリアとの対話

 このように言ってから、マルタは去って、姉妹のマリアを呼んで、そっと言った、「先生が来ておられ、あなたを呼んでおられますよ」。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに来た。イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。(二八〜三〇節)
 ここから場面は変わり、マルタは去って、姉妹のマリアが登場し、イエスとマリアとの対話の場面になります。この対話が、このドラマの第三場になります。場所は、マルタがイエスを出迎えたベタニヤの村はずれのままです。

 家の中でマリアと一緒にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がり出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思って、後を追った。(三一節)
 この場面では、ギリシア悲劇のコロス(合唱隊)のように、主要人物を取り囲んで、状況や人物の心情を描く役割を果たす「ユダヤ人たち」が登場しますが、そのユダヤ人たちがどうしてこの場面に居合わせるようになったのか、ここで説明されます。
 「ユダヤ人たちの多くが、兄弟ラザロのことで慰めるために、マルタとマリアのところに来ていた」わけですが(一九節)、そのユダヤ人たちがマリアの後を追って来ます。彼らは、マリアが墓に泣きに行くのだろうと思って後を追ったのですが、マリアは墓にではなく、村はずれに待っておられるイエスのもとに急ぎます。故人の死を悼んで声を上げて泣く(とくに女性が泣く)ことは、当時の葬送の習慣でした。葬儀で泣くことを職業とする女性もいたのです(マルコ五・三八参照)。

 そこで、マリアはイエスがおられるところに来て、イエスを見ると足下にひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」。(三二節)
 マリアは、マルタがイエスに言ったのと同じように言って(二一節参照)、イエスがラザロの死の前に到着されなかったので、愛する兄弟を失ったことを嘆きます。マリアの場合には、マルタが続けて言った「けれども、あなたが神に求められることは何でも、神があなたにあたえてくださることは、今でもよくわかっています」(二二節)という言葉はありませんが、イエスの足下にひれ伏している姿に、マリアも同じようにイエスを信じていることがうかがわれます。

 イエスは彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをごらんになって、霊に激し、心騒ぎして、「彼をどこに置いたのか」と言われた。人々は言った、「主よ、来て、ごらんください」。(三三〜三四節)
 彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをごらんになって、イエスは「霊に激し、心騒ぎして」言われたと、イエスの激しい感情を描く珍しい表現が出てきます。人の感情の中に立ち入ることは難しいことですから、この表現がイエスのどのような感情を指しているのかについて、様々な解釈が唱えられて対立することになります。
 まず「霊に激し」という表現ですが、「霊に」という三格は、同じことを言っている三八節で「ご自身の中で」と言われているのとほとんど同じと見られ、人間存在の奥底を指しています。「心底から激して」と訳してもよいのですが、「霊」という語が用いられていることを示すために、あえて直訳しておきます。
 ここに用いられている動詞「激する」は、激しく息を吐く様子を指す動詞で、激しい感情の動きを示す動詞です。不快や憤りを表に表す時によく用いられます。「深く感動し」(RSVなど)とか「激しく感動し」(協会訳)よりも、激しさが表面に出ています。また、この動詞はマルコ一・四三(およびマタイ九・三〇)の「厳しく命じた」や、マルコ一四・五の「厳しくとがめた」と同じ動詞ですが、ここではその感情の激しさを(新共同訳、新改訳、岩波版、塚本訳のように)「憤り」と特定する必要はないと考えます。この私訳では解釈の余地を残し、それがどのような感情であるかは特定しないで訳しています。人々が「泣いているのをごらんになって」という説明の文や、次の三五節の「イエスは涙を流された」という事実からも、この時の激しい感情の高まりは、「憤り」よりも、人間の悲惨に対する嘆きとも理解できます。文語訳はこの箇所を「心を痛め悲しみて言い給ふ」と訳しています。

 「心騒ぎして」は、一二・二七、一三・二一、一四・一、一四・二七で用いられている動詞と同じです。一二・二七ではギリシア語の詩編六・四がそのまま引用されています。どの場合にも適用できる表現として、「心を騒がせる」が適当でしょう。

イエスは涙を流された。(三五節)

 イエスはまだ墓に来ておられません。墓に来られるのは、この後の三八節以下の次の場面です。「マリアが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをごらんになって」、イエスも涙を流されたことになります。
 イエスが「涙を流された」ことを伝えるのはここだけです。イエスが「泣かれた」ことは、もう一箇所、最後の過越のときオリーヴ山からエルサレムを望み見て泣かれたことが伝えられています(ルカ一九・四一)。この場合は明らかに、聖都エルサレムの悲惨な最期に対する嘆きの涙ですが、ラザロの場合も、愛する者を失う人間の悲しみを共にして泣かれたと理解してよいでしょう。イエスもラザロを深く愛しておられました。

 そこで、ユダヤ人たちは言った、「ごらんなさい。どれほどラザロを愛しておられたことか」。(三六節)
 ラザロを愛しておられたというイエスの心情を、(古典劇のコロスのように)周囲のユダヤ人たちが語ります。イエスが流された涙は、イエスがラザロを深く愛しておられたことを示していると、著者はユダヤ人たちの口を通して語ります。

