ルカ福音書講解 6


    第六章 ガリラヤ巡回伝道の進展

                           ― ルカ福音書 八章 ―



はじめに

 八章の初め(一節)に、ガリラヤでのイエスの働きを要約する記事が置かれています。「その後もイエスは神の国を告げ知らせ、福音しながら、町や村を巡って旅を続けられた」(私訳)という記述は、「天に上げられる時期が近づくとエルサレムに向かう決意を固め」(九・五一)、ガリラヤを去られる時までの、ガリラヤでのイエスの働きを総括しています。この区分(八・一〜九・五〇)において、ルカはガリラヤ巡回伝道の時期に起こった様々の出来事を配置して、弟子たちの告白とイエスの変容というガリラヤ伝道のクライマックスに物語を進めていきます。

 この区分は、一つの章で一気に扱うには分量が多すぎ、誌面の関係もあって、便宜上二回に分けて扱います。福音書八章はイエスの働きが前面に出ているのに対して、九章は「十二人」の派遣から始まり、弟子たちの働きと告白が扱われるようになりますので、今回は八章を、次回に九章を取り上げることにして、二つの章に分けて講解することにします。

 

40 婦人たち、奉仕する(八・一〜三)

イエスと十二人の巡回伝道

 「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった」。(八・一)

 ルカは、イエスがガリラヤでの伝道活動を開始されたときに、イエスはその地の諸会堂を巡って教え、またいやしの働きをして「神の国」を告げ知らされたという総括的な記事を置いていました(四・一四〜一五、四三〜四四)。ガリラヤでの働きの記述が一段落したところで、ルカはもう一度、イエスのガリラヤでの働きを総括する記事を置いて、その巡回伝道の中での出来事を配置して、物語を進めていきます。

 「すぐその後」という表現は、ルカだけが用いる用語で語られていて、「順序通りに」という意味ですが(一・三参照)、ここでは特定の出来事の直後の出来事を指すのではなく、イエスの働きの継続を指して、「その後も」とか「引き続き」と訳してよいでしょう。

 ルカはイエスの働きを「神の国を告げ知らせ、福音する」(直訳)と、「神の国」を目的語とする二つの動詞で表現します。「告げ知らせる」は、王の告知などを大声で知らせるという一般的な動詞ですが、「福音する」というのは、四福音書の中ではルカだけが用いる独特の表現です。これは「福音」(=よい報せ)という名詞の動詞形ですが、「福音」という用語を宣教活動の中心に据えたパウロ系の宣教活動の圏内で著作したルカの特色をよく示しています。

 イエスがガリラヤで進められた「神の国」を福音する活動は、「町や村を巡って旅を続け」る巡回伝道でした。拠点のカファルナウムにじっとしていて、人々が聴きに来るのを待つというのではなく、人々が生活しているところに出向いていって「神の国」を告げ知らせる活動でした。これは、「神の国」という事態は、人々を教えたり訓練して悟らせるという性質もものではなく、神の働きとしての最終的な支配の到来を指しているので、それは広く告知されるべき性格のものだからです。しかも、その神の支配は恩恵の支配として、苦しむ貧しい者には喜びの報せ(福音)であり、パウロの福音活動の圏内で活動するルカは、「神の国を福音する」と言わないではおれなかったのです。

 イエスが町や村を巡って旅を続けられたとき、「十二人も一緒」に旅をしました。そもそもイエスが「十二人」を選ばれたのは、「自分のそばに置く」ためでした(マルコ三・一四)。そばに置いて、自分がすることを見させ、働きを共にさせるためでした。このことは、ルカは「十二人」の選びの記事(六・一二〜一六)で触れていませんでしたが、ここで事実を報告するという形で、「十二人」が選ばれた目的を示唆しています。「十二人」の弟子は、イエスと一緒に「神の国」を告げ知らせる旅をすることで、イエスの働きを身をもって体験して学び、後に同じように「神の国」を告げ知らせる働きに派遣されることになります(九・一〜六)。

 

女性たちの奉仕

 ガリラヤでのイエスの巡回伝道活動を総括的に描くところで、もう一つルカ独自の記述が続きます。

 「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」。(八・二〜三)

 イエスがガリラヤの町や村を巡って旅を続けらたとき、十二人の男性の弟子だけでなく、数人の女性も一緒であったことを、ルカは報告しています。これは、ルカだけにある記事で、他の福音書にはありません。当時の男性中心の社会では女性は弱い立場であり、苦しく悲しい思いを強いられる女性が多かった時代です。ルカは、そのような女性に暖かい眼差しを注ぐ著作家です。ここでもそのルカの特色がよく出ています。

 イエスの巡回伝道の活動に女性が含まれていたことは、当時の宗教的運動では特異なことではなかったかと考えられます。後にパウロは、キリストにあっては男も女もないと、救済の体験においては男女の差別を乗り越えた主張をしていますが(ガラテヤ三・二八)、イエスはすでにそれを実践しておられたことになります。その働き方には自ずから男女の差はあったでしょうが、イエスの弟子として、イエスに従い、働きを共にするという点では、男と女の差別はありません。

 イエスに従って旅を共にした女性として、三人の女性の名があげられています。最初に「マグダラの女と呼ばれるマリア」があげられています。このマリアは、イエスに従った女性集団が語られるときには、いつも筆頭者としてその名があげられています。それはこの女性の重要性を示していますが、その重要性は復活されたイエスが最初にこのマリアに現れたという事実によるものと見られます(マルコ一六・九、ヨハネ二〇・一一〜一八)。実際、後にキリストの民の一部(グノーシス派)で、このマリアはペトロに勝るキリストの第一の使徒とされるようになります。

 このマリアは、その出身地から「マグダラの女」《マグダレーネー》と呼ばれていました。「マグダラの女」といえばあの女性かと分かる有名人であったのです。後の時代の正統派の教会で、彼女はマグダラの娼婦であったという伝承が形成されますが、先に見たように(前号35頁)、これには根拠はありません。

 このマリアには「七つの悪霊を追い出していただいた」という説明がついています(マルコ一六・九も)。彼女がイエスに出会うまでは、悪霊に取りつかれて、様々な症状が重なるひどい状態だったのでしょう。それが、イエスの内に働く神の霊の力によっていやされ、正常な心に復帰したとき、イエスに対する献身的な愛となり、自分の資産を投げうって、イエスに仕えるようになったと考えられます。

 次に「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」の名があげられています。イエスが活動されたガリラヤ地方の領主は、あのヘロデ大王の孫のヘロデでした。そのヘロデの宮廷で「家令」(おそらく王室財産の管理人)をしていたクザの妻であるヨハナが、イエスの弟子として巡回伝道の旅に加わっていたのです。このような宮廷内の高官のところにまで、イエスの名声は届いており、イエスを信じる女性があったのです。ヨハナがイエスに従って旅をしたという事実は、彼女が夫と家を捨てて旅に出たのか、夫はすでになくなっていたのか確認はできませんが、いずれにせよこのように上流階級の女性にもイエスに従う者がいたということが分かります。

