ヨハネ福音書 翻訳と講解 

  新 し い 愛

                           ―― ヨハネ福音書 一三章 ――



  第二部 救済者の天への帰還

 

はじめに

 ヨハネ福音書は、序詩(一・一〜一八)と補遺(二一章)を別にして、本体部分は大きく前半の第一部(一〜一二章)と後半の第二部(一三〜二〇章)とに分かれます。前半の第一部は、天から世に降って来られた救済者の地上での働きを描きます。そして後半の第二部は、地上での働きを終えられた救済者が天に帰られる出来事を語ります。
 この構成は、福音書自身が「イエスの時」という表現で示しています。この「時」は、イエスの言葉の中では「わたしの時」と言われています。その「時」とは、救済の決定的な出来事が起こる時、すなわちイエスの十字架と復活の出来事を指しています。前半の第一部では、その「時」はまだ来ていないことが明言され(二・四、七・三〇、八・二〇)、第一部を締め括る一二章でついにその「時」が来たことが宣言されます(二三節)。そして後半の第二部では、その「時」が来ていることが明言されます(一三・一、一七・一)。第二部はその「時」の内容そのものを語ることになります。
 同じことが、イエスが「栄光を受ける」という表現で語られています。すなわち、第一部ではイエスは「まだ栄光を受けていない」とされていますが(七・三九)、第一部を締め括り第二部を導入する位置にある一二章で、「人の子が栄光を受ける時が来た」と宣言されます(二三節)。そして、第二部では「今や、人の子は栄光を受けた」とされます(一三・三一)。
 
そこで、ヨハネ福音書の(序詩と補遺を除く)本体部分の主要区分は次のようになります。
 

        第一部 救済者の地上の働き(1章19節〜12章)

       第二部 救済者の天への帰還(13〜20章)
        T 弟子たちへの告別説教(13章〜17章)
        U 受難と復活(18章〜20章)

 


 T 弟子たちへの告別説教  (一三〜一七章)

最後の食事の日付

 本文の講解に入る前に、以下の「告別説教」がなされる場となった食事の日付について、共観福音書とヨハネ福音書では違いがあるという問題に触れておきます。それは、食事の日付によってこの食事の性格についての理解が影響されるからです。それに、この食事の日付の違いは、イエスが十字架につけられて死なれた日付の違いでもありますので、簡単に見過ごすことはできません。

 共観福音書は最後の食事を「除酵祭の第一日」に行われた「過越の食事」としています(マルコ一四・一二〜一七とマタイ・ルカの並行段落)。ところがマルコは、その日付に「すなわち過越の羊を屠る日」という説明をつけています(マルコ一四・一二)。過越の食事は「除酵祭の第一日」、すなわちニサンの月の一五日が始まる夜にしますが、その直前の昼間に神殿で子羊が屠られます。ユダヤ暦では日没から一日が始まるのですから、小羊が屠られる昼間は前日の一四日になります。マルコが小羊が屠られる日と過越の食事が行われる「除酵祭の第一日」を同じ日としたのは、朝から一日が始まるギリシア人やローマ人の日の数え方(われわれも同じ)に従って説明したものと考えられます。

 マタイはおもにユダヤ人読者に向かって書いていますから、この(ユダヤ暦上の)矛盾を避けるためか、マルコの「すなわち過越の羊を屠る日」という説明を省いています(マタイ二六・一七)。マタイでは、弟子たちとの夕食から始まり、夜中の逮捕、明け方の裁判、昼間の処刑、日没前の埋葬というイエスの最後の一日は、問題なく「除酵祭の第一日」、すなわちニサンの月の一五日となります。

 ルカは、「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た」と、やや曖昧な表現で書いています(ルカ二二・七)。これでは除酵祭の当日なのか、その前日なのか決定できません。ルカの時代の異邦人読者には、どちらでもよい事柄だったのでしょう。一日を朝から始める数え方をする異邦人読者にとって、過越の小羊を屠る午後に続く夕方は同じ日になり、その日のことを「除酵祭の日が来た」と言うのが、ごく自然なことになります。ルカの書き方をこのような意味にとると、ルカも(ユダヤ暦の)ニサンの月の一五日が始まる夜にその食事が行われたと言っていることになります。

 それに対して、ヨハネ福音書はここ(一三・一)で、これから語られる出来事が「過越の祭りの前」、すなわち過越祭の前日、過越の子羊が屠られる「準備の日」、ニサンの月の一四日(ユダヤ暦)のこととしています。そうすると、その日の「夕食」(二節)は、小羊が屠られる昼間から見るとその前夜になります。すなわちヨハネ福音書では、イエスはニサンの月の一四日が始まる夜に弟子たちと最後の食事をされ、夜中の逮捕、明け方の裁判を経て、その日の正午過ぎに十字架につけられたことになります。ヨハネ福音書はこの日を「過越祭の準備の日」と明言しています(一九・一四)。イエスが城壁の外で十字架につけられた午後には、神殿では過越祭のための小羊が屠られていたことになります。こうすることによってヨハネ福音書は、最後の食事を過越の食事とする以上に強く、イエスの死を過越祭の意義に結びつけていることになります。

 もう一つ、最後の食事から十字架の死にいたる一日がニサンの月の一四日であることを示す事実は、その日の明け方にイエスを訴えるためにピラトの官邸に連れて行ったユダヤ人たちについて、「彼らは汚れを受けることなく過越の食事をするために、自分たちは官邸に入らなかった」と言われていることです(一八・二八)。そうすると、この時点ではまだ過越の食事は行われていないことになります。彼が過越の食事を祝っている夜には、イエスの遺体は墓の中に横たわっていたことになります。
 このように、イエスが弟子たちとされた最後の食の日付は、共観福音書では「除酵祭の第一日」、すなわちニサンの月の一五日が始まる夜となり、ヨハネ福音書では「過越祭の準備の日」、ニサンの月の一四日が始まる夜となります。この一日の違いは、いまだに解決されていません。エッセネ派のような黙示思想的傾向の諸派は、エルサレム神殿が用いた公式の暦とは別の太陽暦を用いていたので、イエスの一行はその暦に従っていたからだという説明も提出されていますが、これも確実な根拠はなく、一般の承認をえていません。

 

それは過越の食事であったのか

 この日付は、イエスと弟子たちの最後の食事が「過越の食事」であったかどうかという問題を考える上で前提になりますので、重要な意味があります。イスラエルの出エジプトを記念する過越の食事は、必ず「除酵祭の第一日」に行われます。その以外の日に行われることはありません。共観福音書は、この食事を「除酵祭の第一日」が始まる夜に行われた「過越の食事」としています。それに対してヨハネ福音書は、その食事が「過越祭の準備の日」になされたとするので、それは「過越の食事」ではないことになります。事実ヨハネ福音書には、この食事の内容においてそれが「過越の食事」であることを示唆する表現はほとんどありません。

 そうすると、イエスが弟子たちと取られた最後の夜の食事は過越の食事であったのか、そうではない他の性格の食事であったのかが問題になります。普通は共観福音書に従って、この食事を過越の食事としていますが、そうでないとするヨハネ福音書の証言も無視できません。それに、共観福音書の記事にも過越の食事の主役である小羊が全然出きませんし、苦菜も出てこないこともあって、これを過越の食事とすることに重大な異論が提出されています。

