ルカ福音書講解 24
 

第二四章 ル カ の 誕 生 物 語

 

                    ― ルカ福音書 一〜二章 ―




はじめに


 新約聖書にはイエスの誕生の次第を語る「誕生物語」が二つあります。一つはマタイ福音書一〜二章の「マタイの誕生物語」です。もう一つはルカ福音書一〜二章にある「ルカの誕生物語」です。「マタイの誕生物語」については、先に拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』で扱いましたので、ここでは マタイのそれと比較しながら「ルカの誕生物語」を講解することになります。

 ところで、ルカ福音書は「誕生物語」で始まっていますが、本書『ルカ福音書講解』では三章の洗礼者ヨハネの出現から講解を開始し、一〜二章の「誕生物語」は最後に回しました。その理由については『ルカ福音書講解T』(54頁)の「誕生物語の扱いについて」の項で述べましたが、そこで、この「誕生物語」が三章以下の本体部分とは違い極めてユダヤ教的色彩の強い別起源の伝承をルカがまとめて、すでにできていた本体部分に付け加えた可能性について触れておきました。ルカがこのような誕生物語を自分の福音書に付け加えた理由と経緯については、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」で詳しく論じておきましたので、それを参照していただくことにして、ここではとにかくまず「ルカの誕生物語」を読んで、その後でこの「誕生物語」がここに置かれている意義とこの誕生物語の性格について見ることにします。

 なお、一章冒頭の段落1「献呈の言葉」(1章1〜4節)は、『ルカ福音書講解T』の「序論」で詳しく扱っていますので、ここでは段落2から始まる「誕生物語」だけを扱うことにします。


 

T ヨハネの誕生とイエス誕生の予告

                 ― ルカ福音書一章 ―

 

誕生物語におけるヨハネとイエス

 「誕生物語」は本来イエスの誕生を語り告げるための物語です。ところがルカの誕生物語には、洗礼者ヨハネの誕生の物語が組み込まれていて、イエスの誕生とヨハネの誕生が交互に語られて、二つの相似形の図柄を織り込んでいる一つの織物のような様相を呈しています。この事実が意味するところが重要です。


 だいたい誕生物語というのは、偉大な人物の偉大な生涯が終わってから、その人物出現の意義を誕生に遡って語ろうとするものです。イエスの場合、イエスの活動は洗礼者ヨハネの運動から始まり、ヨハネとイエスは一組の預言者としてイスラエルの民に新しい時代を告知したのでした。それで、イエスの偉大な生涯が終わった後、イエスを信じた者たちの共同体は、イエス出現の意義をヨハネの出現と一体で物語ることになります。


 ヨハネの誕生記事とイエスの誕生記事との並行関係は明白です。二人の誕生は両方とも天使によって予告されます。ヨハネの場合は天使ガブリエルのザカリアへの男子誕生の予告(一・五〜二三)と母になるエリサベトの賛美(一・二四〜二五)、イエスの場合はマリアへの天使の告知(一・二六〜三八)とマリアの賛歌(一・四六〜五六)とが並行しています。天使の予告は、この両方の出来事が共に神の御計画によるものであることを指し示しています。


 二人の誕生は、両方とも人間的には不可能な状況で、ただ神の働きの結果として奇跡的な出来事として物語られています。ヨハネの場合は老齢の不妊女性エリサベトからの出生、イエスの場合は処女マリアからの出生です。


 二人の誕生は聖霊によって賛美されます。ヨハネが誕生したとき、父親の祭司ザカリアが聖霊によって賛美し預言します(一・六七〜七九)。イエスの誕生のあと、神殿で預言者シメオンとアンナが聖霊によって賛美し預言します(二・二五〜三八)。


 そして、天使の予告、人間的には不可能な状況での出生、これを体験した者の喜びと賛美という両者に共通のパターンは、旧約聖書の前例から採られています。イサクの誕生物語(創世記一七〜一八章)、サムソンの誕生物語(士師記一三章)、(部分的に)サムエルの誕生物語(サムエル記T一章)などにこのパターンが見られます。ルカも伝承の担い手たちも、このような旧約聖書の奇蹟的誕生の物語に親しみ精通していた人たちだったのでしょう。


 しかし、イエスをメシア・キリストと信じる者たちの共同体は、復活されたイエスこそが最終的な救済者であり、ヨハネはその方の道備えをするために遣わされた先駆者であるとしていましたから、二人を共に神から遣わされた者とし二人の誕生を一組で並行して物語る時も、ヨハネをイエスに従属する者と位置づけて物語っており、相似形は崩れています。この二面性、すなわり一面でヨハネとイエスの誕生を共に神による出来事として物語りつつ、他面でヨハネをイエスに従属させ、イエスの先駆者と位置づける二面性が、福音書の誕生物語の図柄を複雑にしています。この二面性は講解で見ることになります。


 なお、マタイの誕生物語に較べると、ルカの誕生物語におけるイエスとヨハネの並行関係は際だっています。マタイでは洗礼者ヨハネの誕生は触れられていません。ルカがこれほどまでにイエスとヨハネの並行関係を強調するのは、イエスの出現を旧約聖書と切り離したマルキオンに対抗して、イエスとヨハネの出現が共に同じ神の働きから出たものであることを示して、イエスをヨハネが代表する旧約聖書の預言の系列に結びつけるためであると考えられます。

 

 ルカの誕生物語がマルキオンに対抗するという意図で構成されていることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」、とくに455頁の「増補改訂版ルカ福音書」の項目の中の「1誕生物語」を参照してください。

 

 

2 洗礼者ヨハネの誕生、予告される(1章5〜25節)

 

 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。(一・五)


 この冒頭の一節で、読者は前一世紀のユダヤ教の世界に引き入れられます。ヘロデは前四年に没するまで三〇年以上王としてユダヤを統治していました。当時パレスチナはローマによって支配されていましたが、ヘロデはローマの後ろ盾を得てユダヤを含むパレスチナ全土を支配していました。「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という伝承は、マタイ(二・一)も用いており、誕生物語に関しては依存関係がないマタイとルカが一致するので、これは歴史的事実に基づいて広く語り伝えられていた共通の伝承であったと見られます。従ってイエスの誕生はヘロデ没年の前四年以後ではなかったことになります。大多数の研究者はイエスの誕生を前七年と前四年の間と見ています。


 ローマは支配する民族の宗教を尊重しましたし、ヘロデもユダヤ人の歓心を得るために壮麗な神殿を建設したので、エルサレムの神殿では毎日犠牲が捧げられ、ユダヤ教の神殿祭儀は盛大に行われていました。祭儀を執り行う人が祭司ですが、当時のユダヤ教祭司制度は大祭司を頂点によく整えられていました。「アロンの子らもくじによって二四の組に分けられた」という歴代誌(上二四章)の記事(その中に第八のくじに当たったアビヤの名があります)に従って、捕囚から帰還した祭司の四部族(エズラ記二・三六〜三九)が二四の組に分けられ、交代で年に二度一週間の神殿奉仕に当たりました。祭司たちは家族と共に地方の村落に住み、当番のときにエルサレム神殿で奉仕し、一週が済むと帰郷しました。ザカリアはアビヤの組に属する祭司で、祭司の名門アロン家の娘の一人で、名をエリサベトという女性を妻にしていました。

 

 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。(一・六〜七)


 ザカリアとエリサベト夫妻は、二人とも「神の前に正しい人」という評判の夫妻でした。ユダヤ教社会で「正しい人、義人」というのは道徳的に完全な人とか正義の人という意味ではなく、ここに解説されているように、「主の掟と定めをすべて守る」ことであり、二人はこの点で「非のうちどころがない」という立派な生活をしていました。ところが、この二人には子供がありませんでした。


 ユダヤ教社会では、子供は神からの祝福とされていましたから、子供がないことは神の祝福がないこと、ときには罪のしるし、神の呪いとされました。昔は不妊の原因が夫妻のどちらにあるのか医学的な解明もなく、ただ女性が「不妊の女」とされて白眼視されました。それで、このような夫妻に子供ができたときは、とくに女性が「神がわたしを顧みて、辱めを取り去ってくださった」と感謝し、喜びに溢れました。このような事例は、サムエルの母ハンナ(サムエル記U一〜二章)のほか旧約聖書に多くあります。エリサベトの喜び(二五節)もこのような事例の典型です。


 エリサベトは若いときから妊娠の経験が無く「不妊の女」とされていたのですが、さらに「二人とも既に年をとって」いて、子供ができる可能性はなくなっていました。とくに年をとって閉経期を迎えた女性が妊娠することは生理的にありえません。ここで二人に子供ができる可能性のないことが特記されるのは、二人の間に生まれることになる子がただ神の御計画と働きによるものであることを強調するためです。高齢のアブラハムとサラの間にイサクが生まれたのも、このような事例の一つです。

 

 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。(一・八〜九)


 ザカリアが属するアビアの組に当番が回ってきて、神殿で祭儀を行う務めをすることになりました。祭司は多くいましたので、誰がどの役目を果たすかはその度ごとにくじを引いて決めました。それが「祭司職のしきたり」でした。この時ザカリアは「聖所に入って香をたく」務めを指定するくじを引き当てました。

 神殿内部は垂れ幕で奥の至聖所とその前の聖所とに区切られています。幕の奥の至聖所には年に一度、大贖罪日に大祭司が入るだけですが、幕の前の聖所には黄金でできた香壇、たえまなく燃える七枝の燭台、安息日ごとに十二個の新しいパンが供えられる供えの机があり、そこには祭司が入って香を焚き供え物を供えるなどの儀式を行いました。

 

 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。(一・一〇〜一二)


 ザカリアが香をたいている間、大勢の民衆が聖所の外で祈っていました。するとその時、「主の天使」が現れて、ザカリアが香をたいている香壇の右に立ちます。ザカリアは香壇の前で香をたいているのですから、天使は彼のすぐ斜め前に現れたことになります。人間は普段の体験とは異なる異次元からの働きかけを受けるとき、本能的に不安とか恐怖を感じるようです。ザカリアも自分の目の前に突如現れた「主の天使」に不安と恐怖を感じます。


 イスラエルの民はアブラハム以来、様々な形で主なる神の働きかけを体験してきました。しかし、捕囚期以後の初期ユダヤ教の時代になると、神の超越性が強調されるようになり、神の働きかけは神が遣わされる使い、すなわち「天使」の働きとして表現されるようになります。そして、神からの働きかけの種類に応じて、天使も様々な種類の働きを担当するようになり、その働きの種類に応じて名前を与えられるようになります。このようなわけで、神が民の中に直接介入して特別な働きをされるときは、天使の活動が活発になります。マタイの誕生物語でも天使の出現によって物語が進行します。復活物語でも天使の出現が見られます。エクレーシア形成の最初期や黙示録的終末にも天使が活動します。

 

 イスラエルにおける天使の概念の形成には捕囚期前からの長い歴史があります。しかし、捕囚後期から捕囚期以後の預言者たち(エゼキエルやゼカリアなど)に重要な発展が見られ、とくにダニエル書に始まり死海文書に至る黙示的諸文書で詳細な天使論が現れてきます。ここでその詳細に立ち入ることはでませんが、新約聖書はその初期ユダヤ教の天使論をそのまま引き継いで天使の活動を語っています。

 

 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ」。(一・一三〜一四)


 天使の出現に「恐怖の念に襲われた」ザカリアに向かって、天使はまず「恐れることはない」と語りかけます。異次元からの働きかけに恐怖を感じる人間に、出現した者はいつもこの語りかけで始めます。 天使はザカリアに彼の願いが聞き入れられたことを伝えます。ザカリアは「不妊の女」とされている妻エリサベトと共に、子が与えられてイスラエルの民の中で受けている辱めが取り除かれることを切に祈り求めてきました。天使は、その長年の願いが聞き入れられて、妻エリサベトが男の子を産むことになる、と伝えます。これは神の働きによる出来事、人の目には奇蹟の出来事です。そして、生まれてくる子に「ヨハネ」という名をつけるように指示されます。天使によって指示された名前《ヨハーナーン》は、「神は恵み深い」という意味の語から来ています。このように神が名を指定されるのは、イサクから始まりイエスに至るまで多くの例がありますが、これはその人物に神が特別な任務を用意しておられることを示しています。

 

ここの「ザカリアの願い」は子が与えられることではなく、「イスラエルが慰められること」(二・二五)、すなわち民の救済の到来であったとする解釈があります。たしかにザカリアはそれを熱烈に願い待ち望む敬虔なユダヤ教徒だったでしょう。しかし、その救いはここで出現が予告される人物によってもたらされるのですから、彼の子を得たいという願いがイスラエルの慰めのために用いられると理解することもできます。物語の流れからすると、ここはやはり子の誕生への願いとすべきでしょう。

   

 その任務は次節以下で語られますが、その前にその子が父親になるザカリアにとって(当然母親になるエリサベトにとっても)喜びと楽しみになる、という人間的な自然な幸せが予告されます。神は善であり、人間に喜びとか幸せをもたらすように働かれます。さらに、親だけでなく多くの人がその誕生を喜ぶようになることが予告されます。世界に大きな価値をもたらした偉大な人物の出現は、今も生誕何年とかといって祝われますが、そのようにこの子もその誕生を世の人々が喜び記念するような人物になるであろう、という予告です。

 

 「彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」。(一・一五〜一七)


 彼の偉大さは「主の御前に偉大」なところにあります。この意味で偉大な人物は、地上の現実の生涯でその偉大さを認められるとは限りません。むしろ逆で、この世では苦しみを受ける場合が多いようです。この誕生物語でその誕生が記念されている二人、すなわちヨハネとイエスはそのような偉大な人物の典型です。二人はこの世では斬首と十字架刑というもっとも悲惨な最期を遂げましたが、「主の御前において」、すなわち神の救済史においてもっとも偉大な任務を成し遂げることになります。


 ここでヨハネが成し遂げる偉大な働きが天使によって予告されます。その予告の内容は、「エリヤ」という名が示唆しているように、ヨハネをメシアの前に道備えをする先駆者と位置づけた最初期共同体の救済史理解を色濃く反映しています。ルカは本論の三章では、洗礼者ヨハネを信じるグループが伝える伝承を用いて、ヨハネの使信の内容をかなり忠実に伝えていました(三・七〜一四)。しかし、イエスをヨハネに結びつけるために二人の誕生を並行して語る誕生物語では、ヨハネ出現の意味はもっぱらイエスとの関係だけで語られることになります。そのさい当然のことながら、イエスに対するヨハネの関係は福音告知の内容に従ったものになります。ここでの天使の予告の言葉は、すでによく知られている洗礼者ヨハネの実際の活動の姿と、ヨハネをイエスの先駆者と位置づける共同体の救済史理解によって構成されることになります。


 最初期共同体は、ヨハネをメシアであるイエスの先駆者と位置づけるに際して、マラキの預言を用いました。マラキはこう預言しています。

 

 「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる」。(マラキ三・一)

 「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日の来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、この地を撃つことがないように」。(マラキ三・二三〜二四)

 

 この預言によって当時のユダヤ教徒の間には、終わりの日の到来に先だって、火の車に乗って天に昇ったエリヤが再来して到来される主の道を備えるという待望が広まっていました。イエスをその再来のエリヤと見る人もいました(九・八)。しかし、復活されたイエスこそ終わりの日に到来される方であることを知ったキリスト信仰共同体は、ヨハネを先駆者エリヤであると告知しました。その福音告知における先駆者としてのヨハネの意義づけがそのまま天使の予告の言葉になっています。


 天使は最初にヨハネが「ぶどう酒や強い酒を飲まず」生涯を送る人であることを予告しています。これはヨハネがナジル人(民数記六章)として神に捧げられた生涯を送ることを予告しています。事実ヨハネは「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」のでした(マルコ一・六)。しかし、ここでは「ぶどう酒や強い酒を飲まず」は「既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて」と対照されています。すなわち、酒に酔うことと神の霊に酔うことが対照されています。酒に酔う者は我を忘れて自分の本能的な欲望に身を委ねます。それに対して神の霊に酔う者は、神に仕えることに我を忘れます。


 ヨハネは荒野で育ち、荒野で神の霊に満たされて、「悔い改めよ」と叫びます。「悔い改めよ」は「立ち帰れ」ということです。ヨハネは多くの民に「立ち帰りのバプテスマ」を施して、「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる」働きをすることになります。これはまさにマラキが預言した「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」という再来のエリヤの働きに他なりません。

 

 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。(一・一八)


 ザカリアの長年の祈りが聞かれて子が与えられるという天使の告知を聞いたとき、それがあまりにも人の思いを超えたことなので、彼は驚いて思わず「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか」と聞き返してしまいます。彼は「わたしは老人ですし、妻も年をとっています」という人間の現実しか見えず、神の言葉をすぐにそのまま信じることができません。彼は天使にそのようなことが起こることの保証を求めます。

 

 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」。(一・一九〜二〇)


 ここでザカリアに現れた天使は「わたしはガブリエル、神の前に立つ者」と名乗っています。天使は神が人に働きかけるとき、神から遣わされる「奉仕する霊」ですが(ヘブライ一・一四)、その多くの天使にも序列があります。捕囚以後のユダヤ教、とくにダニエル書やエノク書や死海文書などの黙示思想的文書では、神の前に立つ高位の天使(大天使長)としてミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルなどの名前があげられています。ミカエルは神に敵対する力と戦う戦士ですが、ガブリエルは神の御計画や言葉を伝えるメッセンジャーです。ガブリエルはダニエルに現れ(ダニエル八・一五〜一六、九・二一)、ダニエルにこれからイスラエルの民に起こることを伝えます(ダニエル書一〇章)。ルカの誕生物語でも、ガブリエルがザカリアとマリアに子の誕生を予告します(一・一九、二・二六)。ルカの誕生物語はダニエル書と関係が深く、ルカはダニエル書をモデルにしている節があります。両方とも捧げ物のときにガブリエルが現れており、ガブリエルを見たとき、ダニエルもザカリアも口が利けなくなっています。「あなたの祈りが聞かれた」という天使の語りかけも似ています。

 

 「天使」については、「旧約・新約 聖書大事典」の「天使」の項、および Anchor Bible Dictionaryの "Angels" の項がよくまとめていますので、それを参照してください。

 

 天使ガブリエルは使者としての役目を「この(子の誕生という)喜ばしい知らせを伝えるために(神から)遣わされたのである」と説明します。ここで「喜ばしい知らせを伝える」と訳されているギリシア語は(ルカがよく使う)「福音する」という一語の動詞です。そして、神の使者ガブリエルが伝える神の言葉を、その言葉だけで信じることをしないで、その言葉が事実となる保証を求めたので、それが神からの言葉であるしるしをガブリエルは与えます。すなわち、ガブリエルはザカリアが「口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる」ようにします。このガブリエルの告知に対するザカリアの態度は、同じガブリエルの言葉に対して、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言ったマリアの態度と対比されて、並行するヨハネとイエスの誕生物語における(イエスの場合はヨハネの場合より優れているという)不均衡を見せています。

 

 ルカが「福音」という名詞は使わないで、「福音する」という動詞だけを使うことについては、拙著『福音の史的展開U』472頁の「ルカ福音書における『福音』」の項を参照してください。

 

 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。(一・二一〜二二)


 聖所の外で待っていた民衆は、ザカリアが出てくるのがいつもより遅いことを不審に思っていましたが、出てきたザカリアは口が利けず、身振りで示すだけでしたので、彼の様子を見て人々は彼が聖所で何か異常な霊的体験をしたのだと悟ります。その異常な体験は「《オプタシア》を見た」と記述されていますが、この《オプタシア》という語は幻とか現れという意味のギリシア語で、新約聖書では(パウロのコリントU一二・一以外では)ルカが三回用いているだけです。もう一回はエマオ物語で女性たちが空の墓で「天使の《オプタシア》を見た」ことを伝えるところです(二四・二三)。ザカリアの場合は、民衆がダニエル書をよく知っていて、ザカリアがダニエルのように「幻」を見たと理解したという解釈もありえますが、ここもエマオ物語での用例と同じく、天使の「現れ」を見たと理解する方が適切でしょう。三回目は使徒二六・一九です。ここでは「天からの幻」という意味で用いられています。

 

 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。(一・二三)


 アビヤの組が神殿で祭司の務めをする一週間が終わり、ザカリアは自分の家に帰ります。彼の家がどこにあったのかは分かりません。後にマリアがエリサベトを訪ねる記事(一・三九〜四〇)で、「山里に向かい、ユダの町に行った」とありますが、この記事の解釈には議論があります。その議論はその箇所の講解に譲り、ここでは、ザカリアの家がどこにあっても誕生物語の信仰的理解には関係はないとして、先に進みます。

 

 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」。(一・二四〜二五)


 祭司に課せられる「女に触れない」期間が終わり、エリサベトは懐妊します。しかし、「五か月の間身を隠して」、すなわち人に会うことなくひっそりと暮らして、懐妊の事実を秘めておきます。五か月経って懐妊した身体を隠すことができなくなったとき、人々に懐妊の経緯を語り、自分になされた神の恵みの業を公に賛美します。先に見たように、イスラエルの女性にとって「不妊の女」は恥とされていましたが、その恥を取り除いてくださった神を賛美します。老齢の夫妻に子を与えるのは神の働きです。エリサベトはこの賛美で、サラやラケルやハンナらのイスラエルの祝福された母の系列に連なります。

 

 

3 イエスの誕生が予告される(1章26〜38節)

 

 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。(一・二六)


 「六か月目」というのは天使ガブリエルによってザカリアに子の誕生が予告されるという出来事があってから「六か月目」ということですから、前節で見たように、エリサベトの懐妊が知られるようになっていた時期になります。そのような時期に、天使ガブリエルが「ナザレというガリラヤの町」に神から遣わされます。ここで「ナザレ」という地名が誕生物語において初めて登場します。これはイエスの両親の住まいであり、イエスがお育ちなった町として、イエスの出身地を示す名となります。イエスは人々から「ナザレのイエス」と呼ばれるようになり、後には世界中の人から「ナザレのイエス」と呼ばれ、ガリラヤの小さい町が世界史で重要な名となります。


 天使ガブリエルが聖書正典に登場するのは、旧約聖書ではダニエル書の二回(前
述)と、新約聖書ではルカ福音書の誕生物語の二回だけです。この事実だけでも、ルカの誕生物語の特異性がうかがわれます。ガブリエルは、前段の講解で触れたように、ミカエルと共に神の前に立つ最高位の天使であり、おもに神の御計画や言葉を伝える役目を担う天使です。

 

 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。(一・二七)


 ガブリエルが遣わされたのは「ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめ」のところでした。この段落、そして誕生物語全体の主役はこの「マリアという名のおとめ」なのですが、その女性の家系ではなく、婚約者のヨセフの家系が上げられているのは、生まれてくる男の子をダビデの家系に連ならせるためです。マリアの家系はダビデの家系ではなく、エリサベトの親戚(一・三六)としてアロンの家の祭司系であると推察されます。イスラエルは、男の子は「誰それの子」と父親の名で呼ばれ、父親の家を継ぐ父系社会でした。生まれてくる子がダビデの家系に連なる者であるためには、父親が「ダビデの家」の者でなければなりません。それで父親になるヨセフの家系があげられることになります。ルカはすでに、この誕生物語よりも先に書かれた三章以下の本体部の冒頭で、ヨセフの系図を掲げてヨセフがダビデの家系に属する男性であることを示しています。

 

 三章(二三〜三八節)にある「イエスの系図」の意義については、拙著『ルカ福音書講解T』90頁の「イエスの系図」の項(とくにその位置については末尾の注記)を参照してください。

 

 イエスをメシアとしてイスラエルの民に告知するためには、イエスがダビデの子孫であることを示さなければなりませんでした。当時のユダヤ教では、来たるべきメシアはダビデの子孫から出ると広く信じられていたからです。福音の基本的な告知内容を要約した定式(ケリュグマ)も、「肉によればダビデの子孫から生まれ」という項を含んでいます(ローマ一・三)。おもにユダヤ人のために書かれたマタイ福音書では、イエスについて「ダビデの子」という称号が多数(一一回)出てきますが、異邦人のために書かれたルカ福音書の本体部では(イエスが「ダビデの子」であることを否定する議論の他には)一箇所だけです。ところが誕生物語では、ダビデの名が五回言及されています。この事実も、誕生物語が本体部とは違う起源のものであることを示唆しています。


 ここで「おとめ」と訳されている《パルテノス》というギリシア語は、結婚適齢期の「若い女性」を広く指す場合と、男性経験の無い「処女」を指す場合があります。それで、「処女降誕」の教義をめぐって、ここやマタイ一・二三の聖書の用例がどちらの意味であるかが激しく争われることになります。しかし、当時のユダヤ教社会で婚約した女性が処女であることは自明のこととして前提されていましたから、この物語を語り伝えた人たちはこの語を処女の意味で用いていたことは確実です。わたしたちもこの語を処女の意味で理解して誕生物語を読むべきでしょう。


 当時のユダヤ教社会では、女性の結婚適齢期は一〇歳代半ばか後半でした。この時のマリアはそのような年齢の若い村娘でした。「マリア」という名は、ヘブライ語では「ミリアム」で、モーセの姉妹ミリアムに由来する名です。ユダヤ人女性の名としてもっとも多く用いられており、ごくありふれた名でした。しかし、イエスの母となることで、このマリアは世界一有名なマリアとなり、キリスト教世界では「マリア」といえばこのマリアを指すことになり、その像が世界中の(プロテスタント教会を除く)キリスト教会の祭壇に祀られることになります。

 

 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。(一・二八)


 天使の挨拶の最初の言葉は(直訳すると)「喜びなさい」です。この語は通り一遍の挨拶の言葉ではありません。「喜ぶ」という語は、新約聖書では霊的・終末的な歓喜を指す言葉です。天使は「大きな喜びを告げる」ために現れています(二・一〇)。ルカの誕生物語全体に喜びが溢れています。イエスの誕生を取り巻く人々はすべて喜びに溢れて神を賛美しています。その「喜べ」が最初に物語の主役であるマリアに告げられます。


 マリアは「恵まれた方」と呼びかけられています。「恵み」《カリス》は神の無条件で一方的な好意の働きです。マリアはこの神の恵みによって選ばれて、救済史における大役を果たすことになります。このことを知っている天使は、マリアに「恵まれた方よ!」と呼びかけます。


 マリアが「恵まれている」ことは、神が共にいてくださるという事実によって保証されます。天使は「主があなたと共におられる」と、この事実を保証します。モーセの場合に見られるように(出エジプト記四・一二)、また復活されたイエスが使徒たちを派遣されるときに見られるように(マタイ二八・二〇)、神は大役を課す者に、いつも一緒にいて助けることを保証されます。

 

 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。(一・二九)


 天使の挨拶の言葉が何を意味するのか、マリアには分かりません。天使の出現という異常な体験の不安と恐れの中で、マリアは天使の挨拶の言葉の不可解さに戸惑い、考え込んでしまいます。

 

 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」。(一・三〇)


 天使の出現に怖じ恐れるマリアに、天使はいつものように、まず「恐れることはない」と言って励まし、「あなたは神から恵みをいただいたのだから」と、その理由を述べます。この文は理由を示す《ガル》で始まっています。神から恵みをいただいた者は、どのような不可解な状況でも恐れる必要はありません。


 神の恵みは、先にも述べたように、神の無条件で一方的な選びが含まれます。その選びの目的がすぐに続いて語られます。それはマリアにとってまったく思いもかけない内容でした。

 

 「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」。(一・三一)


 天使はまず男の子の出産を予告します。すでにこのことがマリアにとって全く思いがけないことです。たしかにマリアはヨセフと婚約しています。ユダヤ教社会では婚約した二人は法的には夫婦と同じ権利と義務を有します。しかし、実際に女性が男性の家に行って一緒に住むまでは、結婚生活はなく、女性は処女のままです。マリアはまだヨセフの家に入っていません。従って「子を産む」という告知は、マリアにとって全くの驚きです。マリアが天使に「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(三四節)というのも無理もありません。


 しかも天使はマリアに「その子をイエスと名付けなさい」と名前を指示します。ユダヤ教社会では子を名付けるのは父親の権利です。マタイ(一・二〇〜二一)では、ヨセフにそう名付けるように指示が与えられます。ルカではダビデの家のヨセフが命名から除外されることによって、イエスがイスラエルの民のメシアである「ダビデの子」という枠から解放されて、万民の救済者であるというルカの福音に沿いやすくなります。


 イエスという名については、マタイ(一・二一)は「この子は自分の民を罪から救うからである」と、その命名の意義を説明しています。「イエス」(ヘブライ語では《イェーシューアー》)は、モーセの後継者ヨシュアに由来する名で、「ヤハウェは救いである」という意味の名です。マタイは、共同体の体験からその救いを罪からの救いと解釈して、それを天使の言葉としています。ルカはそのような解釈をつけず、救済史的な神の御計画の成就を端的に告知する内容にしています。


 神が名を与えられるのは、神がその人物に特別の役割を与えようとしておられることのしるしです。その役割が続いて語られますが(三二〜三三節)、それは素朴で敬虔なユダヤ教徒の村娘マリアにとってまさに驚天動地の驚きです。

 

「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」。(一・三二〜三三)


 マリアに天使がどのような言葉で語ったのか、今では確かめようがありません。一方、この天使の言葉を読みますと、ユダヤ教内キリスト信仰の共同体で行われていた信仰告白を聞いている感じがします。事実ここの天使の言葉は、「ダビデの王座」とか「ヤコブの家」というような、異邦諸国民には無縁のユダヤ教独自の表現で語られており、イスラエルの民の中での出来事として語られています。わたしたちの前にあるテキストは、復活されたイエスをメシア・キリストと信じるユダヤ教内キリスト信仰の共同体が語り伝えたキリスト信仰伝承の要約と見ざるをえません。


 まず最初に、マリアから生まれる子は「いと高き方の子」と呼ばれるようになることが予告されます。実際にイエスがこのように呼ばれるようになるのは復活以後の共同体においてであり、地上の生涯においてはイエスは「ヨセフの子」と呼ばれていました。ときには「マリアの子」と呼ばれましたが(マルコ六・三)、これは父親が分からない子に対する侮蔑の呼び方です。しかし、復活後ではイエスは「神の子」とか「いと高き方の子」と呼ばれるようになります。「神の子」はユダヤ教の内でも外でも広く用いられますが、「いと高き方の子」の方は、神を「いと高き方」と呼んだユダヤ教徒の中での伝承であることを示唆しています。

 

 ユダヤ教内キリスト信仰共同体では、復活されたイエスは最初「僕」と呼ばれていましたが、後に「神の子」という称号になっていきます。その経緯については、拙著『福音の史的展開T』398頁の「『神の僕』イエス」の項を参照してください。

 

 「神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」という予告は、明らかに預言者ナタンの預言(サムエルU七・一二〜一六)の成就を指しています。ナタンの「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」(サムエルU七・一二)という預言は、その後のユダヤ教徒のメシア待望の中心に位置する土台石となりました。この預言によって後のユダヤ教徒の中に(おもに主流のファリサイ派において)、ダビデの子孫からダビデ王国の栄光を回復するメシアが出るという、「ダビデの子」待望が出てきます。ユダヤ人の中で福音書を書いているマタイは、イエスの誕生と生涯を「ダビデの子」の出現として描くことになります。異邦人のために福音書を書いているルカは、本体部では「ダビデの子」を用いていませんが、誕生物語ではパレスチナ・ユダヤ人のユダヤ教内キリスト信仰の伝承をそのまま用いて、「ダビデの子」信仰を伝えることになります。

 

 「ダビデの子」としてのメシア待望については、拙著『マルコ福音書講解U』90頁の「ユダヤ教のメシア待望」の項を参照してください。

 

 マリアから生まれてくる子に「ダビデの王座」を与えるのは「神である主」です。ナタンの預言では「ヤハウェはこう言われる」という形で語られており、ダビデの王座を与えるのはヤハウェです。そのヤハウェを七十人訳ギリシア語聖書は《キュリオス》(主)と訳しているので、ヤハウェを唯一の神とするユダヤ教に独特の「神である主」という表現が出てくることになります。


 さらに「ヤコブの家」という表現も、ユダヤ人がイスラエルの民を指すのに用いる独特の表現です。イスラエルの民は父祖ヤコブの十二人の息子を名祖とする十二の部族の連合体として形成されたので、イスラエルを指すのにこのような表現が用いられました。「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」というのは、ナタン預言の最後にある「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(サムエルU七・一六)という預言を指しています。天使は、その預言がマリアから生まれる子によって実現すると告知します。

 

 「その支配は終わることがない」という表現は、ダニエル書(七・一三〜一四)の「人の子」の幻で語られている、「彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」という預言を思い起こさせます。たしかにパレスチナ・ユダヤ人のユダヤ教内キリスト信仰共同体ではダニエル書を初めとする黙示思想文書による「人の子」信仰が告白されていたので、この表現が重なっていた可能性はあります。しかし、ナタン預言に基づく「ダビデの子」待望と、黙示文書による「人の子」信仰は別の性格の終末待望の流れを形成していたと見られるので、無理に重ねる必要はないと考えられます。

 


 このように、この箇所のテキストは、ユダヤ教内キリスト信仰共同体のナタン預言に基づく「ダビデの子」信仰告白が、マリアに男の子の誕生を告知する天使の口に置かれたものとせざるをえません。そのことは、次節のマリアの対応からも示唆されます。

 

 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」。(一・三四)


 天使の告知に対するマリアの驚きと不審の思いは、「あなたは身ごもって男の子を産む」という告知だけに対しており、その子がどのように偉大な人物になるかを告げる部分(三二〜三三節)は全く視野に入っていません。マリアはまだヨセフの家に入っていません。すなわり夫婦としての実際の交接はしていません。マリアの「どうして、そのようなことがありえましょうか」は、すぐに続く「わたしは男の人を知りませんのに」という理由を語る言葉が明示するように、ただ子の誕生の告知だけに向けられています。物語の流れは、三一節から三四節、三五節へと続きます。

 

 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。(一・三五)


 マリアの不審に対して天使は、マリアの懐胎が聖霊の働きによるものであると答えます。「聖霊が降る」は最初期共同体が聖霊の働きを語るときの常套表現で、ここはむしろ「いと高き方の力があなたを包む」の方が事態に即した表現でしょう。

 古代神話では神々が人間の女と交わって子を産ませるという物語があります(創世記六章にもその片鱗が残っています)。ギリシア神話にも最高神ゼウスが人間の女と交わり、後に偉大な事を成し遂げる英雄を生ませるという物語が多くあります。このような古代神話の影響を見る議論もありますが、そのような影響は考える必要はないでしょう。この誕生物語を語り伝えた人たちは敬虔なユダヤ教徒であり、彼らのイメージはすべて聖書(旧約聖書)から来ています。


 「包む」と訳されているギリシア語動詞《エピスキアゾー》は《スキア》(影)から来た動詞で、原意は「影を落とす」とか「影で覆う」です。新約聖書でこの動詞が用いられるのは、ここと変容の山の記事(マルコ九・七と並行箇所)と、ペトロの影でいやされた記事(使徒五・一五)の三箇所だけです。変容の山の記事(九・三四)では、「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた」と語られています。雲は出エジプト記(一三・二一、四〇・三四ほか)において、柱となって民を導き、臨在の幕屋を覆うなど、神の臨在の象徴として現れています。ここでも聖霊の働きによってマリアが懐胎することが、この雲の影のイメージを用いて、「いと高き方の力があなたを覆う」という表現で告知されることになります。雲は神の現臨を示すと同時に、神の働きを神秘の中に覆い隠すという二面を象徴することになります。


