ヨハネ福音書 翻訳と講解 

  イエスの復活

                           ―― ヨハネ福音書 二〇章 ――


  64 空の墓  (20章 1〜10節)

 1 週の初めの日、マグダラのマリアは朝早く、まだ暗いうちに、墓へ行く。そして、墓から石が取りのけられているのを見る。 2 そこで、走ってシモン・ペトロとイエスが親しくしておられたもう一人の弟子のところへ行き、彼らに言う、「人々が主を墓から移しました。どこに置いたか、わたしたちには分かりません」。
 3 そこで、ペトロともう一人の弟子は出かけて、墓に向かった。 4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方がペトロよりも速く、ペトロの先を走り、最初に墓に来た。 5 彼はかがんでのぞき、亜麻布が置かれているのを見る。しかし、中には入らなかった。 6 さて、その弟子に続いてシモン・ペトロもやって来る。彼は墓の中に入った。そして、彼は亜麻布が置かれているのを認める。 7 また、イエスの頭の上にあった布きれは、置かれている亜麻布と一緒にではなく、離れて、一つのところに丸められているのを認める。 8 そこでその時、先に墓に来ていたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 9 彼は死者たちの中から復活することになっているという聖書を、彼らはまだ理解していなかったからである。 10 そこで、この弟子たちはまた自分たちのところに戻った。

 

ユダヤ人の埋葬の習慣

 先の段落の「イエスの埋葬」(一九・三八〜四二)で、「彼ら」(ヨセフ、ニコデモ、母マリアを含む十字架の前にいた五人)は、十字架上で息を引き取られたイエスの遺体を、「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」、亜麻布で包み香料を添えて、近くにあった新しい墓に納めたことを見ました。この段落(二〇・一〜一〇)で、それから三日目の「週の初めの日」にこの墓で起こった出来事を見ることになりますので、その墓がどのような墓なのか、また、「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」埋葬するとはどういうことかを、少し詳しく見ておきます。

 当時のユダヤ人、とくにエルサレムのユダヤ人は、柔らかな石灰岩をくり抜いた洞窟に遺体を埋葬しました。その洞窟は、入口を入ったところが人が立てるほどの高さの天井をもつ小部屋になっています。その小部屋の地面に近い位置に、数カ所の細長い穴がさらに奥に向かって掘られています。その穴は奥行きは約一・八メートル、幅と高さは四五センチほどで、上面はわずかにアーチ型になっているものが多いようです。小部屋に面するこの細長い穴は「死体室」と呼ばれ、亜麻布で包まれた遺体はこの穴に横たえられ、石で塞がれます。ほぼ一年後、肉体が乾燥して朽ち果てた時、死体室が開けられ、そこに残された骨が骨箱に納められます。洞窟の墓は一家族が数世代にわたって用いたと見られます。

 骨箱は長さ50センチ、幅25センチ、高さ30センチ程度の小さい石灰石の蓋付きの箱で、その前面に誰の遺骨であるかを示す名前や墓碑の言葉が刻まれているものもあります(名前や墓碑のない骨箱の方が多くあります)。骨箱はエルサレム近郊の特定の地区に安置されます。このような骨箱への再埋葬の習慣は、前一世紀のある時期から始まり、70年のエルサレム陥落までのごく限られた期間の習慣であったようです。ある研究者が言うように、「この習慣は突然発生し、忽然と姿を消した」のです。しかも、骨箱はエルサレムとその近郊に集中し、パレスチナでも他のユダヤ人居住地域には見られません(移住者のものと見られるごく僅かの例外を除いて)。イエスの遺体は、このような「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」埋葬されたのです。

 このような特殊な埋葬の習慣が、特定の地域(エルサレムとその近郊)だけに、しかもこの時代の短い期間(一〇〇年前後)だけに行われたのはなぜか、その理由について研究者は様々に推測していますが、当時の民衆への影響が強くなってきていたファリサイ派の復活信仰によるのではないかという推測が有力です。先にラザロの奇跡のところで見たように、当時のユダヤ教徒は、ファリサイ派が唱える終わりの日の身体の復活を信じるようになっていました(一一・二四)。その復活は、エゼキエル(三七章)の「枯れた骨の復活」の幻でイメージされ、身体の復活の基になる骨を大切に保存しようとしたのではないかと考えられています。

 普通は十字架刑で処刑された犯罪者の遺体は共同墓地(というより死体捨て場)に放棄されました。もしアリマタヤのヨセフの勇気ある行動がなければ、イエスの遺体もそのような取り扱いを受けたかもしれません。彼の行動でイエスの遺体が「ユダヤ人の埋葬の習慣に従って」丁重に葬られたことによって、「空の墓」の物語が成立したのも、神の大いなる導きの中にあったことと言わなければなりません。

 

マグダラのマリアの報告

 週の初めの日、マグダラのマリアは朝早く、まだ暗いうちに、墓へ行く。そして、墓から石が取りのけられているのを見る。(一節)
 「週の初めの日」の原文は、「安息日(複数)の一日目」という表現です。安息日明けの一日目、すなわち日曜日を指しています。イエスが死なれたのは、安息日の前の「過越の準備の日」でしたから、この日は死なれてから安息日をはさんで(ユダヤ人の数え方で)「三日目」ということになります。

 ヨハネ福音書はマグダラのマリアだけが墓に行ったように書いています。しかし、マルコ(一六・一〜二)では、マグダラのマリアの他に、ヤコブの母マリア、サロメが墓に行っています。マタイ(二八・一)では、マグダラのマリアの他に「もう一人のマリア」が一緒に行っています。ルカ(二三・五五〜二四・一)では、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たち」とあり、複数の女性が行ったことになっています。マグダラのマリアが一人で墓に行ったとするのはヨハネだけです。すぐ後(二節)でマリアは「わたしたちには分かりません」と複数形を使っており、墓に行ったのが数人であることを示唆する痕跡が残っていますが、ヨハネはマグダラのマリアへの顕現伝承を印象深く伝えるために、他の同行者を無視してマグダラのマリアの名だけをあげたのでしょう。

 マリアは「朝早く、まだ暗いうちに」墓に行きます。このことと、石が取りのけられていたことは、四福音書に共通しています。夜明けとともにあたりが明るくなってきて、マリアは「墓から石が取りのけられているのを見る」ことになります。

 この「石」は、先に述べた死体室をふさぐ石ではなく、外から洞窟室へ入る入口をふさぐ大きな石を指します。あたりが明るくなって、まず見えるのはこの石です。まだ内部の様子は見えないはずですが、マリアはこの入口の石が取りのけられているのを見て、誰かが墓に入って、イエスの遺体を運び去ったと考えてしまいます。

