ルカ福音書講解 19 

      第一九章 神殿の崩壊と人の子の到来

                       ― ルカ福音書 二一章(五節〜三八節) ―


はじめに

  三部で構成されているルカ福音書の第三部「エルサレムでの受難と復活」は、前々号と前号で見たように、次の三つの区分に分けることができます。

1 神殿での活動と論争(一九・二八〜二一・三八)
2 受難物語(二二・一〜二三・四九)
3 復活告知(二三・五〇〜二四・五三)

 そして第一区分の「神殿での活動と論争」は、さらに次の三つの小区分に分けることができます。

 1 エルサレム入り(一九・二八〜四六)
 2 神殿境内での教え(一九・四七〜二一・四)
 3 終末についての説教(二一・五〜三八)

 前々号と前号の二回で、この小区分の1と2を見ましたので、本号では3の「終末についての説教」を講解することになります。この箇所は、「人の子」の到来というパレスチナ・ユダヤ人のイエス伝承で形成された「マルコの小黙示録」(マルコ一三章)を継承しつつ、ルカ独自の解釈や表現が織り込まれている点が注目されます。



  神殿での活動と論争(その3)   ―   「終末についての説教」

 

120 神殿の崩壊を予告する(二一・五〜六)

 

イエスの神殿崩壊の予告

 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。(二一・五)

 マルコによると、この段落はイエスと弟子たちとの間の対話になっています(マルコ一三・一〜二)。イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう」と言ったのに対して、イエスがお答えになったことになっています。それに対してルカは、なおイエスが神殿境内におられるときに、参拝に来た巡礼者たちが神殿の石と奉納物の飾りの立派さを賛嘆したのに対してイエスが語り出されたことになっています。「ある人たち」とあるだけで、弟子とは特定されていません。

 この神殿は、ユダヤ人がバビロン捕囚から帰国した後に再建した神殿で、ソロモンが建てた神殿と区別するために「第二神殿」とも呼ばれます。建設された当初は、そのあまりの粗末さに壮麗なソロモンの神殿を知っている長老は涙を流したと伝えられています。しかし、建築マニアのヘロデ大王が立派な建物に建て替えます。改築工事は前一九年に始まり、前九年に一応落成して献堂式が行われますが、その後も工事は続き、イエスの時には「この神殿は建てるのに四六年かかった」と言われています(ヨハネ二・二〇)。その「見事な石」は、今もユダヤ教徒が祈りに集まる「嘆きの壁」に見ることができます。「奉納物」は、聖所の入口の上部に置かれた純金で造られた葡萄樹など、神殿を飾るために(祈願成就などで)寄進された宝物類です。神殿は多くの奉納物で華麗に飾られていました。ヘロデが再建した神殿は「ヘロデの神殿」とも呼ばれ、その壮麗さは「世界の七つの驚異」の一つに数えられるようになり、地中海世界の各地から多くの巡礼者(当時の観光客?)を引きつけるようになります。

 建物が見事であるだけでなく、エルサレム神殿はユダヤ人にとって神が臨在される場所として唯一の信仰の拠り所であり、民の誇りでした。その神殿が徹底的に破壊されることを、イエスは独特の鋭い表現で語り出されます。

 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」。(二一・六)

 イエスは、神殿の立派さに見とれているユダヤ人巡礼者たちの賛嘆の言葉を耳にされます。その賛嘆には、このような立派な神殿で礼拝される神は、その神殿を、そしてその神殿で神を礼拝する民を安泰に守られるに違いないという、あのエレミヤが告発した「偽りの平安」の思いが響いているのを聴き取られたのでしょう。それをきっかけにして、同じように神殿の壮麗さに目を奪われている弟子たちに語りかけられます。これは直前の段落(二一・一〜四)で、賽銭箱にレプトン二枚を投げ込んだやもめを見て弟子たちに語りかけられたのと同じ構造です。「あなたがたはこれらの物に見とれているが」というのは、弟子たちを指していると理解しなければなりません。以下に続くイエスの警告や迫害の予告の言葉は明らかに弟子たちに向けられたものです。

 実際に神殿がローマ軍によって破壊されたとき、火をかけられて燃え落ちます。それで、このイエスの神殿崩壊予告の言葉は、火に言及することがなく実際の姿と違うので、それが事後預言でないことを示す証拠だとされます。しかし、イエスが地上の働きの中で神殿の崩壊を語られたことは、この場合の表現に依存する必要はなく、他の語録からも十分確認できます。これまでにイエスはしばしば神殿の崩壊に言及しておられます。

 神殿で商人たちを追い出すという過激な象徴行為をされたとき(それはヨハネ福音書が伝えるようにガリラヤでの活動前の出来事と見なければなりません)、イエスはすでに「この神殿を壊してみよ。わたしは三日で起こすであろう」と言って、神殿に代わる新しい礼拝が始まることを口にしておられます(ヨハネ二・一九)。この事実は、イエスがその活動の初めから神殿の時代が終わったのを見ておられたことを指し示しています。

 ガリラヤで働きを終えて最後にエルサレムに向かわれる途上で、神が遣わされた者を拒否して殺そうとするイスラエルについて、「見よ、お前たちの家は見捨てられる」と預言しておられます(一三・三一〜三五)。そして、いよいよ都が見えてきたとき、都のために泣いて言われます、「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」(一九・四三〜四四)。

 このようにイエスはその福音告知の働きの期間中ずっと、ご自身を殺す勢力の拠点としての神殿の滅びを見据えて来られましたが、最後にその神殿の境内でその滅びを明言されます。マルコでは(マタイでも)この予告は神殿の外で弟子たちに秘かにされたことになっていますが、ルカはそれを神殿境内で弟子たちに語り出されたものとしています。

 イエスがしばしば口にされた神殿崩壊の預言は、ユダヤ人である弟子たちに強烈な印象を与えていたと考えられます。ユダヤ教徒にとって神殿が滅び、そこで行われる神への礼拝がなくなるというようなことは想像もできないことであり、天地が崩れるような驚愕であったことと想像されます。そこで、このイエスの神殿崩壊預言が最初期の共同体でどのように伝えられ理解されたかを見ておきましょう。

 

最初期の福音告知における神殿

 イエスが十字架上に死なれた後、弟子たちは復活されたイエスの顕現を体験します。それは聖霊による復活者イエスとの出会いの体験でした。この聖霊体験の中で、弟子たちはイエスの十字架の死が神による贖いの出来事であり、今やキリストとして立てられた復活者イエスとの交わりの中で真の礼拝が実現していることを悟ります。弟子たちは、十字架され復活されたキリストが神殿に代わる新しい神と人間の出会いの場であることを悟ります。弟子たちはイエスの復活後も、ユダヤ教徒として神殿の礼拝に参加していますが、その中でこのような理解を大胆に語り出す者が出てきます。その最初の証人がステファノです。

 ステファノは、「あのナザレの人イエスは、この場所(神殿)を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう」と言っている、と訴えられます(使徒六・一四)。この訴えに対し、ステファノは会堂の法廷でアブラハムから始まるイスラエルの全歴史を振り返って、イスラエルがいつも聖霊に逆らい、預言者を殺し、ついに預言者がその到来を預言した義人イエスを「殺す者」となったと告発します(使徒七章)。その中でステファノは、神殿について「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みにならない」と宣言し、その神殿に代わる礼拝を告知したイエスとそれを証言するステファノに反対するユダヤ人は「心と耳に割礼を受けていない人たちで、いつも聖霊に逆らっている」と断定します(使徒七・四八〜五一)。このように神殿を不要とするような発言をするステファノを、ユダヤ人は赦すことはできず、石打にして殺します。ステファノは、救済史において石の神殿とそこでの祭儀システムの時代が終わったことを証言することで、最初の証言者=殉教者(マルテユス)となります。

 まだ神殿が健在であった時代に、キリスト信仰、すなわち「十字架されたキリスト」の信仰こそ、神殿礼拝に代わる新しい神との出会いの場であることをもっとも明確に理解し、それを告知したのはパウロです。パウロは「しかし今や、律法とは別に(律法の外で、律法とは無関係に)神の義が現された」と宣言し、それを「信仰(イエス・キリストの信仰)による義」として告知します。この場合の「律法」は神殿における全祭儀体系を含むモーセ律法の全体、ユダヤ教の全体を指しています。「しかし今や」という句が指し示しているように、キリストの十字架と復活の出来事によって、救済史の新しい時代が到来したことを告知したのです。これまでの神殿祭儀は不要になり、十字架された復活者キリストが神と出会う場となったのです。そのことをパウロは次のように語ります。

