ルカ福音書講解 16 

   第一六章  エルサレムを前にして   

                            ― ルカ福音書 一八章(三一節)  〜  一九章(二七節) ―


はじめに

   一八章三一節に、イエスが「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する」と言われた言葉が置かれており、一行がいよいよエルサレムに近づき、エルサレムで起ころうとしていることが緊迫感をもって語られます。その後、イエスが盲人の目を見えるようにされた奇跡(一八・三五〜四三)と徴税人にザアカイの回心(一九・一〜一〇)というエリコでの出来事が語られます。エリコはエルサレムに上る巡礼者が最後に宿る町であり、エルサレムへの旅がいよいよ最後の旅程に入ったことを示しています。

  そして、「ムナのたとえ」が、「イエスがエルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐににも現れると思っていたからである」という状況説明で導入されます(一九・一一〜二七)。次の段落(一九・二八以下)でイエスはエルサレムに入られるのですから、この区分(一八・三一〜一九・二七)は、エルサレムへの旅の最後の段階で、エルサレムで起ころうとしていることを目の前にして、イエスが語り、また為されたことを伝える緊迫した箇所になります。



107 イエス、三度死と復活を予告する  (一八・三一〜三四)

三度目の受難予告

 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する」。(一八・三一)
 先行する諸段落と後続する諸段落では、イエスは群衆の間で働き語っておられますが、この段落ではイエスは十二人の弟子だけをご自分の傍に呼び寄せて、秘かに重要な秘義を語り出されます。それは、エルサレムに入る時を目前にして、エルサレムで起こる出来事に弟子たちを備えるためです。エルサレムでイエスの身に起こる出来事は弟子たちの思いを超えることになることをイエスは知っておられます。それで、そのことが預言者が来たるべき終末的救済者「人の子」について書いたことの実現であることを教え、その出来事が神の御計画の成就であることを弟子たちが悟り、その出来事につまずくことがないようにするためです。イエスはエルサレムで起こる出来事を次のように語り出されます。

 「人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する」。(一八・三二〜三三)
 イエスがエルサレムにおける受難を予告されたことが共観福音書では三度繰り返し伝えられています。先に見たように、その中の二回目の予告(九・四四)がもっとも簡潔で、おそらくイエスの言葉の原型であろうと考えられ、第一回目(九・二二)とここの第三回目は、すでにその出来事を知っている最初期共同体がそれを伝承していく過程で出来事の詳細を加えたのではないかと推察されます。第一回目の予告では、「長老、祭司長、律法学者たちから排斥され殺され」と、ユダヤ教での裁判だけが処刑の理由としてあげられていますが、この第三回目の予告では、ユダヤ教側の裁判は触れられず、「異邦人に引き渡されて」という句でピラトの裁判から始まります。その上で、「人の子は・・・・侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す」と、ピラトの法廷におけるローマ兵によるイエスへの侮辱と暴行(茨の冠、殴打、唾かけ、鞭打ち)が事実通りに具体的に記述されます。このような出来事の具体的な記述は、この預言が出来事の事後に形成されたものであることを強く推察させますが、第二回目の予告のような簡潔な、謎《マーシャール》の形で、イエスがご自分の受難を予告された事実は確かです。

 イエスは、ご自身の「神の国」の告知、すなわち恩恵の支配の告知が、現存のユダヤ教の体制の根幹を揺さぶるものであり、祭司長たちや律法学者たちの反感と殺意を察知しておられ、同時に聖書が神に従う義人について書いていることを理解し、とくにご自身が苦難によって民を救う「主の僕」として召されている自覚から、ご自身の死を見据えておられた以上、エルサレムに向かって歩まれる途上で、弟子たちにそのことを語られたのは確実です。ただ、現在福音書に伝えられている受難予告の言葉には、受難の出来事を知っている共同体が伝承する過程で、事後予言的な記述が加えられていることは認めなければなりません。

 

復活予告について

 ところで、第一回目と第三回目の受難予告には、「そして、人の子は三日目に復活する」という復活予告がついています。しかし第二回目の受難予告には復活の予告がなく、「人の子は人々の手に引く渡される」という受難の予告だけです。一方、マルコ(とマタイ)の並行箇所では、第二回目の受難予告にも三日目の復活が予告されています。ルカのように復活予告のない伝承があることと、「三日目に復活した」という表現が《ケリュグマ》にあること(コリントT一五・四)から、この復活予告は復活されたイエスの顕現を体験した最初期共同体が受難だけ予告されたイエスの予告の言葉に加えたものとする見方が多いようです。

 たしかに、エルサレムに向かう旅の途上という状況からすると、イエスの予告はエルサレムでの受難に重点があることは事実です。弟子たちはイエスがエルサレムに入られると、メシアとしての栄光が現れ、イエスは栄光の位に就かれ、自分たちも高い地位につくと期待していた節があります。弟子たちは途上で誰が一番偉いのかを議論し、高い地位に就けてくださるようにお願いまでしています(マルコ九・三三〜三四、一〇・三五〜三七)。イエスが言われたとして、「新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる」(マタイ一九・二八)という言葉が伝えられていますが――これは黙示録二一・一四の形で成就します――、エルサレムに入るまでの弟子たちは、この言葉でメシア王国での高い位を期待したことでしょう。このような期待に対して、イエスは「十字架につけられるキリスト」の奥義を語られたのですから、弟子たちはあまりの意外さにイエスの言葉を理解できず、ただ驚き恐れるだけということになります(九・四五、一八・三四)。

 このような状況で、弟子たちのメシア期待とはまったく別のメシア像を神の定めとして語り、その出来事に弟子たちを備えようとされたのですから、予告の言葉は受難の予告に重点があり、三日目の復活予告は取って付けたような感じがあることは否めません。ルカの二回目の予告のように、復活予告を伴わない受難予告伝承があったのは事実でしょう。しかし、マルコ(八・三二)はこのイエスの言葉を《ホ・ロゴス》として、すなわちこれこそが福音であるとして提示するのですから、復活を外すことはできません。「三日目の復活」を付けた受難予告が形成され、それが他の受難予告に継承されたという推察も可能です。復活の予告が含まれるにもかかわらず、これが普通「受難・復活予告」ではなく「受難予告」と呼ばれるのにも理由があります。

 しかし、イエスはご自分の「人の子」としての道が処刑の死で終わるものでないことも確信しておられたはずです。受難の死の後に栄光が続くことも見ておられました。神が御自身に従いきった義人の義を現してくださることを知っておられました。それで、受難した「人の子」は復活して栄光に入るという言葉になって、受難の予告に続くのは当然です。復活の予告は、それが福音書の現在の受難予告の文言に入ってきた経緯はともかく、イエスご自身から出たものとすべきです。

 復活予告に「三日目に」という句があるので、復活予告は事後予言とされることが多いようです。すなわち、すでにイエスの復活を体験し、「キリストは三日目に復活した」(たとえばコリントT一五・四)と宣べ伝えていた共同体が、それを出来事の前のイエスの言葉として伝えたのだする傾向があります。しかしそうではなく、むしろ逆に、イエスが受難の後に続く栄光を示唆する言葉を語られるときに、「三日後に」とか「三日間で」というような表現を用いておられたので、キリスト復活のケリュグマに「三日目」が入ってきたと考えるべきです。

 たとえば、イエスは「三日目に」すべてを完成する(ルカ一三・三二)とか、壊された神殿を「三日で」建てる(マルコ一四・五八、一五・二九)と語っておられます。このような言葉において、「三日」は正確な数ではなく、「間もなく」とか「すぐに」という意味で用いられています(セム語には「二、三の」とか「いくつかの」というような表現がないので、代わりに「三つの」が用いられました)。イエスは「三日」という語を用いて、受難に続いてすぐに現われようとしている栄光の事態を語られたのです。

 

