ルカ福音書講解 15 

 

    第一五章 神の国に入るのは誰か

                      ― ルカ福音書 一八章(一〜三四節) ―


はじめに

    一八章は「やもめと裁判官」のたとえで始まりますが、実はこの段落は先行する一七章最後の「神の国が来る」の段落(一七・二〇〜三七)と一対で、共に来臨遅延の問題に対処しています。したがって、一七・二〇から一八・八までは一つの区分として扱うべきですが、今回は誌面の構成上、ルカ福音書の章の区分で切って掲載しました。ここで改めて二つの段落が一対であることを指摘しておきます。

 「神の国はいつ来るのか」という問いから始まり、「神の国」あるいは「人の子」の到来を主題とする区分(セクシヨン)(一七・二〇〜一八・八)に続いて、ルカは「神の国」に関わる別の共通した主題をもつ三つの段落からなる区分(セクシヨン)(一八・九〜三〇)を置きます。この「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえと、続く「子供を祝福する」、「金持ちの議員」の三つの段落は、「神の国に入るのは誰か」という主題でまとめられています。後二つの段落では、明確に「神の国に入る」という句でその主題が指し示されていますが、最初の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえにはこの句はありません。しかし、それと同じことを問題にしている「義とされる」という表現があり、この三つの段落が一つの共通した主題でまとめられていることが分かります。

 


103 「やもめと裁判官」のたとえ(一八・一〜八)

 

来臨遅延の問題

 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。(一八・一)

 この段落は、「神の国はいつ来るのか」を問題にしている前の段落の直後に置かれていること、扱われているたとえの主題が神の裁きであること、結びの部分で「人の子が来るとき」のことが明確に語られていることなどから、神の国到来のことを扱っていると理解できます。事実、この段落を前の段落と一組にしている注解書も多くあります。従って、「気を落とさずに」というのは、来臨《パルーシア》が遅れていることへの共同体の失望とか落胆に対する警告とか励ましを指しており、「絶えず祈らなければならない」のは、そういう状況において共同体がなすべきことの指示であると言えます。

 この段落はルカだけにある段落で、マルコとマタイにはありません。それで、以下に引用されているたとえ自体(二〜五節)はルカだけが入手していた特殊な資料で伝えられていたイエスの語録であるとしても、そのたとえが語られた目的を「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために」とした一節全体は、来臨遅延の問題に対処しようとするルカの構成によるものと理解されます。

 ルカはすでに来臨遅延の問題を原理的に克服する道を提示しています。すなわち直前の段落(一七・二〇〜三七)で、「神の国はいつ来るのか」という問い ― この問いはファリサイ派の人からの問いとされていますが、それにはルカの時代の共同体の来臨に対する疑念が重なっています ― に対して、イエスの稲妻の語録に基づき、「神の国は、見える形では来ない・・・・実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」として、神の国が到来する時期や「人の子」が現れる時を地上の出来事とすること自体を不必要なこと、不適切なこととし、従って「遅延」というようなことは本来問題とならないとしました。

 しかし、ルカはそのような原理的な解決だけでは十分とせず、この問題に対処するための実際的な勧告も加えます。それがこの段落です。ルカはその実際的な勧告を、イエスが語られたとして伝えられている「たとえ」を用いて行います。


しつように求めるので

 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない』」。(一八・二〜五)

 これはルカだけが伝えているたとえですが、同じくルカだけが伝えている同じような主旨のたとえがもう一つあります。それは、夜中にパンを借りに来た友人のたとえ(一一・五〜八)です。そのたとえでも、結論は「その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう」となっています。そのように、ここの「やもめと裁判官」のたとえでも、そのやもめの地区を担当する裁判官だからということでは訴えに応じようとしなかった裁判官でも、やもめがしつように求めるので彼女のために裁判をしてやろうと決心します。

 夜中の友人のたとえでは、その結論として「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」というイエスの言葉が続いています(一一・九)。神に祈り求めるときは、現実の姿がどうであろうとも、その現実の姿によって落胆したり諦めたりすることなく、神の信実だけにより頼んで求め続けるように教えられたイエスが、イエス独自の意表を突く表現で語られたのがこの二つのたとえであると見られます。

 ルカは夜中にパンを求める友人のたとえを、父が求める者に必ず聖霊を与えてくださること語る文脈で用いました。それは、「明日のパン」を求めることを教えた「主の祈り」の文脈にふさわしいからです。同じ主旨の「やもめと裁判官」のたとえを、ルカはキリストの来臨を求める共同体の祈りを励ます文脈で用います。それは、キリストの来臨はキリストの民を苦しめる世の支配者に対する神の裁きを含んでいるので、裁判官を主人公とするたとえは、この文脈で用いるのにふさわしいからです。

 このたとえの裁判官は、「神を畏れず人を人とも思わない裁判官」です。裁判官は、自分の担当の地域に貧しいやもめがいて、自分の権利を守ってくれるように訴えたとき、直ちにそれに応じて裁判をしなければならない立場です。ところがこの裁判官は「しばらくの間は取り合おうとしなかった」のです。おそらくこんな貧しいやもめの裁判をしても、彼女から賄賂や報酬など期待できそうにないと考えたからでしょう。彼は、神がしてはならないとされた「人をかたより見る」裁判官です。また、彼は、貧しい者を顧みるように求めた預言者たち(イザヤ一〇・二など)の精神をまったく無視した「神を畏れない」裁判官です。また、弱い人たち、とくにその代表格であるやもめの涙を無視しないように説いた「知恵」を無視する裁判官です(シラ書三五・一二〜二四参照)。彼は「人を人とも思わない、人を顧慮しない」裁判官です。

 しかし、やもめが「ひっきりなしにやって来て」、自分を煩わせ、ついには自分をひどい状態に陥れることになりかねないと思い、彼女のためになる裁判をしてやろうと決心します。彼は正義のためではなく、貧しい者の権利の擁護のためではなく、まったく自分の保身のためだけを考えて行動します。彼は「不正な裁判官」です。このたとえはこの裁判官を主人公とするたとえであるとする注解者は、このたとえに「不正な裁判官のたとえ」という標題をつけています。

 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」。(一八・六〜七)

 イエスが語られたものとして伝えられているたとえを引用した後、ルカはそのたとえが言おうとしている意味を明らかにします。そのさい、ルカは「イエスは言われた」とせず、「主《ホ・キュリオス》は言われた」と書いています。たとえを語ったのはイエスですが(一節)、その意義を説くのは「主《ホ・キュリオス》」となる呼称の変化は、さきに「不正な管理人」のたとえの場合にも起こっていました(前号6頁の一六・八についての講解参照)。「主《ホ・キュリオス》」という称号は、ルカは福音書においてイエスを指すのに繰り返し用いていますが、本来復活者キリストを指す称号であり、その称号が福音書で用いられるときはしばしば、復活者キリストの働きを地上のイエスと重ねて語るときとか(ナインのやもめの息子の生き返りや「七十二人の派遣」の記事など)、著者や共同体が復活者キリストから与えられたものと確信している(たとえなどの)理解が地上のイエスの言葉とされて語られる場合があります(ここや不正な管理人のたとえなど)。