 聖霊の働きによって処女マリアが懐胎しイエスを産んだという「処女降誕」の告知は、誕生物語において重要な位置を占め、また議論の多い告知ですが、この問題は後の「補論2」でまとめて扱うことにして、ここでは物語を先に進めていきます。

 

 「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」。(一・三六〜三七)


 天使ガブリエルの言葉を信じなかったザカリアには口が利けなくなるというしるしが与えられましたが、マリアにはエリサベトの懐妊の事実がしるしとして与えられます。天使の対応の違いは、ザカリアが熟練の祭司であるの対して、マリアはまだ少女のような村娘であったからでしょうか。天使ガブリエルは、エリサベト懐妊の事実を指し示して、「神にできないことは何一つない」ことのしるしとします。


 天使はマリアに「あなたの親類のエリサベト」と語りかけています。最初期の共同体には二人の親族関係を伝える伝承があったと推察されます。エリサベトがマリアの親類であるならば、エリサベトは「アロンの家の娘」ですから(一・五)、マリアも「アロンの家」とつながりのある家系、すなわり祭司系の家系の出身ということになります。マリアの出自については、これ以上のことは分かりません。

 

 マリアの出自については、二世紀後半に成立したとみられる「ヤコブ原福音書」が、マリアの誕生、成長、神殿での養育、ヨセフとの縁組み、イエスの出産を詳しく物語っています。そこではマリアはダビデの家系の娘とされています。しかし、この外典福音書は、始まりつつあったマリア崇拝を表現する文学作品であり、歴史的事実の論拠とすることはできません。「ヤコブ原福音書」については、『聖書外典偽典』(教文館)6巻83頁以下の「ヤコブ原福音書概説」と、それに続く翻訳を参照してください。

 

 「神にできないことは何一つない」という言葉は、後にイエス御自身が宣言されることになりますが(マルコ一〇・二七)、この信仰はイスラエルの民がその二千年の歴史を通して形成した信仰であって、それが今天使の口を通じてマリアに告げられることになります。男を知らない処女が懐胎するというようなことはありえない、それは不可能であると常識はこれを拒否しますが、聖書は「神にできないことは何一つない」という信仰でその不可能を乗り越えます。

 

 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」。そこで、天使は去って行った。(一・三八)


 マリアは「神にできないことは何一つない」という天使の宣言にうながされて、「あなたは男の子を産む」という告知を謙虚に受け入れ、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言って、ひれ伏します。


 マリアは天使ガブリエルに、「ご覧ください、わたしは主の女奴隷です。あなたの言葉通りに、わたしにことが起こりますように」(直訳)と言っています。「主」は女性が目上の男性に呼びかける言葉でもありますから、「あなたの言葉通りに」という言い方から、対話の相手の天使を指すという解釈もできます。あるいは敬虔なユダヤ教徒として神を指していると解釈することも可能です。この場合「あなたの言葉」は、マリアが天使の言葉を神の言葉として受け取っているのですから、両者は重なっていて、無理に一方に決める必要はないでしょう。


 ここのマリアの言葉は信仰の本質を見事に言い表しています。信仰とは、自分を奴隷の立場に置いて、自分の理解、判断、能力、願望などとはいっさい関係なく、それが主人である神の言葉であるという理由だけで、その言葉に従って行動し生活することです。奴隷は自分の判断で主人の言葉に従ったり従わなかったりする立場ではありません。


 この信仰の消息は、後にイエス御自身が明確に語り出されることになります。弟子たちが「わたしどもの信仰を増し加えてください」とお願いしたとき、信仰を何か自分の内にある能力のように考えている弟子たちの思い違いを正すために、イエスは「主人と奴隷のたとえ」を語り出されます(一七・五〜一〇)。このたとえは、絶対無条件の恩恵が支配する場で、人間が自分をゼロにして神の言葉に従うことが信仰であることを、当時の主人と奴隷の関係を比喩として語っています。マリアは見事に身をもってこの信仰を言い表しており、代々の信仰者の原型となっています。

 

 この「主人と奴隷のたとえ」は「謙遜のすすめ」というようなものではなく、信仰の本質を語るものであることについては、拙著『ルカ福音書講解U』312頁の「信仰を増し加えてください」の項を参照してください。マリアへの告知においても、このたとえにおいても、新共同訳は「はしため」とか「しもべ」と訳していますが、原文は当時の奴隷制社会で男女の奴隷を指す語が用いられています。

 

 ガブリエルが神の使いとして伝えた神の言葉をマリアが受け入れたことで、ガブリエルの使命ははたされました。そこで、天使ガブリエルはマリアのところから去って行きます。

 

 

4 マリア、エリサベトを訪ねる (1章39〜45節)

 

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。(一・三九〜四〇)


 「そのころ」というのは、マリアが天使の告知を受けてから何ほどかの日時が経ったころを指しているのでしょう。しかし、ルカはこの表現を物語のつなぎに用いるだけですから、出来事の日時を問題にすることはありません。マリアは天使のお告げで親戚のエリサベトが懐妊してもう六か月にもなっていることを知って、急にエリサベトに会いたくなり、彼女のところに急ぎます。「急いで」の一句に、この時のマリアの上から迫られている熱い気持ちが表されています。この句は「熱心に」とか「決意をもって」と訳すこともできます。


 マリアが向かった行き先は「ユダの町」とされています。「ユダ」が地名として出てくるのは、こことマタイ二・六だけで議論は残りますが、南の「ユダヤ」地方を指すとしてよいでしょう。これをヘブロンの南九キロにある古い祭司の町「ユタ」(ヨシア記一五・五五)とする説もあります。「山里」は山が連なる地域を指し、パレスチナのいたるところにありますが、ここは「ユダヤの山地」を指すと見てよいでしょう。エルサレムに住む祭司は少数で、大多数の祭司は周辺の「ユダヤの山地」に点在する町とか村に住み、神殿での務めの期間だけエルサレムに上り、務めが終わると「自分の家に」帰りました。アビヤの組の祭司ザカリアもそのような祭司の一人でした。


 そうすると、マリアはガリラヤのナザレに住んでいるのですから、マリアはガリラヤから「ユダの町」まで女一人で数日の山地の旅をしたことになります。ところがマタイの誕生物語には、ヨセフとマリアがイエスの誕生前はガリラヤのナザレの住人であったことを示唆する記述はなく、むしろ誕生後ヘロデの幼児虐殺を逃れてユダヤからエジプトに避難し、ヘロデの没後帰国して、ナザレに移住したとしています。マタイの記事は、ヨセフの家はベツレヘムにあったという前提で語られています。マタイ福音書(二・七〜一二)には、「ヘロデは占星術の学者たちを・・・・・ベツレヘムへ送り出した。・・・・・彼らが家に入って見ると、幼子は母マリアと共におられた」とあります。もしイエスの誕生前にヨセフとマリアの家がベツレヘムにあったとすると、マリアがそう遠くない「ユダの町」に親戚のエリサベトを訪ねたのも、無理のない日常的な場面として理解できます。


 イエスは「ナザレのイエス」と呼ばれていて、ナザレで生まれ育った人物として広く知られていました。この歴史的事実と、「イエスはヘロデ王の時代にベツレヘムでお生まれになった」というイエス誕生の基本的な伝承を両立させるために、ルカはナザレの住人のマリアが旅先のベツレヘムで出産したという劇的な物語を構成したと考えられます。そのさい、マリアのエリサベト訪問の伝承は、この物語をヨハネとイエスの並行関係で構成しようとするルカにとって捨てがたく、マリアにやや無理な旅をさせることになったのでしょう。そして、せっかく遠路はるばる旅をしてきたのですから、マリアはエリサベトの家に三か月も滞在することになります(一・五六)。マリアは婚約中であって、まだヨセフの家には入っていませんので、このような長期の滞在も可能です。  

 

 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」。(一・四一〜四二)


 「おどった」と訳されている語は、「跳び上がる」という意味の語です。胎児は六か月以上になっているのですから、エリサベトはその胎動を感じることができます。その時、エリサベトは「聖霊に満たされて」声高らかにマリアと胎内の子を祝福します。ルカは「聖霊」の働きに触れることが多い福音書記者です。その傾向はとくに誕生物語で目立ちます。ルカはその福音書で「聖霊」という語を一三回用いていますが(これは他の福音書と較べると圧倒的に多い回数です)、その中の六回は誕生物語に出てきます。この事実はこの誕生物語が、日頃聖霊の働きを強く体験していて、恵みの事態をすべて聖霊の働きに帰して神を賛美していたルカの時代のパウロ系共同体での成立であることを示唆しています。実際にマリアが出産したときのユダヤ教社会では、このように「聖霊」が言及されることはなかったはずです。


 エリサベトは聖霊に満たされて「あなたは女の中で祝福された方です」と叫んだのですから、これは聖霊の叫びになります。この聖霊によるマリアへの祝福は、すぐ後に続く「マリアの賛歌」(とくにその前半)にその応答を見出します。「あなたの胎の実」(直訳)への祝福も、「マリアの賛歌」(とくにその後半)にその応答を見出します。「エリサベトの祝福」と「マリアの賛歌」は一対となって、神の恵みを受けた二人の女性の対面場面(一・三九〜五六)を構成します。

 

 「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました」。(一・四三〜四四)


 エリサベトはマリアを「わたしの主のお母さま」と呼んでいます。この呼び方は、やがてマリアから生まれる子が自分の《キュリオス》(主)となることを知っている者の呼び方です。この呼び方には、復活されたイエスを《キュリオス》と呼んだ最初期共同体の信仰が反映しています。ここでエリサベトは、イエスを《ホ・キュリオス》と言い表すキリスト信仰を予感する魂として描かれています。


 胎児は母親の感情の影響を受けると言います。マリアに会ったときのエリサベトの聖霊による感情の高揚が胎児を刺激して、胎児が母胎の中で跳び上がります。それを感じたエリサベトは、自分の聖霊による喜びの中で、「胎内の子は喜んでおどりました」と表現します。

 

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。(一・四五)


 天使ガブリエルが伝えた主の言葉を、「わたしは主の奴隷です。お言葉どおりこの身になりますように」と言って、ひれ伏して受け入れたマリアを、エリサベトは「なんと幸いでしょう」と祝福します。この信仰がマリアを「女の中で祝福された者」とします。エリサベトは今も、夫の祭司ザカリアが天使の言葉を信じなかったためにものが言えなくなっている現実に直面しています。それだけにマリアが信仰によって祝福されていることを強く意識するのでしょう。このエリサベトの祝福にも、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じる」信仰に生きた最初期共同体の信仰が鳴り響いています。

 

 

5 マリアの賛歌(1章46〜56節)

 

 そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」。(一・四六〜四七)


 自分へのエリサベトの祝福を聞いたマリアは、そこに聖霊の強い働きを感じ、それに応えて魂の奥底から自分にこの大きな恵みの業をなしてくださった神を賛美します。ところで、エリサベトの祝福の場合もザカリアの預言の場合も「聖霊に満たされて」語り出したとされていますが(一・四一、一・六七)、マリアの賛歌にはその句はありません。「聖霊が降り、いと高き方の力が覆う」マリアには(一・三五)、とくにその句を用いる必要がなかったのでしょう。マリアの賛歌も当然「聖霊に満たされて」マリアの口からほとばしり出た言葉です。


 ここに伝えられている「マリアの賛歌」(一・四六〜五五)は、聖書に親しんでいる読者には、すぐにそれがサムエルの母となったハンナの賛歌(サムエルU二・一〜一〇)から採られていることがわかります。しかし、骨格はハンナの賛歌のものですが、他の聖書の言葉を用いて福音書記者が手を入れていることも明らかです。全体としてこの賛歌が聖書の世界に呼吸している魂の賛歌であることは明らかです。


 マリアは「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌い出します。この表現は、「魂」と「霊」、「主をあがめる」と「神を喜ぶ」というほぼ同じ意味の語を用い、同じ意味の文章を繰り返す並行法と呼ばれるヘブライ詩編の技法を用いています。同じ意味の文が繰り返されることによって、感情の高揚が表現されます。ただ、この並行表現は、神に「わたしの救い主」(ギリシア語原文)という同格の説明語がついていることで、厳密な並行は破れています。


 「救い主」《ソーテール》という呼称は、二千年の歴史でキリスト教の中心的な用語となった重要な称号ですが、新約聖書では意外に用例が少ない称号です。七〇年以前の使徒時代には用いられず(唯一の例外はフィリピ書三・二〇)、七〇年以後のパウロ名書簡でも一例(エフェソ書五・二三)あるだけです。ところが、二世紀になって成立したと見られるもっとも後期の文書である牧会書簡と第二ペトロ書簡に、計一五回出てくるようになります。そして、二世紀初頭に成立したと見られるルカの使徒言行録と誕生物語にも計四回用いられています。このような事実から、ここの並行法を破っている「わたしの救い主」は、伝承されたヘブライ的並行詩句にルカが挿入したものと推察されます。もともとキリストについて用いられた「救い主」という称号が(まだキリストは現れていませんから)神について用いられることにより、マリアの賛歌は神を自分の救い主であり、イスラエルの救い主として誉め讃える賛歌となります。

 

 使徒言行録と誕生物語の成立が二世紀初頭であることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」を参照してください。

 

 「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」。(一・四八)


 「マリアの賛歌」(一・四七〜五五)の本体部はここから始まりますが、それは、いやしい自分にこのような大きな恵みを与えてくださった神への賛美を歌う前半(四八〜五〇節)と、アブラハムの子孫であるイスラエルの民を顧みて、その約束を成就される主への賛美を歌う後半(五一〜五五節)の二部から成ります。


 マリアはまず、「彼の女奴隷の低さに目をとめてくださった」(直訳)主を賛美します。ここの「低さ」は、五二節で同じ語が「権力ある者たち」と対比されているので、「身分の低さ」を意味するのは事実です。しかし、「わたしは主の奴隷です」と言い表して、主の前にひれ伏したマリアの心の低さ、すなわち霊的謙虚さも指していることを見逃してはなりません。この霊的謙虚さ(へりくだり)に目をとめて、主はマリアの身に救い主キリストの母となるという大きな業をなされました。これを見て、後の代々の人はマリアを、「幸いな者」と言って祝福することになります。そのことをマリア自身が「聖霊に満たされて」預言します。この預言は後世、キリスト教会の歴史で「マリア崇拝」という形を取ることになりますが、この「マリア崇拝」の問題は項を改めて取り上げることにして、ここでは物語を先に進めます。

 

 「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます」。(一・四九〜五〇)


 四九節の前半「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」は、理由を示す接続詞で前節に結ばれていて、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言う」ようになる理由を述べています。「力ある方」すなわち神が、マリアに救い主キリストの母となるという大きな業をなされたからです。そして、その大きな業をされた「力ある方」が賛美されて(四九節後半〜五〇節)、前半部が締めくくられます。その賛美は、聖書の賛美の詩編の表現を用いてなされています。すなわち、ここのマリアは敬虔なユダヤ教徒であり、ユダヤ教の敬虔と賛美の伝統の中に生きている魂であることを示しています。

 

 「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」。(一・五一〜五三)


 身分低く、心へりくだるマリアに大いなる業をなされた主に対する賛美は、イスラエルの歴史の中でなされた主の恵みの働きに対する賛美(五一〜五三節)に引き継がれ、後半部のイスラエルの民への主の恵みの働きへの賛美(五四〜五五節)の前置きとなります。


 ここの神賛美も聖書の詩編の表現で満ちていますが、ここでは明らかに一つの主題が貫いています。それは、イスラエルの神は高ぶる者を低くし、へりくだる者を高くされるという預言者の精神と告知です(イザヤ二・一一、五・一五、五七・一五など)。イエスご自身も「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言っておられます(マタイ二三・一二)。マリアの身に起こったことも、この神の働きでした。この神がその恵みの働きによってイスラエルの民になされることが、続いて賛美されます。

 

 「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」。(一・五四〜五五)


 この高ぶる者を退け低い者を高くしてくださる神は、御自身の僕として選ばれたイスラエルの民を、その民がどのように悲惨な状況と姿の中にあってもけっして見捨てることなく、憐れみ(=恩恵)により無条件に受け入れて、イスラエルの民をご自分に属する民として高く上げてくださる、とマリアは歌います。その根拠は、神はそうすると先祖に約束されたからです。神はアブラハムを初めとする先祖たちに約束されたことを、その子孫であるイスラエルに対してとこしえに、すなわち、どのような状況においても守られます。この、神は御自身が語られた言葉を必ず行われるという信頼が、イスラエルの最後の拠り所です。


 「その僕イスラエル」とある原語は、「彼の《パイス》であるイスラエル」です。この《パイス》というギリシア語は、僕と子という両方の意味で用いられます。それでここは「その子イスラエル」と訳すことも可能です。しかし、イザヤ書の「主の僕」が七十人訳ギリシア語聖書で「主の《パイス》」と訳されたこともあって、イスラエルでは自分たちを神の僕とする自覚が強く、ユダヤ教の枠内で形成されたこの賛歌では、「僕」と訳すのが順当でしょう。

 

新約聖書における《パイス》の用例については、拙著『福音の史的展開T』398頁の「神の僕イエス」の項と、406頁の「アンティオキアにおけるキリスト告知の変化」を参照してください。

 

 「わたしたちの先祖におっしゃったとおり」とありますが、ここの「先祖」は複数形です。すなわち、ここの「先祖」はアブラハムから始まる父祖たちの全体、とくにモーセをはじめ神の言葉を受けた預言者たちの系列全体を指しています。神は彼らに語られた御自身の言葉を空しくされることはありません。その契約・約束の言葉通り、イスラエルを選ばれた神は、イスラエルを見捨てることなく、「とこしえに」イスラエルをご自分の民として憐れみをもって扱われる、とマリアは神を賛美します。


 ルカがこのような賛美をイエスの母となるマリアに帰しているのは、聖書(旧約聖書)を拒否して、イエスの福音をイスラエルの歴史から切り離そうとしたマルキオンに対抗する意図からでしょう。ルカは誕生物語の全体で繰り返し、イエスの出現は聖書の約束と預言の成就であるという主題を響かせています。ここもその一つです。

 

 ルカの誕生物語がマルキオンに対抗するためという意図(それだけではないにしても)があることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」、とくに455頁「増補改訂版ルカ福音書」の中の小項目「1誕生物語」を参照してください。

 

 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。(一・五六)


 ルカの物語では、マリアはガリラヤのナザレから数日かけてはるばる旅をして、ユダの山里にあるエリサベト家を訪ねたのですから、一泊や二泊で去るわけにはいきません。三か月もの長い期間、エリサベトと共に過ごし、二人の身に起こった出来事と、それがこれからのイスラエルにもたらす事態について思いめぐらし、語り合い、祈ったことでしょう。


 天使ガブリエルがマリアに受胎を告知したのはエリサベトの懐妊六か月の頃ですから、すぐにマリアが旅立ってエリサベトを訪ねたとすると、三か月滞在して去る頃には、エリサベトは妊娠九か月になり出産も近づいています。すぐ後にエリサベトの出産の記事が続くことになります。


 なお、この節は三九〜四〇節と呼応して、エリサベトとマリアの出会いの出来事を囲い込んでいます。従って、三九〜五六節は一つの場面を構成していることになり、(多くの注解書がしているように)一つの段落として扱う方が適切です。途中で切ると「エリサベトの祝福」と「マリアの賛歌」の対応関係が見失われやすくなります。ルカの誕生物語はヨハネとイエスの並行関係を構成原理としているので、二人の母親の対面場面は重要です。新共同訳は段落を分けているので、両者の対応関係を見落とさないようにしなければなりません。

 

 

6 洗礼者ヨハネの誕生(1章57〜66節)

 

 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。(一・五七〜五八)


 天使ガブリエルが予告したとおり、エリサベトは月満ちて男の子を産みます。この出産は、不妊の女と呼ばれて苦しい思いをしてきたエリサベトに対する主の大いなる恵みとして、エリサベトを知る近所の人々や親類は喜び合います。ルカの誕生物語には、ユダヤ教社会の庶民の素直な喜びが満ちています。これは、外国の博士たちの表敬訪問や権力者による虐殺事件など、権力を象徴する黄金と流血で彩られたマタイの誕生物語と対照的です。

 

 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。 (一・五九〜六〇)


 ユダヤ教社会では、男の子が生まれると八日目に割礼を施します(創世記一七・一二、レビ一二・二〜三)。イエスの時代には、そのときに名をつける習慣が確立していたようです(この習慣は洗礼時に名付けるキリスト教会に受け継がれています)。子に名を与えるのは父親の権利です。しかし、場合によっては割礼を施すラビのような立場の人がつける場合もありました。ザカリアはものが言えないのですから、「その子に割礼を施すために来た人々」が代わって名をつけようとしたのでしょう。


 人々は父の名を取ってザカリアと名付けようとします。ところが、母親のエリサベトが、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言い出します。これは、ユダヤ教社会では異例のことです。おそらく、エリサベトは筆談のような手段で、ザカリアから聖所で天使と出会った体験を聞いていたのでしょう。この出来事が神から出ていることを知っているエリサベトは、生まれる子の名は、天使の指示に従って「ヨハネ」とすると、堅く心を決めていたと見られます。

 

 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。(一・六一〜六二)


 このエリサベトの決然とした申し出に、周囲の人たちは驚きます。男子の命名に母親が口を出す異例さにも驚いたのでしょうが、エリサベトが申し出た名がユダヤ教社会の慣例に沿わない名、自分たちの常識をはずれる名であったからです。人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言って反対します。そして、本来の名付けの権利者である父親にその意向を確かめます。ザカリアは口がきけないだけでなく、耳も聞こえなくされていたので、手振りで「この子に何と名を付けたいか」と尋ねます。

 

 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。(一・六三〜六四)


 ものが言えないザカリアは、字を書く板を持ってこさせて、それに「この子の名はヨハネ」と書きます。その行為によって、彼が天使の言葉に従ったことが示され、彼が信じなかった言葉が主の言葉であることのしるしとして課せられていた聾唖が解かれます。ザカリアは口が開き、舌がほどけ、ものが言えるようになります。今やこの出来事がすべて神の働きであることを悟ったザカリアは、そのほどけた舌をもって、まず神を賛美します。

 

 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。(一・六五〜六六)


 ザカリアが人間社会の慣習に反して、天使の指示に従って「ヨハネ」と命名したとき聾唖が解けた出来事を見て、割礼式に来ていた近所の人たちは、この子の誕生に関わる出来事がすべて神から出ていることを感じ、畏怖の念を持ちます。そして、彼らの口伝えで、ヨハネの誕生に関わるすべてのことが「ユダヤの山里」一帯で大きな話題となります。「ユダヤの山里」というのは、交替でエルサレム神殿に奉仕する祭司階級の人たちが住むエルサレム周辺のユダヤ地方の山に囲まれた地域を指します。ザカリアはアビヤ組の祭司でしたから、この噂がこのザカリアが住む地域一帯に広まった、ということです。この出来事を聞いた人々はみな、この出来事を心にとどめ、神の力が及んでいるこの子の将来はどのようなものになるのだろうか、と期待することになります。事実、この子は成人したとき、偉大な主の預言者として、ユダヤの荒れ野に神の言葉を響かせることになります。

 

 

7 ザカリアの預言(1章67〜80節)

 

 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。(一・六七)


 おそらくこの預言は、ヨハネの割礼にさいしてザカリアが子に名前をつけたとき、「たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」(六四節)のですが、その賛美がこの預言となったものとしてよいでしょう。「聖霊に満たされて」あふれ出た主への賛美は、自ずから預言となって、イスラエルの民に語りかける主からの言葉となります。ここのザカリアの言葉は、主への賛美であり、同時に主からの言葉を預かって語り出す預言です。

 

 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」。(一・六八〜六九)


 ザカリアはヤハウェを礼拝するユダヤ教の祭司です。彼の神への賛美は当然「イスラエルの神であるヤハウェ」に向かいます。ここで預言される出来事はすべてユダヤ教の中での出来事です。アブラハムを選び、その子孫イスラエルの民の神となられた方は、モーセによってご自分の民をエジプトから救い出されたとき、「ヤハウェ」と名乗られ、その名を御自身の「永遠の名」とされました(出エジプト記三・一三〜一五)。ところが、ヤハウェの名を表すヘブライ語の四文字があまりにも神聖で口にするのも畏れおおいとして、主人を意味する語が代わりに用いられ、ギリシア語の世界では《キュリオス》(主)が用いられるようになります。このザカリアの預言における「イスラエルの神である《キュリオス》」は、「ヤハウェ」という名でイスラエルと関わり働かれたイスラエルの民の神を指すと理解して聞くとき、はじめてその真意を現すでしょう。そのために、この段落の「主」はすべて「ヤハウェ」と読み替える方がよいでしょう。


 ザカリアのヤハウェに対する賛美でもある預言は、「マリアの賛歌」と同じく、前半(六八〜七五節)はイスラエルの民に対するヤハウェの恵みと真実に満ちた救いの働きを預言し、後半(七六〜七九節)は生まれきた幼子の将来の働きを預言します。


 ザカリアの預言の前半は、ヤハウェが先祖たちへの約束どおりにイスラエルの民を救う働きを成し遂げてくださることを預言しています。しかもその預言は、「ヤハウェは、訪れた、解放した、起こした」とすべて過去形の動詞を用いて語られています。これは、未来に起こるヤハウェの働きを、その確かさのゆえにすでに起こったように語ったイスラエル預言者の語り方を受け継いでいます。


 ヤハウェはイスラエルの歴史の中で、民が苦境にあるとき、遣わされた僕(たとえばモーセ)と一緒にいて働くという形で民を訪れておられました。そして、終わりの日にはヤハウェ自身が民を訪れて養うという預言もありました(エゼキエル書三四章)。それで、イスラエルの民には「神の訪れ」の時への待望が燃え、イエスが死者を生き返らせたときには、その時が来たのだと喜ぶ民もいました(七・一六)。イエスもご自身の登場を「神の訪れの時」としておられます(一九・四二〜四四)。

 

 イスラエルにおける「神の訪れの時」への待望については、拙著『ルカ福音書講解T』の「第五章 神の訪れの時」、とくに317頁の「神の訪れの時」の項を参照してください。

 

 ヤハウェがイスラエルの民を訪れるのは、「贖いをする」(直訳)ためです。「贖い」《リュトローシス》というのは、身代金《リュトロン》を支払って奴隷を身請けして解放することです。ヤハウェは御自身の民を「解放する」(新共同訳)ために訪れると、ザカリアを通して聖霊が預言します。


 ヤハウェはそのことを成し遂げる「救いの角」をすでに起した、と預言は続きます。ここで詩編の用例に従って動物の角が力の象徴として用いられ、「救いの角」は救いをもたらす強い力、救い主を象徴します。そして、イスラエルに贖い(解放、救い)をもたらす「救いの角」が、すでに「ダビデの家」から起こされている、と宣言されます。これは、先に見たように、当時のユダヤ教の主流となっていた、サムエル記(下七・一二〜一六)のナタン預言に基づき、「ダビデの子」としてのメシアを待望するメシア待望の表現です。

 

 「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに」。(一・七〇)。


 ここ(六八〜六九節)に述べられたイスラエルに対するヤハウェの救いの働きは、
「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られた」預言の成就として起こるものであることが明言されます。この主題は以下(七一〜七五節)で繰り返され、ルカがとくに強調したい主題です。イエス・キリストにおける神の救いの出来事は聖書(旧約聖書)の預言の成就として起こったという主題は、最初期の福音告知《ケリュグマ》の基本的な項目でした(コリントU一五・三〜五、ローマ一・二〜四)。ところが、福音が異邦人の世界で確立するに従って、イエスが告知した慈愛の神を旧約聖書の律法の神から切り離そうとして、聖書を拒否するマルキオンのような主張が出てきます。それに対抗して、使徒たち(彼らはみな聖書を神の啓示とするユダヤ教徒です)からの伝承に立とうとする人たちは、イエスによる救済の告知は聖書の成就であることを強く主張して対抗します。ルカはそう主張する側の代表として、その二部作においてイエス・キリストの出来事が聖書の成就であることを繰り返し主張します。マルキオンに対抗するために初版の福音書に付け加えられた誕生物語では、とくにその主張が強調されることになります。

 

 「それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる」。(一・七一〜七二)


 ここ(六八〜六九節)に預言されたイスラエルに対するヤハウェの救いの働きが、「我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い」という別の形で繰り返されます。「我ら」はヤハウェの民イスラエル、ユダヤ教徒の共同体を指し、「我らの敵」とか「我らを憎む者」はイスラエルと対立する非ユダヤ教徒の民を指しています。今イスラエルは異教徒の支配下にあるが、ヤハウェはメシアを送ってその支配の手からイスラエルを救い出してくださる、という預言です。ここでの預言の「我ら」には異邦人は含まれず、その救いは視野に入っていません。異邦人はイスラエルを支配する敵として見られています。その限り、この預言は狭いユダヤ教民族主義の枠の中にあります。


 そして、その救いは先祖たちに与えられたヤハウェの契約に基づく、ヤハウェの憐れみの行為であること、すなわち聖書にあるイスラエルの歴史の成就であることが繰り返されます。

 

 「これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える。生涯、主の御前に清く正しく」。(一・七三〜七五)


 そしてさらにもう一度、このヤハウェの救いの行為がイスラエルの父祖アブラハムになされた誓いの実現であることが繰り返されます(七三節)。「アブラハムに立てられた誓い」は、創世記一二章(一〜三節)の召命の時の言葉や一五章や一七章に繰り返し出てくるアブラハムとその子孫に対する祝福の約束を指しています。イスラエルの民は自分たちをアブラハムの子孫として、この祝福の約束を受け継ぐ民であることを誇っていました。


 こうして、ヤハウェが成し遂げようとしておられる救いの働きがヤハウェ自身の約束に基づくものであることが、「預言者の言葉」、「(モーセやダビデなど)先祖たちへの契約」、さらに「父祖アブラハムへの誓い」と、イスラエルの歴史の源にまで遡って、繰り返し強調されます。この主題がいかに重視されているかがうかがわれます。


 そして最後に、このヤハウェの救いの働きの結果、イスラエルの民がどうなるのかが語られます(七四〜七五節)。イスラエルは「敵(である異教徒)の手から救われ」、その結果「恐れなくヤハウェに仕える」ことができるようになります。異邦諸民族に支配されている時は、「ヤハウェに仕える」ことはしばしば妨げられ、ヤハウェを律法どおりに礼拝しようとすれば迫害され、時には処刑すら覚悟しなければならない場合もありました。イスラエルの民にとって、自分たちの神ヤハウェを、もはや迫害を恐れることなく、律法の規定どおりに、すなわちヤハウェが望まれるように「生涯、ヤハウェの御前に清く正しく」礼拝できることが理想であり、願望でした。イスラエルが待望しているメシアは、そういうヤハウェ礼拝を回復してくれる救済者です。こうして、ザカリアの預言は、あくまでユダヤ教の枠内で動いていることが分かります。

 

 「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」。(一・七六〜七七)


 以上に見たように、ザカリアの預言の前半は、ユダヤ教の枠内でヤハウェの救済の働きを預言していますが、生まれてきた幼子の将来を預言する後半になると、ユダヤ教の枠を超えて、世界の暗闇を照らす光の曙光がほのかに見える感じがします。これは、その幼子が先駆けとなって指し示す救い主から発する光の反映でしょうか。


 ザカリアは聖霊によって、「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる」と預言します。この預言通りに、この幼子は洗礼者ヨハネとなって、イエスからも「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」(マタイ一一・一一)と言われる、イスラエル史上最大の預言者となります。しかし、イエスは「救い主」と呼ばれますが(二・一一)、ヨハネはそう呼ばれることはなく、あくまで預言者の一人です。ここにも、誕生物語におけるイエスとヨハネの並行を破る不均衡が見られます。


 その偉大な預言者の使命が、「主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」という(彼が「いと高き方の預言者」と呼ばれる)理由を示す文で語られます。彼の使命は、「主に先立って行き、その道を整える」こととされています。イスラエルの預言者たちは、何らかの意味で、最終的なメシアが世に現れる前に、そのメシアの到来と姿を指し示すために神から遣わされた使者ですが、ヨハネはそのメシアの直前に現れて、もっとも間近な地点からメシアを指し示す預言者として、最大の預言者となります。ヨハネは、イザヤやエレミヤのようにその名による大きな預言書が残されていないのでその偉大さが見過ごされがちですが、最終的なメシア・キリストと一組の者として遣わされることによって、「主に先立って行き、その道を整える」先駆者として、救済史で最大の役割を果す預言者となります。ルカの誕生物語は、ヨハネの誕生を「救い主」イエスの誕生と一組にして語ることで、このヨハネの偉大さを物語っています。


 「主に先立って行き、その道を整える」という表現は、マラキ書の最後の預言の言葉から来ていると見られます。マラキ書(三・二三〜二四)にはこうあります。

 

 「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日の来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、この地を撃つことがないように」。

 

 この預言により当時のユダヤ人の間には、メシアが来る前に預言者エリヤが再来するという信仰が広がっていました(マルコ九・一一)。最初期共同体も、この預言に基づいて洗礼者ヨハネをメシア・キリストに先だって現れて道備えをするエリヤだと位置づけていました。この最初期共同体のヨハネに関する伝承がここのザカリアの預言に反映しています。


 最初期共同体のヨハネに関する伝承がここに反映していることは、預言者ヨハネの働きが「主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」とされていることにも現れています。ヨハネがその時代のイスラエルの民に語った預言の言葉は、ヨハネをメシアと信じるユダヤ人の共同体で語り伝えられ、その一端がマタイ福音書(三・七〜一〇、一二)やルカ福音書(三・七〜一四)にも伝えられていますが、最初期共同体はヨハネのバプテスマを全体として「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」と意義づけていました(三・四、マルコ一・四)。当時のユダヤ教主流の「ダビデの子」による政治的解放を期待するメシア待望に対して、ヨハネは「罪の赦しによる救いの知識を与える」(直訳)者として、来るべき「救い主」の道備えをしたことになります。ルカも「罪の赦し」を福音の中心に据えているので、ザカリアの預言のこの部分は共感をもって書きとどめたことでしょう。

 

ルカが福音を「罪の赦しの福音」としていることについては、拙著『福音の史的展開U』487頁「U 罪の赦しの福音」の項を参照してください。

 

 「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」。(一・七八〜七九)


 このような救いの出来事が起こるのは、「我らの神の憐れみ(恩恵)の《スプランクナ》から」出ることだ、と聖霊が証しします。《スプランクナ》という語が使われていることが目を引きます。この語はもともと犠牲獣の内臓を指す語ですが、「はらわたの底から」というような意味で、心や魂の奥底を指すようになりました。パウロがこの意味でこの語をよく用いています。ここでは「暗闇と死の陰に座している者たち」に対する神の御心の奥底から発する慈愛と恩恵が、この救いの出来事をもたらすのだと、この印象深い語を用いて宣言されます。


 この神の恵みが「暗闇と死の陰に座している者たち」に向けられていることによって、ザカリアの預言の後半は、「罪の赦しによる救いの知識を与える」という表現と相俟って、前半の異教徒の支配下にあるイスラエルの解放という視野を超えて、もっと広く苦境にある人間の救済を視野に入れることになります。これは、先に述べたように、この幼子が先駆者として指し示す「救い主」の光が射し込んできているからでしょう。