弟子の無理解

 十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。(一八・三四)
 イエスがエルサレムでは異邦人に引き渡されて殺されることになると予告されたので、弟子たちはただ驚き、恐れ、その意味が理解できず、それを尋ねることもできませんでした。彼らが理解できなかったのは、彼らにはこの言葉の意味が「隠されていた」からである、とルカは説明しています。キリストの十字架上の死において何が起こったのかという奥義は、神が啓示してくださらなければ誰も理解することはできません。この時の弟子たちにはまだそれは啓示されていませんでした。すなわち、それはまだ「隠されていた」のです。ただ自分たちの宗教的熱心からイエスに期待を寄せていたこの時の弟子たちには、ただただ理解できない恐ろしい言葉であったのです。

 エルサレムへの旅は、ご自分の死を神の御旨として受け取り死を覚悟して歩まれるイエスと、最後までそれを理解できず、自分たちのメシア理解からエルサレムでの栄光を期待して歩む弟子たちとの間に横たわる悲劇的な裂け目を抱えた旅でした。この旅は同じエルサレムに向かいながら、イエスと弟子たちはまったく別の道を歩んでいました。その二つの道の間には超えられない裂け目が横たわっていました。この旅は、一回目の受難予告から始まり、二回目の受難予告を経て、三回目の受難予告で終わる旅でした。ルカもマルコに従ってイエスの働きをガリラヤ、旅、エルサレムの三つの区分で記述していますが、その第二部に当たる旅の部分は受難予告を枠としています。ルカ福音書の注解者の中には、一回目の受難予告から三回目の受難予告まで(九・二一〜一八・三四)を第二巻としている人もいます(WBCのJ・ノーランド)。

 ところが、ルカはこの旅を自分だけがもつ特殊資料によって満たす物語空間としているので、この悲劇的な裂け目は覆われています。しかも、ルカは二回目と三回目の受難予告の後に弟子たちの無理解と驚きと恐れを明記しながら、この裂け目を物語る決定的なエピソードを二つとも省略しています。それは一回目の受難予告の後にある「ペトロへの叱責」の記事(マルコ八・三二〜三三)と、三回目の受難予告の後にある「ヤコブとヨハネの願い」の記事(マルコ一〇・三五〜四五)です。「ペトロへの叱責」の記事の省略については先に述べましたので、ここでは「ヤコブとヨハネの願い」の記事の省略について考察します。

 マルコは三回目の受難予告のすぐ後に、ゼベダイの子のヤコブとヨハネの兄弟がイエスのもとに来て、「あなたが栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」と願ったという出来事を伝える段落を置いています。このヤコブとヨハネの願いは、先のペトロが受難を予告されたイエスを「とんでもないことです。そんなことはあってはなりません」と言って諫めたペトロの諫言と並んで、弟子たちの無理解、イエスの道との裂け目をさらけ出す記事です。

 イエスも「新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき」(マタイ一九・二八)という表現を用いられたとされいます。これは典型的なユダヤ教黙示思想の世界です。イエスも弟子たちも当時のユダヤ教黙示思想の世界に呼吸しています。弟子たちは、イエスがエルサレムに入られると神はイエスによって大いなる働きを現し、イエスを栄光の座につかせ、イエスを通して約束された支配を実現されると期待していました。ヤコブとヨハネはそのような期待から、その時には自分たちを高い地位につけてくださいと願ったのですが、この期待は二人だけでなく弟子全体の期待でした。それは、他の弟子たちも二人がそのようなことを願ったことを知って「腹を立て始めた」ことからも分かります。他の弟子たちも同じことを願っていたから腹を立てたのです。この時もイエスは、二人にご自身が受けようとしておられる苦しみを「わたしが飲む杯、わたしが受けようとしているバプテスマ」という表現で指して、イエスの苦しみを共に受ける覚悟を促しておられます。

 ルカはこの「ヤコブとヨハネの願い」の記事を全面的に削除しています。先の「ペトロへの叱責」の記事の削除と共に、このことは何を意味するのでしょうか。登場人物の名を並べると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネとなりますが、これは十二使徒団の中核メンバーです。山上での変容のとき(九・二八)、またゲツセマネでの祈りのとき(マルコ一四・三三)、身近におらせてイエスの秘義に触れることを許された弟子です。ルカは「十二人」を「使徒」と呼んで最初期共同体の土台として描いていますが、その「使徒」の称号をイエスの地上の働きの時期にさかのぼらせ、福音書においても十二人を「使徒」と呼んでいます。これはルカだけです。イエスに従っていた時から「使徒」としてイエスの教えを受け継いでいた「十二人」の中でとくにイエスに身近な三人を、ルカはその無理解ぶりをさらけ出す記事を省略することによって擁護しようとしたのでしょうか。あるいは、異邦人共同体に向かって書いているルカは、このような黙示思想的期待から出るイエスへの無理解は、異邦人信者には関係のないことだから書かなかったのでしょうか。確実なことは分かりません。強いて推察すると、このよう理由とか動機が考えられます。


108 エリコの近くで盲人をいやす(一八・三五〜四三)

エリコの盲人

 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。(一八・三五)
 長い旅行記の中で、ここで初めて旅程を示唆するエリコという地名が出てきます。エリコはエルサレムの東約二〇キロにあり、ガリラヤからエルサレムに向かう巡礼者が(サマリアを避けて)ヨルダン川東岸を南下し、ヨルダン川を西に向かって渡ったとき必ず通る町です。イエスの一行が最後の過越祭のためにエルサレムに上るとき、ヨルダン川東岸の巡礼路をとったことが分かります。

 マルコ(一〇・四六)は、この出来事をイエスが「エリコを出て行こうとされた」ときのこととしていますが、ルカはエリコに「近づいた」ときとしています。おそらく次ぎにザアカイについてのエリコの町での出来事を続けるために、この出来事をエリコに入る前としたのでしょう。

 ルカは道端の物乞いをただ「ある盲人」としていますが、マルコでは「ティマイの子で、バルティマイという盲人」と名があげられています。奇蹟物語でいやされた人物の名があげられることは極めて珍しいのですが、おそらく彼がその地域でよく知られた人物で、まだ生存していてこの奇蹟は本人に確かめることができる時期に形成された伝承をマルコが用いたのでしょう。しかし、この出来事から時期的にも地理的にも遠く離れているルカは、名をあげる必要を感じなかったと考えられます。

 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。(一八・三六〜三八)
 盲人の物乞いは、群衆が通る騒ぎは聞きますが、その情景を見ることはできません。それで周囲の人に「これは、いったい何事ですか」と尋ねると、「ナザレのイエスのお通りだ」と知らされます。その名を聞くと、この盲人は「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び出します。この盲人の叫びは、「ナザレのイエス」という名が驚くべき力ある業をされる神の人として広く民衆に知れ渡っていて、この人こそ神がイスラエルを救うために送ると約束しておられた「ダビデの子」ではないかという期待が熱く燃えていたことを指し示しています。

 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。(一八・三九)
 福音書、とくにマタイ福音書は、民衆がイエスを「ダビデの子」と呼んで、この方こそ「来たるべき方」として期待したことを伝えていますが、イエスはご自分を「ダビデの子」であると宣言されたことはありません。メシアの秘密を洩らされた弟子には、それを口外することを厳しく禁じられましたが、自分を神から遣わされた者として信じる民衆の期待を抑えられたことはありません。ここでも盲人を「叱りつけて黙らせようとした」のは、イエスではなく「先に行く人々」、すなわちガリラヤ人巡礼団のイエス一行を先導する人たちだったのでしょう。マルコはただ「多くの人々が」彼を黙らせようとした、としています。彼らは、イエスがいよいよエルサレムに入って大いなることを成し遂げようとしておられるこの時に、一人の盲目の物乞いに関わることはできないと考えたのでしょうか。

 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか」。盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。(一八・四〇〜四一)
 イエスはこの盲人の切実な思いとイエスに対する全身全霊をかけた信頼をごらんになり、盲人をそばに連れて来るように命じられます。ここでマルコは、「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た」と、その時の情景を生き生きと描いていますが、ルカはそのような具体的な描写は省略し、簡潔に「彼が近づくと」と書いています。ここでも、ルカの奇蹟物語を簡潔にする傾向が見られます。