 しかし、彼らの中のある者たちは言った、「盲人の目を開けたこの人でも、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」。(三七節)
 登場人物の心情やその場の状況を説明するコロスの役割を果たすユダヤ人たちの声のなから、もう一つ別の声も聞こえてきます。彼らは、エルサレムでイエスが生まれながらの盲人をみえるようにされたことを知っていました(九章参照)。彼らはその出来事の証人です。しかし彼らは、イエスがあえてラザロの死の後に到着された意図を知りません。彼らは、イエスがラザロを死なないようにすることができることの証人としてではなく、イエスが死んだラザロを生き返らせることができるという事実の証人となるように、この場に居合わせているのです。

 

ラザロが生き返る

 イエスは再びご自身の中で激して墓に来られる。墓は洞穴で、石が塞いでいた。(三八節)
 イエスが墓に来られます。ここから第四の場面(第四場)が始まります。場所はラザロの墓の前です。周囲にはマルタとマリア、ユダヤ人たちが取り巻いていますが、主役はイエスお一人です。いや、イエスとイエスが語りかける父の二人と言うべきかもしれません。この場面で、このドラマはクライマックスに達します。
 ここでイエスは初めて墓に来られたのですから、「再び」は「墓に来られる」ではなく、「ご自身の中で激して」という句を修飾することになります。先に「マリアが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをごらんになって、霊に激し、心騒ぎ」されました(三三節)。いま墓の前に来て「再びご自身の中で激して」行動されます。
 ここで目の前にある墓の様子が説明されます。当時の墓は山腹にくり抜いた横穴の洞窟で、その中に遺体を横たえました。入口には(普通は円形の)石の板が置かれて横穴を塞いでいました。

 イエスが「その石を取りのけなさい」と言われると、死んでしまった者の姉妹マルタが言う、「主よ、もう臭っています。四日たっているのですから」。(三九節)
 イエスは「その石を取りのけなさい」と言われます。この石は死者の世界と生者の世界を厳しく隔てる石です。石という固くて冷たい材質が象徴しているように、死は二つの世界を隔てる冷厳な事実です。イエスが「その石を取りのけなさい」と言われるとき、それはイエスこそ生と死の冷厳な隔てを、何らかの意味で克服し取り除いてくださる方であることを象徴しています。それがどのような意味であるかは、この物語全体の受け止め方に関わることで、最後にまとめることになります。

 イエスが「その石を取りのけなさい」と言われたのに対して、マルタは「主よ、もう臭っています。四日たっているのですから」と応えます。イエスは生と死の隔てを克服しようとされていますが、マルタにはラザロの死もはや克服しようのない冷厳な事実です。死後四日もたって、遺体はすでに死臭を発しています。ラザロの埋葬には、富裕な階層に人にはなされる高価な香料を用いた防腐処理はされていなかったのでしょう。マルタの言葉は、ラザロは仮死状態であったがイエスの祈りによって蘇生させられたのだという見方を退けます。ラザロは完全に死んでいたのです。

 イエスは彼女に言われる、「わたしはあなたに言わなかったか、信じるならば、神の栄光を見ることになると」。(四〇節)
 イエスはマルタに、この通りの言葉では語っておられません。イエスは先にマルタにこう言われました。「わたしが復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない。あなたはこのことを信じるか」(二五〜二六節)。こう言って、復活でありいのちであるわたしを「信じるならば」、「死んでも生きる」とか「いつまでも死ぬことはない」という境地に至ることを約束されました。今それを「神の栄光を見ることになる」という言葉で指して、先に語られた言葉を思い起こさせられます。死に閉じこめられている人間が「死んでも生きる」とか「いつまでも死ぬことはない」という境地に至ることは、神だけができることであり、イエスを信じることによってそのような境地に生きるようになった者は、その事実に神の栄光、すなわち神の神としての本質を拝することになります。