 イエスは多くのたとえを語られましたが、その意味を解説されたことは稀です。たとえの意味を解説する福音書の記事には、最初期の共同体が理解した意味をイエスが語られたものとして伝えているものがあります。典型的な例は、「種まきのたとえ」の意味を解説した箇所(八・一一〜一五)です。この解説はイエスご自身のものではなく、最初期共同体が福音活動の状況で理解した意味を、イエスの言葉として書き記したものであることは、現在では多くの注解者の共通の認識となっています。この「不正な裁判官」のたとえの場合は議論が残りますが、共同体の理解を伝えているとすることも可能であり、「《ホ・キュリオス》は言われた」という表現もそれを示唆しています。

 さらに、このたとえを「神の国はいつ来るのか」という問題の文脈に置いたのはルカです。おそらく諦めず求めることを説く一組のたとえとして伝承されていた「夜中の友人」のたとえと「不正な裁判官」のたとえを、ルカは一つを「主の祈り」のパンを求める祈りの解説として用い、一つをこの「神の国」到来の時が問題とされた状況で用います。ここでは明らかに来臨遅延の状況に「気落ちしている」共同体に向けて語られていますから、イエスの状況ではなくルカの時代の状況です。イエスが来臨遅延の問題を取り上げられることはありません。

 ルカは、イエスが語られたたとえを伝えた後に、この裁判官を「不義の裁判官」と呼び(この呼び方は先の「不義の管理人」と同じです)、このような不義不正の不埒な裁判官でも、しつように求められれば求めに応じて裁判をするではないか、「まして(義なる裁判官である)神がそうされないことがあろうか」と続けます。

 七節は直訳すると、「まして神は、日夜彼に叫ぶ彼の選ばれた者たちの権利擁護をされないで、彼らを長く耐え忍ばれるであろうか」となります。ここに用いられている「権利擁護」という語は、この段落に繰り返して用いられており、この段落の内容を理解するためのキーワードとなります。この語には二つの意味があります。一つは、人の訴訟を取り上げて正しさを証明すること、あるいは権利を守ってやることという意味で、もう一つは、復讐、報復、処罰という意味です。二つは同じことの両面です。裁判で正しい者の正しさを証明し権利を守ることは、不正な相手を処罰して報復することになります。

 たとえの中のやもめはまさに裁判官にそれを求めたのです。彼女はそれをする立場にある裁判官に「(裁判をして)わたしを訴える者からわたしを守ってください(=わたしの正しさを証明して、わたしの権利を擁護してください)」と求めています。ここ(三節)では動詞形で用いられています。その訴えを受けた不義の裁判官は、はじめはしばらく放置しますが、彼女のしつような求めに耐えかねて、彼女の権利擁護(五節)のために裁判をする決心をします。そのたとえを承けて、七節の「まして神は、日夜彼に叫ぶ彼の選ばれた者たちの権利擁護をされないことがあろうか」という言葉が来ます。

 あの不義な裁判官ですら、弱いやもめのしつような求めに耐えることができず裁判をしたではないか。まして義なる裁判官である神が、ご自分が選ばれた民の絶えざる求めをいつまでも「耐え忍んで」聞き流しにして裁判をしないまま放置し、ご自分の民の正しさを証明し権利を擁護されないことがあろうか、そんなことはありえないではないか、と言って次の文に続きます。

 「言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」。(一八・八)

 最初の「わたしはあなたたちに言う」は、六節の「主《ホ・キュリオス》は言われた」の中の文ですから、この節の言葉は共同体が主と仰ぐ復活者キリストから聴いている言葉としてここに置かれていることになります。復活して世界の主と立てられたキリストがご自身の民に向かって断言されます、「神は速やかに裁かれる」と。ここで「裁かれる」と訳されている用語は、この段落のキーワードである「(裁判をして)正しさを証明し、権利を擁護する」という表現です。

 この言葉の中の「速やかに」が、前節の「長く(いつまでも)耐え忍んで」との対比で強調されています。あなたたちは、神が世界を裁き自分たちの正しさを証明し権利を擁護してくださる時が遅いと思い、落胆して、祈り求めことも止めてしまっている者もいるが、その日は決して遠くない、「速やかに」来るのだ、と主は言われます。この対比は、時間を測る尺度が人間と神とでは違うことを指し示しています。「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」とありますが(ペトロU三・八)、主の日が来るのは、あなたたちが遅いと思っているように遅いのではない。神は「速やかに」その日を来させてくださる、と神の側の定めを指し示します。

 神は速やかに裁きを行おうとしておられるのだから、人間の思いでは遅いと思っても、気落ちすることなく、その日の到来を自覚して絶えず祈る必要があることが、この段落全体で求められていることになります(一節)。ところが、ルカの時代の共同体では、来臨遅延による信仰の混乱から信仰を見失う人も出ていたようです。あるいは、その信仰から「人の子」の到来という希望が脱落し、「人の子」への待望が衰弱していた事実があったようです。ルカはその現状への警告として、主がその状況を心配し憂いておられるとして、「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」という「主の言葉」を置きます。この場合の「信仰」は、差し迫っている「人の子」の到来への信仰です。「人の子」が来て、自分の民の権利を擁護するとき、その「人の子」を待ち望む信仰の民がいなければ、その到来は無意味です。そのような事態にならないように、「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために」この段落が置かれます。

 

補論 ― 福音書における「史的イエス」

 「旅行記」に置かれた、「神の国」の到来または「人の子」の到来に関わる二つの段落(一七・二〇〜三七と一八・一〜八)は、来臨の遅延というルカの時代の問題状況に対処するために、ルカが構成した一連の区分(セクション)をなしています。講解で指摘したように、その前段(一七・二〇〜三七)では、ルカは伝承されたイエスの「稲妻の言葉」に基づいて「神の国」は見える形で来るのではないとし、「神の国」は現にキリスト信仰共同体のただ中にあるとします。そうすることによって、「神の国」はどのような形でいつ来るのかという問いは必要でないことを示し、原理的に来臨遅延の問題を克服しようとします。そして後段(一八・一〜八)では、絶えず祈るべきことを教えられたイエスのたとえを引用して、人間の目には(神が世界を裁きご自身の民に栄光を与える日は)遅いと見えても、神の定めでは速やかに到来するとされているのであるから、気落ちせず祈り続けるべきことを説き、遅延の問題に実践的に対処しています。

 その講解でわたしは、前段の「神の国は、見える形では来ない。・・・・実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」(一七章二〇〜二一節)という言葉と、後段の「主は言われた」以下の一八章六〜八節の言葉は、伝承されたイエスの語録というよりはルカの構成によるものであるとして、全体を講解しました。このような理解の仕方に対しては、福音書にイエスの言葉として記されている言葉はすべて実際に地上のイエスの口から出た言葉であって、その一部を後の時代の産物とすることは間違っているという異論があると思われます。しかし、先に例としてあげた「種まきのたとえの説明」の場合のように、最初期の共同体の状況から出た言葉であると理解しなければ、かえってイエスの真実の姿を見失うおそれのある言葉もあります。それで現代の福音書の研究では、福音書のイエスの言葉の中でどこまでが地上のイエスに帰すことができるかが大きな問題となり、論争が続いています。