 イエスから「何をしてほしいのか」と尋ねられた盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と答えています。常識ではこれは途方もない願いです。しかし、この盲人は、ダビデの子であるイエスは盲目の自分の目を見えるようにすることができると信じているのです。神は盲目の目を見えるようにすることができる方であり、イエスは神から来られた方で、神の力でそうしてくださる方だと信じているのです。この盲人がイエスに「主よ」と呼びかけているのは、最初期共同体が復活されたイエスに向かって「主《キュリオス》」と呼びかけたところまでは行っていませんが、イエスを神からの人として呼びかけている点で、その方向に向かっていると言えるでしょう。

 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。(一八・四二)
 イエスを神からの人であり、神の力で盲目の目を見えるようにすることができると信じたこの盲人の信仰を見て、イエスは「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」と言われます。ここでの「救った」は、目が見えない苦境から解放したという意味でしょうが、イエスによって現されている神の恩恵と力に全存在を投げかけたこの人の信仰は、盲目という障害をいやすだけでなく、人間全体、全生涯を絶望や罪の支配から解放し、希望に満ちた喜びに変える力です。イエスが「あなたの信仰があなたを救った」と言われるとき、盲目という障害とともに、その人の全存在の救済を宣言しておられます。

 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。(一八・四三)
 イエスが「見えるようになれ」という言葉を発せられたとき、盲人は「たちまち」見えるようになります。イエスの言葉がその現実を創造します。イエスがらい病人に「清くなれ」と言われると清くなり(五・一三)、死人に「起きよ」と言われると、死人が起き上がります(七・一四〜一五)。この三カ所では、イエスに対して「主《ホ・キュリオス》」という呼びかけや称号が用いられています。いやされた人が使った意味はどうであれ、この伝承を語り伝えた人たちの意識では、自分たちがいつも「主」と呼びかけている復活者イエスだからこそすることができる働きだとして、語り伝えたことでしょう。そういう意味で、これらの記事の「主」には地上のイエスと復活されたイエスが重なっています。

 イエスによって見えるようにされたこの人は、この驚くべき業をしてくださった神を賛美しながら、イエスに従っていったとされています。いやされた人がイエスに従い、行動を共にするようになるのは例外的です。イエスは普通、いやされた人がお供したいと願っても家に帰るように命じておられます(八・三八〜三九)。すぐにエルサレムに入られたイエスの一行にこの人が一緒にいたという痕跡はありません。「イエスに従った」というのは、直後の「これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」という描写と同じく、イエスに対する民衆の賞賛と帰依を強調することになります。

 

ルカ福音書における開眼の奇蹟

 ルカ福音書には、「そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた」(七・二一)という一般的な記述はありますが、イエスが盲人の目を見えるようにされたという奇蹟物語はここ一カ所だけです。マルコ福音書(八・二二〜二六)には、イエスがガリラヤのベツサイダで盲人をいやされた記事がありますが、ペトロの告白の出来事の直前に置かれているこの記事を、ルカは省略しています(マタイにもこの記事はありません)。ルカには(マタイにも)奇蹟物語を簡略にしたり重複記事を統合する傾向がありますが、ベツサイダでの開眼奇蹟の省略はこのような「傾向」だけでは説明しきれません。イエスがガリラヤでの働きを終えてエルサレムに上ろうとされたとき、その前に荒野での大集会の後、弟子だけを連れて北方異教の地方に旅をしておられます(マルコ六・四五〜八・二六)。ルカはこのマルコの旅の長い記事を、自分の福音提示には必要ないか不適切として、ばっさりと削除しています。その旅の一部として最後に置かれたベツサイダの記事も削除されたものと考えられます。

 回数はともかく、このようなイエスの言葉と出来事、盲人に「見えるようになれ」とか死人に「起きよ」と言われるイエスの言葉とそれがすぐに起こる出来事に直面すると、わたしたちは驚くというより魂が震撼される思いがします。「いったこの方は何者か」、「わたしたちはいったいどういう事態に直面しているのか」と、わたしたちの全存在を揺さぶる力を感じます。この魂の震撼は、やがて起こるイエスが死者の中から復活された、という世界を震撼させる告知を予表しています。これは終末の事態に直面する人間の驚愕です。


109 徴税人ザアカイ(一九・一〜一〇)

ザアカイの救い

 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。(一九・一)
 マルコはイエスの一行が「エリコを出て行こうとされたとき」、すなわちまだエリコの町におられるときに盲人を見えるようにされたと伝えていますが、ルカはザアカイの出来事をここに置くために盲人のいやしをエリコに入られる前の出来事としました。そしてザアカイをエリコの住民として、ここに登場させます。

 しかし、ザアカイの記事はルカだけにある記事で、ガリラヤの町での出来事をルカがここにもってきたとする説もありますが、その可能性は他の福音書を根拠として否定することはできません。イエスはガリラヤで多くの徴税人を仲間としておられたことが伝えられていますので(五・二九)、このような出来事がガリラヤの町でもあった可能性はありますが、エリコではありえないということはできません。以下に見るように、ルカが伝えるとおり、エリコでの出来事と見ることが一番自然です。

 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。(一九・二)
 ルカがザアカイの出来事をここに置いたのは、エルサレムに入られる直前にイエスが行われた目覚ましい救いの出来事、しかもまったく対照的な二人の救いの出来事を並べて、これからエルサレムに入られる方の姿を際だたせるためであったのでしょう。

 「対照的」と言ったのは、直前の盲人は道端で物乞いをしていた極貧の盲人ですが、ザアカイはなに不自由なく暮らしていた金持ちの「徴税人の頭」であるからです。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(一八・二五)と言われているその金持ちが救われたのです。物乞いの盲人も、金持ちの「徴税人の頭」も、イエスに出会うとき救いが訪れます。物乞いの盲人は「あなたの信仰があたなを救った」と言われており、ザアカイは「今日、救いがこの家を訪れた」と言われています。このことからもこの二つの出来事が救いの出来事として並べられていることが分かります。

    「徴税人の頭」と訳されているギリシア語原語は《アルキテローネース》ですが、この語は新約聖書ではここだけに出てくる語であり、この時代までの他のギリシア語文献にも出てこない語で、その意味を確定することは困難です。一般にローマの支配者からある地域の徴税を請け負い、複数の配下(下請け)の「徴税人」《テローネース》を使って税を集める「徴税請負人」と理解されていますが(先に拙著でもそう説明しました)、当時のパレスチナではそのような徴税システムは確認できないという異論もあり、「有力な、主要な、代表的な徴税人」と理解すべきであるという主張もあります。「徴税人」《テローネース》自体が請負制で税を徴収する者でした。いずれににせよ、ここではザアカイがユダヤ教でいつも「罪人や徴税人」と並べられて、イスラエルの民の資格のない者として扱われている「徴税人」であることが重要で、徴税システムでの資格や地位は問題ではありません。

 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。(一九・三〜四)
 多くの力ある働きをなされるナザレのイエスの評判は、ガリラヤでもユダヤでもユダヤ人の間に広く鳴り響いていました。またユダヤ教社会では厳しく差別され疎外されている徴税人とも親しく交わりをもたれる方であるという事実は知れ渡っていました。ザアカイはそのようなイエスに何としても一度会ってみたたいと願っていました。その強い願いには、ザアカイが意識しない深いところで神の働きかけがあったと推察されます。彼もまた神に選ばれていた一人です。

 ザアカイがイエスに会うことを強く願っていたことは、彼の行動が示しています。イエスが通られるところに行ったところ、群衆が取り囲んでいて、背の低いザアカイはイエスを見ることもできません。それで走って先回りし、いちじく桑の木に登ります。「いちじく桑」というのは、クワ科の常緑樹で、イチジクに似た実(味はおちる)をつけるのでそう呼ばれていますが、おもに建材用に栽培される逞しい成長力をもつ木です。高さは一〇〜一五メートル、周囲は数メートルにもなり、大人がその枝に登れます。ザアカイは道端のいちじく桑の木に登り、イエスが通られるのを待ちます。