 そこで、走ってシモン・ペトロとイエスが親しくしておられたもう一人の弟子のところへ行き、彼らに言う、「人々が主を墓から移しました。どこに置いたか、わたしたちには分かりません」。(二節)
 この重要な場面で再び「イエスが親しくしておられたもう一人の弟子」が登場します。ここの直訳は、「イエスが愛したもう一人の弟子」です。一九・二六の「(イエスが)愛した弟子」では《アガパオー》が用いられていましたが、ここでは身内の者に対する親愛の情を示す《フィレオー》が用いられているので、一応区別して「イエスが親しくしておられた」と訳しておきます。この《フィレオー》はラザロについても用いられています(一一・三、三六)。ヨハネ福音書に登場するこの無名の弟子は、ペトロ以上にイエスに親しく、イエスの出来事の証人としてペトロ以上に重要な弟子であることが主張されていますが、この復活証言においても、ペトロよりも先であることが語られることになります。

 マリアは「走って・・・・行き」、この二人に墓のことを報告します。共観福音書では、墓で天使が現れて、女性たちにイエスの復活を告げ、それを弟子たちに伝えるように命じたとなっていますが、ヨハネ福音書にはその記事はありません。マリアは墓が空であるのを見て、すぐに走って弟子たちのところに行き、墓が空である事実だけを伝えます。

 マリアは、「人々が主を墓から移しました」と報告しています。ここの「主」《キュリオス》は、まだ信仰告白としての《キュリオス》ではなく、弟子がラビを呼ぶときの尊称でしょう。マリアはイエスを「ラッブーニ」(わたしの主)と呼んでいます(二〇・一六)。なお、マリアが「移しました」と言っている動詞は、「取り上げる、移す」という意味であって、「奪う」という意味はありません。

 マリアが言った「わたしたちには分かりません」という発言の主語が複数形であるのは、(先に述べたように)もとの伝承では墓に行った女性が複数であったことを示唆するのかもしれません。ヨハネは、以下のマグダラのマリアへの顕現の記事と合わせるために、墓へ行った女性たちの中で、彼女だけの名をあげた可能性があります。

 墓が空であるという事実が何を意味するのかは、その人の信仰によって決まります。この時のマリアには、空の墓は「人々が主を墓から移した」ことを意味しました。しかし、復活されたイエスに接してからは、この空の墓は全然違ったことを意味するようになります。

     この段落の動詞は、「行く」とか「見る」とか「言う」というような現場の状況を報告する現在形と、「走った」とか「来た」というような過去の出来事を物語る過去形が混在しています。日本語での不自然さは残りますが、ここの劇的な感じを残すために、あえて原文の時制の通りに訳しています。

 

二人の弟子が墓に走る

そこで、ペトロともう一人の弟子は出かけて、墓に向かった。(三節)
 マリアの報告を聞いた二人の弟子、ペトロともう一人の弟子は、すぐに墓に向かって走り出します。

 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方がペトロよりも速く、ペトロの先を走り、最初に墓に来た。(四節)
 「もう一人の弟子」の方がペトロよりも速く走り、ペトロよりも先に墓に来たのは、「もう一人の弟子」の方がペトロよりも若い世代であることを示唆するのでしょうか。『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立をめぐって』で書きましたように、この「もう一人の弟子」は、この時には一〇歳代半ばと推察され、三〇歳代のペトロよりも早く走れたのでしょう。しかし、ヨハネが「もう一人の弟子の方がペトロよりも速く、ペトロの先を走り、最初に墓に来た」と書いたのは、この弟子の方が、復活証言においてもペトロよりも先んじていることを示唆したかったからだと考えられます。

 彼はかがんでのぞき、亜麻布が置かれているのを見る。しかし、中には入らなかった。(五節)
 墓は人が中に入ることができる洞窟の小部屋ですが、この墓の入り口は小さかったのでしょう、先に到着した「もう一人の弟子」は「かがんで」中をのぞきます。入口をふさぐ石はすでに取りのけられています。この弟子は、薄暗がりの洞窟の小部屋に白い亜麻布が置かれているのを見ます。

 彼はまだ墓の小部屋には入らず、遅れてくるペトロと一緒に墓の中に入ります。これは、墓の中の事実を二人で確認するための慎重な配慮でしょう。ユダヤ教では、重要な事実の確認には二人の証人が必要とされました。

 さて、その弟子に続いてシモン・ペトロもやって来る。彼は墓の中に入った。そして、彼は亜麻布が置かれているのを認める。(六節)
 遅れて墓に到着したシモン・ペトロは、墓の小部屋に入り、そこに亜麻布が置かれているのを確認します。

 また、イエスの頭の上にあった布きれは、置かれている亜麻布と一緒にではなく、離れて、一つのところに丸められているのを認める。(七節)
 この「布きれ」は、遺体の頭の上に置かれる布きれで、ラザロにも用いられていました(一一・四四)。使徒言行録一九・一二の「手ぬぐい」と同じ語で、本来は汗をぬぐうための布きれなどを指す語ですが、ここでは遺体の頭部を覆う布きれを指しています。

 この布きれが、イエスの遺体を包んでいた亜麻布とは別の場所に、「離れて、一つのところに丸められていた」とあるのは、亜麻布が「置かれていた」という表現と共に、遺体が盗まれたのではなく(盗むのであれば亜麻布で包んだままで運ぶはずです)、丁重に亜麻布が解かれ、イエスの身体がこの場所から出て行ったことを物語っています。

 そこでその時、先に墓に来ていたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。(八節)
 ペトロが墓に入ったので、「先に墓に来ていたもう一人の弟子」も一緒に中に入ります。そして、「見て、信じ」ます。この文の主語は三人称単数形、すなわちこの節の主語である「もう一人の弟子」を指します。彼は、遺体がないのを見て、イエスが復活されたことを信じます。ペトロについては、このような記述はありません。ペトロは遺体がなく、亜麻布と布きれだけが置かれているのを認めますが、「信じた」とは言われていません。ヨハネ福音書では、この「もう一人の弟子」が、イエスの復活を最初に信じた弟子とされることになります。

 彼は死者たちの中から復活することになっているという聖書を、彼らはまだ理解していなかったからである。(九節)
 最初期の教団は、聖書(旧約聖書)全体が来たるべきメシアは死者たちの中から復活すると預言していると理解するようになります(ルカ二四・二五〜二七、四四〜四六参照)。しかし、彼ら(ペトロを代表とする弟子たち)は、この時はまだ聖書をこのように理解していませんでした。それで、ペトロがこの空の墓を見たときには、まだイエスが復活されたと信じることはできませんでした。九節のはじめにある理由を示す小辞《ガル》は、弟子団がこの段階ではまだ信じることができないでいること(ここのペトロがそれを代表しています)を理由づけることになります。その中で、この「もう一人の弟子」が信じたことは、この弟子の聖書理解の正確さと、霊的事態への敏感さを際だたせることになります。ヨハネ共同体は、自分たちの指導者であり、この福音書の伝承の起源となったこの「もう一人の弟子」(二一・二四)が、ペトロが代表する「使徒団」に勝るとも劣らない証人であることを主張しているのです。