 福音書には実際にイエスの行動と言葉から出たものと、最初期の共同体の状況から出たものが混在することは、福音書の本質からして避けられません。福音書はイエスの忠実な伝記を伝えるために書かれた文書ではありません。福音書は、イエス伝承(イエスの言動を語り伝える伝承)を用いて復活者イエス・キリストの福音を世界に告知しようとする文書です。従って、福音を告知するためという目的から全体の構成が決められ、その配列や個々の記述にその目的から生まれる意義づけや表現が用いられるのは当然です。そこには福音書を生み出した共同体の状況と著者の福音理解が色濃く反映することになります。しかも、イエスの言動を伝える素材のイエス伝承そのものも、イエスの言動を目撃者が客観的に記述した文書資料ではなく、口頭で語り伝えられた口伝伝承ですから、どうしてもその担い手の状況が反映することになります。

 このように福音書は、それを書いた著者の福音理解、それを生み出した共同体の状況、素材となったイエス伝承に刻み込まれた口伝伝承の担い手たちの状況という層が重なり合って構成された文書ですから、地上のイエスの実際の姿(研究者はそれを「史的イエス」と呼びます)を復元するには、それらの層の影響を除去した後に残るものを確認する必要があるとされ、考古学者が地層を掘り下げ少しでも古い層の遺物を発見しようとするように、研究者は福音書の各層を掘り下げて上層の影響を取り除き、最後に残る「史的イエス」の実像を回復しようとします。しかし、このような方法で回復された「史的イエス」の姿は、実に千差万別で、研究者の数ほどの「史的イエス」像が提案されています。ユニークなユダヤ教ラビの一人、悪霊払いの霊能者、犬儒派的な知恵の教師、終末的・黙示思想的預言者、貧農出身の革命家などなど、A・シュヴァイツァーが近代主義的方法が破綻したことを示した後も、欧米神学界の重要テーマとして探求が続けられ、次々に新しい説が登場しています。

 ここでそのような「史的イエス」の問題を取り上げるつもりはありません。その問題は福音書講解の途上で扱うにはあまりに大きすぎます。ここでは、福音書でイエスの言葉とされているある部分を、最初期共同体の状況から出たものであるとすることの意義を確認するにとどめます。

 ここでしたように、福音書にあるイエスの言葉を最初期共同体の状況から出たものであるとすることは、聖書の霊感と権威を否定したり低くするものではありません。というのは、イエスご自身が聖霊によって神の言葉を語られたことは言うまでもないことですが、最初期の共同体も聖霊による復活者イエスとの交わりの中で「主イエス・キリスト」が語りかけられるのを聴き、それを「主は言われた」として伝えたのですから、イエスが語られた言葉を伝える伝承のイエス語録を引用するときも、自分たちが復活者イエスから聴いている言葉を伝えるときも、同じ主イエスの言葉として伝えることになります。最初期共同体の人々にとっては、両者は同じ権威をもつイエスの言葉であったのです。

 従って、わたしたちが福音書を読むとき、どれが実際に地上のイエスの口から出た言葉で、どれが最初期共同体の状況から出た言葉であるのかを厳密に区別することは、(歴史学にとっては必要ですが)信仰にとっては必要はありません。信仰は、地上のイエスの出来事と復活者イエスの働きを証言する最初期共同体の告知の全体を、そこで神が最終的で決定的な救いを成し遂げられた出来事として信じ、その全体が聖霊の働きの結果であることして、その出来事の中から生み出された文書(新約聖書の諸文書)を信仰の拠り所また規準として、その出来事の現実に参与することだけを追求します。

 しかし、イエスの状況と最初期共同体の状況は違います。とくに共同体がヘレニズム世界に進出して異邦人を多く含む共同体となってからは、パレスチナのユダヤ人の間で活動されたイエスの状況とは大きく違ってきています。その状況の違いを認識して、イエスから出たとされる言葉の(その状況における)意義を確認することは必要であり、福音書の理解にとって有益です。とくに、ヘレニズム世界の諸国民に語りかけようとしているルカは、パレスチナ・ユダヤ人の間で働かれたイエスとは状況が大きく違います。その状況の違いを認識して、ルカが伝えるイエスの言葉の意義内容を理解することはルカ福音書の理解にとって必要です。そして、そうすること(ルカの状況でイエスの言葉を理解すること)は、決してイエスの言葉の権威を貶めるものではなく、かえってイエスの言葉が硬直した教条の言葉ではなく、状況に向かって語りかける柔軟性のある生きた言葉であることを理解することになります。


  神の国に入るのは誰か

 「神の国はいつ来るのか」という問いから始まり、「神の国」あるいは「人の子」の到来を主題とする区分(セクシヨン)(一七・二〇〜一八・八)に続いて、ルカは「神の国」に関わる別の共通した主題をもつ三つの段落からなる区分(セクシヨン)(一八・九〜三〇)を置きます。この「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえと、続く「子供を祝福する」、「金持ちの議員」の三つの段落は、「神の国に入るのは誰か」という主題でまとめられています。後二つの段落では、明確に「神の国に入る」という句でその主題が指し示されていますが、最初の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえにはこの句はありません。しかし、それと同じことを問題にしている「義とされる」という表現があり、この三つの段落が一つの共通した主題でまとめられていることが分かります。

 この区分(セクシヨン)(一八・九〜三〇)にまとめられた三つの段落の中、第一の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえは他の福音書にはなく、ルカの特殊資料Lに属します。しかし、後の二つはマルコとマタイにもあり、「旅行記」でずっとマルコから離れていたルカは、ここでマルコに戻ります。


104 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ(一八・九〜一四)

 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。(一八・九)

 「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」は、どの社会にいます。「自分は正しい人間であるということに頼って(基づいて)」(直訳)他人を見下げることは、ほとんど人間の本性です。自分は正しい人間であると自覚したり口にしたりしていなくても、わたしたちは無意識のうちに自分を規準(物差し)にして他人を見て測っています。何人かの人が集まって人のうわさ話をしているのを聴きますと、人を賞賛することは少なく、大部分は批判であり悪口です。その話しぶりにはありありと、自分はあんなことをしないが、あの人はあんなことをしているという気持ちが滲み出ています。それは無意識に自分を規準として他人を批判し裁いているのです。

 イエスはそのような人間の本性が神に忌み嫌われるものであることを、たとえを用いて語り出されます。これは実例としてあげられたファリサイ派の人に対する警告であるだけでなく、すべての人間に本性的な、ほとんど無意識の自己義認に対する警告です。従って、文頭近くにある「〜もまた」という語は、こういう(一部の)人々に対してもまた語られた、という意味ではなく、(多くのたとえの中で)このようなたとえをも語られたと理解すべきでしょう。ここでは「この比喩を語られた」とありますが、これは比喩というより、実例をあげて説くという内容です。

 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった」。(一八・一〇)

 イエスは、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」の実例として、ファリサイ派の人を取り上げられます。イエスの周囲にいる人たちの中で、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」の代表格はファリサイ派の人々です。そして、その対極にいるのが徴税人です。当時のユダヤ人の社会は、ユダヤ教が支配する宗教社会でした。そのユダヤ教社会で自他共に「義人」とされていたのがファリサイ派の人々であり、その対極で「罪人」と呼ばれて軽蔑され、ユダヤ教社会から疎外されている人たちの代表格として徴税人が取り上げられます。イエスは、神殿に上って祈る二人の姿を実例としてあげて、人間に本性的な自己義認がいかに神に忌み嫌われ、神に義とされる(=神に受け入れられる)のを妨げているかを示されます。