 そこで、人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を上げて、言われた、「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださったことを賛美します。わたし自身は、あなたがいつもわたしの願いを聞き入れてくださることを知っています。しかし、こう言ったのは、回りに立っている群衆のためです。すなわち、あなたがわたしを遣わされたのであることを、彼らが信じるようになるためです」。(四一〜四二節)
 石を取りのける行為は信仰の行為です。イエスを拒否し、イエスの言葉を冷笑する者は、石を取りのけないでしょう。周りの人々は、何が起ころうとしているのか分からないまま、イエスの「石を取りのけなさい」という言葉に従って、墓を塞いでいる石を取りのけます。
 すると、イエスは墓の前に立ち、「目を上げて」、すなわち天を仰いで、父に向かって祈りの言葉を発せられます。イエスが一人で祈られるときは、「地面にひれ伏して」祈られる場合もありますが(マルコ一四・三五)、人々の前で公に祈られるときは、このように立って天を仰いで祈られるのが普通です(たとえばマルコ六・四一)。
 イエスはラザロが生き返るように願い祈る前から、すでに父がその願いを聞き入れてくださっていることを知って、父を賛美されます。イエスは日頃から弟子たちに、「祈り求めるものはなんでも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(マルコ一一・二四)と教えておられました。いまイエスは「しるし」として、父がラザロを生き返らせてくださることを祈り求めようとしておられます。弟子へのお言葉どおりに、いまイエスが祈り求められるものを、父がすでに聞き入れてくださっていることを知り、ラザロが生き返ることをすでに起こった事実として、それを為してくださった父を賛美されます。これは、イエスと父との深い一体関係を示しています。
 父はイエスの願いをすでに聞き入れておられるのですから、イエスは改めて父に願いの言葉を口に出して祈らなくてもよいのです。ただラザロに向かって「出て来なさい」と命じればよいのです。また、イエス自身は父がいつも自分の願いを聞き入れてくださることを知っておられますから、わざわざ「わたしの願いを聞き入れてくださったことを賛美します」と口に出して感謝しなくてもよいのです。それにもかかわらず、イエスがそれを口にされるのは、「回りに立っている群衆」がイエスの願いは何でも父が聞き入れてくださることを見て、イエスが父から遣わされた方であると信じるようになるためです。これこそ、この福音書が世に伝えようとして繰り返し宣言する使信です。この死んだラザロが生き返るという最後の、そして最大の奇蹟も、人々がこれを信じるようになるためになされた「しるし」に他なりません。

 こう言って、大きな声で叫ばれた、「ラザロよ、外に出て来なさい」。(四三節)
 死んで四日も墓に横たわっているラザロに向かって、イエスは「ラザロよ、外に出て来なさい」と大声でお命じになります。このような命令は、人間の常識からすれば狂気の沙汰です。死んで四日も経っているという事実しか見えない人間の立場からすれば、理解不可能です。しかし、イエスは自分が祈り求めたものはすでに与えられていること、すなわちラザロがすでに生き返っていることを知っておられます。イエスは生き返っているラザロに大声でお命じになります、「ラザロよ、外に出て来なさい」と。

 死んでいた者が、足と手を布で巻かれたままで出て来た。顔は覆い布で包まれていた。イエスは言われた、「解いて、行かせてやりなさい」。(四四節)
 イエスがこうお命じになると、死んでいたラザロが「足と手を布で巻かれたままで」墓から出て来ます。人間の目からみれば「死んでいた」ラザロが出て来たのですが、イエスの目には生き返っていたラザロが出て来たのです。
 ここの「布」は墓に納めるときに遺体を巻く布です。「覆い布」は、普段は汗を拭く布を指しますが、ここでは遺体の顔を包み覆うための布です。「足と手を布で巻かれたままで」どうして歩くことができるのかとか、(普通は遺体を横たえるだけの狭い横穴の)墓の中でどうして立ち上がることができるのかなどの疑問や詮索は、ここでは無意味です。著者は、イエスが死んだラザロを生き返らされたという事実を、見る者を驚嘆させ感動させるドラマにして提示しているのです。わたしたちは、イエスが死んだラザロを生き返らされたという事実に素直に驚き、ひれ伏せばよいのです。
 イエスは人々に、ラザロの体を巻いている布を解いて、行かせるようにお命じになります。これは、ラザロが生きている者として普段の生活に戻るように指示されたことを意味します。ヤイロの会堂司の娘を生き返らされた時も、その娘に食べ物を与えるように指示しておられます(マルコ五・四三)。死んでいた者が完全に生ける者の世界に戻ってきたのです。
 墓から出て来たときラザロを巻いていた布は、命を得て歩いているラザロが表面はまだ死に包み込まれていることを象徴しています。その布が解かれて、ラザロが完全に生ける者の社会に復帰する姿は、復活の命を与えられながらもなお「死のからだ」の中で呻いているわたしたちが、「からだの贖い」により死の影を完全に取り除かれていのちの栄光に輝く時が来ることを予感させます。

 

  39 イエスを殺す計画 (11章 45〜57節)

 45 マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人たちの中の多くの者がイエスを信じた。 46 けれども、彼らの中に、ファリサイ派の人たちのところに行って、イエスがなさったことを告げた者たちがいた。 47 そこで、祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して、こう言った、「この男は多くのしるしを行っているが、われわれはどうすればよいか。 48 彼をこのまま放置すれば、みな彼を信じるようになるだろう。そうすると、ローマ人たちがやって来て、われわれから土地も民族も取り上げてしまうことになる」。
 49 彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った、「あなたがたは何もわかっていない。 50 一人の人間が民のために死んで、民族全体が滅びないですむのが、あなたがたにとって得策だと考えないのか」。 51 彼はこれを自分から言ったのではなく、その年の大祭司であったので、イエスが民族のために死ぬことになるのを預言したのである。 52 この民族のためだけではなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬことを預言したのである。 53 この日から、彼らはイエスを殺そうと協議を始めた。
 54 そこで、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず、そこから荒野に近い地方へ去って、エフライムという町へ行き、弟子たちとそこに滞在された。
 55 さて、ユダヤ人たちの過越祭が近づいた。多くの人が、身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムに上って行った。 56 彼らはイエスを捜し、神殿の境内に立って、互いに言った、「あなたたちはどう思うか。彼は祭りには来ないのであろうか」。 57 祭司長たちとファリサイ派の者たちは、イエスがどこにいるかを知る者があれば、届け出るように命令を出していた。イエスを逮捕するためである。

