ルカ福音書講解 5


    第五章 神の訪れの時

                           ― ルカ福音書 七章 ―



はじめに

  山に入って弟子たちの中から使徒となるべき十二人を選ばれたイエスは、山から下りて平らかな所に立ち、集まってきた人々に神の国での生き方について説かれます。この「平地の説教」を終えて、イエスはカファルナウムに戻られます(七・一)。このカファルナウムを拠点にして、再び弟子たちと一緒にガリラヤを巡り歩いて、「神の国」を告げ知らせる活動を続けられます。そして、このガリラヤでの活動は、「天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固め」(九・五一)、ガリラヤから旅立たれる時まで続きます。

 この部分では、ルカはマルコの順序をなぞるのではなく、手元にある素材を用いて、独自の構成で物語を進めていきます。この部分を主題に応じてさらに細かく区分する仕方は、注解者によって様々に異なりますが、ここでは一応八章一節に新しい区分を始める総括的な記述があると見て、七章一節から五〇節までをひとまとまりとして扱います。

 この区分(七・一〜五〇)は、「洗礼者ヨハネとイエス」の段落(一八〜三五節)を中心に、その前に死んだ人を生き返らせる(あるいはそれに準じる)イエスの力ある二つの働きを置き、その後に罪の赦しの告知を配して、イエスの福音告知の活動において終末的な神の訪れが起こっていることを宣言しています。


36 百人隊長の僕をいやす(七・一〜一〇)

百人隊長のへりくだり

「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた」。(七・一)

 「平地の説教」が限られた弟子だけに語られたものではなく、「民衆」一般に語られたものであることが、この締めくくりの文で確認されます。イエスは、広く民衆を「神の国」に招き、その「神の国」において生きる生き方を語られました。このような形にまとめたのはルカでしょうが、その内容はイエスご自身のものであり、「これらの言葉」こそイエスの「神の国」告知の精髄です。

 この言葉を語り終えて、イエスは再びガリラヤ伝道の拠点であるカファルナウムに戻られます。カファルナウムはこの地域の交通の要衝であり、関税所が置かれ、軍隊が駐屯しています。ここで、その軍隊の隊長である百人隊長が物語に登場します。

 「ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ」。(七・二〜三)

 同じ出来事を伝えているマタイの記事(八・五〜一三)と較べると、細かい点で違いが見られます。「部下」と訳されている語は、ルカでは《ドゥーロス》(奴隷)ですが、マタイでは《パイス》(子、僕、奴隷)です。ルカの《ドゥーロス》は、部下の兵卒よりも家内奴隷を指す可能性が高いと考えられます(RSVなど英訳は slave)。やはり同じ出来事を伝えていると見られるヨハネ福音書の記事(四・四六〜五四)では、「王の役人の息子《フィオス》」となっています。どの場合も、病人がこの地位ある人物にとってきわめて大切な者であったことが共通しています。その大切な者が死にかかっているという状況で、彼はイエスの評判を聞いて、イエスにすがります。

 マタイとの大きな違いは、マタイでは百人隊長が(ヨハネでは王の役人が)直接イエスのもとに来て懇願しています。ルカでは、彼は「ユダヤ人の長老たちを使いにやって」イエスに頼んでいます。神を敬う異邦人である百人隊長は、ユダヤ教のことをよく知っており、ユダヤ人が異邦人の家に入ることはできないので、日頃親しくしているユダヤ人の長老を仲介者として、イエスに病人を死の淵から救い出してくださるように懇願します。

 「長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。『あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです』」。(七・四〜五)

 この百人隊長がユダヤ教の会堂を建てたというのは、よほどの資産家であったことになります。ユダヤ人の長老たちは、彼が会堂を建てるという並外れた貢献をユダヤ教にしてくれた人物であるから、彼の願いを聞いてくれと頼んでいます。イエスは、彼が自分たちの宗教にそのような貢献をしたからではなく、彼の切実な懇願を聞いて助けに行こうとされます。そのことは、すぐ次に息子を失った貧しいやもめの悲しみを見て、息子を生き返らせる働きをされた事実からも分かります。

 そこで、イエスは長老たちと一緒に出かけられます。ところが、彼の家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって、こう言わせます。

 「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください」。(七・六〜七)

 ルカの記事はやや奇異な感じを受けます。ここの発言と続く八節の権威についての発言は、マタイがそうしているように、百人隊長が直接イエスに語りかけた言葉としては自然に聞くことができますが、使いに出した友人たち(複数)に言わせた発言としてはかなり不自然です。主語はすべて「わたし」であり、友人たちの立場が介入している痕跡はありません。おそらく百人隊長が直接イエスに会って懇談し語っているとしたマタイ(そしてヨハネ)の方が原型ではないかと考えられます。ルカの形は、イエスを少しでも異邦人との接触から遠ざけておこうとした保守的なユダヤ教徒のグループ(エルサレム共同体?)でこの伝承が伝えられる過程で変形され、そのグループの資料をルカが用いた結果ではないかと推察されます。
 そのような末節のことよりも重要なことは、この百人隊長が会堂を建てたという自分の貢献・功績を根拠にして願っているのではなく、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」と、イエスの前にへりくだり、ひれ伏している事実と、イエスの言葉の権威に全面的に信頼しているという記事の内容です。

イエスの言葉の権威

 彼は「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください」と言っています。マタイの並行箇所(八・八)では、「ただひと言おっっしゃてください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」となっています。マタイの方が「ただ」という語を用いていることと、ルカの「いやしてください」という命令法ではなく、「いやされます」と直ちに起こる事実を述べる未来形を用いている点で、イエスの言葉への全面的信頼が明確に表現されています。
 その上で彼は、イエスの言葉にこのように全面的に信頼する理由を、自分の隊長としての体験から次のように述べます。

 「わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」。(七・八)

 ローマ式の軍隊では上官の命令の言葉は絶対です。部下は、命の危険があっても命令の言葉に従って行動します。彼はそのような軍隊の権威の序列の中にある者として、自分も上官の命令には従う立場ですが、その自分の下にも部下の兵卒がいて、自分の命令の言葉には無条件に従って行動することをよく知っています。

 彼はイエスにこう言っているのです。「自分のようなただの百人隊長の言葉でも部下は実行します。まして、あなたのように神から遣わされ、神の権威をもって語られる方の命令の言葉には、いかなる悪霊、病気の霊、死の力さえ従います。あなたがひと言命令の言葉を発してくだされば、わたしの僕はいやされます」。このように、彼は自分にとって大切な者の生死をイエスの言葉に委ねます。