 「ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています』。ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください』」。(一八・一一〜一三)

 ファリサイ派の人は立って、「心の中で」このように祈ったとありますが、心の中を読むことは誰にもできません。これは、日頃のファリサイ派の人たちの言動から、彼らの祈りの内容を推察あるいは構成したものでしょう。しかし、その推察・構成がなければ、このたとえ話(例話)は意味をなしませんから、この形でイエスのたとえ話として伝承されていたとすべきでしょう。

 神殿での祈りは「立って」祈るのが普通ですが、ここの「立って」には、義人である自分の祈りは当然神に受け入れられるという彼の自信が示唆されているように感じられます。

 ファリサイ派の人々の祈りがこのようなものでることは、伝えられているファリサイ派の有名なラビの祈りが示しています。イエスから少し後、ルカよりは少し早い時代(七〇年頃)の有名なファリサイ派ラビのネフニア・ベン・ハッカーナーの祈りとして次のような祈りが伝えられています。

   「わが神、わが父祖の神よ、私はあたなたが私に律法の教えの家と集会堂に座す人々に連なる者とさせてくださったこと、私を劇場とか演技場に連なる者となさらなかったことに感謝します。私は努力し、彼らも努力します。私は熱心で、彼らも熱心です。しかし私は楽園を得るのに努力しますが、彼らは墓の泉のために努力します」。    (パレスチナ・ベラコート四・七d三一)

 この祈りはファリサイ派の人々が神の前に出るときの姿勢が典型的に語り出されています。どちらの祈りでも、彼らはモーセが伝えた神の律法を守ることに熱心であることを神の前に誇り、自分を「義人」だと自任しています。そしてその裏側として、律法を知らず、学ぼうともせず、行うことのない「ほかの人たち」を「罪人」と呼んで見下し軽蔑しています。その軽蔑はとくに、ユダヤ教社会で「罪人」と呼ばれる階層の中でも代表格の徴税人に向けられ、自分が「この徴税人のような者でもない」ことを神に感謝することになります。

 ファリサイ派の人々はモーセ律法を順守するだけでなく、献げ物や断食など、敬虔の業で規定以上のことを行って、自分の神に仕える敬虔さを誇っていました。たとえば、律法は年に一度の大贖罪日の苦行(断食)を命じていますが(レビ一六・二九〜三四)、ファリサイ派の人々は、歴史の中で律法学者たちが形成した口伝律法に基づき、週に二度、月曜日と木曜日に断食していました。献げ物の中でも重要な「十分の一」の献げ物についても、律法は収入のすべてについて命じているのではありませんが(申命記一四・二二〜二三)、ファリサイ派の人々は、「はっか、いのんど、クミンなどの薬味」に至るまで「十分の一」を宮に納めて、その厳格な律法順守を誇っていました(マタイ二三・二三協会訳)。

 ファリサイ派の人が、自分が他の人たち、とくに徴税人のような律法を学ぶことも行うこともない者ではなく、律法を学び行う義人にしてくださったことを神に感謝していますが、その感謝の祈りにはありありと、自分の義によって神に受け入れられていることを誇る気持ちが滲み出ています。

 それに対して徴税人は、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈っています。彼は「遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら」祈っています。彼も「立って」祈っていますが、「遠くに」立っていることと、「目を天に上げようともせず」うつむいた姿勢で祈っているのは、おそらく天を仰いで両手を広げて祈っているファリサイ派の人と対照的に、彼の神の前での心情、すなわち自分は神の前に出る資格は何もないという無価値、無資格の自覚の表れでしょう。さらに「胸を打ちながら」は改悛を表すジェスチャーです。

 外の姿勢に表された彼の心の中での祈りが、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」という言葉で表現されています。徴税人の自分は神の前に出る資格のない者であるという自覚が「罪人のわたし」という告白に出ています。ここの「罪人」は、律法に違反する個々の行為あるいはその集積ではなく、自分の全存在が汚れた者として神との交わりに値しないという自覚です。、しかし、その資格のない者も神に受け入れられることを切に願わないではおれないところに、「わたしを憐れんでください」という祈りが出てきます。

 ここで「憐れんでください」と訳されている動詞の原意は、「和解してください」という意味です。この動詞は、新約聖書ではこことヘブライ書二・一七の二カ所に出てくるだけです。この動詞は、「贖い、償い」という意味の《ヒラスモス》と同系の動詞で、ヘブライ書では「罪を償う」という本来の意味で用いられています。この徴税人の祈りは、「神様、あなたが(わたしを贖って)罪人であるわたしと和解してください」と祈っているのです。すなわち、自分は何もすることができないので、神様、あなたがわたしと和解して、わたしをあなたとの交わりに受け入れてください」と祈っているのです。自分の働きを放棄して、ひたすら神の贖いと和解の働きに委ねているのです。

 「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。(一八・一四)

 ここでイエスは「わたしはあなたたちに言う」と、改まった言い方で重大な宣言をされます。これは「モーセは言っている」に対立するイエスの宣言です。モーセが言っていることを超える事態が到来していることを宣言する表現です。モーセ律法の立場では、義とされるのは律法を守っているファリサイ派の人であって、徴税人ではありません。それに対してイエスは逆のことを宣言されます。

 「義とされる」は、当時のユダヤ教徒の最大関心事でした。神から義人(正しい者)と認められて、神の民としての資格のある者と宣言されることは、すべてのユダヤ教徒の宗教生活の目標でした。当時のユダヤ教では、義とされるのはモーセ律法を順守することによるというのが自明の原則でした。イエスの「神の国」告知は、その常識をくつがえすものでした。

 イエスの「神の支配」の告知の実質は、終末的な恩恵の支配到来の告知でした。父の無条件絶対の恩恵が支配する終末的事態が到来しているのです。律法を行ったからではなく、自分の無価値を認めて、神の恩恵に身を委ねる者が「神の国」に入るのです。その事態をイエスは、「貧しい者は幸いだ。神の国はその人のものである」とか、「わたしが来たのは義人を招くためではなく、罪人を招くためである」と宣言されました。自分の律法の行いを誇り、それを根拠にして義を主張する「義人」は、恩恵を必要とせず、恩恵を拒むことで、神の終末的な恩恵の支配、すなわち「神の国」から退けられます。このことが最後に、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」という格言的な表現で指し示されます。今このたとえで、自らの無価値を認めて「へりくだる者」である徴税人は高められて神の子とされ、自らを義人と自任して「高ぶる者」ファリサイ派の人は、神に退けられて「低くされ」ます。

 このたとえはルカだけにあるたとえで、他の福音書にはありません。しかし、恩恵の告知のゆえにファリサイ派と対立し、徴税人と食卓を共にされたイエスがこのようなたとえを語られたことは当然であり、このたとえがイエスから出たものであることを疑う理由はありません。ところが、このたとえをこのようなギリシア語の形で福音書の中に置いたのはルカですから、その語り方にルカの時代の状況が重なっているのも事実です。