 この食事が過越の食事ではないとすれば、それは普段の食事の最後のものに過ぎないのか、それとも何か他の性格の特別の食事であったかが問題となります。過越の食事でないとする立場からは、「キドゥシュの食事」とか「ハヴゥラーの会食」とか、またエッセネ派の聖餐とか、様々な提案がされていますが、どれも根拠が十分でなく、概念も曖昧で、決定的な解決にはなっていません。

 エレミアスは多くの資料を綿密に検討した結果、その食事は過越の食事であったと結論し、それに対する異論を丁寧に反駁しています。その食事を過越の食事とする根拠の中で重要と思われるものを上げておきます。

 その食事はエルサレムで行われています(一八・一)。これは当たり前のことではなく、準備の記事(マルコ一四・一二〜一七)が示しているように、危険を冒して細心の注意を払ってなされました。それは、過越の食事はエルサレムでなされなけれならないと律法に定められていたからです(申命記一六・七)。他の食事であれば、逮捕の危険を避けていつものようにベタニヤに戻ってすることもできます。

 その食事は夜に行われました。これも普通のことではありません。当時のユダヤ人の生活習慣では、午前に軽い食事をして、仕事を終えた午後に(おそらく午後遅くに)食卓を囲む主要な食事をしました。夜に食事をすることは(婚礼とか特別の祝祭の日以外は)ありませんでした。ところが、この食事は夜に行われています(一三・三〇)。それは、過越の食事は、夜にエジプトを脱出したことを記念する祭りの性質上、夜に行われるように律法で定められていたからです。
 この他に、この食事が過越の食事であることを指し示す指標が多くあります。たとえば、この食事がレビ的清めをもってなされていること(一三・一〇)、横たわって食事をしていること、食事の最中にパンが裂かれていること、赤ぶどう酒が用いられていること、食事の後にハレルを歌っていることなど、過越の食事に見られる特徴が多く報告されています。

 しかし、何よりも重要な根拠は、この食事のときにイエスが目前に迫っているご自身の死の意味をパンとぶどう酒の意味を解釈するという形で語っておられる事実です。特別な食事内容の意味を解説することこそ、過越の食事を過越の食事ならしめる必須の要素です(出エジプト記一二・二六〜二七)。パンとぶどう酒に関するイエスの言葉は、過越の食事をモデルにしていると言えます。イエスがこの食事のときに、パンとぶどう酒をご自身の受難によって成し遂げられる神の救済の働きであり、新しい契約の締結であると語られたことは、最初期の共同体に確立していた伝承です。そのことはパウロの書簡によっても確認されます(コリントT一一・二三〜二五)。

 共観福音書はその伝承を忠実に伝えました。ところが、ヨハネ福音書はこの最後の食事の記事において、このパンとぶどう酒についてのイエスの言葉にいっさい触れていません。この最後の食事が過越の食事であるとするならば、ヨハネ福音書のこの沈黙は何を意味するのか、この問題がこの箇所の講解にとって大きな課題となります。このことは後で扱うことにして、ここではこの食事が過越の食事であることを確認して、本文の講解に入ることにします。

     なおエレミアスは、この食事を過越の食事でないとする議論に丁寧に反論しています。主役の小羊が言及されていないとされる異論も、この記事の成立の由来に遡って丁寧に反論されています。また過越祭の当日に裁判や処刑が行われることはないという議論も説得的に反駁されています。詳しく触れる余裕はないので、その中でヨハネ福音書に関するものだけを取り上げておきます。一三・一の「過越の祭りの前に」は、「イエスは悟り」を説明する句であって食事の日付ではないし、一九・一〇の「過越祭の準備の日」は、ここだけに出てくる特異な句で、アラム語では「過越の週の金曜日」である可能性があるとしています。しかし、一八・二八だけは最後の食事が過越祭の前日であることを示していると認めています。ヨハネ福音書にはそれが過越の食事であることを示唆するところもあるので(先に引照した箇所やその他)、ヨハネ福音書の記述は首尾一貫していないとしています。

 

  45 弟子の足を洗うイエス  (13章 1〜20節)

 1 過越の祭りの前になって、イエスはこの世から父のもとに移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる御自分に属する者たちを愛して、彼らを最後まで愛し抜かれた。2 さて、夕食のときになって――悪魔はすでにイスカリオテのシモンの子ユダの心にイエスを引き渡そうという思いを入れていたのであるが――、 3 イエスは父がすべてを自分の手に委ねたこと、また自分が神から出てきており、神のもとへ行こうとしていることを悟り、 4 食事の席から立ち上がり、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻きつけ、 5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い、巻きつけた手ぬぐいで拭き始められた。
 6 さて、イエスはシモン・ペトロのところに来られる。ペトロはイエスに言う、「主よ、あなたがわたしの足を洗われるのですか」。 7 イエスは答えて言われた、「わたしがしていることは、今あなたには分からない。しかし、後で分かるようになる」。 8 ペトロが言う、「わたしの足など、決して洗わないでください」。 イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたを洗わないならば、あなたはわたしと何の関わりもないのだ」。 9 シモン・ペトロがイエスに言う、「主よ、足だけでなく、手も頭も」。 10 イエスは彼に言われる、「沐浴した者は洗う必要はなく、全身が清いのだ。あなたたちは清いのだ。しかし、皆ではない」。 11 イエスは自分を引き渡そうとしている者を知っておられた。それで、皆が清いのではないと言われたのである。
 12 さて、イエスは弟子たちの足を洗い、上着をつけ、再び食卓に着いてこう言われた。「わたしがあなたたちにしたことが分かるか。 13 あなたたちはわたしを師とか主と呼んでいる。それは正しい。わたしはそうである。 14 主であり師であるわたしがあなたたちの足を洗ったのであれば、あなたたちもまたお互いの足を洗わなければならない。 15 わたしがあなたたちにしたように、あなたたちも同じようにするようにと、わたしはあなたたちに模範を示したのである。 16 アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。僕はその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさることはない。 17 このことが分かっており、そのことを行うなら、あなたたちは幸いである。
 18 わたしは、あなたたち皆について言っているのではない。わたしは、自分が選んだ者を知っている。しかし、『わたしのパンを噛みしめる者が、わたしに向かってかかとを上げた』という聖書は実現しなければならない。 19事が起こる前に、今言っておく。それは、事が起こったときに、『わたしはある』ことをあなたたちが信じるようになるためである。 20 アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。わたしが遣わす者を受け入れる人はわたしを受け入れるのであり、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わした方を受け入れているのである」。

 

象徴行為としての洗足

 過越の祭りの前になって、イエスはこの世から父のもとに移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる御自分に属する者たちを愛して、彼らを最後まで愛し抜かれた。(一節)

 イエスは過越祭に合わせてエルサレムに入られました。それは、この年の過越祭こそ御自身が地上での働きを成し終えて父のもとに帰る「その時」であると思い定めておられていたからです。イエスはこれまでも度々その時のことを「わたしの時」と呼んで来られました(二・四、七・六)。また、福音書記者はそれを「イエスの時」と呼んできました(七・三〇、八・二〇)。今、「過越の祭りの前になって」、イエスはいよいよその時が来たことを自覚されます。

 「その時」は、イエスがこの世を去るとき、すなわち「御自分に属する者たち」をこの世に残して世を去る時、彼らとの最後の別れの時となるのですから、イエスは彼らに対する愛を最後の時まで貫かれます。その「彼らを最後まで愛し抜かれた」イエスの姿が、この一三章から一七章にいたる「告別説教」の場面で描かれます。イエスはまず弟子たちの足を洗うという象徴行為でその愛を現し、続いて切々と語る告別の言葉で、その愛を示されます。