 これが信仰です。神を信じるとは、ただそれが神の言葉であるというだけで、その言葉に自分の全存在を委ね、その言葉に基づいて行動する(生きる)ことです。状況がどのように困難であり、人の目には不可能に見えても、神の権威と信実だけに基づいて行動することです。そして、イエスを信じるとは、イエスが神から来られた方であり、イエスの言葉は神からの言葉として、その権威と信実に委ねて行動することです。この異邦人百人隊長は、イエスを信じることで、神を信じる境地に入ったのです。イスラエルの民が幾世紀もかかって到達しなかった信仰の境地に入ったのです。

 イエスはこの百人隊長の言葉をを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われます。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。(七・九)

 イエスはこう言って、イエスの言葉の権威に自分の大切な者の命を委ねるこの異邦人百人隊長の信仰をお誉めになります。実は、これと並行するマタイ福音書では、このお言葉の後に次の言葉が続いています。

 「言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」。(マタイ八・一一〜一二)

 父祖アブラハム、イサク、ヤコブに約束された神の国の饗宴の席に連なるのは、直系の子孫であることを誇るイスラエルの民ではなく、東や西からやって来る世界の諸民族であるという語録は、異邦人に向かって書いているルカにこそふさわしい内容ですが、ルカにはありません。ルカは、これと同じ内容ですが少し違った形の伝承を知っており、それをまったく別の文脈で用いています(一三・二八〜二九)。おそらく、ルカが資料として用いた百人隊長の物語伝承は、保守的なユダヤ教徒のグループで伝えられていたので、このような言葉を含むことは出来なかったのでしょう。ルカは別の系統の伝承からこの言葉を得て、別の文脈で用いることになります。

 この物語の結幕は、「使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた」となっています(七・一〇)。百人隊長が使いの者を通してお願いしたいやしのための言葉をイエスは発しておられません。マタイでは、イエスは「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」と言っておられます。ルカでは、百人隊長の信仰が嘉納されたことで、その信仰に応じて神のいやしの働きがなされたことになります。
 ルカの物語では、最後までイエスは百人隊長本人と顔を合わせておられません。おそらく本人がイエスにお会いしたとするマタイ(やヨハネ)の語りの方がオリジナルに近いのでしょう。ルカの形は、伝承が伝えられる過程について多くのことを考えさせます。

 

37 やもめの息子を生き返らせる(七・一一〜一七)

 

ナインの城門でなされた「しるし」

 「それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた」。(七・一一〜一二)

 イエスと弟子の一行は、カファルナウムを拠点としてガリラヤの各地を巡回し、神の支配の到来を告げ知らせる活動を続けます。カファルナウムの百人隊長の僕をいやされた後しばらくして、イエスはガリラヤ南部にあるナインの町に行かれます。この時には、イエスの評判を聞いて集まってきた大勢の群衆も一緒について行きます。ナインはカファルナウムから南西へ四〇キロほど(ナザレから南南東一〇キロほど)のところにある重要な都市で、城壁に囲まれていました。

 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど葬列が町の門を出て、城壁の外にある墓地に向かうところでした。それは、ある寡婦(やもめ)の一人息子が死んで、その遺体が担ぎ出されるところだったのです。一人息子を失ったやもめの母親の悲しみはどれほど大きかったことでしょう。近親者や町の人が大勢付き添って、嘆きを共にしてこの母親を慰めようとします。しかし、彼女の悲しみはいやされません。彼女は泣き続けます。

 「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった」。(七・一三〜一五)

 ここで、イエスが息子を失った母親を「憐れに思い」と訳されている語は、もともと犠牲動物の内臓を指す名詞《スプランクナ》から造られた特殊な動詞です。この《スプランクナ》は人間の内臓をも指すようになり、人の奥底の感情を意味する語として用いられようになっていました。この名詞から造られた動詞は、「はらわたの底から」愛するとか憐れむという意味になり、福音書で苦しんでいる群衆に対するイエスの憐れみを指すときに用いられています(マタイ九・三六など)。また、イエスご自身もたとえ話で、王が借金を返せない家臣を憐れむとか、父親が放蕩息子を憐れむとか、サマリア人が強盗に襲われた人を憐れむという場面で用いておられます。

 旧約聖書では神が苦しむ民を憐れまれます。そして、最終的に神はメシアによってその憐れみを民に現されることが待ち望まれていました。いまイエスがこのように民を憐れまれるのは、この終末的な神の憐れみをイエスが示しておられるのだ、と福音書は語っているのです。

 イエスはこの母親の嘆きを深く憐れまれて、彼女がもう泣かなくてもよいようにしようとされます。世の中には身近な者をなくして嘆き悲しむ者は多いのですが、イエスはそのすべての者を慰めるために、死者が出た家を訪ねて生き返らせたのではありません。福音書にはイエスが死者を生き返らされた実例が報告されていますが、それはその時代と地域で亡くなった人の中のごく僅かです。福音書では、会堂司ヤイロの娘(マルコ、マタイ、ルカ)と、このナインのやもめの息子(ルカだけ)と、ベタニアのラザロ(ヨハネだけ)の三例です。イエスは居合わせたところで死者を生き返らせるという究極の「しるし」を行って、自分が神から来た者であることを示されます。この奇跡は、イエスの内に神が働いておられることを指し示す「しるし」であり、その「しるし」によって世がイエスを信じるようになることを目指しているのです(ヨハネ一四・一〇〜一一)。その信仰によって、すべての人が死の現実の中にあっても、もう泣くことはなく、永遠の命の希望をもつことができるようになるのです。

 イエスは近づいて遺体を乗せた台(棺ではなく担架とか戸板のようなもの)に手を触れられます。これは止まるようという合図です。すると遺体を担いでいた人たちは立ち止まります。イエスは遺体の若者に声をおかけになります。「若者よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」。

 死んだ人にこのように命じることができる方とは、いったい誰でしょうか。今この方において、人類は今までまったく知らなかった事態に直面しているのです。イエスがこうお命じになると、その若者は担架の上で上体を起こして(英語では sit up)、あたりを見回し、ものを言い始めます。死んだ若者が生き返ったのです。イエスはこの生き返った若者を母親にお渡しになります。母親の驚きと喜びはどれほどだったでしょうか。

主《ホ・キュリオス》の働き

 この箇所(一三〜一五節)で注目すべき重要な点は、行動している方(文章の主語)が「イエス」ではなく、《ホ・キュリオス》(定冠詞つきの《キュリオス》、主)とされていることです。一三節の初めに「《ホ・キュリオス》はこの母親を見て・・・・」とあり、以下この《ホ・キュリオス》を主語とする三人称単数形の動詞が続きます。イエスという名は出てきません。新共同訳は一四節で「イエスは言われた」としています。この講解でも実際の出来事を説明するために、イエスの行動として記述しています。しかし、原文ではすべて《ホ・キュリオス》の行動として描かれています。