 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。(一九・五)
 そこを通りかかったイエスは、いちじく桑の木に登っているザアカイを見られます。そして、彼に向かって言われます。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日あなたの家に泊まらなければならない」(直訳)。イエスは「泊まりたい」という願いではなく、「泊まらなければならない」と、必然を示す言葉遣いをしておられます。イエスもいちじく桑の木の上のザアカイの姿をごらんになったとき、エルサレムに入る前夜を過ごすために神が備えられた人物であることをお知りになります。ここでザアカイがイエスに会うことと、イエスがザアカイの家に泊まってエルサレム入りに備えることが、神の定められた必然として起こっています。

 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。(一九・六)
 ザアカイは急いで木から降りてきて、喜んでイエスを自分の家に迎え入れます。家に迎え入れたことは、ザアカイがイエスを心に受け入れたことを示しています。イエスを受け入れたとき心に湧き上がる喜びは、人の計らいや理解を超えた不思議な喜びです。この喜びは、このときザアカイに魂の転換、救いが来ていることを示しています。

 これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」。(一九・七)
 イエスがザアカイの家に入られるのを見たユダヤ人たちは、イエスが「罪深い男」の家に入って宿をとったことを批判してつぶやきます。ユダヤ教社会では、徴税人は泥棒と同列に扱われ、その仕事そのものからして聖なる契約の民イスラエルには加わることができない汚れた者とされていました。ユダヤ人は、神に受け入れられる清い者であるために、汚れた「罪人」と接触することを極力避けました。食事を共にすることなどはしてはならないことです。「罪人」の代表格である徴税人の家に泊まることなど、もってのほかです。

 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」。(一九・八)
 ここでザアカイが「立ち上がって」言ったとされているのは、何を意味するのでしょうか。直前の七節の続きとしては、家の前で非難がましくつぶやいているユダヤ人たちに宣言するために「立ち上がって言った」ということになりますが、ここでは「主に言った」となっています。呼びかけも「皆さん」ではなく「主よ」です。ルカはしばしばイエスを「主《ホ・キュリオス》」と呼んでいますが、ここでも「主に言った」は、イエスを主《ホ・キュリオス》として受け入れてひれ伏しているところから「立ち上がって」、これから主に従っていく自分の決意を言い表したものと受け取ることができます。

 このザアカイの約束は救いの条件ではありません。こういうことをすると救われるのではありません。これは救いの結果です。ザアカイはイエスを受け入れて魂の深みにおいて転換をした結果、このようにしないではおれない思いになり、それをイエスに申し上げています。まだ実行してはいませんが、その思いを言い表すことで、内に起こった変革を示しています。

 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」。(一九・九〜一〇)
 このザアカイの言葉を聞いてイエスは、「今日、救いがこの家を訪れた」と言って、ザアカイの救いの体験を確認されます。そして、その理由として「この人もアブラハムの子なのだから」という言葉を加えておられます。イエスから見れば、徴税人であれ遊女であれ、「アブラハムの子」はアブラハムに約束された祝福を受け継ぐ者です。

 イエスは十二人の弟子を派遣するときに、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」と命じられたと伝えられています(マタイ一〇・五〜六)。異邦人向けに書いているルカはこの語録を省略していますが、実際のイエスと弟子たちの活動は(復活以前では)パレスチナのユダヤ人の間に限られていました。イエスご自身もご自分の使命を「イスラエルの家の失われた羊」を探し出して救うためであると自覚しておられました(この自覚はエゼキエル書三四章の羊飼いの姿が原型になっていると考えられます)。そのことがここで「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と明言されています。ザアカイも「イスラエルの家の失われた羊」の一人であったのです。このイエスの使命は、有名な「見失った羊」のたとえ(一五・四〜七)で印象深く語られています。ここのザアカイはまさにそのたとえで描かれている「見失った羊」であり、「悔い改める一人の罪人」であったのです。

 イエスはこのような自覚を「わたしは失われたものを捜して救うために来たのである」と語られたのでしょうが、イエスを「人の子」として告知したパレスチナ・ユダヤ人の語録伝承では、「人の子」を主語とする形で伝えられるようになった消息については前述したとおりです。

 

アブラハムの子

 ここでイエスはザアカイの救いを「この人もアブラハムの子なのだから」という言葉で根拠づけておられます。これが何を意味するのかを、ここで検討しておきたいと思います。

 主はアブラハムと契約を結びこう言われました。「わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる」(創世記一七・七)。この契約がありますから、ユダヤ人は自分がアブラハムの子孫であるイスラエルの民に所属する以上、契約の言葉である律法を守っている限り、自動的に主の民としての祝福にあずかる者だと考えていました。イエスも、ザアカイが救われた根拠として、このような意味で「この人もアブラハムの子なのだから」と語られたのでしょうか。律法は守っていないので「罪人」と呼ばれてはいるが、アブラハムの血統を受け継ぐ者である以上、神の民として祝福にあずかる者だと言われたのでしょうか。

 そうではありません。そうであれば、周囲のユダヤ教の考え方と大差はありません。「律法を守っている限りは」という条件は外されましたが、ザアカイの救いを「アブラハムの血統に属する民の一員であるから」という事実で根拠づけられたとしたら、それはイエスの福音も偏狭な民族宗教の一種になってしまいます。すでに洗礼者ヨハネがイスラエルの民に向かって、「『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」と言って、このようなイスラエルの民の偽りの根拠を打ち砕いています(三・八)。「アブラハムの子なのだから」という根拠は、民族的な枠を外して理解しなければなりません。

 このことを最も明確に語っているのはパウロです。パウロは「イスラエルから出た者がみなイスラエルではない。アブラハムの子孫がみなその子ではない」(ローマ九・六〜七)と宣言し、アブラハムの信仰に立つ者こそ「アブラハムの子」であるとしてこう言っています。

 相続は信仰に基づくことになるのですが、それは恵みによって約束がすべての子孫、つまり、律法に基づく者だけでなく、アブラハムの信仰に立つ者にも実現するためです。アブラハムはわたしたちすべての者たちの父なのです。「わたしはあなたを多くの民の父として立てた」と書かれているとおりです。アブラハムは死者を生かし、存在しないものを存在へと呼び出す神を信じ、その神のみ前でわたしたちの父となったのです。(ローマ四・一六〜一七 私訳)

 パウロはこのような信仰によって福音をモーセ律法の枠から解放し、ユダヤ人以外の諸民族に福音をもたらしました。こうしてパウロによって成立した異邦人の共同体を基盤として活動したルカが、「アブラハムの子なのだから」というイエスの言葉を伝えるときに、それを「アブラハムの血統に属する民の一員であるから」という意味で伝えたのではなく、「アブラハムの信仰に立つ者であるのだから」という意味で伝えたと推察されます。少なくとも、パウロ系の異邦人共同体では、そのように理解されていたと考えられます。ザアカイの信仰はまだ十字架・復活のキリストへの信仰ではありませんが、ザアカイは律法の外で、律法と関係なく、信仰によって救われる者の典型として語り伝えられことでしょう。「律法とは無関係の、信仰による義」に生きるわたしたちも、この意味の「アブラハムの子」としてザアカイを語り伝えます。


110 「ムナ」のたとえ(一九・一一〜二七)

マタイの「タラントンのたとえ」との比較

 このたとえは、イエスが語られたたとえが最初期共同体において伝承され、福音書に現在の形で記録されるに至るまでの過程について、きわめて複雑な問題を提起しています。その問題についてはこのたとえの内容を一通り見た上で取り上げることにして、まずこのたとえが語る内容を見ることにします。そのさい、このたとえと同じ内容を語る「タラントンのたとえ」がマタイ福音書(二五・一四〜三〇)にあり、それとの比較がルカが伝えるたとえの特色をよく示しますので、マタイの並行記事と比較しながら進めます。マタイの「タラントンのたとえ」とルカの「ムナのたとえ」は、同じ親から生まれた双生児ですが、置かれた境遇が違うために、違った役割を果たすことになったようです。