 この「救い主」から射し込む光が、「高い所からあけぼのの光が我らを訪れ」と表現されます。「あけぼのの光」と訳されているギリシア語《アナトレー》は日の出を指す語で、東から昇る太陽を比喩として、「高い所から」、すなわち神から来る光が、神なき暗闇と命なき死の陰にいる人間を照らし、そうすることで人間を「平和の道に導く」と預言します。この暗闇を照らす「高い所からの光」は、二章での「救い主」の誕生にさいして、夜の闇を照らした主の栄光(二・九)を予表することになります。


 その光は「我らの歩みを平和の道に導く」とされています。ここの「平和」は、戦争のない状態という意味の平和ではなく、人間存在の全体が神とのあるべき本来の交わりにあることによって到達する安らかで充実した在り方を指しています。ヘブライ語で《シャローム》、ギリシア語で《エイレネー》というとき、聖書は人間のこのような状態を指しています。日本語では「平安」の方が適切でしょう。パウロは「わたしたちは信仰によって神との《エイレネー》を得ている」と言っています(ローマ五・一)。新約聖書はキリストによる《エイレネー》の実現を多くの箇所で語っていますが、ザカリアの預言はそれを指し示す預言となっています。

 

 六八〜七九節の「ザカリアの預言」は、ローマ・カトリック教会ではウルガタ訳冒頭の語のラテン語を用いて「ベネディクトゥス」と呼ばれています。同様に、四六〜五五節の「マリアの賛歌」は「マグニフィカート」と呼ばれます。この呼び方は、プロテスタント諸教会でも広く用いられており、注解書や神学書を読むときには必要ですので、ここでその教会での呼称に触れておきます。ただ、日本語で福音を語るときには、このようなラテン語の呼称は用いる必要はないと思います。「ザカリアの預言」、「マリアの賛歌」でよいでしょう。

 なお、この二つの詩歌がまったくユダヤ教の枠内で、その敬虔とメシア待望の精神と用語でうたわれていることから、この両詩の由来とか起源が議論されています。死海文書の賛美と詩編との親近性や洗礼者ヨハネの集団からの起源など、様々な説が行われていますが、確認は困難です。確実なことは、ユダヤ教の聖書に精通し、その世界に呼吸している人物またはグループから出た賛歌を、ルカが誕生物語で用いたという事実です。

 

 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。(一・八〇)


 ザカリアの預言が終わった後に、その幼子がどのように育ったかが簡潔に描かれて、洗礼者ヨハネの誕生物語が締めくくられます。神の御計画と働きによって生まれたこの幼子は、神の顧みと護りの中で「身も心も健やかに育ち」、やがて洗礼者ヨハネとしてイスラエルの民の前に現れることになります。それまで彼は「荒野にいた」という、ヨハネの生涯を決定する特色が描かれます。おそらくヨハネはクムランの荒野にあるエッセネ派の共同体で育ち、そこから出てからは「荒野で叫ぶ声」としてイスラエルの人々の前に現れます(三・一〜二〇)。ヨハネは祭司の家柄の出身ですが、祭司にはならず、むしろエルサレムの神殿祭儀を担う者たちを厳しく批判する預言者として、荒野で叫びます。

 

洗礼者ヨハネとエッセネ派、とくにクムラン共同体との関係は熱く議論されています。この問題については、拙著『ルカ福音書講解T』63頁の「洗礼者ヨハネとクムラン共同体」の項を参照してください。

 

 

 

 

 U 救い主イエスの誕生

          ― ルカ福音書二章 ―

 

 福音書の一章で先駆者ヨハネの誕生を物語ったルカは、二章に入っていよいよ主人公イエスの誕生の出来事を語ります。もっとも、すでに一章のヨハネの誕生物語の中に、天使によるイエス誕生の予告や、その予告を受けたマリアの賛歌など、準備する記事は組み込まれていました。そのような記事と合わせて、この二章が「救い主」イエスの誕生を物語ることになります。

 


8 イエスの誕生(2章1〜7節)

 

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。(二・一〜二)


 おもにユダヤ人向けに福音書を書いているマタイは、イエスの誕生をユダヤの王ヘロデとの関連で書いています。ローマ皇帝の布告は言及されません。それに対して異邦人に向かって書いているルカは、ローマ皇帝の治世の中に位置づけてイエスの誕生を物語っています。ヘロデ王は登場しません。ルカにとって救い主イエスの誕生は、全世界に告知されるべき出来事であって、一ユダヤ民族内のことではありません。そして、当時のルカの読者にとって、全世界とはローマ帝国でした。


 ルカはイエスの誕生を、皇帝アウグストゥス(在位前31年〜後14年)の時代に行われたシリア州総督キリニウスによる最初の住民登録の時のことであるとしています。ローマ帝国は新たに支配を打ち立てて属州とした地域には、総督を派遣して人口調査を行い、全住民の戸籍や資産の登録を行わせ、それに基づいて税金を徴収することを属州統治の根幹としていました。この新たに属州とされた地域の人口調査の活動は、被支配民族の抵抗もあり、困難な事業となることが多く、長い年月がかかる場合がありました。シリア州は当時東方でローマと対立する強大なパルティアに対抗するための重要な地域でしたが、政情の不安定や反抗運動のために人口調査の活動は困難を極めました。その困難な大事業を、アウグストゥス帝から派遣された腹心のキリニウスが一四年で成し遂げ、後六年に住民登録を完了します。


 ルカはイエスの誕生を「キリニウスの最初の住民登録」の時としていますが、これは後六年の住民登録のことではありえません。というのは、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイ二・一)という伝承は、広く認められている確かな伝承であり、イエスの誕生はヘロデ王の没年である前四年より後ではありえないからです。ここに用いられている「最初の」を「最初の時期の」という意味に理解すれば、キリニウスの人口調査の活動はヘロデ王の最晩年には始まっていたのですから、イエスの誕生をキリニウスの人口調査と関連づけることはできます。

 

 ここではルカの誕生物語の意義とか特色を見るだけにして、キリニウスの住民登録の歴史的事実については、拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2イエスの生い立ち」、とくにその中の「イエス誕生の時と場所」を参照してください。

 

 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。(二・三〜五)


 皇帝布告による住民登録は「自分の町」でしなければなりませんでした。「自分の町」というのは、出生した町(いわば本籍地のような町)のことで、エジプトの古文書にも住民登録は生まれた土地でするように命じたものがあるとのことです。「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので」、ダビデ家の本拠地であり、おそらくヨセフもそこで生まれたユダヤのベツレヘムまで、ガリラヤのナザレから数日かけて旅して行きます(もしヨセフがベツレヘムで生まれていたのであれば、若き日にナザレに移住したことになります)。ベツレヘムにはヨセフ家の資産があったのかもしれません。ベツレヘムはダビデの父エッサイの家があった町であり、ダビデはそこで生まれ育ち、そこで預言者サムエルから油を注がれています(サムエル記上一六章)。


 ただ聖書(旧約聖書)では、ダビデが陥れて都としたエルサレムが「ダビデの町」と呼ばれていて(サムエル記、列王記、歴代誌で多数)、ベツレヘムが「ダビデの町」と呼ばれることはありません。ところがルカは誕生物語の二箇所で(ここと二・一一)で、ベツレヘムを「ダビデの町」としています(全聖書でベツレヘムがこう呼ばれているのはこの二箇所だけです)。マタイには「ダビデの町」という呼称はありません。この呼称は、イエスが「ダビデの子」であることを印象づけるためのルカの工夫ではないかと考えられます。ルカの時代では異邦人の間でも救い主が「ダビデの子」であるという信条(テモテU二・八)が普及してきていたからでしょう。


 ガリラヤのユダヤ教徒は年に三回の巡礼祭にはエルサレムの神殿に詣でていたのですから、馴れた道でしょうが、出産直前の身重のマリアには辛い旅だったことでしょう。ユダヤ教社会では、婚約中の女性も法律上は妻として扱われますので、マリアも夫ヨセフの町であるベツレヘムで住民登録をしなければなりませんでした。

 

 現住地でないところでの住民登録やマリア同行の義務など、この記事の歴史性については議論があります。それについては先にあげた拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2イエスの生い立ち」の「イエス誕生の時と場所」130頁の注記を参照してください。

 

 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(二・六〜七)


 イエス誕生の出来事そのものは、このように淡々と描かれます。マリアは旅先のベツレヘムで「月が満ちて、初めての子を産む」ことになります。「イエスはベツレヘムで生まれた」のは同じですが、マタイはヨセフとマリアがベツレヘムの住民であることを当然のこととして前提し、東方からの博士たちは預言と星に導かれてベツレヘムに来て、「その家に入って」母マリアと共にいる幼子に捧げ物を捧げています(マタイ二・一一)。それに対してルカは、ナザレの住人のマリアが旅先でイエスを産んだとして、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ので、馬小屋に泊まり、生まれた子を「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と物語っています。この大きな違いは、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれた」という伝承が、福音書記者の立場と意図の違いによって、これほどまでに大きく違う物語を生み出すことの実例となっています。


 「布にくるんで」というのは、産着やおむつでくるんだことを指します。出産間近なマリアは、当然産着やおむつを用意して旅に出たことでしょう。地上に生まれたイエスは、他のすべての赤子と同じく、おむつにくるまれた赤子であったことを、この一句が思い知らせます。


 「初めての子」という表現は、後にマリアは他の子をも産んだことを示唆しており、マリアは生涯処女であったというような教会教義は無理であることを示す一つの根拠となります。この出産はマリアの最初の出産であり、生まれた子は「初子」となります。ユダヤ教では初子の男子は、律法により特別の扱いをされます。そのことは後の段落10で触れることになります。


 「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」のは、ヨセフとマリアのように遠くの土地に住んでいる人たちが住民登録のために一斉に生地のベツレヘムに戻ってきたからです。「宿屋」と訳されている語は、一般の住居で人を泊まらせる部屋とかスペースを指す語です。二人はやむをえず知人の家の馬小屋を借りて、そこで出産することになります。「馬小屋」という用語は使われていませんが、「飼い葉桶」がある場所は牛やろばを飼う「家畜小屋」であり、当時のユダヤ人の住居では家屋の中にその一部として造られていました。かつての日本の農村の住居もそのような構造の家屋でした。そのような屋内の家畜飼育用スペースを、日本語で誕生物語を語るときは、「馬小屋」と呼んでいます。


 イエスはそのような馬小屋でお生まれになり、飼い葉桶に寝かせられていた、とルカは伝えています。これは世界の偉人の誕生物語の中では異例の語り方です。普通は主人公の偉大さにふさわしい「瑞兆」が語られますが、世界の救い主の誕生を物語るこの誕生物語では、偉大さとは逆に家畜小屋での誕生という卑賎の姿で描かれます。期待される「瑞兆」とは反対の「逆兆」です。ルカはこの福音書で、イエスを復活して神の右に上げられた世の救い主として告知しています。その福音書において主人公の誕生をこのような卑賎の姿で描くことによって、実は「イエス・キリストの福音」の性格が指し示されることになります。


 最初期の福音告知は、復活されたイエスをキリストとして、すなわち神から油を注がれて世に遣わされた救い主として告知しました。同時に、この方が地上では十字架の死に至る苦しみをお受けになった事実を、「わたしたちの罪のため」、すなわち罪の問題の解決のための出来事として告知しました。このイエス・キリストの十字架・復活における神の救いの働きは、かなり初期に次のようにまとめられて告白され、賛美されるようになっていました。

 

 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

  このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主《キュリオス》である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ二・六〜一一)

 

 このキリスト告白の前半に見られるように、イエスの地上への出現は、永遠に神と共にいます、神と等しいキリストが「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた」出来事として言い表されるようになっていました。このキリストの《ケノーシス》(自分を無にすること)の「しるし」として、イエスの誕生の卑賤な姿はふさわしいものとなります。これは「逆兆」ではなく、キリストの《ケノーシス》を指し示す「兆」(きざし、しるし)となります。ここに引用したキリスト告白(キリスト賛歌)は、誕生物語の性格の理解にとって重要な鍵となるところですので、後の「補論」で改めて取り上げることになりますが、イエスの誕生の様子が記述されたこの箇所で、その「しるし」としての意義を確認するために引用しておきます。

 

 

9 羊飼いと天使(2章8〜21節)

 

 先の段落で、馬小屋での誕生という事実がキリストの《ケノーシス》のしるしであることを見ましたが、神の右にまで上げられる方の誕生であることを指し示す「瑞兆」も与えられていたことが、この段落で語られます。この二つの段落が一組となって、イエス誕生の様子を伝える箇所になります。この二つの段落を一つの段落にまとめて扱う注解書も多くあります(たとえばNTD)。

 

 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。(二・八〜九)


 その「瑞兆」は、野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに与えられます。ここで、羊飼いという身分が当時のユダヤ教社会できわめて低いものであったことを思い起こす必要があります。彼らは、徴税人や遊女や盗賊と並んで、証言の資格もない、ユダヤ教社会の枠外の階層の人たちでした。そのような人たちに天使(単数)が現れて、救い主の誕生を告げ知らせます。これは、宮廷の博士たちにその誕生が告げられ、彼らからの高価な宝物の捧げ物で飾られたマタイの物語と対照的です。ルカでは、汚れた衣服の貧しい羊飼いたちが、馬小屋の飼い葉桶を取り囲むことになります。なお、この段落の羊飼いの物語は、メシアの原型となったダビデが若いときはベツレヘムの羊飼いであったという伝承が背景にあるとされています。


 誕生物語では天使が舞台に登場して活躍することの意義については、先に述べました。神から遣わされた天使が発する神の栄光の光が、野宿している羊飼いたちを照らします。人間は異界との遭遇に恐れを感じますが、この時の羊飼いたちも突然の天からの光に照らし出されて、非常に恐れます。

 

 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。(二・一〇〜一一)


 怖じ恐れる羊飼いたちに、天使は「恐れることはない」と呼びかけ、その理由を続けます。すなわち、天使は恐ろしいことを告知するために来たのではなく、「わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる」ために来たのだから、と告げます。この文は、理由を示す《ガル》で始まっています。


 ここでルカは、「福音する」という特愛の動詞(福音《エウアンゲリオン》の動詞形)を使って、「見よ、わたしはあなたたちに大きな喜びを福音する」と書いています。この動詞は単独で「福音を告知する」という活動を指すこともありますが(たとえば九・六)、ここのように目的語がある場合には「告知する」という意味で用いられています。しかし、特定の目的語を伴う場合でも、それはいつも福音告知の一面を担う告知です。ここでは、一人の幼子の誕生が福音として告知されます。この報せは「大きな喜びを告げる」ことなのです。


 この大きな喜びは「民全体に与えられる」喜びとされています。ここの《ラオス》(民)は単数形です。《オクロス》が無組織の群衆を指すのに対して、単数形の《ラオス》は七十人訳ギリシア語聖書や新約聖書では普通「イスラエルの民」を指します。ここでも、誕生物語の強いユダヤ教的背景の中で素直に読めば、「イスラエルの民全体に与えられる」大きな喜びを指していることになります。「民全体」は、すべての階層を含むイスラエルの民全体を指すと理解しなければなりません。ここに直ちに「世界のすべての民」という意味を読み込むことは困難です。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」の「あなたがた」は、この誕生物語ではイスラエルの民を指します。そのイスラエルの救い主メシアが、やがて世界の諸国民の救い主と告知されるようになることこそルカの福音告知の主題ですから、現代の読者がここに「世界の諸国民の救い主」誕生の告知を聴き取ることは間違いではありません。すでに新約聖書全体の福音告知を聴いている者には、むしろ当然でしょう。


 天使は「今日、救い主がお生まれになった」と告知します。この「今日」は、何月何日の今日ではありません。イエスの誕生日は一二月二五日ではありません。イエスの誕生日は分かりません。福音告知における「今日」はいつも終末的な出来事が起こったその日を指します。イエスはガリラヤ福音告知の活動を始められたとき、ナザレの会堂でイザヤの預言を引用して、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されます(四・二一)。ナザレのユダヤ人がこのイエスの言葉を聴いたときが「今日」なのです。イエスが生まれた時が、世界に救いが臨んだ「今日」なのです。世界の歴史を「その前」と「その後」に区切る「今日」なのです。


 天使がベツレヘムと言わないで「ダビデの町」と言ったこと、またルカがこの呼称を用いていることの意義については前述しました。天使は「ダビデの子」の到来を待ち望んでいるイスラエルの民に「救い主」の誕生を告知します。そのために誕生する子が「ダビデの町」に生まれたことを強調します。そして、今日「ダビデの町」に生まれた「救い主」《ソーテール》が「メシア」《クリストス》であり、「主」《キュリオス》であると、三つの称号を並べて、この方がどのような身分の方であり、どのような働きをされる方であるかを告知します。この三つの称号の使用の意義については、後述の「補論1 誕生物語の位置と性格」で詳しく扱うことになりますが、ここでは新約聖書におけるこの三つの称号の用例を簡単にまとめて見ておきます。


 「救い主」という称号は、先に一章四六〜四七節の講解で述べたように、キリスト教二千年の歴史でイエス・キリストの名の前にいつも用いられてきた重要な称号ですが、新約聖書の用例は意外に少なく、前期の使徒時代ではほとんど用いられず、二世紀に入ってからの成立と見られる最後期の牧会書簡やペトロ第二書簡に多数見られるようになります。この事実はこのルカの両文書(福音書では誕生物語など付加部分)が牧会書簡などと同じ時期に成立したことを示唆しています。

 

ルカにおける《ソーテール》の使用については、拙著『福音の史的展開U』414頁「異邦人向けの表現」の項を参照してください。

 

 《クリストス》は「油を注がれた者」という意味のギリシア語です。このギリシア語は、旧約聖書の《マーシアハ》(メシア、油を注がれて王とか祭司というような職務に任じられた者)の訳語として用いられ、後のユダヤ教では、終わりの日に神の霊を注がれてイスラエルの救いのために遣わされると約束されている救済者を指すようになります。福音書ではイエスがこういう意味での《クリストス》であるかどうかが問題となり、復活後ではそういう《クリストス》であると告知されるようになります。ルカは誕生物語で、「今日ダビデの町で生まれた」幼子をそういう意味の《クリストス》だと告知するのです。その《クリストス》を、新共同訳は当時のユダヤ教での呼び方である「メシア」に戻して訳出しています。協会訳(口語訳)は「キリスト」と訳しています。

 

 新約聖書における《クリストス》の訳語については、、拙著『マルコ福音書講解T』330頁「メシアとキリスト」の項、および拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』224頁の「ペトロのメシア告白」の項を参照してください。

 

 《キュリオス》というギリシア語はもともと財産(とくに奴隷)の所有者を指す語で、「主人」という意味です。「キリスト」という称号が終末的救済者を指すという聖書的背景がなく、「イエス・キリスト」が一人の人間の呼び名のようになりがちなギリシア語圏で、復活されたイエスの地位を指すのに、支配者や神々を指す《キュリオス》という称号が用いられるようになります。復活されたイエスは、ギリシア語圏では《キュリオス・イエスース・クリストス》と呼ばれるようになります。ルカは誕生物語で、この幼子こそ《キュリオス》となる方だと告知するのです。

 

 《キュリオス》という称号については、拙著『福音の史的展開T』238頁以下の「V ギリシア語系ユダヤ人の福音告知」、とくに「《キュリオス》としての復活者イエス」の項を参照してください。

 

 こうしてルカは、復活されたイエスを告知するこの三つの称号を並べて、誕生物語で今日生まれた方が誰であるかを指し示しています。

 

 「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。(二・一二)


 天使はこのように告知した後、羊飼いたちがその方を正しく見つけることができるように、その方を指し示す「しるし」を与えます。その「しるし」が「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」という姿です。飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子が「救い主」であり、「メシア」であり、「主」であるというのです。そのような称号にふさわしい宮殿とか華麗な衣服ではなく馬小屋であり、おむつにくるまった赤子です。なんという大きなギャップ、落差、裂け目でしょうか。人の常識はこの裂け目を乗り越えることができません。この「しるし」は逆のしるし、「逆徴」です。

 

 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。(二・一三〜一四)


 羊飼いたちに現れて救い主の誕生を告知した天使が、ザカリアやマリアに現れた天使ガブリエルであったのかどうかは分かりません。この天使は単数形で指されています。この一人の天使に突然「天の大軍」が加わります。「部隊」という軍隊用語が使われていますが、これは旧約聖書の「天の万軍」という表象を受け継いだもので、ここでは一群の天使を指しています。当時のユダヤ教には、ヤハウェは多くの廷臣をもっているという考え方がありました。この「天の大軍」が天使たちの群れを指すことは、この一群がすぐ後(一五節)で「天使たち」と言われていることから確認できます。最初に羊飼いたちに現れた天使(単数形)は高位の天使であり、その下で仕える大勢の天使たちが、この天使(単数)の告知が終わったとき突然、この出来事を与えた神を賛美する合唱に加わったのでしょう。


 天使たちの合唱が夜空に響き渡ります。その合唱はまず、「いと高きところには栄光、神にあれ」と神を賛美します。ギリシア語を用いるヘレニズム・ユダヤ教では、単数形の「いと高き方」は神を指します。ここでは複数形ですから「いと高きところ」、すなわち多くの階層をなす霊界の最高の層(そこに神がいます層)、あるいはそこにいる霊的諸存在を指します。ここの「いと高きところでは、神に栄光」という賛歌は、その領域にいる仲間たちに神への賛美を呼びかけていると解釈することも可能です。


 そして、「いと高きところ」と対照して、「地には平和、御心に適う人々にあれ」と歌います。原語は「人々」と複数形ですから、この平和《エイレネー》は個人の無事平穏ではなく、人間社会の平和です。人間社会は憎しみ、抗争、暴虐、戦争、流血に満ちています。世界の歴史は血塗られています。そのような悪がいっさいなく、人々の間に同情、いたわり、敬意、助け合いが満ちて、生の喜びと充実に満ちた人間関係が行き渡ること、それが「地には平和」ということでしょう。そして、「地には平和!」という天使たちの賛美は、そういう平和が人間社会に成りますように、という願望または祈りにも聞こえますが、この救い主の出現を告知する場面では、そういう平和がこの方によって実現するのだ、という告知でもあります。


 ここで「人々」に「《エウドキア》の」という修飾語がつけられているのが問題になり、その意味が議論を呼んでいます。この《エウドキア》というギリシア語は「善い思い、善意」という意味の名詞ですが、もしその善意が人間の善意を指すのであれば、もともと善意で社会を構成している人たちにはすでに平和があるのですから、平和が「善意の人々」に与えられるというのは当然で、あまり意味がないことになります。したがって、この「善意の人々」の善意は神の善意と理解し、神が善意によって(=無条件の恩恵によって)選ばれた人々と理解して、そうして選ばれた人々(=神の民)の中に平和が実現するとの告知と解釈することになります。新共同訳の「御心に適う人々」という訳はこの理解から出ています。近年死海文書にこのような用例があることが発見されてこの解釈が確立され、大多数の翻訳がこの訳を採っています。そうすると、《エイレネー》を宿す民として、神の民が「《エイレネー》を創り出す」(マタイ五・九)働きを進め、世界に平和を実現することが、この天使の使信の意義となります。

 

 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(二・一五〜一六)


 羊飼いたちに現れて救い主の誕生を告知した天使(単数)と、告知の後突然現れて賛美の合唱に加わった「天の大軍」が、ここでは「天使たち」と呼ばれています。その一群の天使たちが役目を終えて、そこから派遣された場所である天に戻って行ったとき、あまりにも不思議な出来事に茫然となっていた羊飼いたちは我に返り、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と語り合います。ベツレヘム近郊の野で野宿していた羊飼いたちは、天使が言った「ダビデの町」がベツレヘムを指すことを直ちに理解します。そして、「主が(天使を遣わして)知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合ってベツレヘムへ急ぎます。おそらく彼らはごった返すベツレヘム中の家々の戸を叩いて捜し回ったことでしょう。そして、ついに飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てます。「捜す ― 見つける」の図式は、ルカの信仰物語において重要な意義を担っています(たとえば二・四一〜五〇の両親がいなくなったイエスを捜し神殿で見つける物語)。

 

 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。(二・一七〜一八)


 「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子」という光景は、当時でもきわめて異例の光景で、それを見た羊飼いたちは直ちに、この場面こそ天使が自分たちに語った「しるし」であることを悟ります。そして、出産を世話したり祝福するためにそこに集まってきていた人々に、自分たちが天使のお告げを受けてここに来た次第を話します。彼らは出て行って町の人々にも知らせたのかもしれません。「聞いた者は皆、羊飼いたちの話に驚いた」(直訳)とありますが、聞いた人たちは皆ユダヤ教徒です。日頃神を信じ聖書の物語に親しんでいる人たちですが、彼らもこの出来事の不思議さにただ驚くばかりでした。

 

 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。(二・一九)


 この不思議な出来事の話を聞いてただ驚いている周囲の人たちと対照的に(この節は《デ》という小辞で前節と対照されています)、「マリアはこれらの言葉すべてを思い巡らし、心に納めておいた」(直訳)と、マリアの態度が描かれます。《レーマタ》(《レーマ》の複数形)は言葉という意味のギリシア語ですが、ヘブライ語の《ダーバール》と同じく、出来事という意味にもなります。マリアが思い巡らした「すべての《レーマタ》」というのは、羊飼いたちが語った言葉とそれが指し示す出来事だけでなく、受胎告知からこの出産に至る「すべての出来事」を指していると見るべきでしょう。


 「思い巡らす」と訳されている《シュンバロー》という動詞は、新約聖書ではルカ文書だけが用いているルカ特有の動詞で、「一緒に置く」という原意から、(ここでは)様々な出来事や言葉を付き合わせて、その出来事や言葉の真意を見つけようとすることです。マリアはこれまで自分の身に起こったすべての出来事を関係づけて、そこに神の御心を探ろうとします。しかし、それを誰にも口外することなく、自分一人の心に深く秘めておきます。実際の結婚生活に入る前に聖霊によって妊娠したなどという話を誰が信じてくれるでしょうか。しかし、後にマリアが洩らしたこの秘密が、共同体で語り継がれて何十年かの後に、ルカの誕生物語となります。

 

 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(二・二〇)


 ここの「帰って行った」は、ベツレヘムの町から出て、天使のお告げを受けた野宿の場所に帰って行ったことを指します。自分たちが体験したことがすべて天使が告げたとおりであったことから、それが神から出たことであることを知り、神がこれから民のために大きなことを成し遂げようとしておられることを予感して、神をあがめ、賛美しながら帰って行きます。

 

 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(二・二一)


 ユダヤ人の男性はすべて生まれて八日目に割礼を受けることが律法で定められています。その時に名前がつけられます(一・五九の講解参照)。イエスも八日目に割礼を受けます。イエスの割礼を記述するのは、新約聖書ではルカのこの記事だけです。この割礼の記事は、イエスはユダヤ教徒であったという、あまりにも当然でありながら、イエス理解の営みにおいてしばしば見落とされる事実を、改めて確認させます。割礼を受けた者はモーセ律法をすべて行う義務があります(ガラテヤ五・三)。イエスは割礼を受けたユダヤ教徒としての生涯を送られます(ガラテヤ四・四)。


 そのとき父親のヨセフは「イエス」という名をつけます。その名は、妻のマリアに「胎内に宿る前に天使から示された名」でした(一・三一)。ヨセフはマリアからこの出来事を聞いていて、その天使のお告げに従います。この名は、モーセの後継者であったヨシュアと同じ名であり、ユダヤ人男性の間で珍しい名ではありません。この名については、マタイ(一・二一)は、その名の意味を「自分の民を罪から救うからである」と説明していますが、ルカはそのような説明をつけていません。その役割はすでに洗礼者ヨハネに帰せられていました(一・七七)。ルカは羊飼いたちへの告知において「救い主」という称号を用いて、この名の意味を指し示しています(二・一一)。

 

 

10 神殿で献げられる(2章22〜38節)

 

 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。(二・二二)


 原文では二一節と二二節は「そして〜の日数が満ちたとき」という同じ文言で始まっています(レビ一二・六参照)。二一節では「彼に割礼を施すべき八日の日数が満ちたとき」とありましたが、ここでは「彼らの清めの日数が満ちたとき」となっています。


 モーセ律法によれば、男児を出産した産婦は四十日間汚れていて、神殿に入ることは許されません(レビ一二・二〜五)。その清めのために必要な四十日の期間が過ぎたとき、両親は新生児イエスを「主に献げるため」エルサレムに連れて行きます。この「主に献げるため」は、次節で説明されます。 産婦マリアに清めの期間が必要なことは律法が規定しています。ところがここでは「彼らの清めの期間」とあり、この「彼らの」が問題になります。この「彼ら」をマリアとイエスを指すとして、イエスのナジル人の誓願に関係づける説もありますが、この代名詞にそのような重大な意味を見ることは、誕生物語全体の文脈から見て不適切で、おそらくルカは出産後の祭儀的汚れの清めを家族全体の問題として扱っているのでしょう。あるいは、ルカは「ユダヤ教徒たちの間で行われている、あの清めの期間」という意味でこの代名詞を用いたのかもしれません。この代名詞の存在が昔から困難と感じられていたことは、若干の古代写本に異読があり、この語を欠く写本もあるという事実が示唆しています。


 「清めの期間」は四十日ですから、その間、泊まるところがなく馬小屋で出産した夫妻が、ベツレヘムに留まっていたとは考えにくいことです。出産後何日目かにマリアは乳飲み子を抱いてヨセフと一緒にガリラヤのナザレに帰って行った可能性も考えられます。そうするとヨセフとマリアは四十日あまりの期間に、しかも出産の直前と直後に、二度エルサレムへの往復の旅をしたことになります。しかし、三九節の記事が「主の律法で定められたことをみな終えた」時まではナザレに帰らなかったことを含意しているのであれば、ずっとベツレヘムに滞在していて、そこから近くのエルサレムに連れて行ったことになります。

 

 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。(二・二三)


 彼らの出産後のエルサレム行きは「その子を主に献げるため」ですが(前節)、そのことが主の律法に従う行為であることが説明されます。ここに引用されている初子に関する律法は、「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである」(出エジプト記一三・二)を初め多数あります。


 とくに初めて生まれる男子については「あなたの初子のうち、男の子はすべて贖わねばならない。何も持たずに、わたしの前に出てはならない」(出エジプト記三四・二〇)と規定され、さらに「初子は、生後一か月を経た後、銀五シェケル、つまり一シェケル当たり二十ゲラの聖所シェケルの贖い金を支払う」(民数記一八・一六)と、贖いのための金額まで定められています。


 ここで「贖う」という語が使われていますが、これは「買い戻す」ということで、いったんヤハウェに献げられてヤハウェのものとなった子を、いけにえの獣や贖い金を納めて自分のものにすることです。それをしないことは子をヤハウェに献げていないことになり、重大な律法違反となります。贖い金は父親が支払います。郷里の祭司に支払うこともできますが、ヨセフは神殿で初子のイエスを献げ、贖いのためのいけにえを献げようとします。

 

 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。(二・二四)


 ここで両親が神殿で献げたいけにえが「山鳩一つがい」か「家鳩の雛二羽」のどちらであるかが語られていません。ということは、この節は両親の実際の行動を記述するものではなく、彼らが果たそうとした律法の規定を紹介するために置かれているということになります。この規定はレビ記にしばしば出てきますが、羊などの正式のいけにえの動物を用意することができない貧しい者への配慮を示す規定です。ここでは彼らは産婦の清めのために神殿に来ているのですから、レビ記一二章の「産婦についての規定」の中の「産婦が貧しい場合」(八節)の規定を指していることになります。


 ところが前節(二三節)には、乳飲み子のイエスを神殿に連れてきたのは、主に献げた初子の男子を贖うためであることを示唆する律法の引用があり、本節の献げ物が「産婦の清め」のためか「初子の贖い」のためのものか曖昧です。「産婦の清め」には普通新生児は連れて行く必要はありません。しかし、「初子の贖い」のためにはこのような「山鳩一つがいか家鳩の雛二羽」というような規定は見当たらないので、やはりこれは「産婦の清め」を指していると見るべきでしょう。いずれにしても、ルカはイエスの誕生がすべて旧約聖書の律法を成就する出来事であったことを伝えたいのであって、モーセ律法に無縁な異邦人読者に律法を順守する仕方を説明しようとしているのではないのですから、わたしたちも無理にどちらかに決める必要はないでしょう。

 

 イエスの神殿奉献記事をナジル人の誓願に関係づける説(「新共同訳新約聖書注解T」274頁参照)では、この「山鳩一つがいか家鳩の雛二羽」を民数記六・一〇の引用としています。しかし、民数記六章の「ナジル人の誓願」の中でのこの規定は、ナジル人の誓願を立てた者が死体に触れるなどして聖別した頭髪を汚した場合の規定であって、乳児イエスには適用できません。

 

 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。(二・二五〜二六)


 ルカの誕生物語の現形が成立するまでには、複雑な伝承の過程と編集の段階があったと推察されます。少なくとも現形になる前の段階では、二二節から二四節の神殿での記事の後に、三九節の「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」という記事が続いていたのではないか、と多くの注解者が推察しています。しかし、編集の最終段階で、ヨハネの誕生とイエスの誕生の対応関係を完全にするために、ヨハネの場合のザカリアの預言に対応するシメオンとアンナの記事を入れたと考えられます。編集過程がどうであれ、シメオンの預言はイエスの誕生がもたらす福音の質をよく指し示しています。


 シメオンという人物には「義(ただ)しく、信心深く、イスラエルの慰めを待望し、その上に聖霊が留まる人」であったという説明がついています。ユダヤ教社会で「義(ただ)しい」というのは、モーセ律法を落ち度なく守って生活していることを指します。そういう人が「義人」と呼ばれます。「信心深い」という形容詞はルカ文書だけが用いている用語で、「敬虔な」とか「敬神の念が篤い」という意味で、異邦人社会でも宗教熱心な人を指すのに用いられます。さらに義人シメオンの敬虔は、律法を落ち度なく守っているだけでなく、「イスラエルの慰めを待望している」と、その内容が具体的に説明されています。「イスラエルの慰め」というのは、ずっと異邦人の支配の下で苦難の歴史を歩んできたイスラエルの民が、その支配から解放されて恐れなくヤハウェに仕えるようになるという、終わりの日の神の約束の実現を指しています。シメオンがこのような終末的待望を抱いていたことは、彼がたんに律法に忠実な生活をするユダヤ教徒であるだけでなく、彼が終わりの日に到来する救済者メシアを待望する、黙示思想的傾向のファリサイ派とかエッセネ派というようなユダヤ教の一派に属する人物であったことを示唆しています。


 ルカは、福音にかかわる出来事すべてを聖霊の働きとして体験し自覚してきたパウロ系の福音活動に連なる著作家として、その著述において「聖霊」という語を多用しています。誕生物語だけでも七回出て来ます(「御霊」の一回を含めて)。ここでもシメオンが示す霊性を「聖霊が留まる」人という表現で指し示しています。そして、シメオンはその聖霊から「主メシアに会うまでは決して死を見ることはない」(直訳)というお告げを受けていました。ここで「主が遣わすメシア」と訳されているのは意訳で、直訳は「主メシア」であり、二章一一節の「主メシア」と同じ句です。この「主《キュリオス》」と「メシア《クリストス》」は同格で並んでいて、《キュリオス》である《クリストス》という意味です。この二つの称号の組み合わせは、《キュリオス》という称号がイエス・キリストの地位を指す称号として用いられた異邦人伝道で活動したルカが好んで用いた組み合わせです(たとえば使徒二・三六)。その《クリストス》をユダヤ教徒の間での称号である「メシア」と訳す翻訳(新共同訳)では「主メシア」という表現になります。ルカはこの表現を誕生物語でも用いることになります。