 《ホ・キュリオス》は復活されたイエスの称号です。ルカ福音書では、一〜二章の誕生物語を別にすれば、三章以下の本論部分ではここで初めてイエスが《ホ・キュリオス》という称号で呼ばれ、以降様々な場面でそう呼ばれることになります。そして、この箇所で「イエス」ではなく《ホ・キュリオス》という称号で呼ばれていることには、特別の意味があります。

 いったい、死んだ者に「わたしはあなたに言う。起きなさい」と命じることができるのは、人間を創造された神以外にだれができるでしょうか。ここに用いられている「起きる」という動詞は、神がイエスを死人の中から復活させたことを語るときに用いられている動詞です。神は死人の中からイエスを「起こされた」のです。死人に向かって「起きなさい」と命じ、生き返らせることができるのは神だけです。ここで神がイエスの中にあって働き、このような言葉を発し、その言葉通りに死人を起き上がらせておられるのです。

 使徒たちは復活されたイエスの顕現を体験し、復活されたイエスを《ホ・キュリオス》として世界に告知しました。そして、この「主イエス」《ホ・キュリオス・イエスース》の名によって、すなわちこの方の働きとして、死人を生き返らせました。ペトロはタビタを生き返らせ、パウロはトロアスの青年を生き返らせました。他にもあったことでしょう。使徒たちは《ホ・キュリオス》である復活者イエスが死人を生き返らせておられることを体験しました。そのような体験があるので、地上のイエスが死人を生き返らせた出来事を語り伝えるときにも、「《ホ・キュリオス》が死人を生き返らせた」と語ることになります。ここでは、地上のイエスと復活者イエスが重なっています。ルカがここで、イエスが死者を生き返らせた出来事を《ホ・キュリオス》(主)の働きとして記述しているのも、地上のイエスの出来事によって復活者イエスの福音を告知しようとする福音書の性格から必然的に結果する二重性です。

神の訪れの時

 「人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、『大預言者が我々の間に現れた』と言い、また、『神はその民を心にかけてくださった』と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった」。(七・一六〜一七)

 イエスが死んだ若者に命じられるとその死人が生き返ったという出来事を目撃した人たちは、「恐れを抱き」ます。人間は異次元の現実に直面すると、恐れを感じます。ここでも、神の働きの現実に直面した人々は、畏怖の念を抱きます。しかし、その畏怖は賛美に変わります。人間の力ではどうしようもない悲しみを喜びに変えてくださった神の働きを見て、このように自分たちを顧みてくださった神を賛美します。神はその民を放棄されず、心にかけてくださっていることを実感して、神を賛美します。

 神を信じるとは、このような力があることを信じ、自分の存在がこのような力によっていることを信じることです。それ以下ではありません。イエスはこのような神の力を歴史の中で示されました。イエスにおいて神が人間社会を訪れ、その力を示しておられるのです。イエスが地上で活動された時は、まさに神の訪れの時なのです。

 この出来事を目撃した人たちは、それを実感して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言います。当時のユダヤ人には、それ以上の表現ができなかったのでしょうが、実は預言者以上の方が「神の訪れの時」をもたらしておられるのです。神は終わりの時に、限りない憐れみをもって民を訪れておられるのです。

 後にイエスはご自身の働きを「神の訪れの時」として、このように言っておられます。

 「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」。(一九・四二〜四四)

 このお言葉は、エルサレム入城を前にして、平和の君として入城されるイエスを理解せず、平和の君を殺し、神の裁きとして自身に滅亡を招くことになるエルサレムために涙を流して語られた言葉です。しかし、イエスにおいて神がその民を訪れてくださっているのは、このエルサレム入りの時だけでなく、イエスが神の力で働き、神の言葉を語られた地上の働きの全期間において起こっているのです。やがて神はイエスを死者の中から復活させ、その出来事において人類に最終的な訪れを与えられます。しかし、その前にもイエスは死んだ人を生き返らせることまでを含む働きによって神の訪れの時を指し示しておられるのです。ところが、神の民であるイスラエルは、自分への神の訪れを理解しませんでした。それは、その時の彼らには隠されていたのです。イスラエルの中の一部の人たち、とくに貧しい庶民は「大預言者が我々の間に現れた」と言って、イエスにおいて神が苦しむ自分たちを顧みて働いておられることを賛美しましたが、イスラエルは全体としては(公式には)イエスを拒否し、裁き、殺したのです。

 死にかけている百人隊長の僕をいやされた出来事と、死んでしまっているナインのやもめの息子を生き返らせた出来事を並べて、神の民であるイスラエルに神の訪れの時が来ていることを語ったルカは、それに続いて、先駆者としてこの神の訪れの時を切り開いた洗礼者ヨハネについて、彼の出現の意義を彼とイエスの関係で語ります。

 

38 洗礼者ヨハネとイエス(七・一八〜三五)

 

洗礼者ヨハネの質問

 洗礼者ヨハネの弟子たちは、これらすべてのことについてヨハネに知らせます。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせます。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」。(七・一八〜一九)

 洗礼者ヨハネはすでに獄にいます(三・二〇)。マタイ(一一・二)では、ヨハネは獄中でイエスの働きを伝え聞いたとあるだけですが、ルカではヨハネの弟子たちが獄中のヨハネに、イエスの働きを知らせたとなっています。洗礼者ヨハネは、その活動が危険なメシア運動になることを恐れた領主ヘロデ・アンティパスによって投獄されたのですから、ヨハネが弟子と会ったり弟子を派遣したりすることは考えられないとする見方もあります。それでこの段落を、復活後のイエスの弟子団が洗礼者ヨハネの弟子団に、イエスがメシアであることを説得しようとした記事であるとする解釈も出てきます。しかし、この記事には復活後の状況を示唆するものはないので、やはり地上のイエスの働きのときに、何らかの形でこのような内容の問答が行われたと見るべきでしょう。

 洗礼者ヨハネは、バプテスマ活動をしていたときに、自分の後に来られる方についてこう預言していました。

 「わたしはあなたたちに水でバプテスマを授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」。(三・一六〜一七)

 イエスがまだヨハネのもとでバプテスマ活動をされていたときに、エルサレム神殿で商人を追い出すなどの過激な象徴行為をされたのであれば、ヨハネはそれを知っていたでしょうし、イエスが神の霊を受けた優れた霊的能力を持つ人物であることも理解していました。そして、自分の元から離れて独自の活動を始めたイエスを、もしかしたらこの人物こそ神が約束されたメシア、「聖霊と火でバプテスマを授け」、神に逆らう勢力を「消えることのない火で焼き払われる」方ではないかと期待するようになっていたのでしょう。