 そこで、この弟子たちはまた自分たちのところに戻った。(一〇節)
 これは、エルサレムで彼らが滞在していた場所に戻ったという意味であり、その場所を「彼らの家」と限定することはできません。しかし、この「もう一人の弟子」はエルサレムの住民ですから、彼の家に戻った可能性はあります。

 ところで、この「もう一人の弟子」を、実在の人物ではなく、著者ヨハネが創作した象徴的な人物であるとする立場(たとえばNTDのシュルツ)では、この弟子とペトロが競合するここの場面は、復活信仰についてペトロが代表するユダヤ人キリスト教と、この「もう一人の弟子」が象徴する異邦人キリスト教の関係を指し示す物語と解釈されますが、この解釈は(NTDのこの箇所の注解を見ても)無理なことが分かります。この「もう一人の弟子」はあくまで実在の人物であり、「週の初めの日」の早朝にこのような出来事が実際にあったとしなければなりません。

 「空の墓」の物語も、けっしてイエスの復活を信じた弟子たちが創作した架空の物語ではありません。実際に、イエスを埋葬した墓は空になっていたのです。ただ、その事実の意味は、復活者イエスを信じない立場では、誰かが遺体を移したとか、弟子たちが盗んだ(マタイ二七・六二〜六六、二八・一一〜一五)というような解釈がされるのに対して、復活されたイエスの顕現を体験した者には、この空の墓こそ地上のイエスと復活者イエスとの接点を意味することになります。

 復活者キリストも、地上でナザレのイエスとしてその生涯を送られた以上、どこかにその生涯が終わり、天界の復活者キリストとしてその存在を開始される地点・時点がなければなりません。それが、このエルサレム近郊の空の墓です。福音書はこの地点を欠くことができません。四福音書はすべて、イエスの墓が空であったことを報告しています。復活者イエスは、墓を蹴破り、墓を空にする命を生きた方です。

  65 マリアへの顕現 (20章 11〜18節)

 11 他方、マリアは泣きながら、墓に向かって外に立っていた。そして、泣きながら身をかがめて墓の中をのぞき、 12 イエスのからだが置いてあったところに、白い衣を着た二人の天使を認める。一人は頭のところに、一人は足のところに座っていた。 13 天使たちは彼女に言う、「女よ、なぜ泣いているのか」。彼女は言う、「人々がわたしの主を移したのです。主をどこに置いたのか、わたしには分からないのです」。 14 こう言って後ろを振り向くと、イエスが立っておられるのを認めるが、それがイエスであることが分からなかった。 15 イエスは彼女に言われる、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリアは園丁だと思って、彼に言う、「主よ、もしあなたがあの方を運んだのであれば、その方をどこに置いたのか、わたしに言ってください。わたしがその方を引き取ります」。 16 イエスは彼女に言われる、「マリアよ」。彼女は振り向いて、イエスにヘブライ語で、「ラッブーニ」と言う。「先生」という意味である。 17 イエスは彼女に言われる、「わたしに触らないように。わたしはまだ父のみもとに昇っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、彼らに『わたしは、わたしの父であり、あなたたちの父である方、わたしの神であり、あなたたちの神である方のところに昇る』と言いなさい」。 18 マグダラのマリアは来て、弟子たちに「わたしは主を見ました」と伝え、また、イエスが彼女に言われたこれらのことを伝える。

 

マグダラのマリアへの顕現伝承

 ヨハネ福音書でマグダラのマリアが登場するのは、十字架の前が最初です(一九・二五)。そして、この復活の物語で主役として、もっとも重要な役割を果たします。しかし、地上のイエスの働きを伝える本体部分ではいっさい触れられていません。おそらく著者は、マグダラのマリアについては、広く流布している伝承によって、読者はよく知っているものと前提しているのでしょう。
 復活されたイエスは最初にマグダラのマリアに姿を現されたという伝承は、最初期の信者の間に広く流布していたようで、マルコ福音書も(後で加えられたと見られる)結びで引用しています(マルコ一六・九〜一一)。その伝承によると、マリアは「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」であり、その後他の女性たちと一緒に、ガリラヤを巡って神の国を宣べ伝える働きをされるイエスに付き従い、「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕した」女性です(ルカ八・一〜三)。

 「七つの悪霊を追い出していただいた」という表現は、彼女がひどい身体的・心霊的苦悩からイエスによって救い出されたことを指しているのでしょう。マリアがそのイエスを慕い愛して、イエスに付き従って行動を共にしたことは自然なことです。彼女のイエスに対する献身と奉仕が誰よりも熱く、イエスも彼女を愛して親しくされたことは、イエスの周囲の女性たちが言及されるときはいつも彼女の名が最初にあげられることからもうかがわれます。

 イエスが最後にエルサレムに上られるときには、マリアは一緒にエルサレムに行き、イエスの十字架の現場にいて目撃し、葬られた墓を確認し、安息日が明けたときは一番に墓に駆けつけて弔います。このような姿から、イエスに対するマリアの熱い思いが伝わってきます。

 このマグダラのマリアに復活されたイエスが最初に現れたという伝承は、公式の復活証言には取り入れられず、正統派の教会伝承では影が薄くなります。もっとも古い文書上の復活証言は、パウロの手紙(コリントT一五・一〜一一)ですが、すでにそこにはマグダラのマリアの名はありません。これは、ユダヤ教世界では女性に法廷での証人の資格が認められていなかったからだとされています。

 一方、グノーシス主義系の文書には、この伝承を伝え、マグダラのマリアをペトロたちよりもイエスに近い弟子とし、その教えにペトロ以上の権威を認めるものが多くあります。その中には「マリアの福音書」もあります。正統派の教会は、女性が聖職者として教会を指導することを認めず、マグダラのマリアを重視する伝承を退けるようになります。このような傾向の中で、ヨハネ福音書がマグダラのマリアへの復活者イエスの顕現を復活証言の中心に据えたことは、この福音書の位置を考える上で重要な事実です。