 

大祭司の謀略

 マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人たちの中の多くの者がイエスを信じた。けれども、彼らの中に、ファリサイ派の人たちのところに行って、イエスがなさったことを告げた者たちがいた。(四五〜四六節)
 ここで、ラザロの葬儀のためにエルサレムから来ていたユダヤ人たちが、ドラマの舞台回しの役割を演じます。彼らの中の多くの者がイエスがなさったことを見てイエスを信じましたが、ある者たちがエルサレムに急いで戻り、神殿の指導層の人たちにこの出来事を報せます。彼らの行動により、舞台は回りエルサレム神殿内の最高法院に変わります。
 このように神殿のユダヤ教指導層に報告したことを、この福音書は「ファリサイ派の人たちに告げた」と言いますが、これは福音書成立当時のユダヤ教会堂がファリサイ派の会堂であり、指導層はファリサイ派律法学者であったからです(九・一三)。

 そこで、祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して、こう言った、「この男は多くのしるしを行っているが、われわれはどうすればよいか」。(四七節)
 この報告を受けて、「祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して」議論を始めます。このエルサレムの最高法院での議論が、このドラマの第五の場面(第五場)になります。登場人物は、大祭司カイアファと議員たちです。
 「祭司長たち」というのは、最高法院(サンヘドリン)を構成する三つのグループ(祭司長たち、長老たち、律法学者たち)の中で、貴族祭司階級の代表者たち六〜十名で構成され、祭儀・財政・警察の執行を担当し、いわば大祭司を首班とする内閣のような存在で、最高法院の中で中心的な位置を占める執行機関です。すでに七章(三二節と四五節)でイエスを捕らえようとする勢力として登場しています。しかし、そこではまだ最高法院全体の議決とはなってはいませんでした。
 この「祭司長たち」と「ファリサイ派の人たち」が、最高法院の全議員を召集して議論を始めます。イエスの時代の最高法院にはファリサイ派律法学者たちも含まれていましたが、彼らは招集される側の議員であって、招集する側ではありません。最高法院を招集するのは大祭司を首班とする「祭司長たち」です。ここで「祭司長たちやファリサイ派の人たちは最高法院を招集して」とあるのは、福音書執筆当時のユダヤ教指導者のファリサイ派律法学者がイエスの時代の指導者である「祭司長たち」と重なっているからだと見られます(前節参照)。この重なりはこの福音書ではよく見られます(七・三二、七・四五、一八・三)。
 これまでイエスの行為が律法違反にならないか査問したのは、おもに会堂を指導するファリサイ派でしたが、ここからユダヤ教の最高宗教法廷である最高法院がイエスを追求し、殺す計画を立てることになります。彼らは、イエスが多くの「しるし」を行われたことに恐怖を感じています。イエスがなされた力ある業(奇蹟)は、本来イエスが父から遣わされた方であることを指し示す「しるし」であり、終末がイエスにおいて到来していることの「しるし」ですが、彼らにとっては恐怖のしるしであり、滅びのしるしとなります。なぜそうなるのかが、次の節で語られます。

 「彼をこのまま放置すれば、みな彼を信じるようになるだろう。そうすると、ローマ人たちがやって来て、われわれから土地も民族も取り上げてしまうことになる」。(四八節)
 「祭司長たち」ユダヤ教指導者が恐れているのは、先ず第一に、イエスがされる「しるし」を見てユダヤ人がみなイエスを信じるようになれば、ユダヤ教における自分たちの権威が失墜し、民衆を指導する立場が揺らぐからです。神殿での過激な行動が示しているように(二・一三〜一六)、イエスはすでに神殿体制に対して激しい批判の矛先を向けていた人物です。ユダヤの民衆がイエスに従うようになれば、民衆はもはや祭司長たちの指導には服さなくなるでしょう。
 それだけではありません。当時のユダヤでは、「熱心党」に代表されるように、律法に忠実で熱心なユダヤ教徒が異教徒のローマ人の支配を嫌って、その支配を覆そうとする動きが絶えませんでした。その中で、自分こそ神から油を注がれて神の民を解放するために遣わされたメシアであると自称し、民を糾合して反ローマの戦いに立ち上がらせようとする者がしばしば現れました。この時の祭司長たちも、民衆がイエスをメシアと信じて、反ローマの大きなメシア運動になることを恐れたのです。そのような事態になれば、せっかくローマ人に取り入って認めてもらっている自治権も取り上げられ、もはや自分たちがユダヤの「土地と民族」を支配する者ではなくなることを恐れたのです。イエスの時代には、反ローマ支配のメシア運動はすでにいくつもローマ軍によって鎮圧されていました。著者は70年の神殿崩壊に至るユダヤ戦争を知っています。