 「〜までは死を見ない」という表現は、ある出来事を生きている間に体験することを指す慣用的な表現で、同じような表現をイエスも用いておられます(マルコ九・一)。そのようなお告げを受けているシメオンが、あるとき聖霊によって「今神殿に行くように」と促されて、神殿に向かいます。

 

 シメオンが御霊に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。(二・二七)


 シメオンが神殿の境内に入って来たとき、律法の規定どおりにいけにえを献げようとして幼子イエスを神殿に連れて来ていた両親に会います。この出会いは決して偶然ではなく、「御霊に導かれて」起こった出会いだ、とルカは聖霊を繰り返し用いて強調します。もし聖霊がシメオンに「今神殿に行くように」と促されなかったら、この出会いはありませんでした。こうして、イエスに関して起こった出来事はすべて聖霊の導きによって起こった出来事、神から出た出来事であることが、誕生物語から繰り返し強調されることになります。

 

 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。(二・二八〜三〇)


 シメオンはマリアに抱かれている赤子のイエスを見たとき、やはり聖霊によって「この子がそうだ」と示されたはずです。マリアから赤子を受け取り、自分の腕に抱き、神を賛美します。ここでシメオンが発した賛美は、「主メシアに会うまでは決して死なないとのお告げを受けていた」シメオンが、その約束を果たして、生きているうちにその方に出会わせてくださった神への感謝であり賛美です。シメオンは「わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と言っています。今自分の腕に抱いてその目を見つめ、その体重を感じているこの幼子こそ、「あなたの救い」そのもの、すなわち「神の救い」を体現する約束の「主メシア」であるからです。

 


 このときシメオンが幼子イエスを抱いて語った預言の言葉は、キリスト教会では、ラテン語訳の最初の言葉によって、「ヌンク・ディミティス」(今やあなたは去らせる)と呼ばれています。これは、ザカリアの「ベネディクトゥス」とマリアの「マグニフィカート」と並んで、ルカの誕生物語における重要な賛美また預言として扱われています。

 

 「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」。(二・三一〜三二)


 自分の身に約束を果たしてくださった神へのシメオンの賛美は、その幼子が体現する救いの質を預言する賛美へと進みます。まずその救いが「万民のためにあなたが備えてくださった救い」であることが賛美され預言されます。神は、その救いをある特定の民族や階級の人たちのために用意されたのではなく、「万民」すなわち地上のすべての民のために用意されました。最初にこのことが強調されるのは、ユダヤ教の枠を超えて福音を世界のすべての民に告知する活動に携わっているルカにふさわしい形です。


 そして、その「万民」が、当時のユダヤ教における分け方に従って、「あなたの民イスラエル」と「異邦人」とに分けて、それぞれに対するこの幼子の意義が標語のように簡潔に語り出されます。ここで異邦人がイスラエルよりも先にあげられていることが注目されます。パウロはいつも「最初にユダヤ人、そして異邦人もまた」と言っていました。パウロの時代ではまだイスラエルが救済史の担い手でした。しかしルカの時代には、救済史の担い手が世界の諸国民となる「異邦人の時代」が始まっていました。その中にユダヤ人もまた含まれるという形になっていました。ここの順序はそういう「異邦人の時代」の救済史理解が反映しているのかもしれません。

 

 「異邦人の時代」については、拙著『福音の史的展開U』505頁の「W ルカ福音書における終末待望」、とくにその中の「エクレシアの時、異邦人の時」の項を参照してください。また、拙著『ルカ福音書講解U』338頁以下の「補説 ルカにおける終末待望」の項も参照してください。

 

 シメオンの賛美は、この幼子は「異邦人を照らす啓示の光」となると預言します。これまで神の啓示はイスラエルにだけ与えられていて、他の異邦諸国民は無知の暗闇に放置されていました。異邦諸国民は、イスラエルの民に啓示されていた天地の創造者である唯一の神を知らず、人間の技や考えで造った金、銀、石、木などの像を神々として拝んでいました。神はこのような「無知の時代」を大目に見ておられましたが、今は世界の諸国民に悔い改めてこのまことの神に立ち帰るように呼びかけようとされます。この幼子こそその呼びかけとなる方、すなわち、異邦諸国民の民を照らして唯一のまことの神を知らせる「啓示の光」となり、この神に立ち帰る道を照らす方である、との預言です。後に神はこの方を死者の中から復活させて、その確証をお与えになります(使徒一七・二九〜三一参照)。


 この幼子が「異邦人を照らす啓示の光」となることが預言された後に、この幼子が「主の民イスラエルの誉れ」となることが預言されます。ここで「誉れ」と訳されている《ドクサ》は、普通「栄光」と訳される語です。この幼子がイスラエルの誉れ、栄光となるというのは、イエスという人物を生み出して世界の歴史に登場させたことが、イスラエルの民、ユダヤ人の栄誉になるということです。どの国民にも誇りとする偉大な人物がいます。内村鑑三は「代表的日本人」という書を英文で発表し、彼らが日本人であるがゆえに持ちえた偉大さを世界に紹介しました。ここではシメオンによって、イエスがユダヤ人であるがゆえに持ちえた偉大さが世界の民に称揚され、イエスこそイスラエルの歴史と特質を成就完成する人物として世界の人々に記念されるようになる、という預言がなされたのです。事実、イエスはこの預言どおりに、その登場が世界の歴史を「その前」と「その後」に二分することになりました。まさに、イエスの登場はイスラエルの歴史を完成する出来事、ユダヤ人の存在意義を成就する出来事です。イエスを世界史に登場させたことが、イスラエルの民、ユダヤ人の誉れです。

 

 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。(二・三三)


 このシメオンの賛美であり預言である言葉を聞いた父と母、すなわちヨセフとマリアは、自分たちが世にもたらした赤子についてなされたこのような不思議な預言を理解できず、ただ驚き戸惑います。預言は大抵あまりにも意外で、聞いた者に驚き、戸惑い、反発を引き起こします。この時の二人も同じです。驚く二人にシメオンはさらに、この幼子が長じて世に出たとき、どんなことが起こるのかを語り出します。

 

 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 ―― あなた自身も剣で心を刺し貫かれます ―― 多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」。(二・三四〜三五)


 聖霊によって語るシメオンは、この幼子が長じて世に出たとき、どんなことが起こるのかという重要な預言を、父親のヨセフを差しおいて、母親のマリアに語りかけます。ここにもルカの誕生物語の特色が出ています。マタイの誕生物語では、事態を進行させる天使の啓示はすべてヨセフに与えられています。イエス誕生の予告さえマリアではなくヨセフに与えられています。マタイの誕生物語の中心人物はマリアではなくヨセフです。それに対してルカの誕生物語では、ヨセフではなくマリアが中心人物です。イエス誕生の予告も、イエスの生涯についての預言もすべてマリアに与えられています。ヨハネの名が出てくるのは、マリアの婚約相手であることを紹介するところ(一・二七)、彼がダビデの家系であることを示すところ(二・四)、および飼い葉桶の場面(二・一六)の三箇所だけです。後世のキリスト教会に起こったマリア崇拝(後述)は、ルカの誕生物語に起源があると言えるでしょう。


 シメオンは幼子イエスを腕に抱いて、「今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と言いました。しかし、シメオンが見た「救い」は、当時のイスラエルの民が期待していた救いとは違うものであること、言い換えれば、その救いをもたらすメシアは、彼らが待ち望んでいたメシアとはまったく違う姿で現れることが預言されます。


 この幼子が長じて、民を救う者としてイスラエルに現れるとき、その姿は彼らが期待していた姿とまったく違うことが預言されます。民が待ち望んでいた救いは、イスラエルが異邦人の支配から解放され、ダビデ王国の栄光が回復され、イスラエルが恐れることなくヤハウェに仕える(=律法に忠実に礼拝する)ことができるようになることでした(一・六七〜七四)。しかし、この幼子は長じてイスラエルに現れるとき、そのような救いをもたらして民の歓呼を浴びるメシアではなく、「イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められている」というのです。


 イエスはその公の活動時期には、多くの病人をいやし、悪霊を追い出し、神の恵みを語り伝えるなど、善い業をなされました。多くの人たちがイエスの働きによって絶望の淵から立ち上がり、神を賛美する生活に入りました。しかし、そのように「立ち上がった」人は、たいてい貧しい底辺の人々で、「物言わぬ民」でした。それに対して「もの言う人々」、すなわちユダヤ教社会で公に発言する階層の人たちの多くは、イエスに反対して、イエスを聖なる律法に逆らう者であるとイエスを言葉で非難し、言い逆らいました。そのようにイエスに言い逆らった人たちはサドカイ派やファリサイ派などの祭司とか律法学者というようなユダヤ教指導層の人たちでした。その言い逆らいの締めくくりが、そのような階層の人々で構成される最高法院のイエスに対する死刑判決です。このようにイエスに言い逆らった人々は、その言い逆らいによって「倒れ」ました。彼らの倒れは甚だしく、彼らの拠り所であった神殿は「一つの石も崩れずに他の石の上に残ることがない」ほど徹底的に打ち倒されました。


 「反対を受けるしるし」という句の直訳は、「言い逆らいのしるし」です。「しるし」《セーメイオン》というのは、神との関わりで起こる目に見えない霊的事態を指し示す、地上の人間が体験できる具体的な事物や出来事です。従って、「言い逆らいのしるし」というのは、彼が民から言い逆らいを受けるという事実(それは人間が地上で体験し、歴史に書きとどめることができる具体的な出来事です)を予告するだけではなく、その出来事(彼が言い逆らいを受けるという事実)が、民が神に言い逆らっているという霊の事態を指し示す「しるし」となる、という意味です。この幼子が長じてイスラエルに現れるとき、その生涯は民から歓呼されるのではなく、逆に民から言い逆らいを受けて、民の神への反抗を指し示す「しるし」となる、という預言です。


 この幼子が「言い逆らいのしるしへと定められている」という預言の後に、「多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」という、そのように定められていることの目的を説明する文が続いています。将来その人物への言い逆らいが神への反抗の「しるし」となるだけでなく、その人物に直面することで人の心の奥底に隠されている思いが明るみに引き出されて、人が実際に神に向かう者であるか背を向ける者であるかが決められる、すなわち裁く(=分ける)ことが行われる、という預言です。これは、後にヨハネがイエスの登場がすでに裁きである(ヨハネ三・一八〜一九)と言いますが、それを先取りしています。


 「言い逆らいのしるしへと定められている」という預言と、「多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」という説明の間に、その繋がりを裂く形で、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」というマリアへの個人的な語りかけが割り込んでいます。それで、この部分は(底本でもどの翻訳でも)「 ― 」で囲まれています。この幼子が「言い逆らいのしるし」となることが母親のマリアにとってどんなに辛いことを意味するかが、「剣で心を刺し貫かれる」という、その出来事の激しさにふさわしい激しい表現で語られます。この預言を語り伝えた人たち(=伝承の担い手たち)は、イエスの最後が凄惨な十字架刑であったことを知っています。そのことを、このマリアへの予告の形で指し示しながら語り伝えたことでしょう。このマリアへの予告は、イエスの十字架を指しています。


 このように、シメオンの預言は、この幼子が「万民のための救い、異邦人を照らす啓示の光、イスラエルの誉れ」であることを預言すると同時に、その救いがその人物の苦難を通して来ることを預言していることになります。

 

 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。(二・三六〜三八)


 シメオンの預言に続いてルカは、アンナという女預言者が幼子イエスこそがイスラエルの待望を満たす者であることを語ったという記事を置きます。旧約聖書にはミリアム、デボラ、フルダ、イザヤの妻など、女預言者の存在と活動が数多く伝えられています。ルカは男性の預言者であるシメオンの後に、女性の預言者を登場させて、物語における男性と女性のバランスをとります。ルカは福音の物語において男女をペアで登場させてバランスをとる著作家であり、そのペアは一三組もあることを指摘した注解者もいます。誕生物語におけるザカリアとマリアの賛歌のペアもその実例でしょう。ここにもルカの女性尊重の姿勢が見られます。


 アンナという女預言者を紹介する記述が、他の登場人物と較べて目立って詳しいことが注目されます。これは、普通は女性の証言が認められないユダヤ教社会で、アンナの場合は特別であることを印象づけるためであると見られます。


 アシェル族はヤコブの八番目の息子を名祖とする氏族で、北王国に住んでいました(歴代誌上七・三〇〜四〇)。しかし、ガリラヤに住む者たちから分かれて南のエフライムの山地に住む支族もいたとされています。ファヌエルはエルサレムに近い南の支族の人だったかもしれません。その娘アンナについての記述は、ユダヤ教の敬虔の模範として描いているのでしょうが、「若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた」とあるのは、テモテT五・三〜一六にある「寡婦」に関する最初期共同体の規定の中で、「やもめとして登録」する女性の資格(九節)や、「神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」姿は、その生活についての規範(五節)を思い起こさせます。アンナの姿は、最初期共同体の寡婦集団の模範として描かれているという面もあるようです。この事実は改めてルカと牧会書簡の親近性を思い起こさせます。


 そのアンナが、シメオンに続いて、神殿に連れてこられた幼子イエスを指して、「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に」、この子こそ彼らの待望を満たす者だと語りかけます。その言葉の内容は伝えられていませんが、すでにシメオンの預言で語られているので重複を避けたのでしょう。そのことは、「イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」というシメオンについての記述と、アンナが語りかけた聴衆についての「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々」という記述の並行関係が示唆しています。両方とも当時のイスラエルの民の終末待望とその待望の成就を語っているからです。ここで用いられている「エルサレムの《リュトローシス》(贖い、解放)」は、「イスラエルの慰め」と同じく、神の民イスラエルの終末的な救済を指す並行表現です。シメオンもアンナも共に、この待望がこの幼子によって満たされることを預言します。まさにこれこそ、ルカがこの誕生物語で主張する主眼点です。

 

 

11 ナザレに帰る(2章39〜40節)

 

 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。(二・三九〜四〇)


 ルカの物語では、住民登録のために「ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」(二・四)という記事の後、ここで初めてガリラヤのナザレに帰ったことが言及されるので、素直に読めばヨセフとマリアはこの時点までユダヤのベツレヘムにいたことになります。先に(一・二二の講解で)夫妻は一度ナザレに帰って、再度清めの儀式のために上京した可能性に触れましたが、ルカの物語ではどちらでもよいことで、要するに「彼らは主の律法で定められたことをみな為し終えた」ことを言いたいのです。なお、新共同訳では「親子」と訳されていますが、原文のギリシア語では、動詞が三人称複数形で用いられているだけで、主語を特定する名詞はありません。これまでと同じく両親と見てよいでしょう。ここに幼子イエスを含ませて、イエスは赤子の時から律法を満たしておられたと読むのは、それは事実であるとしても、テキストの読み方としては行き過ぎた「読み込み」でしょう。 


 生まれたばかりの幼子イエスを連れて、「自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」ヨセフとマリアが、そこでどのように暮らしたかは何も述べられていません。幼子イエスだけにスポットライトが当てられ、幼子イエスがどのように育ったのかだけが記述されます。それも「幼子は成長し、力が増し加わり、知恵に満たされ、神の恵みがその上にあった」(直訳)と、ごく一般的な用語で簡潔に述べられます。福音書はイエスの伝記ではありませんから、福音書記者はイエスの生い立ちにほとんど関心を示しません。


 ここで「誕生物語」は終わります。「ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」イエスの誕生の次第を物語る物語はここで終わります。しかし、ルカはイエスがどのようにお育ちになったかを垣間見させるエピソード(次の段落)を入れて、イエスの生い立ちについてのこのごく簡潔な記事を補い、三章から始まる本体部へのつなぎとします。

 

 ガリラヤでのヨセフ一家の生活と、イエスの生い立ちについては、拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2 イエスの生い立ち」を参照してください。

 

 


12 神殿での少年イエス(2章41〜52節)

 

 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭の慣習に従って都に上った。(二・四一〜四二)


 律法に忠実なユダヤ教徒として、ヨセフとマリアは毎年神殿で神を礼拝するためにエルサレムに上ります。律法には、ユダヤ人の成年男子は年に三度エルサレムに上って過越祭(=除酵祭)、七週祭、仮庵祭に参加しなければならない、とあります(申命記一六・一〜七)。女性の巡礼は義務づけられていませんが、ヨセフはマリアを伴って都に上ります。この記事には、毎年連れだって神殿に詣でたサムエルの両親の記事の影響があるのかもしれません(サムエル記上一章)。二人は他の祭りにもエルサレムへの巡礼をしたのでしょうが、ここで特に過越祭のために上ったとされているのは、このエピソードをイエスの受難と復活の物語への橋渡しとして置いているルカの著述意図(後述)から出ていると見られます。


 子供には巡礼の義務はありませんが、男子は十三歳の誕生日に成人式の儀式を受け、一人前のユダヤ教徒として律法のすべてを順守する義務を負います。従って巡礼にも参加しなければなりません。両親が「イエスが(十三歳ではなく)十二歳になったとき」に巡礼の旅に伴ったことについては、様々な説明がされています。翌年から始まる巡礼への準備として連れて行ったとか、当時の偉人伝が少年時代を語るとき十二歳のときのことをよく扱っていたから、というような説明が行われています。新共同訳は「十二歳になったときも」と訳して、両親がそれまでもずっとイエスを連れて巡礼したことを示唆して、この問題を避けています。日本語訳はみな「も」を入れていますが(文語訳、塚本訳、岩波版は入れていません)、主要な外国語訳で入れているものはありません。四二節文頭の《カイ》は、「もまた」ではなく、「そして」と素直に読むべきでしょう。

 

 シュタウファーはイエスの誕生を前七年とし、後六年のキリニウスの人口調査のときは十二歳になっておられたことから、この時のエルサレムは祭りと人口登録が重なって極度の混雑にあり、大勢の巡礼者集団の中で、両親がイエスを見失ったとしています。

 

 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。(二・四三〜四五)


 過越祭はそれに続く除酵祭と合わせて祝われ、一週間続きました。巡礼者がエルサレムにいなければならないと律法が命じているのは、初めの二日間の過越祭ですが、敬虔なユダヤ教徒は「祭りの期間」ずっとエルサレムに滞在しました。ここでヨセフとマリアが帰途についたのは、この一週間の「祭りの期間」が終わったときであると推察されます。しかし、両親が初めの二日間で帰途につき、イエスはなお祭りが続くエルサレムに残っておられた可能性もあります。


 ガリラヤなどの遠い町からエルサレムに上る巡礼者は、道中の危険を避けるために大きな団体をなして旅をするのが普通であったようです。帰途も同じように団体で行動したので、大勢の群れの中で仲間を見失うことはよくあったようです。両親はイエスがエルサレムに残っていたのに気づかず、「イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返し」ます。「見失う ― 捜す」のテーマはルカがよく用いるものですが(失われた銀貨、失われた羊など)、ここでは見失しなったイエスを捜すという形で、世から去り見失しなわれたイエスを捜すという後の受難復活物語が先取りされています(後述)。


 ここでイエスという名前の後に《ホ・パイス》という語が称号のように添えられているのが注目されます(《ホ》は定冠詞)。《パイス》は年若い男の子を指すギリシア語ですから、「少年イエス」という訳でよいのです。しかしギリシア語の《パイス》は、年若い男の奴隷や召使いという意味もあり、七十人訳ギリシア語聖書ではイザヤ書の「主の僕」の「僕」をこの《パイス》を用いて訳しています。それで、イエスをイザヤ書の「主の僕」の預言を成就するメシアであると信じた最初期のユダヤ教徒の共同体(エルサレム共同体)は、復活されたイエスを、この《パイス》という語を使って、「僕イエス」《イエスース・ホ・パイス》と呼んで崇めました(使徒三・一三、四・二七、四・三〇)。このように復活されたイエスを「僕イエス」と呼んで礼拝した最初期のエルサレム共同体のユダヤ人たちが、十二歳のイエスのエピソードを語り伝えるさいに、同じ《パイス》という語で「少年イエス」を指していたのですから、この「少年イエス」には復活されたイエスの「僕イエス」が重なっていたことでしょう。これは後の補論で述べることになりますが、ここの重なりも誕生物語が復活物語の一つのバリエイションであることを指し示しています。

 

 《パイス》の用例ついては、拙著『福音の史的展開T』398頁の「『神の僕』イエス」の項を参照してください。

 

 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。(二・四六〜四七)


 この「三日の後、彼らは彼を見つけた」という文頭の表現にも復活物語との重なりが見られます。弟子たちは、十字架につけられて世を去ったイエスと、三日目に復活者イエスとして再会します。「キリストは三日目に復活した」は、最初期の福音告知の定型《ケリュグマ》でした(コリントU一五・四)。イエスを見失った両親は「三日の後」イエスを見つけます。この少年イエスのエピソードを伝承した人々は、福音告知を担った人々です。ただ彼らはここで、《ケリュグマ》の「三日目に」でなく、イエスが用いられたとして伝えられている「三日の後」(マルコ八・三一)を使っています。

 

 イエスが用いられたとされる「三日の後」や「三日で」(ヨハネ二・一九)という句と《ケリュグマ》の「三日目に」の関係については、エレミアス『イエスの宣教 ― 新約聖書神学T』(角田訳)519頁c の「三日句」についての解説を参照してください。

 

 当時の律法学者が弟子に律法を教える方法は問答でした。弟子が律法の意味やその具体的な適用を訊ね、師であるラビがそれに答え、また師が弟子に質問して弟子に答えさせ、その理解を確認するという方法で、律法理解が師から弟子に伝えられ、そうして形成された口伝の律法理解と適用が「口伝律法」となり、聖書にある成文律法と同じ権威のある律法として扱われました。ここで「イエスが学者たちの真ん中に座り」とあるのは、弟子たちの前や真ん中に座って教えたラビの姿を思い起こさせます。この物語を語り伝えた人たちは、イエスが生前律法学者たちと律法理解についてやり取りされたことを見ています。とくにエルサレムに入られてからは、神殿で律法学者たちと激しく論争されました。聞いていた人たちはイエスの「賢い受け答え」に驚嘆しました。税金問答(二〇・二〇〜二六)はその典型です。この少年イエスのエピソードを語り伝えた人々は、このようなイエスの姿を少年イエスに重ねて物
語ったことでしょう。


 律法についても「律法学者のようにではなく権威をもって」教えられるイエスに人々は驚嘆し、「この男は学んだこともないのに、どうして聖書が分かるのか」(ヨハネ七・一五)と言っています。「学んだこともない」というのは、権威を認められたラビに入門して律法に関する訓練を受けていないことを指します。たしかにイエスは当時有名であったヒレルとかシャンマイというような高名なラビについて学ばれたことはありません。イエスの知恵は、聖書学者の知恵ではなく、実際に聖霊に導かれて活動されている中で聖書(律法)を理解された結果の知恵です。ユダヤ人で福音書を研究して『ユダヤ人イエス』を著したD・フルッサーは、「イエスは聖書と口伝律法の双方に完璧なまでに通じており、またこのユダヤ教の学問的伝統をどのように応用すべきかを知っていた。イエスのユダヤ教の教養は聖パウロが受けた教育より比較できないほどすぐれていた」と述べていますが、そのイエスの知恵はこのような種類の知恵であったことを見落としてはなりません。このエピソードを伝承した人たちと、その伝承を用いてこの誕生物語を書いたルカは、そのイエスの知恵を少年イエスの物語として語り、それによって本論の僕イエスの働きの質を指し示します。

 

 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」。(二・四八)


 ほとんど成人になっている十二歳のイエスを見失った両親が、「心を痛めて(苦悩して)」捜し、三日目に見つけて「驚愕し(呆然となり)」、母マリアが「どうしてこんなことをわたしたちにしたのか」と問い糾しているのは、やや大袈裟で不自然な感じがします。これも、このエピソードが受難復活物語の先取りだとすれば納得できます。弟子たちは師のイエスが十字架で刑死したとき、「どうしてこんなことになったのか、なぜ師イエスはわれわれをこんな状態に陥れたのか」と苦悩し、三日目に復活されたイエスに再会したときは驚愕します。その弟子たちの体験が、このエピソードを伝承するさいの語り方に反映していると見られます。

 

 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。(二・四九〜五〇)


 「なぜこんなことを」と問い糾す母マリアに対して、イエスは逆に「どうしてわたしを捜したのですか」と、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」という二つの問いによってお答えになります。この二つの問いは、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」ということを知っていたら、心痛してわたしを捜すことはなかったであろうという意味で、一体の問いです。


 この「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」という宣言が、この少年イエスの物語の核心です。ところがこの文は直訳すると、「わたしがわたしの父の事柄(複数形)の中にいるのは当然(必然)である」となり、「家」という語はありません。それで、このイエスの言葉が何を意味するのかについては、多くの議論が行われてきました。文脈がイエスの居場所を問題にしていることや、「〜のこと」という表現が家を指す用例があるという説が認められて、最近の翻訳では「わたしの父の家にいる」という訳が多くなりました(RSV、NRS、文語訳以来の邦訳のすべて。岩波版佐藤訳は家を括弧に入れ、慣用的な言い方と説明を加えています)。しかし、古い翻訳では「家」を用いず、直訳調の「わたしの父の事柄に携わっている」という訳が主流でした(たとえばKJV、ルター訳)。ここと同じ表現(複数形の定冠詞+二格の名詞)で「主の事柄」を指す用例はパウロにもあり(コリントT七・三二、三四、一三・一一)、牧会書簡(テモテT四・一五)の「これらの事柄にいよ」という用例も参考になります。


 イエスの答えの「わたしの父」が、マリアの「あなたのお父さんは心配して捜していた」の「あなたの父」への応答として言われたものであるならば、「わたしがわたしの父の事柄に携わるのは当然だ」という意味は十分成り立ち、むしろそう理解する方が自然です。無理に原文にない「家」という語を入れて居場所の問題に限定しなくても、「わたしがわたしの父の事柄に専心携わるのは当然だ」というイエスの生涯全体のあり方の宣言として理解する方が、よりいっそう相応しいと思います。


 このイエスの言葉には《デイ》という語が用いられています。この動詞は(不定詞を伴い)「〜するのは必然(当然)である、不可避である、義務である」という意味であり、他の福音書に較べてルカが多く用いています(マタイは八回、マルコは五回、ヨハネは一〇回に対してルカは一八回、使徒言行録には二二回)。多くの場合、この語は神の計画が必ず実現するとか、神の意志は必ず行わなければならないという必然を表現しています。イエスが御自身の受難と復活を予告される言葉にこの 《デイ》が用いられているのが代表的な事例です(九・二二)。ここでもこの《デイ》が用いられ、僕イエスが「父の事柄」に専心されるのは必然であることが、少年イエスの口から宣言されます。


 このエピソードを伝承した人々は、イエスが神を「わたしの父」と呼び、その父の御心を行うことに生涯を捧げられたことを知っています。彼らがこのイエスの言葉を語り伝えたとき、そのイエスの全生涯を重ねて、イエスは十二歳の時から神を「わたしの父」とし、その父の事柄に自分を捧げる者であることを自覚しておられたとしたのです。


 このイエスの言葉を聞いた両親は、その言葉を理解できませんでした。これは当然です。イエスは霊の次元のことを語っておられるのに、両親はあくまで肉親の我が子としてイエスを見ています。マリアが「あなたの父」と言ったとき、それはヨセフを指しています。それに対してイエスが「わたしの父」と言われるとき、それは霊の交わりにある父、霊なる神を指しておられます。肉(生まれながらの人間性)にいる者がイエスの霊の言葉を理解できないという落差ないしギャップは、ヨハネ福音書に繰り返し描かれていますが、ここはルカにおける代表的な実例となります。

 

 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。(二・五一)


 祭りの期間を終えてナザレに帰る両親と一緒に、イエスもナザレに戻られます。ナザレでは「両親に仕えて」お暮らしになります。ここの「仕える」は、「従う、従順である」という動詞が用いられています。これはもともと下位の者が上位の者に従うことを指す軍隊用語ですが、コロサイ書やエフェソ書や牧会書簡の家庭訓で、妻が夫に、子が親に、奴隷が主人に従うように勧告するときに用いられています。イエスも家におられるときは、家族の一員として家の秩序に従われたことを、ルカは特記します。イエスが家を出てガリラヤの各地を巡回し、福音を告知する活動を始められたのは「おおよそ三十歳」(三・二三)とされていますから、十二歳から十八年前後の期間のナザレでのイエスの生活を、ルカはこの「両親に従われた」の一句でまとめます。ルカがこのことを特記するのは、神に召されて「神の事柄に専心するのは当然」とされたイエスも、家におられた時には、家の秩序に従われた姿を描いて、ルカの時代の家庭訓との調和を図ったと考えられます。


 ヨセフは木工職人でしたから、イエスはヨセフから木工職人の技術を学び、木工職人として家業を継がれたと考えられます。なお、福音書にヨセフが出てくるのはこの少年イエスのエピソードが最後ですから、ヨセフはこの十八年前後の期間中に亡くなったと推察されています。そうすると、ヨセフ亡き後は長男であるイエスが木工職人の仕事で一家を支えていかれたと推察されます。


 母親のマリアは、イエスが三十歳代半ばで十字架につけられたときその前にいました。そして、復活後成立したエルサレム共同体にも参加しています。その時、マリアは五十歳前後であったと推察されます。マリアは「これらのことをすべて心に納めていた」というのは、イエスの誕生にさいして起こった出来事や天使や預言の言葉、さらにイエス十二歳のときの神殿での出来事やイエスの言葉など「すべて」を心に納めたということです。それを体験したときには理解できませんでしたが、マリアはそれらをすべてを「心に納めて」保存しておきます。このマリアが心に納めていたことが素材となって、イエスの誕生に関する伝承が形成され、最終的にマタイやルカの誕生物語となります。マリアについては以下の「補論」で改めて取り上げます。

 

 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(二・五二)


 この文は直訳すると、「イエスは知恵と、歳(あるいは背丈)と、神と人のもとでの恵みにおいて、進まれた」となります。歳が進み背丈が伸びるのは当然ですが、それに伴って知恵が増し加わり、神と人から受ける好意も増えていった、とルカはイエスの人間的成長と社会的成長をごく一般的な表現で簡潔に記述して、誕生物語全体を締めくくります。ルカは、イエスや共同体が周囲の人たちからよく思われていたことをしばしば書き添えますが、これはルカの護教家としての体質から来るのでしょう。

 

ナザレにおけるイエスの生活ついては、先にあげた拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2 イエスの生い立ち」を参照してください。

 

 以上に見たように、この段落はたんに少年時代のイエスのエピソードを語り伝えるだけのものではなく、三章から始まる本論への導入部となっています。すなわち、ルカはイエスの少年期の出来事を伝えるエピソードの一つを用いて、十字架と復活に至るイエスの生涯の質を少年イエスの姿に重ねて描き、「少年イエス」の物語を「僕イエス」を指し示す指としています。その重なりは講解の中で繰り返し触れましたが、それは「少年」と「僕」がギリシア語原語では同じであり、「少年イエス」の物語を伝承した最初期のエルサレム共同体の人々は、復活されたイエスを「僕」と呼んで崇めていたのですから、この重なりはすでに伝承の段階で始まっていたと見られます。どこまでが伝承の段階で重なっていたのか、どこからがルカの筆によるものかを判別することは困難ですが、その重なりがあることは講解で見た通りです。こうしてルカは、「少年イエス」の物語を「僕イエス」の生涯を予告し、指さす物語として本論の直前に置きます。この「少年イエス」の段落は、本来の誕生物語(一・五〜二・四〇)と本論を結ぶ連結器としてここに置かれている、とも言えるでしょう。

 

 

 


 補論1 誕生物語の位置と性格

 

最初期の福音活動における誕生物語の位置


 イエスが復活されて、復活されたイエスをメシアまたキリストとして告知する使徒たちの活動が始まったとき、イエスの誕生の次第について触れることはありませんでした。イエスがなされた働きや語られた言葉を紹介することもほとんどありませんでした。ただ、その復活されたキリストであるイエスが十字架につけられて死なれた事実がどういう性質の出来事であったのか、すなわち、それは「わたしたちの罪のために死なれた」死であることが加えられました(コリントT一五・三〜五)。


 イエスの十字架の死と復活の出来事が、聖書に約束されていた終わりの日における神の救いの成就であることが福音告知の核心です。しかし、この福音を告知した使徒たちは地上のイエスの働きを目撃しているのですから、イエスがどのような方であり、どのような働きをされたかも語るようになります。その典型はペトロがコルネリウスの一家に福音を語った場合です(使徒一〇・三四〜四三)。そこでは、イエスの十字架の死と三日目の復活、およびこのイエスを信じる者は罪の赦しによる救いを受けるという福音告知の前に、神がイエスと共におられたことの証拠として、病気をいやし悪霊を追い出すなどの、洗礼者ヨハネ以来のガリラヤやユダヤにおけるイエスの働きが加えられています。


 このコルネリウスの家でのペトロの福音告知が「使徒的宣教」の原型となり、後のマルコ福音書に至ったとされます(C・H・ドッド)。マルコ福音書は、地上のイエスの働きを語り伝えるイエス伝承を用いて福音を告知する最初の文書となり、後に成立する他の福音書のモデルになります。そのマルコ福音書は、その物語を洗礼者ヨハネの登場から始めており、それ以前のイエスの誕生や生い立ちや生活などに触れることはありません。これは当然です。使徒たちは洗礼者ヨハネのもとでイエスに出会ったとき以来、自分たちが弟子として目撃したイエスの働きを福音の一部として語ったのであり、イエスがどのように誕生し、その生い立ちはどうであったかなど、それ以前のことは目撃していませんし、関係のないことであったからです。


 イエスが地上で活動されたときその弟子ではなく、復活後にイエスの弟子を迫害したパウロは、ダマスコ途上で復活されたイエスに遭遇して回心を体験し、イエスの僕となり、イエスをキリストと告知する福音活動に召されます。そのような経歴のパウロは、福音告知の活動において、イエスの地上の働きを語り伝えるイエス伝承を用いることなく、キリストの十字架と復活の救済史的意義に集中しています。当然、イエス誕生の次第に触れることなく、彼の全書簡に処女降誕を問題にした痕跡はありません。


 マルコ福音書とは別の独自の状況で成立したヨハネ福音書も、イエス誕生の次第には触れていません。ヨハネ福音書は「十二弟子」の使徒団とは別の「もう一人の弟子」の目撃証言に基づいて成立した福音書であり、その原型はマルコ福音書と同じかもっと早い時期に成立していたと見られます。ヨハネ福音書を最初の福音書と見る有力な研究者もいます(K・ベルガー)。マルコ福音書の成立は七〇年のエルサレム陥落の前後と見られるので、マルコ福音書とヨハネ福音書の両方に誕生物語がないという事実は、使徒が活動した最初期前期にはイエス誕生の次第は問題にされず、福音告知には含まれていなかったことを示唆しています。