 三番目の「スサンナ」は、ここに名があげられているだけで、どのような女性であったのか分かりません。ここにあげられている女性たちは、「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち」に含まれているのすから、ヨハナもスサンナも、そのようなイエスにいやされた女性たちです。さらにルカの記述では、「そのほか多くの婦人たち」も、「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち」に含まれることになり、イエスと一緒に旅をしたことになります。そのような女性は何人ぐらいであったのか、十二人の男性弟子よりも多かったのか少なかったのか、分かりません。とにかく、このような女性たちを含むイエスの一行がガリラヤの町や村を巡って旅を続けたのです。この女性たちは、イエスが最後にエルサレムに上られるときも、イエスと一緒にエルサレムに上って行き、イエスの十字架と復活の証人として重要な働きをすることになります(二三・四九、五五)。

 この女性たちは、「自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」と報告されています。イエスをリーダーとして、二十名前後の男女が家業から離れて旅を続けるためには、それなりの手間と費用がかかります。その食事とか宿の世話は、行き先の滞在地でイエスを歓迎した住民が提供した場合もあるでしょうが、基本的には同行した女性たちが担当することになります。女性たちは自分が所有する高価な宝飾類を売ったり、資産を売却するなどして、一行の旅の費用にあて、また滞在先での食事の世話などして、「一行に仕えた」のです。このような女性たちの奉仕がなければ、イエスの一行が「町や村を巡って旅を続け」、神の国を福音する活動は成り立たなかったのです。このような裏方の奉仕は、ともすれば見過ごされがちですが、ルカは女性に対する暖かい眼差しで、これを記録にとどめます。

 


41 「種を蒔く人」のたとえ(八・四〜八)

たとえで語られるイエス

 先の段落(八・一〜三)でガリラヤにおけるイエスの働きを総括的に記述した後、ルカはその時期の個々のイエスの働きを伝えます。そのさい、ルカはほとんどマルコの記述に基づいて物語を進めます。ルカは「十二人の選び」の記事の後、しばらくマルコから離れて独自の記述を進めてきましたが(六・一七〜七・五〇)、八章に入って、総括的な要約記事の後、再びマルコに従って記述を進めていきます。もっとも、そのさい独自の視点から多少の変更は加えています。たとえば、マルコでは「イエスの母、兄弟」の段落はたとえ集の前に置かれていましたが、ルカでは後に置かれています。また、マルコではイエスがたとえを語られたのはガリラヤ湖畔で小舟の上からでしたが、ルカでは湖畔の状況は触れられていません。

 この区分(八・一〜九・五〇)では、ルカは基本的にはマルコに従っていますので、その内容はほとんど前著『マルコ福音書講解』で講解しています。それで、ここでは個々の段落の使信内容については要約にとどめ、その段落を扱うルカ独自の視点と特徴に重点を置いて講解します。いちいち断りませんが、その内容については拙著『マルコ福音書講解T』を参照してくださるようにお願いします。

 「大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった」。(八・四)

 イエスがあるところにおられたとき、イエスが巡回された町々でなされた病人をいやすなどの働きを見た人たちが大勢、イエスのもとに集まってきます。マルコではそれがガリラヤ湖畔であったとされていますが、ルカは場所を特定していません。「方々の町から」という句で、巡回伝道での一場面であることを示唆するだけです。こうして集まってきた大勢の群衆に、イエスはたとえを用いてお話になります。たとえを用いて話す理由は後で取り上げられます(八・九〜一〇)。

 イエスは「神の国はこのようなものである」と言って、「神の国」のことを多くの比喩を用いて語られました。その比喩は、ガリラヤの農村生活の体験を用いたものが多いようです。それは、イエスご自身がガリラヤの農村の木工職人の家で育たれた方ですし、聴衆も農村の人たちが多かったからです。マルコはその福音書の四章に、イエスが語られた比喩を集めていますが、農業関係の比喩が多く含まれています。ルカは、その中から代表的な「種を蒔く人」のたとえを取り上げ、たとえを用いて語る理由や、そのたとえの説明などを付けて、マルコと同じく、イエスのたとえに関する包括的な提示としています(八・四〜一八)。

「種を蒔く人」のたとえ本来の使信

 では、そのたとえを聴いてみましょう。

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので、枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ」。(八・五〜八a)

 マルコ(四・三〜八)にあるたとえと較べますと、細かい点では表現に違いがありますが、基本的には同じ内容です。イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われたとされている点も、マルコと同じです。

 このたとえは、すぐ後にイエスご自身が語られたとされる説明(八・一一〜一五)がついていますので、その説明通りに理解すれば十分ではないかとも考えられます。しかし、その説明の部分は、最初期の共同体が福音を宣べ伝えたときの状況が色濃く反映した「寓喩(アレゴリー)」になっているので、このたとえの本来の使信を聴き取るためには、ひとまず寓喩化した説明のところはお預けにして、イエスがいつも語られた「比喩(パラブル)」として聴かなければなりません。

 イエスは「比喩(パラブル)」を用いて神の国のことを語られました。すなわち、神の国の一つの側面に焦点を当てて、その内容に対応する日常生活の体験を横に並べて(《パラボレー》して)、それによって見えない霊的現実である「神の国」を指し示されるのです。そのような「比喩」としてこの「種を蒔く人」のたとえを聴くと、これは当時の農法の体験で、イエスにおいて到来している「神の国」の現実を指しているたとえであることが聴き取れます。すなわち、耕す前に種を散布するという当時の農法では、悪い地に落ちて失われる種も多いのですが、畑全体としては必ず蒔いた種の何十倍かの収穫はあったのです。種を蒔く農夫は、失われる種が多い事実は知っていますが、必ずもたらされる豊かな収穫を信じて、土地の良し悪しを問題にせず広く種を散布するのです。

 これは「対照のたとえ」です。道端、石地、茨の中に落ちて失われる種も多いが、よい地に落ちた種はさらに豊かな収穫をもたらします。農夫は、失われる種に失望することなく、大地は必ず豊かな収穫をもたらすことを信じて種を蒔きます。この忍耐強い農夫はイエスご自身の比喩です。イエスは、ご自身の中に到来している「神の国」を宣べ伝えられられますが、それは周囲の不信の中に埋もれて実を結ばないように見えます。事実、イエスは当時のユダヤ教社会から拒否されて死なれます。しかし、ご自分が蒔かれた種は必ず豊かな稔りをもたらし、神の支配が実現することを信じて、イエスは種を蒔き続けられます。しかし、イエスはたんに「種を蒔く人」ではありません。それ以上の方です。そのことは他のたとえとイエスの生涯そのものが明らかにします。


42 たとえを用いて話す理由(八・九〜一〇)

奥義と謎

 「弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた」(八・九)。

 この時点での弟子たちは、イエスのたとえを理解することができません。マルコ(四・一〇)では、「イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた」となっていますが、ルカは「イエスがひとりになられたとき」を省き、弟子たちだけが尋ねたことになっています。また、マルコでは「たとえ」が複数形で、イエスのたとえ話の性格についての全般的な質問になっていますが、ルカでは「このたとえ」と単数形で、「種を蒔く人」のたとえの意味を尋ねたことになっています。ルカは、弟子の質問と次の段落(八・一一〜一五)のイエスの説明を、よりいっそう整合した形に整えています。 弟子の質問に答えて、イエスはこう言われます。

 「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである」。(八・一〇)

 イエスの言葉を敷衍すると、「わたしに従う弟子であるあなたたちには、神の国の《ミュステーリオン》(奥義、秘密)を悟ることが許されているが、わたしに従わない外の人たちには、それは許されていない。私の言葉は、彼らには《パラボレー》(比喩、謎)として残るのだ」ということになります。そして、そうならざるをえないことを、イザヤ(六・九〜一〇)の預言を引用して確証されます。