 たとえば、徴税人の「神様、罪人のわたしを憐れんでください」という祈りについて、イエスがどのようなアラム語で語られたかは確認できませんが、それを「神様、罪人のわたしと和解してください」という珍しいギリシア語を用いて伝えたのはルカです。このような表現を用いて、律法順守を誇るファリサイ派の人との祈りと対照したのはルカですから、この対照によってルカは自分の時代のファリサイ派ユダヤ教会堂と異邦人キリスト信仰共同体を対比している可能性もあります。すなわち、いまだにモーセ律法の順守を神の民の根拠としているユダヤ教会堂(ルカの時代の会堂はファリサイ派でした)に対して、もはやモーセ律法とは全然関係なく、ひたすらイエス・キリストの十字架によって成し遂げられた贖いに依り頼み、神がなしてくださった和解だけを神の民の根拠にしている異邦人キリスト共同体こそが、神に義とされ、神の民として受け入れられているのだ、という主張を重ねている可能性があります。そうだとすると、ルカにおいてはこのたとえのファリサイ派の人はユダヤ教会堂を指し、徴税人は異邦人キリスト共同体を象徴することになります。

 さらに視野を世界の宗教史にまで広げると、この比喩は親鸞の「悪人正機」の思想を思い起こさせます。親鸞は、自身の罪業深重を自覚し、ひたすら弥陀の本願に頼るほかはないと身を委ねるのは、善人よりも悪人であるから、悪人の方が弥陀の本願にあずかる本道にいるとしました。このような質の信仰は、まさにイエスがこのたとえで指し示された信仰に他なりません。

 両者の信仰の同質性は、両者の深い宗教性が、イエスの場合はユダヤ教伝統の中で、親鸞の場合は仏教文化の中で発現したものであって、相互の関連はないとする見方もできます。しかし、イエスは親鸞より千二百年も前に現れた方であり(親鸞の活動は一三世紀)、その間の世界の歴史における東西交流が想像以上に盛んであったことを考えると、イエスの信仰から始まるキリスト教の影響がアジアの仏教世界に影響を及ぼし、その影響下に大乗仏教の中で浄土系の信仰が発展し、日本の法然・親鸞の信仰に至ったという関連も可能性があります。

 

105 子供を祝福する (一八・一五〜一七)

 ルカは第二部の「旅行記」ではマルコから離れて、マルコにはない「語録資料Q」や彼の特殊資料Lを用いて、ルカ独自の物語を構成してきました。ここでルカはマルコに戻り、マルコ福音書の記述に沿って物語を進めていきます。エルサレムに入る直前のエリコでの徴税人ザアカイの話と「ムナ」のたとえでは、一時またマルコから離れていますが、その後ではマルコに忠実に従い、第三部の「エルサレムでの受難」の物語に入っていきます。

 イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。(一八・一五)

 この「子供を祝福する」の段落は、マルコ(一〇・一三〜一六)とマタイ(一九・一三〜一五)に並行記事があります。マタイとルカは基本的にはマルコに従っていますが、それぞれ少しずつ変えています。マタイはマルコの「触れていただくために」を、「手を置いて祈っていただくために」と詳しくしています。ルカはマルコをそのまま用いています。当時の人は、霊的な働きをする方に触れる、あるいは触れていただくことによって、霊的な祝福が伝わると信じていましたから、神の霊によって大きな働きをしておられるイエスのことを聞いた多くの母親が、イエスから神の祝福をいただくために、幼い子供たちを連れてきて触れていただこうとします。

 マルコは通常の「子供」を意味する語《パイス》の縮小形《パイディオン》を用いて、母親が「幼い子供」を連れてきたとしています。マタイはそのままその語を用いていますが、ルカはここで「胎児、生まれたばかりの乳児」を指す《ブレフォス》にしています。しかもその前に「もまた、さえも」という意味を示す語を置いて、「乳飲み子までも」連れてきたとしています。

 これは、弟子たちが「これを見て叱った」理由を強調するためではないかと考えられます。マルコは、「幼い子供たち」を連れてきたのを見て弟子たちが叱ったとしていますが、それは、イエスが大きな事業を成し遂げようとしておられるエルサレムがいよいよ近くになっているこの時期に、まだ律法のことも分からず一人前のユダヤ教徒ではない子供たちを連れてきて、先生や自分たちを煩わすことを叱ったと考えられますが、ルカは「乳飲み子までも」とすることで、その意味を強調したのではないかと考えられます。

 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」。(一八・一六)

 人々が連れてきたのは乳飲み子だけでなく、乳飲み子を含む「幼い子供たち」であったことは、このイエスの言葉からも分かります。イエスは「彼ら」(原文は代名詞)を呼び寄せて、「その幼い子供たちをわたしのところに来させなさい」と言っておられます。したがって、イエスが呼び寄せられた「彼ら」は、(新共同訳のように)乳飲み子だけでなく、「乳飲み子までも」含む幼い子供たちであったことになります。

 弟子たちが子供を連れてきた人たちを叱ったのを見られたイエスは、「憤って彼ら(弟子たち)に言われた」とマルコ(一〇・一四)と書いていますが、ルカはこれを「彼ら(幼子たち)を呼び寄せて言われた」としています。ルカがマルコの記事を変えたのか、ルカはマルコと別の系統の伝承を用いているのかは確認できませんが、ルカがマルコを知っている以上、ルカは(マルコがしているように)イエスが「憤った」ことは伝える必要はないとしたことになります。しかし、この時のイエスの憤りは、幼子がイエスのもとに来るのを拒否した弟子たちの行動を、神の国の本質に背く行動として、イエスがいかに重大視しておられるかを示す姿として重要です。

 イエスが「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と言われた理由が、理由を示す小辞《ガル》で導かれる「神の国はこのような者たちのものであるからだ」という文で明言されています。イエスは「彼らのものである」とは言われず、「このような者たちのものである」と言っておられます。すなわち、子供が子供であるがゆえにただちに「神の国」に所属するのではなく、大人が(イエスはここで大人たちに向かって語っておられます)この子供や乳飲み子のような姿にならなければ「神の国」に入ることはできない、と言っておられるのです。そのことは次節で明言されます。

 「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。(一八・一七)

 イエスは改まった口調で、「アーメン、わたしはあなたたちに言う」と語り出されます。これは、先にも述べたように、モーセを超える権威をもって、モーセ律法の原理を超えることを語り出されるイエスの語り方です。モーセ律法の原理では神の支配にあずかるのは律法を順守する者ですから、幼子はまだ律法を知らず、自ら守ることもできないので、ユダヤ教では子供は神の支配とは関わりのない者とされていました。厳格な律法順守で有名なクムラン宗団は「愚か者、馬鹿者、年少の子供は共同体に入ってはならない」としていました(4QDb)。そのようなユダヤ教の原理に対して、イエスは「子供のように」神の国を受け入れるのでなければ、決して「神の国」に入ることはできない、と断言されます。