墓に現れた二人の天使

 他方、マリアは泣きながら、墓に向かって外に立っていた。そして、泣きながら身をかがめて墓の中をのぞき、イエスのからだが置いてあったところに、白い衣を着た二人の天使を認める。一人は頭のところに、一人は足のところに座っていた。(一一〜一二節)
 二人の弟子は「自分たちのところに戻った」(一〇節)のですが、一緒に墓に来たマリアは帰らないで、墓にとどまっていました。二人の弟子が墓まで走ってきたことを描く先の段落では、マリアのことは触れられていませんが、当然マリアも二人の弟子と一緒に墓まで走ったことでしょう。おそらく少し遅れて墓に着いたマリアは、二人の弟子が戻った後も、主を葬った墓から去りがたく、「泣きながら、墓に向かって外に立って」いました。また「泣きながら身をかがめて墓の中をのぞき」ます。このマリアの姿に、彼女の主イエスへの深い思いが表れています。

 マリアは「泣きながら身をかがめて墓の中をのぞき」ます。この「身をかがめてのぞく」という動詞は、先に「もう一人の弟子」が墓に到着したときの動作にも使われていました(五節)。実は共観福音書にもペトロがそうしたとして使われています(ルカ二四・一二)。イエスを葬った墓は、入ったところの小部屋は人が立てるほどの高さであったとしても、入口はかがんで入らなければならない小さいものであったことになります。

 墓の中をのぞいたマリアは、「白い衣を着た二人の天使」を認めます。その二人の天使は、「イエスのからだが置いてあったところに、一人は頭のところに、一人は足のところに」座っていました。この位置は、先に体を包んだ亜麻布と頭を覆った布きれが別の場所にあったとされていましたが(七節)、その位置から天使の位置がこう語られることになります。

 先に「ユダヤ人の埋葬の習慣」について述べましたが、金曜日の夕方、イエスがこの墓に葬られたとき、すぐに「死体室」に入れられてその横穴がふさがれたのではなく、亜麻布に包まれたイエスの遺体は、まだ小部屋に横たえられたままであったことになります。これは、日曜日の朝に女性たちがイエスの遺体に香料を添えるために墓に行ったとしている共観福音書の記事と合致します。イエスが葬られたのは、金曜日の夕方で、安息日が始まろうとしていました。安息日前の急な判決と処刑で、香料を買うこともできなかったという事情が推察されます。また、「ユダヤ人の埋葬の習慣」では、遺体を亜麻布で包み、香料を添え、遺体を安置した小部屋で身近な人たちが祈りを捧げて別れを惜しむための日時が、遺体を「死体室」に入れてその横穴をふさぐまでにあったと推察されます(その期間がどれほどであるかは確認できません―ラザロの場合から推察すると四日以上あったことになります)。

 天使たちは彼女に言う、「女よ、なぜ泣いているのか」。彼女は言う、「人々がわたしの主を移したのです。主をどこに置いたのか、わたしには分からないのです」。(一三節)
 天使が現れたのは共観福音書と同じですが(マルコとマタイは一人、ルカは二人の天使)、ヨハネ福音書では、墓で現れた二人の天使はマリアに泣く理由を尋ねるだけで、共観福音書場合のように、イエスの復活を告げたり、ガリラヤへ行くように指示するなどの役割を果たしていません。

 「なぜ泣いているのか」という天使の質問に、マリアは、大切な主の遺体がどこかに移されて、見失ってしまった悲しみを訴えます。マリアは、「わたしの主」と言っています。マリアがいかにイエスを慕い愛していたか、その深い心情が、この場での短い一句に込められています。

 

マリア、復活のイエスに会う

 こう言って後ろを振り向くと、イエスが立っておられるのを認めるが、それがイエスであることが分からなかった。(一四節)
 マリアは、天使に「わたしの主」として慕っているイエスの遺体を見失った悲しみを訴えているとき、後ろに人の気配を感じます。思わず「後ろを振り向くと」人が立っています。実はイエスが立っておられたのですが、マリアは「それがイエスであることが分からなかった」のです。

 復活された方に出会う体験(顕現体験)では、ある人格に出会っていることは感じるのですが、初めそれが誰であるか分からない点が共通しています。その方からの語りかけなどの働きかけではじめてイエスだと分かるのが普通です。ここもその共通の型を示しています。復活された霊の人格に出会うという体験は、地上の人間と出会うこととは違います。地上の人間に出会うときは、顔かたちが見えるのですから、すぐに誰であるかが分かります。しかし、霊の世界の人格に会うときは、人格と出会っていることは分かりますが、それが誰であるかはすぐには分かりません。その方が名乗ったり語りかけるなどされて初めて、その方が誰であるかを知ります。

 イエスは彼女に言われる、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリアは園丁だと思って、彼に言う、「主よ、もしあなたがあの方を運んだのであれば、その方をどこに置いたのか、わたしに言ってください。わたしがその方を引き取ります」。(一五節)
 マリアに現れた方は、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と、声をかけます。悲しみと驚きに動転しているマリアは、それがイエスの声だとは気がつきません。マリアは、その声の主は園丁だと思います。

 マリアは、先の二人の弟子のように墓の中には入っていません。外から「かがんで(中を)のぞき込んだ」だけです。墓の外にいるマリアは、後ろから声をかけた人物を、このあたりの園の世話をする園丁だと思いこみます。園丁だと思ったその人物に、マリアは「主よ」と呼びかけて、イエスの遺体をどこに運んだのかを尋ねます。

 ここの「主」も、信仰告白の主《キュリオス》ではなく、当時の女性が男性に呼びかけるときの日常的な表現です。マリアは、「わたしがその方を引き取ります」と言っています。自分の手で丁重に葬りたいと考えているのでしょう。復活されたイエスに出会っているこの段階でも、人間の思いでは復活などは思いもよらぬことであり、生前のイエスと親しくしていたマリアも例外ではありません。

 イエスは彼女に言われる、「マリアよ」。彼女は振り向いて、イエスにヘブライ語で、「ラッブーニ」と言う。「先生」という意味である。(一六節)
 イエスが「マリアよ」と呼びかけられたとき、自分の名を呼ぶ声に、懐かしい主イエスの声を聞き取ります。

 「彼女は振り向いて」とありますが、マリアはすでに振り向いています(一四節)。墓の中をかがんでのぞいていたマリアは、振り向いて後ろに立つ人物を園丁だと思って語りかけています。ここで再び「振り向いて」と言われているのは、一回の動作のときに起こった内面のドラマを生き生きと表現するために、繰り返されたものと考えられます。

 マリアは振り向いて、自分の名を呼んだ方に、思わず「ラッブーニ!」と叫びます。これは、マリアはイエスの生前、師であるイエスを呼ぶときにいつも用いていた呼び名です。このとき思わずその呼び名が口をついて出てきます。