 ここの《パラボレー》は、《ミュステーリオン》に対立する意味で用いられています。すなわち、神の国の《ミュステーリオン》を理解できない状態、謎として残ることを指しています。イエスのこの語録は、本来イエスの働きと教えの結果全般に関する語録として、独立に伝承されていたと考えられます。 イエスが用いられたアラム語に遡って考察すると、イエスはここでヘブライ語の《マーシャール》に相当するアラム語《マトラー》を用いられたと考えられますが、そのアラム語《マトラー》は《マーシャール》と同じく、比喩、寓話、象徴、格言、謎など、広い意味を含む語です。「謎」の意味で用いられたその言葉が、ギリシア語の《パラボレー》で訳された結果、このギリシア語に引きずられて、たとえに関する問答の中に入れられ、イエスの自身によるとされるたとえの解説(一一〜一五節)の前置きとして用いられたと推察されます。

 ここの《ミュステーリオン》という用語が示唆しているように、たとえによる奥義の提示と、その意味を解説する部分の組み合わせは、ダニエル書のような黙示文学に見られる、象徴や幻による《ミュステーリオン》の提示と、それを解き明かす霊感を受けた賢者の解説の組み合わせを想起させます。ここでは、イエスが語られた《マーシャール》(謎)が霊の人であるイエス自身によって説明されて、弟子たちに《ミュステーリオン》が解き明かされます。しかし、外の人たちには解説は与えられず、謎のまま残ります。

 そのように謎のまま残ることは、神の定めであり預言されていることだとして、イザヤの預言が引用されます。この預言の引用によって、イエスは御自身を預言者の列に置いておられます。すなわち、イザヤが預言者として神の言葉を語るように召されましたが、イスラエルは「見ても見えず、聞いても理解できない」状態に放置されました。そのように、終わりの時に遣わされた預言者イエスも、神の言葉を語られましたが、不信仰のイスラエルにはイエスの言葉は謎のまま残り、彼らはいやされることはありませんでした。


43 「種を蒔く人」のたとえの説明(八・一一〜一五)

比喩の寓喩化

 弟子たちの質問に答えて、イエスは「種を蒔く人」のたとえを説明されます。

 「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」。(八・一一〜一五)

 パレスチナの農夫は、種を空中に散布して種を蒔きます。それで、道端や石地や茨の中に落ちる種も多く、多くの種が実を結ぶことなく失われます。しかし、よく耕されたよい地に落ちた種は、大地の力によって多くの実を結び、蒔かれた種の何十倍の収穫をもたらします。このような農夫の体験を比喩として用いて、イエスは今は不信と圧迫の中で失われたかのように見えるイエスの「神の国」告知の働きも、神の働きによってかならず栄光の中に実を結ぶことを語っておられることを、先に見ました。

 しかし、ここに語られている解説は、そのような「対照の比喩(パラブル)」ではなく、寓喩(アレゴリー)化されて、一つの教訓的・勧告的説教になっています。寓喩化というのは、イエスが語られた比喩の物語の中の一つひとつの語句を象徴とし、それによって具体的な内容を指示させて、全体として一つの(多くの場合教訓的な)象徴的物語にすることです。ここでは、道端や石地や茨の中やよい地という語句が、それぞれ御言葉を聞いた人たちの態度を指す象徴とされて、不信仰や浅薄な心、世の思い煩いや欲望に満ちた心で御言葉を聴くことなく、立派な善い心で聴き、聴いた御言葉をよく守り、忍耐して御言葉に従うように説き勧める説教になっています。

福音告知の状況との重なり

 さらに、この説明の段落に用いられている用語が、イエスが用いられた用語というより、使徒たちが福音を宣べ伝えた状況にふさわしい用語であることが注目されます。ここで主題として用いられている「御言葉」は、原語では単数形の《ホ・ロゴス》(定冠詞つきの《ロゴス》)ですが、これは最初期の福音活動で「福音」を指すのに用いられた術語(専門用語)です。ところが、イエスが語られたとされる言葉の中では、この「種を蒔く人」の説明以外では出てきません。ルカは表現を簡潔にしているのであまり出てきませんが、並行するマルコ(四・一三〜二〇)では、「御言葉を受け入れる」、「御言葉につまずく」、「御言葉のために迫害される」、「御言葉が実を結ぶ」というような、福音の告知に関する使徒時代の典型的な表現が集中的に現れています。このような事実からも、この説明は使徒時代の共同体から出たものと見ざるをえません。

 使徒たちは、福音を告げ知らせる働きの中で、イエスから聞いていた「種を蒔く人」のたとえが、見事に福音を聴く人たちの対応の仕方を象徴的に描いていることを見出したのです。そして、そのようなたとえの理解を主イエスから賜ったものとして、福音を聴く者たちへの信仰の勧めの説教としたのです。

 ここにも、福音書の本質をなすイエスの状況と福音告知の状況の重なりがあります。福音書は、地上のイエスの言葉と働きを語ることによって、復活者キリストの福音を世に告知する文書です。このような性格から、福音書はイエスがなされた働きや語られた言葉を忠実に伝えようとする試みの中に、復活者キリストの福音を告知する最初期共同体の言葉が重なって響く場合が多く見られます。ここもその重要な事例です。
 このような重なりをもっとも素朴な形で出しているのがヨハネ福音書ではないかと思います。よくヨハネ福音書はキリスト論がもっともよく発展した段階の後期の著作だと言われますが、地上のイエスの発言と共同体が告知する復活者イエスの言葉が「継ぎ目なく」重なっている語り方を聴いていると、わたしはむしろ福音告知のもっとも初期の形態を保存している福音書ではないかと感じるときがあります。



44 「ともし火」のたとえ(八・一六〜一八)

「ともし火」のたとえ

 ルカはマルコ福音書四章にまとめられている多くのたとえの中から、代表的なたとえとして「種を蒔く人」のたとえを取り上げ、たとえで語る理由とそのたとえの説明を続けるという形でマルコに従っています。こうして形成したイエスのたとえに関する区分(八・四〜一八)を「ともし火」のたとえで締めくくります。
 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く」。(八・一六)
 この「ともし火」のたとえは、マルコ(四・二一)では「ともし火が来るとき、ますの下や寝台の下に置かれることがあろうか。燭台の上に置かれるではないか」(私訳)となっています。「ともし火が来る」という特異な表現は、イエスが御自身の世への到来を光の到来として語っておられることを示唆しており、この比喩はもともとは、イエス御自身が光として世に入ってきた以上、その光を枡をかぶせて消したり、台の下に置いて隠すことはできない。どのように圧迫されようと、光を高く掲げて世を照らさなければならない、というイエス御自身の使命に関する比喩であると考えられます。

 しかし、ルカはマルコの表現を変えて、「人がともし火をともしたとき、それを・・・・・する人はいない」と、初めから人の動作を描く文章にしています。これはルカがマルコの語録をイエスの言葉を聴いた者たちへの訓話として理解した結果です。ルカの表現は、イエスに従う弟子たちは、イエスのたとえの奥義をよく理解して、その光を覆い隠すことなく世に輝やかさなければならない、と諭していることになります。ルカはこのたとえを別の文脈でも用いていますが(一一・三三以下)、そこでの用い方も、弟子たちが内面の光を覆い隠すことなく輝かすようにという教えになっています。マタイ(五・一四〜一六)も、この比喩を弟子たちが立派な行いによって光を世に輝かすようにという教えの文脈に置いています。