 この場合、「子供のように」というのは、どのよな姿を指しているのでしょうか。現代のわたしたちの間では、幼子は純真、疑いを知らない純粋無垢の象徴のように扱われることが多いようですが、ユダヤ教社会では、先に見たように、違っていたようです。すべてを律法の観点から見るユダヤ教社会では、子供はまだ律法を知らず、本能的、利己的で、悪しき衝動を抑制して自己を鍛えていない未成熟者と扱われていました。しかし、ここでイエスは子供を律法の観点からではなく、すなわち何をすることができるかという観点からではなく、「神の国」との関わりの観点から見ておられます。イエスにおいて「神の国」、「神の支配」は「恩恵の支配」のことですから、神が恩恵として差し出しておられるものを受け取るかどうかという観点から見られることになります。それは、ここで「受け入れる、受け取る」という動詞が用いられていることからも分かります。

 乳飲み子を含む幼子は、自分で生存することはできません。親が与えてくれるものを受け取ることだけで生存しています。そのように、自分の能力で存在するのでなく、自分からは何もできない者として、親が与えてくれるものに全面的に依存して存在している姿を、イエスはここで「幼子のように」と言っておられるのです。ルカが「乳飲み子までも」と書いたのは、子供のこの姿を強調することにもなっています。

 このような幼子の立場で神が差し出してくださっている無条件の恩恵を無条件に受け取り、その恩恵だけに委ねて生きる者だけが、神の支配の現実に入っていくことができるのです。先の「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえの徴税人は、自分が無資格であることの自覚を指し示していました。無資格の自覚は恩恵を恩恵とする信仰の表れです。この幼子の言葉では、無条件の受け取りが前面に出ています。この無条件の受け取りが信仰です。パウロは「信仰によって義とされる」と言いました。信仰は恩恵を前提としています。わたしたちは「恩恵により信仰によって救われている」のです(エフェソ二・一〇)。ルカがこのイエスの語録を伝えるとき、パウロの福音活動圏で働いていたルカには、パウロのこの旗印が響いていたことでしょう。


106 金持ちの議員 (一八・一八〜三〇)

イエスと議員との対話

 ある議員がイエスに、「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた。(一八・一八)

 この物語はマルコ(一〇・一七〜三一)にあり、マタイ(一九・一六〜三〇)もそれを継承していますから、三つの共観福音書すべてに伝えられていることになります。ただ、マルコでは「ある人」とあり、マタイも同じですが、ルカは「議員」としています。もしこの人が「議員」であれば、この対話がエルサレムへの旅の終わりの方に置かれている理由も分かりやすくなります。「議員」にはいろいろな意味がありますが、最高法院の議員を指す場合が多いので、そうだとするとこの対話はガリラヤよりもエルサレムに近い地域が適切となります。最高法院の議員はエルサレムまたはその近くの地域の者が多かったと考えられるからです。

 三つの共観福音書はみな、この人が裕福であったことを強調しています。マルコは「たくさんの財産を持っていた」と表現し、マタイも同じですが、ルカは「大変な金持ちであった」と、すこし表現を変えています。マタイ(一九・二二)だけがこの人を「青年」としています。「議員」はたいてい年配者です。「青年、若者」が大きな資産を(相続などで)持っていることは不可能ではありませんが、「議員」には資産家が多いので、この方が自然です。

 この物語では質問した人が金持ちであることが重要で、議員であるかどうか身分は問題ではありません。ルカはこの人物が金持ちであることを納得させるために「議員」とした可能性も考えられますが、実際にどのような立場の人物であったかは確認できません。議員の中にもニコデモやアリマタヤのヨセフのようにイエスを秘かに信じていた人もいたのですから、ここで「議員」がこのような質問をしてもおかしくはありません。

 「議員」であれ「青年」であれ、ここではこの人物が真面目なユダヤ教徒であることが重要です。当時のユダヤ教徒にとって究極の目標は「永遠の命を受け継ぐ」ことでした。もともとイスラエルの宗教はヤハウェと契約したイスラエルの民の救済と栄光が目標でした。ヘレニズム期には滔々たるギリシア化の波に抵抗して「父祖の信仰」を維持しようとする運動からファリサイ派が生まれますが、相手の土俵で戦うことでファリサイ派の信仰はギリシア的な個人の救済に重点を置く宗教に変質していきます。イエスの時代のユダヤ教の主流となっていたファリサイ派はヘレニズム・ユダヤ教(ギリシア化したユダヤ教)でした。また、当時のユダヤ教では黙示思想が行われ、やがて神の支配が実現する世が来るという終末的待望がありましたので、その「来るべき世」で与えられる命が「永遠の命」と呼ばれ、自分がその「永遠の命」を受け継ぐ者となることがユダヤ教徒個々人の宗教生活の目標となっていました。

 ユダヤ教は実践的な宗教です。ここで議員が「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねていることは、ユダヤ教徒の彼にすれば当然です。哲学的なギリシア人や仏教徒のように観相や悟りの境地を尋ねるのではなく、何をすることが必要かと尋ねます。

 議員はイエスに向かって「善い先生」と呼びかけて、この人生根本問題を尋ねています。議員はユダヤ教の指導層に属します。しかし、長年の人生体験もユダヤ教の実践も彼にこの根本問題についての解決と確信を与えることができませんでした。イエスは数々の力ある業(奇跡)によって神から遣わされた人物であることを示していると考え、自分の宗教的根本問題を解決してくれる「善き師」と見たと思われます。この方に尋ねたら、神の道(神が求めておられる永遠の命に至る方法)が示されるかもしれないと考えたのでしょう。このような思いは、同じく議員であるニコデモがイエスのもとに来て、「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたがたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」と言ったのと同じでしょう(ヨハネ三・二)。
 イエスは議員の質問に答える前に、彼が「善き師」と言った言葉を取り上げて、どこに答えを求めるべきかを指し示されます。

 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」。(一八・一九)

 イエスは自分を「善い者」とすることを拒まれます。神だけを「善い者」として、一切の善を神に帰し、ご自身を含め人間に善を帰すことを厳しく退けられます。イエスは自分を無として、神をすべての価値の源泉とされます。自分を無とされるゆえに、神に満たされておられる、それがイエスの人格の秘密です。

 イエスは、質問した議員が「善い先生」から永遠の命を受け継ぐ道を教えてもらってそれを実践し、永遠の命に至ろうとしていることを見抜いておられます。イエスを「善い先生」として、その教えによって永遠の命に至ろうとするところに、なお人間の働きによって永遠の命に至ろうとする質問者の立場が見え透いており、それが根本的に間違っていることを指摘しようとされます。

 「『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」。(一八・二〇)

 「何をすればよいか」と問うのであれば、それはあなたがすでによく知っているはずだ、とイエスはお答えになります。ユダヤ教徒であれば、人がなすべきことはモーセ律法によって神から示されていることを知っているではないか、とイエスは言っておられるのです。

 ここにあげられている五つの戒めは、順序は違いますが「モーセの十戒」の後半にある人間関係についての戒めです。マルコ(一〇・一九)があげてる戒めのリストとは数も順序も少し違いますが、マルコ版は出エジプト記二〇・一三〜一四に従い、ルカの方は最初期共同体の訓戒(ローマ一三・九)に従っているようです。どちらも、モーセの十戒では神との関わりを扱う前半の最後に置かれている「父と母を敬え」という戒めを最後に加えています。しかし、そのような違いは、ここでは問題ではありません。「何をすればよいか」ということは、あなたはすでに知っているではないか、という点が重要です。

 すると議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。(一八・二一)