 彼らの中の一人で、その年に大祭司であったカイアファが言った、「あなたがたは何もわかっていない。一人の人間が民のために死んで、民族全体が滅びないですむのが、あなたがたにとって得策だと考えないのか」。 (四九〜五〇節)
 この時の大祭司はカイアファでした。大祭司は「祭司長たち」の中の一人が選ばれて、最高法院の議長を務め、全ユダヤ教団を代表し統率する最高の地位でした。このイエスの死による贖いの出来事がなされた重大な「その年」にユダヤ教を代表する大祭司職にあったのはカイアファでした。

 この人物が、民の安全のために、実は自分たちの権力の安全のために、イエスを抹殺することを提案します。イエスを取り除けば、危険なメシア運動の芽は未然に摘み取られ、圧倒的なローマの軍事力によってユダヤ教団としての「民族」が滅びるのが避けられるではないかと言って、イエスを殺すことを提案します。つい先にもガリラヤとペレアの領主ヘロデ・アンティパスが、多くの民衆の期待を集めていた洗礼者ヨハネを処刑して、彼の運動が反ローマのメシア運動となることを防いだことを、カイアファは十分承知していたはずです。彼は政治的損得を計算し、自分たちの権力維持のためだけを考える冷徹な現実政治家です。
 彼は「一人の人間が民のために死ぬ」ことによって民族全体が滅びないですむと言っています。この「民のために」という表現は、福音がイエスの十字架上の死を「わたしたちのために」あるいは「わたしたちに代わって」という時の「のために」と同じ語が用いられており、大祭司がイエスの死を「民のための死」、「民に代わっての死」と認めていることになります。そのことの意義が次節で語られます。

 彼はこれを自分から言ったのではなく、その年の大祭司であったので、イエスが民族のために死ぬことになるのを預言したのである。(五一節)
 カイアファは支配者であるローマ総督を相手に術策を弄し、一九年間も大祭司の地位を保ち、ユダヤ教団の自治を守った老獪な政治家でした。この大祭司の政治術策的発言を、著者は彼の地位から、イエスについてのユダヤ教団の公式の預言とします。すなわち、イエスの死が「民のための死」であることは、福音が告知するだけでなく、ユダヤ教団も(動機はまったく異なるが、その意義は)公式に認めているという主張です。

 この民族のためだけではなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬことを預言したのである。(五二節)
 「散らされている神の子たち」というのは、「この民族のためだけではなく」という句と対照されていることから、「全世界に散らされている神の子たち」、すなわち異邦諸民族の中にいる神の子たちを指すと理解できます。ヨハネ共同体は本来おもにユダヤ人信徒で形成されていたと考えられますが、異邦人も迎え入れる方向に進みつつあったと見られます。それで、ユダヤ人だけでなく「異邦人にも」という主張が、やや取って付けたように加えられることになります(一〇・一六参照)。

 この日から、彼らはイエスを殺そうと協議を始めた。(五三節)
 これまではイエスを殺そうとする動きは個々のファリサイ派律法学者の敵意からでした。この動きは、「この日から」最高法院の公式の動きとなります。後に逮捕されたイエスに対して裁判が行われますが、それは形を整えるだけの手続きで、大祭司を議長とする最高法院は「この日から」イエスを処刑しようという意図で行動しています。
 ヨハネ福音書は、イエス処刑の直接の動機をラザロを生き返らせたイエスの力が民衆のメシア運動を刺激するのではないかという最高法院の恐れに求めています。共観福音書は、イエスが神殿で行った激しい批判行為を殺意の直接の動機としていますが、ヨハネ福音書はこの行為を初期に置いているので、直接の動機として別の動機を求めることになります。

 そこで、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず、そこから荒野に近い地方へ去って、エフライムという町へ行き、弟子たちとそこに滞在された。(五四節)
 イエスがラザロを生き返らせた大いなるドラマは、第五場のエルサレムでの最高法院の場面で終わりますが、その後に主役のイエスの消息を伝える短い語りが付け加えられます。
 最高法院がイエスを殺すことを決めているのですから、イエスを逮捕するための何らかの行動が始まっているはずです(五七節参照)。そこでイエスは、「ユダヤ人たちの間を公然と歩き回ることはなさらず」、ユダヤ人の地であるベタニアを去って、荒野に近い地方へ行かれます。「荒野」というのは、ここではエルサレムの東に拡がる「ユダの荒野」のことです。「荒野に近い地方」とは、エルサレムから荒野に入る前に位置する地方ですが、そこにある「エフライムという町」は、現在ではどこにあるのか確認は困難です。イエスはしばらくユダヤ人の目の届かない所に身を潜め、過越祭に合わせてエルサレムに入ろうとされます。

 