 事実、使徒たちが告知する福音を聞いた人たちは、処女降誕のことは何も聞いていませんし、イエスを普通に誕生した普通の一ユダヤ人として見ていたのでした。それでも、イエスを復活したキリストと信じた人たちは聖霊を受けて、キリスト者としての信仰と希望に生きるようになりました。この事実は、処女降誕は福音の必須の項目ではなく、その信仰はキリスト信仰の不可欠の内容ではないことを示しています。使徒時代には、誕生物語は福音告知の運動においていかなる位置も占めていませんでした。

 

誕生物語の成立 ― マタイとルカの場合


 このように、最初期前期の使徒時代には、イエス誕生の次第が福音の一部として触れられた痕跡はありません。しかし、後期になると状況が変わります。使徒の後継者たちが活動した七〇年以後の後期になると、使徒たちの福音告知を継承しつつも状況の変化に促されて、その福音告知の仕方に微妙な変化が見られるようになります。その変化の一つとして、誕生物語の成立とそれによる処女降誕信仰の普及をあげることができます。


 最初期後期、それも末期になって成立した二つの福音書に誕生物語が現れます。マタイ福音書とルカ福音書です。この二つの福音書は、マルコ福音書をモデルとした枠組みで書かれ、多くの並行記事を持つことから共観福音書と呼ばれるグループに属します。最初期後期の初め(七〇年前後)に成立したマルコ福音書は、後期を通じて各地に流布し、広く用いられるようになっていたと推測されます。そのマルコ福音書の枠組みを用いて、シリアのユダヤ教内キリスト信仰の流れではマタイ福音書が成立し、パウロを受け継ぐエーゲ海地域のユダヤ教外キリスト信仰の流れではルカ福音書が成立します。この二つの福音書は、マルコ福音書と「語録資料Q」という二つの共通の資料を用いながら、その成立の状況の違いから、かなり大きな違いを見せています。その違いは誕生物語において最大になります。


 偉大な人物の誕生には普通の誕生とは違う様相があるという古代の人々の観念から、メシア・キリストと崇めるイエスの誕生の様子を知りたいという共同体の願望もあったのかもしれません。また、イエスの物語を伝記的にも完全なものにしたいという著者の願いもあったのかもしれません。マタイとルカは、おそらくエルサレム共同体で語り伝えられていた伝承を素材として用いて、それぞれの状況にふさわしい誕生物語を書き上げて、福音書の冒頭に置きます。


 二つの誕生物語は、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイ二・一)という当時広く流布していたと見られる伝承に合致し、それを詳しく物語る内容になっています。しかし、物語り方は全然違います。マタイでは、ヨセフとマリアはベツレヘムの住人で、マリアは自分の家で出産します。東方の博士たちの来訪で新しい王の出現を知ったヘロデ王は、ベツレヘムと近郊の男の赤子を虐殺します。ヨセフとマリアはエジプトに逃れ、ヘロデ王が亡くなってから帰国し、ナザレに移住します。ルカでは、二人はガリラヤのナザレの住人ですが、キリニウスの住民登録のためユダヤのベツレヘムに旅をして、旅先の馬小屋で出産します(マタイにはキリニウスの住民登録は出てきません)。そして、神殿で新生児のための儀式を済ませた後、故郷のナザレに帰ります。この二つの物語を組み合わせて一つの物語を組み立てることは不可能です。


 二つの誕生物語は、イエスが「ナザレのイエス」として広く知られている事実と、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という共同体の伝承を橋渡しするために物語られています。その二つの物語がこれほどまでに違うという事実が、この物語は歴史的な出来事を叙述する物語ではなく、マタイとルカがそれぞれの信仰上の主張を表明するために構成した物語であることを示唆しています。その信仰上の主張を表明するための構成の仕方も、マタイとルカではかなり違います。


 イエスの誕生が神の御計画による特別の出来事であることを示すために、神からの使者である天使がしばしば登場して、神の指示を伝えます。誕生物語は、新約聖書の中で天使の登場が最も多い舞台です。この事実も、誕生物語が歴史的な出来事を語り伝える物語ではなく、信仰によって構成された物語であることを示唆しています。その天使の働き方も、マタイとルカではかなり違います。


 マタイでは、天使はいつも家長であるヨセフに現れ、なすべきことを指示しています。ヨセフは天使による神の御告げに従順な義人として描かれています。マリアはヨセフに従うだけです。受胎予告も、マリアにではなくヨセフに与えられています。マタイの誕生物語の主役は、マリアではなくヨセフです。これは厳格な家父長制のユダヤ教社会にふさわしい構成です。


 それに対してルカでは、主役はマリアです。天使はマリアに現れて受胎を予告し、預言者はマリアに預言の言葉を与えます。天使のお告げを従順に受け入れて信仰者の模範とされるのはマリアです。この出来事について神を賛美するのはマリアです。ヨセフはダビデの家系の人だと紹介されるだけで、物語の舞台では重要な活動はほとんどしていません。これは、女性に深い共感をもって著述したとされるルカの姿勢の現れでしょうか。


 誕生物語は、イエスの誕生が神の御計画による救済史上の重要な出来事、神が終わりの日に成し遂げると約束された出来事であることを示すために、それが聖書の預言を成就する出来事であることを強調しています。これは、マタイもルカも同じです。しかし、その強調の仕方は両者でかなり違います。マタイはユダヤ教徒の間で書いていますから、聖書が神の約束の書であることは当然の前提とすることができます。それで、マタイはイエスの誕生に関わる個々の出来事が聖書のどの言葉の成就であるかを示せば足ります。マタイは、イエス誕生における個々の出来事に「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という説明をつけて、聖書の箇所をあげています。


 それに対してルカは、聖書をそのような書として理解していない異邦人に向かって書いているので、ユダヤ教の聖書が諸国民の救い主であるイエス・キリストの出現を約束し予告する書であるということ自体を示さなければなりません。ルカはそれを、洗礼者ヨハネの誕生をイエスの誕生と一組にして語ることで成し遂げています。この講解で見たように、ルカの誕生物語の基本的な構成原理は、イエスの誕生と洗礼者ヨハネの誕生の並行と、その並行関係におけるイエスの上位です。この洗礼者ヨハネの誕生との並行関係は、マタイに見られないルカの特色です。マタイは洗礼者ヨハネについては一言も触れていません。


 ルカがイエスの誕生を洗礼者ヨハネの誕生と一組にして物語ったことは、ルカの誕生物語成立の経緯に深くかかわっているので、この事情を項を改めて述べることにします。

 


ルカ二部作成立過程における誕生物語の位置


 ルカ二部作(ルカ福音書と使徒言行録)成立の経緯については、別著『福音の史的展開U』第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」で詳しく述べました。そこで見たように、ルカ二部作の成立には、マルキオンの登場が深く関わっています。ルカはマルキオンに対抗するために使徒言行録を書き、それまでにまとめられていた福音書を改訂し、その冒頭に誕生物語を付け加え、末尾に顕現物語を添えて現形のルカ福音書とし、二部作としてテオフィロに献呈します。ルカの誕生物語には、マルキオンに対抗するためという意図が貫かれています。


 ルカは一世紀末までに彼の福音書をまとめていました。ルカはエルサレムやアンティオキアに伝えられているイエス伝承を集め、イエスの働きや言葉を素材として世に福音を提示する「福音書」を書き上げます。その福音書は、ルカがモデルとしたマルコ福音書と同じく、洗礼者ヨハネの出現と活動から、すなわち三章から始まっていたと考えられます。この福音書は、現在新約聖書に収められている正典のルカ福音書とは違いますので、ここでは「初版ルカ福音書」と呼んでおきます。


 その福音書は、パウロ系の共同体が活動していたエーゲ海地域で成立し、流布していたと見られます。その主要地域である小アジアに、二世紀初頭、ポントス出身のマルキオンが現れて活動を始めます。彼は熱烈なパウロ主義者で、パウロが強調する福音と律法の峻別を推し進めて、イエスが啓示した父なる神はユダヤ教聖書(旧約聖書)の神とは違う別の神だとしました。その結果、当時のキリスト信仰共同体で信仰の拠り所として仰がれていた聖書(旧約聖書)を拒否するに至ります。そして、その聖書(実際には七十人訳ギリシア語旧約聖書)に代えて、当時成立していたパウロ書簡集(牧会書簡を除く十書簡)と、その地域で用いられていた福音書(初版ルカ福音書)を自分流に改訂した福音書を、自分の追従者たちの共同体に信仰の基準として与えます。これが「マルキオン聖書」と呼ばれ、その後マルキオンに対抗した正統派の共同体が新約聖書正典を形成するきっかけとなり、正典の「福音書と使徒書簡」という構成のモデルとなります。


 マルキオンの活動に直面したルカは、使徒以来伝えられてきた正しいキリスト信仰の伝統が脅かされていると感じ、マルキオンに対抗するために使徒言行録を書き、初版の福音書も増補改訂して、現行のルカ福音書の形にします。このような経緯から、増補された部分、すなわち冒頭の誕生物語と末尾の顕現物語では、イエスの福音はユダヤ教聖書の成就であるということが強く主張されることになります。顕現物語では、復活されたイエスが直接弟子たちに説いておられますが(二四・二六〜二七、四四〜四六)、誕生物語ではイエスはまだ生まれたばかりの赤子で、イエスにこのことを語らせることはできません。それでルカは、イエスの誕生を洗礼者ヨハネの誕生と組み合わせて物語ることによって、イエスの出現がユダヤ教聖書(旧約聖書)の成就であることを伝えようとします。というのは、洗礼者ヨハネは聖書の預言の流れを集大成する代表的預言者であり、そのヨハネと共に神の計画の実現として誕生したイエスは、聖書の預言と約束の成就に他ならないことになるからです。


 マルキオンは、イエスの福音をできるだけユダヤ教聖書から切り離すために、洗礼者ヨハネを無視しました。マルキオンが初版ルカ福音書を改訂して作った「マルキオン福音書」では、ルカ福音書の三章二〜三八節はばっさりと削除され、ユダヤ教大祭司、洗礼者ヨハネの活動、イエスの受洗、イエスの系図はありません。さらにイエスが聖書の言葉でサタンを退けた「荒野の誘惑」もなく、マルキオン福音書のイエスは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」に(三・一)、突如カファルナウムに現れます(四・三一)。ナザレの会堂での説教はその後に来ます。マルキオンはイエスをできるだけユダヤ教から遠ざけようとしています。それに対抗して、ルカは三章一節から始まっていた初版の福音書の前に誕生物語を加えて、そこでイエスの出現がいかに洗礼者ヨハネの出現と一体の出来事であり、一方を神からのものとすれば当然もう一方も神の出来事であり、両者は切り離せないことを強く主張します。


 ルカの誕生物語はこのような意図をもって書かれているので、その記述はきわめて強いユダヤ教の色彩を帯びています。ルカの誕生物語は、新約聖書の中で最も親ユダヤ教的だと言われます。三章以下の本体部では、イエスの物語はユダヤ教と対立する面が強くなりますが、誕生物語では舞台上の人物はすべてモーセ律法を順守することを当然として、敬虔なユダヤ教徒の生活をしています。イエスの割礼を明記するのはルカだけです(二・二一)。とくに洗礼者ヨハネに関する記述は、ヨハネをメシアと仰ぐユダヤ教徒のグループの伝承を用いているので、その内容はきわめて強いユダヤ教メシア待望の色彩を帯びることになります。


 このように、ルカの誕生物語はルカ二部作成立の最後の段階で、三章から始まっていた元の福音書に付け加えられたものであり、マルキオンに対抗するという意図から、イエスとユダヤ教の強い結びつきを強調する形と色彩をとることになります。

 


復活物語のバリエイションとしての誕生物語


 ルカの誕生物語は、その成立の過程において福音書の最後に位置するだけでなく、その性格からしても福音書の最後に位置する物語と見るべきです。それは、誕生物語が復活物語の一つのバリエイション(変奏)だからです。誕生物語は、イエスを復活された神の子と信じる共同体が、復活者イエス・キリストを誕生の場面で賛美している物語です。したがって、誕生物語はイエスの物語が復活に達した後に、そのイエスの誕生がどのように神の働きと栄光を顕す出来事であったかを物語ります。ルカの誕生物語は、復活者イエスへの賛美歌集の様相を見せています。


 福音書はイエスの生涯を記録する伝記物語ではなく、イエスの言動を伝えるイエス伝承を用いて復活者イエス・キリストを世に告知する文書であることは、この講解でも繰り返し述べてきました。誕生物語は、イエスの誕生の場面で復活者イエス・キリストを告知する物語となっています。イエスを復活者キリストと信じて告白する共同体が、イエスをそのキリストの地上への出現であると言い表す信仰告白は、ルカの誕生物語を待つまでもなく、かなり早い時期(おそらく四〇年代)から始まっていました。それは、フィリピ書(二・六〜一一)に引用されている最初期共同体のキリスト賛歌に見られます。


 そのキリスト賛歌は、明らかに前半と後半の二つの部分から成り立っています。前半(六〜八節)では、神と等しい身分のキリストが人間の姿をとられたことが、次のような表現で言い表されています。

 

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。

 

 後半(九〜一一節)では、十字架の死まで低くなられたキリストを、神が復活させて高く上げられたことが賛美されます。

 

「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主《キュリオス》である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。

 

 この前半と後半の告白は、明らかに循環しています。後半は、前半のキリストのへりくだりと神への従順を高挙の理由として、「このため」という語で前半に続けています。しかし、前半は高く上げられて神と等しい身分となられたキリストを前提して、そのキリストの《ケノーシス》(自分を無とすること)を言い表しています。後半は前半を根拠とし、前半は後半を前提にしています。これは循環論法であり、人間の論理としては成り立ちません。これは一つの事態を逆の二つの方向で言い表したものとして初めて成立する表現です。その一つの事態とは、イエスの復活です。イエスが復活されたキリストであるという復活者イエス・キリストの事態です。この事態を、イエスが復活してキリストとして立てられたという上向きの方向で見たのが後半であり、その復活者キリストが地上に一人の人間イエスとして現れ、そのイエスが十字架の死に至るまで神に従われたという下向きの方向で言い表したのが前半です。復活を信じない者には両方とも成り立ちません。


 復活信仰においては、両方が同時に成り立ちます。イエスの誕生は、天上に神と共にいますキリストが地上に降ってくる出来事ですから、それは「降誕」と呼ばれることになります。また、それは神と等しいキリストが人間の姿で現れることですから「受肉」と呼ばれます。イエスの復活を「高挙」と呼ぶ信仰が、イエスの誕生を「降誕」と呼ばせ、「受肉」と呼ばせることになります。フィリピ書のキリスト賛歌は、復活信仰に含まれる高挙と降誕を同時に言い表した信仰告白となります。


 福音告知の最初の形は、神がイエスを復活させて《キュリオス》またキリストとしてお立てになったという後半の告知でした。ところがそのイエスがダビデの子孫であり、人間としてどのような働きをされた方であるかが加わるようになると、出来事の順序として、地上のイエスの出来事を先に置き、復活を地上の生涯の最後の出来事として後に置くことになります。この順序の変更はかなり早い時期に起きていたと推察されます。かなり初期の信仰告白の一つであると見られるローマ書一章二〜四節でも、人間としてのイエスの家系が先に置かれ、復活の告白はその後に来ます。フィリピ書のキリスト賛歌もこの順序に従っています。後に成立する福音書においても、当然イエスの地上の生涯が先に述べられ、最後に復活の出来事が告知されることになります。


 福音書の復活告知には二つの形式があります。一つは、復活されたイエスの顕現を体験した者たちの証言です。この最初期の復活証言をまとめて列挙したのが、パウロのコリント第一書簡の一五章です。もう一つは、この復活証言を核にして形成された復活物語です。これは四福音書の末尾に、それぞれの状況と特色に応じた形で置かれています。空の墓の物語はほぼ共通していますが、その後に続く顕現物語は様々です。各地で、あるいは様々な潮流の中で伝承されていく過程で、それぞれの状況に即した形で復活物語が形成されたことがうかがわれます。


 福音書の誕生物語は、この復活者イエス・キリストが「人間と同じ者になられ、人間の姿で現れた」という信仰告白を物語としたものです。その物語の形成において、伝承の担い手である最初期共同体の信仰が決定的な影響を及ぼすことは必然です。誕生物語には、誕生物語を生み出して語り伝えたユダヤ人の共同体(おそらくエルサレム共同体)の信仰の特質が刻印されることになります。そのユダヤ人共同体は、イエスの出来事をすべて聖書の実現として理解しましたから、受難も復活も、そして誕生もすべて聖書の言葉で根拠づけられ、その成就として物語られることになります。


 復活は「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という詩編(二・七)の言葉の実現として理解されました。それは、パウロの福音告知の代表的事例として詳しく伝えられているピシディアのアンティオキアでの福音告知(使徒一三・一三〜四三)においても、イエスの復活がこの詩編の約束の成就として引用されていることからもうかがわれます(その中の三三節参照)。この詩編の言葉が、復活賛美の変奏である誕生物語に適用されるのは自然な成り行きです。イエスの誕生は、復活と重なって、この「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という神の言葉の実現として物語られることになります。


 古代世界には、神々が人間の女性と交わって子を産ませるという神話が多くありました。聖書にもその痕跡があります(創世記六・一〜四)。ギリシア神話では、主神ゼウスは人間の女性と交わって多くの英雄を生ませています。ルカは、このようなギリシア神話の世界に生きるギリシア文化圏の人々に向かってこの福音書を書いているのですが、聖書の神ヤハウェがマリアと交わってイエスを生んだというような誤解を招いてはなりません。しかし、イエスが復活によって神の子として立てられたという告知(ローマ一・四)の投影としてイエスの誕生を物語り、それによってギリシア文化圏の異邦人に、イエスが神の子であることを説得するためには、イエスのマリアからの誕生が、何らかの形で神のマリアへの働きかけで起こった出来事であるとしなければなりません。ルカはそれを聖霊の働きとして物語ります。天使はマリアに告げます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(一・三五)。マタイ(一・二〇)も、マリアの受胎を聖霊によるものとしています。このように神の働きかけを受けて神の子を生む女性は、男を知らない処女でなければなりません。処女でなければ、生まれた子が神の働きかけによって生まれた子であるという保証がないからです。


 このように、処女降誕物語の成立を時代の文化的環境から説明したのは、処女懐胎の事実を否定するためではありません。それは処女降誕の信仰を正しく意義づけ、本来の場所に位置づけるためです。そのことは項を改めて、次項の「補論2」で扱うことにします。

 

 

 補論2 「処女降誕」信仰について

 

誕生物語の告知としての処女降誕


 マタイとルカの両誕生物語は、その物語の筋は全く違っていて、とうてい一つにまとめることはできませんが、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という基本的な事実では一致し、また処女であるマリアからお生まれになったという告知で一致しています。この処女が懐胎して出産したという福音書の告知は、現代の科学的世界観に合わないとして、多くの人が福音書を虚構の物語として拒否する理由になっています。あるいは、誕生物語を福音書の中に保持しようとする人たちは、これを神話論で説明し去ろうとします。たしかに、処女が懐胎するということは、わたしたちの日常の体験ではないことです。しかし、日常の体験にないということは、それが絶対に無いことの科学的証明にはなりません。かえって現代の科学の進歩は、今まで日常生活の常識ではありえなかったことの存在を見せてくれています。たしかに、現代の科学は処女懐胎がありうることを証明してはいません。しかし、現代の生命科学の進歩は、それがありうることを予感させます。


 処女懐胎は科学の問題ではなく、信仰の問題です。前項で見たように、誕生物語は復活物語の変奏です。神がイエスを死人の中から復活させたと信じている人々の共同体で、イエスの誕生がその神の働きによる出来事として賛美され、物語られているのです。死人を復活させた神が、どうして処女を懐胎させることはできないとすることができるでしょうか。「神にできないことは何一つない」のです。イエスの復活を否定する人は、当然処女懐胎を否定します。イエスの復活を信じる人は、その復活信仰の一部として、あるいは復活物語の変奏として、誕生物語の処女懐胎を信じます。


 復活信仰が先にあって、その帰結の一つとして処女降誕の信仰が来ます。順序は逆でありません。そのことは、先に前項の「最初期の福音活動における誕生物語の位置」で述べたように、イエスの復活を信じて信仰に入った信仰者も、最初期の前期にはイエスを普通の誕生の人と考えていたのであり、その人たちにも聖霊は豊かに注がれ働いていたという事実が示しています。後期になっても、マタイ福音書とルカ福音書の処女降誕の告知に接していない多くの人たちも同様です。


 マリアは最初期のエルサレム共同体に加わっています(使徒一・一四)。マリアの問題は後で項を改めて扱いますが、エルサレム共同体での生活の中でマリアはイエスの出生にかかわる秘密を漏らし始めたのではないかと推測されます。ヨセフと婚約していたマリアが、ヨセフの家に入って正式に結婚生活に入る前に懐胎していて世間から疑いの目で見られていて、ヨセフがマリアを受け入れることをためらったことがマタイ福音書(一・一八〜二一)に伝えられています。聖霊によって懐妊したなどと言っても誰が信じてくれるでしょうか。周囲のユダヤ人が疑っていたことは、彼らがイエスのことを「彼はマリアの子ではないか」(マルコ六・三)と言っていたことにも示唆されています。ユダヤ教社会では(父親が亡くなっていても)父親の名で「誰それの子」と呼ぶのが普通であり、「マリアの子」という呼び方は父親が分からない私生児とする蔑称だとされています。マリアは世間の疑いと白眼視にじっと耐えて、イエス出生の秘密を胸に秘めて暮らしたと見られます。


 そのマリアが、イエスを復活者キリストと信じる共同体で、イエス出生時に体験した不思議な体験を語り始め、それが素材となって、イエスの復活を信じ賛美する共同体で語り伝えられ、(先に見たように)伝承の担い手たちと、著者のマタイやルカの状況や聖書信仰によって編集・構成され、現在の誕生物語が成立するに至ったものと見られます。成立に至るまでの伝承の過程や時期は、もはや確定することはできません。

 


キリスト教成立過程における誕生物語の位置


 福音運動のかなり後期に至って、マタイ(おそらく一世紀末)とルカ(おそらく二世紀初頭)の誕生物語が成立し、処女降誕の信仰が徐々にキリスト信仰共同体の中に浸透していきます。こうして処女降誕の信仰は二世紀に入って共同体に浸透するのですが、その二世紀初頭から三世紀初頭までの百年は、福音によって召し集められた信仰共同体が制度的な「キリスト教会」となり、キリストの福音がローマ社会に新しい一つの「宗教」(レリギオ)としての「キリスト教」をもたらすことになる世紀となりました。その間の消息については、別著『福音の史的展開U』の「終章 キリストの福音からキリスト教へ」でやや詳しく論じましたので、それを見ていただくことにして、ここでは処女降誕信仰の問題に限定して見ておきます。以下の論述は、用語においても内容においても、そこでの記述を前提しています。


 この「キリストの福音」が「キリスト教」という「宗教」に変容していく過程は、共同体が内部の「グノーシス主義」との激しい論争の過程を経て「正統主義」を確立し、「カトリック教会」となっていく過程でした。「グノーシス主義」というのは、当時のヘレニズム世界に浸透し始めていたグノーシス思想によってキリスト信仰を解釈して表現したキリスト教です。グノーシス思想は、《コスモス》(世界、全存在界)を善と美の源泉とする本流のギリシア思想に反抗して、《コスモス》を悪として、《コスモス》を超えることによる救済を説く思想です。このようなグノーシス思想によって信仰を解釈した人たち(主に知識階級の人たち)は、使徒たちが告知した福音の内容を初歩的なものとし、それを超える深い《グノーシス》(知識、洞察)で魂が救われると説きました。その主張に、使徒たちから伝えられた福音の伝統が危機にさらされていると感じた共同体の指導者たちが、その主張を異端であると攻撃して激しく論争します。そのような使徒的伝承の継承を主張する派が大勢を制し、「正統派」となります。そして、この正統信仰を言い表す正統派教会が「カトリック教会」として、キリスト教をローマ世界に確立することになります。


 このグノーシス主義との論争を経て、(おそらく二世紀末に)正統派の信仰が「信条」としてまとめられます。それが、後の「使徒信条」と呼ばれるキリスト教の基礎信条の前身となる「ローマ信条」です。その御子キリストについての条項に「おとめマリアから生まれ」という文言が入ってきます。これは、正統派が権威ある啓示の書であるとした四福音書の二つ、それも重視されて第一の位置に置かれたマタイ福音書と、グノーシス主義者として最も強く非難されたマルキオンに対抗して書かれたルカ福音書の両方が告知する処女降誕の信仰が、信条として公式に内外に言い表され、カトリック教会の信仰内容になったことを意味します。


 先に見たように、最初期前期の福音告知には、処女降誕の告知は含まれていませんでした。後期においても、その末期にマタイとルカの両福音書が成立し、その福音書に接した一部の人が処女降誕の告知を聞いただけですから、最初期(最初のほぼ百年間)は、ほとんどの信仰者はイエスの誕生の次第については知りませんでした。それでも、この最初期こそすべての信仰者に最も強く聖霊の働きが見られ、福音が最も力強く進展したのでした。


 この事実から、誤解を恐れず端的に言うと、「処女降誕の信仰は福音に属さず、キリスト教に属することである」と言うことができると思います。こう言うと、「では、使徒信条の永遠の命を信ずとか、聖なる公同の教会を信ず、というのも福音に属するものでないと言うのか」という反論が出るかもしれません。それについては、それらの用語の福音(新約聖書)における用法と、信条における方法の違いを含めて、多くの議論が必要になります。それについては、拙著『福音の史的展開』全体がお答えしていると思います。ここでは、処女降誕信仰の位置づけに限定して、本書の立場を述べておきます。


 この「補論(1、2)」で見たように、処女降誕とか受肉の信仰は復活信仰を逆方向に言い表した変奏であり、復活信仰共同体においても初めて成立する信仰です。これを共同体外部の人たちに、これがキリスト教だと押しつけることは、彼らを反発させるだけです。キリストの福音に生きる共同体は、外の世界に向かっては「キリストの福音」を告知することが使命です。イエスが復活によってキリストまた主《キュリオス》として立てられたこと、この主イエス・キリストを信じて受け入れる者は、その贖罪の十字架の死によって罪の支配から解放され、神の霊である聖霊が与えられ、生まれながらの命とは違う別種の命に生きるようになることを告知すればよいのです。この福音を信じる者たちの共同体の内部において、復活物語のバリエイションである誕生物語を聞き、キリストの降誕を神に感謝し、それによって神を賛美すればよいのです。この誕生物語の位置づけを見誤ってはなりません。

 

 現ローマ教皇ベネディクト一六世であるJ・ラツィンガーは、近年上下二巻からなる「ナザレのイエス」を刊行しました。第一巻(二〇〇六年刊行)はヨルダン川におけるイエスの洗礼からペトロの告白とイエスの変容までを扱っています。その序言で、ラツィンガーは「第二巻においてイエスの幼児期の物語を扱うことができればと思っております」と書いていましたが、刊行された第二巻(二〇一一年刊行)はエルサレム入京から復活までを扱っており、誕生物語は触れられていません。そのことについてラツィンガーは序言(英訳版)の最後でこう述べています。「ここで述べたように、イエスの姿、言葉、行動を理解しようとする本書の基本にある意図からすれば、幼児期物語は直接に本書の視野に入らないものであることは明らかです。しかしながら、第一巻の序言でした約束を果たすために、この主題についてのささやかな論稿を用意するつもりでいます。もしそれをする力が与えられるならばですが」と書いています。この『ルカ福音書講解』で、わたしはラツィンガーのこの著作から多くの示唆を受け、参考にさせてもらいました。しかし、誕生物語については、彼の「この主題ついての論稿」がまだ発表されていませんので、参考にすることができませんでした。ラツィンガーはその著作について、教皇としての教導権の行使ではなく、個人の著作であることを強調して、自由に批判するように呼びかけています。しかし、現教皇の著作ですから、現在のローマカトリック教会の見解を代表するものと見ることはできるので、期待して待っていましたが、二〇一二年現在刊行はまだです。

 たしかに、イエスの姿、言葉、行動を理解し、そのイエスを世に提示しようとする意図からすれば、誕生物語は「直接の視野に入らない」のは、その通りであり、マルコ福音書やヨハネ福音書がしているように、洗礼者ヨハネの活動から始めるのは正当です。しかし、本書はルカ福音書を講解しているのですから、その中の初めの二章を省略することはできません。ただ、それは復活に至るイエスの全生涯を読んだ後に味わい読むべき部分として、最後に置いた次第です。

 


新約聖書におけるマリア


 ここでルカの誕生物語の主役であるマリアに関わる問題を取り上げておきます。イエスの母となったマリアは、使徒信条に「おとめマリアから生まれ」と名があげられて以来、その後のキリスト教史に巨大な影響を与えて来ました。


 すでに古代教会において、イエスの神性と人性をめぐる激しい論争の余波がマリアに及び、神であるイエスを生んだのであるから「神の母」と呼ぶべきであるという主張に対して、人でもあるキリストの母であるから「キリストの母」と呼ぶべきだとしたネストリウスが異端として追放されるなど、マリアについても教理論争が起こりました。その後、中世の教会ではマリアが「神の母」として崇められ、教会堂にマリアの画像や像が満ちるようになり、マリアに向かって祈りがささげられるようになります。東方のギリシア正教会ではマリアのイコン(聖画)が崇められ、西方のローマカトリック教会では祭壇に幼児のキリストを抱いたマリア像が安置されます。東方ギリシア正教会では、偶像礼拝になるとしてイコンを破棄すべしという「イコノクラスム」(聖像破壊)の運動が起こり、教会が激震に襲われますが、結局イコン容認派が勝利して現在に至っています。カトリック教会は、今も教会堂に入ると、これはキリスト教ではなくマリア教の教会かと思わせるような様子です。さすがに宗教改革の流れを汲む諸教会には、このような聖画や聖像はありませんが、それでも音楽には「アベ・マリア」などマリアを賛美する気風は残っており、マリア崇拝は現在に至るまでキリスト教の敬虔の一つの形として続いています。


 このキリスト教におけるマリア崇拝の歴史は、宗教史的に見て極めて興味深い現象ですが、ここではそれに立ち入ることはできません。ここでは新約聖書においてマリアがどう描かれているかをみて、マリアに対するキリスト者の姿勢を考える参考にしたいと思います。


 誕生物語におけるマリア、とくにマタイの誕生物語とルカの誕生物語における違ったマリアの姿については、すでにこの講解で述べました。ここではイエスがガリラヤで「神の支配」を告知する公の活動をされた時期のマリアの姿を見ましょう。


 一般にこの時期のマリアとイエスの兄弟たちは、イエスの使命と活動を理解することができず、イエスの福音活動を止めようとしたと理解されています。この通説とも言える理解は、おもにマルコ福音書の三章二一節と三一節の解釈に基づいています。原文二一節の「彼と一緒にいる者たち」という句が、三一節の「イエスの母と兄弟たち」と理由なく結びつけられて、「身内の人たち」と訳されています。この「彼と一緒にいる者たち」という句は、イエスがいつも一緒におらせるために選ばれた弟子たちを指すと理解すべきで、ここは「共にいる者たちはイエスを引き止めようとした」と訳すべきです。むしろ、ヨハネ福音書二章一二節に基づいて、母マリアと兄弟たちは弟子たちと一緒に、イエスのガリラヤ巡回伝道に同行したと見るべきです。ということは、マリアはイエスの活動に無理解で批判的であったのではなく、わが子イエスの特別な使命をある程度予感していたのではないかと考えられます。もっともその理解や期待は、弟子たちのそれと同じく、ユダヤ教のメシア待望の枠内のことでしょうが。

 マリアがある程度イエスの使命を理解して巡回伝道活動に同行したことは、イエスの最後の過越祭でのエルサレム行きに同行している事実(ヨハネ一九・二五〜二七)と、イエスの復活後弟子たちと一緒にエルサレムに移住して、来臨される「人の子」を待ち望む共同体に加わっているという事実(使徒一・一四)からも推察されます。

 

 マリアがイエスの巡回伝道に同行したことについては、拙著『ルカ福音書講解T』366頁の「巡回伝道に同行する母と兄弟」の項、とくに367頁の注記を参照してください。イエスの兄弟がイエスに批判的であったことのもう一つの論拠とされるヨハネ七・五についても、この注記をごらんください。

 

 このように、イエスの使命をある程度理解あるいは予感して、イエスの巡回伝道に同行する母マリアに対して、イエスはどのような態度をとられたのでしょうか。最初に出てくるのがカナの婚宴です。婚宴の途中でぶどう酒がなくなったことを知ったマリアは、そのことをイエスに知らせます。そのマリアにイエスは、「婦人よ、それがあなたとわたしに何の関わりがあるのですか。わたしの時はまだ来ていません」とお答えになった、と伝えられています(ヨハネ二・四)。このお言葉は、イエスが「わたしの時」と呼ばれる、神から委ねられた使命を全うされる時に思いを集中しておられて、地上の人間的な繋がりを超えておられることを示しています。その思いが、「婦人よ」という呼びかけに表れています。それでもマリアは、途方に暮れている世話役に、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言っています。これは、マリアがイエスを、神から与えられた特別の使命にふさわしい特別の力を与えられている者と信じていることを示しています。事実、イエスはこの時水をぶどう酒に変えて、ご自身が神から来た者であることを指し示す「しるし」を行い、その栄光を顕されます。


 共観福音書では、イエスが福音を説いておられるところに来た母マリアと兄弟が群衆に遮られて近づけなかったとき、母と兄弟の来訪を告げた人にイエスが、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(八・二一)とお答えになった、と伝えられています。この記事は三つの共観福音書のすべてにありますが、マルコ(三・三四)では「周りに座っている人々を見回して」、マタイでは「弟子たちの方を指して」、こう言われたとなっています。すなわち、「神の言葉を聞いて行う人」というのは、福音を聞いてそれに身を委ねて生きる人、イエスの弟子たちのことを指しています。この記事も、イエスを信じて生きる者たちの共同体は、地上の肉親の絆を超える別次元のものであることを指し示しています。

 

 この記事には母と兄弟がイエスを「取り押さえに来た」という説明はなく、この記事はむしろ母と兄弟がイエスの福音活動の場に居合わせた、すなわち同行していたことの根拠となります。

 

 もう一つ、マリアに関する記事が福音書にあります。イエスが群衆に福音を語っておられたとき、ある女が「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」と声高らかに言ったのに対して、イエスは「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」とお答えになったという記事です。これはルカ福音書(一一・二七〜二八)だけにあるルカの特殊記事であり、女性に優しいルカらしい記事です。たしかに、イエスの地上の働きの時期にこのような出来事があったのでしょう。しかし、ルカがこの記事を福音書の中に置いたのは、当時共同体の中に行われるようになっていたマリアの特別扱いを戒める意図もあったのではないかと推察されます。すなわち、マリアは最初期のエルサレム共同体に加わっていますが(使徒一・一四)、神の子と信じ崇めるイエスの生母として、マリアを特別扱いすることは避けられなかったと推察されます。とくに「主の兄弟ヤコブ」、すなわちマリアの息子の一人がエルサレム共同体を指導する立場になってからは、マリアも共同体の中枢部にいたと推察されます。このようにイエスとの肉親関係が重視される傾向に対して、パウロ系のルカはそれに対する歯止めの必要を感じたのではないかと思われます。