隠されたものは顕われる

 この「ともし火」のたとえの後に、「神の国」についてのイエスの重要な語録が置かれています。

 「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない」。(八・一七)

 この言葉は当時広く用いられていた格言ではないかと考えられますが、イエスはこれを「神の国」の姿を描く宣言とされます。すなわち、いま「神の国」は地上のイエスの中に隠された姿で到来している。それが神の支配、神の働きである以上、その神の支配の現実は必ず顕わになる。今は秘められた姿でイエスと僅かの弟子たちに中に働いているが、それは必ずすべての人が直面する公の現実になるのだ、という宣言です。

 この宣言は、イエスが御自身の光として使命について告白されたものとして理解した場合、マルコの形での「ともし火」の語録によく続きます。イエスは、今自分の中に到来している「神の国」という光は、世では圧迫されて覆い隠されているようであるが、「神の国」の現実は必ず栄光の中に顕現する時が来るのだ、と宣言しておられることになります。

 「ともし火」のたとえをルカの形で理解した場合は、隠されたものは必ず顕わになるのだから、受けた光は覆い隠さず、公に言い広めよ、という意味になります。この格言は、「ともし火」のたとえの勧告を理由づける文としてはやや無理が感じられます。

持っている人は更に与えられる

 この後、マルコ(四・二四〜二五)では、「何を聞いているかに注意しなさい」という警告の後、「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる」と続き、「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」という宣言が来ます。それに対してルカは、秤の比喩はすでに他の文脈で用いたので(六・三七〜三八)、その部分は飛ばして、次のような言葉で、イエスのたとえを注意深く聞くように呼びかけます。

 「だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる」。(八・一八)

 イエスは繰り返し、「聞く耳のある者は聞きなさい」と警告しておられます。イエスのたとえをただの物語として素通りさせてはならないのです。そのたとえが今自分に何を意味しているのかを真剣に受け止めなければなりません。もしわたしたちが聞く耳をもたず、イエスが語られることを軽視したり無視するならば、神もわたしたちを軽視し無視されるでしょう。「神の国」の奥義は与えられず、もともと神から与えられているよいものも失っていきます。それに対して、聞く耳をもってイエスの言葉に真剣に耳を傾ける者は、神も真剣に扱ってくださり、時に応じて「神の国」の奥義を示し、それによって霊的理解力を増し加え、ますます多くのよき賜物を与えられることになります。

 ここで先に見た「あなたたちには神の国の奥義《ミュステーリオン》を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話す(=謎になる)のだ」という言葉に戻ってみましょう。そこで語られている「奥義を悟る」とはどういうことでしょうか。ここでの文脈からすると、イエスが語られたとされる「種を蒔く人」の意味の説明が「神の国の奥義」ということになりますが、そうでしょうか。そうであるならば、弟子たちがこのたとえをこの説明のように解釈したとき、彼らは「神の国の奥義」に達していたということになります。「神の国の奥義」とはその程度のことなのでしょうか。

 先にも述べたように、この語録は「たとえ」という語に引きずられて、たとえで語る理由を示す位置に用いられていますが、本来はイエスの活動全般について語る語録であったと見られます。この語録は、たとえ話だけでなく、イエスの働きと教え全体に関わっています。「神の国の奥義」の中でもっとも重要な秘密は、イエスはいったい誰なのかというイエスの人格の秘密です。それは、「人の子」の秘密としてイエス御自身によって地上で語られていますが、その秘密は、「イエスに従う者に賜る聖霊」を受けて始めて悟ることができます。聖霊によって、イエスが生きておられた絶対恩恵の場を体験するのでなければ、「貧しい者は幸いである」とか「敵を愛せよ」という言葉も、謎のまま残ります。聖霊だけが「神の国の奥義《ミュステーリオン》」を悟ることを許します。御霊をもち、御霊に従う人は、ますます豊かに恵みの賜物を与えられますが、御霊をもたない人は、人間が本来もっていると思われているものまでも失っていくことになります。


45 イエスの母、兄弟(八・一九〜二一)

巡回伝道に同行する母と兄弟

 この光景を、マルコはたとえ集の直前に置いていますが、ルカはマルコの順序から離れて、それをたとえについてまとめた区分の直後に置いています。これはおそらく、たとえを扱った区分の基調である神の言葉を正しく聴いて行うようにという呼びかけの結びとしてふさわしいと、ルカが判断したからではないかと考えられます。

 「さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった」。(八・一九)

 誕生物語を別にすれば、イエスの母マリアがルカの二部作で言及されるのは、福音書ではここだけで、他に使徒言行録一章一四節があるだけです。兄弟たちについても、同じくここと使徒言行録一章一四節で言及されるだけです。イエスが公の活動を始められたときには、父親のヨセフはすでに世を去っていたと考えられます(マルコ六・三からもそう推定されます)。

 イエスの母と兄弟たちは、弟子たちと一緒にイエスのガリラヤでの巡回伝道に同行しています(ヨハネ二・一二)。その事実は、イエスの母と兄弟たちはイエスの活動に批判的ではなく、協力的であったことを意味します。事実、使徒言行録一章一四節が語るように、母と兄弟たちは、イエスの十字架と復活の後、弟子たちや他の女性たちと一緒にエルサレムに移住し、復活されたイエスが栄光の中に来臨するのを待って祈るグループに加わっています。これは、母や兄弟たちがイエスの生前から協力的で、イエスの巡回伝道に同行していたのでなければ理解できないことです。したがって、母と兄弟たちが何か用事があってイエスのおられるところに来るのは自然なことです。ところが、イエスを取り囲む群衆のために近づくことができませんでした。ここでは、次節の「外に立っておられます」という句が示唆するように、イエスは家の中で病人をいやしたり、御言葉を語っておられたと見られます。

 

「わたしの母、わたしの兄弟」

 「そこでイエスに、『母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます』との知らせがあった。するとイエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである』とお答えになった」。(八・二〇〜二一)

 並行するマルコ福音書(三・三一〜三五)ではイエスと周囲の人たちとの対話が劇的に描かれていますが、それに較べるとルカは随分簡潔にして、二一節のイエスの語録を伝えるだけの記事にしています。マルコの記事を踏襲する場合には、ルカは描写を簡潔にする傾向がありますが、ここもその一例です。

 イエスの言葉は、「神の言葉を聞いて行う人たちこそ、わたしの母、わたしの兄弟である」とも訳せます(協会訳)。このイエスの言葉は、マルコによると、「あなたの母上とあなたの兄弟姉妹方が外であなたを捜しておられます」という言葉に対して、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」とお答えになった後に続く言葉ですから、この訳の方が分かりやすいようです。