 この「ラッブーニ」はヘブライ語です(イエスとマリアの間で用いられていた言語はアラム語でしょうが、両方とも同じです)。ヨハネ福音書は、ヘブライ語を用いるときは、ギリシア語でその意味を解説します(ここの他に一・四一、一九・一三、一九・一七)。これは、この福音書がギリシア語を用いる異邦人読者を対象としていることを示しています。  「ラビ」と同じで、共に「わたしの主人」とか「わたしの先生」を意味します。ほとんどの場合「ラビ」が用いられていますが、こことマルコ一〇・五一で「ラッブーニ」が用いられています。本来は尊敬をこめて呼びかけるときの敬称ですが、当時のユダヤ教社会では、すぐれた律法教師への敬称となっていました。


父のもとに昇るイエス

 イエスは彼女に言われる、「わたしに触らないように。わたしはまだ父のみもとに昇っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、彼らに『わたしは、わたしの父であり、あなたたちの父である方、わたしの神であり、あなたたちの神である方のところに昇る』と言いなさい」。(一七節)
 嬉しさのあまり、マリアは思わずイエスにすがりつこうとしたのでしょう。そのマリアに、イエスは「わたしに触らないように」と言われます。

 このイエスの言葉を、新共同訳と岩波版は「わたしにすがりつくのはよしなさい」と訳しています。この訳では、マリアは現にイエスにすがりついているので、離れるように求めておられることになります。しかし、復活された霊体のイエスとの肉体的な接触が可能であると前提して訳すことには問題があります。マリアはイエスが元の身体で生き返られたと思って(この段階で霊体への復活は理解できないのは当然です)、すがりつこうとしたのでしょう。復活体のイエスが、それを押しとどめて言われたのであれば、「わたしに触るな」と訳す方が適切であると考えます。多くの欧米語訳と口語訳がこう訳しています。原語の動詞は、ほとんどの場合「触れる」という意味で使われています。顕現伝承は、時と共に身体的描写が強くなる傾向がありますが(マタイ二八・九、ルカ二四・三六〜四三)、翻訳までがこの傾向に流されることはありません。

 「わたしに触れるな」という命令の理由として、「わたしはまだ父のみもとに昇っていないのだから」と言われます。後続する文が語っているように、復活されたイエスはこれから父のみもとに昇って行こうとされています。今マリアに現れたイエスは、「まだ父のみもとに昇っていない」だけで、すでに復活した者として地上の身体を脱ぎ捨て、父のもとに昇っていくことができる体となっておられ、地上の人間が直接触れることはできない霊体を取っておられるのです。「わたしはまだ父のみもとに昇っていないのだから」という理由を示すお言葉は、地上の体と霊の体の区別をマリアに告げておられると理解することができます。

 イエスはマリアに、「わたしの兄弟たちのところへ行って、彼らに言いなさい」とお命じになります。ヨハネ福音書では、ここまで(12回)「兄弟」はすべて肉親の兄弟を指していました。ここで復活されたイエスが弟子たちを「わたしの兄弟たち」と呼ばれます。この呼び方は、弟子たちも復活者イエス・キリストと同じ霊的次元に生きる者となることを示唆していると考えられます。他に、イエスを信じる者が兄弟と呼ばれるのは二一・二三だけです。この箇所が示唆するように、お互いに兄弟と呼んでいたヨハネ共同体の呼び方が、このイエスのお言葉によって根拠づけられていることになります。

 イエスがマリアに兄弟たちに告げるように言われたお言葉、「わたしは、わたしの父であり、あなたたちの父である方、わたしの神であり、あなたたちの神である方のところに昇る」という表現には、自分たちは復活者イエス・キリストと同じ霊の次元に生きているのだというヨハネ共同体の自覚が見られます。あるいは、そういう自覚を持たせようとする著者の意図が見られます。イエスの父はわたしたちの父であり、イエスの神はわたしたちの神です。ひとたび地上のイエスとして、わたしたちと同じ人間として現れた方が、今は父である神のもとに昇っておられるのです。この方こそが、父なる神とわたしたちを結ぶ唯一の方です。

 マグダラのマリアは来て、弟子たちに「わたしは主を見ました」と伝え、また、イエスが彼女に言われたこれらのことを伝える。(一八節)
 マリアは弟子たちに、「わたしは主《キュリオス》を見ました」と言います。この言葉は、イエスの復活を告知する典型的な表現です(二〇・二〇、二〇・二五)。パウロも、使徒としての権威を問題にされたとき、「わたしは、わたしたちの主《キュリオス》イエスを見た者ではないか」と反論しています(コリントT九・一)。この「見た」という動詞の受動態が「現れた」で、復活されたイエスの顕現を語る文でよく用いられます(ルカ二四・三四など)。ヨハネ福音書は、最初の復活証言を女性の口に置くのです。
 こう言って、マリアは「イエスが彼女に言われたこれらのこと」を伝えます。「これらのこと」というのは、復活者イエスがマリアに現れて語られた、「わたしは、わたしの父であり、あなたたちの父である方、わたしの神であり、あなたたちの神である方のところに昇る」という一七節の言葉を指していると考えられます。

 

  66 弟子たちへの顕現  (20章 19〜23節)

 19 さて、週の初めであるその日の夕方、弟子たちのいる場所の戸口はみな、ユダヤ人たちに対する恐れのために閉じられていたが、イエスが来て真ん中に立たれた。そして、イエスは彼らに言われる、「あなたたちに平安があるように」。 20 そう言って、弟子たちに両手とわき腹をお見せになった。そこで、弟子たちは主を見て喜んだ。 21 そこで、イエスは重ねて言われる、「あなたたちに平安があるように。父がわたしを遣わされたように、わたしはあなたたちを遣わす」。 22 こう言ってから、息を吹きかけた上で、彼らに言われる、「聖霊を受けなさい。 23 誰の罪過であれ、あなたたちが赦せば、その罪過は彼らにとって赦されたものになる。誰の罪過であれ、あなたたちが留めるならば、その罪過は留められたままになる」。

 

閉じられた部屋に現れるイエス

 さて、週の初めであるその日の夕方、弟子たちのいる場所の戸口はみな、ユダヤ人たちに対する恐れのために閉じられていたが、イエスが来て真ん中に立たれた。そして、イエスは彼らに言われる、「あなたたちに平安があるように」。(一九節)
 安息日が開けた週の初めの日、すなわち日曜日の早朝、復活されたイエスはマグダラのマリアに現れておられます。そして、マリアはそのことを弟子たちに伝えています。しかし、弟子たちはマリアの報告を信じることができず、あるいはむしろ、その報告が何を意味するのか理解できず、「ユダヤ人たちに対する恐れのために」おびえて、戸を閉じて家の中に引きこもっています。