 人間はすべて罪に陥ったので、神の栄光を失っており、ただ、キリスト・イエスにある贖いによって、神の恵みにより、無代価で義とされるのです。神はこのキリストを、信実によって、その血による贖いの場としてお立てになりました。(ローマ三・二三〜二五 私訳)

 ここで「贖いの場」と訳したギリシア語《ヒラステーリオン》は、至聖所に置かれた契約の箱の金の覆いの板を指します。そこに年に一度贖罪のいけにえの血が注がれて民の罪が贖われ、生ける神が臨在されて語りかけるという、神殿祭儀の核心をなす場所です。このローマ書の箇所は、今や神は十字架された復活者キリストをこの「贖いの場」《ヒラステーリオン》としてお立てになったので、エルサレム神殿の祭儀は成就し、乗り越えられ、不要になったと宣言しています。これはパウロから始まる理解ではなく、エルサレム共同体の告白です(そのことはこの箇所の極めて強いユダヤ教の祭儀的表現が示しています)。しかし、その理解をもっとも明確に告白して、「律法(ユダヤ教)と関係のない」救いの道を諸国民に告知したのはパウロです。そのため、ユダヤ人から「疫病のような男」として激しく憎まれ、そのために殉教する結果となります。

 このようにイエスの預言と聖霊の示しによって、神殿はもはや救済史上の意義を失っているという理解があったので、最初期のユダヤ人キリスト者は、ユダヤ教徒でありながら神殿の命運にはそれほど深刻に動揺せず、その崩壊にも驚かなかったのではないかと考えられます。エルサレムのユダヤ人キリスト者は、周囲のユダヤ人のように、神殿を異教徒の攻撃から守るために身命を賭すというようなことはなく、ローマ軍に包囲される前にエルサレムを脱出しています。わたしは長年、エルサレム共同体との接触でイエスの神殿崩壊の預言を知っているはずのパウロが、神殿の命運について何も語っていないことに不審の思いを抱いていましたが、このように救済史においてすでに神殿の意義がなくなっていることを知っているので、パウロは(ローマ書九〜一一章などで)イスラエルの将来を神殿抜きで語ることができたのだと理解するようになりました。

 第二世代のパウロ名文書(コロサイ書やエフェソ書)になると、神殿の崩壊は遠い土地での過去の事件であり、パウロも触れていない神殿の命運には関心がなく、言及されることもありません。総じて律法(ユダヤ教)との関係は真剣な問題となることはありません。

 実際に神殿が崩壊した後に、十字架・復活のキリストこそが神殿の祭儀を成就する方であることを、もっとも印象的にヘレニズム世界の人々に説き示したのはヘブライ書の著者です。彼はヘレニズム世界の人たちに馴染み深い寓喩的解釈法を駆使して、ステファノやパウロが命がけで指し示した真理、すなわち十字架・復活のキリストこそユダヤ教の神殿祭儀を完成成就する出来事であることを論証します(ヘブライ書八〜一〇章)。

 


121 終末の徴(二一・七〜一九)

徴への問いとその答え

 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか」。(二一・七)

 ここもマルコ(一三・三)では、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレの四人の弟子がイエスに近づいて秘かに訊ねたことになっています。ルカは誰とは特定せず、イエスの神殿崩壊の予告を聞いた人たちの質問としています。しかし、前節(六節)で見たように、イエスは弟子たちに向かって神殿崩壊を予告する言葉を洩らされたと考えられるので、この質問も(マルコと同じく)弟子たちがした質問となります。イエスが与えられた以下の答えの言葉は、明らかに弟子たちの心構えを説くものです。

 この質問は、神殿崩壊の予告を聞いたユダヤ教徒には当然の質問です。質問者が言った「そのこと」は当然エルサレム神殿の崩壊という出来事を指しています。それがいつ起こるのか、またそのような驚天動地の出来事が起こるときにはどんな前兆があるのかと訊ねます。

 ところが、マルコはこの質問をきっかけにして、イエスが弟子たちに終わりの時に関して教えてこられた言葉をまとめてここに置きます。ルカもこの点ではマルコに従っています。その結果、このエルサレム神殿崩壊がいつ起こるのか、その前兆はなにかという質問が、世の終わりがいつ来るのか、その前兆は何かという意味に変わってきます。マタイはこの変化を明確に表現しています。すなわち、マタイ(二四・三)では、弟子たちの質問は「そのことはいつ起こるですか。また、あなたの《パルーシア》(来臨)と《アイオーン》(世)の終りの徴は何ですか」(直訳)となり、イエスがその質問に答えるという形で、キリストの来臨《パルーシア》で到来する世の終わりにさいして現れる終末的な徴が語られ、弟子たちの心構えが説かれることになります。

 このように、ここではエルサレム神殿の崩壊と世の終わりが重なっていますが、それは当時のユダヤ教徒の意識にとっては当然のことです。神殿が崩壊して存在しなくなるということは、当時のユダヤ教徒にとっては天が落ち地が崩れるような衝撃であり、まさに「世の終わり」です。その前兆を問わないではおれません。

 なお、ルカ福音書には「神の国はいつ来るのか」という問いを扱った箇所がもう一箇所あります。それは一七章二〇〜三七節です。その箇所の講解(『ルカ福音書講解U』325頁以下)で述べたように、ルカはその問いに、「実に、神の国はあなたたちの内にある」というイエスの言葉で答えて、歴史的な時間の中で「この世《アイオーン》」が終わり、神の支配が実現する「来たるべき世《アイオーン》」の到来が「いつ」であるかを議論することの誤りを指摘しています。しかしここでは、「いつ」の問いには答えられてはいませんが、それが近いことを前提にして、その前兆となる出来事と、それに対して備える心構えが説かれます。これはまさに黙示思想そのものであり、ルカはそれを乗り越える道を一七章で指し示したのですが、ここではマルコに従い、それがイエスの語録として伝えられているからという理由で、その伝承を忠実に伝えています。黙示思想に対するルカの両面性(それを乗り越えようとする面とそれを保存する面の並存)は、すべての伝承を忠実に、かつ総合的に保持しようとするルカの姿勢から来るものでしょう。
 イエスは弟子たちの質問に答えて語り出されます。

 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決っているが、世の終わりはすぐには来ないからである」。(二一・八〜九)

 三〇年のイエスの十字架・復活の時から始まった福音運動の最初期、すなわち最後の新約聖書の諸文書が生み出された二世紀初め(ルカ二部作の成立は一二〇年代前半と見られます)までのほぼ一〇〇年に及ぶ時期のパレスチナは、メシア運動の盛んな時期でした。この時期のメシア運動は、六六年に始まり七三年に終結する第一次ユダヤ戦争を山場として前期と後期に分けられます。メシア運動は七〇年のエルサレム陥落をもって終息したのではなく、その後も燃え続け、一三二年から一三五年に至るバル・コクバの反乱(第二次ユダヤ戦争)まで続きます。この間に多くのメシア僭称者が現れて、神の支配の実現を唱え、イスラエルの民を反ローマの戦いや暴動へと扇動しました。使徒言行録(五・三三〜三九)に名前が出て来る「ガリラヤのユダ」は六年の人口調査の時に蜂起してその後の「熱心党」運動の開祖となり、テウダは総督ファドス(四四〜四六年)の時に反乱を起こしています。パウロも五六年にエルサレムで逮捕されたとき、「最近反乱を起こしたあのエジプト人か」と間違われています(使徒二一・三八)。実はイエスご自身も、ローマ側から見ればこのような反ローマのメシア運動の首謀者として十字架刑で処刑されたユダヤ人の一人です。そのことは「ユダヤ人の王」という罪状札が示しています。

 イエスは、弟子たちがこのようなメシア僭称者の偽りの扇動によって「惑わされて」福音の真理から逸脱することのないように、予め警告を語られます。イエスは時代の流れを深く読む預言の霊によって語られます。イエスは、メシア僭称者の出現を「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言う」と語っておられます。「わたしがそれだ」《エゴー・エイミ》とか「時《ホ・カイロス》が近づいた」というのは、まさにイエスが宣言された告知です(マルコ一四・六二、一・一五)。イエス以外の者がイエスだけが宣言しうることを僭称することを「わたしの名を名乗る者」と呼んで、そのような偽りのメシアの後について行くことがないように、予め警告されます。