 「神の言葉を聞いて行う人」とは、宗教的道徳的律法を完全に守り行う者のことではありません。その点については模範的であったファリサイ派の人たちは、イエスの家族ではなく、むしろ敵でありました。ここでイエスが「神の言葉を聞いて行う人たち」と言われるのは、御自分と同じ質の命に生きる者を指しておられるのです。イエスを通して語られる恩恵の言葉を聴いて、父の恩恵に身を委ねて生きている人たちのことです。イエスは、そのような人たちこそが、自分と同質の命に生きている人たちであり、自分の母、兄弟であると宣言されます。
 たとえイエスの肉親であっても、それはイエスが生きておられる神の子としての命を保証するものではありません。イエスはここで、二種類の命を明確に区別しておられます。わたしたちが生きている生まれながらの命は、親子とか兄弟の肉親関係を形成します。しかし、その肉親関係に見られる命の同質性は、神を父としイエスを長兄とする霊の家族に入ることを保証しません。霊の家族を形成する命は、自然の命とは別種の命です。このことを、イエスはここで宣言しておられるのです。


46 突風を静める(八・二二〜二五)

 先の「イエスの母、兄弟」の段落をたとえ集の結びとして「たとえ集」の区分に入れますと、ルカはマルコ(四・三五〜五・四三)の順序と内容に従って、「たとえ集」の後にイエスの権威と力を示す四つの顕著な奇跡を伝える物語を続けます。嵐を静められた奇跡、悪霊を追い出す働き、衣に触れた長血の女がいやされた奇跡、会堂司ヤイロの娘を生き返らされた奇跡の四つです。これらの奇跡に直面する者は、「いったい、この方はどなたなのだろう」と問わないではおれません。この問いの前に立たせることで、この奇跡物語の区分(八・二二〜五六)は、九章のイエスに対する告白を準備します。

湖上の突風

 ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。(八・二二)

 ガリラヤの町や村を巡回するさい、イエスの一行はガリラヤ湖を渡って対岸に行くこともしばしばあったことでしょう。ペトロとアンデレ、またヤコブとヨハネはガリラヤの漁師ですから、舟を利用することは容易であったことでしょう。

 最近(一九八六年)ガリラヤ湖で沈没していた古代の木舟が引き揚げられ、一世紀ごろのものと鑑定されました。その残骸から復元された模型は、長さ8・2メートル、幅2・3メートル、高さ1・2メートルで、真ん中に帆柱があり、舳先と船尾の部分は板張り、中央部が開いていて、数人の漕ぎ手が座ったと見られます。この大きさでは、一〇人から一二人も乗れば一杯になります(私市元宏『イスラエル一巡記』から)。おそらくイエス一行はこのような舟に乗り込んだのでしょう。

 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれます。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。(八・二三)

 イエスは船尾の板張りのところで(マルコ)眠られます。ところが、湖を渡っているとき突風が吹き降ろしてきて、舟は水をかぶり、沈みそうになります。ガリラヤ湖では、周囲の山から吹き降ろす突風がよく起こるということです。

 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言います。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。(八・二四)

 ガリラヤ湖で漁をしてきた練達の弟子たちも、激しい嵐に恐れをなし、イエスを起こして、助けを求めます。すると、イエスは風と荒波とをお叱りになります。マルコは、風を叱り、湖に「黙れ。静まれ」とお命じになった、と伝えています。このあたりの描写も、ルカはマルコの劇的描写を簡潔にしています。イエスがこうお命じになると、風は静まり、湖は穏やかな凪になります。

この方はどなたなのだろう

 イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われます。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。(八・二五)

 嵐を恐れて慌てふためく弟子たちを見て、イエスは「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われます。イエスは嵐の中で眠っておられました。その姿は、自分の全存在を父に委ねている姿です。これは、親の懐で眠っている幼子の姿です。状況はどうであれ、父の無条件の信実と慈愛だけを見て、自分を完全に父に委ねている姿です。ここでの「信仰」は、そのような父への全面的、絶対的信頼の姿です。

 このイエスの姿に対して、弟子たちは外の状況に恐れをなし、慌てふためいています。普段神への信頼を学んでいるはずのイスラエルの民でありながら、またイエスから父への信頼を教えられていながら、外の状況が急変すると恐れたり、慌てふためいたりする姿に対して、イエスは「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言って、改めてこの機会に、いかなる状況においても父への全身的信頼の必要を指し示されます。

 弟子たちは、イエスのひと言で嵐が静まったことに安堵しますが、助かったという喜びよりも、イエスの命令に風や波が従って、嵐が静まったという事実に驚愕します。そして、互いに「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と言います。

 弟子たちは、それまでにもイエスがなされる多くの奇跡を見てきました。病人をいやし悪霊を追い出される奇跡を多く見てきました。しかし、そのような奇跡は、他の霊能者も行ったこともあり、イエスは彼らとは決定的に違う方であることが分かっていませんでした。ところが、この出来事に直面して、イエスの権能とか力が普通の霊能者のレベルとは違うことに気づき、「いったい、この方はどなたなのだろう」と問わないではおれなくなります。

 ファリサイ派の人たちもイエスの奇跡を見ていました。しかし、病人をいやし悪霊を追い出すという「力ある業」では、イエスを神から遣わされた預言者とかメシアと認めることはできず、イエスに「天からのしるし」を要求しました(一一・一六)。モーセが天からマナを降らせたように、天界を支配する権能を示す「しるし」を求めたのです。イエスは、「しるし」を要求してイエスを試す彼らの不信仰を見て、この要求は拒否されます。しかし、弟子たちはここで、天界の事象である天候を支配されるイエスの権能を見て、この方は普通の人間ではないと感じ、「この方はいったい誰であるのか」と問わないではおれなくなります。

 この問いこそ、福音書の秘義です。福音書は、イエスの働きや教えの言葉、その生涯を語り伝えます。実はそれによって、イエスとは誰かという問いを世に突きつけているのです。そして、その問いに対する答え、イエスとは誰かという秘義を、隠しながら現しているのです。「隠しながら」というのは、イエスは実は神を現すために地上に来られか方であるのですが、そのことをイエスの一人の人間としての姿の中に隠しているのです。神の栄光が地上の人間の中に隠されているのですから「秘義」なのです。

 この「秘義」は、「人の子」についての発言に見られるように、イエス御自身が断片的に示唆されたこともありますが、最終的にはイエスが復活されることによって初めて世に明らかに告げ知らされることになります。ですから、イエスの復活を信じない人には、この秘義は理解されることはなく、謎のまま残ります。たとえだけでなく、イエスの言葉も奇跡の働きも、イエスという方の全体が謎になります。


47 悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす (八・二六〜三九)

湖の向こう岸で

 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。(八・二六)

 イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来ます(八・二七a)。この悪霊に取りつかれた男の様子について、ルカはこう書いています。

 「長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた」。(八・二七b、二九b)

 この記述は、マルコ(五・三〜五)と内容はほぼ同じですが、マルコの方が、悪霊の支配がいかに強力かを印象深く描いています。

 この男はイエスを見ると、わめきながらひれ伏し、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」と大声で言った。それは、イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。(八・二八、二九a)

 マルコ福音書とマルコに従う共観福音書は、イエスが悪霊を追い出す働きをされたことを、イエスの働きの中心的な位置に置いて繰り返し報告し、その意義を「ベルゼブル論争」(一一・一四〜二三)で語っています。そして、その悪霊追放の働きの中で代表的な事例として、ガラテヤ伝道初期のカファルナウムの会堂での出来事(四・三一〜三七)と、ここのガリラヤ湖東岸での出来事を詳しく伝えています。