 共観福音書では最後の夜の食卓についたのは「十二人」ですが(マルコ一四・一七)、ヨハネ福音書はそれが「十二人」であるかどうかを明示していません。少なくとも「イエスが親しくしておられた弟子」がその席にいるのですから(一三・二三)、「十二人」よりも範囲は広いことになります。しかし、これが(前述したように)過越の食事であれば、十数人程度であることは推察できます。女性がいたかどうかは確認できません。「御自分に属する者たち」というのは、食事の席への出席者を示す句ではなく、イエスの愛の質を語るための表現であると理解しなければなりません。この「御自分に属する者たち」という表現は、序詩ではイスラエルの民を指していましたが(一・一一)、ここではイエスに従うことで真のイスラエルとなる弟子たちを指すことになります。

 さて、夕食のときになって――悪魔はすでにイスカリオテのシモンの子ユダの心にイエスを引き渡そうという思いを入れていたのであるが――、(二節)

 「夕食」と訳した原語《デイプノン》は、夜の食事という意味ではなく、一日の主要な食事という意味の語です。英語の「ディナー」が、昼か夜かにかかわりなく一日の主要な食事を指すように、この語も食事の時間ではなく、正式の主要な食事を指す語です。当時のユダヤ人は、午前一〇時前後に軽い食事をして、一日の働きを終えた後、午後の遅い時刻に(おそらく夕方が近い頃に)家族揃って食卓についてする正式の食事をしたようです。それで「夕食」と訳してます。この「夕食」は、(前述したように)ヨハネ福音書によると、小羊が殺される午後から見ればその前夜の食事(ユダヤ暦ではニサンの月の一四日が始まる夜の《デイプノン》)ということになりますが、これが最後の日の夕食であることは共観福音書と同じであり、夜遅くまで続く過越の食事であると考えられます(一三・三〇参照)。

 この最後の食事の描き方は、共観福音書とヨハネ福音書とではずいぶん違いますが、その席でイエスがユダの裏切りを予告されたという点は共通していて、大きく取り扱われています。この裏切りの予告は最後の食事の席での重要な出来事であったことが分かります。

 ユダの中にサタンが入って裏切りを実行させるのは後のことですが(一三・二七)、その思いはすでに心の中に入れられていたという、ユダの裏切り行為の事前の説明がここでなされます。その説明は、一節から五節に続く文の流れをやや不自然に中断する形で挿入されています。それは、一節と三節で語られているイエスの尊い自覚と対照して、ここに挿入されたと見られます。
 ユダがイエスを裏切った動機は不明です。ユダの心の奥の闇を、ヨハネは「悪魔」の仕業とします。しかし、ユダの裏切りも「その時」が来たことの一部として、著者はここに入れたのでしょう。

 イエスは父がすべてを自分の手に委ねたこと、また自分が神から出てきており、神のもとへ行こうとしていることを悟り、(三節)
 著者ヨハネは、これから描こうとしているイエスの行為、すなわち弟子たちの足を洗うという意表をつく行為が、イエスのどのような自覚から出ているのかを語ります。それは、すでに一節でも(同じ「を悟り」という句を用いて)語られていましたが、ここで繰り返します。それは、イエスこそ父からすべてを委ねられた方であり、神から出て神に帰る方であるという著者の理解を、イエスの自覚として語っています。そうすることで、続いて語られるイエスの弟子の足を洗うという人の目には卑しい行為が、いかに高貴な方から出ているかを印象づけます。

 食事の席から立ち上がり、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻きつけ、それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い、巻きつけた手ぬぐいで拭き始められた。(四〜五節)

 ヨハネはイエスが弟子たちの足を洗われる行為を一つずつ丁寧に描きます。このように食事に招かれた客の足を洗うことは奴隷の役目でした。普通は奴隷がする卑しい仕事を、神から世界を裁く全権を委ねられている方がされるのです。これは、エルサレムに入られるときに民衆のメシア歓呼に対して、子ろばに乗って入城することでご自分の使命の質を示されたことと並んで、イエスが神から来た者としての働きの質を示そうとされた象徴行為です。その象徴行為が何を意味しているのかは、これからの物語で展開されます。

 さて、イエスはシモン・ペトロのところに来られる。ペトロはイエスに言う、「主よ、あなたがわたしの足を洗われるのですか」。(六節)

 ペトロの言葉は、原文では「あなた」が強調されています。師であるあなたが、弟子であるわたしの足を洗われるのですか、という驚きの発言です。

 イエスは答えて言われた、「わたしがしていることは、今あなたには分からない。しかし、後で分かるようになる」。 (七節)

 師が弟子の足を洗うことで、お互いにへりくだって仕え合うことの模範を示されたという意味があることは、この後すぐにイエスご自身が語っておられます(一三・一二〜一七)。したがって、「今あなたには分からない」と言われるのは、そのような模範としての意味よりも深い別の意味があることを指しています。その意味は次の八節で示唆されますが、その意味の真の理解については、「後で分かるようになる」と言われています。

 今イエスがされる象徴行為の深い霊的意味が分かるのは、イエスが去って行かれた後、真理を悟らせる「真理の御霊」が来るときです(一六・一三)。「その日には、あなたがたは分かる」と言われています(一四・二〇)。著者とその共同体は、御霊による復活者イエスとの交わりにあってその意味を理解しています。しかしここでは、「まだ御霊が降っていないので」(七・三九)その意味が分からないペトロの姿を描くことで、その落差を強調します。

 ペトロが言う、「わたしの足など、決して洗わないでください」。(八節前半)

 弟子たちは、地上のイエスと共にいる間は、霊的な真理を理解することができず、人間的な立場でイエスがそのようなことをされるのを拒否します。人間の常識はしばしば、常識を超える神の働きを拒否します。

 イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたを洗わないならば、あなたはわたしと何の関わりもないのだ」。 (八節後半)
 イエスのお言葉の後半部は直訳すると、「あなたはわたしとの関わりにおいて何の分も持たない」となります。ペトロがいくら努力しても、また、いくら立派な人物になっても、イエスがペトロを「洗う」のでなければ、すなわちイエスがペトロにしてくださることを受け取るのでなければ、ペトロはイエスと何の関わりもないのです。

 これは「後で分かる」ことですが、イエスがご自身の命をもってペトロを罪から贖い出すのでなければ、ペトロは復活者イエスの中に何の分もない、復活の命とは何の関わりも持つことができないと、この節は言っているのです。したがって、イエスが弟子の足を洗われた行為は、後で語られる模範としての意味よりも深く、イエスが命を投げ出して成し遂げてくださった贖罪によってはじめて、人は復活の命の次元に入ることができるという霊的現実を象徴する意味を持つことになります。

 シモン・ペトロがイエスに言う、「主よ、足だけでなく、手も頭も」。(九節)

 イエスに洗っていただくことによって、イエスとの関わりを持つことができるのであれば、少しでも多くの部分を洗っていただいて、イエスとの関わりを多く持ちたい(多くの分をいただきたい)という願いから、ペトロはこう言ったのでしょう。これは、共観福音書でゼベダイの子がイエスの左右に座る高い地位を求めたこと(マルコ一〇・三五〜三七)のヨハネ版と言えるのでしょう。

 イエスは彼に言われる、「沐浴した者は洗う必要はなく、全身が清いのだ。あなたたちは清いのだ。しかし、皆ではない」。(一〇節)