 ところが、獄中で伝え聞くガリラヤへ退かれたからのイエスの働きには、一向にメシア的な言動はなく、イエスが民を率いて蜂起される気配もありません。ヨハネも神の終末的な訪れを告知していました。しかし、イエスがもたらしておられる神の訪れは、ヨハネが予期した裁きとは違っていました。ヨハネはイエスが自分の期待していたメシアの姿と異なることを感じたのでしょうか、弟子の中から二人の者を選んでイエスのもとに送り、次のように訊ねます。「二人」を送ったのは、彼らの証言を有効なものとするためでしょう。

 二人はイエスのもとに来てこう言います。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです」。(七・二〇)

 イスラエルは「来るべき方」の到来を待ち望んでいました。「来るべき方」の姿はイスラエルの民の間でも一様ではなく、民を異教徒の支配から解放する政治的・軍事的指導者としてのメシアから、雲に乗って天から現れる「人の子」まで、様々な姿でその到来が待ち望まれていました。しかし、どのような形での待望も、イスラエルを解放して栄光に導き入れ、世界に最終的な神の支配をもたらす方として待ち望んでいたことは共通しています。

 ここでは洗礼者ヨハネがイエスに、「『来るべき方は、あなたでしょうか」と訊ねています。後にイスラエルの民を代表する最高法院がイエスに、「お前はメシアなのか」と訊ねることになります(二二・六六〜六七)。イエスはその活動の期間ずっと、このような民の期待と問いかけに直面しておられるのです。

 ヨハネの弟子二人がイエスのもとに来て、こう訊ねたとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられました。それで、二人にこうお答えになります。

 「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」。(七・二一〜二三)

 洗礼者ヨハネの使者たちの質問に対して、イエスは現に彼らの目の前で行っておられる病人をいやすなどの働きを指してお答えになります。現にあなたたちの見ている事実があなたたちの問いに答えているではないか、とお答えになっているのです。しかし、ここにあげられているイエスの働きのリストは、現に目の前で行われている働きだけでなく、福音書が伝えているイエスの力ある業(奇蹟)の中でもとくに顕著な奇蹟、一般の霊能者が行う病気のいやしや悪霊の追い出しというようなレベルを超えた奇蹟を列挙しています。いったい今まで誰が、生まれながら目の見えない人を見えるようにし、生まれてから歩いたことのない足の不自由な人を立ち上がらせ、らい病を患っている人を清くし、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、死んでしまった人を生き返らせたでしょうか。このような人間にはできない奇蹟は、神が預言者を通して、終わりの日に神が恵みをもって民を訪れるときに、そのしるしとして起こると預言しておられたことです(たとえばイザヤ書二六・一九、二九・一八〜一九、三五・五〜六)。今それがイエスの働きにおいて起こっているのです。その事実が、イエスこそ「来るべき方」であることを指し示しています。

 そして、最後に「貧しい人は福音を告げ知らされている」という事実が加えられます。これは、以上に列挙された奇蹟の働きと並んでイエスの働きを構成するもう一つの働き、すなわち言葉による福音告知の事実を指しています。イエスは「貧しい者」に福音を告げ知らされました。これも終わりの日に、神の霊を注がれて遣わされる方によってなされる働きとして預言されていたことでした(イザヤ六一・一)。そして、この「貧しい者」への福音告知こそ、前章の「平地の説教」講解で詳しく見たように、イエスの働きの根幹なのです。

 そこで見たように、「貧しい者」への福音とは、律法の規定を満たすことができず、自分の側には神の民として受け入れられる資格が何もない者に対して、神が無条件に赦しとか御霊という善いものを与えて、救いの働きをなし、神の子として受け入れてくださるという、神の無条件絶対の恩恵を告知する働きでした。終わりの日に到来すると預言されていた、神の恩恵が支配する時が、今や到来しているという告知でした。ところが、イエスがこのような恩恵の時を告知されたとき、神の民イスラエルはその告知につまずいたのです。

 イエスが告知される恩恵の支配の福音を聴き、イエスがなされるいやしの働きを身に受けた「貧しい人たち」は、イエスを通して働かれる神の大きな恵みを賛美しました。しかし、祭司や律法学者などイスラエルの当時の指導者たちは、律法をどれだけ順守しているかを問題にしないで、無条件に神の民とするようなイエスの教えをとうてい認めることはできませんでした。そのようなことを認めれば、律法を順守することは意味がなくなるではないか、と反発しました。彼らはイエスを、民衆に律法違反をそそのかす異端の教師として厳しく監視することになります。これも先に見たように、イエスがガリラヤで神の国の福音を宣べ伝える働きを始められた当初から、エルサレムから来た律法学者たちがイエスの言動を厳しく監視していました。そして、イエスが神の御霊の力で悪霊を追い出し、病気をいやされる働きをも、悪霊の頭であるベルゼブルの働きとして批判しました(マルコ三・二二)。彼らにとって、律法違反をそそのかすような教師が行う奇蹟は、神からのものではありえないからです。

 イエスはヨハネの弟子たちに答えて、ご自身がされている力ある業と貧しい者への福音告知の働きを指し示された後、最後に「わたしにつまずかない人は幸いである」と言っておられます。現代人は奇蹟につまずきますが、古代の人たちは奇蹟を願望し、奇蹟を素直に認め、現代人のようにつまずくことはありません。イスラエルがイエスにつまずいたのは、その奇蹟のためではなく、律法を無視するかのように見える、イエスの恩恵の支配の告知です。当時のユダヤ教指導層のイエスへの反感と批判はますます強くなり、ついにイエスを取り除く(=殺す)陰謀にまで発展します。
 ヨハネの使者に対するイエスのお答えは、獄中の洗礼者ヨハネに対する答えにとどまるものではなく、復活後の共同体が洗礼者ヨハネの弟子団に対して、イエスこそ終わりの時に神から遣わされた救済者であることを宣言する言葉であり、さらに現代においても福音が世界に告知する言葉です。すでに地上で神だけがなしうる奇蹟により、神から来られた者であることを示されましたが、当時の宗教指導者に憎まれ、ローマの権力に引き渡されて十字架刑に処せられた一人のユダヤ人が、復活して世界の救済者となっておられるという告知につまずかない者は幸いです。このイエスにつまずくことなく、イエスを主として受け入れ、言い表す者は、聖霊を与えられて、神の救いの働きを受けるからです。

洗礼者ヨハネについてのイエスの証言

 ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められます。

 「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ」(七・二四〜二七)。

 イエスは自分のもとにとどまっている群衆に向かって語りかけられます。その群衆は、先には荒野で叫ぶ洗礼者ヨハネのもとに集まった群衆でした。イエスは彼らに言われます。「あなたたちは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦(そのようにこの世の風潮にこびる思想家)か。まさか、そのようなものではあるまい。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。そうではあるまい。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす権力者なら宮殿にいる。荒野はそのような権力者を見る場所ではない。