 まず、この弟子が誰であるかは特定されていません。「十二人」の中でイスカリオテのユダは去っていますし、トマスはこの場にいません(二〇・二四)。しかし、この場にいるのは十人とは限りません。ペトロと一緒に墓まで走ったあの「愛弟子」は一緒にいることでしょう。また、ガリラヤからイエスについてきた数人の女性たちも一緒にいたはずです。イエスの母と兄弟たちも一緒にいたと見られます(使徒一・一二〜一四)。とにかく十数人の小さい一団であることは確かです。過越祭のときガリラヤからイエスと一緒にエルサレムに来た弟子たちは一団となって、師が処刑されるという予想外の事態に驚き恐れて、部屋に閉じこもっています。

 彼らが「ユダヤ人たちに対する恐れのために」に家の中に隠れて閉じこもったのは当然です。ユダヤ教の最高法院で死罪に相当するとされ、ローマへの反逆罪で死刑判決を受けて処刑された者の仲間として、彼らは大祭司などユダヤ教の権力者からもローマ軍からも厳しい探索の目を向けられていたはずです。エルサレムは危険な場所です。マルコとマタイは、弟子たちがイエスの十字架刑のあとエルサレムを去ってガリラヤに戻ったとしています。しかしヨハネは(ルカもそうですが)、弟子たちは危険なエルサレムに残ったとして、そこでの出来事を報告します。

 「弟子たちのいる場所」も、それがどこか確定することは困難です。おそらくイエスが弟子たちと最後の晩餐をとられた家でしょう。その家は、イエスを信じ、その活動を支持する一人のエルサレムの住民が提供した隠れ場所でした。ルカも、イエスの十字架と復活直後の弟子たちの集会場所として、その家を示唆しています(使徒一・一二〜一四)。
 その家の戸口は「閉じられていた」というのは、外からは開けられないように閉ざされていた(ロックされていた)ということです。どのような仕方でロックされていたか分からないので、この訳では「鍵をかけていた」(新共同訳)という現代的な装置を用いた表現は避けています。この表現は、普通の人間は入ることができないことを強調しています。入れるはずのない場所にイエスが現れたことを際だたせています。

 その「閉じられていた」家の中に、イエスが忽然と現れて、弟子たち一同に、「あなたたちに平安があるように」と、挨拶の言葉をかけられます。これは、「あなた(たち)にシャローム」というユダヤ人の日常的な挨拶です。この節は、ここで弟子たちお会いしたイエスは、もはや生前のイエスとは違う、霊の次元の主体として語りかけ働きかけるイエス、どこにでも現れて働きかけることができるイエスであることを物語っています。イエスの復活は元の身体に生き返ったのではありません。そうであれば、閉ざされた部屋に入ることはできません。イエスの「復活」は、ラザロの「生き返り」とは別の次元の出来事です。イエスの「肉の体」は「霊の体」に変容したのです(コリントT一五・四四)。

そう言って、弟子たちに両手とわき腹をお見せになった。そこで、弟子たちは主を見て喜んだ。(二〇節)
 この挨拶を受けたとき、弟子たちはその人が誰であるか分からず、あまりの意外さに呆然としていたのではないかと思われます。ここにも、復活されたイエスに出会う体験においては、最初はそれが誰であるか分からないという共通の型が見られます。
 それでイエスは、「弟子たちに両手とわき腹をお見せに」なります。それによって自分が十字架につけられたイエスであることをお示しになります。それを示されて初めて、弟子たちはイエスだと分かります。「そこで」という小辞が、初めはイエスだと分からなかった弟子たちが、両手とわき腹を見せられて初めてイエスだとわかり、「主を見て喜んだ」といえるようになったことを示唆しています。

 復活されたイエスにお会いして、弟子たちの不安と恐れと悲しみは喜びに変わります。イエスが死の前夜に弟子たちに語られた言葉が成就します。イエスは十字架の前夜、最後の食事の席で、ご自分の死を予告し(一六・一六〜二二)、最後に「あなたたちもまた、今は悲しみがあるが、わたしは再びあなたたちに会うことになり、あなたたちの心は喜びに溢れるであろう。そして、その喜びをあなたたちから奪い去るものはない」と言われました。この時、そのお言葉が成就したのです。

 弟子たちは「主を見て喜んだ」とあります。「主《キュリオス》を見る」とは、復活の主の告知です。人は今、「主を見る」ことができるのです。復活者キリストにお会いすることができるのです。聖霊が働かれる場では、復活者である主《キュリオス》イエス・キリストが、何らかの形で示されます。聖霊の働きそのものが、わたしに現れる復活者キリストです。その働きを受けるとき、わたしたちは「主《キュリオス》を見て喜ぶ」のです。復活の主の告知は喜びの告知です。復活の主を見るとき、それまでの人生の不安、存在の悲しみは吹っ飛び、心は内からの喜びに溢れるようになります。これが福音です。

 そこで、イエスは重ねて言われる、「あなたたちに平安があるように。父がわたしを遣わされたように、わたしはあなたたちを遣わす」。(二一節)
 先にイエスは、突然現れた見知らぬ者として「シャローム」と声をかけられましたが、弟子たちがイエスだと分かった後、改めて彼らがよく知っている師として、「重ねて」シャロームの挨拶を送られます。その上で、「父がわたしを遣わされたように、わたしはあなたたちを遣わす」と、派遣の言葉を語られます。

 復活されたイエスが弟子たちを宣教に派遣される言葉は、どの福音書も伝えています。マルコでは一六・一五、マタイでは二八・一七〜二〇、ルカでは二四・四七と使徒一・八にあります。ヨハネはこのような形で、イエスの弟子はイエスの働きを地上で継承するために、復活者イエスから世に遣わされた者であることを語ります。

 復活者イエスに会う体験は、つねに召命体験を含んでいます。復活者キリストに出会う体験をすることは、その方を告げ知らせる責任・使命を与えます。その使命が、ここでは「父がわたしを遣わされたように」というヨハネ福音書独自の根拠づけの形を用いて表現されています。イエスの弟子は、イエスが父から遣わされた者として地上でなされた働きを、復活者イエスから遣わされて地上で継承する者です。

 こう言ってから、息を吹きかけた上で、彼らに言われる、「聖霊を受けなさい。誰の罪過であれ、あなたたちが赦せば、その罪過は彼らにとって赦されたものになる。誰の罪過であれ、あなたたちが留めるならば、その罪過は留められたままになる」。(二二〜二三節)
 《プニューマ》(息、霊)という語は用いられていませんが、聖霊を注ぐことの象徴行為として、イエスが弟子たち「息を吹きかけた」と描かれます。この顕現した復活者イエスが弟子に息を吹きかけている姿は、復活者キリストに出会う体験と聖霊を受ける体験は同じ体験であることを示唆しています。弟子は、聖霊を受けることによって初めて、イエスが復活者キリストであることを身をもって知ることになります。