 この時期のパレスチナは、二度にわたる反ローマの大きな戦争により荒廃しました。その戦争の間にも各地で大小の暴動が繰り返されました。「戦争とか暴動のことを聞く」ことは日常的なことになっていました。そのようなことを聞いても「おびえるな」とイエスは言われます。それは、「こういうこと(戦争や暴動というような社会的混乱)がまず起こるに決っている」からです。ここで「決っている」と訳されている語《デイ》(英語のmust)は、黙示思想で用いられる語で、神の御計画によって決まっていて必ず起こることを指すときに用いられます。「来たるべき世」が到来する前には地上に大きな苦難や混乱が起こるというのは、当時のユダヤ教黙示思想の一般的な図式です。このような社会的混乱は、終わりの日に神が救済の業を成し遂げられる前に、この地上に起こることが必然であるとされているのであるから、このようなことが起こるのは神の御計画が実現しつつあることを示しており、救済の確かさを保証しているとされます。このような理解と確信が「おびえるな」という勧告の根拠となります。

 イエスは「しかし、終わりは直ちにではない」と言われます。終わりの日が来る前に、まず偽メシアの出現や戦争と暴動のことを聞くのは、預言者(たとえばエレミヤ二一・七)や黙示思想家(たとえばシリア語バルク書七〇・八)が神の御計画による必然として語ったが、そのようなことが起こったからといって、直ちに終わりの日が来ると考えてはならない、とイエスは言っておられるのです。では、その日が来る前に、さらに何が起こるのでしょうか。ここでもルカはマルコに従い、終わりの日の前に起こる苦難や混乱のリストを付け加えます。

 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」。(二一・一〇〜一一)

 終わりの日には、世界的な無秩序と混乱(民は民に、国は国に敵対)、自然界も異常な乱れ(地震や飢饉や疫病)、経験したことのないような恐ろしい現象が天にも地にも現れることが、黙示思想の用語で語られます。マルコ(一三・八)はこれを「産みの苦しみの始まり」と呼び、「まだ終わりではない」ことを「産みの苦しみ」という黙示思想の概念を用いて表現していますが、ルカはこの表現を略しています。
 このような終わりの日に起こることとして語られる徴がすべて起こり尽くして終わりの日が来る前に、弟子たちの身に起こることが加えられます。

 

終わりの日の前に起こる迫害

 「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる」。(二一・一二〜一三)

 それは、「わたしの名のために」、すなわちイエスの名を言い表す弟子たち(イエスに従う者たち)に加えられる迫害です。「手を下し」という表現は、たんに罵ったり嘲笑するというような言葉だけの批判ではなく、実際に逮捕して連行するという身体的な行動に至る迫害行為を指しています。「会堂」《シュナゴゲー》はユダヤ教の最高法院や会堂であり、「牢」はそれに付属する拘置所です。「王や総督」はローマの支配体制の用語です。この節は、イエスを言い表す者がユダヤ教の長老会議などの法廷だけでなく、異教徒の法廷にも引き出されることを語っています。

 このような「イエスの名のゆえの」迫害は、法廷に立たされたイエスの弟子が、イエスを言い表し「証しをする」場となります。実際には個人から個人に伝えられていた福音は、迫害によって法廷に持ち込まれ、社会の公の事柄として問題になり、その社会にイエスの名を広く知らしめる機会となります。

 このような場で「イエスの名を言い表す」ことは、キリスト信仰と一体です。イエスがキリストだからです。イエスが「人の子」として栄光の中に来臨されるとき、人々の前でイエスを言い表してきた者をご自分に属する者であると認め、人々の前でイエスを恥じたり知らないといった者を拒否されることは、すでに繰り返し語られていました(九・二六、一二・八〜九)。いま終わりの日のことが語られるにさいして、そのような迫害の中でイエスを言い表す場に引き出されることが予告され、覚悟が促されます。しかし、心配することはないという励ましが続けて語られます。

 「だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである」。(二一・一四〜一五)

 文頭の《ウーン》という接続詞は、ここでは「だから」という意味(推論)ではなく、「そこで」とか「ところで」という意味(継起)に理解した方が適切でしょう。一四節の決意の理由は後続の一五節で語られており、先行する一二〜一三節ではありません。

 法廷でイエスについて尋問されたらどう答えようかとか、どう弁明しようかと心配して、予め自分で弁明の準備をするようなことは要らない、むしろそのような準備はしないと心に決めて、その場に臨みなさい、とイエスは言われます。それは「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授ける」からだと言われます。イエスは「わたしが授ける」と言っておられます。イエスは、法廷に引き出される弟子と一緒にいて、語るべき言葉を、そしてそれを語る語り方を導く知恵を授けると約束しておられます。実際にそれをされるのは復活されたイエスです。ここで地上のイエスと復活されたイエスが重なっています。

 同じことが先にも語られていましたが(一二・一一〜一二)、そこでは「言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」と言われていました。また、この箇所と並行するマルコ福音書(一三・一一)では、「実は、話すのはあなたたちではなく聖霊なのだ」となっています。そうすると、迫害されて法廷で問い詰められる弟子たちに、内側から語らせる聖霊は、復活して一緒にいてくださるイエスに他ならないことになります。このような弟子たちの体験が、聖霊を《パラクレートス》(弁護者)と呼ばせ、その働きを復活者イエスの働きとして語らせることになります(ヨハネ一四・一六〜一九)。復活者イエスはいつもわたしたちと一緒にいてくださる「同伴者」であり、聖霊によって働き、助けてくださる「助け主」です。

 なお、この一段(一四〜一五節)は先行する一二〜一三節に自然に続きます。おそらくルカは手元にある資料をそのまま用いて、このような形にしたと考えられます。ところがマルコはこの二つの部分の間に、「こうして、まず福音がすべての民に宣べ伝えられねばならない」(マルコ一三・一〇)という文を入れています。マルコは終末の徴をあげたさい「まだ終わりではない」ことを強調しましたが(マルコ一三・五〜八)、その具体的内容として、「総督や王の前に立たされて証しをすることになる」という言葉に引かれて、終わりが来る前に異邦諸国民に福音が告知される期間が必要であることを述べます(マルコ一三・九〜一〇)。ルカがこのマルコの言葉を削除したのか、元の資料にはないこの文をマルコが挿入したのかは議論が残りますが、この文でマルコが言おうとしたことは、ルカは後で「異邦人の時代」(二一・二四)という表現で扱っていますので、その時に取り上げることにします。

 「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」。(二一・一六〜一七)

 ここで「裏切られる」と訳されている語は、もともとは「引き渡す」という動詞の受動態で、イエスがユダによって命を狙う勢力に「引き渡された」ことに用いられる動詞です。イエスが信頼した弟子によって「引き渡された」ように、本来ならばもっとも親しい身内の者にまで裏切られて、訴えられ、迫害者の法廷に「引き渡される」ことになると予告されます。その結果、中には処刑されて殺される者までも出るであろうと語られます。ここにも、終りの日には親子兄弟というような基本的な人倫関係が崩れるという黙示思想の影響が見られます。

 黙示文書には終りの時について、「その時代には子が父や年長者たちを・・・・糾弾するであろう」(ヨベル書二三・一六)とか、「人はわが子、わが孫ですら平気であやめ、罪人は敬愛する自分の兄弟をすら平気であやめ、明け方から日暮れ時まで殺しあいがつづくであろう」(エチオピア語エノク書一〇〇・二)というような予言がしばしば語られていました。イエスも預言書(ミカ七・六)を引用して、「自分の家族の者が敵となる」と言っておられます(マタイ一〇・三六)。このお言葉は本来イエスに従う者の十字架を指し示すものですが、これが黙示思想的な背景の中で、終りの時の信者の迫害に関連して理解されるようになり、ここに引用されることになります。マルコ(一三・一二)は、「兄弟は兄弟を、父は子を死罪にするために引き渡し、子は親に逆らって立ち、死に至らせる」(私訳)と表現しています。

 こうして「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」と、再び「イエスの名のために」迫害を受けることが予告されます。世の人々はただ訳もなく「イエスの名」を憎み嫌い、理由なくイエスの名を唱える者を憎みます(ペトロT四・一二〜一九参照)。そのことは、後にローマ帝国がキリスト教徒を迫害したとき、何の悪行も見出せないのに、ただイエスをキリストと言い表した者を、「キリスト教徒」であるという「名だけで」犯罪者として処刑するに至ったとき、このイエスの言葉が極限の姿で実現します。そして、そのような迫害を受けたイエスの弟子たちは、このようなイエスの預言の言葉があったゆえに、命を捧げてイエスの名を告白することができたのだと言えるでしょう。

 「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」。(二一・一八〜一九)