 忠実なユダヤ教徒である議員は、この戒めを子供の時から守ってきたのは事実でしょう。しかし、戒めを守ることでは、永遠の命を受け継ぐ保証にならないことを、彼自身がよく自覚しています。戒めを守ってきた自分に、永遠の命を受け継ぐ確信がないからこそ「善い先生」にその道を尋ねたのです。

 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」。(一八・二二)

 イエスは議員に、自分の財産を貧しい人たちに施す慈善の業が一つ足りない、と言っておられるのではありません。神の前に自分が持っているもので立とうとする立場そのものを完全に放棄するように求めておられるのです。地上には自分のものを何ひとつ持たず、ただ天にだけ価値あるものを持つ者、すなわち完全に「貧しい者」となって、イエスの仲間になり、イエスに従ってくるように求めておられるのです。「永遠の生命を受け継ぐ」とか「神の国に入る」ということは、自分が為したことや自分が所有しているものによるのではなく、イエスに従い、自分を無とするイエスの在り方に合わせられることによるのです。それはやがて、「イエスに従う者に賜る聖霊」(使徒行伝五・三二)によって現実に体験することになります。

 ここのイエスの言葉は、実際に全財産を売り払って貧しい者たちに施すことを永遠の命を受け継ぐための条件としておられるのではなく、それができない自分の無価値、無能力に気づかせ、自分を恩恵に投げ出すように、恩恵の場を指し示しておられるものであることは、同じルカがすぐ後に挙げている金持ちのザアカイの事例(一九・一〜一〇)からも分かります。徴税人の頭で金持ちであったサアカイは、エルサレムに向かうイエスがエリコの町を通られたとき、「今日はあなたの家に泊まりたい」と言われたイエスを喜んで自分の家にお迎えします。普段は罪人としてユダヤ人社会から除け者にされている自分を無条件に受け入れてくださるイエスの心(それは神の無条件の恩恵の表れです)に感動したザアカイは、財産の半分を貧しい人たちに施すことを自発的に申し出ます。イエスはこのザアカイに「今日、この家に救いが訪れた」と言っておられます。このように財産を売って施すことは、恩恵によって救われた結果であって、恩恵に入るための条件ではありません。

 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。(一八・二三)

 この議員の場合は、それができない自分を恩恵に投げ入れることができず、永遠の命を受け継ぐ資格を獲得できないことを「非常に悲しみ」ます。大きな財産をもち、ユダヤ教社会で名誉ある地位を築いている議員は、その全財産を売り払い貧しい人たちに施し、無一物になって無名のガリラヤの大工の弟子となり各地を巡回する(=放浪する)ような生活に入ることはできません。それができない以上、永遠の命を受け継ぐ保証が得られないとするならば、自分は到底その資格は得られないと思い、「非常に悲しみ」ます。しかしもし彼が、それができない自分を無価値・無資格の者として、「できないわたしを助けてください」と、イエスの前に、すなわちイエスが告知される神の絶対無条件の恩恵に投げ出しておれば、後にイエスが言われたように、「人にはきないことも、神にはできる」のですから、彼が永遠の命を賜っていることを喜ぶことができるような道が開けたことでしょう。

 マルコでは「悲しみながら立ち去った」となっています。おそらく議員はその場から立ち去ったのでしょう。ルカは、もはや議員の行動は以下のイエスの言葉には関係がないとして省略したのでしょうか。以下の対話は、議員が立ち去った後のイエスと弟子たちとの対話になります。

 

イエスと弟子たちとの対話

 イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」。(一八・二四〜二五)

 議員が非常に悲しんで立ち去っていくのを見て、イエスは(おそらく彼が立ち去った後)語り出されます。このイエスの言葉は、神の国の祝福を宣言されたあの「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである」(六・二〇)という言葉の裏側になります。二つの語録は表裏一体の言葉として、富に対するイエスの姿勢を伝えています。

 たしかに貧しいこと自体が神の国に入る資格となるのではなく、マタイが「霊において貧しい者」としたように、イエスの言われる「貧しさ」は神の前での貧しさ、すなわち自分の無価値、無資格を自覚して神の無条件の恩恵だけに身を委ねる姿勢をさしています。同様に、富もそれ自体が神の国に入る資格をなすものではなく、またそれを妨げるものでもありません。富を持つことを誇り、富に自分の祝福の根拠を置く人の在り方が、その人を恩恵の支配から締め出すのです。この場合の富は、物質的な財産だけでなく、地位や名誉や教養や学識など、人間が価値あるものとするすべてです。このような「富」は、人間の本性的な自我性を強め、撞き固めます。金持ちや地位の高い人は、ほとんどが傲慢です。

 このような意味で富める者が神の国に入る(=神の支配の現実を体験する)のはきわめて難しいことです。神の国は恩恵の支配だからです。このように自分の価値に頼る者は、神の無条件の恩恵に身を委ねることはできません。それに対して実際に貧しい者は、自分に価値あるものを見つけようとしてもできないのが普通ですから、差し出された神の恩恵に喜んで身を委ねることになります。実際、キリストの福音が宣べ伝えられたとき、それを受け入れて信仰に入ったのは、ほとんどが貧しい階層の人たちでした(コリントT・二六〜三一)。

 実際には富める者が神の国に入ることの難しさを、イエスは「らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」というイエス独特の戯画的なたとえで表現されます。「針の穴」というのはエルサレムの城壁にあったごく小さいくぐり穴を指しているという説明もありますが、そうだとすると戯画はいっそう具体的なイメージになります。

 これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。(一八・二六〜二七)

 「それでは、だれが救われるのだろうか」と言ったのは、マルコでは弟子たちとなっていますが(マタイも同じ)、ルカは「聞いた人々」としています。すぐにペトロが発言していることからも、弟子たちがこれを聞いたことは確かですから、議員が立ち去った後の対話は、弟子たちと取り囲む人たちとの対話ということになります。

 ルカはただ「聞いていた人々」というだけで、どの言葉を聞いたのか特定していませんが、質問にこめられた驚きと、次のペトロの発言からすると、イエスが議員に「持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」と言われた言葉を指していると考えられます。もし永遠の命を受け継ぐには、そのような英雄的な行動が必要であるならば、いったい誰が救われるのだろうか、という驚きを思わず口にしたのでしょう。

 その驚きに対してイエスはお答えになります。その言葉は、マルコでは「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」となっています。マタイでは「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」となり、ルカでは「人間にはできないことも、神にはできる」とあり、だんだんと簡潔になっていっています。表現は少しずつ違っていますが、主旨は同じです。「人間にはできない」と「神にはできる」の対照です。

 イエスは、そのような英雄的な行動は人間にはできないことであると認めておられます。それにもかかわらずあえてそうするように議員に求められたのは、議員が自分の無能力・無価値を認めて、神の恩恵の力に身を委ねるように導くためでした。もし議員が恩恵に身を投げ出しておれば、神が議員にそのような行動をする力をお与えになり、議員は内から溢れる神の力、聖霊の愛に促されて、自分では思いもよらなかった施しの生活に入っていき、その中で永遠の命の確かさと喜びを持つことができたのです。恩恵への感謝と神の愛に溢れて、進んで持ち物を施す生活に入っていくことができたのです。それは必ずしも全財産を売り払い施すという形ではないかもしれません。ザアカイのように半分を貧しい人たちに施すという形になったかもしれません。恩恵の場では、神は決してこれだけの行為をせよとお命じにはなりません。恩恵の場に生きる者は、内から溢れる命に促されて善をなすのです。