 底本は「足の他は」という句を入れています。ほとんどの現代語訳はこれに従い、「沐浴した者は足の他は洗う必要はなく」と訳しています。写本はこの句を入れたものの方が有力です。しかし、この句がない写本もあります。この私訳ではこの句を入れていない写本に従います(NTDも同じ)。わたしは、この句を入れると洗足の根本的意義が失われると考えます。

 ヨハネ福音書は最後の食事に、共観福音書のような過越の食事という意味を持たせないで、過越の食事の代わりにこの洗足を置いています。したがって洗足は、イエスが仕える者として人のために命を捧げられることを象徴する行為となっています(マルコ一〇・四五参照)。そのことは、イエスが御自分の死を自覚してこの行為をされたこと(一節、三節)や、八節の「もしわたしがあなたを洗わないならば、あなたはわたしと何の関わりもないのだ」という言葉によって明確に示されています。したがって、イエスが弟子の足を洗われる行為は、キリストであるイエスの死によってイエスに属する者が清められる(神に所属する者になる)という贖いの真理を象徴していることになります。

 ところが、「足の他は」という句を入れると、ここでの洗足がすでに全身が清い者の足だけを清くする行為となり、すでに全身が清いのはイエスの死以外のものによることになります。イエスの死は、すでに神に所属している者の日常的な律法違反の行為を清めるという意味になってしまいます。これでは、洗足の象徴的意義を見誤ることになります。おそらくこの句が入れられたのは、ペトロが「足だけでなく、手も頭も」と言ったのに対して、論理を一貫するためでしょうが、比喩としても理解しやすいからだと考えられます。すなわち、食卓に招かれた者は沐浴して体を洗ってきますが、サンダル履きの足は途中で汚れるので、足は入り口で洗う必要があるという日常の経験を比喩として見ますと、理解しやすくなります。

 しかし、「足の他は」を入れた理解では、イエスが足を洗われる前に、すでに清い者になっていることになります。その根拠として、よく「わたしの話した言葉によって、あなたたちは既に清くなっている」(一五・三)という言葉が引用されます。しかし、「わたしの話した言葉」という表現は、ヨハネ福音書では十字架・復活を含むキリストの出来事全体を指すと理解しなければなりません。「わたしの話した言葉」が終わりの日に裁くとか、「わたしの話した言葉」が永遠の命であると言われているのは、そういう意味であるはずです。十字架の前に、地上のイエスの言葉によって清められたとするのは、ヨハネ福音書の基本的な使信に反します。

 ここでイエスが「沐浴した者は洗う必要はなく、全身が清いのだ」と言われるのは、ペトロが「足だけでなく、手も頭も」洗ってくださるように願ったのに対して、イエスがこれからなそうとしておられる贖いの業が、そのような部分的な清めのためではないことを示すためです。ここで「沐浴した者」というのは、キリストであるイエスの死によって贖われ、神に属するようになった(清められた)者を比喩的に指しています。キリストにある者は、沐浴した者としてその全身(全存在)が清いのです。復活者キリストの死は、そのように人間の全存在を清めて神の所属とするための出来事です。わたしたちはキリストの死による贖いを、個々の行為の清めとか、人生の中の何か部分的な出来事と理解してはなりません。

 イエスは、これから成し遂げられる贖いの働き(洗足はその象徴です)にあずかる者として、弟子たちに「あなたたちは清いのだ」と宣言されます。ところがこの宣言に、「しかし、皆ではない」と、重大な例外があることが付け加えられます。その例外が付け加えられた理由が次節で述べられます。

 イエスは自分を引き渡そうとしている者を知っておられた。それで、皆が清いのではないと言われたのである。(一一節)

 イエスはすでにユダが自分を引き渡すようになることを知っておられます。それで、イエスに弟子として従ってこの場にいる者がみな清い(神に所属している)者であるのではない、と言われます。弟子たちの中に、イエスが選ばれた十二人の弟子の中に、清くない者、神のものでない者がいるのです。「皆が清いのではない」という言葉を書き記すとき、ヨハネは自分の共同体への警告の気持ちもこめていたのではないかと推察されます。

 

模範としての洗足

 さて、イエスは弟子たちの足を洗い、上着をつけ、再び食卓に着いてこう言われた。「わたしがあなたたちにしたことが分かるか」。(一二節)

 ここから一七節までの部分は、先行する部分(六〜一一節)と内容的に矛盾し、福音書の本来の部分ではなく、後から加えられた編集部分であると見る見方があります。たしかに、ここの「言われた」は一八節に自然に続きます。先行する部分では、イエスが弟子の足を洗われる行為の意味は「今は分からないが、後で分かるようになる」と言われていました。すなわち、足を洗う行為で象徴されるイエスの受難によって、弟子たちは復活者キリスト・イエスと真の関わりを持つことができるようになるという霊的奥義が、聖霊が来る日にはじめて理解できるようになるとされていました。

 ところがこの部分では、イエス自身が、足を洗う行為を互いにへりくだって仕え合うことの(倫理的な)模範とされています(一五節)。そうすると、その意味はすでに「今わかっている」ことになります。おそらく、ヨハネ共同体の中で、そのように互いにへりくだって仕え合うことが緊急に求められるような状況があり(そのような状況があったことはヨハネの手紙から推察されます)、編集者が洗足というイエスの象徴行為を、同時に共同体への勧告として利用したのではないかと推察することになります。しかし、「互いに足を洗うように」という勧告を、イエスの洗足の象徴的意義を理解した上で(一七節)、同じようにするようにという主の求めである(一五・一二〜一四参照)と理解すれば、現在の構成のまま理解することは十分可能です。

 「あなたたちはわたしを師とか主と呼んでいる。それは正しい。わたしはそうである。主であり師であるわたしがあなたたちの足を洗ったのであれば、あなたたちもまたお互いの足を洗わなければならない」。(一三〜一四節)

 「師とか主と呼んでいる」とある原語は、「《ディダスカロス》とか《キュリオス》と呼んでいる」です。《ディダスカロス》は本来「教師」を意味する語で、「師」または「先生」という意味です。《キュリオス》は、ここでは復活されたイエスを指す尊称ではなく、奴隷に対する「主人」とか、弟子が師に対して用いた尊称です。著者は「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない」というイエスの語録(マタイ一〇・二四)を念頭において、「師とか主」という呼び名を用いていると見られます。
 ヨハネはこの語録をここで用います。師であり主であるイエスが身を低くして弟子の足を洗われたのであるから、弟子たちもお互いにへりくだって仕える姿勢で接しなければならない、と共同体に向かって説きます。

 「わたしがあなたたちにしたように、あなたたちも同じようにするようにと、わたしはあなたたちに模範を示したのである」。 (一五節)

 「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない」という語録は、マタイ福音書(一〇・二四)では、イエスが受けた迫害は弟子も受けるようになることを指しています。ルカ福音書(六・四〇)は、「弟子は師にまさるものではない」という語録を、「しかし、だれでも修行をつめば、その師のようになれる」として、弟子の目標と意味づけています。ヨハネはマタイよりもルカに近く、僕は主人の模範に従うべき者であるという意味で用いていることになります。同じ語録が、福音書の著者によって様々な意味で用いられていることが分かります。

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。僕はその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさることはない」。(一六節)

 マタイ(一〇・二四)が伝える語録の前半「弟子は師にまさるものではなく」が、ここではヨハネ特有の「遣わされた者」と「遣わした者」の対比に言い換えられて、「僕はその主人にまさらず」という句と対句にされています。弟子たちはイエスから遣わされた者として、遣わしたイエスにまさることはないのだから、自分を遣わされた方の模範に従うべきだ、ということになります。