 福音書でイエスの母マリアが言及されるのは、十字架上のイエスが愛弟子ヨハネに母を委ねられたという記事(ヨハネ一九・二六〜二七)が最後です。ところが、共観福音書では十字架の場面に出てくる女性たちの中に母マリアの姿はありません。だいたい福音書に母のマリアの名が出てくるのは、誕生物語を別にすれば、「あれはマリアの子ではないか」という箇所だけで、他ではすべて「母」という呼び方で言及されています。その母として言及されるのも以上に見たような僅かの事例で、福音は肉親関係とは無関係であることを語るものだけで、母マリアが最初期の福音告知において重要な関心事ではなかったことを示唆しています。

 

 十字架の前にいた女性については、拙著 『対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解U』197頁の「イエスの母と愛弟子」の項を参照してください。その項で述べたように、イエスの生母マリアを委ねられた愛弟子ヨハネは、ユダヤ戦争の災禍を避けてエフェソに移住したと考えられますが、そのさいマリアを伴って行き、マリアは晩年をエフェソで過ごし、エフェソで没したと考えられます。それらの出来事の年代については、同書の299頁「エフェソへの移住」の項、とくに同じ頁の注記を参照してください。

 

 このように新約聖書に基づいてマリアを理解するかぎり、その後のキリスト教史における「マリア崇拝」は異常と言わざるをえません。たしかに、マリアはイエスの生母として敬愛すべき女性です。誕生物語を復活物語の変奏として聞くとき、救い主イエスの生母となるように選ばれたマリアに対して、天使とともに「めでたし、恵まれた女性よ」と挨拶し、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」と聖霊が預言したように、わたしたちは「アベ・マリア」を歌うでしょう。また、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と御言葉にひれ伏したマリアを、信徒の範として仰ぐでしょう。しかし、マリアを教理で「神の母」とし、その像を祭壇に置き、マリアに祈りを捧げること、さらにマリアだけは原罪を免れていたとか、生涯無垢の処女であり、死の床から直接昇天したことなどを教義として強制し、それと違った信仰を言い表す者を異端として追放するようなことは、あってはならないことです。先に述べたように、処女降誕を主要な告知とする誕生物語は、福音に属する項目ではなく、「キリスト教」に属する事柄です。わたしたちキリストの福音に生きる者は、福音によって「キリスト教」を相対化し、「キリスト教」が形成した「マリア崇拝」を克服していかなければならないと思います。

 

福音による「キリスト教」の相対化の問題は、拙著『福音の史的展開U』の「終章・キリストの福音からキリスト教へ」を参照してください。

 

 


【追記】

 本講「第二三章 ルカの誕生物語」をもって「ルカ福音書講解」のすべてを完了します。これまで福音書の講解においては、その福音書全体の講解が終わった後に、その福音書の使信と特色、位置、意義などを要約する項を置いていましたが、ルカ福音書についてはさきに刊行した『福音の史的展開U』の第八章第二節の「諸国民への救いの福音 ― ルカ福音書」においてそれをしていますので、それを参照してくださるようにお願いします。

 


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増 補 部

 

 

第二三章 ル カ の 誕 生 物 語

 

                    ― ルカ福音書 一〜二章 ―

 





はじめに


 新約聖書にはイエスの誕生の次第を語る「誕生物語」が二つあります。一つはマタイ福音書一〜二章の「マタイの誕生物語」です。もう一つはルカ福音書一〜二章にある「ルカの誕生物語」です。「マタイの誕生物語」については、先に拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』で扱いましたので、ここでは マタイのそれと比較しながら「ルカの誕生物語」を講解することになります。


 ところで、ルカ福音書は「誕生物語」で始まっていますが、本書『ルカ福音書講解』では三章の洗礼者ヨハネの出現から講解を開始し、一〜二章の「誕生物語」は最後に回しました。その理由については『ルカ福音書講解T』(54頁)の「誕生物語の扱いについて」の項で述べましたが、そこで、この「誕生物語」が三章以下の本体部分とは違い極めてユダヤ教的色彩の強い別起源の伝承をルカがまとめて、すでにできていた本体部分に付け加えた可能性について触れておきました。ルカがこのような誕生物語を自分の福音書に付け加えた理由と経緯については、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」で詳しく論じておきましたので、それを参照していただくことにして、ここではとにかくまず「ルカの誕生物語」を読んで、その後でこの「誕生物語」がここに置かれている意義とこの誕生物語の性格について見ることにします。


 なお、一章冒頭の段落1「献呈の言葉」(1章1〜4節)は、『ルカ福音書講解T』の「序論」で詳しく扱っていますので、ここでは段落2から始まる「誕生物語」だけを扱うことにします。



 


T ヨハネの誕生とイエス誕生の予告

                 ― ルカ福音書一章 ―

 

誕生物語におけるヨハネとイエス

 「誕生物語」は本来イエスの誕生を語り告げるための物語です。ところがルカの誕生物語には、洗礼者ヨハネの誕生の物語が組み込まれていて、イエスの誕生とヨハネの誕生が交互に語られて、二つの相似形の図柄を織り込んでいる一つの織物のような様相を呈しています。この事実が意味するところが重要です。


 だいたい誕生物語というのは、偉大な人物の偉大な生涯が終わってから、その人物出現の意義を誕生に遡って語ろうとするものです。イエスの場合、イエスの活動は洗礼者ヨハネの運動から始まり、ヨハネとイエスは一組の預言者としてイスラエルの民に新しい時代を告知したのでした。それで、イエスの偉大な生涯が終わった後、イエスを信じた者たちの共同体は、イエス出現の意義をヨハネの出現と一体で物語ることになります。


 ヨハネの誕生記事とイエスの誕生記事との並行関係は明白です。二人の誕生は両方とも天使によって予告されます。ヨハネの場合は天使ガブリエルのザカリアへの男子誕生の予告(一・五〜二三)と母になるエリサベトの賛美(一・二四〜二五)、イエスの場合はマリアへの天使の告知(一・二六〜三八)とマリアの賛歌(一・四六〜五六)とが並行しています。天使の予告は、この両方の出来事が共に神の御計画によるものであることを指し示しています。


 二人の誕生は、両方とも人間的には不可能な状況で、ただ神の働きの結果として奇跡的な出来事として物語られています。ヨハネの場合は老齢の不妊女性エリサベトからの出生、イエスの場合は処女マリアからの出生です。


 二人の誕生は聖霊によって賛美されます。ヨハネが誕生したとき、父親の祭司ザカリアが聖霊によって賛美し預言します(一・六七〜七九)。イエスの誕生のあと、神殿で預言者シメオンとアンナが聖霊によって賛美し預言します(二・二五〜三八)。


 そして、天使の予告、人間的には不可能な状況での出生、これを体験した者の喜びと賛美という両者に共通のパターンは、旧約聖書の前例から採られています。イサクの誕生物語(創世記一七〜一八章)、サムソンの誕生物語(士師記一三章)、(部分的に)サムエルの誕生物語(サムエル記T一章)などにこのパターンが見られます。ルカも伝承の担い手たちも、このような旧約聖書の奇蹟的誕生の物語に親しみ精通していた人たちだったのでしょう。


 しかし、イエスをメシア・キリストと信じる者たちの共同体は、復活されたイエスこそが最終的な救済者であり、ヨハネはその方の道備えをするために遣わされた先駆者であるとしていましたから、二人を共に神から遣わされた者とし二人の誕生を一組で並行して物語る時も、ヨハネをイエスに従属する者と位置づけて物語っており、相似形は崩れています。この二面性、すなわり一面でヨハネとイエスの誕生を共に神による出来事として物語りつつ、他面でヨハネをイエスに従属させ、イエスの先駆者と位置づける二面性が、福音書の誕生物語の図柄を複雑にしています。この二面性は講解で見ることになります。


 なお、マタイの誕生物語に較べると、ルカの誕生物語におけるイエスとヨハネの並行関係は際だっています。マタイでは洗礼者ヨハネの誕生は触れられていません。ルカがこれほどまでにイエスとヨハネの並行関係を強調するのは、イエスの出現を旧約聖書と切り離したマルキオンに対抗して、イエスとヨハネの出現が共に同じ神の働きから出たものであることを示して、イエスをヨハネが代表する旧約聖書の預言の系列に結びつけるためであると考えられます。

 

 ルカの誕生物語がマルキオンに対抗するという意図で構成されていることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」、とくに455頁の「増補改訂版ルカ福音書」の項目の中の「1誕生物語」を参照してください。

 

 

2 洗礼者ヨハネの誕生、予告される(1章5〜25節)

 

 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。(一・五)


 この冒頭の一節で、読者は前一世紀のユダヤ教の世界に引き入れられます。ヘロデは前四年に没するまで三〇年以上王としてユダヤを統治していました。当時パレスチナはローマによって支配されていましたが、ヘロデはローマの後ろ盾を得てユダヤを含むパレスチナ全土を支配していました。「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という伝承は、マタイ(二・一)も用いており、誕生物語に関しては依存関係がないマタイとルカが一致するので、これは歴史的事実に基づいて広く語り伝えられていた共通の伝承であったと見られます。従ってイエスの誕生はヘロデ没年の前四年以後ではなかったことになります。大多数の研究者はイエスの誕生を前七年と前四年の間と見ています。


 ローマは支配する民族の宗教を尊重しましたし、ヘロデもユダヤ人の歓心を得るために壮麗な神殿を建設したので、エルサレムの神殿では毎日犠牲が捧げられ、ユダヤ教の神殿祭儀は盛大に行われていました。祭儀を執り行う人が祭司ですが、当時のユダヤ教祭司制度は大祭司を頂点によく整えられていました。「アロンの子らもくじによって二四の組に分けられた」という歴代誌(上二四章)の記事(その中に第八のくじに当たったアビヤの名があります)に従って、捕囚から帰還した祭司の四部族(エズラ記二・三六〜三九)が二四の組に分けられ、交代で年に二度一週間の神殿奉仕に当たりました。祭司たちは家族と共に地方の村落に住み、当番のときにエルサレム神殿で奉仕し、一週が済むと帰郷しました。ザカリアはアビヤの組に属する祭司で、祭司の名門アロン家の娘の一人で、名をエリサベトという女性を妻にしていました。

 

 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。(一・六〜七)


 ザカリアとエリサベト夫妻は、二人とも「神の前に正しい人」という評判の夫妻でした。ユダヤ教社会で「正しい人、義人」というのは道徳的に完全な人とか正義の人という意味ではなく、ここに解説されているように、「主の掟と定めをすべて守る」ことであり、二人はこの点で「非のうちどころがない」という立派な生活をしていました。ところが、この二人には子供がありませんでした。


 ユダヤ教社会では、子供は神からの祝福とされていましたから、子供がないことは神の祝福がないこと、ときには罪のしるし、神の呪いとされました。昔は不妊の原因が夫妻のどちらにあるのか医学的な解明もなく、ただ女性が「不妊の女」とされて白眼視されました。それで、このような夫妻に子供ができたときは、とくに女性が「神がわたしを顧みて、辱めを取り去ってくださった」と感謝し、喜びに溢れました。このような事例は、サムエルの母ハンナ(サムエル記U一〜二章)のほか旧約聖書に多くあります。エリサベトの喜び(二五節)もこのような事例の典型です。


 エリサベトは若いときから妊娠の経験が無く「不妊の女」とされていたのですが、さらに「二人とも既に年をとって」いて、子供ができる可能性はなくなっていました。とくに年をとって閉経期を迎えた女性が妊娠することは生理的にありえません。ここで二人に子供ができる可能性のないことが特記されるのは、二人の間に生まれることになる子がただ神の御計画と働きによるものであることを強調するためです。高齢のアブラハムとサラの間にイサクが生まれたのも、このような事例の一つです。

 

 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。(一・八〜九)


 ザカリアが属するアビアの組に当番が回ってきて、神殿で祭儀を行う務めをすることになりました。祭司は多くいましたので、誰がどの役目を果たすかはその度ごとにくじを引いて決めました。それが「祭司職のしきたり」でした。この時ザカリアは「聖所に入って香をたく」務めを指定するくじを引き当てました。

 神殿内部は垂れ幕で奥の至聖所とその前の聖所とに区切られています。幕の奥の至聖所には年に一度、大贖罪日に大祭司が入るだけですが、幕の前の聖所には黄金でできた香壇、たえまなく燃える七枝の燭台、安息日ごとに十二個の新しいパンが供えられる供えの机があり、そこには祭司が入って香を焚き供え物を供えるなどの儀式を行いました。

 

 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。(一・一〇〜一二)


 ザカリアが香をたいている間、大勢の民衆が聖所の外で祈っていました。するとその時、「主の天使」が現れて、ザカリアが香をたいている香壇の右に立ちます。ザカリアは香壇の前で香をたいているのですから、天使は彼のすぐ斜め前に現れたことになります。人間は普段の体験とは異なる異次元からの働きかけを受けるとき、本能的に不安とか恐怖を感じるようです。ザカリアも自分の目の前に突如現れた「主の天使」に不安と恐怖を感じます。


 イスラエルの民はアブラハム以来、様々な形で主なる神の働きかけを体験してきました。しかし、捕囚期以後の初期ユダヤ教の時代になると、神の超越性が強調されるようになり、神の働きかけは神が遣わされる使い、すなわち「天使」の働きとして表現されるようになります。そして、神からの働きかけの種類に応じて、天使も様々な種類の働きを担当するようになり、その働きの種類に応じて名前を与えられるようになります。このようなわけで、神が民の中に直接介入して特別な働きをされるときは、天使の活動が活発になります。マタイの誕生物語でも天使の出現によって物語が進行します。復活物語でも天使の出現が見られます。エクレーシア形成の最初期や黙示録的終末にも天使が活動します。

 

 イスラエルにおける天使の概念の形成には捕囚期前からの長い歴史があります。しかし、捕囚後期から捕囚期以後の預言者たち(エゼキエルやゼカリアなど)に重要な発展が見られ、とくにダニエル書に始まり死海文書に至る黙示的諸文書で詳細な天使論が現れてきます。ここでその詳細に立ち入ることはでませんが、新約聖書はその初期ユダヤ教の天使論をそのまま引き継いで天使の活動を語っています。

 

 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ」。(一・一三〜一四)


 天使の出現に「恐怖の念に襲われた」ザカリアに向かって、天使はまず「恐れることはない」と語りかけます。異次元からの働きかけに恐怖を感じる人間に、出現した者はいつもこの語りかけで始めます。 天使はザカリアに彼の願いが聞き入れられたことを伝えます。ザカリアは「不妊の女」とされている妻エリサベトと共に、子が与えられてイスラエルの民の中で受けている辱めが取り除かれることを切に祈り求めてきました。天使は、その長年の願いが聞き入れられて、妻エリサベトが男の子を産むことになる、と伝えます。これは神の働きによる出来事、人の目には奇蹟の出来事です。そして、生まれてくる子に「ヨハネ」という名をつけるように指示されます。天使によって指示された名前《ヨハーナーン》は、「神は恵み深い」という意味の語から来ています。このように神が名を指定されるのは、イサクから始まりイエスに至るまで多くの例がありますが、これはその人物に神が特別な任務を用意しておられることを示しています。

 

ここの「ザカリアの願い」は子が与えられることではなく、「イスラエルが慰められること」(二・二五)、すなわち民の救済の到来であったとする解釈があります。たしかにザカリアはそれを熱烈に願い待ち望む敬虔なユダヤ教徒だったでしょう。しかし、その救いはここで出現が予告される人物によってもたらされるのですから、彼の子を得たいという願いがイスラエルの慰めのために用いられると理解することもできます。物語の流れからすると、ここはやはり子の誕生への願いとすべきでしょう。

   

 その任務は次節以下で語られますが、その前にその子が父親になるザカリアにとって(当然母親になるエリサベトにとっても)喜びと楽しみになる、という人間的な自然な幸せが予告されます。神は善であり、人間に喜びとか幸せをもたらすように働かれます。さらに、親だけでなく多くの人がその誕生を喜ぶようになることが予告されます。世界に大きな価値をもたらした偉大な人物の出現は、今も生誕何年とかといって祝われますが、そのようにこの子もその誕生を世の人々が喜び記念するような人物になるであろう、という予告です。

 

 「彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」。(一・一五〜一七)


 彼の偉大さは「主の御前に偉大」なところにあります。この意味で偉大な人物は、地上の現実の生涯でその偉大さを認められるとは限りません。むしろ逆で、この世では苦しみを受ける場合が多いようです。この誕生物語でその誕生が記念されている二人、すなわちヨハネとイエスはそのような偉大な人物の典型です。二人はこの世では斬首と十字架刑というもっとも悲惨な最期を遂げましたが、「主の御前において」、すなわち神の救済史においてもっとも偉大な任務を成し遂げることになります。


 ここでヨハネが成し遂げる偉大な働きが天使によって予告されます。その予告の内容は、「エリヤ」という名が示唆しているように、ヨハネをメシアの前に道備えをする先駆者と位置づけた最初期共同体の救済史理解を色濃く反映しています。ルカは本論の三章では、洗礼者ヨハネを信じるグループが伝える伝承を用いて、ヨハネの使信の内容をかなり忠実に伝えていました(三・七〜一四)。しかし、イエスをヨハネに結びつけるために二人の誕生を並行して語る誕生物語では、ヨハネ出現の意味はもっぱらイエスとの関係だけで語られることになります。そのさい当然のことながら、イエスに対するヨハネの関係は福音告知の内容に従ったものになります。ここでの天使の予告の言葉は、すでによく知られている洗礼者ヨハネの実際の活動の姿と、ヨハネをイエスの先駆者と位置づける共同体の救済史理解によって構成されることになります。


 最初期共同体は、ヨハネをメシアであるイエスの先駆者と位置づけるに際して、マラキの預言を用いました。マラキはこう預言しています。

 

 「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる」。(マラキ三・一)

 「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日の来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、この地を撃つことがないように」。(マラキ三・二三〜二四)

 

 この預言によって当時のユダヤ教徒の間には、終わりの日の到来に先だって、火の車に乗って天に昇ったエリヤが再来して到来される主の道を備えるという待望が広まっていました。イエスをその再来のエリヤと見る人もいました(九・八)。しかし、復活されたイエスこそ終わりの日に到来される方であることを知ったキリスト信仰共同体は、ヨハネを先駆者エリヤであると告知しました。その福音告知における先駆者としてのヨハネの意義づけがそのまま天使の予告の言葉になっています。


 天使は最初にヨハネが「ぶどう酒や強い酒を飲まず」生涯を送る人であることを予告しています。これはヨハネがナジル人(民数記六章)として神に捧げられた生涯を送ることを予告しています。事実ヨハネは「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」のでした(マルコ一・六)。しかし、ここでは「ぶどう酒や強い酒を飲まず」は「既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて」と対照されています。すなわち、酒に酔うことと神の霊に酔うことが対照されています。酒に酔う者は我を忘れて自分の本能的な欲望に身を委ねます。それに対して神の霊に酔う者は、神に仕えることに我を忘れます。


 ヨハネは荒野で育ち、荒野で神の霊に満たされて、「悔い改めよ」と叫びます。「悔い改めよ」は「立ち帰れ」ということです。ヨハネは多くの民に「立ち帰りのバプテスマ」を施して、「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる」働きをすることになります。これはまさにマラキが預言した「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」という再来のエリヤの働きに他なりません。

 

 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。(一・一八)


 ザカリアの長年の祈りが聞かれて子が与えられるという天使の告知を聞いたとき、それがあまりにも人の思いを超えたことなので、彼は驚いて思わず「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか」と聞き返してしまいます。彼は「わたしは老人ですし、妻も年をとっています」という人間の現実しか見えず、神の言葉をすぐにそのまま信じることができません。彼は天使にそのようなことが起こることの保証を求めます。

 

 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」。(一・一九〜二〇)


 ここでザカリアに現れた天使は「わたしはガブリエル、神の前に立つ者」と名乗っています。天使は神が人に働きかけるとき、神から遣わされる「奉仕する霊」ですが(ヘブライ一・一四)、その多くの天使にも序列があります。捕囚以後のユダヤ教、とくにダニエル書やエノク書や死海文書などの黙示思想的文書では、神の前に立つ高位の天使(大天使長)としてミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルなどの名前があげられています。ミカエルは神に敵対する力と戦う戦士ですが、ガブリエルは神の御計画や言葉を伝えるメッセンジャーです。ガブリエルはダニエルに現れ(ダニエル八・一五〜一六、九・二一)、ダニエルにこれからイスラエルの民に起こることを伝えます(ダニエル書一〇章)。ルカの誕生物語でも、ガブリエルがザカリアとマリアに子の誕生を予告します(一・一九、二・二六)。ルカの誕生物語はダニエル書と関係が深く、ルカはダニエル書をモデルにしている節があります。両方とも捧げ物のときにガブリエルが現れており、ガブリエルを見たとき、ダニエルもザカリアも口が利けなくなっています。「あなたの祈りが聞かれた」という天使の語りかけも似ています。

 

 「天使」については、「旧約・新約 聖書大事典」の「天使」の項、および Anchor Bible Dictionaryの "Angels" の項がよくまとめていますので、それを参照してください。

 

 天使ガブリエルは使者としての役目を「この(子の誕生という)喜ばしい知らせを伝えるために(神から)遣わされたのである」と説明します。ここで「喜ばしい知らせを伝える」と訳されているギリシア語は(ルカがよく使う)「福音する」という一語の動詞です。そして、神の使者ガブリエルが伝える神の言葉を、その言葉だけで信じることをしないで、その言葉が事実となる保証を求めたので、それが神からの言葉であるしるしをガブリエルは与えます。すなわち、ガブリエルはザカリアが「口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる」ようにします。このガブリエルの告知に対するザカリアの態度は、同じガブリエルの言葉に対して、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言ったマリアの態度と対比されて、並行するヨハネとイエスの誕生物語における(イエスの場合はヨハネの場合より優れているという)不均衡を見せています。

 

 ルカが「福音」という名詞は使わないで、「福音する」という動詞だけを使うことについては、拙著『福音の史的展開U』472頁の「ルカ福音書における『福音』」の項を参照してください。

 

 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。(一・二一〜二二)


 聖所の外で待っていた民衆は、ザカリアが出てくるのがいつもより遅いことを不審に思っていましたが、出てきたザカリアは口が利けず、身振りで示すだけでしたので、彼の様子を見て人々は彼が聖所で何か異常な霊的体験をしたのだと悟ります。その異常な体験は「《オプタシア》を見た」と記述されていますが、この《オプタシア》という語は幻とか現れという意味のギリシア語で、新約聖書では(パウロのコリントU一二・一以外では)ルカが三回用いているだけです。もう一回はエマオ物語で女性たちが空の墓で「天使の《オプタシア》を見た」ことを伝えるところです(二四・二三)。ザカリアの場合は、民衆がダニエル書をよく知っていて、ザカリアがダニエルのように「幻」を見たと理解したという解釈もありえますが、ここもエマオ物語での用例と同じく、天使の「現れ」を見たと理解する方が適切でしょう。三回目は使徒二六・一九です。ここでは「天からの幻」という意味で用いられています。

 

 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。(一・二三)


 アビヤの組が神殿で祭司の務めをする一週間が終わり、ザカリアは自分の家に帰ります。彼の家がどこにあったのかは分かりません。後にマリアがエリサベトを訪ねる記事(一・三九〜四〇)で、「山里に向かい、ユダの町に行った」とありますが、この記事の解釈には議論があります。その議論はその箇所の講解に譲り、ここでは、ザカリアの家がどこにあっても誕生物語の信仰的理解には関係はないとして、先に進みます。

 

 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」。(一・二四〜二五)


 祭司に課せられる「女に触れない」期間が終わり、エリサベトは懐妊します。しかし、「五か月の間身を隠して」、すなわち人に会うことなくひっそりと暮らして、懐妊の事実を秘めておきます。五か月経って懐妊した身体を隠すことができなくなったとき、人々に懐妊の経緯を語り、自分になされた神の恵みの業を公に賛美します。先に見たように、イスラエルの女性にとって「不妊の女」は恥とされていましたが、その恥を取り除いてくださった神を賛美します。老齢の夫妻に子を与えるのは神の働きです。エリサベトはこの賛美で、サラやラケルやハンナらのイスラエルの祝福された母の系列に連なります。

 

 

3 イエスの誕生が予告される(1章26〜38節)

 

 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。(一・二六)


 「六か月目」というのは天使ガブリエルによってザカリアに子の誕生が予告されるという出来事があってから「六か月目」ということですから、前節で見たように、エリサベトの懐妊が知られるようになっていた時期になります。そのような時期に、天使ガブリエルが「ナザレというガリラヤの町」に神から遣わされます。ここで「ナザレ」という地名が誕生物語において初めて登場します。これはイエスの両親の住まいであり、イエスがお育ちなった町として、イエスの出身地を示す名となります。イエスは人々から「ナザレのイエス」と呼ばれるようになり、後には世界中の人から「ナザレのイエス」と呼ばれ、ガリラヤの小さい町が世界史で重要な名となります。


 天使ガブリエルが聖書正典に登場するのは、旧約聖書ではダニエル書の二回(前
述)と、新約聖書ではルカ福音書の誕生物語の二回だけです。この事実だけでも、ルカの誕生物語の特異性がうかがわれます。ガブリエルは、前段の講解で触れたように、ミカエルと共に神の前に立つ最高位の天使であり、おもに神の御計画や言葉を伝える役目を担う天使です。

 

 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。(一・二七)


 ガブリエルが遣わされたのは「ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめ」のところでした。この段落、そして誕生物語全体の主役はこの「マリアという名のおとめ」なのですが、その女性の家系ではなく、婚約者のヨセフの家系が上げられているのは、生まれてくる男の子をダビデの家系に連ならせるためです。マリアの家系はダビデの家系ではなく、エリサベトの親戚(一・三六)としてアロンの家の祭司系であると推察されます。イスラエルは、男の子は「誰それの子」と父親の名で呼ばれ、父親の家を継ぐ父系社会でした。生まれてくる子がダビデの家系に連なる者であるためには、父親が「ダビデの家」の者でなければなりません。それで父親になるヨセフの家系があげられることになります。ルカはすでに、この誕生物語よりも先に書かれた三章以下の本体部の冒頭で、ヨセフの系図を掲げてヨセフがダビデの家系に属する男性であることを示しています。

 

 三章(二三〜三八節)にある「イエスの系図」の意義については、拙著『ルカ福音書講解T』90頁の「イエスの系図」の項(とくにその位置については末尾の注記)を参照してください。

 

 イエスをメシアとしてイスラエルの民に告知するためには、イエスがダビデの子孫であることを示さなければなりませんでした。当時のユダヤ教では、来たるべきメシアはダビデの子孫から出ると広く信じられていたからです。福音の基本的な告知内容を要約した定式(ケリュグマ)も、「肉によればダビデの子孫から生まれ」という項を含んでいます(ローマ一・三)。おもにユダヤ人のために書かれたマタイ福音書では、イエスについて「ダビデの子」という称号が多数(一一回)出てきますが、異邦人のために書かれたルカ福音書の本体部では(イエスが「ダビデの子」であることを否定する議論の他には)一箇所だけです。ところが誕生物語では、ダビデの名が五回言及されています。この事実も、誕生物語が本体部とは違う起源のものであることを示唆しています。


 ここで「おとめ」と訳されている《パルテノス》というギリシア語は、結婚適齢期の「若い女性」を広く指す場合と、男性経験の無い「処女」を指す場合があります。それで、「処女降誕」の教義をめぐって、ここやマタイ一・二三の聖書の用例がどちらの意味であるかが激しく争われることになります。しかし、当時のユダヤ教社会で婚約した女性が処女であることは自明のこととして前提されていましたから、この物語を語り伝えた人たちはこの語を処女の意味で用いていたことは確実です。わたしたちもこの語を処女の意味で理解して誕生物語を読むべきでしょう。


 当時のユダヤ教社会では、女性の結婚適齢期は一〇歳代半ばか後半でした。この時のマリアはそのような年齢の若い村娘でした。「マリア」という名は、ヘブライ語では「ミリアム」で、モーセの姉妹ミリアムに由来する名です。ユダヤ人女性の名としてもっとも多く用いられており、ごくありふれた名でした。しかし、イエスの母となることで、このマリアは世界一有名なマリアとなり、キリスト教世界では「マリア」といえばこのマリアを指すことになり、その像が世界中の(プロテスタント教会を除く)キリスト教会の祭壇に祀られることになります。

 

 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。(一・二八)


 天使の挨拶の最初の言葉は(直訳すると)「喜びなさい」です。この語は通り一遍の挨拶の言葉ではありません。「喜ぶ」という語は、新約聖書では霊的・終末的な歓喜を指す言葉です。天使は「大きな喜びを告げる」ために現れています(二・一〇)。ルカの誕生物語全体に喜びが溢れています。イエスの誕生を取り巻く人々はすべて喜びに溢れて神を賛美しています。その「喜べ」が最初に物語の主役であるマリアに告げられます。


 マリアは「恵まれた方」と呼びかけられています。「恵み」《カリス》は神の無条件で一方的な好意の働きです。マリアはこの神の恵みによって選ばれて、救済史における大役を果たすことになります。このことを知っている天使は、マリアに「恵まれた方よ!」と呼びかけます。


 マリアが「恵まれている」ことは、神が共にいてくださるという事実によって保証されます。天使は「主があなたと共におられる」と、この事実を保証します。モーセの場合に見られるように(出エジプト記四・一二)、また復活されたイエスが使徒たちを派遣されるときに見られるように(マタイ二八・二〇)、神は大役を課す者に、いつも一緒にいて助けることを保証されます。

 

 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。(一・二九)


 天使の挨拶の言葉が何を意味するのか、マリアには分かりません。天使の出現という異常な体験の不安と恐れの中で、マリアは天使の挨拶の言葉の不可解さに戸惑い、考え込んでしまいます。

 

 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」。(一・三〇)


 天使の出現に怖じ恐れるマリアに、天使はいつものように、まず「恐れることはない」と言って励まし、「あなたは神から恵みをいただいたのだから」と、その理由を述べます。この文は理由を示す《ガル》で始まっています。神から恵みをいただいた者は、どのような不可解な状況でも恐れる必要はありません。


 神の恵みは、先にも述べたように、神の無条件で一方的な選びが含まれます。その選びの目的がすぐに続いて語られます。それはマリアにとってまったく思いもかけない内容でした。

 

 「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」。(一・三一)


 天使はまず男の子の出産を予告します。すでにこのことがマリアにとって全く思いがけないことです。たしかにマリアはヨセフと婚約しています。ユダヤ教社会では婚約した二人は法的には夫婦と同じ権利と義務を有します。しかし、実際に女性が男性の家に行って一緒に住むまでは、結婚生活はなく、女性は処女のままです。マリアはまだヨセフの家に入っていません。従って「子を産む」という告知は、マリアにとって全くの驚きです。マリアが天使に「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(三四節)というのも無理もありません。


 しかも天使はマリアに「その子をイエスと名付けなさい」と名前を指示します。ユダヤ教社会では子を名付けるのは父親の権利です。マタイ(一・二〇〜二一)では、ヨセフにそう名付けるように指示が与えられます。ルカではダビデの家のヨセフが命名から除外されることによって、イエスがイスラエルの民のメシアである「ダビデの子」という枠から解放されて、万民の救済者であるというルカの福音に沿いやすくなります。


 イエスという名については、マタイ(一・二一)は「この子は自分の民を罪から救うからである」と、その命名の意義を説明しています。「イエス」(ヘブライ語では《イェーシューアー》)は、モーセの後継者ヨシュアに由来する名で、「ヤハウェは救いである」という意味の名です。マタイは、共同体の体験からその救いを罪からの救いと解釈して、それを天使の言葉としています。ルカはそのような解釈をつけず、救済史的な神の御計画の成就を端的に告知する内容にしています。


 神が名を与えられるのは、神がその人物に特別の役割を与えようとしておられることのしるしです。その役割が続いて語られますが(三二〜三三節)、それは素朴で敬虔なユダヤ教徒の村娘マリアにとってまさに驚天動地の驚きです。

 

「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」。(一・三二〜三三)


 マリアに天使がどのような言葉で語ったのか、今では確かめようがありません。一方、この天使の言葉を読みますと、ユダヤ教内キリスト信仰の共同体で行われていた信仰告白を聞いている感じがします。事実ここの天使の言葉は、「ダビデの王座」とか「ヤコブの家」というような、異邦諸国民には無縁のユダヤ教独自の表現で語られており、イスラエルの民の中での出来事として語られています。わたしたちの前にあるテキストは、復活されたイエスをメシア・キリストと信じるユダヤ教内キリスト信仰の共同体が語り伝えたキリスト信仰伝承の要約と見ざるをえません。


 まず最初に、マリアから生まれる子は「いと高き方の子」と呼ばれるようになることが予告されます。実際にイエスがこのように呼ばれるようになるのは復活以後の共同体においてであり、地上の生涯においてはイエスは「ヨセフの子」と呼ばれていました。ときには「マリアの子」と呼ばれましたが(マルコ六・三)、これは父親が分からない子に対する侮蔑の呼び方です。しかし、復活後ではイエスは「神の子」とか「いと高き方の子」と呼ばれるようになります。「神の子」はユダヤ教の内でも外でも広く用いられますが、「いと高き方の子」の方は、神を「いと高き方」と呼んだユダヤ教徒の中での伝承であることを示唆しています。

 

 ユダヤ教内キリスト信仰共同体では、復活されたイエスは最初「僕」と呼ばれていましたが、後に「神の子」という称号になっていきます。その経緯については、拙著『福音の史的展開T』398頁の「『神の僕』イエス」の項を参照してください。

 

 「神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」という予告は、明らかに預言者ナタンの預言(サムエルU七・一二〜一六)の成就を指しています。ナタンの「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」(サムエルU七・一二)という預言は、その後のユダヤ教徒のメシア待望の中心に位置する土台石となりました。この預言によって後のユダヤ教徒の中に(おもに主流のファリサイ派において)、ダビデの子孫からダビデ王国の栄光を回復するメシアが出るという、「ダビデの子」待望が出てきます。ユダヤ人の中で福音書を書いているマタイは、イエスの誕生と生涯を「ダビデの子」の出現として描くことになります。異邦人のために福音書を書いているルカは、本体部では「ダビデの子」を用いていませんが、誕生物語ではパレスチナ・ユダヤ人のユダヤ教内キリスト信仰の伝承をそのまま用いて、「ダビデの子」信仰を伝えることになります。

 

 「ダビデの子」としてのメシア待望については、拙著『マルコ福音書講解U』90頁の「ユダヤ教のメシア待望」の項を参照してください。

 

 マリアから生まれてくる子に「ダビデの王座」を与えるのは「神である主」です。ナタンの預言では「ヤハウェはこう言われる」という形で語られており、ダビデの王座を与えるのはヤハウェです。そのヤハウェを七十人訳ギリシア語聖書は《キュリオス》(主)と訳しているので、ヤハウェを唯一の神とするユダヤ教に独特の「神である主」という表現が出てくることになります。


 さらに「ヤコブの家」という表現も、ユダヤ人がイスラエルの民を指すのに用いる独特の表現です。イスラエルの民は父祖ヤコブの十二人の息子を名祖とする十二の部族の連合体として形成されたので、イスラエルを指すのにこのような表現が用いられました。「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」というのは、ナタン預言の最後にある「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(サムエルU七・一六)という預言を指しています。天使は、その預言がマリアから生まれる子によって実現すると告知します。