 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。(一九・一一)
 このたとえは本来、「キリストの来臨」《パルーシア》を前にしてキリストの民の心構えを説くたとえです。そのことは、このたとえをマタイが「キリストの来臨」《パルーシア》を扱う箇所(マタイ二四〜二五章)に置いていることからも分かります。とくにこのたとえが、二五章のキリストの来臨のときに起こる出来事を指し示す他の二つのたとえ(「十人のおとめ」のたとえと「羊と山羊」のたとえ」)と並べて置かれていることからも明らかです。

 それに対して、ルカはこのたとえを違った状況に置きます。マタイのように弟子たちになされた黙示思想的な終末説教の一部としてではなく、一行がエルサレムに入る前に、「神の国はすぐにも現れるものと思っている」群衆に向かって語られたとされています。このような状況で語られたこのたとえは、イエスがエルサレムに入られると神はメシア・イエスによって大いなる業を現され、異教徒の支配は打ち破られて神の支配が直ちに実現する、と期待しているユダヤ人民衆の黙示思想的期待をたしなめるたとえになっています。

 ルカはこのたとえをここに置くことで、王が支配を確立して僕たちに支配を分け与えるようになるまでに、僕たちが王になるべき人から委ねられた仕事を果たす期間が必要であることを指し示しているのです。もちろん僕の忠実さが主題であることはマタイと同じですが、それを語るさいに重点のシフトが見られます。マタイの「タラントンのたとえ」は僕の忠実さと報償だけを指し示すたとえですが、ルカの「ムナのたとえ」は来臨の遅延に対処しようとするルカの意図を反映したものになっています。ルカはこのたとえで、共同体に主からの委託に忠実に歴史の中を歩む覚悟を促しています。

 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった」。(一九・一二)
 マタイでは「ある人が旅行にでかけるとき」とあるだけです。僕たちに委ねた金額(後述)の大きさからすると、富裕な商人を連想させます。ところがルカでは「ある立派な家柄の人が王の位を受けて帰るために」旅立ったことになっています。しかし、住民は彼が王になることに反対して、「後から使者を送り」王の位を与えないように請願したことや(一四節)、その人が王の位を得て帰国したとき、彼が王となることに反対した人たちを打ち殺すように命じたという二七節の結末(それがこのたとえの枠組みとなっています)は、ある歴史的な事件が背景になっています。

 ローマの支配下にあった当時のパレスチナでは、王として支配するためにはローマ皇帝の好意を得て、王の称号を認められなければなりません。巧みにカエサルに取り入ったヘロデ大王は、ローマの後ろ盾を得て長期間王として権力を振るいました。ヘロデ大王が亡くなったとき(前四年)、ヘロデ王国の領地は三人の息子たちに分割して受け継がれます。三人の息子は、ヘロデの遺言によって指定された領地を受け継ぎ、王として統治するためにはローマの認可が必要ですので、ローマに上り、少しでも有利な立場に立とうとして縁故を頼って運動します。

 そのときパレスチナのユダヤ人たちはヘロデ家の支配を嫌い、ローマに使節団を送って、ヘロデ家の統治を認めず、エルサレムのユダヤ教教団の自立性を回復するように、皇帝に請願します。この請願は認められず、アウグストゥスはほぼヘロデの遺言通りの相続を認めますが、そのさい王の称号は許さず、三人はより低い「民族指導者」とか「分封領主」という位に叙せられます。ローマの支配体制では違いがありますが、ユダヤ人民衆にはこれらの称号は王と変わることなく、新約聖書ではみな「王」と呼ばれています。

 三人の中でユダヤ、サマリア、イドゥメアを受け継いだアルケラオスはもっとも残忍で、「王の位を受けて」帰国したとき、自分が王となることに反対する請願をした者たちを処刑します。この「血の報復」と呼ばれる事件は、イエスの時代にもユダヤ人の間では記憶に残っていたことでしょう。アルケラオスの恣意的で残忍なまでの厳しい統治にたまりかねた住民は、再びローマに使者を送ってアウグストゥスに窮状を訴えます。それは聞き入れられてアルケラオスはガリアに追放され、彼の領地はローマ総督直轄地となります(紀元六年)。

 「ムナのたとえ」の本体部分はマタイの「タラントンのたとえ」とあまり変わりませんが、これをこのような歴史的事件を枠組みとして伝えたのは、ルカの構成によるのか、それともルカ以前の伝承の段階でこのような形になっていたのかについては議論があります。このような形での「ムナのたとえ」の成立については、内容の講解の後で扱うことになります。

 「そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った」。(一九・一三)
 旅立つ主人が僕に委託した金の単位は、マタイでは「タラントン」でしたが、ルカでは「ムナ」になっています。「ムナ」はギリシアの銀貨で、一ムナは一〇〇ドラクメに相当します。ギリシア銀貨の「ドラクメ」はローマ銀貨の「デナリオン」と等価です。労働者の一日の労賃の標準が一デナリオンですから、これを現在の日本の貨幣価値に換算しますと(平均月収を三〇万円として)、一デナリオン(=一ドラクメ)は約一万円、一ムナは一〇〇万円ということになります。「タラントン」はギリシアで用いられた計算用の単位で六〇〇〇ドラクメに相当します。すると、一タラントンは六千万円ということになり、マタイの五タラントンを委せられた僕は三億円を預けられたことになります。ルカでは各人が一ムナ(一〇〇万円)づつ委ねられたとされていますので、マタイでは金額がずいぶん大きくなっています。マタイとルカでは通貨単位と金額に違いがありますが、その理由についての議論はたとえの解釈にあまり影響がありませんので、立ち入ることはせず、当時の通貨の説明にとどめます。

 マタイでは三人の僕が「それぞれの力に応じて」五タラントン、二タラントン、一タラントンを預けられています。それに対してルカでは、十人の僕がそれぞれ一ムナづつ渡されています。しかし、主人が帰ってきたときに、自分の働きを報告して報償や叱責を受けるのは、マタイと同じ三人だけです。このことは、僕の数や金額を寓喩的に解釈することは無意味であって、このたとえが指し示す比較点だけを正しく理解するように求めていることを示唆しています。

 「しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた」。(一九・一四)
 これに相当する記事はマタイにはありません。これは明らかにアルケラオスの「血の報復」の出来事を反映する記事ですが、この点については後でまとめて扱います。

 「さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした」。(一九・一五)
 マタイでは「主人が帰ってきて彼らと清算を始めた」のですが、ルカでは「彼は王の位を受けて帰って来ると」とあり、利益を上げた僕たちに王の資格と権力をもって報償を与えます。

 「最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう』」。(一九・一六〜一七)
 預けられた一ムナで十ムナもうけた僕に対しては、「ごく小さな事に忠実だったから」という理由で、「十の町の支配権」が与えられます。「町の支配権」というのは王が家臣に与える権限ですから、王を主人公とするこのたとえにふさわしい報償です。マタイでは「多くのものを管理させよう」とあるだけです。「ごく小さな事に忠実だったから」という理由は、「不正な管理人」のたとえでも、「ごく小さい事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」という形で用いられていました(一六・一〇)。イエスが用いられた格言が様々な場合に適用されていることがうかがわれます。

 このたとえでは預けられた一ムナが「ごく小さな事」の比喩として用いられています。僅か一ムナの金を主人のために忠実に活用したことを誉められて、
十の町を支配するという大きな権限と栄誉を与えられます。

 「二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った」。(一九・一八〜一九)
 王は家臣に働きに応じた報償を与えます。一ムナで五ムナを稼いだ僕には五つの町を支配する権限を与えます。マタイでは二タラントンを預けられて二タラントンを稼いだ僕にも、十タラントンで十タラントン稼いだ僕と同じく「多くのものを管理させよう」と言われています。