 「このことが分かっており、そのことを行うなら、あなたたちは幸いである」。(一七節)

 「このことが分かっており、そのことを行うなら」というのは、文章の上では、直前の「僕はその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさることはない」ということが分かっており、師の模範に従うならば、という意味になります。しかし、この理解では、洗足の意味を説明する二つの部分(一〜一一節の象徴的意義と一二〜一六節の模範としての意味)が矛盾のまま残ります。二つの部分を一貫して理解するためには、「このことが分かっており」を、洗足の象徴的意義(イエスの贖罪の死によってはじめて復活者との関わりをもつことができるという意義)を理解することとし、その上で「そのことを行う」、すなわちイエスが弟子たちを愛してご自身の命を捧げられた模範にならって、お互いに愛し合うなら、と理解しなければなりません。このことは後(一五・一二〜一五)で直接的な表現で語られることになります。

 

弟子による裏切りの予告

 「わたしは、あなたたち皆について言っているのではない。わたしは、自分が選んだ者を知っている。しかし、『わたしのパンを噛みしめる者が、わたしに向かってかかとを上げた』という聖書は実現しなければならない」。(一八節)

 弟子たちの足を洗われたイエスは、弟子たちに向かって「あなたたちは清いのだ」と言われました(一〇節)。しかし、その言葉は弟子の全員について言うことができないのだ、と制限が付けられます。弟子の中に「清い」と言えない者、すなわち神に所属しているとは言えない者がいるからです。

 自分が選んだ弟子の中に自分を裏切る者がいることについて、イエスは聖書を引用して、それがご自身に関わる定めであることを語られます。引用される聖書は詩篇四一編一〇節です。その詩篇は、「わたしの信頼していた仲間、わたしのパンを食べる者が、威張ってわたしを足蹴にします」(新共同訳)となっています。聖書にそうある以上は、信頼する仲間である弟子が裏切るのは、聖書を成就するために遣わされた自分の定めであるとされます。

 「事が起こる前に、今言っておく。それは、事が起こったときに、『わたしはある』ことをあなたたちが信じるようになるためである」。(一九節)

 ヨハネ共同体は世に向かって、とくに対立するユダヤ教会堂に向かって、イエスこそ神から遣わされた方、神を啓示する方と宣べ伝えてきました。そのさい、イエスが神の顕現態であることを表現するのに、イエスは「わたしはある」という方であるという特別の表現を用いました(八・二四、二八)。このことは自分を神とすることだとして、ユダヤ人の激しい憤りを引き起こし、イエスを石打にしようとする試みになりました(八・五八〜五九)。

 ユダヤ人たちは、弟子に裏切られて逮捕され、十字架刑で処刑されたような者がどうしてそのような身分の者であろうかと嘲笑しました。それに対してヨハネは、それは聖書に預言されていたことであるから、イエスが弟子に裏切られて死に至った事実こそ、かえってイエスがそのような身分の方であることを指し示しているのだとします。

 「事が起こる」というのは、弟子に裏切られて処刑にいたるという出来事を指しています。それが起こったとき、その出来事のゆえにイエスを信じるようになるために、イエスはそのことを予告しておられたのだと、ヨハネは(他の初期の宣教活動と同じく)強調します。

 このように、弟子の裏切りという事実にもかかわらず、むしろその事実のゆえに、イエスを神から遣わされた方として受け入れるように呼びかけます。

 「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。わたしが遣わす者を受け入れる人はわたしを受け入れるのであり、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わした方を受け入れているのである」。(二〇節)

 その呼びかけとイエスを受け入れることの重大な意義を、ヨハネは、伝承されているイエスの語録を独自のアーメン句の形式で荘重に引用して語ります。

 この語録は、マタイでは弟子たちを宣教に派遣されるときに語られた訓話の結びとして、「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである」という形で出てきます(マタイ一〇・四〇)。おそらくこれが原型だと考えられますが、ヨハネは「あなたがた」を「わたしが遣わす者」に言い換えています。師を裏切った者がいたとはいえ、イエスの弟子はイエスの復活後、イエスを復活者キリストとして宣べ伝えるために、復活者イエスによって世に遣わされます。それが使徒たちです。この使徒たちの証言によって、イエスをそのような方として受け入れる者は、イエスを世に遣わされた方、すなわち父を受け入れ、イエスと共に父の子として生きるのです。

 

  46 裏切りの予告(13章 21〜30節)

 21 このように話してから、イエスは霊が騒ぎ、証しして言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。あなたたちのうちの一人がわたしを引き渡そうとしている」。 22 弟子たちは、イエスが誰のことを言っておられるのかと困惑して、互いに顔を見合わせた。 23 弟子のうちの一人で、イエスが愛しておられた者が、イエスの胸に寄りかかって食卓に着いていた。 24 そこで、シモン・ペトロが、誰のことを話しておられるのか訊ねるように、その弟子に合図した。 25 その弟子は、そのようにイエスの胸元に寄りかかったまま言う、「主よ、それは誰ですか」。 26 イエスが答える、「わたしがパン切れを浸して渡す者が、その人だ」。そして、パン切れを浸して、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになる。 27 ユダがパン切れを受け取ると、その時サタンが彼の中に入った。そこで、イエスは彼に言われる、「しようとしていることを、すぐにしなさい」。 28 席に着いている者は誰も、イエスが何のためにユダにこう言われたのか、分からなかった。 29 ユダは金入れを預かっていたので、祭りのために必要なものを買うようにとか、貧しい人たちに何か施すように言われたのだと、ある者たちは思った。 30 ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。

 

イエスが愛しておられた弟子

 このように話してから、イエスは霊が騒ぎ、証しして言われた、「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う。あなたたちのうちの一人がわたしを引き渡そうとしている」。 (二一節)

 自分が選んだ弟子の一人が自分を裏切ることになるという事実は、聖書に預言されていることとはいえ、イエスにとってきわめて辛いことであり、人間の心情としては激しい動揺があったことが、「イエスは霊が騒ぎ」という句で描かれます。
 「騒ぎ」と訳した動詞は、ラザロの墓の前でマリアやユダヤ人たちが泣いているのをごらんになった時に、イエスの姿を描くのに用いられていました(一一・三三)。そこでは「心騒ぎして」と訳しましたが、ここでは「霊において」という句を伴っているので、「霊が騒ぎ」と訳しています。

 そのような激しい感情の中から、イエスは「アーメン、アーメン」と語を重ねて、決然とした調子で「あなたたちのうちの一人がわたしを引き渡そうとしている」と語り出されます。この「アーメン、アーメン、わたしはあなたたちに言う」という表現は今まで何回も出てきましたが、いつも福音の重要な告知を要約して、あるいは象徴的に提示するときに使われていました。ここでユダの裏切りが、そのような時に使われる改まった荘重な形式で予告されるのは、この事実がイエスご自身にとって、また共同体にとって、いかに重大なことであったかを感じさせます。

 弟子たちは、イエスが誰のことを言っておられるのかと困惑して、互いに顔を見合わせた。 (二二節)

 有名なレオナルド・ダヴィンチのフレスコ画「最後の晩餐」には、イエスのこの言葉に驚き、「誰のことを言っておられるのかと困惑して、互いに顔を見合わせた」弟子たちの様子が、いきいきと描かれています。

 弟子のうちの一人で、イエスが愛しておられた者が、イエスの胸に寄りかかって食卓に着いていた。(二三節)