 マルコ(一三・一三)は、先行する一六〜一七節と並行する箇所の後、「しかし、終わりまで耐え忍ぶ者は救われる」という言葉で締めくくっています。ルカはその忍耐を励ますために、イエスが語られたとして伝承されている「髪の毛」の語録をここに用いて、この段落を締めくくります。
 イエスはすでにガリラヤでの福音活動の時期から、周囲のユダヤ人、とくに権力をもつ指導層からの殺意(マルコ三・六)に囲まれて歩んでおられました。それでイエスは、自分に従う弟子たちにも迫害を耐え忍ぶ覚悟を促しておられます。そのような言葉の一つに、「雀と髪の毛」の語録があります。イエスは弟子たちにこう言っておられます。

 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」。(一二・四〜七)

 この言葉は、「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる」というこの文脈でこそ語られるにふさわしい言葉でしょう。ルカは「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」という表現で、イエスのこの言葉を思い起こさせます。イエスの名を言い表すことで、この世の者たちから憎まれ、迫害され、時には命を脅かされることもあるだろう。そのとき「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者ども」、すなわち判決を下し処刑する権限のある者を恐れることはない。彼らは「体を殺す以上のことは何もできない」のだから、とイエスは言われます。そして、「だれを恐れるべきか、教えよう」と言って、「殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方」をこそ恐れなさい、と言われます。地上で生きるか死ぬかを決める権威をもつだけでなく、死んだ後、神と共に栄光の場に入るか、永遠に神から切り離された暗黒である地獄に堕ちるかを決める権威のある方、すなわち神をこそ恐れ、神の意志に従うべきだと励まされます。

 その神は、あの雀の一羽さえお忘れになることなく、髪の毛の一本に至るまで数えつくすほどに、あなたのことを知り、顧みてくださっているのだから、体を殺す以上のことは何もできない者を恐れることなく、地上の一切の苦難を耐えて神に従い、神から永遠の命、永遠の栄光をいただく者となりなさい、と励まされます。このような励ましの言葉は、実際ローマ帝国の迫害を耐えた初期のキリスト教徒にとって、どれだけ大きな力になったか測り知れません。


122 エルサレムの滅亡を予告する  (二一・二〇〜二四) 

逃げよ!

 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい」。(二一・二〇)

 エルサレム神殿崩壊の予告をきっかけとして、それと重ねて、終わりの日の到来に先立って起こる徴として、世界に臨む苦難や混乱と神の民に対する迫害が前段(二一・七〜一九)で語られました。話題は再びエルサレム神殿の崩壊という歴史的事実に戻り、神殿を擁するエルサレムという都そのものの滅亡が語られます。

 この段落を並行するマルコ(一三・一四〜二三)と比較すると、二つの記事が書かれた状況の違いと、著者の立場の違いが浮き彫りになります。ルカはマルコを資料として用いて書いていると考えられるので、ルカがマルコを変更したところから、ルカの意図や文の意義がいっそう明らかになるので、その比較から始めます。

 マルコはこの一段を、「ところで、『荒す忌むべきもの』が立ってはならぬ所に立つのを見たら(読む者は悟るように)、その時には、ユダヤにいる者は山地に逃れよ」(マルコ一三・一四)という言葉で始めています。マルコ福音書は(少なくとも「マルコの小黙示録」と呼ばれる部分は)出来事の渦中で書かれたと見られます。この言葉も、ユダヤ戦争が始まり、ローマ軍の軍旗が聖なる場所(イスラエルの聖なる地)に立つのを見るようになったら、ユダヤにいる者は聖なる都エルサレムにこもって抵抗することなく、ただちに山地に逃れるようにと、その直前に霊感を受けた預言者がイエスの名によって預言した言葉であろうと考えられます。

 この「『荒す忌むべきもの』が立ってはならぬ所に立つ」というのは、 ダニエル書(九・二七、一一・三一、一二・一一)からの引用です。ダニエル書では、前一六八年にシリアの王アンティオコス四世エピファネスがエルサレム神殿の祭壇を除いて、代わりに異教の祭壇をおいた事件(マカバイT一・五四〜五九)を事後預言として述べているのですが、この出来事は以後終末を語る黙示文学に大きな影響を及ぼすことになり、ここでも新約時代の預言者によって用いられることになります。

  新約時代においてもすでに四一年に、ローマ皇帝カリグラが支配下にある諸民族の神殿で自分が神として崇められることを求め、エルサレムの神殿にも自分の立像を建立することを要求しました。ダニエルが語った「荒廃をもたらす忌むべきもの」が「立ってはならないところ」すなわち聖なる神殿に立てられようとしたのです。

 カリグラの時はなんとか阻止できたが、いまエルサレムに向かって進撃してくるローマの軍勢が神殿を汚し破壊することはもはや阻止できないであろう。今度はイエスが予言されたように神殿は破壊され、「『荒す忌むべきもの』が立ってはならぬ所に立つ」のを見ることになるであろう(事実、七十年に神殿が破壊された時、ティトスは神殿跡にローマの神を祭るユリア・カピトリヌス神殿を建てています)。そのような事態が迫っている。この予言の意味を「読む者は悟るように」と著者は促します。その時、ゼーロータイの者たちと共にエルサレムにたてこもって戦うようなことはしてはならない、安全な場所に逃れよ。主はそう語られる、と霊感を受けた預言者たちが叫んだのでしょう。

 もちろん、このような預言者の叫びは、(先に神殿崩壊の予告のところで見たように)すでにイエスがエルサレムの壊滅を予告しておられたからこそありえた預言であり、むしろ復活者イエスがこの差し迫った状況で預言者を通してご自身の民に指示を与えておられると理解すべきでしょう。

 異邦人に向かって書いているルカは、このようなユダヤ教黙示思想独特の象徴を用いた語り方はできません。「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら」と、ごく一般的な表現で危機の切迫を描き、今回は滅亡が避けられないことを悟り、ひたすら逃げるように勧告する言葉にします。ルカはエルサレム陥落から何十年も後に、遠く離れた地で福音書を書いています。その表現には、マルコのように切迫した感じはなく、過去の歴史的出来事を記述している歴史家の筆致になっているように感じられます。

 「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」。(二一・二一)

 その逃避は急を要することが、マルコ(一三・一四〜一八)では、「屋上にいる者は下に降りるな。また、中のものを持ち出そうとして家に入るな。畑にいる者は、上着を取りに家に戻るな」と、具体的な行動の仕方まで指示するという、預言者的な緊迫感に満ちた文体で語られます。家や家財や畑を見捨てて身一つで逃げよ、という指し迫った警告です。それに対してルカでは、エルサレムという都市から逃れよという指示に変わっています。エルサレムは滅びに定められているのだから、エルサレムを取り囲む地域のユダヤでは、戦場に近づかないで山地に逃げよとか(ローマ軍はエルサレムを孤立させるために包囲作戦を展開していました)、「都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」というような、エルサレムから離れよというごく一般的な指示になっています。これもルカが現場から遠く離れていることの結果でしょう。

 この度の異邦軍勢(ローマ軍)の来襲は、海底の激震によって起こった大津波のように、神の定めによって起こったものであり(次節)、いかなる人間の力も対抗することはできない。この大津波に向かって、《ゼーロータイ》(熱心党)の者たちのように、神の助けを呼号してエルサレムに立て籠もることは無駄であり、自分の滅びを招くだけであるから、とにかくそこから逃げよ、と預言者は叫びます。大津波と同じで、できることは逃げることだけです。この預言の声によって、ユダヤ戦争下のエルサレム共同体はエルサレムを脱出し、ヨルダン川向こうにある小都市ペラに移住します。


神の報復の日

 「書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである」。(二一・二二)

 預言者は、この度の異教軍勢の襲来は神が定めた「報復の日」の出来事であって、いかなる人間の力もそれに抵抗することはできない大津波だとします。ルカはここで、七十人訳ギリシア語聖書の預言書に繰り返し出てくる《エクディケーシス》(処罰、報復)という語を用いています。この語は旧約の預言書で、それまでになされたきた人間の不義に神が報いとして処罰を与えられることに用いられています(ホセヤ九・七、エレミヤ五一・六、イザヤ五九・一七など)。これまでにイスラエルの預言者たちは、民の不義に対しては神の《エクディケーシス》(処罰、報復)が降ることを繰り返し警告していました。それが聖書に書き記されてきました。今その「書かれていることがことごとく実現する報復の日」として、すなわちこれまでのイスラエルの民の歴史の総決算の日としてエルサレムの滅亡が定められているのだ、とルカは書いています。

 この言葉はマルコ福音書にはありません。したがって、これはエルサレム陥落を神の定めた「報復の日」とするルカの解釈であるとしなければなりません。ルカの解釈というよりは、最初期共同体の一部にあるエルサレム滅亡に対する理解をルカが代弁していると言えるでしょう。