 このたとえが言おうとしていることは、マタイでもルカでも同じですが、主から賜っている賜物が大きくても小さくても、その賜物を忠実に用いて主に仕えているならば、主が来臨されるときに大きな誉れを受けるであろうということです。とくにルカのたとえでは、小さい賜物による働きと大きな報償が対比されています。これは、主の来臨《パルーシア》を前にして、地上で主に仕える道がいかに苦しみ多い道であっても、やがて来臨される主から与えられる栄光に較べるならば、それは「ごく小さい事」に過ぎない、と主の民を励ますたとえでもあります。パウロも言っています。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」(ローマ八・一八)。

 「また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです』」。(一九・二〇〜二一)
 ルカでは十人の僕にそれぞれ一ムナづつが預けられています。主人が王の位を得て帰国したとき、それぞれが自分の働きを報告してそれにふさわしい報償を得たのでしょうが、他の僕のことは省略されて、預かった一ムナを布に包んでしまっておき、「これがあなたの一ムナです」と言って差し出した一人の僕のことが取り上げられます。マタイのタラントン単位の金額は「布に包んでしまっておく」ことはできず、「地の中に隠しておきました」とありましたが、一ムナのお金は容易に「布に包んでしまっておく」ことができました。

 この僕はそうした理由を「あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです」と説明しています。古代では商売は利益も大きかったのですが危険も大きく、失敗すればすべてを失う危険がありました。この僕は危険を恐れて安全第一の道を選びました。大きな利益を得られなくても、少なくとも預けられた一ムナを無事に返せば、「預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取る厳しい主人」、すなわち厳しく成果を要求する主人も、自分を責めることはないであろうと考えたのでしょう。

 「主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに』」。(一九・二二〜二三)
 主人はこの僕を、主人の委託に背いた「悪い僕」だと決めつけ、その僕が言った言葉によって彼を裁きます。すなわち、彼の言った言葉を判決の理由として裁きます。彼が言うように、主人は厳しく成果を要求する方であることを知っているのなら、主人の金を「銀行」に預けて置くべきであった。そうすれば、主人は「帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れた」ではないか、それすらしなかった僕は主人の委託を裏切った「悪い僕」とされます。

 ここで「銀行」と訳されているギリシア語原語は「テーブル、机」を意味する語です。普通は食物を載せる机、すなわち食卓を指しますが、時にはコインを載せる机、すなわち両替商などの机を指し(マタイ二一・一二、ヨハネ二・一五)、両替商や貸金業者を指すこともあります。ここではそのような貸金業者を指し、そのような業者に預けておけば利息付きで元の一ムナを受け取れたのに、お前はそれもしなかった、と非難されます。

 「そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ』。僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる』」。(一九・二四〜二六)
 役に立たない僕は、主人の金を委託される資格はないのですから、彼が預けられた一ムナは取り上げられます。そして、その一ムナがさらに有効に用いられるために、十ムナをもっている僕、すなわち一ムナで十ムナを稼いだ有益な僕に与えられます。それに抗議した僕たちに、主人は「だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」という格言で答えます。有益な僕はさらに多くを委ねられますが、役に立たない無益の僕は、もともと持っているものまでも取り上げられることになると、格言を用いて警告されます。この格言はイエスが語られたたとえの理解について用いられていますが(マルコ四・五、マタイ一三・一二、ルカ八・一八)、ルカとマタイは主の委託に応える僕の場合にも適用しています。

 問題は、このたとえで有益な僕と無益な僕とはどういう人たちを指すのか、とくに預けられたムナを布に包んでしまっておいた僕とは誰かということです。このたとえの解釈も様々ありますが、一般的に主の来臨まで、各人に与えられた信仰と賜物に従って忠実に主の委託に応えるよう励ますたとえと理解してよいでしょう。とくに福音の証しへの忠実さが求められています。せっかく自分に与えられた主からの恵みの賜物を、自分の性格とか野心とか欲望の布に包んでしまい込み、福音のため、またキリストの名のために有効に用いないならば、主が来られて各人に報われるとき、受けるものがなく恥を受けることになると警告しています。

 「『ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ』」。(一九・二七)
 ルカではムナを有効に用いなかった僕はそのムナを取り上げられるだけですが、マタイでは外の暗闇に投げ出されています。これは「主人が帰ってきたとき」が主の来臨を指し、最後の審判の象徴である以上、主の委託に背いた者の最後が「神の国」の栄光からの追放になることは避けられません。ルカはこの最後の結末を別の仕方で描いています。ルカでは、帰ってくるのが「王の位を得て」帰ってくる者だからです。ルカは「ムナのたとえ」を王の位を得るために遠くに旅立った人のたとえと組み合わせていますから、その結末もそのにふさわしい形を取ることになります。

 ルカでは主人の金を委託された僕だけでなく、後から使者を送り、「我々はこの人を王にいただきたくない」と言わせた人たちが登場します。すなわち、僕たちだけでなく、敵対者が登場します。旅立った人は王として帰国したとき、彼が王となることに反対した「敵ども」を打ち殺すように命じます。これは明らかに、アルケラオスの「血の報復」を下敷きにして構成されたたとえの結末です。ルカはこういう形で、主が来臨されて最後の裁きを行われるとき、イエスが主《ホ・キュリオス》であることを認めようとしない者は滅ぼされることを語っています。

 

たとえの伝承

 これまでルカの「ムナのたとえ」は、マタイの「タラントンのたとえ」に見られる委託への忠実さとその報酬を語るたとえを、アルケラオスの「血の報復」事件という歴史的出来事を枠組みとして構成したものとして解説してきました。しかし、この枠組みは、もともと一つのたとえとして独立して伝承されていた可能性があります。「ムナのたとえ」の枠組みとなっている部分を抜き出すと、つぎのような「たとえ話」が浮かび上がります。

 「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった(一二節)。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた(一四節)。さて、彼は王の位を受けて帰って来ると(一五節)、『わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ』(と命じた)(二七節)」。

 これはこれで立派な一つのたとえです。もちろん、あのアルケラオスの事件を下敷きにして構成されたたとえであることは明らかです。最初期の共同体は、ユダヤ人は復活して神の右に座したイエス・キリストを最後まで信じなかったので、神の裁きによりエルサレムと神殿の崩壊という滅びを招いたのだと理解し、それをこのたとえで語ったと推察されます。

 しかし、このたとえは、不信のユダヤ人の悲劇を語るだけでなく、それをモデルとして、今は地上におられず、遠くに旅立っておられるイエス・キリストがやがて王として来臨されるとき滅ぼされることのないように、イエスを主《ホ・キュリオス》として受け入れるように説き勧めるたとえとして、最初期共同体で広く用いられたことでしょう。

 一方、マタイの「タラントンのたとえ」とルカの「ムナのたとえ」の元になる委託への忠実さと報酬のたとえは、マタイとルカが共に用いた共通の「語録資料Q」にあったものと見られます。マタイとルカではかなり形が違ってきていますが、研究者は「語録資料Q」の形を次のように推定して復元しています。

 「ある人が旅立つにあたって十人の僕を呼び十ムナを渡し、これで商売をせよと言った。長い不在の後、僕たちの主人は帰ってきて、僕たちと清算をした。最初の僕は『ご主人様、あなたの一ムナはさらに十ムナを生み出しました』。すると主人は言った、『よくやった、よい僕よ。お前は僅かのものに忠実であったから、わたしはお前を多くのものの上に立てよう』。そして、二番目の僕が来て言った、『ご主人様、あなたの一ムナは五ムナを稼ぎ出しました』。主人は言った、『よくやった、よい僕よ。お前は僅かのものに忠実であったから、わたしはお前を多くのものの上に立てよう』。そして、別の僕が来て言った、『ご主人様、あなたは厳しい方で、蒔かなかったものを刈り取り、選り分けなかったもの(穀物)を収める方であることを、わたしは知っています。それで、わたしは恐れて、あなたのムナを地中に隠しておきました。ここに、あなたのものであるムナがございます』。主人はこの僕に言った、『悪い僕よ、お前はわたしが蒔かなかったものを刈り取り、選り分けなかった穀物を収める者であることを知っているのか。それならば、お前はわたしの金を両替商に預けるべきであった。そうすれば、わたしは帰ってきたとき、わたしの金を利息と一緒に受け取れたであろう。この僕のムナを取り上げ、十ムナを持っている者に与えよ』。誰でも、持っている者は与えられ、持っていない者は、持っているものも取り上げられる」。   Robinson et al., "The Critical Edition of Q"