 ここで初めて「弟子のうちの一人で、イエスが愛しておられた者」が舞台に登場します。以下、この人物を「イエスが愛しておられた弟子」と呼びます。この弟子は、ヨハネ福音書の後半にペトロと競合するような形で登場します(他に二〇・二、二一・七、二一・二〇)。この弟子は、ペトロと組み合わせて登場するとき、名をあげないで「もう一人の弟子」と呼ばれています(一八・一五〜一六、二〇・二〜八)。この弟子は、この福音書の成立について、「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている」(二一・二四)と言われている弟子ですから、ヨハネ福音書の理解にとってきわめて重要な人物です。

 「食卓に着いていた」と訳した語は、原語では「横になっていた」という一語です。当時の宴席では、客は卓を囲んで横腹を下にして席に着きました。「胸に寄りかかって」というのは、この弟子の顔が横になっておられるイエスの胸のあたりに来る位置になったことを指しています。この位置は主人または主賓にもっとも身近な者が着く位置で、この弟子がペトロよりもイエスに身近であったことを示唆しています。

 そこで、シモン・ペトロが、誰のことを話しておられるのか訊ねるように、その弟子に合図した。(二四節)

 ペトロは離れているので直接イエスに訊ねることができず、目配せとか手振りなどで「誰のことを話しておられるのか訊ねるように、その弟子に合図した」のでしょう。

 

ユダの行動開始

 その弟子は、そのようにイエスの胸元に寄りかかったまま言う、「主よ、それは誰ですか」。 (二五節)

 ペトロからの合図を受けたその弟子は、イエスの胸元に寄りかかったそのままの姿勢で、イエスに「主よ、それは誰ですか」と、そっと訊ねます。この表現は、その弟子とイエスの対話が他の弟子には聞こえないようになされたことを示唆しています。したがって、イエスがパン切れを浸して渡すことでユダであることを示された後も、他の弟子たちはユダが裏切ろうとしていることは知らず(二八〜二九節参照)、ゲッセマネでユダが逮捕の軍勢を案内して来るのを見て初めて知ることになります。その弟子だけが、イエスが弟子の裏切りを予告された時から、それが誰であるかを知っていたことになります。

 イエスが答える、「わたしがパン切れを浸して渡す者が、その人だ」。そして、パン切れを浸して、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになる。(二六節)

 パン切れを味のついたソースに浸して食べるのは普段の食事の習慣であって、とくに過越の食事であることを示唆するものではありません。イエスはこの食事の習慣を用いて、その弟子だけにユダが裏切るのであることをそっと教えられます。

 ユダがパン切れを受け取ると、その時サタンが彼の中に入った。そこで、イエスは彼に言われる、「しようとしていることを、すぐにしなさい」。 (二七節)

 二節では「悪魔」と言われていましたが、ここでは「サタン」になっています。この当時、神に敵対する霊の頭目は、悪魔とかサタンとかベルゼブルとか、様々な名で呼ばれていました。サタンはすでにユダにイエスを引き渡そうという思いを吹き込んでいたのですが(一三・二)、ここでサタンが彼の中に入り、ユダはサタンと一つになり、その思いを実行するにいたります。
 そのユダに向かってイエスは、「しようとしていることを、すぐにしなさい」と言われます。イエスは、ユダが自分を引き渡そうとしていることをご存じです。それがサタンの仕業であることもご存じです。しかし、それが神の定めであるならば、サタンの仕業も身に受けとめなければなりません。

 席に着いている者は誰も、イエスが何のためにユダにこう言われたのか、分からなかった。ユダは金入れを預かっていたので、祭りのために必要なものを買うようにとか、貧しい人たちに何か施すように言われたのだと、ある者たちは思った。 (二八〜二九節)

 席に着いている弟子たちは、あの「イエスが愛しておられた弟子」以外は、誰もイエスが何のためにユダにこう言われたのか知りません。ユダは一行の会計係をしていたので、祭りのために必要なものを買うようにとか、貧しい人たちに何か施すように言われたのだと思います。過越の夜には貧者に慈善を行うのがユダヤ教のならわしでした。

 「金入れ」というのは、何かを入れる容器(ケース)を指す語です。ここと一二・六で用いられていますが、両方ともお金を入れる容器(多分袋でしょう)を指します。ユダは一行の会計係をしていたと見られます。ユダが一行の活動資金を預けられていた事実は、ユダが弟子たちの中でも深くイエスから信頼されていたことを示しています。おそらくユダはそのように信頼されるに足る立派な人物であったのではないかと考えられます。この推察は、ユダがイエスを引き渡すにいたった動機は、福音書が描くのとは違うところにあるのではないかという議論を生むことになります。福音書は主を裏切ったユダを卑しく描くようになり、マタイ(二六・一四〜一五)は金目当てだとか、ヨハネ(一二・六)は盗人であるとしますが、実際はそのような卑しい人物ではなく、たとえば、ユダはイエスに民を率いてイスラエルの栄光を回復するメシアとしての事業を期待していたのに(これは他の弟子も同じでしょう)、イエスはその期待を裏切るような言動をされるので、師に裏切られたという思いからイエスを引き渡すにいたったとか、エルサレムに入ってからの事態は予想外の方向に進み、このままでは自分たちの運動は潰される恐れがあると感じ、イエスに決然と立ち上がってもらうために、あえてイエスを窮地に陥れようとしたというような説も出てきます。しかし、どの説も推察の域を出ることはできず、ユダの裏切りの動機はサタンからのものであるとしか言いようがありません。

 ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。(三〇節)

 これも想像の域を出ませんが、この時までユダにも迷いがあったのかもしれません。自分がしようとしていることがどのような結果になるのか確信できず、ためらいがあったのかもしれません。しかし、イエスがパン切れを浸して渡し、「しようとしていることを、すぐにしなさい」と言われたとき、ユダはもはや迷っていることはできなくなり、行動せざるをえなくなります。ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行きます。

 夕食の席ですから、時刻は夜であることは初めから分かっているのに、著者がわざわざ「夜であった」と書くのは、ここでのユダの行為が闇の力の働きであることを印象づけるためでしょう。

 

  47 去って行くイエス(13章 31〜38節)

 31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われる、「今や人の子は栄光を受けた。また、神も人の子によって栄光をお受けになった。 32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐに栄光をお与えになる。
 33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたたちと一緒にいる。あなたたちはわたしを探すことになる。わたしが行くところにあなたたちは来ることができないと、以前ユダヤ人たちに言ったように、今わたしはあなたたちにも言う。 34 わたしはあなたたちに新しい命令を与える。互いに愛しなさい。わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しなさい。 35 あなたたちが互いの間に愛を保つならば、すべての人がそのことによって、あなたたちがわたしの弟子であることを知るようになる」。
 36 シモン・ペトロがイエスに言う、「主よ、どこへ行かれるのですか」。イエスは答えられた、「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない。しかし、後でついてくることになる」。 37 ペトロがイエスに言う、「主よ、なぜわたしは今あなたについて行くことができないのですか。わたしはあなたのために命を捨てます」。 38 イエスは答えられる、「わたしのために命を捨てるのか。アーメン、アーメン、わたしはあなたに言う。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう」。

 

栄光の時

 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われる、「今や人の子は栄光を受けた。また、神も人の子によって栄光をお受けになった」。(三一節)

 ユダは出て行きました。ユダが行動を起こした以上、もう後戻りや変更はありえません。イエスの身に起こると定められていることは、起こり始めたのです。イエスがこれまで「わたしの時」と語ってこられたその時が始まったのです。このことを「今や」の一語で指し、始まった出来事の全体をすでに起こったものとして、「今や人の子は栄光を受けた」と語り出されます。