 では、何を見に荒野に出て行ったのか。預言者か。そうだ。たしかにヨハネは預言者である。ヨハネは荒野に叫ぶ声であり、あなたたちは権力に屈しないで神の言葉を語る預言者の声を聴くために荒野に行ったのではないか。そうだ、その通りである。しかし、わたしはあなたたちに言っておく。ヨハネは預言者以上の者である」。

 こう言って、イエスは聖書を引用されます。「『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ」。これはマラキ書三章一節の預言です。この引用により、イエスは洗礼者ヨハネこそ預言されていた「使者」であるとし、彼の活動によって道が備えられ、今は神の訪れを迎えるべき時になっていると宣言しておられるのです。

 イスラエルの預言者たちは、時代に向かって神の言葉を語りつつ、時代を超えて終わりの日に神が成し遂げられる救済を預言しました。そして今、その終わりの日の救済が到来する直前に、その出来事の準備をする預言者として現れたのが洗礼者ヨハネです。ですから、ヨハネは預言者でありながら、終末的救済の一翼を担う者として、預言者以上の者であるということになります。イエスは「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」と言って、洗礼者ヨハネの救済史上の偉大さを承認されます。しかし同時に、イエスによってもたらされる「神の国」の現実がいかに優れたものであるかを語り出されます。イエスは言われます、

「しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」。(七・二八)

 イエスは、ヨハネによって告知されている終末の待望に生きる領域と、ご自身によって告知されている恩恵の現実に生きる領域が、質的に違う段階であることを見ておられ、それをこのような印象的な言葉で語り出されます。ヨハネは預言と待望の領域ではもっとも偉大な人物です。しかし、終末的な恩恵の現実に生きる者は、どのように小さい者でも、ヨハネが味わっていない偉大な現実を味わっているのですから、また、ヨハネが見ていない偉大な栄光を見ているのですから、ヨハネより偉大です。居る階が違うのですから、下の階にいる最大の人よりも、上の階にいる最小の人の方が高いところにいることになります。

 このことをイエスは他のところで、次のように表現しておられます。イエスは、イエスの名によって働く大きな神の力を体験して帰ってきた弟子たちに、こう言われます。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである」。(一〇・二三〜二四)

     マタイは並行する箇所で、「しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」という言葉の後に、「彼(ヨハネ)が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである」(マタイ一一・一二〜一四)という語録を置いています。これに相当する語録は、ルカでは違う文脈で一六・一六に置かれています。この語録の解釈については、ルカの当該箇所で取り上げます。ルカは、この語録の代わりに、洗礼者ヨハネに対する民衆とファリサイ派や律法学者の態度の違いを置いています。

 「民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもそのバプテスマを受け、神の正しさを認めた。しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ」。(七・二九〜三〇)

 この部分は、民衆に語りかけるイエスの言葉としては、あまりにも客観的な歴史事実の記述であって、イエスの語録ではなく、むしろルカが挿入したコメントと見なければなりません。この二節を括弧に入れている翻訳(たとえばNRSV)や注解書もあります。ヨハネに関するイエスの言葉を伝えてきたルカは、ここでその言葉を中断して、ヨハネに対するイスラエルの態度を取り上げ、ヨハネの働きがイスラエルに引き起こした分裂を記述します。

 神に選ばれた民であるイスラエルも、民衆はヨハネからバプテスマを受けて、ヨハネを通して語られた神の終末審判の告知を真剣に受け止め、悔い改めました。そのことによって彼らは、「神を正しいとした」のです。彼らはバプテスマを受けることで、自分たちが間違っていたことを認め、悔い改め改めを求められる神を正しいとしたのです。
 ところが、神の民イスラエルを導くべき立場の律法の専門家やファリサイ派の人たちは、律法を順守している自分たちは正しいと自任して、ヨハネが告知する悔い改めによる罪の赦しを必要とせず、バプテスマを受けませんでした。そうすることによって、彼らはヨハネを通して告げ知らされた神の御計画、すなわち悔い改めと罪の赦しによって実現するはずの神の終末的救済の御計画を自ら空しくした(無効にした)のです。

今の時代の人たち

 最後にルカは、洗礼者ヨハネとイエスを共に拒否した当時のイスラエルの民の態度についてイエスが語られた語録を置いて、この段落を締めくくります。イエスは、民に「神の支配」という終末的事態の到来を告知した洗礼者ヨハネとイエスを共に拒否したイスラエルを、とくにヨハネのバプテスマを拒否し、イエスの恩恵の告知に反対したファリサイ派の人たちや律法学者のような指導層の人々を、「今の時代の人たち」と呼んで、その姿勢を比喩を用いて告発されます。

 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子どもたちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった』」。(七・三一〜三二)

 広場で行われた当時の子供の遊びがどのようなものであったのかは正確には分かりません。それで、この比喩がどのような遊びをさすのか、その理解も様々に分かれますが、この比喩はすぐ後にその適用が明言されていますので、それに従って理解することができます。これはおそらく、二組に分かれて座った子供たちが、互いに相手の組の子供にジェスチャーで何か動作をすることを求める遊びだと考えられます。笛を吹くジェスチャーで相手の組に踊ることを求め、婚礼の真似をして遊ぼうとしたのに、相手はそれに応えてくれなかった。また、他の組が葬式の歌をうたったのに、相手は泣かないので、葬式の場面を作れなかった、と言って互いに非難している様子が語られています。

 「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」。(七・三三〜三四)

 たとえの部分と順序は逆になりますが、たとえで「葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった」は、洗礼者ヨハネがパンも食べずぶどう酒も飲まず、厳しい荒野の預言者の姿で、神の審判の迫りを告げ、悔い改めを求めたのに、イスラエルは灰に伏して悔い改めなかったことを指しています。この時代の人たちはヨハネを「あれは悪霊に取りつかれている」と言って、彼の呼びかけを無視しました。「悪霊に取りつかれている」という表現は、当時のユダヤ人が自分たちの常識とはかけ離れた主張や生活をする者を拒否するときに投げつけたレッテルです。

 次にイエスが現れて、神の恵みの時を告知し、婚礼の喜びの時が来ているとして、飲食を共にして喜びをすべての人と分かち合い(イエスは実際、カナの婚礼では水をぶどう酒に変えて婚礼の宴を祝福されました)、徴税人や遊女というようなユダヤ教社会から除外されているような人たちとも食卓を共にされたたとき、「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言って、イエスを批判し、イエスが告知される「神の国」、すなわち恩恵の支配を拒否したのです。

 このような「今の時代の人たち」の拒否に対して、イエスはご自身とヨハネの働きの正当性を、次の一言葉で示唆して、イスラエルの民への呼びかけを締めくくられます。

 「しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」。(七・三五)