過越祭前のエルサレム

 さて、ユダヤ人たちの過越祭が近づいた。多くの人が、身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムに上って行った。(五五節)
 過越祭前のエルサレムの様子を記述する五五〜五七節は、最後の過越祭にイエスがエルサレムに入られることを主題とする一二章の内容に属します。したがってこの段落は本来一二章の一部として扱うべきですが、五七節がイエスを殺すことを決意した最高法院の行動に触れていることから、伝統的にこの最高法院の場面の段落に入れられて、一一章の締め括りとされています。それで、一応伝統的な章区分に従い、ここで扱っておきます。
 この福音書の著者はユダヤ人と考えられますが、対立するユダヤ教会堂勢力を「ユダヤ人たち」と呼び、ユダヤ教の祭りを「ユダヤ人たちの祭り」と突き放した表現で指し(二・一三、五・一、六・四、七・二)、自分とその共同体は「ユダヤ人」ではないという姿勢をとっています。
 モーセ律法によれば、過越祭のとき祭儀的に清い者だけが、神殿の内庭で過越の子羊を食べることを許されました。巡礼者が身を清めるには七日間が必要な場合もあり(民数記一九・一一〜一二参照)、そのために巡礼者たちは「過越祭の前に」エルサレムに着くようにして、地方から続々とエルサレムにやって来ました。この「地方」(単数形)は、聖都であり首都であるエルサレムに対して、それ以外の地域を広く指しています。

 彼らはイエスを捜し、神殿の境内に立って、互いに言った、「あなたたちはどう思うか。彼は祭りには来ないのであろうか」。 (五六節)
 過越祭のためにエルサレムに上り、身を清める儀式にあずかるために神殿に集まっていたユダヤ人たちは、イエスがこの過越祭に来られるかどうかに大きな関心を持ち、互いに予想を語り合っていました。それは、ラザロを生き返らすなど、イエスがなされた数々の力ある業を知っていたので、イエスがエルサレムに入れば何か大変なことがおこるのではないかという期待もあったことでしょう。
 そのような期待だけでなく、神殿に集まったユダヤ人たちは最高法院がイエスを逮捕するための指令を出していることを知っているので(次節)、この緊迫した情勢に対してイエスがどのように対処するかに強い関心をもったのでしょう。このような情勢のエルサレムにイエスは来ないかもしれないとか、いや、エルサレムに来て何か大きな働きをするだろうとか、イエスの動静を予想して噂が飛び交っていました。

 祭司長たちとファリサイ派の者たちは、イエスがどこにいるかを知る者があれば、届け出るように命令を出していた。イエスを逮捕するためである。(五七節)
 ラザロのことで、もはやイエスの活動を黙認することはできないとし、イエスを抹殺することを決意した最高法院は、このような命令を出してイエスを逮捕するための行動を始めていました。その年の過越祭前のエルサレムは、最高法院は行動を開始し、神殿に集まる群衆は興奮し、イエスをめぐる問題で緊迫した状況でした。イエスはそのようなエルサレムにお入りになるのです。その最後のエルサレム入りが次章(一二章)の主題となります。ヨハネ福音書は、次章で共観福音書とは違う視点でイエスの最後のエルサレム入りを描きます。


  ヨハネ福音書における「復活」

生き返りと復活

 この講解では、ラザロが墓から出て来た出来事を語る段落(二八〜四四節)の標題は、「ラザロの復活」としないで「ラザロが生き返る」としました。この出来事はラザロの「復活」ではないからです。新約聖書において「復活」《アナスタシス》とは、死者が現在の朽ちるべき体を脱ぎ捨て、もはや朽ちることのない「霊の体」をもって生きるようになる、終末的な出来事を指しています(コリントT一五章)。ここのラザロのように、いったんは死んだが、息を吹き返して元の体で生きるようになった出来事は「復活」《アナスタシス》ではありません。このような事例は、ラザロの他に会堂司ヤイロの娘(マルコ五・三五〜四三と並行箇所)とナインの寡婦の息子(ルカ七・一一〜一七)の場合が伝えられています。このような事例は、病気のいやしや悪霊を追い出す業の延長上にあります。それで、イエスが行われた力ある業を「しるし」として列挙するリストの中で、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ」と列挙された最後に、「死者は生き返り」という業が最大の「しるし」として置かれることになります(マタイ一一・五)。
 ところで、日本語訳新約聖書では、終末的な「復活」も元の体に生き返ることも、「よみがえり」という同じ用語で訳す伝統があるようです。おそらくこの伝統は文語訳が、イエスの復活も死んだ人間の生き返りも同じ「甦る(よみがえる)」と「甦り(よみがえり)」という語で指したからであろうと考えられます。文語訳は終末の復活を指す場合にも、「復活」という漢字に「よみがへり」という振り仮名をつけています(ヨハネ一一・二四〜二五)。その伝統を受け継いで、口語訳も新改訳も終末的な復活を「よみがえる」とか「よみがえり」という用語で訳しています。しかし、「よみがえり」という日本語は本来「黄泉(よみ)帰り」から来ており、いったん死んで「黄泉(陰府、よみ)」へ降った者が再び地上に戻ってくることを指していました。したがって、ラザロのような場合には「黄泉帰り(よみがえり)」が適切かもしれませんが、イエスの復活や終末における死者の復活には不適切な訳語となります。イエスは「シェオール」(黄泉、陰府)から地上に帰ってきたのではありません。霊の体をもって復活するという終末的な復活《アナスタシス》がイエスの身に起こったのです。
 このように、新約聖書が告知する終末的な復活《アナスタシス》を指すのに「よみがえり」という語は適切ではないので、本講解では使用をさけて「復活」に統一し、ラザロのような場合は「生き返る」という語で表現するようにしています。おそらく新共同訳もこの点に留意したのでしょう、「よみがえる」とか「よみがえり」という訳語はごく僅かで、ラザロについて「イエスが死者の中からよみがえらせたラザロ」という形で3例あるだけで(一二章の一、九、一七節)、他はみな「復活」という用語で訳しています。この3例は「生き返らせた」というべき場合です。