 

 「その支配は終わることがない」という表現は、ダニエル書(七・一三〜一四)の「人の子」の幻で語られている、「彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」という預言を思い起こさせます。たしかにパレスチナ・ユダヤ人のユダヤ教内キリスト信仰共同体ではダニエル書を初めとする黙示思想文書による「人の子」信仰が告白されていたので、この表現が重なっていた可能性はあります。しかし、ナタン預言に基づく「ダビデの子」待望と、黙示文書による「人の子」信仰は別の性格の終末待望の流れを形成していたと見られるので、無理に重ねる必要はないと考えられます。

 


 このように、この箇所のテキストは、ユダヤ教内キリスト信仰共同体のナタン預言に基づく「ダビデの子」信仰告白が、マリアに男の子の誕生を告知する天使の口に置かれたものとせざるをえません。そのことは、次節のマリアの対応からも示唆されます。

 

 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」。(一・三四)


 天使の告知に対するマリアの驚きと不審の思いは、「あなたは身ごもって男の子を産む」という告知だけに対しており、その子がどのように偉大な人物になるかを告げる部分(三二〜三三節)は全く視野に入っていません。マリアはまだヨセフの家に入っていません。すなわり夫婦としての実際の交接はしていません。マリアの「どうして、そのようなことがありえましょうか」は、すぐに続く「わたしは男の人を知りませんのに」という理由を語る言葉が明示するように、ただ子の誕生の告知だけに向けられています。物語の流れは、三一節から三四節、三五節へと続きます。

 

 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。(一・三五)


 マリアの不審に対して天使は、マリアの懐胎が聖霊の働きによるものであると答えます。「聖霊が降る」は最初期共同体が聖霊の働きを語るときの常套表現で、ここはむしろ「いと高き方の力があなたを包む」の方が事態に即した表現でしょう。

 古代神話では神々が人間の女と交わって子を産ませるという物語があります(創世記六章にもその片鱗が残っています)。ギリシア神話にも最高神ゼウスが人間の女と交わり、後に偉大な事を成し遂げる英雄を生ませるという物語が多くあります。このような古代神話の影響を見る議論もありますが、そのような影響は考える必要はないでしょう。この誕生物語を語り伝えた人たちは敬虔なユダヤ教徒であり、彼らのイメージはすべて聖書(旧約聖書)から来ています。


 「包む」と訳されているギリシア語動詞《エピスキアゾー》は《スキア》(影)から来た動詞で、原意は「影を落とす」とか「影で覆う」です。新約聖書でこの動詞が用いられるのは、ここと変容の山の記事(マルコ九・七と並行箇所)と、ペトロの影でいやされた記事(使徒五・一五)の三箇所だけです。変容の山の記事(九・三四)では、「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた」と語られています。雲は出エジプト記(一三・二一、四〇・三四ほか)において、柱となって民を導き、臨在の幕屋を覆うなど、神の臨在の象徴として現れています。ここでも聖霊の働きによってマリアが懐胎することが、この雲の影のイメージを用いて、「いと高き方の力があなたを覆う」という表現で告知されることになります。雲は神の現臨を示すと同時に、神の働きを神秘の中に覆い隠すという二面を象徴することになります。


 聖霊の働きによって処女マリアが懐胎しイエスを産んだという「処女降誕」の告知は、誕生物語において重要な位置を占め、また議論の多い告知ですが、この問題は後の「補論2」でまとめて扱うことにして、ここでは物語を先に進めていきます。

 

 「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」。(一・三六〜三七)


 天使ガブリエルの言葉を信じなかったザカリアには口が利けなくなるというしるしが与えられましたが、マリアにはエリサベトの懐妊の事実がしるしとして与えられます。天使の対応の違いは、ザカリアが熟練の祭司であるの対して、マリアはまだ少女のような村娘であったからでしょうか。天使ガブリエルは、エリサベト懐妊の事実を指し示して、「神にできないことは何一つない」ことのしるしとします。


 天使はマリアに「あなたの親類のエリサベト」と語りかけています。最初期の共同体には二人の親族関係を伝える伝承があったと推察されます。エリサベトがマリアの親類であるならば、エリサベトは「アロンの家の娘」ですから(一・五)、マリアも「アロンの家」とつながりのある家系、すなわり祭司系の家系の出身ということになります。マリアの出自については、これ以上のことは分かりません。

 

 マリアの出自については、二世紀後半に成立したとみられる「ヤコブ原福音書」が、マリアの誕生、成長、神殿での養育、ヨセフとの縁組み、イエスの出産を詳しく物語っています。そこではマリアはダビデの家系の娘とされています。しかし、この外典福音書は、始まりつつあったマリア崇拝を表現する文学作品であり、歴史的事実の論拠とすることはできません。「ヤコブ原福音書」については、『聖書外典偽典』(教文館)6巻83頁以下の「ヤコブ原福音書概説」と、それに続く翻訳を参照してください。

 

 「神にできないことは何一つない」という言葉は、後にイエス御自身が宣言されることになりますが(マルコ一〇・二七)、この信仰はイスラエルの民がその二千年の歴史を通して形成した信仰であって、それが今天使の口を通じてマリアに告げられることになります。男を知らない処女が懐胎するというようなことはありえない、それは不可能であると常識はこれを拒否しますが、聖書は「神にできないことは何一つない」という信仰でその不可能を乗り越えます。

 

 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」。そこで、天使は去って行った。(一・三八)


 マリアは「神にできないことは何一つない」という天使の宣言にうながされて、「あなたは男の子を産む」という告知を謙虚に受け入れ、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言って、ひれ伏します。


 マリアは天使ガブリエルに、「ご覧ください、わたしは主の女奴隷です。あなたの言葉通りに、わたしにことが起こりますように」(直訳)と言っています。「主」は女性が目上の男性に呼びかける言葉でもありますから、「あなたの言葉通りに」という言い方から、対話の相手の天使を指すという解釈もできます。あるいは敬虔なユダヤ教徒として神を指していると解釈することも可能です。この場合「あなたの言葉」は、マリアが天使の言葉を神の言葉として受け取っているのですから、両者は重なっていて、無理に一方に決める必要はないでしょう。


 ここのマリアの言葉は信仰の本質を見事に言い表しています。信仰とは、自分を奴隷の立場に置いて、自分の理解、判断、能力、願望などとはいっさい関係なく、それが主人である神の言葉であるという理由だけで、その言葉に従って行動し生活することです。奴隷は自分の判断で主人の言葉に従ったり従わなかったりする立場ではありません。


 この信仰の消息は、後にイエス御自身が明確に語り出されることになります。弟子たちが「わたしどもの信仰を増し加えてください」とお願いしたとき、信仰を何か自分の内にある能力のように考えている弟子たちの思い違いを正すために、イエスは「主人と奴隷のたとえ」を語り出されます(一七・五〜一〇)。このたとえは、絶対無条件の恩恵が支配する場で、人間が自分をゼロにして神の言葉に従うことが信仰であることを、当時の主人と奴隷の関係を比喩として語っています。マリアは見事に身をもってこの信仰を言い表しており、代々の信仰者の原型となっています。

 

 この「主人と奴隷のたとえ」は「謙遜のすすめ」というようなものではなく、信仰の本質を語るものであることについては、拙著『ルカ福音書講解U』312頁の「信仰を増し加えてください」の項を参照してください。マリアへの告知においても、このたとえにおいても、新共同訳は「はしため」とか「しもべ」と訳していますが、原文は当時の奴隷制社会で男女の奴隷を指す語が用いられています。

 

 ガブリエルが神の使いとして伝えた神の言葉をマリアが受け入れたことで、ガブリエルの使命ははたされました。そこで、天使ガブリエルはマリアのところから去って行きます。

 

 

4 マリア、エリサベトを訪ねる (1章39〜45節)

 

 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。(一・三九〜四〇)


 「そのころ」というのは、マリアが天使の告知を受けてから何ほどかの日時が経ったころを指しているのでしょう。しかし、ルカはこの表現を物語のつなぎに用いるだけですから、出来事の日時を問題にすることはありません。マリアは天使のお告げで親戚のエリサベトが懐妊してもう六か月にもなっていることを知って、急にエリサベトに会いたくなり、彼女のところに急ぎます。「急いで」の一句に、この時のマリアの上から迫られている熱い気持ちが表されています。この句は「熱心に」とか「決意をもって」と訳すこともできます。


 マリアが向かった行き先は「ユダの町」とされています。「ユダ」が地名として出てくるのは、こことマタイ二・六だけで議論は残りますが、南の「ユダヤ」地方を指すとしてよいでしょう。これをヘブロンの南九キロにある古い祭司の町「ユタ」(ヨシア記一五・五五)とする説もあります。「山里」は山が連なる地域を指し、パレスチナのいたるところにありますが、ここは「ユダヤの山地」を指すと見てよいでしょう。エルサレムに住む祭司は少数で、大多数の祭司は周辺の「ユダヤの山地」に点在する町とか村に住み、神殿での務めの期間だけエルサレムに上り、務めが終わると「自分の家に」帰りました。アビヤの組の祭司ザカリアもそのような祭司の一人でした。


 そうすると、マリアはガリラヤのナザレに住んでいるのですから、マリアはガリラヤから「ユダの町」まで女一人で数日の山地の旅をしたことになります。ところがマタイの誕生物語には、ヨセフとマリアがイエスの誕生前はガリラヤのナザレの住人であったことを示唆する記述はなく、むしろ誕生後ヘロデの幼児虐殺を逃れてユダヤからエジプトに避難し、ヘロデの没後帰国して、ナザレに移住したとしています。マタイの記事は、ヨセフの家はベツレヘムにあったという前提で語られています。マタイ福音書(二・七〜一二)には、「ヘロデは占星術の学者たちを・・・・・ベツレヘムへ送り出した。・・・・・彼らが家に入って見ると、幼子は母マリアと共におられた」とあります。もしイエスの誕生前にヨセフとマリアの家がベツレヘムにあったとすると、マリアがそう遠くない「ユダの町」に親戚のエリサベトを訪ねたのも、無理のない日常的な場面として理解できます。


 イエスは「ナザレのイエス」と呼ばれていて、ナザレで生まれ育った人物として広く知られていました。この歴史的事実と、「イエスはヘロデ王の時代にベツレヘムでお生まれになった」というイエス誕生の基本的な伝承を両立させるために、ルカはナザレの住人のマリアが旅先のベツレヘムで出産したという劇的な物語を構成したと考えられます。そのさい、マリアのエリサベト訪問の伝承は、この物語をヨハネとイエスの並行関係で構成しようとするルカにとって捨てがたく、マリアにやや無理な旅をさせることになったのでしょう。そして、せっかく遠路はるばる旅をしてきたのですから、マリアはエリサベトの家に三か月も滞在することになります(一・五六)。マリアは婚約中であって、まだヨセフの家には入っていませんので、このような長期の滞在も可能です。  

 

 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」。(一・四一〜四二)


 「おどった」と訳されている語は、「跳び上がる」という意味の語です。胎児は六か月以上になっているのですから、エリサベトはその胎動を感じることができます。その時、エリサベトは「聖霊に満たされて」声高らかにマリアと胎内の子を祝福します。ルカは「聖霊」の働きに触れることが多い福音書記者です。その傾向はとくに誕生物語で目立ちます。ルカはその福音書で「聖霊」という語を一三回用いていますが(これは他の福音書と較べると圧倒的に多い回数です)、その中の六回は誕生物語に出てきます。この事実はこの誕生物語が、日頃聖霊の働きを強く体験していて、恵みの事態をすべて聖霊の働きに帰して神を賛美していたルカの時代のパウロ系共同体での成立であることを示唆しています。実際にマリアが出産したときのユダヤ教社会では、このように「聖霊」が言及されることはなかったはずです。


 エリサベトは聖霊に満たされて「あなたは女の中で祝福された方です」と叫んだのですから、これは聖霊の叫びになります。この聖霊によるマリアへの祝福は、すぐ後に続く「マリアの賛歌」(とくにその前半)にその応答を見出します。「あなたの胎の実」(直訳)への祝福も、「マリアの賛歌」(とくにその後半)にその応答を見出します。「エリサベトの祝福」と「マリアの賛歌」は一対となって、神の恵みを受けた二人の女性の対面場面(一・三九〜五六)を構成します。

 

 「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました」。(一・四三〜四四)


 エリサベトはマリアを「わたしの主のお母さま」と呼んでいます。この呼び方は、やがてマリアから生まれる子が自分の《キュリオス》(主)となることを知っている者の呼び方です。この呼び方には、復活されたイエスを《キュリオス》と呼んだ最初期共同体の信仰が反映しています。ここでエリサベトは、イエスを《ホ・キュリオス》と言い表すキリスト信仰を予感する魂として描かれています。


 胎児は母親の感情の影響を受けると言います。マリアに会ったときのエリサベトの聖霊による感情の高揚が胎児を刺激して、胎児が母胎の中で跳び上がります。それを感じたエリサベトは、自分の聖霊による喜びの中で、「胎内の子は喜んでおどりました」と表現します。

 

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。(一・四五)


 天使ガブリエルが伝えた主の言葉を、「わたしは主の奴隷です。お言葉どおりこの身になりますように」と言って、ひれ伏して受け入れたマリアを、エリサベトは「なんと幸いでしょう」と祝福します。この信仰がマリアを「女の中で祝福された者」とします。エリサベトは今も、夫の祭司ザカリアが天使の言葉を信じなかったためにものが言えなくなっている現実に直面しています。それだけにマリアが信仰によって祝福されていることを強く意識するのでしょう。このエリサベトの祝福にも、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じる」信仰に生きた最初期共同体の信仰が鳴り響いています。

 

 

5 マリアの賛歌(1章46〜56節)

 

 そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」。(一・四六〜四七)


 自分へのエリサベトの祝福を聞いたマリアは、そこに聖霊の強い働きを感じ、それに応えて魂の奥底から自分にこの大きな恵みの業をなしてくださった神を賛美します。ところで、エリサベトの祝福の場合もザカリアの預言の場合も「聖霊に満たされて」語り出したとされていますが(一・四一、一・六七)、マリアの賛歌にはその句はありません。「聖霊が降り、いと高き方の力が覆う」マリアには(一・三五)、とくにその句を用いる必要がなかったのでしょう。マリアの賛歌も当然「聖霊に満たされて」マリアの口からほとばしり出た言葉です。


 ここに伝えられている「マリアの賛歌」(一・四六〜五五)は、聖書に親しんでいる読者には、すぐにそれがサムエルの母となったハンナの賛歌(サムエルU二・一〜一〇)から採られていることがわかります。しかし、骨格はハンナの賛歌のものですが、他の聖書の言葉を用いて福音書記者が手を入れていることも明らかです。全体としてこの賛歌が聖書の世界に呼吸している魂の賛歌であることは明らかです。


 マリアは「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌い出します。この表現は、「魂」と「霊」、「主をあがめる」と「神を喜ぶ」というほぼ同じ意味の語を用い、同じ意味の文章を繰り返す並行法と呼ばれるヘブライ詩編の技法を用いています。同じ意味の文が繰り返されることによって、感情の高揚が表現されます。ただ、この並行表現は、神に「わたしの救い主」(ギリシア語原文)という同格の説明語がついていることで、厳密な並行は破れています。


 「救い主」《ソーテール》という呼称は、二千年の歴史でキリスト教の中心的な用語となった重要な称号ですが、新約聖書では意外に用例が少ない称号です。七〇年以前の使徒時代には用いられず(唯一の例外はフィリピ書三・二〇)、七〇年以後のパウロ名書簡でも一例(エフェソ書五・二三)あるだけです。ところが、二世紀になって成立したと見られるもっとも後期の文書である牧会書簡と第二ペトロ書簡に、計一五回出てくるようになります。そして、二世紀初頭に成立したと見られるルカの使徒言行録と誕生物語にも計四回用いられています。このような事実から、ここの並行法を破っている「わたしの救い主」は、伝承されたヘブライ的並行詩句にルカが挿入したものと推察されます。もともとキリストについて用いられた「救い主」という称号が(まだキリストは現れていませんから)神について用いられることにより、マリアの賛歌は神を自分の救い主であり、イスラエルの救い主として誉め讃える賛歌となります。

 

 使徒言行録と誕生物語の成立が二世紀初頭であることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」を参照してください。

 

 「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」。(一・四八)


 「マリアの賛歌」(一・四七〜五五)の本体部はここから始まりますが、それは、いやしい自分にこのような大きな恵みを与えてくださった神への賛美を歌う前半(四八〜五〇節)と、アブラハムの子孫であるイスラエルの民を顧みて、その約束を成就される主への賛美を歌う後半(五一〜五五節)の二部から成ります。


 マリアはまず、「彼の女奴隷の低さに目をとめてくださった」(直訳)主を賛美します。ここの「低さ」は、五二節で同じ語が「権力ある者たち」と対比されているので、「身分の低さ」を意味するのは事実です。しかし、「わたしは主の奴隷です」と言い表して、主の前にひれ伏したマリアの心の低さ、すなわち霊的謙虚さも指していることを見逃してはなりません。この霊的謙虚さ(へりくだり)に目をとめて、主はマリアの身に救い主キリストの母となるという大きな業をなされました。これを見て、後の代々の人はマリアを、「幸いな者」と言って祝福することになります。そのことをマリア自身が「聖霊に満たされて」預言します。この預言は後世、キリスト教会の歴史で「マリア崇拝」という形を取ることになりますが、この「マリア崇拝」の問題は項を改めて取り上げることにして、ここでは物語を先に進めます。

 

 「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます」。(一・四九〜五〇)


 四九節の前半「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」は、理由を示す接続詞で前節に結ばれていて、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言う」ようになる理由を述べています。「力ある方」すなわち神が、マリアに救い主キリストの母となるという大きな業をなされたからです。そして、その大きな業をされた「力ある方」が賛美されて(四九節後半〜五〇節)、前半部が締めくくられます。その賛美は、聖書の賛美の詩編の表現を用いてなされています。すなわち、ここのマリアは敬虔なユダヤ教徒であり、ユダヤ教の敬虔と賛美の伝統の中に生きている魂であることを示しています。

 

 「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」。(一・五一〜五三)


 身分低く、心へりくだるマリアに大いなる業をなされた主に対する賛美は、イスラエルの歴史の中でなされた主の恵みの働きに対する賛美(五一〜五三節)に引き継がれ、後半部のイスラエルの民への主の恵みの働きへの賛美(五四〜五五節)の前置きとなります。


 ここの神賛美も聖書の詩編の表現で満ちていますが、ここでは明らかに一つの主題が貫いています。それは、イスラエルの神は高ぶる者を低くし、へりくだる者を高くされるという預言者の精神と告知です(イザヤ二・一一、五・一五、五七・一五など)。イエスご自身も「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言っておられます(マタイ二三・一二)。マリアの身に起こったことも、この神の働きでした。この神がその恵みの働きによってイスラエルの民になされることが、続いて賛美されます。

 

 「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」。(一・五四〜五五)


 この高ぶる者を退け低い者を高くしてくださる神は、御自身の僕として選ばれたイスラエルの民を、その民がどのように悲惨な状況と姿の中にあってもけっして見捨てることなく、憐れみ(=恩恵)により無条件に受け入れて、イスラエルの民をご自分に属する民として高く上げてくださる、とマリアは歌います。その根拠は、神はそうすると先祖に約束されたからです。神はアブラハムを初めとする先祖たちに約束されたことを、その子孫であるイスラエルに対してとこしえに、すなわち、どのような状況においても守られます。この、神は御自身が語られた言葉を必ず行われるという信頼が、イスラエルの最後の拠り所です。


 「その僕イスラエル」とある原語は、「彼の《パイス》であるイスラエル」です。この《パイス》というギリシア語は、僕と子という両方の意味で用いられます。それでここは「その子イスラエル」と訳すことも可能です。しかし、イザヤ書の「主の僕」が七十人訳ギリシア語聖書で「主の《パイス》」と訳されたこともあって、イスラエルでは自分たちを神の僕とする自覚が強く、ユダヤ教の枠内で形成されたこの賛歌では、「僕」と訳すのが順当でしょう。

 

新約聖書における《パイス》の用例については、拙著『福音の史的展開T』398頁の「神の僕イエス」の項と、406頁の「アンティオキアにおけるキリスト告知の変化」を参照してください。

 

 「わたしたちの先祖におっしゃったとおり」とありますが、ここの「先祖」は複数形です。すなわち、ここの「先祖」はアブラハムから始まる父祖たちの全体、とくにモーセをはじめ神の言葉を受けた預言者たちの系列全体を指しています。神は彼らに語られた御自身の言葉を空しくされることはありません。その契約・約束の言葉通り、イスラエルを選ばれた神は、イスラエルを見捨てることなく、「とこしえに」イスラエルをご自分の民として憐れみをもって扱われる、とマリアは神を賛美します。


 ルカがこのような賛美をイエスの母となるマリアに帰しているのは、聖書(旧約聖書)を拒否して、イエスの福音をイスラエルの歴史から切り離そうとしたマルキオンに対抗する意図からでしょう。ルカは誕生物語の全体で繰り返し、イエスの出現は聖書の約束と預言の成就であるという主題を響かせています。ここもその一つです。

 

 ルカの誕生物語がマルキオンに対抗するためという意図(それだけではないにしても)があることについては、拙著『福音の史的展開U』の第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」、とくに455頁「増補改訂版ルカ福音書」の中の小項目「1誕生物語」を参照してください。

 

 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。(一・五六)


 ルカの物語では、マリアはガリラヤのナザレから数日かけてはるばる旅をして、ユダの山里にあるエリサベト家を訪ねたのですから、一泊や二泊で去るわけにはいきません。三か月もの長い期間、エリサベトと共に過ごし、二人の身に起こった出来事と、それがこれからのイスラエルにもたらす事態について思いめぐらし、語り合い、祈ったことでしょう。


 天使ガブリエルがマリアに受胎を告知したのはエリサベトの懐妊六か月の頃ですから、すぐにマリアが旅立ってエリサベトを訪ねたとすると、三か月滞在して去る頃には、エリサベトは妊娠九か月になり出産も近づいています。すぐ後にエリサベトの出産の記事が続くことになります。


 なお、この節は三九〜四〇節と呼応して、エリサベトとマリアの出会いの出来事を囲い込んでいます。従って、三九〜五六節は一つの場面を構成していることになり、(多くの注解書がしているように)一つの段落として扱う方が適切です。途中で切ると「エリサベトの祝福」と「マリアの賛歌」の対応関係が見失われやすくなります。ルカの誕生物語はヨハネとイエスの並行関係を構成原理としているので、二人の母親の対面場面は重要です。新共同訳は段落を分けているので、両者の対応関係を見落とさないようにしなければなりません。

 

 

6 洗礼者ヨハネの誕生(1章57〜66節)

 

 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。(一・五七〜五八)


 天使ガブリエルが予告したとおり、エリサベトは月満ちて男の子を産みます。この出産は、不妊の女と呼ばれて苦しい思いをしてきたエリサベトに対する主の大いなる恵みとして、エリサベトを知る近所の人々や親類は喜び合います。ルカの誕生物語には、ユダヤ教社会の庶民の素直な喜びが満ちています。これは、外国の博士たちの表敬訪問や権力者による虐殺事件など、権力を象徴する黄金と流血で彩られたマタイの誕生物語と対照的です。

 

 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。 (一・五九〜六〇)


 ユダヤ教社会では、男の子が生まれると八日目に割礼を施します(創世記一七・一二、レビ一二・二〜三)。イエスの時代には、そのときに名をつける習慣が確立していたようです(この習慣は洗礼時に名付けるキリスト教会に受け継がれています)。子に名を与えるのは父親の権利です。しかし、場合によっては割礼を施すラビのような立場の人がつける場合もありました。ザカリアはものが言えないのですから、「その子に割礼を施すために来た人々」が代わって名をつけようとしたのでしょう。


 人々は父の名を取ってザカリアと名付けようとします。ところが、母親のエリサベトが、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言い出します。これは、ユダヤ教社会では異例のことです。おそらく、エリサベトは筆談のような手段で、ザカリアから聖所で天使と出会った体験を聞いていたのでしょう。この出来事が神から出ていることを知っているエリサベトは、生まれる子の名は、天使の指示に従って「ヨハネ」とすると、堅く心を決めていたと見られます。

 

 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。(一・六一〜六二)


 このエリサベトの決然とした申し出に、周囲の人たちは驚きます。男子の命名に母親が口を出す異例さにも驚いたのでしょうが、エリサベトが申し出た名がユダヤ教社会の慣例に沿わない名、自分たちの常識をはずれる名であったからです。人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言って反対します。そして、本来の名付けの権利者である父親にその意向を確かめます。ザカリアは口がきけないだけでなく、耳も聞こえなくされていたので、手振りで「この子に何と名を付けたいか」と尋ねます。

 

 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。(一・六三〜六四)


 ものが言えないザカリアは、字を書く板を持ってこさせて、それに「この子の名はヨハネ」と書きます。その行為によって、彼が天使の言葉に従ったことが示され、彼が信じなかった言葉が主の言葉であることのしるしとして課せられていた聾唖が解かれます。ザカリアは口が開き、舌がほどけ、ものが言えるようになります。今やこの出来事がすべて神の働きであることを悟ったザカリアは、そのほどけた舌をもって、まず神を賛美します。

 

 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。(一・六五〜六六)


 ザカリアが人間社会の慣習に反して、天使の指示に従って「ヨハネ」と命名したとき聾唖が解けた出来事を見て、割礼式に来ていた近所の人たちは、この子の誕生に関わる出来事がすべて神から出ていることを感じ、畏怖の念を持ちます。そして、彼らの口伝えで、ヨハネの誕生に関わるすべてのことが「ユダヤの山里」一帯で大きな話題となります。「ユダヤの山里」というのは、交替でエルサレム神殿に奉仕する祭司階級の人たちが住むエルサレム周辺のユダヤ地方の山に囲まれた地域を指します。ザカリアはアビヤ組の祭司でしたから、この噂がこのザカリアが住む地域一帯に広まった、ということです。この出来事を聞いた人々はみな、この出来事を心にとどめ、神の力が及んでいるこの子の将来はどのようなものになるのだろうか、と期待することになります。事実、この子は成人したとき、偉大な主の預言者として、ユダヤの荒れ野に神の言葉を響かせることになります。

 

 

7 ザカリアの預言(1章67〜80節)

 

 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。(一・六七)


 おそらくこの預言は、ヨハネの割礼にさいしてザカリアが子に名前をつけたとき、「たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」(六四節)のですが、その賛美がこの預言となったものとしてよいでしょう。「聖霊に満たされて」あふれ出た主への賛美は、自ずから預言となって、イスラエルの民に語りかける主からの言葉となります。ここのザカリアの言葉は、主への賛美であり、同時に主からの言葉を預かって語り出す預言です。

 

 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」。(一・六八〜六九)


 ザカリアはヤハウェを礼拝するユダヤ教の祭司です。彼の神への賛美は当然「イスラエルの神であるヤハウェ」に向かいます。ここで預言される出来事はすべてユダヤ教の中での出来事です。アブラハムを選び、その子孫イスラエルの民の神となられた方は、モーセによってご自分の民をエジプトから救い出されたとき、「ヤハウェ」と名乗られ、その名を御自身の「永遠の名」とされました(出エジプト記三・一三〜一五)。ところが、ヤハウェの名を表すヘブライ語の四文字があまりにも神聖で口にするのも畏れおおいとして、主人を意味する語が代わりに用いられ、ギリシア語の世界では《キュリオス》(主)が用いられるようになります。このザカリアの預言における「イスラエルの神である《キュリオス》」は、「ヤハウェ」という名でイスラエルと関わり働かれたイスラエルの民の神を指すと理解して聞くとき、はじめてその真意を現すでしょう。そのために、この段落の「主」はすべて「ヤハウェ」と読み替える方がよいでしょう。


 ザカリアのヤハウェに対する賛美でもある預言は、「マリアの賛歌」と同じく、前半(六八〜七五節)はイスラエルの民に対するヤハウェの恵みと真実に満ちた救いの働きを預言し、後半(七六〜七九節)は生まれきた幼子の将来の働きを預言します。


 ザカリアの預言の前半は、ヤハウェが先祖たちへの約束どおりにイスラエルの民を救う働きを成し遂げてくださることを預言しています。しかもその預言は、「ヤハウェは、訪れた、解放した、起こした」とすべて過去形の動詞を用いて語られています。これは、未来に起こるヤハウェの働きを、その確かさのゆえにすでに起こったように語ったイスラエル預言者の語り方を受け継いでいます。


 ヤハウェはイスラエルの歴史の中で、民が苦境にあるとき、遣わされた僕(たとえばモーセ)と一緒にいて働くという形で民を訪れておられました。そして、終わりの日にはヤハウェ自身が民を訪れて養うという預言もありました(エゼキエル書三四章)。それで、イスラエルの民には「神の訪れ」の時への待望が燃え、イエスが死者を生き返らせたときには、その時が来たのだと喜ぶ民もいました(七・一六)。イエスもご自身の登場を「神の訪れの時」としておられます(一九・四二〜四四)。

 

 イスラエルにおける「神の訪れの時」への待望については、拙著『ルカ福音書講解T』の「第五章 神の訪れの時」、とくに317頁の「神の訪れの時」の項を参照してください。

 

 ヤハウェがイスラエルの民を訪れるのは、「贖いをする」(直訳)ためです。「贖い」《リュトローシス》というのは、身代金《リュトロン》を支払って奴隷を身請けして解放することです。ヤハウェは御自身の民を「解放する」(新共同訳)ために訪れると、ザカリアを通して聖霊が預言します。


 ヤハウェはそのことを成し遂げる「救いの角」をすでに起した、と預言は続きます。ここで詩編の用例に従って動物の角が力の象徴として用いられ、「救いの角」は救いをもたらす強い力、救い主を象徴します。そして、イスラエルに贖い(解放、救い)をもたらす「救いの角」が、すでに「ダビデの家」から起こされている、と宣言されます。これは、先に見たように、当時のユダヤ教の主流となっていた、サムエル記(下七・一二〜一六)のナタン預言に基づき、「ダビデの子」としてのメシアを待望するメシア待望の表現です。

 

 「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに」。(一・七〇)。


 ここ(六八〜六九節)に述べられたイスラエルに対するヤハウェの救いの働きは、
「昔から聖なる預言者たちの口を通して語られた」預言の成就として起こるものであることが明言されます。この主題は以下(七一〜七五節)で繰り返され、ルカがとくに強調したい主題です。イエス・キリストにおける神の救いの出来事は聖書(旧約聖書)の預言の成就として起こったという主題は、最初期の福音告知《ケリュグマ》の基本的な項目でした(コリントU一五・三〜五、ローマ一・二〜四)。ところが、福音が異邦人の世界で確立するに従って、イエスが告知した慈愛の神を旧約聖書の律法の神から切り離そうとして、聖書を拒否するマルキオンのような主張が出てきます。それに対抗して、使徒たち(彼らはみな聖書を神の啓示とするユダヤ教徒です)からの伝承に立とうとする人たちは、イエスによる救済の告知は聖書の成就であることを強く主張して対抗します。ルカはそう主張する側の代表として、その二部作においてイエス・キリストの出来事が聖書の成就であることを繰り返し主張します。マルキオンに対抗するために初版の福音書に付け加えられた誕生物語では、とくにその主張が強調されることになります。

 

 「それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる」。(一・七一〜七二)


 ここ(六八〜六九節)に預言されたイスラエルに対するヤハウェの救いの働きが、「我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い」という別の形で繰り返されます。「我ら」はヤハウェの民イスラエル、ユダヤ教徒の共同体を指し、「我らの敵」とか「我らを憎む者」はイスラエルと対立する非ユダヤ教徒の民を指しています。今イスラエルは異教徒の支配下にあるが、ヤハウェはメシアを送ってその支配の手からイスラエルを救い出してくださる、という預言です。ここでの預言の「我ら」には異邦人は含まれず、その救いは視野に入っていません。異邦人はイスラエルを支配する敵として見られています。その限り、この預言は狭いユダヤ教民族主義の枠の中にあります。


 そして、その救いは先祖たちに与えられたヤハウェの契約に基づく、ヤハウェの憐れみの行為であること、すなわち聖書にあるイスラエルの歴史の成就であることが繰り返されます。

 

 「これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える。生涯、主の御前に清く正しく」。(一・七三〜七五)


 そしてさらにもう一度、このヤハウェの救いの行為がイスラエルの父祖アブラハムになされた誓いの実現であることが繰り返されます(七三節)。「アブラハムに立てられた誓い」は、創世記一二章(一〜三節)の召命の時の言葉や一五章や一七章に繰り返し出てくるアブラハムとその子孫に対する祝福の約束を指しています。イスラエルの民は自分たちをアブラハムの子孫として、この祝福の約束を受け継ぐ民であることを誇っていました。


 こうして、ヤハウェが成し遂げようとしておられる救いの働きがヤハウェ自身の約束に基づくものであることが、「預言者の言葉」、「(モーセやダビデなど)先祖たちへの契約」、さらに「父祖アブラハムへの誓い」と、イスラエルの歴史の源にまで遡って、繰り返し強調されます。この主題がいかに重視されているかがうかがわれます。


 そして最後に、このヤハウェの救いの働きの結果、イスラエルの民がどうなるのかが語られます(七四〜七五節)。イスラエルは「敵(である異教徒)の手から救われ」、その結果「恐れなくヤハウェに仕える」ことができるようになります。異邦諸民族に支配されている時は、「ヤハウェに仕える」ことはしばしば妨げられ、ヤハウェを律法どおりに礼拝しようとすれば迫害され、時には処刑すら覚悟しなければならない場合もありました。イスラエルの民にとって、自分たちの神ヤハウェを、もはや迫害を恐れることなく、律法の規定どおりに、すなわちヤハウェが望まれるように「生涯、ヤハウェの御前に清く正しく」礼拝できることが理想であり、願望でした。イスラエルが待望しているメシアは、そういうヤハウェ礼拝を回復してくれる救済者です。こうして、ザカリアの預言は、あくまでユダヤ教の枠内で動いていることが分かります。

 

 「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」。(一・七六〜七七)


 以上に見たように、ザカリアの預言の前半は、ユダヤ教の枠内でヤハウェの救済の働きを預言していますが、生まれてきた幼子の将来を預言する後半になると、ユダヤ教の枠を超えて、世界の暗闇を照らす光の曙光がほのかに見える感じがします。これは、その幼子が先駆けとなって指し示す救い主から発する光の反映でしょうか。


 ザカリアは聖霊によって、「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる」と預言します。この預言通りに、この幼子は洗礼者ヨハネとなって、イエスからも「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」(マタイ一一・一一)と言われる、イスラエル史上最大の預言者となります。しかし、イエスは「救い主」と呼ばれますが(二・一一)、ヨハネはそう呼ばれることはなく、あくまで預言者の一人です。ここにも、誕生物語におけるイエスとヨハネの並行を破る不均衡が見られます。