 「人の子」は、イエスがご自分を指すときに用いられたと伝えられている称号です。ヨハネ福音書も他の福音書と同じ程度に「人の子」という称号を多く用いています。「人の子」は本来黙示思想の用語ですが、その用語を黙示思想から脱却しているヨハネ福音書が多用している事実は、この称号が初期のイエス伝承に深く根付いていることを示しています。共観福音書においては、この称号は終末時に天から現れる超自然的な審判者・救済者という黙示思想的な面を強く保持していますが、ヨハネ福音書ではそういう面はなく、現在地上で働いているイエスが天から降ってきた「人の子」であるという面が強くなっています。

 「栄光を受けた」の動詞は過去形です。これから起ころうとしている十字架と復活の出来事を、イエスはすでに起こった出来事として語り、「今や人の子は栄光を受けた」と語り出されます。イエスの十字架と復活の出来事こそ、人の子が「栄光を受ける」ことであると、この福音書は繰り返し語ってきました(七・三九、一二・一六、一二・二三)。今やそのことが起こったのです。

 人の子が栄光を受けるこの出来事(十字架と復活)は、同時に神が人の子によって栄光をお受けになる出来事です。イエスが十字架の死に至るまで従われたことによって、神はイエスを復活させて高く上げ、その出来事によって神はその義と愛を現して栄光を示されました。パウロであれば、イエスの十字架・復活は「神の義と愛を現す」と言うところを、ヨハネは「神の栄光を現す」と表現します。

 「神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐに栄光をお与えになる」。(三二節)

 前節ではこれからイエスの身に起こることが全体として人の子が栄光を受け、同時に神が栄光をお受けになる出来事として語られましたが、ここではそれが、人の子が神に栄光を帰すためになされる働きと、それに応えて神が人の子に栄光をお与えになる働きの二つの面に分けて語られます。人の子イエスが十字架の死に至るまで神の御旨に従うことによって神の栄光を現されたので、神はイエスを死者の中から起こし、高く上げて栄光の座につかせるであろうと語られます。これは、パウロがフィリピ書(二・六〜一一)で引用している初期のキリスト賛歌のヨハネ的表現と言えます。

 本節前半の人の子が神に栄光を帰する働きは過去形で語られてますが、後半の神が人の子に栄光をお与えになるところは未来形で述べられています。地上のイエスが食事の席で語られる時点では、受難はすでに始まっている既成の事実ですが、復活はその後に起こる将来の出来事として未来形で語られます。それは「しかも、すぐに栄光をお与えになる(未来形)」と、すぐに必ず起こるのだと念を押されます。

 

新しい命令

 「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたたちと一緒にいる。あなたたちはわたしを探すことになる。わたしが行くところにあなたたちは来ることができないと、以前ユダヤ人たちに言ったように、今わたしはあなたたちにも言う」。(三三節)

 イエスは弟子たちに「子たちよ」と呼びかけられます。この呼びかけは、ラビが弟子たちに呼びかけるときによく用いた呼び方です。ヨハネ文書において、福音書ではここだけですが、手紙にはよく用いられています(七回)。著者が普段集会で用いている呼びかけが、思わずここに出たのでしょうか。

 この世から去る時を目前に控え、自分が突然いなくなることを、「あなたたちはわたしを探すことになる」という言葉で示唆されます。イエスは死を覚悟してエルサレムに入り、この時を迎えておられるのに、弟子たちは最後の最後まで、イエスがこの日に自分たちから取り去られるとは考えていなかったようです。

 これから起こる出来事によって、イエスは弟子たちがいる地上の生とは次元の違う世界に去って行かれます。そのことをここで弟子たちに、「わたしが行くところにあなたたちは来ることができない」と、以前ユダヤ人に言われたのと同じ言葉で語られます。イエスはすでに二回この言葉をユダヤ人に言っておられます(七・三三〜三四、八・二一)。これで三回目になります。このように繰り返される予告は、共観福音書で三回繰り返されている受難予告に相当します。

 今回の文には出てきませんが初めの二回の予告では、「わたしは去って行く」という動詞が用いられています。共観福音書の受難予告では「引き渡される」という受動態で語られていたことが、ヨハネ福音書では「わたしは去って行く」と、イエスの自発的行為として描かれます。おそらくイエスご自身の受難予告の言葉は共観福音書が伝えるものに近いものだったのでしょう。ヨハネはそれを、天から降り再び天に帰って行く人の子という独自の視点から、その方の自発的行為として描きます。

 「わたしはあなたたちに新しい命令を与える。互いに愛しなさい。わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しなさい」。(三四節)

 世を去ろうとしている親が残して行く子供たちに遺言するように、弟子たちを後に残して世を去ろうとしておられるイエスは、残される弟子たちが守るべき「新しい命令」をお与えになります。「命令」というと強圧的な感じを与えますが、ここでは親の「いいつけ」というくらいの意味です。

 この命令は「新しい命令」と言われています。それが「新しい」のは、これまでユダヤ人として(弟子たちはみなユダヤ人です)聞いてきた「昔の人の教え」とか「先祖たちの言い伝え」などと違う、新しい時代をもたらされた復活者イエスの命令だという意味です。マタイはそれを、「昔の人たちはこう命じられている。しかし、わたしは言う」という形で表現しました。ヨハネはそれを「新しい命令」と直裁に表現します。

 その命令の内容は、「互いに愛しなさい」ということです。しかし、これだけであれば、それはすでにユダヤ教の中にあり、しかも中心的な戒めとして重視されていました。ユダヤ教のラビたちは、数多くある戒めを要約するさい、心を尽くし力を尽くして神を愛するという申命記(六・四〜五)の戒めと、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」というレビ記(一九・一八)の戒めを用いていました。すなわち、神の民がお互いに愛し合うことはユダヤ教の要約であったのです。

 では、どこに「新しさ」があるのでしょうか。それは、すぐに続くイエスの言葉で示されています。イエスは言われます。「わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しなさい」。では、イエスはどのように「あなたがた」、すなわち弟子たちを愛されたのでしょうか。それは、イエスご自身がこう語っておられます。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたたちを愛した」(一五・九)。イエスが弟子たちを愛される愛(一三・一)は、イエスご自身が体験された父の愛です。イエスは神の命の質である愛をもって、弟子たちを愛されたのです。そしてその愛の姿を、「人が友のために自分の命を捨てる、これより大きな愛はない」(一五・一三)と表現されます。

 主イエスの十字架上の死は「わたしを愛して、わたしのために身を献げられた」出来事であるとのパウロの体験と理解(ガラテヤ二・二〇)は、ヨハネも共有しています。イエスはご自分の命を与えるまでに弟子たちを愛されたとします。それは、「世を愛して、そのひとり子を与えてくださった」神の愛の具体的な現れです。そのような質の愛をもって、互いに愛し合うところに「新しさ」があります。

 では、そのような質の愛はどうして可能かという問題は、ここでは取り上げられていません。それは、
「わたしがしていることは、今あなたには分からない。しかし、後で分かるようになる」(一三・七)と言われたように、「今はできないが、後で、すなわち御霊が来るときには、そうするようになる」という意味が含まれています。この御霊による愛(その愛についてはパウロがガラテヤ書五章やコリント第一書簡一三章で詳しく展開しています)こそが「新しさ」の中身になります。

 「あなたたちが互いの間に愛を保つならば、すべての人がそのことによって、あなたたちがわたしの弟子であることを知るようになる」。(三五節)