 マタイはほぼこの内容のたとえをそのままの形で、イエスが逮捕される前に弟子たちに語られた終末説教の中に置いて、主の来臨を前にして弟子たちが与えられた賜物を有効に用いて委託された使命を忠実に果たすように説く説話にしています。ただ、そのさい金額を大きなものにしたり、各人に「力に応じて」違う金額が委ねられたことにしています。

 ルカではこのたとえは、アルケラオスの事件を下敷きにして形成された「王の位を受けるために旅立った高貴な家の人」のたとえと組み合わされて、王として来臨される主イエス・キリストを受け入れ、その忠実な僕として栄光を受けるか、主イエス・キリストを拒んで滅びに至るかを迫るたとえになったいます。

 ルカがこの二つのたとえを組み合わせたのか、あるいはルカ以前の伝承の段階でこの組み合わせ(または融合)が行われたのかは議論されています。ルカがこのように構成したとする説も有力ですが、異邦人向けに書いているルカがユダヤの遠い歴史を背景にしたたとえを取り込む動機は小さいので、アルケラオスの事件が記憶されているパレスチナで二つのたとえが伝承されている過程で融合したのではないか、そしてそれをルカがそのまま用いたのではないか、とわたしは推察しています。

 ただ、ルカはこのたとえをイエスがエルサレムに入られる直前に置いて、「神の国はすぐにも現れるものと思っている」ユダヤ人群衆の、ひいては共同体の黙示思想的待望をたしなめるたとえにしています。この状況においては、このたとえは復活して天に上げられたイエスが王として来臨されるまでに、弟子たちは僕として委託された使命を果たすべき時期があることを指し示すたとえとなり、共同体に歴史の中を歩む覚悟を促すたとえとしての一面を持つことになります。このようなたとえの用い方にルカの救済史観が表れています。ルカは、「人の子」の突然の顕現というパレスチナ・ユダヤ人の黙示思想的終末待望の伝承を保持しながらも、同時に「異邦人の時代」が始まった今は、異邦人共同体が救済史の担い手として、これから歴史の中を歩んでいくことになるのだという見通しで、共同体にその覚悟を促しています。


 

  ルカの「旅行記」について   ― 第二部のまとめ ―

 

「旅行記」における区分とその配列

 ここで「ルカの旅行記」は終わり、次の段落でイエスはいよいよエルサレムに入られます。これまでにも繰り返し見てきたように、ルカはマルコに従い自分の福音書を三部で構成しています。すなわち、ガリラヤでの「神の国」告知の働き、エルサレムへの旅、そしてエルサレムでの受難と復活です。その第一部のガリラヤと第三部のエルサレムの部分では、ルカはほぼマルコの内容と順序に従い叙述を進めていますが、第二部の「旅行記」では大きくマルコから離れ、ほとんどマルコにはない記事で埋めています。マルコにない記事は、マタイにも知られていた共通の語録集である「語録資料Q」と、ルカだけが持っていた「ルカの特殊資料L」ですが、ルカはそれらの資料を自分なりの福音提示の構想に従ってこの「旅行記」に置きます。「ルカの旅行記」は、イエス一行のエルサレムへの旅の旅程についてはほとんど触れることなく、ルカが自分の福音提示のために自由に使える物語空間となっています。

 問題は、ルカがどのような構想をもってこの物語空間を構成したかです。ここでルカが用いた資料の配列は、どのような構想とか意図に従っているのでしょうか。この「ルカの旅行記」の構想については、研究者の間で様々な提案がなされていますが、決定的なものはありません。言えることは、この「旅行記」は、マルコの枠から離れて、ルカが自分の福音理解に従って自由に伝承資料を配列し、ルカなりの仕方でその資料を結びつけ、一つの物語として提示することができる自由な物語空間ですから、そこにルカの福音理解とか思想がもっともよく表れているということです。

 「旅行記」全体を通してその諸資料を配列する構想とか原理を見出すことは困難です。しかし、この講解で見てきたように、ルカは複数の資料を特定の主題によってひとまとまりとして提示していることは理解でます。まとまりを見ることが困難な場合もありますが、大枠では主題ごとにまとめられた区分(セクション)を見出すことができます。ここで第二部を振り返り、その区分(セクション)の配列を見ておきましょう。

区分1 七十二人の派遣
 エルサレムに向かう旅の始まりと、イエスに従う弟子の覚悟についての対話の記事(九・五一〜六二)の後、イエスが七十二人の弟子を「神の国」告知のために派遣された出来事に関連する記事がまとめられています(一〇・一〜二四)。これが「旅行記」最初の大きな区分を構成します。それは、「旅行記」に置かれていることが示すように、地上のイエスのガリラヤでの出来事ではなく、復活されたイエスによって派遣された弟子たちの状況を反映する記事でした。そして、次の区分に入る前に、「善いサマリア人」のたとえが挿入されます(一〇・二五〜三七)。このたとえがここに置かれたことで、この区分が「サマリア」で囲まれることになります(九・五二〜五三とこのたとえ)。

区分2 主の祈り
 マルコにはなく「語録資料Q」に伝えられている「主の祈り」を、ルカは「旅行記」に置きます。その後に、この祈りの解釈にかかわるたとえを置いて、「主の祈り」に関する区分を構成しています(一一・一〜一三)。

区分3 ファリサイ派との対立と対決
 イエスが悪霊を追い出された働きを悪霊の頭によるものだと批判したファリサイ派律法学者との議論から始まり、イエスの激しいファリサイ派批判に終わるこの区分(一一・一四〜五四)は、その中にこの主題に適合しない語録も含まれますが、全体としてはファリサイ派ユダヤ教との対決を主題とする区分としてよいでしょう。

区分4 終末の切迫とその備え
 次ぎに終末の切迫とそれに備えるべきことを主題とする区分が来ます(一二・一〜一三・九)。その中に、「恐れることなくイエスを言い表す」必要を説く小区分(一二・一〜一二)、地上の富についての心構えを説く小区分(一二・一三〜三四)、時が迫っていることを強調する小区分(一二・三五〜一三・九)の三つの小区分が認められます。

区分5 来たるべき世の突入
  先の区分(一二・一〜一三・九)では、イエスの「神の国」告知の終末的な側面、すなわち終わりの日の裁きが迫っていることを主題としてまとめられていました。その後を承けて次ぎの区分(一三・一〇〜一四・三五)では、イエスの「神の国」告知のもう一つの面、すなわち「神の国」の現実がすでにこの世界に突入してきているという主題でまとめられているように見られます。
 この区分は、前半(一三・一〇〜三五)と後半(一四・一〜三五)に分かれ、それぞれ安息日になされたいやしの出来事から始まり、「神の国」の到来を指し示すたとえや語録が続いています。

区分6 失われたものが見つかる喜び
 次の一五章に収められている「見失った羊」、「無くした銀貨」、「放蕩息子」の三つのたとえは、失われたものが見つかった喜びを主題としている点で共通しています。この三つはおそらく、ルカが福音書でまとめる以前に、ひとまとまりのたとえとして伝承されていたものでしょう。ルカは、このマルコにはないひとまとまりのたとえ集を、マルコの物語の枠に拘束されない「旅行記」に置きます。

 そのさいルカは、どういう状況でこれらのたとえが語られたのかを説明する文(一五・一〜三)を冒頭に添えます。罪人たちと食事をすることに対するファリサイ派の人々や律法学者たちの批判に答えるという状況は、すでにガリラヤでの活動の時期にもありました(五・三〇〜三二)。ルカは自分だけが持っている特殊な資料を用いるために、改めて状況を説明する言葉を添えて導入します。この状況の説明は一六章の終わりまで続きます。