 息を吹きかけながら、イエスは「聖霊を受けなさい」と言われます。これは、「これから聖霊を受けるようにしなさい」ではなく、「今わたしが注いでいる聖霊をしっかり受け止めて、この聖霊の力によって出て行きなさい」の意味です。ルカが長いペンテコステ物語として語るところを、ヨハネはこの一節で描いているわけです。そして、聖霊を受けて復活の主の福音を告げ知らせるとき、その使者には罪を赦し、また留める権限が伴うことが語られます。

 このような罪を赦したり赦さない権限が弟子たちに与えられたという記事は、ヨハネとマタイだけにあります。ここで用いられている「赦す」と「留める」は、マタイ(一六・一九、一八・一八)の「解く」と「つなぐ」とは別の用語です。マタイの用語は、律法解釈についてのラビの権限を語る用語ですが、ヨハネは一般的な「赦す」と「留める」を用いています。これは、マタイがユダヤ人に向かって語りかけているのに対して、ヨハネは異邦人に語りかけているという違いから来るのでしょう。

 マタイには、その権限が弟子団に与えられたする記事(一八・一八)とペトロ個人に与えられたとする記事(一六・一九)がありますが、ヨハネでは聖霊によって派遣される弟子たち(一般)に与えられており、ペトロとか「十二人」という特定の個人や弟子団に限られていません。聖霊を受けて世に遣わされている弟子たちには、復活者イエスからこの権限が委ねられているとします。これは、ヨハネ共同体がペトロを代表とする「十二使徒団」に対抗するような立場で活動していることの一つの表れだと見られます。


  67 トマスへの顕現  (20章 24〜29節)

 24 ところが、十二人の一人でディデュモスと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき彼らと一緒にいなかった。 25 そこで、他の弟子たちはトマスに、「わたしたちは主を見た」と告げた。ところが、トマスは彼らに言った。「あの方の両手に釘の痕を見て、わたしの指をその釘痕に入れてみなければ、そしてわたしの手をあの方のわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。
 26 それから八日後に、弟子たちは家の中にいて、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたのに、イエスが来られて、真ん中に立ち、「あなたたちに平安があるように」と言われた。 27 それからトマスに言われる。「あなたの指をここに当て、わたしの手を見て、あなたの手をわたしのわき腹に置きなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 28 トマスは答えて言った。「わたしの主よ、わたしの神よ」。 29 イエスは彼に言われる。「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は幸いである」。


トマスの疑い

 ところが、十二人の一人でディデュモスと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき彼らと一緒にいなかった。(二四節)
 ここでトマスが登場します。彼は、週の初めの日の夕方、復活されたイエスが他の弟子たちに現れたとき、その場にいませんでした。

 トマスはまず「十二人の一人」と紹介されます。ヨハネ福音書も「十二人」の存在を知っています。しかしこの福音書では、「十二人」は復活者キリストの証人としての特別の地位を与えられていません。「十二人」という用語が出てくるのは、ここと六章(六七〜七一節)の二カ所だけですが、六章の箇所では「十二人」にはやや否定的な意味合いが感じられます。ここでも、トマスは「十二人の一人」ではありますが、特別扱いで名が上げられた印象を受けます。

 このトマスは「ディデュモスと呼ばれるトマス」と紹介されています。「ディデュモス」は双子を意味するギリシア語です。もともと「トマス」も双子を意味するアラム語「トーマー」のギリシア語形です。双子という普通名詞が呼び名になったようですが、本名は「ユダ」ではないかと推定されています。一四・二二の「イスカリオテではないユダ」が、「ユダ・トマス」となっているシリア語本文があることから、そのように推定されることになります。

 トマスは、共観福音書では「十二人」のリストに名をあげられているだけですが、ヨハネ福音書ではその言行がやや詳しく伝えられ、弟子たちの中で重視されています。ラザロが死んだという知らせを受けて、イエスがユダヤに行こうとされたとき、「われわれも行って、一緒に死のう」と決意を述べて、他の弟子たちに決心を促したのはトマスでした(一一・一六)。この復活の章でも、復活のイエスに会った証人として名をあげられている個人は、マグダラのマリアとトマスだけです。

 そこで、他の弟子たちはトマスに、「わたしたちは主を見た」と告げた。ところが、トマスは彼らに言った。「あの方の両手に釘の痕を見て、わたしの指をその釘痕に入れてみなければ、そしてわたしの手をあの方のわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」。(二五節)
 戻ってきたトマスに他の弟子たちは、「わたしたちは主を見た」と告げます。ところが、トマスはその証言を信じないで、両手の釘痕、脇腹の傷跡を見なければ信じないと言い張ります。見るだけでなく、自分の指を両手の釘痕や脇腹の傷跡に差し込んで、それが幻ではなく現実の体であると確認するまでは信じないと言い張ります。

 復活信仰は、使徒たちの「わたしたちは主《キュリオス》を見た」という証言を信じるところから始まります。ところが、この人の思いを遙かに超えたイエスの復活という出来事は、普通の人間の理性の働きでは理解することはできません。それで、人間の五感で納得できる証拠を求めます。それが不信仰です。復活の告知は信仰を求めますが、人間は不信仰で対するのが普通です。

 共観福音書では、墓が空であることを聞いた弟子たちは、その報告を信じなかったとされ、その不信仰が責められていますが(マルコ一六・一一、一三、一四、ルカ二四・一一)、ヨハネ福音書ではトマスが弟子たちの不信仰を代表して登場します。そして、その不信仰を克服して「信じる者」になる人間をも代表することになります。


トマスへの顕現

 それから八日後に、弟子たちは家の中にいて、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたのに、イエスが来られて、真ん中に立ち、「あなたたちに平安があるように」と言われた。(二六節)
 「それから八日後」というのは、週の初めの日の夕方に、復活されたイエスが他の弟子たちに現れた日から八日後ということでしょう。その八日間、トマスはどのような思いで過ごしたことでしょうか。「一緒に死のう」とまで慕い思い詰めた師が十字架刑という恥辱の死を遂げて十日ほど経ちます。他の弟子たちは「わたしたちは主を見た」と言って喜んでいますが、そんなことは信じられません。しかし仲間から去ることもできず、喜びの中にある他の弟子たちの間にいて、懐疑の暗闇の中で途方にくれて過ごしたことでしょう。

 すると「それから八日後に」、トマスが他の弟子たちと一緒にいるとき、「戸はみな閉ざされていたのに、イエスが来られ」ます。あの八日前と同じ出来事が起こります。イエスは弟子たちの真ん中に経ち、この前と同じように「シャローム」の挨拶をされます。