 

パウロの復活信仰とヨハネの復活信仰

 新約聖書の信仰の基本は復活信仰です。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ一〇・九)のです。これが、福音が宣言する「信仰の言葉」です。もっとも、この復活だけの(最初期の)信仰告白には、直ちに「十字架の言葉」が加えられなければなりません。十字架につけられたイエスが復活して、「主またキリストとして立てられた」のです。復活者キリストは十字架につけられた姿でわたしたちに現れ、その救いの働きをなしてくださるのです。パウロが「十字架につけられたキリスト」を福音の核心として語るとき、それは「十字架につけられたままの姿で現れる復活者キリスト」のことです。そして、そのキリストの十字架は「わたしたちのため」、「わたしたちの罪のため」の死であるのです。
 パウロは聖霊の働きによってこのような「十字架につけられた姿の復活者キリスト」に合わせられて生きていました。パウロはその事態を「キリストにあって」という句で表現しています。この十字架のキリストに合わせられて自分は死に、自分の中に来た復活者キリストの命に生きるようになったのです。この命はキリストを死者の中から復活させた命ですから、この命に生きる者は自分の復活をも信じないではおれません(ローマ八・一一)。キリストはわたしたちの「初穂」として復活されたのです。この命が発する光が終末というスクリーンに投影されるとき、その命は「死者の復活」という希望の姿を取ることになります。それがどのような内容であるのかは、パウロのコリント第一書簡一五章に詳しく展開されています。聖書(旧約聖書)の救済史的な枠組みの中に生きているパウロにとって、御霊によって始まっている復活の命の現実は、そのような構造で語らざるをえないものでした。

 ところがヨハネ福音書になると、これまでの講解で見てきたように、終末時の「死者の復活」はほとんど語られなくなり、イエスを信じる者は現在すでに「永遠の命」を持っているという事実に関心が集中しています。六章だけに集中して四回、終わりの日の復活を約束する言葉が出て来ますが、いかにも取って付けたような印象は否定できません。ラザロの記事でも、終わりの日の復活を言い表したマルタの信仰を訂正するような書き方がされています(一一・二三〜二六)。このような事実から、ヨハネの復活信仰はパウロの復活信仰とは違ってきているというような議論がされますが、はたしてそうでしょうか。
 わたしは、パウロの復活信仰とヨハネの復活信仰は基本的に同じであると理解しています。「基本的に」と言ったのは、パウロもヨハネも復活者キリストに合わせられて、キリストを復活させた命、復活の質の命に生きているという点では同じであるという意味です。そういう質の命、復活の命に生きている現実が「復活信仰」です。この復活信仰においてパウロとヨハネは同じです。
 ただ、その命が現れるとき、その命に生きる人間の歴史的状況という枠組みの中でその姿を現すことになります。復活の命は光であって、その光そのものを見ることはできません。わたしたちが見るのは、その光がその命に生きる人間の歴史的・具体的な生き方や思想や言表に投影された形を見るだけです。光源は同じでも、それが投影されるスクリーンの違いによって、その光は様々に違った形と光彩を放つことになります。
 復活に関するパウロとヨハネの違いは、スクリーンの違いです。その光源は同じ復活信仰です。同じ復活者キリストの命に生きているのですが、その命の光を映し出すスクリーンが、パウロとヨハネでは違っているのです。その違いは、それぞれが置かれている歴史的状況とか、それぞれが背負っている宗教的・文化的背景の違いによります。
 スクリーンの違いと言えば、その違いはすでにパウロ書簡自体と、次の世代の成立と見られるコロサイ・エフェソ書など「パウロの名による書簡」の間にも見られます。パウロは熱烈なファリサイ派ユダヤ教ラビとしての背景から、聖書の救済史的枠組みと(当時のユダヤ教に浸透していた)黙示思想的な影響の中で思考し語っています。したがってパウロにおいては、復活の命という光は時間軸上の終末というスクリーンに投影されて、「死者の復活」という希望を色濃く描き出すことになります。
 ところがコロサイ・エフェソ書になるとそのようなユダヤ教的な枠組みはなくなり、自分たちが現に生きているヘレニズム世界の枠組みの中で表現されるようになります。キリストにある復活の命という光は、ヘレニズム思想の枠組みである《コスモス》(宇宙存在)に投影されて、キリストは《コスモス》を照らし出す光となり、その充満と完成の原理となります。パウロにおいては時間的な終末に向かっていた光は、コロサイ・エフェソ書では《コスモス》という上なる霊的空間に向かいます。コロサイ・エフェソ書では、もはやキリストの来臨とか死者の復活など終末に関する希望は語られなくなります。