 その両方において、人に取り憑いている悪霊は、イエスに直面すると、イエスが誰であるかを知っていて、自分を苦しめないでくれと叫びだしていることが共通しています。霊界の住人である悪霊は、地上の人間より霊界のことをよく知っています。地上の人間には、イエスは自分たちと同じナザレの一ユダヤ人にしか見えていませんが、悪霊《ダイモニオン》は霊界のイエスの姿を知っています。それでイエスに向かって、「あなたは神の聖者だ」(マルコ一・二四)とか、「いと高き神の子イエスよ」と叫び出すのです。

 しかし、このような悪霊に取り憑かれている人の状況は、ここに描かれているように悲惨です。通常の人間の理性とか心はもはやその人を支配せず、狂気が支配し、人間社会から放逐されるような結果になります。しかし、悪霊にとっては、この人のように完全に支配することができるところこそ、自分が好き勝手でにできるもっとも居心地のよい場所です。それで、イエスが神の霊によって悪霊を追い出す権威をもつ方として来られると、イエスの命令に反抗し、かなわぬと見ると、追い出さないように哀願します。

悪霊「レギオン」

  イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオンだ」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。。(八・三〇)

 イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、その人の中の悪霊が、「レギオンだ」と答えます。その「レギオン」という名の意味を、福音書は「たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである」と解説します 古代の霊能者は、諸霊を礼拝したり追い出したりして、霊界で行動するために、対象となる霊の名を知ることを重視しました。しかし、イエスは、カファルナウムの会堂での場合のように、名を聞くまでもなく、悪霊を追い出しておられます。ここでも名を聞く前に、汚れた霊に男から出るように命じておられます(二九節)。

 しかしここでは、この人の並外れて悲惨な状況の原因となっている悪霊の名を訊ねられます。男から出るように命じてから名を聞くのは、この悪霊が命令に抵抗し、執拗に「底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った」からでしょう(八・三一)。イエスは改めて、相手の悪霊の名を追及されます。悪霊を追い出すという働きは、一種の格闘技のような面があり、駆け引きも行われます。

 イエスの追及に、悪霊は「レギオンだ」と白状します。ここの《レギオーン》というギリシア語はローマの軍団を指すラテン語「レギオ」からの借用語です。ローマの一軍団は、五から六の百人隊からなる連隊が一〇集まって構成され、ほぼ五六〇〇人の兵士が含まれます。このようなギリシア語が用いられたので、ルカはこの名の意味を、「たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである」と解説します。マルコ(五・九)では、悪霊自身が「レギオンだ。われわれは大勢なのだから」と答えています。この名の解釈は、この男の並外れた悲惨な状況を説明するのに好都合です。

 しかし、これを悪霊の数が多いと理解するには問題があります。イエスは終始この悪霊に対して、「汚れた霊(単数形)に命じた」とか(二九節)、「イエスはその霊(単数形)に」名を訊ねたとか(三〇節)、一霊として扱っておられます。また、ルカも「悪霊(単数形)によって荒れ野へと駆り立てられていた」(二九節)とか、「その霊(単数形)は言った」(三〇節)と、一霊扱いで記述しています。複数の霊を一つの勢力として集合的に単数で指すことも可能ですが、ここでは言語上の問題があるようです。

 アラム語に詳しいJ・エレミアスはこの記事を言語上の誤解から生み出された奇跡の記述の例として挙げています。彼によると、ここで悪霊の名として用いられているアラム語には、「軍団」と「兵士」という二つの意味があり、悪霊の答えは本来「私は兵士という名の者だ。私の同類は数が多いから(われわれは兵隊同志のようにお互いに似ている)」という意味であった(ギリシア語原文では、悪霊は「われわれの名」ではなく単数の「私の名」と言っている)。ここでこのアラム語の名が誤って「軍団」の意にとられた結果、「私の名は軍団という。われわれの数は多いから(われわれの一軍団がこの病人に取りついている)」ということになり、この病人に何千という悪霊が取りついているという表象が生まれたのである、としています。

 このような言語上の誤解から生まれた表象が、奇跡物語の常として、伝承されていく過程で誇張され、次の多くの豚の出来事となったと見られます。この段落の記述には、順序や用語に混乱が見られ、伝承過程の分析は複雑を極めています。わたしたちには、悪霊が一霊か多霊かの数の問題ではなく、このように強力に人間を支配する霊的存在に対して、「出て行け」と命じることができるイエスの権能に驚き、イエスをそのような権能を持つ方として信じることが重要です。

イエスの奇跡が及ぼした影響

 「ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ」。(八・三二〜三三)

 悪霊が取り憑いている男から出て行くかわりに豚の中に入る許しを願い、イエスはそれをお許しになります。そうすることで、この人から悪霊が出て行ったことを明確に証明することができ、解放が完璧になるからでしょう。ここに一種の駆け引きが見られます。この箇所の悪霊と豚は複数形で、ルカは「たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである」という説明に辻妻を合わせています。マルコ(五・一三)はこの豚の数を「ほぼ二千匹」としていますが、ルカは(そしてマタイも)数には触れないで、「多くの豚」としています。ルカもマタイも、伝承過程で生じたこのような誇張を受け入れるのに躊躇を感じたのでしょう。

 イエスがお許しになると、悪霊どもはその人から出て、豚の中に入ります。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死ぬという結果になります。追い出された悪霊が動物の中に入るということは、古代ヘレニズム世界では文献にも多く報告されているということです。

 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。(八・三四〜三五)

 悪霊に取り憑かれていた人が正気になっているのを見て、人々は感嘆して神を賛美するのではなく、恐ろしくなります。これは、豚のこともあり、あまりにも異様な霊的現象に直面したときに人間が感じる本性的な恐れです。

 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせたので、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。(八・三六〜三七)

 すっかり恐れに取りつかれたこの地方の人たちは、イエスに立ち去ってくださるように願います。原文は「ゲラサ地方の人々」とありますが、これは先に見たように「その地方の人々」と読んでいいでしょう。彼らは、イエスにおいて神の救いの力が現れているのに、それを歓迎せず、理解できない異様な霊的事態に恐れをなし、また、一人の魂の救いよりも多くの豚を失うという損失に目を奪われて、イエスを歓迎できなかったのです。

 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになります。「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」。その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。(八・三八〜三九)

 舟に乗って帰ろうとされるイエスに、悪霊を追い出してもらった人が、お供して一緒に行きたいと切に願いますが、イエスはお許しにならず、その人を家にお帰しになります。正気に戻ったこの人は、放逐されていた社会に復帰します。これも救いの素晴らしい結果です。
 ただ、よく伝道集会などで、悪行や悪癖に溺れていた人が、イエスを信じることで更生し、立派な社会人になったことが救いとして喧伝されますが、そのような更生と社会復帰は救いの一つの実であって、救いそのものではありません。もし社会復帰が救いであれば、もともと正常な社会生活をしている人は救いを必要としないことになります。

 むしろ、イエスを信じて救われ、新しい命に生きるようになった結果、それまで平穏に暮らしていた社会から締め出されて、苦難の生涯になる場合もあります。救いとは、この死ぬべき命の中に、もはや死ぬことのない新しい命、永遠の命をいただき、神に生きるようになることです。その結果、まともな人間になって、放逐されていた社会に復帰することもあれば、逆に伝統的な価値観から逸れた者として、社会から疎外され、孤独と苦難の道を歩むことになる場合もあります。どちらの場合も、自分が置かれている境遇において、神がキリストにおいて自分にしてくださったことを言い広めることが、救われた者の使命となります。