 それからトマスに言われる。「あなたの指をここに当て、わたしの手を見て、あなたの手をわたしのわき腹に置きなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。(二七節)
 今度は、復活のイエスは、信じて喜んでいる他の弟子はおいておいて、疑っているトマスだけに語りかけられます。イエスは両手の傷痕を見せ、脇腹の傷痕に触るように求めて、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われます。ここでの「信じる、信じない」は、イエスが復活されたことを信じるか信じないかの問題です。

 先にマリアに「わたしに触らないように」と言われたように、トマスは復活されたイエスの霊体に触れることはできません。肉の体の手は霊の体に触ることはできません。それでもイエスがトマスに「あなたの手をわたしのわき腹に置きなさい」と言われと伝えられるのは、復活者イエスのトマスへの顕現が、それができるほど具体的で現実感のある出来事であったことを強調するためでしょう。

 トマスは指や手を傷痕に差し込むという激しい表現を用いましたが、イエスの言葉では「当てる」とか「置く」という、やや穏やかな表現になっていることが注目されます。

 トマスは答えて言った。「わたしの主よ、わたしの神よ」。(二八節)
 トマスはもはやイエスの脇腹に手を触れることはなく(それはできないことです)、直ちにひれ伏して、「わたしの主よ、わたしの神よ」と叫びます。自分の前に立たれるイエスの臨在に圧倒されるのです。復活の主が現れたくださるときは、わたしの理性の推論や五感の証拠などは吹き飛びます。それはわたしの存在すべてを圧倒する現実です。

 「わたしの主よ、わたしの神よ」という叫びは、ヨハネ共同体のイエスに対する信仰告白そのものです。この福音書の著者は、自分たちの共同体(ヨハネ共同体)の信仰告白を、著作の最後にトマスの口に置きます。著者は、著作の最初に復活者イエス・キリストを「ロゴス」と呼んで、その方を神と言い表しました(一・一)。最後に、復活して現れたイエスに向かって、「わたしの主よ、わたしの神よ」と叫ぶトマスの告白をもって締めくくります。

 イエスを「主」《キュリオス》とする告白は、当時のギリシア語を用いる共同体の告白と同じ線上にありますが、イエスを神とする告白はヨハネ共同体の信仰告白の特色を示しています。ただし、この告白は復活者イエスに向けられたものであることを見落としてはなりません。ヨハネ福音書は最初(一・一、一八)と最後に、イエス・キリストを神とする告白を置いて、神としての復活者イエス・キリストを提示します。地上のイエスは、その神である復活者イエス・キリストが受肉された姿となります。

 イエスは彼に言われる。「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じる者は幸いである」。(二九節)
 トマスおよびこの時の他の弟子たちは、復活者イエスの顕現に接して、イエスが復活されたことを信じましたが、そのような顕現に接しないで、使徒たちの証言(福音)を信じる者は幸いです。そのように信じる者には聖霊が与えられて、聖霊ににより復活者イエス・キリストとの現実的で継続的な交わりに生きるようになるからです。特異な体験は一時的ですが、聖霊による復活者キリストとの交わりは永続的です。著者はこの言葉で、「見ないで信じている」ヨハネ共同体の兄弟たちを励まし、外の世界の人々に「見ないで(この復活者イエスの告知を)信じる」ように呼びかけるのです。

 

  68  結び―本書の目的 (20章 30〜31節)

 30 さて、イエスはまた、この書に書かれていないしるしを他にも多く弟子たちの目の前でなされた。 31 これらのことを書いたのは、イエスが神の子キリストであると、あなたたちが信じるようになるためであり、そう信じて、彼の名によっていのちを持つようになるためである。

イエスを神の子と信じるために

 さて、イエスはまた、この書に書かれていないしるしを他にも多く弟子たちの目の前でなされた。(三〇節)
 著者が「この書に書かれていないしるし」というのは、著者が資料として用いたと考えられる「しるし資料」(奇跡物語の集成)には、もっと多くの「しるし」があったのでしょうが、著者はその中の代表的なものだけを選んだことを示唆しています。共観福音書に伝えられている多くの奇跡と比べると、ヨハネ福音書が伝える奇跡は少なく、僅か七つです。著者は、それぞれの奇跡物語に、その意義をめぐる長い対話編をつけて福音書を構成しました。

 福音書(とくにこのヨハネ福音書)は、イエスがなされた病気の癒しなどの奇跡を、イエスが神から遣わされた方であることを指し示す「しるし」と呼んでいます。そして、このヨハネ福音書は、イエスがなされた「しるし」を示して、イエスを神から遣わされた神の子であると信じるように呼びかけているのです(三・二、一四・一一)。

 これらのことを書いたのは、イエスが神の子キリストであると、あなたたちが信じるようになるためであり、そう信じて、彼の名によっていのちを持つようになるためである。(三一節)
 最後に著者は、イエスがなされた奇跡を用いてこの福音書を書いたのは、「イエスが神の子キリストであると、あなたたちが信じるようになるためである」と、その呼びかけを総括します。

 この福音書は繰り返し、イエスは神から遣わされた方であると主張してきました。この福音書では、イエスご自身が繰り返しそう宣言しておられます。しかし、たんに神から遣わされて地上である使命を果たす人間(ユダヤ教のメシアはそういう人物です)ではなく、神と本質を等しくする存在として「神の子」という称号が用いられてきました(一・三四、四九、五・二五、一〇・三六、一一・四、二七など)。イエスはユダヤ人たちから、自分を神の子とする者として、それは自分を神とする冒?であり、死罪に当たると訴えられました(一九・七)。大祭司は巧みな誘導尋問で、イエスが「ほむべき方(神)の子」であることを認めるように仕向けて、イエスを死罪に定めました(マルコ一四・六一)。

 このようにユダヤ教では死罪に当たる主張、すなわち、イエスが神の子キリストであるということを読者が信じるようになるためにこの福音書が書かれたのだと、著者はその意図を明確に宣言します。それは、そう信じることが永遠の命を受ける道だからです。そのことを著者は、「彼の名によっていのちを持つようになるため」と表現します。

 「彼の名」は、イエスが神の子キリストであるという、イエスの本質を現す言葉です。名は本質を指す言葉です。「彼の名によって」は、「神の子キリストであるイエスによって」という意味になります。この方を信じ、この方に自分の全存在を投げ込み、この方に結ばれて生きるときに、わたしたちに「いのち《ゾーエー》」が始まります。この《ゾーエー》は、わたしたちが生まれながらに生きている自然の命とは別種の、上から恩恵として賜る新しい命、「永遠の命」です。この福音書は繰り返しこの新しい命《ゾーエー》のことを、とくに対話の形で語ってきました。その典型が三章のイエスとニコデモとの対話です。この福音書は「永遠の命」を主題とする対話編です。著者は最後に、この著作の主題をかかげて筆を擱きます。


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