 イエスの愛のような無条件絶対の愛によって形成される共同体が、イエスの弟子の共同体、すなわち「イエスの民」です。この民を識別するための標識は、この絶対愛だけです。他に何も求められていないことが意義深いです。普通宗教的な共同体は、何らかの祭儀に共に与ることによって識別されます。たとえば、キリスト教会は洗礼を受け聖餐に与っている人たちの共同体だとされます。しかし、洗礼を受け聖餐に与っている人たちが、お互いの間にこのような質の愛を保っていないならば、それは復活者イエスに属する民ではないということになります。逆に、洗礼とか聖餐というような祭儀に与っていなくても、極端な場合他の宗教祭儀に与っている人々でも、もしもその間にこの質の愛が保持されている場合があれば、その人たちはイエスの弟子であると言えることになります。そうなると、イエスの弟子の共同体は、もはや宗教的な祭儀共同体(教会とか教団)ではなく、新しい人間性に生きる者たちの幅広い(諸宗教を横断する)交わり(コイノニア)ということになります。

 しかし、そのような御霊による愛をお互いの交わりの中にいつも変わることなく保つのは、たいへん困難な課題です。それは、御霊の働きは人間の生まれながらの本性(それは自己主張ですが、パウロはそれを「肉」と呼んでいます)と逆の方向に向いているからです。わたしたちが人間としての本性に従って生きていると、いつの間にか御霊の愛とは反対方向に進んでしまいます。「肉の望むところは御霊に反し、御霊の望むところは肉に反するからです」(ガラテヤ五・一七)。もともとイエスの弟子の共同体として出発したキリスト教会も、「初めの愛」を保つことができず、その長年の歴史の中で分裂と抗争、憎しみと敵意をもって争い、お互いに殺し合うところまで行ってしまいました。御霊の愛を保つためには、十字架の恩恵の場にしっかりと留まり、つねに自分が打ち砕かれた姿で生きる必要があります。

 なお、ヨハネ福音書では弟子たちの間で「お互いに愛しなさい」と求められていますが、愛についてのイエスの教えの中で際だっている「敵を愛しなさい」という言葉がないのが問題になります。共観福音書でイエスの中心的な教えとして重視されている、敵にさえも及ぶ隣人への愛は、ヨハネ文書(福音書と手紙)では言及されていません。それで、ヨハネにおける愛は「壁の中の愛」(仲間内だけの愛)ではないかという問題が提起されることになります。

 これは複雑な問題を含んでいますが、ここでは簡単に触れておきます。ヨハネの思考は厳格な二元論的枠組みの中で動いています。ヨハネは世界を命と光の領域と死と闇の領域の二つに峻別し、二つの領域は行き来できない別の世界となっています。ただ、光の領域から闇の領域である「世」に下ってこられた御子イエスを信じることによって、人は死の領域から命の領域に移ることができるのです。愛《アガペー》は命の領域を構成する原理であって、死の領域にはありません。イエスを信じて死から命に移ることによって初めて互いに愛し合うことができるのです。(ヨハネから見た)あちら側には愛はありえないのです。それで、ヨハネの愛はこちら側だけの愛、すなわち神から生まれた者たちの間だけの愛となり、兄弟愛に集中することになります。
 こちら側では隣人はすべて兄弟であり、敵はいなくなります。兄弟愛がすべてを含むことになります。こちら側では、あちら側での価値、すなわち人間的な物差しで測った価値はすべて無意味になります。ただ彼が神から生まれた者であるというだけで、あらゆる人間的な差別を超えて同じように愛することが求められるのです。こうして、ヨハネが求める兄弟愛は、一見「壁の中の愛」に見えますが、実はイエスが求められた敵を愛する愛と同質の、無条件絶対の愛であることが分かります。ヨハネは、敵をも愛する無条件の愛が兄弟愛として成立する場を提示しているのです。

 

人間の決意の無力

 シモン・ペトロがイエスに言う、「主よ、どこへ行かれるのですか」。イエスは答えられた、「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない。しかし、後でついてくることになる」。(三六節)

 イエスが「子たちよ」と呼びかけ、去って行くことを語られたので、驚いたシモン・ペトロが「主よ、どこへ行かれるのですか」と訊ねます。この場面での「主よ」は、「子たちよ」という師の呼びかけに対する弟子の師への呼びかけです。

 ペトロはこの時に至るも師が取り去られるとは考えもしていなかったので、驚き、戸惑い、思わずこのような質問を発したのでしょう。イエスが同じ言葉をユダヤ人たちに語られたときに、彼らがそれを理解できず戸惑った(七・三五〜三六、八・二二)のと同じように、弟子たちもこの時点ではイエスが語っておられることが理解できないでいます。

 イエスはペトロに、「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない」と言われます。先のユダヤ人に対する言葉(三三節)では「来ることができない」と言われていましたが、ここでは弟子として「従う」という意味で、「ついてくる」という別の動詞が用いられています。まだ聖霊を受けていない今は、自分の決意とか力では、イエスが行かれるところに従って行くことはできません。そのことが続く対話で明らかにされます。

 イエスは続いて「後でついてくることになる」と言われます。動詞は未来形です。イエスが栄光をお受けになった後、信じる者は聖霊を受けて、聖霊の力によって歩むときはじめて、イエスに従い、イエスの道を歩むことができるようになるのです。ここでは、ペトロがイエスと同じ受難の道を歩むことを示唆しておられます(二一・一八〜一九参照)。

 ペトロがイエスに言う、「主よ、なぜわたしは今あなたについて行くことができないのですか。わたしはあなたのために命を捨てます」。(三七節)

 ペトロは、イエスが「わたしが行くところに、あなたは今はついてくることができない」と言われる理由が分かりません。自分は師のために命を捨てる覚悟をしているのに、どうして師が行かれるところについて行くことができないのか、分かりません。これだけの決意があれば、どんなことでもできるとペトロは信じています。

 復活者イエスと共に生きる、復活者イエスの命の次元に生きるようになることは、ただ聖霊の働きによってのみ可能になることであり、いかなる人間の決意も能力も入りえない境地であることを、ペトロはまだ理解していません。それは、自分の決意とか力でイエスに従おうとするペトロが死ぬことによって初めて可能になります。イエスはペトロの勇ましい決意表明に答えて、人間の決意とか覚悟というようなものがいかにもろくて無力なものかを、直ぐ後にペトロが経験することになると予告されます。

 イエスは答えられる、「わたしのために命を捨てるのか。アーメン、アーメン、わたしはあなたに言う。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう」。(三八節)

 ペトロが夜が明けるまでに三度もイエスを否認するというイエスの予告は、共観福音書では最後の食事を終えてゲッセマネに向かう途上でなされたことになっていますが、ヨハネ福音書では、最後の食事の席でなされたことになっています。
 この予告がその通りに自分の身に起こったことを体験して(一八・一五〜二七)、ペトロは泣き崩れます(マルコ一四・七二)。ヨハネ福音書には、ペトロが「激しく泣いた」という表現はありませんが、決意とか自信が崩れ去り、自分が裏切り者に過ぎないという激しい悔恨に陥ったのは同じです。

 この予告は食事の席で、すなわち皆の前でなされています。ペトロも後に自分の身にその通り起こったことを語ったことでしょう。この予告とペトロの否認という出来事は、初期の教団で重要な伝承として語り伝えられ、すべての福音書に取り入れられます。それは、人間の弱さと、その弱さを包み込んで救ってくださる復活者イエスの恩恵の働きの物語として語り伝えられていきます。


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