 この「人間にはできないことも、神にはできる」というお言葉は、よく奇跡を祈り求める場で用いられます。これ以上は人間の力は及ばない、後は神の奇跡を待つだけという場面で、信仰と祈りを励ますために用いられます。たしかに、イエスが病気をいやされ、生まれながら見えない人を見えるようにするなど、多くの力ある業をなされたとき、この言葉が実証されています。しかし、この言葉が語られなければならない本来の場は、ここに見られるような救済の出来事が起こる場です。人は自分で無価値・無資格を認めて、すなわち自我を打ち砕いて、神の恩恵に身を委ねることができません。神がそれを可能にしてくださるのです。

 では、神はどのようにして自我を打ち砕くという人のできないことを成し遂げてくださるのでしょうか。それは反抗を力ずくで撃ち砕いて成し遂げるという仕方ではなく、人間の弱さを自らに引き受けるという、人間が思い浮かべることもできないような意外な仕方で為して遂げられたのです。それがイエス・キリストの十字架です。イエスが十字架の上に血を流して死なれた時、それはわれわれ人間の罪のためであった、すなわち、自己の価値を主張して、神の恩恵に平伏そうとしない人間の自我性という根源的な罪を自らに引き受けての死であったのです。神はイエスの十字架において人間のかたくなな自我心を打ち砕かれました。今、イエスを信じてその十字架に合わせられる者は、自我の砕けを恩恵として賜るのです。

 するとペトロが「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。(一八・二八)

 自分の財産を売り払ってイエスに従うようなことはできず、悲しみながら立ち去った議員に較べ、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と、弟子たちを代表してペトロが言い出します。この言葉はほぼマルコと同じですが、マタイはこの後に「では、わたしたちは何をいただけるでしょうか」という言葉を加えています。マタイは弟子たちを、当時のユダヤ教の報償思想の枠の中にいる人物として描いています。

 ペトロをはじめ弟子たちは、たしかにイエスの地上の働きの時期から家族や家業を犠牲にして、各地を巡回されるイエスにつき従ってきました。しかし、その犠牲はなお部分的でした。彼らにはなお帰って行くことができる家や家業が残されていました。事実彼らは、イエスがエルサレムで十字架上に死なれたあと、ガリラヤに帰って家業の漁師に戻っています。彼らが「すべてを捨てて」、すなわち家族と家業のすべてを捨てて、イエスをキリストと宣べ伝える働きに従事するようになったのは、エルサレムから逃げ帰ったガリラヤで復活されたイエスに出会い、そのイエスから召命を受けた時でした。ガリラヤにおける働きの最初におかれている湖畔でのイエスとの出会いの記事は、復活者イエスの顕現の体験から出ていて、そこの「すべてを捨ててイエスに従った」(五・一一)という言葉は、この時のペトロの行動を指しています。その時、彼らは家族と家業のいっさいを捨ててエルサレムに移住します。ここのペトロの言葉は、地上のイエスの働きの時期の言葉ではありますが、イエス復活後の弟子たちの姿にいっそう正確に当てはまります。

 イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける」。(一八・二九〜三〇)

 ペトロの発言に対して、イエスは「アーメン、わたしはあなたたちに言う」という重い表現で、イエスに従う者が受けるものについて語り出されます。
 マルコでは、「わたしのため、また福音のために」すべてを捨てた者について語られています。マタイでは「わたしのために」だけです。おそらくこれが「語録資料Q」に伝えられていたイエスの言葉でしょうが、イエスの復活後の状況では「イエスのために」働くことは「福音のために」働くこととなっていましたから、この語録を自分の時代の福音活動に適用しようとしたマルコが、この「福音のために」を加えたと見られます。「福音のために」がマルコの編集句であることは広く認められています。それに対して、ルカは「神の国のために」としています。ルカはイエスの働きもイエス復活後の福音活動も「神の国を福音する」という表現で指し示しています。イエスに従い、世に福音を告知する働きは「神の国のために」働くことと表現されます。

 「わたしのために」、「福音のために」、また「神の国のために」捨てるもののリストは、各福音書で少しずつ違っていますが、その違いは特別な意味をもつものではなく、家族や家業や資産など、この世の生活で手放すことができないとされているものを指しています。「神の国」を受け継ぐために、イエスに従い福音の働きをするために、人が「それだけは手放すことができない」と強く執着しているものを捨てる者が受け継ぐものを、イエスは二つ約束されます。

 その二つは、「この世で受ける」ものと、「後の世で受ける」ものという形で指し示されます。「後の世」と訳されている語は、原語では「来たるべき世《アイオーン》」という形であり、それは現在の「この世《アイオーン》」と対比して、終わりの日に神が世界にもたらされる新しい世《アイオーン》を指しています。ここではっきりと「二つの《アイオーン》」という、当時のユダヤ教黙示思想の枠組みが用いられています。《アイオーン》というギリシア語は本来「時代、世代」を意味する語ですが、ユダヤ教黙示思想では終末的な時代区分を指す用語として用いられ、「神は二つの《アイオーン》、すなわち今のこの《アイオーン》と次ぎに来る《アイオーン》の二つを創造された」とされました。「今のこの《アイオーン》」では、律法を守る義人は今の世を支配する悪の権力によって苦しめられているが、やがて到来する「来るべき《アイオーン》」では神の支配が確立し、義人は栄光に入れられるとされていました。ユダヤ教の枠内で福音を語るマタイは、「新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」と、ユダヤ教黙示思想の表現をそのまま用いています(マタイ一九・二八)。先に「永遠の命を受け継ぐには何をすべきか」と尋ねた議員との対話においても、議員は「永遠の命」を来たるべき《アイオーン》における命という当時のユダヤ教における意味で用いています。

 イエスは、神の国のためにすべてを捨てる者に来たるべき世での命、すなわち永遠の命を約束されますが、もしそれだけであれば義人に来たるべき世での栄光と命を約束している黙示思想と変わりません。約束を受け継ぐ根拠が律法の順守からイエスに従うことに変わっています(それはたしかに大きな違いです)が、この世での苦難と来たるべき世での栄光という黙示思想の枠組みから一歩も出ていないことになります。来たるべき世での永遠の命だけでなく、今のこの世での「報い」を約束されるところに、黙示思想を超えるイエスの独自性があります。

 イエスの「神の国」告知においては、終末的な神の支配がすでにこの世界に突入してきています。神の支配は恩恵の支配としてすでに始まっています。イエスが告知される恩恵に身を委ねる者は、その神の恩恵の豊かな現実に入っています。イエスの十字架・復活以後の福音告知においては、福音を信じる者には聖霊が与えられて、聖霊の交わりの中で、神の家族として豊かな新しい人間関係が始まります。そのことが「その(捨てたものの)何倍もの報いを受け」と表現されます。マルコ(一〇・三〇)は「迫害と共に」という句を加えていますが、マタイとルカはそれを入れず、受けるものの豊かさだけを強調しています。この「今の世」で受ける報いの豊かさが、イエスが黙示思想を乗り越えておられることを指し示しています。


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