 当時のユダヤ教では、「知恵」は擬人化されて語られていました。知恵が預言者や使者を世に遣わして働きをするとも言われています(一一・四九参照)。ここの「知恵」は、先に(三〇節で)ファリサイ派の人たちや律法の専門家が拒否した「神の御計画」に近い意味で用いられていると理解してよいでしょう。彼らはヨハネとイエスを拒否しましたが、ヨハネとイエスが神の御計画に基づいて世に遣わされた者であることは、「そのすべての子ら」(直訳)によって証明されるとされます。すなわち、ヨハネとイエスが、知恵によって、あるいは神の御計画によって遣わされた者であることは、二人をそのような者として受け入れて従う多くの人たちの存在によって、また、その人たちが受ける神からの祝福によって証明されることになると、イエスは言われます。イエスはここではご自身とヨハネを一体として、終わりの日に神から遣わされた者として受け入れるように、イスラエルに迫っておられます。


 

39 罪深い女を赦す(七・三六〜五〇)

 

ファリサイ派の人に食事に招かれる

 先に(二九〜三〇節)洗礼者ヨハネに対するファリサイ派や律法学者たちなどユダヤ教指導層の人たちと徴税人をも含む民衆の態度の違いを描いたルカは、洗礼者ヨハネとイエスを一組として提示するこの区分(七章)の最後に、イエスを食事に招いたファリサイ派の人物(おそらく律法学者)と、イエスの足に香油を注いだ「罪深い女」(おそらく遊女)のエピソードを置いて、イエスに対するユダヤ教指導者と民衆の態度の対照を描きます。

 「さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた」。(七・三六)

 福音書の中でルカだけが、イエスがファリサイ派の人の家に招かれて食事をされた事実を伝えています(ここと一一・三七、一四・一の三カ所)。イエスはファリサイ派の議員とも食事をしておられます(一四・一)。イエスを信じるユダヤ人共同体がファリサイ派ユダヤ教と厳しく対立する七〇年以後の時期に成立した福音書は、イエスがファリサイ派の者と食事を共にされたという伝承を用いる気にはなれなかったのでしょう。その中でルカは、歴史家として資料に忠実であるという姿勢からか、その事実を伝える伝承をそのまま用いています。

 イエスはきわめて優れた、天才的な律法学者でした。十二歳の少年イエスのエピソードは、そのことを物語っています。イエスは、弟子の一団を引き連れて各地で民衆に教えを説く教師として有名になっていました。ユダヤ人に教えを説くには、当然律法に基づいて教えるのですから、その律法理解は明確でなければなりません。イエスの律法理解は、特異ですが鋭いものがあり、人々を驚かせていました。専門の律法学者たちも、イエスと律法の議論をすることを望む者がいました。福音書にはしばしば、律法学者が律法解釈の問題でイエスに問いかけている光景が出てきます。ここの「あるファリサイ派の人」も、このような律法学者の一人であったと見られます。この律法学者も、イエスを律法学者と認めて、「先生」と呼んでいます(四〇節)。それ以上に、神から遣わされた預言者ではないかと感じていたのかもしれません(三九節)。しかし、食事に招いたのは、イエスの教えを認めたからではなく、そのような優れた教師と律法について議論するためであったと考えられます。事実、ここも含め三回の食事の場面は、いつもイエスと律法学者の立場の違いを鮮明にする結果になっています。

 イエスがそのファリサイ派律法学者と論じ合っておられるとき、一人の女性が部屋に入ってきます。安息日の集まりの後に知人たちが食事を共にする習慣があったようです(四・三八、一四・一)。とくに会堂で立派な説教をした巡回の教師を、安息日の食事に招くことは賞賛すべき行いとされていました。その食事はかなりオープンなもので、この時の食事もそのような性格の食事であって、外から入ってくることができたのでしょう。

罪深い女

 「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壷を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。(七・三七〜三八)

 この時の食事は、当時のユダヤ人も受け入れていたギリシア風の食卓であったのでしょう。頭を卓に向け足を外に伸ばしてゆったりと横たわる姿勢で食事をします。それで、外から入ってきた者には、客の足がもっとも近づきやすいことになります。部屋に入ってきた女性は、「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め」ます。男性の前でかぶり物を脱ぎ、まとめている髪を解くことは、当時のユダヤ人女性には恥ずべきことでしたが、彼女はすべての慎みを忘れて髪を解き、「自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻」します。そして、持ってきた石膏の壺から香油を注いで、イエスの足に香油を塗り続けます。この行動から、この女性のイエスに対する敬愛と感謝の思いがいかに深いものであったかがうかがわれます。当時、足への接吻は救命者への心底からの感謝の表明とされていました。

 この女性は、その町では皆が知っている娼婦であったと見られます。当時、女性について公に「罪深い」というレッテルが貼られるのは、遊女・娼婦を職業としている者の場合です。

 この女性は、この時までにイエスに出会っていたはずです。イエスが徴税人や遊女たち、当時罪人と呼ばれてイスラエルの民の交わりからはじき出されていた人々と食事を共にして、神が無条件の恩恵によって彼らをそのまま子として受け入れてくださっていることを示されたとき、その場に居合わせて、イエスの言葉に感激し、涙にむせんだ人たちの一人であったのかもしれません。食事の前の会堂でなされたイエスの説教でそのような体験をしたばかりであったのかもしれません。あるいは、「七つの悪霊を追い出して病気をいやしていただいた」マグダラのマリア(八・二)のように、イエスの祈りによって霊の苦悩と身体の病から解放していただいた女性であったのかもしれません。

 そのイエスが今この家で食事をしておられることを知って、自分が周囲の人たちやファリサイ派の律法学者からどのように見られているのかを顧みることなく、大切にしている香油の壺をもって食事の部屋に入ってきて、イエスの足もとに伏し、このような大胆な行動に出ます。それは彼女にとって、そうしないではおれない行動だったのです。

 ところが、イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と心に思います。イエスは彼の思いを見抜いて、彼に言われます。「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言います。(七・三九〜四〇)

 ここでイエスを食事に招いたファリサイ派の人物がシモンという名であることが分かります。「シモン」は、シメオンというヘブライ語名のギリシア語風の呼び方です。この名はユダヤ人男性にはよくある名前であり、イエスの弟子のペトロも、その本名はシメオンです。

 ファリサイ派は、もともと神殿の外の日常生活の場で律法が求める清浄を実現しようとしたユダヤ教内の宗教運動であり、汚れとの接触を避けるために細心の注意を払いました。彼らが異邦人との接触を避けたのも、異邦人は律法で禁じられている汚れたものを食べ、汚れた生活をする汚れた存在だからです。ユダヤ教内でも、徴税人や遊女のような汚れた者たちと食事をすることは避けなければなりませんでした。まして遊女と身体が触れることなど、とんでもないことです。ファリサイ派のシモンは、イエスが遊女が自分に触れるのをそのままにしておられるを見て驚き、不審に思います。