 「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである」。(二一・二三)

 この節の前半、「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」という言葉は、マルコ(一三・一七)と同じです。ただルカは、マルコにある「そのことが冬に起こらないように祈りなさい」という文を省略しています。現実的な状況で書いているマルコでは、七〇年のローマ軍によるエルサレム包囲作戦が四月に始まり八月のエルサレム陥落で終了することが、主の民の切なる祈りに応えて、主がこの大災害を暖かい季節に短く限ってくださったこととして語り伝えられていたと考えられます(マルコ一三・二〇参照)。ルカには、そのような現場の切実さはありません。

 マルコ(とマタイ)は、このエルサレム滅亡にさいしてイスラエルの民が被る災害を、「神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難」(マルコ一三・一九)と表現していますが、ルカは淡々と「この地には大きな苦しみがあり」と事実だけを報告し、その事実を「この民には神の怒りが下る」出来事と意義づけています。この意義づけの言葉は、マルコとマタイにはありません。前節のエルサレム陥落を「書かれていることがことごとく実現する報復の日」の出来事とする記述と合わせて、さらに次節の「異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」という記述と合わせて、ルカがエルサレム壊滅を不従順の民に対する神の怒りによる裁きとし、神の救済史における必然として理解していることをうかがわせます。

 「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」。(二一・二四)

 エルサレムの滅亡を語るこの段落には、昔エルサレムがバビロニアに滅ぼされたときに預言者たちが叫んだ声が響いています。ルカは聖書(七十人訳ギリシア語聖書)をよく読んでいて、その時の預言者の言葉で今回のエルサレムの滅亡を描いています。二四節はマルコとマタイに並行句はなく、ルカの筆で書かれています。

 「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」は、エレミヤ書二〇章四〜六節などが響いています。「エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」には「踏みつける」の受動態が用いられていますが、この動詞は果汁を得るために酒ぶねの中の葡萄を踏みつけることを指すのに用いられる動詞であり、旧約の預言者たちは神が怒りをもって不義なる民を裁かれることを描くのにこの「酒ぶねを踏む」象徴を用いました(イザヤ六三・二〜三、ヨエル四・一三)。そのようにエルサレムは神の怒りによって裁かれ、異邦人の足下に踏みにじられることが予告されます。

異邦人の時代

 しかし最後に、このような事態は「異邦人の時代が完了するまで」と期限がつけられています。「異邦人の時代」という表現も思想も旧約聖書には見当たりません。聖書では救済史の担い手はあくまでイスラエルです。イスラエルだけが契約の対象であり、異邦人が救われるのはイスラエルに加わることによってであり、イスラエルとは別に異邦人が救われて神の民となることはありえません。救済史の担い手として異邦人がイスラエルに取って代わることは予想されていません。

 では、「異邦人の時代」とは何を意味するのでしょうか。また、ルカはこの「異邦人の時代」という思想をどこから得たのでしょうか。ここの「諸国民の時」(直訳)の「時」は《カイロス》の複数形が用いられており、エルサレムの時《カイロス》が審判の時であったように、この表現は諸国民が裁かれるそれぞれの時を意味するという理解も主張されています(WBCのノーランド)。たしかに、イスラエルを罰するために神の道具として用いられた国民(バビロニアなど)が、その傲慢のゆえに裁かれるという思想が旧約聖書にはありますが、ルカの救済史理解全体の枠組みからすると、やはりこの《カイロイ》(複数形)は「時代」と理解し(この用例については使徒三・二〇参照)、イスラエルが救済史の担い手である時代は終わり、世界の諸国民が救済史の担い手となる時代と理解するのが順当でしょう。

 ルカはエルサレムの滅亡を「異邦人の時代」の開幕を告げる象徴的事件としています。これまではイスラエルの民が神の啓示と救済史の担い手でした。神はアブラハムから始まるイスラエルの歴史の中でその啓示の働きを進めてこられました。「しかし今や」、すなわちキリストの十字架と復活という最終的な啓示の出来事が成し遂げられた今、その使命は終わり、その舞台であったエルサレムと神殿は異教徒によって破壊され、その民は捕虜となって「あらゆる異教諸国民の間に連れて行かれる」ことになりました。この出来事が象徴するように、これからは異教諸国民が神の救済史の担い手となって、地上における(=歴史における)神の終末的な救済の働きを担って行かなければなりません。

 ルカはパウロの同労者として、あるいは少なくともパウロの福音活動の流れの中で活動してきた働き手として、神が選ばれた異邦人の使徒パウロによって福音が異教諸国民に告知され、多くの異教徒がイエスの名を告白してキリスト信仰の民となってきた事実を、長年にわたり見てきています。ルカはその長年の体験から、聖霊の働きによって福音の担い手が異邦人に移りつつあることを知っています。それが「異邦人の時代」という思想を生み出したと見ることができます。

 しかし、ルカが「異邦人の時代」という表現を用いるようになった背景には、パウロの救済史観があると見られます。ルカはパウロ書簡を熟知しており、その表現にはパウロ書簡からの借用とか影響が多く見られます。ここでも「異邦人の時代が満ちるまで」(直訳)という表現に、パウロのローマ書の一節が響いています。パウロは彼の福音の最後の包括的提示というべきローマ書で、救済史におけるユダヤ人と異邦人の関係を論じた箇所(ローマ九〜一一章)でこう述べています。

 兄弟たちよ、あなたがたが自分で自分を賢い者であるとすることがないように、この奥義について無知でいてもらいたくありません。すなわち、イスラエルの一部がかたくなになったのは、入ってくる異邦人の数が満ちるまでであり、こうして全イスラエルが救われることになるのです。(ローマ一一・二五〜二六)

 この「異邦人の数が満ちるまで」というパウロの表現がルカに受け継がれて、「異邦人の時代が満ちるまで」となっています。ルカはローマ九〜一一章に示されたパウロの救済史観を継承しています。しかし、パウロとルカでは状況が違ってきています。パウロはエルサレム陥落前に書いています。パウロはまだエルサレム陥落を視野に入れていません。それで、異邦人の救済も「入ってくる異邦人の数が満ちる」という形で語られています。すなわち、異邦人が神とイスラエルとの契約に入ってくるという形で見られています。それに対してルカはエルサレムの陥落をすでに起こった過去の事実として見る地点にいます。その地点から、イスラエルは神に退けられ、代わりに異邦人が救済史の担い手として登場するという見方をしています。その交代の象徴として、ルカはエルサレムの滅亡を用いることができます。しかし、パウロが「イスラエルの一部がかたくなになった」ことに「入ってくる異邦人の数が満ちるまで」と期限を付けているように、ルカもこの交代に期限をつけ、エルサレムが異邦人に踏みにじられるのは「異邦人の時代が満ちるまで」だとします。

 ここでルカが「異邦人《エスノイ》の時代」と言っていることは、ルカだけの理解ではありません。ルカが「異邦人(=諸国民)の時代」と言っていることは、マルコがその「小黙示録」で、終わりの日の前に世界に臨む苦難や迫害を語る中で、「しかし、まず、福音があらゆる民《パンタ・タ・エスネー》に宣べ伝えられねばならない」(マルコ一三・一〇)と言っているのと同じです。マルコはパレスチナ・ユダヤ人共同体の黙示思想的な終末待望の伝承を用いながらも、その中で「まだ終わりではない」ことを強調し、現在の苦しみの「産みの苦しみの始まり」だとし、終わりが来る前に世界の諸国民が福音を聞かせられる時期があることを指し示していました。マタイ(二四・一四)も同じように、迫害を予告した後、「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」と明確に述べています。ルカはこれを「諸国民の時代」と呼んでいるのです。「異邦人(=諸国民)の時代」のキリストの民は、世界の諸国民に福音をもたらす使命と責任を担う共同体です。その使命が全うされるときに、神の救済史は新しい段階に達し、もはや「ユダヤ人と異邦人」の区別はなく、エルサレムは「異邦人に踏み荒らされる」状況から解放され、あらゆる「宗教」上の対立は克服されることになります。

 こうして訪れる「終わりの日々」の最終的な局面となる「人の子」の到来が、終わりの日に関する説話のクライマックスとして、黙示録的な表現で語られます。


123 人の子が来る(二一・二五〜二八)