区分7 神の国と地上の富
 ファリサイ派の人々や律法学者たちの批判に答えるために「イエスは次のたとえを語られた」という状況説明(一五一〜三)は、一五章と一六章全体を導入しますが、後半(一六章)は前半(一五章)とは別の主題、すなわち地上の人間の最大の関心事である富が「神の支配」とどのような関係に立つのかを主題としています。一六章は、この問題を扱う「不正な管理人」(一〜九節)と「金持ちとラザロ」(一九〜三一節)という二つの大きなたとえ話の間に、この主題に関するイエスの語録集(一〇〜一八節)を置いているという構成になっています。

区分8 神の国はいつ来るのか
 ファリサイ派の人々や律法学者たちの批判に対する反論は一六章末で終わり、「イエスは弟子たちに言われた」で始まる一七章は、弟子たちに対する訓戒や教えになります。一七章前半(一〜一九節)には弟子たちへの様々な訓戒とサマリア人を含む十人のいやしの記事が置かれていますが、後半(二〇〜三七節)は続く一八章一〜八節とで、「神の国はいつ来るのか」というルカの時代の共同体にとって切実な問題を扱っています。とくに一七章の後半はルカの終末観や救済史理解にとって重要な箇所になります。

区分9 神の国に入るのは誰か
 「神の国はいつ来るのか」という主題を扱った後、ルカはその神の国にはどのような人が入るのかを扱う三つの記事を置きます(一八・九〜三〇)。「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ(九〜一四節)、イエスが子供を祝福された記事(一五〜一七節)、そしてイエスと金持ちの議員の対話とそれにつづくイエスと弟子たちの対話(一八〜三〇節)は、それぞれ「義とされる」とか「永遠の命を受け継ぐ」とか「神の国に入る」という表現で、どういう人が神の国に入るのかを扱っています。

区分10 エルサレムを前にして
 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く」と言われたイエスの言葉から始まるこの区分(一八・三一〜一九・二七)は、エルサレムで起ころうとしていることを予告するイエスの三回目の受難予告に続いて、イエスが盲人の目を見えるようにされた奇跡(一八・三五〜四三)と徴税人にザアカイの回心(一九・一〜一〇)というエリコでの出来事が語られます。エリコはエルサレムに上る巡礼者が最後に宿る町であり、エルサレムへの旅がいよいよ最後の旅程に入ったことを示しています。

 そして、「ムナのたとえ」が、「イエスがエルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐににも現れると思っていたからである」という状況説明で導入されます(一九・一一〜二七)。次の段落(一九・二八以下)でイエスはエルサレムに入られるのですから、この区分は、エルサレムへの旅の最後の段階で、エルサレムで起ころうとしていることを目の前にして、イエスが語り、また為されたことを伝える箇所になります。

 

イエスのたとえの宝庫

 このように振り返って概観しますと、ルカの長い「旅行記」は、イエスが告知された「神の国」の福音を、ルカが持てる限りの資料を駆使して内容豊かに伝えようとして構成した苦心の作であることが分かります。その豊かな内容は、この「旅行記」だけに伝えられているイエスのたとえの豊かさからも十分に感じられます。
 マルコとマタイにはなくルカだけに伝えられているイエスのたとえを列挙しますと、次のようなリストになります。

 「善いサマリア人」(一〇・二五〜三七)
 「愚かな金持ち」(一二・一三〜二一)
 「実のならないいちじく」(一三・六〜九)
 「客と招待する者」(一四・七〜一四)
 「見失った羊」(一五・一〜七)
 「無くした銀貨」(一五・八〜一〇)
 「放蕩息子」(一五・一一〜三二)
 「不正な管理人」(一六・一〜一三)
 「金持ちとラザロ」(一六・一九〜三一)
 「無益な僕」(一七・七〜一〇)
 「やもめと裁判官」(一八・一〜八)
 「ファリサイ派の人と徴税人」(一八・九〜一四)
 「ムナ」(一九・一一〜二七)
 
     「見失った羊」と「ムナ」のたとえには、マタイに似た並行記事があり、「語録資料Q」からと見られますが、その形と内容はかなり違い、ルカは独自の資料を用いた可能性があります。これをルカ固有のたとえとして扱う理由については、それぞれのたとえの講解を参照してください。

 以上のルカだけにあるたとえは、すべて「旅行記」にあります。「善いサマリア人」や「放蕩息子」や「金持ちとラザロ」のようなたとえがないキリスト教は考えられません。これらのたとえは、イエスの代表的なたとえとして、広く世界の人々に知られています。福音書にこれらのたとえを記録して伝えたのはルカの功績です。ルカが、新約聖書時代の最後に位置しているという立場から、それまでに各地の共同体に伝えられ流布していたイエスのたとえを広く収集して伝えてくれたおかげで、現在のわたしたちはイエスの貴重なたとえを持つことができています。それらの貴重なたとえはすべてルカの「旅行記」にあることを思うと、「旅行記」はイエスのたとえの宝庫であり、その価値は測りしれません。


「旅行記」に見るルカの終末観

 このように「旅行記」は、ルカがマルコから離れて自由に構成できる物語空間として、ルカの思想や特色が一番よく出ている部分になります。その思想や特色については、講解の中で折々に触れてきました。第二部を終えるにあたって、第二部「旅行記」に表れたルカの終末観を取り上げて、ルカの思想的特色のまとめとしておきたいと思います。それは、エルサレム陥落後の最初期後期には「来臨の遅延」が問題になり様々な対処の仕方が現れていましたが、ルカはその時期の最後に位置する福音書記者として、それまでの伝承や福音理解を統合して次の世代に渡していく責任をもつ立場にある者として、とくに「来臨の遅延」に対処する正しい終末待望を確立する責任を果たすべき立場にあったからです。

 ルカはこの「旅行記」でも、イエスの言葉の中の終末に関わる部分を大きく取り上げてまとめています。それは、先に見た各区分の内容からも分かります。各区分の内容を示す標題を見ただけでも、ルカがイエスの福音告知の主題である「神の国」を正面から取り上げ、イエスの「神の国」告知の二つの主要な面、すなわち「神の国」の到来が切迫しているという面と、「神の国」の現実がすでに到来しているという面を十分伝えていることが分かります。しかも、この二つの面に即して、その「神の国」の切迫と現実に直面する人間の側の対し方を、イエスの教えの言葉やたとえによって具体的に指し示しています。

 ルカは誠実な歴史家として、前期に燃えていた「人の子」を核とするユダヤ教黙示思想の来臨信仰の伝承を忠実に伝えています。第三部では「マルコの小黙示録」の内容をほぼそのまま伝えています。その面は、第二部でも「神の国」の切迫を語る部分によく出ています。しかし同時に、ルカは「ムナのたとえ」のように、ユダヤ教黙示思想の終末待望をいましめるような書き方をして、異邦人共同体に救済史の担い手として歴史の中を歩む覚悟を促しています。ルカは、コロサイ書やエフェソ書に見られる来臨《パルーシア》を切実に問題にしない信仰も知っています。また、「神の国は、見える形では来ない。・・・・実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのだ」と宣言して、ユダヤ教黙示思想に対するアンティテーゼを提出して、伝承されたユダヤ教黙示思想的な終末待望とのバランスを取っています。

 第二部の「旅行記」を通して読み取れるルカの終末思想は、このバランスの上に立って、次の時代の異邦人共同体に、異邦人を担い手とする救済史の見通し(パースペクティヴ)を与えて、異邦人共同体がこれからの世紀を神の意志に従って歩むことができるように励ますものになっています。ルカは、一方では(前期のユダヤ教黙示思想的来臨待望がしているように)キリストの来臨がいつあってもよいように備えることを説きながら、一方では異邦人共同体に歴史の中を歩む覚悟を促すものになっています。二世紀以後の「正統派」教会は、ルカが敷いた路線を歩むことになります。ルカは最初期の前期と後期を通して、キリストの民の共同体に流れていた諸々の潮流とその伝承を統合して、次の世代に引き継ぐ連結器の役割を果たし、その後の時代の「正統」信仰を準備します。


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