 イエスが神から遣わされて神の言葉を伝える預言者であるならば、自分に触れている女が罪深い者であることが分かるはずだし、そのような汚れた者が聖なる預言者に触れることは許せないはずだ、とファリサイ派のシモンは考えます。イエスは、日頃ファリサイ派の者たちが罪人たちと食事を共にしたりして接触している自分を批判していることはよくご存知です。そして、今シモンにありありとその疑念や批判の思いが起こっていることを見抜かれます。そこでイエスは、彼に名指しで呼びかけ、その疑念にたとえを用いてお答えになります。

多くの罪を赦された者

 イエスはシモンにお話しになります。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」。シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えます。それを聞いてイエスは、「そのとおりだ」と言われます。(七・四一〜四三)

 当時の一デナリオンは一日の労働に対する報酬に相当する金額でしたから、現在の貨幣感覚からすると、五百デナリオンは五百万円ぐらい、五十デナリオンは五十万円くらいでしょうか。金額はともかく、このたとえが言おうとしていることは明らかです。シモンもこのたとえの意味を正しく理解して、イエスの問いに答えています。

 シモンの答えを聞いて、イエスは女の方を振り向いて、シモンに言われます。
 「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた」。(七・四四〜四六)

 ここで、この女性がとった行動と、イエスに対するシモンの振る舞いが正確に対照されます。イエスに対して、ファリサイ派律法学者のシモンと「罪深い」女性がとった行動を対照して、それが意味するところを、イエスは次のように結論されます。

 「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」。(七・四七)

 イエスは言われます。「彼女の多くの罪は赦されている。彼女は多く愛したのだから。少しだけ赦された者は、少しだけ愛する」(四七節直訳)。「彼女は多く愛したのだから」の「だから」は、理由とか原因ではなく、結果とか、そう判断する理由です。彼女は多く赦された結果、多く愛した(感謝した)、あるいは、多く赦されていることは、多く愛している(感謝している)ことで分かる(新共同訳)、という意味に理解しなければなりません。このように理解すべきことは、後半の「少しだけ赦された者は、少しだけ愛する(感謝する)」という命題の並行表現として、前半では「多く赦された者は、多く愛する(感謝する)」という命題が前提されていて、それが彼女の実際の行動で語られているからです。彼女は多く赦されているから、多く愛した(感謝した)のです。

 ここで罪について「多く」とか「少し」という表現が用いられています。ここの「罪」は複数形ですから、多くの罪と少しの罪という形で、罪の多少が問題にされているように見えます。しかし、罪の多少ではなく、自分の罪に対する姿勢、いや罪ある自分についての姿勢そのものが問題なのです。ここの「罪深い」女性は、イエスによって、罪の多い自分、罪そのものである自分が、そのまま神に受け入れられている、すなわち罪が赦されていることを知りました。それで、イエスが告知される神の無条件の恩恵に自分の全存在を投げ出して感謝しているのです。

 それに対して、ファリサイ派律法学者のシモンは、自分は律法を守り行うことに日々精進しているので、神は自分をご自身の民として受け入れてくださっている、という自信があります。その上で、自分にも少しの過ちはあるかもしれないが、それは罪の贖いの祭儀によって赦されているので、その赦しの恵みには感謝している、という程度の感謝です。自分が神の無条件の恩恵によって受け入れられていることを感謝することはありません。そのような無条件の恩恵を認めるならば、律法を守り行うことを努めるている自分が、律法を守らない徴税人や遊女と同じ立場になり、律法を守る精進は無意味になるではないか、という思いです。

 この罪深い女とファリサイ派律法学者とのイエスに対する態度の違いは、イエスが告知される無条件絶対の恩恵に対する姿勢の違いを示しています。その恩恵がなければ生きていけない者と、その恩恵を必要としない者の違いです。罪過の量の違いではありません。

罪の赦しの福音

 このようにシモンに語られた上で、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われます。(七・四八)

 ここの「赦された」は現在完了形です。すでに赦され、現に赦されている状態です。「赦されている」と訳すべき形です。罪は、神と人を隔てる壁であり、力です。罪が赦されているということは、この神と自分を隔てる壁が取り除かれており、神が自分を受け入れてくださっていることを意味します。神はこの女性の罪を赦し、御自分の子として受け入れておられるのです。神は、この娼婦の女性をそのまま御自分の子と宣言しておられるのです。このような宣言は、周囲のユダヤ教徒にはショックです。

 この食事の席に同席していた人たちは、イエスの言葉を聞いて、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めます。(七・四九)

 罪とは神に対する背反ですから、それを赦すことができるのは神だけです。人間には罪を赦す権限はありません。律法学者たちやファリサイ派の人々が、「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」(五・二一)と考えるのは当然です。イエスはすでに、この批判に対して実際に足の麻痺した人を立たせて、神が与えられる罪の赦しを地上で告知する資格がある者であることを示しておられます(五・二二〜二六)。ここでは、周囲の者たちの思いは放置して、この女性にこう言われます。

 「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。(七・五〇)

 「信仰によって救われる」、この宣言は最初期の福音の旗印です。パウロは「信仰によって義とされる」と言いましたが、パウロ以後の異邦世界での福音告知においては、「義とされる」というユダヤ教独自の表現はあまり用いられず、「信仰によって救われる」という形になります。すでにコロサイ書やエフェソにこの傾向が見られます。ルカの時代の福音活動は、この「信仰によって救われる」という旗印をかかげて、異邦世界にキリストの福音を宣べ伝えていました。

 ルカは、この宣言がイエスご自身から始まっているとして、イエスがこの女性に語られた言葉として、「あなたの信仰があなたを救った」という形で伝えます。この宣言はルカ福音書に繰り返し現れます(八・四八、一七・一九、一八・四二)。福音書ではしばしば、イエスが語られた言葉と、共同体が告知する福音の言葉が、分かちがたく重なっていますが、ここもその一例と考えられます。

 イエスはこの女性に、「あなたはわたしを信じたことによって、救われているのだ」と宣言しておられます。それは、「あなたはわたしを信じ、わたしが告知する父の恩恵をひれ伏して受け入れたので、今や父に受け入れられて、そのままで神の子とされて救われている」という宣言です。そして、そう宣言した後すぐに続けて、「安心して行きなさい」と言っておられます。これは当時のユダヤ教徒が用いた、「平安の内に暮らしてください」という別れの挨拶です。しかし、ここでは特別の意味を帯びています。

 ここの「行く」は「暮らしていく」の意味です。イエスはこの社会からつまはじきにされている女性に、「これからは心配することなく、安心して暮らしていきなさい」という励ましの言葉を与えておられます。生活を変えなさいとか、今までの行いを改めなければ赦しは取り消されるとか、そのような条件は何も付けておられません。今の信仰のまま暮らしていけばよいのです。その信仰とは神の無条件の恩恵を全身で受けて生きることですから、イエスは「あなたが受けた恩恵の中に、安心して生きていきなさい」と言っておられるのです。