最初期共同体における来臨《パルーシア》待望

 最初期共同体が世界に向かってキリストの福音を告知したとき、十字架につけられて殺されたイエスが復活してキリストとして立てられたこと、この十字架・復活のイエス・キリストにおいて神の贖いが成し遂げられたことが告知の核心でした。しかし、この告知は同時に、復活して高く上げられて神の右に座したイエス・キリストが、やがて栄光の中に来臨されて世界を裁かれるという告知を伴っていました。最初期の福音告知は、やがて来られる栄光の主イエス・キリストによって神は世界を裁き、その支配を確立されるのであるから、今この十字架されたキリストの福音を信じて贖いにあずかりその日に備えなさい、という構造をとっていました。その告知は、「時は満ちた。神の支配は迫っている。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ一・一五)と要約することができます。

 ただ、栄光のキリストが来られる日のことが語られるとき、パレスチナ・シリア地域でのパレスチナ・ユダヤ人の福音告知(ヤコブがその代表)と、エーゲ海地域でのギリシア語系ユダヤ人による福音告知(パウロがその代表)では語り方(表現)が違いました。おもにパレスチナ・シリア地域においてユダヤ教の枠内でイエス・キリストが告知される場では、その日のことは「人の子が来る」とか「人の子が現れる」日として語られます。「人の子」という表現は、ダニエル書(七・一三〜一四)をはじめユダヤ教黙示文書に使われている特殊な表現で、終わりの日に天から現れて地上に神の支配をもたらす超自然的人格です。パレスチナ・ユダヤ人が「人の子」という表現を用いて差し迫っている神の支配の到来を語ったのは、イエスが「人の子」という称号を用いて終わりの日のことを語られたからです。彼らはユダヤ教黙示文書に親しんでいた人たちですから、彼らが伝承し形成したイエスの「語録資料Q」は、「人の子」を主導原理として形成されることになります。その中で終わりの日の神の支配の到来を語るのに「人の子が来る」という形を取るのは当然です。

 それに対してエーゲ海地域で異邦人に福音を宣べ伝えたパウロは、ユダヤ教黙示思想に全然関わりのない異邦人に向かって「人の子」というユダヤ教黙示思想独特の表現を用いることはできません。イエス伝承を用いる限り、「人の子」という表現を用いないですますことはできませんが、パウロは福音を語るのにイエス伝承を用いていません。したがって、「人の子」を一度も用いないですませています。パウロはキリストが終わりの日に栄光の中に来られることを「キリストの来臨《パルーシア》」とか「キリストが来られるとき」という表現で語っています(テサロニケT四・一五など)。

 パウロの福音を継承し、パウロの名で書簡を書いた第二世代のパウロ系の指導者たち(コロサイ書やエフェソ書の著者)は、おそらく異邦人であり、ファリサイ派ユダヤ教徒であったパウロより一段とユダヤ教から離れ、ギリシア思想の枠に深く進んでいるので、当然「人の子」というような表現を使うことなく、「キリストの来臨」待望も希薄であり、《パルーシア》という語も出てきません。

 ルカもパウロ系の福音活動の流れの中で、異邦人に向かって福音書を書いています。ルカはコロサイ書やエフェソ書の著者たちと同じ世代のパウロ主義者として、ユダヤ教黙示思想を乗り越えて、神の国の現実が聖霊によってすでにキリスト者共同体の中に来ているのだという主張をしていますが(一七・二一)、福音書という形で福音を告知しようとするかぎり、当然イエス伝承を用いることになります。事実、ルカはイエス伝承を用いて福音を告知した最初の福音書であるマルコ福音書と、イエスの言葉を集めた「語録資料Q」を主要な資料として用いて福音書を書いています。その結果、終わりの日の到来を語る部分で、マルコと同じく「人の子」という表現で語ることになります。しかし、「人の子」を用いて語る部分にもルカ特有の語り方が出てくることになります。この段落では、ルカによる「人の子」到来の告知を聴くことになります。

 

ルカによる「人の子」到来の告知

 「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである」。(二一・二五〜二六)

  「人の子」が現れるときに起こる不思議な現象(徴)についてマルコは次のように書いています。

「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」。(マルコ一三・二四〜二五)

 これは明らかにイザヤ書(一三・九〜一〇)の「見よ、主の日が来る、残忍な、怒りと憤りの日が。大地を荒廃させ、そこから罪人を絶つために。天のもろもろの星とその星座は光を放たず、太陽は昇っても闇に閉ざされ、月も光を輝かさない」や、ヨエル書(三・三〜四)の「天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。主の日、大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる」など、旧約預言者の終末審判のときに現れる徴の預言を継承しています。

 ルカはマルコの記述を簡略にした形、すなわち「それから、太陽と月と星に徴が現れる。・・・・天体が揺り動かされるからである」という天界に現れる徴を枠として、その間に地上に起こる諸国民の動乱と不安を入れています。「海」は黙示思想では世界の諸国民を象徴する用語です。地上の動乱と不安の部分はマルコにはなく、旧約聖書にも明確に対応する記述はなく、おそらくルカ独自の記述であるか、または別の資料によったものと推察されます。ルカはマルコに較べると、終わりの時の徴としては、天界の不思議な現象を指し示す黙示録的な徴よりも、地上の歴史に起こる大動乱と人間界の極限の不安に重点を置いていることがうかがわれます。このルカの指摘は、動乱と不安の時代に生きる現代人には切実に響きます。

 なお、マタイはマルコ(一三・二四〜二五)と同じ文で天界の異象を語った後に、「そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」と、地上の諸国民の悲痛を続けています。

 「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」。(二一・二七)

 「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って(または、雲に囲まれて)来る」という形は、明らかにダニエル書七章一三〜一四節の預言を響かせてす。この預言は、ダニエル書などの黙示文書に親しみ、黙示思想的な終末待望に生きていたパレスチナ・ユダヤ人の間で中心的な位置を占めており、彼らの終末待望を言い表すのに繰り返し用いられていたと考えられます。その流れを承けているパレスチナ・ユダヤ人のイエス伝承でも「人の子」の到来を告白する定型文として用いられるようになります。イエスが最高法院で大祭司の「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という尋問に「わたしはある」という神的宣言句でお応えになったときにも、この「人の子」告白が続いています(マルコ一四・六二)。

 イエスがどのような言葉で終末を語られたにせよ、イエスがご自身を「人の子」という称号で指して語っておられる以上、このダニエル書の言葉がイエスの終末告知の中心に来ることは必然です。共観福音書に収録されているイエスの終末告知はどれもみなこのダニエル書の「人の子」預言を頂点として形成されています。

 なお、この「人の子」到来を告知する文に用いられている「雲に乗って」あるいは「雲に囲まれて」という句は何を意味するかについては様々な解釈があります。雲は一般に旧約聖書においては神の臨在を象徴しますが、ここではキリストの来臨について語られている事柄との並行関係から解釈されるべきだと考えられます。最初期の福音告知においては、キリストが来臨されるときには天使たちの群れを伴って来られるとされていたことが、「人の子が父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るとき」(マルコ八・三八)というイエスの語録からもうかがわれます。この表現との並行関係からすると、「雲に乗って」は「聖なる天使たちと共に」を象徴的に指していると理解できます。

 なお、マルコでは(そしてマタイでも)「人の子」が栄光をもって現れるとき為されることとして、「そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」という言葉が続いています(マルコ一三・二七)。ところが、ルカはこの記事を省略しています。この記事の代わりに、ルカ特有の別の記事(次の二八節)を入れていますので、この省略の意味は次節との関連で考察したいと思います。

 「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」。(二一・二八)

 この記事は、マルコとマタイには並行記事はなく、ルカだけの特有記事となります。それだけに、終末待望に関するルカの姿勢の特色を示す記事となります。ルカが省略したマルコ(一三・二七)の記事と較べると、「人の子」の到来に対する姿勢の違いが明らかです。マルコでは「地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」のは「人の子」が遣わす天使たちの働きであって、選ばれた人たちは何もすることはありません。ただその日を目覚めて待っておればよいとされます。これは黙示思想の特色をよく示しています。

 それに対してルカでは、その日を待つ「あなたたち」キリストの民の心構えが説かれます。「このようなことが起こり始めたら」、すなわちこの終末説教で予告されている動乱や迫害が起こるようになったら、あなたたちは「身を起こして頭を上げなさい」と説き勧められます。これは不安や恐怖で身をかがめ頭を垂れる姿の反対で、動乱や迫害が起こるのは「解放の時が近い」ことの徴であるのだから、希望と喜びをもって立ち上がりなさい、という激励です。