48 ヤイロの娘とイエスの服に触れる女 (八・四〇〜五六)

会堂長ヤイロの懇願

 イエスが帰ってこられると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。(八・四〇)

 湖の向こう岸で悪霊に取り憑かれて悲惨な状況にあった男を救われた後、イエスは普段の活動の地であるガリラヤ湖西岸に戻って来られます。ここからルカは(そしてマタイも)マルコに従って、イエスの衣に触っていやされた女性の話と、会堂司ヤイロの娘を生き返らせた奇跡を、一つの段落にまとめて伝えています。しかし、マルコと較べると、ルカの記述はやや簡略になっており、マタイは大幅に簡略化しています。
 イエスに退去を求めた向こう岸の人たちと違って、多くのいやしの働きを知っている湖のこちら側の人たちはイエスを歓迎します。再び自分たちの間で、イエスが神の恵みの業をしてくださることを待っていたのです。

 そこへ、ヤイロという人が来ます。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。(八・四一〜四二a)

 ユダヤ教社会では、会堂は宗教活動の施設であるだけでなく、日常生活生活の中心でした。子供の教育も、違反者の処罰のための裁判も会堂で行われました。会堂の統率者である会堂長は、安息日の礼拝にはトーラー(モーセ五書)の読み手や祈りを導く者を指名し、時には外からの説教者を依頼しました。その他、会堂の建物の維持管理にも当たり、教育や裁判にも携わり、外に対しては、その会堂に集まるユダヤ教共同体を代表しました。会堂長の職については、明確な規定はなく、長老たちから任命されたり、選挙で選ばれたり、世襲したりしたようです。任期がある場合や終身の場合もあったようです。いずれにせよ、会堂長は地域のユダヤ教社会を代表する人物であり、名誉ある地位でした。

 イエスが訪れた地域の会堂長であるヤイロが、イエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと懇願します。その地域社会の一番の名士が、イエスの足もとにひれ伏したのです。人々から尊敬される立派な信仰生活を送り、学識も豊かな会堂長が、体面や見栄をかなぐり捨てて、イエスの足もとにひれ伏します。それは、十二歳ぐらいの一人娘が死にかけていたからです。もうイエスだけがこの娘の命を救うことができると知って、イエスに自分の家に来て、娘をいやしてくださるように懇願します。

 イエスは会堂長の懇願を受けて、彼の家に向かって出発されます。その途上で、思いがけない出来事が起こります。ヤイロの娘と長血の女の二つの記事が一つにされている事情については、伝承過程で起こったこととして様々に説明されますが、実際に二つの出来事がこのような形で起こったからだとするのが、もっとも自然で適切な理解でしょう。

イエスの衣に触れる女

 イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。(八・四二b〜四四)

 女性の出血は、当時のユダヤ教社会では不浄とされていたので、聖なるものに触れることは許されませんでした。また、この女性は恥ずかしくて、公衆の面前でイエスにいやしをお願いすることができなかったのでしょう。群衆に取り囲まれているイエスに後ろから近づき、イエスの服の房に触れます。ルカは省略していますが、マルコ(五・二八)は、この女性が「この方の服にでも触れればいやしていただけると思ったからである」と、女性の動機を説明しています。ここにこの女性の信仰があります。この女性は、イエスは神から来られた方であり、イエスの中に神の力が働いていることを信じたのです。そして、何とかしてイエスにお願いしようとして、後ろからイエスの服の房に触れます。神の力に満ちている人が身につけているものに触れるだけで、力が働き、いやされると信じたのです。このような信仰は古代人にはよくあり、パウロの場合にも見られます(使徒一九・一二)。これは、布など事物に魔術的な力があると信じるのではなく、その事物を接触点として、その事物が指す人物と、その人物に働く超越的な神の力を信じているのです。この女性は、イエスの服の房に触れた途端に、出血が止まったことを感じます。

 この時イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言わた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。(八・四五〜四六)

 女性が出血が止まったことを感じたとき、イエスは自分から力が出て行くのを感じられます。それで、「わたしに触れたのはだれか」と問われます。しかし、弟子たちが言うように、群衆がイエスを取り巻いて押し合っているのですから、何人もの人が何らかの形でイエスに触っているはずです。しかし、彼らはただ物理的にイエスの衣服に触れているだけで、イエス御自身に触れたとは言えません。イエス御自身に触れたのは、イエスを信じて、イエスに身を委ねて、その衣の房にすがりついた女性だけです。この女性がイエスに身を投じたとき、イエスの中からいやす神の力が出ていったのを、イエスは感じられたのです。

 このイエスの言葉は、イエスの人格の秘密を垣間見させてくれます。イエスはいつも御自分の中に神の力の充満を自覚し、その力の働きを感じておられます。そして、その力を自分のために用いることをせず、神の御旨に従ってだけ用いるように、厳しく神の前にひれ伏し、その御旨を求めて祈っておられます。この消息は、後にゲツセマネでさらに明確に語られることになります。イエスは、御自分と弟子の安全を確保するために十二軍団の天使の力を用いることができる方であるのに、父の御旨を行うために、その力を用いることなく、受難の道を歩まれます(マタイ二六・五三)。

 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。するとイエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。(八・四七〜四八)

 この場合は、イエスが「わたしの意志だ。いやされよ」と言われる前に、世に遣わされた御子である信じる者をいやす父の御旨によって、この女性にいやす神の力が働きます。この事実をイエス御自身が、「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されます。「救った」と訳されている語は、この女性が「この方の服にでも触れればいやしていただけると言っていたからである」の中の「いやされる」と同じ用語です。この女性は信仰によって長年の難病からいやされると同時に、人間としての救済の世界に入ったのです。後にパウロが、「信仰によって救われる」というスローガンを掲げて福音を世界に告知しますが、この大原則はすでにイエスがこのような形で語っておられたのです。

ヤイロの娘が生き返る

 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません」。(八・四九)

 イエスが出血の止まらない女性のいやしで時間をとり、会堂長の家に到着するのが遅れている間に、会堂長の娘が亡くなります。その家から使いの者が来て、その事実を知らせます。人間の常識では、これで万事終わりです。娘が亡くなった以上、どのような立派な先生や強力な霊能者に来てもらっても、どうしようもありません。わたしたちは、どのように愛している者であっても、その人が息を引き取れば諦めるほかありません。

 しかし、この場合は違います。イエスはすでに会堂長の懇願を聞き入れて、娘のいやしのために出発しておられます。娘を生かすという神の意志を身に体して歩みを始めておられます。その神の意志、いまイエスがその歩みで体現しておられる神の意志は、どのような状況にも妨げられることはありません。現に娘が病気の状態であろうと、息を引き取って死亡した状況であろうと、娘を生かすという神の意志は妨げられることはありません。イエスは、死んだ者を生かす神の力を信じておられます。ですから、会堂長にこう言われるのです。

 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」。(八・五〇)

 イエスは会堂長に言っておられるのです。「あなたはわたしを信じ、わたしに来てもらい、祈ってもらえば、神は娘を救ってくださると信じたのではないか。今状況が変わったからといって、その信仰を放棄してはならない。わたしを信じ、神を信じ続けなさい。そうすれば、すなわち信じ抜けば、その信仰によって娘は救われるのだ」。

 そう言って、イエスはヤイロと一緒に彼の家に向かって歩みを続けられます。その歩みは、死者を生かす神の力を信じる者の歩みです。

 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。(八・五一)