 では、この女性のその後の暮らしは以前と同じ「罪深い」生活のままだったのでしょうか。神の恩恵は「罪深い」生活をそのまま認めることを意味したのでしょうか。それとも劇的な変化を見せたのでしょうか。福音書は何も語っていません。この女性のその後は、恩恵の場に生きるという生き方の性質から推察するほかありません。

 罪の赦しという形で示される神の恩恵は、神への離反である罪を容認するものではありません。それを受ける人を離反の中に放置するものではありません。逆です。離反を無条件で赦すことにより、離反していた人間が神との交わりを与えられ、神の命を受けて、もはや罪に支配されない新しい命を生き始めることを可能にします。その命が実際の生活の変化として現れるのは、状況によって、劇的な場合もあるでしょうし、漸進的かもしれません。しかし、何らかの形で、もはや神からの離反という罪の中に止まることはできず、神に仕える(神に生きる)生き方が始まります。

 このような恩恵の場に生きる生き方の原理から推察すると、時期や状況は確認できませんが、いずれはこの女性も今までの生活から脱けだして、イエスの弟子として新しい生き方を始めたはずです。あるいは、すぐ後(八・一〜三)に報告されているように、マグダラのマリアと共にイエスに従い、自分の持ち物を出し合って(イエスと弟子の)一行に奉仕した「そのほか多くの婦人たち」の一人であったかもしれません。ルカは女性に強い関心を向けていますが、そのことは次の段落(八・一〜三)で扱うことにします。

 ルカは「罪の赦し」を福音の内容として強調します。ルカの福音は「罪の赦しの福音」です。そのことは、他の福音書が復活されたイエスの命令として全世界に福音を宣べ伝えることを置いているところで、ルカは「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」としていることからも分かります(二四・四七)。この女性の記事は、ルカの福音の特質である罪の赦しを物語る典型的な事例となり、まことにルカ的な記事と言えます。

 

イエスに香油を注いだ女性の伝承

 ところで、一人の女性がイエスに高価な香油を注いだという記事は四つの福音書すべてにありますが、それぞれかなり違った形で伝えられています。四福音書の記事を比較すると、この記事には主要な三つの型が認められます。第一はルカの型、第二はマルコとマタイの型、第三はヨハネの型です。マタイはマルコの記事をそのまま踏襲していますから、一つの型として扱うことができます。

 決定的な違いは、第二と第三の型、すなわちルカ以外の三福音書(マルコ・マタイ・ヨハネ)のすべてが、イエスへの塗油の出来事を受難直前のベタニアでの出来事としているのに対して、ルカの記事は受難とは関係なく、ガリラヤでの出来事とされていることです。このような状況の違いから、女性が香油を注いだ意義も違ったものになっています。第二と第三の型(マルコ・マタイ・ヨハネ)では、イエスへの塗油は「埋葬の準備」の行為とされています。罪の赦しとは関係ありません。それに対して、ルカの記事は、イエスの受難とは関係なく、したがてって「埋葬の準備」という意味はなく、罪の赦しを宣言する記事となっています。

 さらに、同じく受難直前に置いて、この塗油の行為を「埋葬の準備」と意義づけている第二の型(マルコ一四・三〜九とマタイ二六・六〜一三)と第三の型(ヨハネ一二・一〜八)の間にも、大きな違いがあります。出来事の舞台は同じく受難直前のベタニアですが、マルコ・マタイでは「らい病の人シモン」の家での出来事ですが、ヨハネではラザロ・マルタ・マリア兄弟姉妹の家です。時期も、マルコ・マタイでは過越祭の前日ですが、ヨハネでは過越祭の六日前で、エルサレムにお入りになる前日です。香油を注いだ女性の名は、マルコ・マタイでは無名ですが、ヨハネではマリアと名指されています。マルコ・マタイでは香油は頭に注がれますが、ヨハネでは(ルカと同じく)足に塗られます。女性の行為に苦情を申し立てた者も、マルコ・マタイではある弟子たちですが、ヨハネではイスカリオテのユダと特定されています。

 このような違った三つの型の記事が生まれるに至る伝承の過程を確認することはきわめて困難ですが、同一の伝承からこのように場面も意義も決定的に違う記事を生み出すことは想像することが困難ですので、少なくともガリラヤでの出来事と受難前の出来事を伝える二つの伝承があったと推察することが順当かもしれません。ルカはマルコ福音書を知っているのですから、二つの伝承を知っていたのでしょうが、同じような出来事を二重に伝えることを避けて一つにするルカの傾向(たとえば多くの人への供食の記事)から、罪の赦しを宣言するガリラヤでの出来事を採用して、受難直前の伝承を省略したと推察することもできます。

 なお、ルカの記事ではこの女性の名前は伝えられていませんが、敬虔なユダヤ教徒であれば触れることができないはずの「罪深い女(汚れた女)」であるという記事から、売春婦のような職業の女性だとされてきました。そして、マグダラのマリアが「七つの悪霊を追い出していただいた女性」であるという伝承(マルコ一六・九、ルカ八・二)から、ルカの女性はマグダラのマリアであると推定され、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承が形成されるきっかけになりました。実は、マグダラのマリアが売春婦であったという伝承は、マグダラのマリアをペトロ以上の権威とするグノーシス主義に対抗するために、正統派の教会が意図的に形成した伝承で、かなり後の時代のものです。ルカの記事からこの女性を特定することはできません。

むすび

 この講解では、ルカ福音書の七章を「神の訪れの時」という視点からまとめました。福音書は、イエスの出現が洗礼者ヨハネと一体となって、神が終わりの日にイスラエルの中に成し遂げると約束しておられた、神ご自身が民を訪れる出来事であると告知しています。ルカ福音書の七章は、この告知を洗礼者ヨハネとイエスの関係を語る段落(七・一八〜三五)を中心に、その前後に神の訪れを指し示すイエスの働きを置くという形で構成しています。

 イエスの出現が神の訪れの時であるという告知は、この七章だけでなく、誕生から復活に至るイエスの出来事全体が指し示していることです。それで、福音書のどの部分を切り取っても、それは神の訪れの時を指し示していると言えますが、この七章も典型的な場合の一つです。この時代のイスラエルの民は、この神の訪れの時を理解せず、イエスを退けたために、神の裁きを身に招くことになりました。世界は、このイエスにおける神の訪れの時に、真剣に向かい合わなければなりません。わたしたちキリストの民は、それぞれの時代に、ルカがしたように、イエスが神の訪れであること、神の恵みの年の到来であることを告げ知らせることが使命です。



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