 ヨハネ福音書は、救済史的・黙示思想的枠組みがなくなっているという点ではコロサイ・エフェソ書と同じ線上にあります。しかし、復活の命という光が投影されるスクリーンは、《コスモス》という霊的空間ではなく、信じる個々の人間の内面になってきます。もちろん、パウロにおいてもその面は強くありました。しかし、ヨハネではそれだけに集中している点に特色があります。そして、個人の内面というスクリーンに集中して映し出される復活の命は、この福音書では「永遠の命」と呼ばれて、福音書全体を貫く主題となります。
 ただヨハネ福音書は、福音書という類型から、地上のイエスと周囲の人たちとの対話で構成されるドラマという形で、その主題を展開していきます。そのさい、主役である復活者イエスから発する復活の命の光が、舞台を照明する光源としてそのドラマ全体の真相を照らし出します。ヨハネ福音書においては、復活の命という光は、イエスと弟子たちや敵対者(ユダヤ人たち)との対話で構成されるドラマの舞台というスクリーンに向けられていると言えます。

 

ヨハネ福音書における一一章の意義

 このように永遠の命を主題として、イエスと周囲の人たちとの対話という形で劇的に構成されるこの福音書において、イエスがラザロを生き返らされたことを描く一一章はどのような位置を占め、どのような意義をもっているのでしょうか。
 一見してすぐ分かることは、この出来事はイエスの地上での働きを描く前半部(一〜一二章)にあげられている「しるし」の系列の最後に置かれ、後半部(一三〜二〇章)に描かれる受難の直接の原因として扱われているということです。一連の「しるし」の系列の最後に置かれているという事実は、この出来事が「しるし」としてもつ意義の重要性をうかがわせます。そして、この出来事がイエスの受難の直接の原因として、受難物語の直前に置かれている事実は、この記事が「しるしの書」とも呼ばれる前半部と受難を語る後半部を結びつける連結器の役割を果たしていることを意味します。そのような位置と意義から、この記事はこの福音書の不可欠の構成要素であることが分かります。それがなければ福音書全体の構造が壊れて、バラバラになってしまいます。どのように過激な文献批判も、一一章を後代の編集者による付加とか挿入とすることはありません。一一章は本来のヨハネ福音書の本質的な章、すなわち、それがなければヨハネ福音書が福音書でなくなる章です。
 では、この章が描くイエス、すなわちラザロを生き返らせたイエスの働きは何を指し示す「しるし」なのでしょうか。端的に答えれば、この出来事は復活者イエスこそ死者を復活させる方であるということを指し示す「しるし」です。イエスがなされた様々な奇蹟は、イエスが神から遣わされた方であることを指し示す「しるし」であり、イエスが与えてくださる救いとか命がどのような質のものかを指し示す「しるし」です。その中で、復活者イエスが与えてくださる命が「復活の命」であることを指し示すのに、死んだ人を生き返らせるという働き以上に適切な「しるし」があるでしょうか。
 イエスは地上の人間が死なないようになるために遣わされたのではありません。イエスが生き返らされた死者の数はごく僅かです。生き返らされたラザロもやがて死にました。イエスが死んだ者を生き返らせた事例を用いて、ヨハネはこの一一章の壮大なドラマを構成しました。それは、復活者イエスこそ「復活の命」を与える方であること、そのためにこそ神から遣わされた方であることを指し示す「しるし」とするためです。イエスを信じる者は、「復活の命」を与えられるのです。それは、復活に至らざるをえない質の命、終末の復活を希望として生きざるをえない命です。復活者イエスが与えてくださる命がこのような質の「復活の命」であることは、すでに六章の「命のパン」のところで繰り返し語られていました(六・三九、四〇、四四、五四)。
 「わたしの父の意志は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持ち、わたしがその人を終わりの日に復活させることである」。(六・四〇)
 この福音書では「永遠の命」と「復活」は一つです。そのことは端的に「わたしが復活であり、いのち《ゾーエー》である」と宣言されています(一一・二五)。そして、「復活」を指し示すしるしとしての一一章がこの福音書の本質的な構成要素として存在している事実が、この福音書が主題とする「永遠の命(ゾーエー)」とは「復活の命」であることを確認させます。この復活者イエスに結ばれて生きる命は、地上の生と死を相対化し、「わたしを信じる者は、死んでも生きる。また、生きていてわたしを信じる者は誰でも、いつまでも死ぬことはない」と言わせる命です。


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