 ここはマルコでは、イエスはペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人の弟子以外の弟子がついてくることを許さず旅を続け、会堂長の家に着いたとき、泣き悲しんでいる人たちに「泣くな」と言って追い出し、それから三人の弟子と両親だけと娘のいるところに入られたとなっています。ルカはそれを簡略にして、家に入られたときの記述にまとめているので、泣き悲しむ人たちに語られた部分が後になって、浮き上がっています。マルコの方が、物語の運びが自然です。

 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ」。人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。(八・五二〜五三)

 当時のユダヤ教社会では(そして多くの古代社会では)、葬儀にさいして参列者は死者に哀悼を表すために儀礼的に、そして大げさに泣き叫ぶことをしました。葬儀で泣くのを職業とする女性「泣き女」を雇う場合もあったようです。マルコ(五・三八)の「大声で泣きわめいて騒いでいる」という表現は、このように葬儀にさいして人々が儀礼的に泣きわめいていたことを示唆しています。ルカはそれをただ「娘のために泣き悲しんでいた」と簡略にしています。

 周囲の人たちは、若くして死んだ薄幸の娘に涙し、愛する娘を失った親の悲しみに同情し、逃れられない死の現実に泣き悲しみます。その中でイエスだけは違う現実を見ておられます。イエスはすでに、神の意志はこの娘を生かすことであると知っておられます。その神の意志の前では、この娘は死んでいるのではなく、生きる姿の一局面にすぎません。イエスはそれを、「娘は死んだのではない。眠っているのだ」と表現されます。イエスがこう言われたので、イエスの復活後イエスを信じた者たちは、死ぬことを「眠る」という表現で指すことになります(テサロニケT四・一三〜一五、五・一〇、使徒七・六〇)。しかし、このことは後で触れることにして、今は出来事の成り行きを追いましょう。

 イエスの言葉を聞いた人たちは、イエスをあざ笑います。娘が死んだことを知っている人たちにとって、イエスの言葉は正気の沙汰ではありません。神が見られるところと人間が見るところは、天が地から遠いようにかけ離れています(イザヤ五五・九)。

 マルコ(五・四〇)によると、イエスの言葉を聞いて嘲笑した人たちを、イエスは家の外に追い出し、三人の弟子と両親だけを連れて、娘がいる部屋に入られます。このあたりのことは、ルカは省いています。イエスと一緒に家に入った三人の弟子と両親は、死んだ娘が横たわっている部屋で驚くべきことを目撃します。

 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。(八・五四〜五五)

 イエスは、死んだ娘の手を取って、他の病人に声をかけられた時と同じように、生きている者に呼びかけるのと同様に、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられます。これは、ナインの寡婦の息子を生き返らせたとき(七・一四)と同じです。ここでは、親が眠っている子を起こすときのように、「娘よ、起きなさい」とお命じになります。

 マルコは、この時のイエスのお言葉をアラム語のまま伝え、それをギリシア語で解説しています。イエスはアラム語で、《タリタ・クーム》と言っておられます。マルコはこれを、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」とギリシア語に訳しています。この言葉をその場で聞いたペトロは、この出来事を語り伝えるとき、イエスが発せられたこのアラム語の言葉をそのまま伝えないではおれなかったのでしょう。マルコは、ペトロが語り伝えたこの出来事の伝承をそのまま用いています。それに対してルカは、このようなアラム語を伝えることは異邦人読者には必要がないとして省いています。このようなことは、ゲツセマネのイエスの祈りを伝えるとき、マルコ(一四・三六)は「アッバ、父よ」と、アラム語とギリシア語を並記していますが、ルカ(二二・四二)はギリシア語だけにしているところにも見られます。また、イエスの十字架上の「エロイ、エロイ」というヘブライ語の叫びも伝えていません。

 この「娘よ、起きなさい」というイエスの言葉が発せられると、「その霊が戻って」娘はすぐに起き上がります。「その霊が戻って」という表現はマルコにはありません。ルカが入れた表現です。これは、死とは人の霊魂が身体から離れることだとするギリシア的な理解の中で生きているヘレニズム世界の読者に語りかけているルカの筆です。これはイエスの死の描写にも見られます。ルカは、マルコやマタイにはない「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」という言葉を、イエスが叫ばれたとしています。

 このような表現の違いは枝葉末節のことです。重要なことは、イエスの言葉によって死んだ娘が生き返った事実です。その言葉によって、死を含む病を支配されるイエスの権能です。イエスが生かそうと意志されるならば、いかなる病も、死に至ってしまった病もいやされて、死んだ人も生き返るのです。 イエスは、生き返った娘に食べ物を与えるように指図されます。娘が生き返ったのは幻ではなく、現実の出来事であることが確認されます。

 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。(八・五六)

 娘が死んだことを嘆き悲しんでいた両親にとって、娘が生き返ったことはどれほど大きな喜びだったことでしょうか。しかし、両親は喜びよりも驚きに圧倒されます。死んだ人間が、イエスの一言葉で生き返ったのです。これは、人類が今まで体験したことのない奇跡です。様々な呪術でいったん息を引き取った人が蘇生したことはあったかもしれません。しかし、「起きよ」という命令の一言葉で死者を生き返らせた人間は、かってありません。この人物とその言葉の権威に、両親は非常に驚きます。ここに使われている動詞は、「エクスタシー」の語源になる動詞で、われを忘れるほどの驚きです。おそらく、イエスの前にひれ伏したことでしょう。

 最後に、ルカはマルコに従って、イエスが弟子と両親に、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになったことを付記しています。マルコには「メシアの秘密」という重要な動機がありますが、ルカもこれを継承しています。このことについては、次章の「ペトロのメシア告白」のところ(九・二一)で詳しく扱うことになります。

 ところで、見たこと聞いたことを秘密にするようにという命令は、一律ではなく様々な動機が考えられます。ここでは、イエスの命令により死者が生き返ったという事実を人に語らないようにという命令です。ペトロたち弟子が命令を守ってこれを語らなかったら、この出来事は世に伝えられず、福音書の記事もなかったわけですから、この出来事もある時からは語られるようになったとしなければなりません。その「ある時」とはいつでしょうか。それを示唆するヒントがマルコ福音書にあります。イエスの姿が変わったあの「変容の山」から下りてくるとき、イエスは弟子たちに「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と命じておられます(マルコ九・九)。弟子たちはこの命令を守って、「弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった」のです(九・三六b)。ということは、この変容の出来事も、イエスが復活された後には、イエスの栄光を指し示す出来事として語り出されていたわけです。ヤイロの娘の場合も、イエスの復活が宣べ伝えられるようになったとき、復活の予表としての意義を担って語られることができるようになります。それまでは、時代のメシア期待の火に油を注ぐ結果になりかねず、イエスの使命の実現に妨げになることを恐れて、このような沈黙の命令をされたと考えられます。

 イエスは強力な悪霊に憑かれた人から、その権威によって悪霊を追い出されました。次いで、嵐という自然界の猛威も、その命令のひと言葉で従わせられました。そして今、人の力ではどうしてもいやせなかった女性と死んでしまった少女をいやして、人間界の現象をも支配する権能を示されました。このような霊界も自然界も人間界も支配する権能をもつイエスとはいったいだれか、これが次章(ルカ福音書九章)の主題となります。


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