 この節の表現には、ローマ書八章(一八〜二五節)に語られているパウロの終末待望の言葉が響いているように感じられます。ルカがここで用いている《アポリュトローシス》(「解放」と訳されている語)は、パウロが終わりの日の出来事として「体の贖い《アポリュトローシス》」を語っているところで用いられている語です(ローマ八・二三)。《アポリュトローシス》という語は普通「贖い」と訳される語です。旧約聖書では、「人を贖う」、すなわち捕虜や奴隷を買い戻して解放するという社会的意味と、「罪を贖う」、すなわち犠牲の動物の血によって罪過を拭い清めるという祭儀的意味の二つの別の用語がありましたが、新約聖書ではこの二つの語が《アポリュトローシス》という一つの語で指されるようになります。パウロは三章二四節でこの語を贖罪という祭儀的な意味で用い、八章二三節で解放という意味で用いています。ここでのルカの用法は終末的な「解放」という意味で用いられており、パウロがローマ書八章二一節で《エレウセリア》(解放、自由)と言っていることと同じです。

 さらに、「身を起こして頭を上げなさい」という勧告の言葉に、パウロの「首をのばして待望する」(ローマ八・一九)という用語が響いていることが感じられます。ルカは誠実な歴史家として、パレスチナ・ユダヤ人の黙示思想的なイエス伝承を継承し、マルコ一三章の「小黙示録」もほぼそのまま受け継いでいますが、その中にパウロの終末待望の質を織り込んでいることがうかがわれます。

 

「人の子」とイエス

 この「人の子」の到来を告知する段落において、問題の核心はここでその到来が告知されている「人の子」とイエスの関係です。古来からここの「人の子」は当然イエスご自身を指すと理解されてきましたが、近代になってイエスはこの「人の子」をもって誰か他の人物、すなわち自分とは別に天から現れる超自然的人格を指しておられるという理解がされるようになり、神学的な議論が続いてきました。その議論の詳細に立ち入ることはできませんが、福音書に伝えられているイエスの「人の子」発言の全体からすると、やはりここでも「人の子」はイエスを指すとしなければなりません。少なくとも、このような形でその終末待望を語り伝えてきたパレスチナ・ユダヤ人のイエス伝承においては、この「人の子」はイエスを指していることは確実です。彼らは、復活されたイエスが世界の審判者として来られることを、イエスがご自身を指すのに用いられた「人の子」を用いて告知しているのです。

 この段落が形成された経緯はどうであれ、現在のわたしたちはこの「人の子」が来られるという告知を、わたしたちに語りかける復活者イエスの言葉として聴かなければなりません。旧約聖書の預言とユダヤ教黙示思想の告知は、イエスという具体的な人格の姿をとってわたしたちに語りかけています。それがまとっている黙示思想特有の宇宙論的象徴を透過して、わたしたちのもとに来ようとして、わたしたちに向かっておられる復活者イエス・キリストとの関わりを自覚して、わたしたちは現在を生きなければなりません。そのことが次の段落で、イエスに特有のたとえの形で説き示されます。


124 「いちじくの木」のたとえ(二一・二九〜三三)

 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏に近づいたことがおのずと分かる」。(二一・二九〜三〇)

 マルコ(やマタイ)では、「いちじくの木からたとえを学べ」となっていますが、ルカはそれに「ほかのすべての木」を加えています。いちじくの木はイスラエルを象徴する木ですから、いちじくの木だけではイスラエルの民に起こることだけが徴として限定されることを避けるためでしょうか、ルカは「ほかのすべての木」を加えて、異邦人読者に広く世界に起こる出来事に注意を向けさせています。

 木々に新芽が出始めると夏が近いことを知るのは、どの国民にも共通の体験です。それを比喩の比較点として、イエスはここで語られた出来事を神の支配の到来が近いことの確実な徴とされます。

 「それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい」。(二一・三一)

 「それと同じように」、すなわち新芽は夏の近いことを示すという自然界の法則が確かなように、ここに予告された歴史的出来は神の支配の到来の近いことを指し示しているのは確かであるという形で、自然界の法則の確かさによって救済史の法則の確かさが保証されます。

 この箇所で、マルコ(一三・二九)は「彼(人の子)が戸口に近づいていると悟りなさい」と書いています。ルカはそれを「神の国が近づいていると悟りなさい」と変えています。ルカはイエスの福音告知の主題を「神の国」、「神の支配」という表現で語る著者です。四章四三節の主題提示から始まって福音書では「神の国」を三三回用いています(新共同訳で)。これはマタイの五回、マルコの一四回、ヨハネの二回に較べて圧倒的に多い使用です。ここでもユダヤ教黙示思想に特有の「人の子」を、異邦人読者向けに「神の国」に変えています。

 「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない」。(二一・三二)

 この節と次の節は「過ぎ去る」という同じ動詞を用いて一組の語録を形成しています。新共同訳では「滅びる」と訳していますが、本来の意味の「過ぎ去る」の方がよいのではないかと考えられます。イエスは「これらのすべてが起こるまでは、この《ゲネア》が過ぎ去ることは決してない」と言っておられます。

 この節の解釈で問題になるのは、《ゲネア》の意味です。同じ先祖から生まれた者たちという意味で「子孫」とか「種族」という意味で用いられる場合もありますが(使徒八・三三)、同じ時期に生まれた者たちという意味で「世代」(ジェネレイション)という意味で用いられる場合(マタイ一・一七)が大部分です。新約聖書では四三回の用例の中で三三回が共観福音書にあり、その中で二五回がイエスの時代のユダヤ人を指しています。その中で一七回が「この」をつけて「この世代」と言われています。

 新共同訳はこの《ゲネア》を「時代」と訳していますが、「時代」は「江戸時代」などとかなり長い時期を指すことも多いので、ここでは不適切で、イエスの時代のユダヤ人を指す用語として「世代」と訳すべきでしょう。共観福音書では、神が終わりの日に遣わされた洗礼者ヨハネとイエスを共に拒んだ「この世代の人々」が糾弾されており(七・三一〜三五)、イエスは「なんと不信仰で曲がった世代なのか」と嘆いておられます(九・四一)。そして、死者からの復活という最終的な「ヨナのしるし」を信じない「今の世代の者たち」は「よこしまな世代」として非難されています(一一・二九〜三二)。さらに、イエスを殺すことになる「今の世代の者たち」が、「天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、その責任を問われることになる」と断罪されます(一一・五〇〜五一)。このような糾弾とか断罪の言葉には、「語録資料Q」の言葉が響いています。すなわち、先に「七十二人の派遣」のところで見たように、十字架につけられて殺され復活されたイエスをメシア・キリストとして宣べ伝え、同胞ユダヤ人の拒否に出会ったQ共同体(「語録資料Q」を生み出したパレスチナ・ユダヤ人の福音運動)の「この《ゲネア》」に対する失望と糾弾が感じられます。

 では「すべてのことが起こるまで」の「すべてのこと」は何を指すのでしょうか。この「すべてのこと」、とくに「人の子」の到来による神の支配の実現がまだ起こっていないという事実に合わせるために、「この《ゲネア》」をユダヤ人とか人類を指すとする解釈もありますが、これは無理で、このようにイエスが繰り返し「今の世代」のイスラエルを断罪しておられる以上、ここの「この《ゲネア》」も「今の世代」と理解しなければなりません。イエスは「今の世代」が過ぎ去るまでに、この終末説教で語られたすべてのことが起こるのだと預言しておられることになります。

 六六年に始まり七〇年のエルサレムの陥落、神殿の崩壊に至るユダヤ戦争は、ユダヤ人にとっては世の終わりともいうべき出来事であり、終わりの日の大患難です。それはイエスの世代のユダヤ人に起こりました。そういう意味で、イエスがここで預言されたことは実現しました。しかし、エルサレムの陥落、神殿の崩壊という歴史的事件に重ねて語られた世界の終末・完成はまだ来ていません。そのことについて、イエスは続いてこう語られます。

 「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。(二一・三三)

 イエスは言われます、「天と地は過ぎ去るであろう。しかし、わたしの言葉は決して過ぎ去ることはない」。同じ「過ぎ去る」という動詞が、二回とも未来形で使われています。 過ぎ去って無くなるものと、過ぎ去ることなく残るものとの対比のことを聞くと、わたしたちは預言者の言葉を思い起こします。イザヤはこう叫んでいました。

 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。(イザヤ四〇・六〜八)

 「肉なる者は皆」、すなわちすべての人間の営みは、野の草や花がすぐに枯れてしぼむように、定められた時が来ると、過ぎ去り無くなってしまうものです。とこしえに存続するものではありません。それに対して、預言者が伝える神の言葉は過ぎ去ることなく、「とこしえに立つ」と宣言しています。

 イエスの言葉もこの対比を語っていますが、預言者の言葉をはるかに超えています。人間の営みだけでなく、それがなされる舞台である天地そのものが過ぎ去って無くなるときが来ることが語られ、それに対して「わたしの言葉」は決して過ぎ去ることなく、とこしえに存続すると宣言されています。いったい、このような言葉を「わたしの言葉」として語ることができるのは誰でしょうか。それは天地の存在を超えた方、天地を創造し、それを保持している方だけです。イエスのこの言葉には、「主は言われる」として、自分が聞いた主の言葉を取り次いだ預言者以上に、天地の創造者と一体となって語っておられるイエスの姿が滲み出ています。

 わたしたちはこの天地の存在ほど確かで永続的なものはないとして前提して生きています。それが無くなる時があるなど想像したこともありません。しかし、聖書は天地が無くなる時があることを宣言しています。それは聖書劈頭の「初めに神は天と地を創造された」という一文が宣言しています。初めに神が創造されたのであれば、終わりに神がそれを無くされることもありうることになります。事実、創造信仰が確立した第二イザヤ以後では、預言者は終わりの日にはこの天地とは別の新しい天地が創造されることを語るようになっています(イザヤ六五・一七、六六・二二)。その後の黙示思想は、この古い天地が滅ぼされて無くなることを多くの言葉と象徴で語ることになります。このことは新約聖書にも受け継がれ、今の天地が火で焼き滅ぼされる日のことが語られています(ペトロU三・七、一〇)。

 創造信仰は天地の存在そのものを相対化します。絶対的なものは救済史の主であり創造者である方の意志とそれを表す言葉です。救済史的唯一神信仰において成立した創造信仰は、天地の存在をも相対化し、天地の始まりと終局を絶対者なる神の意志と言葉に従属させます。ここでのイエスの言葉は、この救済史的唯一神信仰の端的な表現です。


125 目を覚ましていなさい(二一・三四〜三八)

 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである」。(二一・三四〜三五)

 マルコは、「天と地は過ぎ去るであろう。しかし、わたしの言葉は決して過ぎ去ることはない」という言葉の後に、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」(マルコ一三・三二)という言葉を置いて、「その時は分からないのであるから、目を覚ましていなさい」という警告(一三・三三)を続けています(マタイも同じ)。ルカはこのマルコ一三・三二の「その日、その時は、だれも知らない」という言葉を省略しています。この「目を覚ましていなさい」という警告の段落で用いられている表現がマルコとルカではかなり違うので、ルカは別の資料を用いているのではないかという推察もありますが、それは確認できません。

 この箇所でマルコ(一三・三四〜三七)は、旅に出た主人がいつ帰ってくるか分からないのだから、責任を割り当てられた僕は目を覚ましていなければならない、という比喩を用いています。ルカはこの比喩をすでに一九章(一一〜二七節)の「ムナのたとえ」の中で用いていますので、繰り返しを避けたのでしょう。ここでルカが用いている表現は、イエス伝承にある比喩ではなく、パウロ系の共同体での語り方を反映しています。その日が不意にすべての人を「襲う」というのは、テサロニケ第一書簡(五・一〜四)と同じです。警告に用いられる用語も、パウロ文書、とくにパウロ名書簡の用語と多く重なっています。たとえば、「罠」は(ローマ一一・九の詩編の引用を除いて)ここと牧会書簡の三箇所(テモテT三・七、六・九、テモテU二・二六)だけに出てくる語です。その他、「放縦」(エフェソ四・一九、テモテT五・六)、「深酒」(ガラテヤ五・二一、ローマ一三・一三、コリントT六・一〇、エフェソ五・一八)、「生活の煩い」(コリントT七・三一〜三二、フィリピ四・六、テモテU二・四)なども、(括弧内の箇所に見られるように)パウロ系共同体で主の来臨の日を目指して歩む者たちへの勧告として語られていた用語や表現です。ルカはその勧告をまとめて、イエスの終末説教の結びとして用います。

 「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」。(二一・三六)

 「逃れる」という表現は、ロトのことを思い起こさせます。やがてソドムの町を襲う火と硫黄による滅びから逃れるようにという御使いのお告げを受けて、ロトはソドムから逃れました。この終末説教で、この世界には神の裁きの日の前に大きな患難が臨むことが語られていましたが、その患難の中で滅びることなく、「起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、(その後に到来される)人の子の前に立つことができるように」、いつも、どのような時にも、目を覚まして祈るように求められます。「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」日に、「人の子」の前に立つことは、「人の子」に受け入れられて、その栄光にあずかることを指しています。最初期のパレスチナ・ユダヤ人も福音告知においては、救いはこのような「人の子」との関連で語られていました。ルカはここでその伝承を忠実に伝えています。

 マルコは、旅に出ていつ帰ってくるか分からない主人のたとえを用いて、だから「目を覚ましていなさい」とだけ勧告しています。それに対してルカは「目を覚まして」に「祈っていなさい」を加えています。「わたしはすぐに来る」という使信は、「主よ、来てください」という待望の祈りにおいて自覚されます(黙示録二二・二〇)。最初期の共同体は、「マラナ・タ(主よ、来てください)」という言葉を合い言葉として、主の来臨を待ち望んでいました。聖霊が力強く働かれる場では、この祈りが溢れてきます。「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くなる」と、この自覚が薄れ、「人の子の日」が不意に襲うことになります。その日が不意の出来事とならないように、絶えざる祈りにおいてその日が来ることを自覚して歩むように説き勧めて、この「終末説教」が結ばれます。


区分「神殿での活動と論争」への結び

 ルカはその福音書をガリラヤでの活動、エルサレムへの旅、エルサレムでの受難と復活という三部構成で書いています。エルサレムでの受難と復活を語る第三部は、大きく次の三区分で構成されていると見られます。

1 神殿での活動と論争(一九・二八〜二一・三八)
2 受難物語(二二・一〜二三・四九)
3 復活告知(二三・五〇〜二四・五三)

 エルサレム入りの記事(一九・二八〜四六)で始まった第一区分は、神殿境内での教え(一九・四七〜二一・四)、終末についての説教(二一・五〜三六)と続き、ここで終わります。エルサレムに入られたイエスは、神殿から商人を追い出すという激しい象徴行為をされましたが、その後は毎日神殿境内で民衆に「福音を告げ知らせる」活動を続けてこられました。その活動は、次の記事で導入されていました。

 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。(一九・四七〜四八)

 最後の終末説教でその活動は終わりますが、その間の活動が次の記事で締めくくられます。この記事はここに引用した一九・四七〜四八の記事と一組になって、イエスのエルサレム神殿での福音告知活動を囲いこんでいます。

 それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。(二一・三七〜三八)

 この記事から、エルサレムで活動された最後の週のイエスの姿が伝わってきます。イエスは日中は神殿で教える活動をされますが、夜は城門を出て、キデロンの谷を渡り、エルサレム市街の東にあるオリーブ山に退かれます。市外で夜を過ごすことは多くの巡礼者たちの習慣でした。イエスと弟子の一行が夜を過ごした場所は、オリーブ山の山麓のオリーブの木が茂った一角で、マルコ(一四・三二)はそこを「ゲツセマネという名の土地」と名をあげていますが、ルカは土地の名をあげることなく、ただ「『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた」とだけ書いています。ルカは一度も「ゲツセマネ」という名をあげることはありません。エルサレムから遠く離れて暮らしている異邦人読者には、小さな土地のヘブライ語の名は必要でないとしたのでしょうか。

 イエスが夜を過ごされる場所を知っている弟子のユダが、イエスを民衆のいないところで秘かに逮捕したい祭司長たちに通報します。このユダの「裏切り」によって、イエスはいつも夜を過ごす場所で逮捕されることになりますが、そこの記事でもルカは土地の名をあげず、ただ「いつもの場所」とだけ書いています(二二・三九〜四〇)。

 夜が明けると、イエスはエルサレム市街に入り、神殿境内で教える活動をお始めになります。その話を聞こうとして、過越祭に集まっている多くのユダヤ人が朝早くから集まってきます。過越祭のエルサレムには全国からの巡礼者が大勢集まっていました。イエスは祭りに集まる大勢のユダヤ教徒に恩恵の支配を告知する最後の活動を進められます。

 この区分の説話や論争は、神殿境内での出来事としてまとめられていますが、その中には最後の「終末説教」のように、明らかに弟子たちに向かって語られたものがあります。マルコ(一三・一)のように、これは神殿から出て弟子たちとだけになられた時に語られたとする方が分かりやすいのですが、ルカは状況にとらわれず、イエスが弟子たちに終わりの日に対する心構えを説かれた語録をまとめて、(マルコに従い)ここに置いています。
 こうして、エルサレムでの最後の週の活動は締めくくられ、次章からいよいよイエスの受難の物語が始まります。

 



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