 その偉大な預言者の使命が、「主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」という(彼が「いと高き方の預言者」と呼ばれる)理由を示す文で語られます。彼の使命は、「主に先立って行き、その道を整える」こととされています。イスラエルの預言者たちは、何らかの意味で、最終的なメシアが世に現れる前に、そのメシアの到来と姿を指し示すために神から遣わされた使者ですが、ヨハネはそのメシアの直前に現れて、もっとも間近な地点からメシアを指し示す預言者として、最大の預言者となります。ヨハネは、イザヤやエレミヤのようにその名による大きな預言書が残されていないのでその偉大さが見過ごされがちですが、最終的なメシア・キリストと一組の者として遣わされることによって、「主に先立って行き、その道を整える」先駆者として、救済史で最大の役割を果す預言者となります。ルカの誕生物語は、ヨハネの誕生を「救い主」イエスの誕生と一組にして語ることで、このヨハネの偉大さを物語っています。


 「主に先立って行き、その道を整える」という表現は、マラキ書の最後の預言の言葉から来ていると見られます。マラキ書(三・二三〜二四)にはこうあります。

 

 「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日の来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、この地を撃つことがないように」。

 

 この預言により当時のユダヤ人の間には、メシアが来る前に預言者エリヤが再来するという信仰が広がっていました(マルコ九・一一)。最初期共同体も、この預言に基づいて洗礼者ヨハネをメシア・キリストに先だって現れて道備えをするエリヤだと位置づけていました。この最初期共同体のヨハネに関する伝承がここのザカリアの預言に反映しています。


 最初期共同体のヨハネに関する伝承がここに反映していることは、預言者ヨハネの働きが「主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」とされていることにも現れています。ヨハネがその時代のイスラエルの民に語った預言の言葉は、ヨハネをメシアと信じるユダヤ人の共同体で語り伝えられ、その一端がマタイ福音書(三・七〜一〇、一二)やルカ福音書(三・七〜一四)にも伝えられていますが、最初期共同体はヨハネのバプテスマを全体として「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」と意義づけていました(三・四、マルコ一・四)。当時のユダヤ教主流の「ダビデの子」による政治的解放を期待するメシア待望に対して、ヨハネは「罪の赦しによる救いの知識を与える」(直訳)者として、来るべき「救い主」の道備えをしたことになります。ルカも「罪の赦し」を福音の中心に据えているので、ザカリアの預言のこの部分は共感をもって書きとどめたことでしょう。

 

ルカが福音を「罪の赦しの福音」としていることについては、拙著『福音の史的展開U』487頁「U 罪の赦しの福音」の項を参照してください。

 

 「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」。(一・七八〜七九)


 このような救いの出来事が起こるのは、「我らの神の憐れみ(恩恵)の《スプランクナ》から」出ることだ、と聖霊が証しします。《スプランクナ》という語が使われていることが目を引きます。この語はもともと犠牲獣の内臓を指す語ですが、「はらわたの底から」というような意味で、心や魂の奥底を指すようになりました。パウロがこの意味でこの語をよく用いています。ここでは「暗闇と死の陰に座している者たち」に対する神の御心の奥底から発する慈愛と恩恵が、この救いの出来事をもたらすのだと、この印象深い語を用いて宣言されます。


 この神の恵みが「暗闇と死の陰に座している者たち」に向けられていることによって、ザカリアの預言の後半は、「罪の赦しによる救いの知識を与える」という表現と相俟って、前半の異教徒の支配下にあるイスラエルの解放という視野を超えて、もっと広く苦境にある人間の救済を視野に入れることになります。これは、先に述べたように、この幼子が先駆者として指し示す「救い主」の光が射し込んできているからでしょう。


 この「救い主」から射し込む光が、「高い所からあけぼのの光が我らを訪れ」と表現されます。「あけぼのの光」と訳されているギリシア語《アナトレー》は日の出を指す語で、東から昇る太陽を比喩として、「高い所から」、すなわち神から来る光が、神なき暗闇と命なき死の陰にいる人間を照らし、そうすることで人間を「平和の道に導く」と預言します。この暗闇を照らす「高い所からの光」は、二章での「救い主」の誕生にさいして、夜の闇を照らした主の栄光(二・九)を予表することになります。


 その光は「我らの歩みを平和の道に導く」とされています。ここの「平和」は、戦争のない状態という意味の平和ではなく、人間存在の全体が神とのあるべき本来の交わりにあることによって到達する安らかで充実した在り方を指しています。ヘブライ語で《シャローム》、ギリシア語で《エイレネー》というとき、聖書は人間のこのような状態を指しています。日本語では「平安」の方が適切でしょう。パウロは「わたしたちは信仰によって神との《エイレネー》を得ている」と言っています(ローマ五・一)。新約聖書はキリストによる《エイレネー》の実現を多くの箇所で語っていますが、ザカリアの預言はそれを指し示す預言となっています。

 

 六八〜七九節の「ザカリアの預言」は、ローマ・カトリック教会ではウルガタ訳冒頭の語のラテン語を用いて「ベネディクトゥス」と呼ばれています。同様に、四六〜五五節の「マリアの賛歌」は「マグニフィカート」と呼ばれます。この呼び方は、プロテスタント諸教会でも広く用いられており、注解書や神学書を読むときには必要ですので、ここでその教会での呼称に触れておきます。ただ、日本語で福音を語るときには、このようなラテン語の呼称は用いる必要はないと思います。「ザカリアの預言」、「マリアの賛歌」でよいでしょう。

 なお、この二つの詩歌がまったくユダヤ教の枠内で、その敬虔とメシア待望の精神と用語でうたわれていることから、この両詩の由来とか起源が議論されています。死海文書の賛美と詩編との親近性や洗礼者ヨハネの集団からの起源など、様々な説が行われていますが、確認は困難です。確実なことは、ユダヤ教の聖書に精通し、その世界に呼吸している人物またはグループから出た賛歌を、ルカが誕生物語で用いたという事実です。

 

 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。(一・八〇)


 ザカリアの預言が終わった後に、その幼子がどのように育ったかが簡潔に描かれて、洗礼者ヨハネの誕生物語が締めくくられます。神の御計画と働きによって生まれたこの幼子は、神の顧みと護りの中で「身も心も健やかに育ち」、やがて洗礼者ヨハネとしてイスラエルの民の前に現れることになります。それまで彼は「荒野にいた」という、ヨハネの生涯を決定する特色が描かれます。おそらくヨハネはクムランの荒野にあるエッセネ派の共同体で育ち、そこから出てからは「荒野で叫ぶ声」としてイスラエルの人々の前に現れます(三・一〜二〇)。ヨハネは祭司の家柄の出身ですが、祭司にはならず、むしろエルサレムの神殿祭儀を担う者たちを厳しく批判する預言者として、荒野で叫びます。

 

洗礼者ヨハネとエッセネ派、とくにクムラン共同体との関係は熱く議論されています。この問題については、拙著『ルカ福音書講解T』63頁の「洗礼者ヨハネとクムラン共同体」の項を参照してください。

 

 

 

 

 U 救い主イエスの誕生

          ― ルカ福音書二章 ―

 

 福音書の一章で先駆者ヨハネの誕生を物語ったルカは、二章に入っていよいよ主人公イエスの誕生の出来事を語ります。もっとも、すでに一章のヨハネの誕生物語の中に、天使によるイエス誕生の予告や、その予告を受けたマリアの賛歌など、準備する記事は組み込まれていました。そのような記事と合わせて、この二章が「救い主」イエスの誕生を物語ることになります。

 


8 イエスの誕生(2章1〜7節)

 

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。(二・一〜二)


 おもにユダヤ人向けに福音書を書いているマタイは、イエスの誕生をユダヤの王ヘロデとの関連で書いています。ローマ皇帝の布告は言及されません。それに対して異邦人に向かって書いているルカは、ローマ皇帝の治世の中に位置づけてイエスの誕生を物語っています。ヘロデ王は登場しません。ルカにとって救い主イエスの誕生は、全世界に告知されるべき出来事であって、一ユダヤ民族内のことではありません。そして、当時のルカの読者にとって、全世界とはローマ帝国でした。


 ルカはイエスの誕生を、皇帝アウグストゥス(在位前31年〜後14年)の時代に行われたシリア州総督キリニウスによる最初の住民登録の時のことであるとしています。ローマ帝国は新たに支配を打ち立てて属州とした地域には、総督を派遣して人口調査を行い、全住民の戸籍や資産の登録を行わせ、それに基づいて税金を徴収することを属州統治の根幹としていました。この新たに属州とされた地域の人口調査の活動は、被支配民族の抵抗もあり、困難な事業となることが多く、長い年月がかかる場合がありました。シリア州は当時東方でローマと対立する強大なパルティアに対抗するための重要な地域でしたが、政情の不安定や反抗運動のために人口調査の活動は困難を極めました。その困難な大事業を、アウグストゥス帝から派遣された腹心のキリニウスが一四年で成し遂げ、後六年に住民登録を完了します。


 ルカはイエスの誕生を「キリニウスの最初の住民登録」の時としていますが、これは後六年の住民登録のことではありえません。というのは、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイ二・一)という伝承は、広く認められている確かな伝承であり、イエスの誕生はヘロデ王の没年である前四年より後ではありえないからです。ここに用いられている「最初の」を「最初の時期の」という意味に理解すれば、キリニウスの人口調査の活動はヘロデ王の最晩年には始まっていたのですから、イエスの誕生をキリニウスの人口調査と関連づけることはできます。

 

 ここではルカの誕生物語の意義とか特色を見るだけにして、キリニウスの住民登録の歴史的事実については、拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2イエスの生い立ち」、とくにその中の「イエス誕生の時と場所」を参照してください。

 

 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。(二・三〜五)


 皇帝布告による住民登録は「自分の町」でしなければなりませんでした。「自分の町」というのは、出生した町(いわば本籍地のような町)のことで、エジプトの古文書にも住民登録は生まれた土地でするように命じたものがあるとのことです。「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので」、ダビデ家の本拠地であり、おそらくヨセフもそこで生まれたユダヤのベツレヘムまで、ガリラヤのナザレから数日かけて旅して行きます(もしヨセフがベツレヘムで生まれていたのであれば、若き日にナザレに移住したことになります)。ベツレヘムにはヨセフ家の資産があったのかもしれません。ベツレヘムはダビデの父エッサイの家があった町であり、ダビデはそこで生まれ育ち、そこで預言者サムエルから油を注がれています(サムエル記上一六章)。


 ただ聖書(旧約聖書)では、ダビデが陥れて都としたエルサレムが「ダビデの町」と呼ばれていて(サムエル記、列王記、歴代誌で多数)、ベツレヘムが「ダビデの町」と呼ばれることはありません。ところがルカは誕生物語の二箇所で(ここと二・一一)で、ベツレヘムを「ダビデの町」としています(全聖書でベツレヘムがこう呼ばれているのはこの二箇所だけです)。マタイには「ダビデの町」という呼称はありません。この呼称は、イエスが「ダビデの子」であることを印象づけるためのルカの工夫ではないかと考えられます。ルカの時代では異邦人の間でも救い主が「ダビデの子」であるという信条(テモテU二・八)が普及してきていたからでしょう。


 ガリラヤのユダヤ教徒は年に三回の巡礼祭にはエルサレムの神殿に詣でていたのですから、馴れた道でしょうが、出産直前の身重のマリアには辛い旅だったことでしょう。ユダヤ教社会では、婚約中の女性も法律上は妻として扱われますので、マリアも夫ヨセフの町であるベツレヘムで住民登録をしなければなりませんでした。

 

 現住地でないところでの住民登録やマリア同行の義務など、この記事の歴史性については議論があります。それについては先にあげた拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2イエスの生い立ち」の「イエス誕生の時と場所」130頁の注記を参照してください。

 

 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(二・六〜七)


 イエス誕生の出来事そのものは、このように淡々と描かれます。マリアは旅先のベツレヘムで「月が満ちて、初めての子を産む」ことになります。「イエスはベツレヘムで生まれた」のは同じですが、マタイはヨセフとマリアがベツレヘムの住民であることを当然のこととして前提し、東方からの博士たちは預言と星に導かれてベツレヘムに来て、「その家に入って」母マリアと共にいる幼子に捧げ物を捧げています(マタイ二・一一)。それに対してルカは、ナザレの住人のマリアが旅先でイエスを産んだとして、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ので、馬小屋に泊まり、生まれた子を「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と物語っています。この大きな違いは、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれた」という伝承が、福音書記者の立場と意図の違いによって、これほどまでに大きく違う物語を生み出すことの実例となっています。


 「布にくるんで」というのは、産着やおむつでくるんだことを指します。出産間近なマリアは、当然産着やおむつを用意して旅に出たことでしょう。地上に生まれたイエスは、他のすべての赤子と同じく、おむつにくるまれた赤子であったことを、この一句が思い知らせます。


 「初めての子」という表現は、後にマリアは他の子をも産んだことを示唆しており、マリアは生涯処女であったというような教会教義は無理であることを示す一つの根拠となります。この出産はマリアの最初の出産であり、生まれた子は「初子」となります。ユダヤ教では初子の男子は、律法により特別の扱いをされます。そのことは後の段落10で触れることになります。


 「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」のは、ヨセフとマリアのように遠くの土地に住んでいる人たちが住民登録のために一斉に生地のベツレヘムに戻ってきたからです。「宿屋」と訳されている語は、一般の住居で人を泊まらせる部屋とかスペースを指す語です。二人はやむをえず知人の家の馬小屋を借りて、そこで出産することになります。「馬小屋」という用語は使われていませんが、「飼い葉桶」がある場所は牛やろばを飼う「家畜小屋」であり、当時のユダヤ人の住居では家屋の中にその一部として造られていました。かつての日本の農村の住居もそのような構造の家屋でした。そのような屋内の家畜飼育用スペースを、日本語で誕生物語を語るときは、「馬小屋」と呼んでいます。


 イエスはそのような馬小屋でお生まれになり、飼い葉桶に寝かせられていた、とルカは伝えています。これは世界の偉人の誕生物語の中では異例の語り方です。普通は主人公の偉大さにふさわしい「瑞兆」が語られますが、世界の救い主の誕生を物語るこの誕生物語では、偉大さとは逆に家畜小屋での誕生という卑賎の姿で描かれます。期待される「瑞兆」とは反対の「逆兆」です。ルカはこの福音書で、イエスを復活して神の右に上げられた世の救い主として告知しています。その福音書において主人公の誕生をこのような卑賎の姿で描くことによって、実は「イエス・キリストの福音」の性格が指し示されることになります。


 最初期の福音告知は、復活されたイエスをキリストとして、すなわち神から油を注がれて世に遣わされた救い主として告知しました。同時に、この方が地上では十字架の死に至る苦しみをお受けになった事実を、「わたしたちの罪のため」、すなわち罪の問題の解決のための出来事として告知しました。このイエス・キリストの十字架・復活における神の救いの働きは、かなり初期に次のようにまとめられて告白され、賛美されるようになっていました。

 

 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

  このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主《キュリオス》である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ二・六〜一一)

 

 このキリスト告白の前半に見られるように、イエスの地上への出現は、永遠に神と共にいます、神と等しいキリストが「自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた」出来事として言い表されるようになっていました。このキリストの《ケノーシス》(自分を無にすること)の「しるし」として、イエスの誕生の卑賤な姿はふさわしいものとなります。これは「逆兆」ではなく、キリストの《ケノーシス》を指し示す「兆」(きざし、しるし)となります。ここに引用したキリスト告白(キリスト賛歌)は、誕生物語の性格の理解にとって重要な鍵となるところですので、後の「補論」で改めて取り上げることになりますが、イエスの誕生の様子が記述されたこの箇所で、その「しるし」としての意義を確認するために引用しておきます。

 

 

9 羊飼いと天使(2章8〜21節)

 

 先の段落で、馬小屋での誕生という事実がキリストの《ケノーシス》のしるしであることを見ましたが、神の右にまで上げられる方の誕生であることを指し示す「瑞兆」も与えられていたことが、この段落で語られます。この二つの段落が一組となって、イエス誕生の様子を伝える箇所になります。この二つの段落を一つの段落にまとめて扱う注解書も多くあります(たとえばNTD)。

 

 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。(二・八〜九)


 その「瑞兆」は、野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに与えられます。ここで、羊飼いという身分が当時のユダヤ教社会できわめて低いものであったことを思い起こす必要があります。彼らは、徴税人や遊女や盗賊と並んで、証言の資格もない、ユダヤ教社会の枠外の階層の人たちでした。そのような人たちに天使(単数)が現れて、救い主の誕生を告げ知らせます。これは、宮廷の博士たちにその誕生が告げられ、彼らからの高価な宝物の捧げ物で飾られたマタイの物語と対照的です。ルカでは、汚れた衣服の貧しい羊飼いたちが、馬小屋の飼い葉桶を取り囲むことになります。なお、この段落の羊飼いの物語は、メシアの原型となったダビデが若いときはベツレヘムの羊飼いであったという伝承が背景にあるとされています。


 誕生物語では天使が舞台に登場して活躍することの意義については、先に述べました。神から遣わされた天使が発する神の栄光の光が、野宿している羊飼いたちを照らします。人間は異界との遭遇に恐れを感じますが、この時の羊飼いたちも突然の天からの光に照らし出されて、非常に恐れます。

 

 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。(二・一〇〜一一)


 怖じ恐れる羊飼いたちに、天使は「恐れることはない」と呼びかけ、その理由を続けます。すなわち、天使は恐ろしいことを告知するために来たのではなく、「わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる」ために来たのだから、と告げます。この文は、理由を示す《ガル》で始まっています。


 ここでルカは、「福音する」という特愛の動詞(福音《エウアンゲリオン》の動詞形)を使って、「見よ、わたしはあなたたちに大きな喜びを福音する」と書いています。この動詞は単独で「福音を告知する」という活動を指すこともありますが(たとえば九・六)、ここのように目的語がある場合には「告知する」という意味で用いられています。しかし、特定の目的語を伴う場合でも、それはいつも福音告知の一面を担う告知です。ここでは、一人の幼子の誕生が福音として告知されます。この報せは「大きな喜びを告げる」ことなのです。


 この大きな喜びは「民全体に与えられる」喜びとされています。ここの《ラオス》(民)は単数形です。《オクロス》が無組織の群衆を指すのに対して、単数形の《ラオス》は七十人訳ギリシア語聖書や新約聖書では普通「イスラエルの民」を指します。ここでも、誕生物語の強いユダヤ教的背景の中で素直に読めば、「イスラエルの民全体に与えられる」大きな喜びを指していることになります。「民全体」は、すべての階層を含むイスラエルの民全体を指すと理解しなければなりません。ここに直ちに「世界のすべての民」という意味を読み込むことは困難です。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」の「あなたがた」は、この誕生物語ではイスラエルの民を指します。そのイスラエルの救い主メシアが、やがて世界の諸国民の救い主と告知されるようになることこそルカの福音告知の主題ですから、現代の読者がここに「世界の諸国民の救い主」誕生の告知を聴き取ることは間違いではありません。すでに新約聖書全体の福音告知を聴いている者には、むしろ当然でしょう。


 天使は「今日、救い主がお生まれになった」と告知します。この「今日」は、何月何日の今日ではありません。イエスの誕生日は一二月二五日ではありません。イエスの誕生日は分かりません。福音告知における「今日」はいつも終末的な出来事が起こったその日を指します。イエスはガリラヤ福音告知の活動を始められたとき、ナザレの会堂でイザヤの預言を引用して、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されます(四・二一)。ナザレのユダヤ人がこのイエスの言葉を聴いたときが「今日」なのです。イエスが生まれた時が、世界に救いが臨んだ「今日」なのです。世界の歴史を「その前」と「その後」に区切る「今日」なのです。


 天使がベツレヘムと言わないで「ダビデの町」と言ったこと、またルカがこの呼称を用いていることの意義については前述しました。天使は「ダビデの子」の到来を待ち望んでいるイスラエルの民に「救い主」の誕生を告知します。そのために誕生する子が「ダビデの町」に生まれたことを強調します。そして、今日「ダビデの町」に生まれた「救い主」《ソーテール》が「メシア」《クリストス》であり、「主」《キュリオス》であると、三つの称号を並べて、この方がどのような身分の方であり、どのような働きをされる方であるかを告知します。この三つの称号の使用の意義については、後述の「補論1 誕生物語の位置と性格」で詳しく扱うことになりますが、ここでは新約聖書におけるこの三つの称号の用例を簡単にまとめて見ておきます。


 「救い主」という称号は、先に一章四六〜四七節の講解で述べたように、キリスト教二千年の歴史でイエス・キリストの名の前にいつも用いられてきた重要な称号ですが、新約聖書の用例は意外に少なく、前期の使徒時代ではほとんど用いられず、二世紀に入ってからの成立と見られる最後期の牧会書簡やペトロ第二書簡に多数見られるようになります。この事実はこのルカの両文書(福音書では誕生物語など付加部分)が牧会書簡などと同じ時期に成立したことを示唆しています。

 

ルカにおける《ソーテール》の使用については、拙著『福音の史的展開U』414頁「異邦人向けの表現」の項を参照してください。

 

 《クリストス》は「油を注がれた者」という意味のギリシア語です。このギリシア語は、旧約聖書の《マーシアハ》(メシア、油を注がれて王とか祭司というような職務に任じられた者)の訳語として用いられ、後のユダヤ教では、終わりの日に神の霊を注がれてイスラエルの救いのために遣わされると約束されている救済者を指すようになります。福音書ではイエスがこういう意味での《クリストス》であるかどうかが問題となり、復活後ではそういう《クリストス》であると告知されるようになります。ルカは誕生物語で、「今日ダビデの町で生まれた」幼子をそういう意味の《クリストス》だと告知するのです。その《クリストス》を、新共同訳は当時のユダヤ教での呼び方である「メシア」に戻して訳出しています。協会訳(口語訳)は「キリスト」と訳しています。

 

 新約聖書における《クリストス》の訳語については、、拙著『マルコ福音書講解T』330頁「メシアとキリスト」の項、および拙著『マタイによるメシア・イエスの物語』224頁の「ペトロのメシア告白」の項を参照してください。

 

 《キュリオス》というギリシア語はもともと財産(とくに奴隷)の所有者を指す語で、「主人」という意味です。「キリスト」という称号が終末的救済者を指すという聖書的背景がなく、「イエス・キリスト」が一人の人間の呼び名のようになりがちなギリシア語圏で、復活されたイエスの地位を指すのに、支配者や神々を指す《キュリオス》という称号が用いられるようになります。復活されたイエスは、ギリシア語圏では《キュリオス・イエスース・クリストス》と呼ばれるようになります。ルカは誕生物語で、この幼子こそ《キュリオス》となる方だと告知するのです。

 

 《キュリオス》という称号については、拙著『福音の史的展開T』238頁以下の「V ギリシア語系ユダヤ人の福音告知」、とくに「《キュリオス》としての復活者イエス」の項を参照してください。

 

 こうしてルカは、復活されたイエスを告知するこの三つの称号を並べて、誕生物語で今日生まれた方が誰であるかを指し示しています。

 

 「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。(二・一二)


 天使はこのように告知した後、羊飼いたちがその方を正しく見つけることができるように、その方を指し示す「しるし」を与えます。その「しるし」が「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」という姿です。飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子が「救い主」であり、「メシア」であり、「主」であるというのです。そのような称号にふさわしい宮殿とか華麗な衣服ではなく馬小屋であり、おむつにくるまった赤子です。なんという大きなギャップ、落差、裂け目でしょうか。人の常識はこの裂け目を乗り越えることができません。この「しるし」は逆のしるし、「逆徴」です。

 

 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。(二・一三〜一四)


 羊飼いたちに現れて救い主の誕生を告知した天使が、ザカリアやマリアに現れた天使ガブリエルであったのかどうかは分かりません。この天使は単数形で指されています。この一人の天使に突然「天の大軍」が加わります。「部隊」という軍隊用語が使われていますが、これは旧約聖書の「天の万軍」という表象を受け継いだもので、ここでは一群の天使を指しています。当時のユダヤ教には、ヤハウェは多くの廷臣をもっているという考え方がありました。この「天の大軍」が天使たちの群れを指すことは、この一群がすぐ後(一五節)で「天使たち」と言われていることから確認できます。最初に羊飼いたちに現れた天使(単数形)は高位の天使であり、その下で仕える大勢の天使たちが、この天使(単数)の告知が終わったとき突然、この出来事を与えた神を賛美する合唱に加わったのでしょう。


 天使たちの合唱が夜空に響き渡ります。その合唱はまず、「いと高きところには栄光、神にあれ」と神を賛美します。ギリシア語を用いるヘレニズム・ユダヤ教では、単数形の「いと高き方」は神を指します。ここでは複数形ですから「いと高きところ」、すなわち多くの階層をなす霊界の最高の層(そこに神がいます層)、あるいはそこにいる霊的諸存在を指します。ここの「いと高きところでは、神に栄光」という賛歌は、その領域にいる仲間たちに神への賛美を呼びかけていると解釈することも可能です。


 そして、「いと高きところ」と対照して、「地には平和、御心に適う人々にあれ」と歌います。原語は「人々」と複数形ですから、この平和《エイレネー》は個人の無事平穏ではなく、人間社会の平和です。人間社会は憎しみ、抗争、暴虐、戦争、流血に満ちています。世界の歴史は血塗られています。そのような悪がいっさいなく、人々の間に同情、いたわり、敬意、助け合いが満ちて、生の喜びと充実に満ちた人間関係が行き渡ること、それが「地には平和」ということでしょう。そして、「地には平和!」という天使たちの賛美は、そういう平和が人間社会に成りますように、という願望または祈りにも聞こえますが、この救い主の出現を告知する場面では、そういう平和がこの方によって実現するのだ、という告知でもあります。


 ここで「人々」に「《エウドキア》の」という修飾語がつけられているのが問題になり、その意味が議論を呼んでいます。この《エウドキア》というギリシア語は「善い思い、善意」という意味の名詞ですが、もしその善意が人間の善意を指すのであれば、もともと善意で社会を構成している人たちにはすでに平和があるのですから、平和が「善意の人々」に与えられるというのは当然で、あまり意味がないことになります。したがって、この「善意の人々」の善意は神の善意と理解し、神が善意によって(=無条件の恩恵によって)選ばれた人々と理解して、そうして選ばれた人々(=神の民)の中に平和が実現するとの告知と解釈することになります。新共同訳の「御心に適う人々」という訳はこの理解から出ています。近年死海文書にこのような用例があることが発見されてこの解釈が確立され、大多数の翻訳がこの訳を採っています。そうすると、《エイレネー》を宿す民として、神の民が「《エイレネー》を創り出す」(マタイ五・九)働きを進め、世界に平和を実現することが、この天使の使信の意義となります。

 

 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(二・一五〜一六)


 羊飼いたちに現れて救い主の誕生を告知した天使(単数)と、告知の後突然現れて賛美の合唱に加わった「天の大軍」が、ここでは「天使たち」と呼ばれています。その一群の天使たちが役目を終えて、そこから派遣された場所である天に戻って行ったとき、あまりにも不思議な出来事に茫然となっていた羊飼いたちは我に返り、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と語り合います。ベツレヘム近郊の野で野宿していた羊飼いたちは、天使が言った「ダビデの町」がベツレヘムを指すことを直ちに理解します。そして、「主が(天使を遣わして)知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合ってベツレヘムへ急ぎます。おそらく彼らはごった返すベツレヘム中の家々の戸を叩いて捜し回ったことでしょう。そして、ついに飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てます。「捜す ― 見つける」の図式は、ルカの信仰物語において重要な意義を担っています(たとえば二・四一〜五〇の両親がいなくなったイエスを捜し神殿で見つける物語)。

 

 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。(二・一七〜一八)


 「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子」という光景は、当時でもきわめて異例の光景で、それを見た羊飼いたちは直ちに、この場面こそ天使が自分たちに語った「しるし」であることを悟ります。そして、出産を世話したり祝福するためにそこに集まってきていた人々に、自分たちが天使のお告げを受けてここに来た次第を話します。彼らは出て行って町の人々にも知らせたのかもしれません。「聞いた者は皆、羊飼いたちの話に驚いた」(直訳)とありますが、聞いた人たちは皆ユダヤ教徒です。日頃神を信じ聖書の物語に親しんでいる人たちですが、彼らもこの出来事の不思議さにただ驚くばかりでした。

 

 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。(二・一九)


 この不思議な出来事の話を聞いてただ驚いている周囲の人たちと対照的に(この節は《デ》という小辞で前節と対照されています)、「マリアはこれらの言葉すべてを思い巡らし、心に納めておいた」(直訳)と、マリアの態度が描かれます。《レーマタ》(《レーマ》の複数形)は言葉という意味のギリシア語ですが、ヘブライ語の《ダーバール》と同じく、出来事という意味にもなります。マリアが思い巡らした「すべての《レーマタ》」というのは、羊飼いたちが語った言葉とそれが指し示す出来事だけでなく、受胎告知からこの出産に至る「すべての出来事」を指していると見るべきでしょう。


 「思い巡らす」と訳されている《シュンバロー》という動詞は、新約聖書ではルカ文書だけが用いているルカ特有の動詞で、「一緒に置く」という原意から、(ここでは)様々な出来事や言葉を付き合わせて、その出来事や言葉の真意を見つけようとすることです。マリアはこれまで自分の身に起こったすべての出来事を関係づけて、そこに神の御心を探ろうとします。しかし、それを誰にも口外することなく、自分一人の心に深く秘めておきます。実際の結婚生活に入る前に聖霊によって妊娠したなどという話を誰が信じてくれるでしょうか。しかし、後にマリアが洩らしたこの秘密が、共同体で語り継がれて何十年かの後に、ルカの誕生物語となります。

 

 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(二・二〇)


 ここの「帰って行った」は、ベツレヘムの町から出て、天使のお告げを受けた野宿の場所に帰って行ったことを指します。自分たちが体験したことがすべて天使が告げたとおりであったことから、それが神から出たことであることを知り、神がこれから民のために大きなことを成し遂げようとしておられることを予感して、神をあがめ、賛美しながら帰って行きます。

 

 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(二・二一)


 ユダヤ人の男性はすべて生まれて八日目に割礼を受けることが律法で定められています。その時に名前がつけられます(一・五九の講解参照)。イエスも八日目に割礼を受けます。イエスの割礼を記述するのは、新約聖書ではルカのこの記事だけです。この割礼の記事は、イエスはユダヤ教徒であったという、あまりにも当然でありながら、イエス理解の営みにおいてしばしば見落とされる事実を、改めて確認させます。割礼を受けた者はモーセ律法をすべて行う義務があります(ガラテヤ五・三)。イエスは割礼を受けたユダヤ教徒としての生涯を送られます(ガラテヤ四・四)。


 そのとき父親のヨセフは「イエス」という名をつけます。その名は、妻のマリアに「胎内に宿る前に天使から示された名」でした(一・三一)。ヨセフはマリアからこの出来事を聞いていて、その天使のお告げに従います。この名は、モーセの後継者であったヨシュアと同じ名であり、ユダヤ人男性の間で珍しい名ではありません。この名については、マタイ(一・二一)は、その名の意味を「自分の民を罪から救うからである」と説明していますが、ルカはそのような説明をつけていません。その役割はすでに洗礼者ヨハネに帰せられていました(一・七七)。ルカは羊飼いたちへの告知において「救い主」という称号を用いて、この名の意味を指し示しています(二・一一)。

 

 

10 神殿で献げられる(2章22〜38節)

 

 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。(二・二二)


 原文では二一節と二二節は「そして〜の日数が満ちたとき」という同じ文言で始まっています(レビ一二・六参照)。二一節では「彼に割礼を施すべき八日の日数が満ちたとき」とありましたが、ここでは「彼らの清めの日数が満ちたとき」となっています。


 モーセ律法によれば、男児を出産した産婦は四十日間汚れていて、神殿に入ることは許されません(レビ一二・二〜五)。その清めのために必要な四十日の期間が過ぎたとき、両親は新生児イエスを「主に献げるため」エルサレムに連れて行きます。この「主に献げるため」は、次節で説明されます。 産婦マリアに清めの期間が必要なことは律法が規定しています。ところがここでは「彼らの清めの期間」とあり、この「彼らの」が問題になります。この「彼ら」をマリアとイエスを指すとして、イエスのナジル人の誓願に関係づける説もありますが、この代名詞にそのような重大な意味を見ることは、誕生物語全体の文脈から見て不適切で、おそらくルカは出産後の祭儀的汚れの清めを家族全体の問題として扱っているのでしょう。あるいは、ルカは「ユダヤ教徒たちの間で行われている、あの清めの期間」という意味でこの代名詞を用いたのかもしれません。この代名詞の存在が昔から困難と感じられていたことは、若干の古代写本に異読があり、この語を欠く写本もあるという事実が示唆しています。


 「清めの期間」は四十日ですから、その間、泊まるところがなく馬小屋で出産した夫妻が、ベツレヘムに留まっていたとは考えにくいことです。出産後何日目かにマリアは乳飲み子を抱いてヨセフと一緒にガリラヤのナザレに帰って行った可能性も考えられます。そうするとヨセフとマリアは四十日あまりの期間に、しかも出産の直前と直後に、二度エルサレムへの往復の旅をしたことになります。しかし、三九節の記事が「主の律法で定められたことをみな終えた」時まではナザレに帰らなかったことを含意しているのであれば、ずっとベツレヘムに滞在していて、そこから近くのエルサレムに連れて行ったことになります。

 

 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。(二・二三)


 彼らの出産後のエルサレム行きは「その子を主に献げるため」ですが(前節)、そのことが主の律法に従う行為であることが説明されます。ここに引用されている初子に関する律法は、「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである」(出エジプト記一三・二)を初め多数あります。


 とくに初めて生まれる男子については「あなたの初子のうち、男の子はすべて贖わねばならない。何も持たずに、わたしの前に出てはならない」(出エジプト記三四・二〇)と規定され、さらに「初子は、生後一か月を経た後、銀五シェケル、つまり一シェケル当たり二十ゲラの聖所シェケルの贖い金を支払う」(民数記一八・一六)と、贖いのための金額まで定められています。


 ここで「贖う」という語が使われていますが、これは「買い戻す」ということで、いったんヤハウェに献げられてヤハウェのものとなった子を、いけにえの獣や贖い金を納めて自分のものにすることです。それをしないことは子をヤハウェに献げていないことになり、重大な律法違反となります。贖い金は父親が支払います。郷里の祭司に支払うこともできますが、ヨセフは神殿で初子のイエスを献げ、贖いのためのいけにえを献げようとします。

 

 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。(二・二四)


 ここで両親が神殿で献げたいけにえが「山鳩一つがい」か「家鳩の雛二羽」のどちらであるかが語られていません。ということは、この節は両親の実際の行動を記述するものではなく、彼らが果たそうとした律法の規定を紹介するために置かれているということになります。この規定はレビ記にしばしば出てきますが、羊などの正式のいけにえの動物を用意することができない貧しい者への配慮を示す規定です。ここでは彼らは産婦の清めのために神殿に来ているのですから、レビ記一二章の「産婦についての規定」の中の「産婦が貧しい場合」(八節)の規定を指していることになります。


 ところが前節(二三節)には、乳飲み子のイエスを神殿に連れてきたのは、主に献げた初子の男子を贖うためであることを示唆する律法の引用があり、本節の献げ物が「産婦の清め」のためか「初子の贖い」のためのものか曖昧です。「産婦の清め」には普通新生児は連れて行く必要はありません。しかし、「初子の贖い」のためにはこのような「山鳩一つがいか家鳩の雛二羽」というような規定は見当たらないので、やはりこれは「産婦の清め」を指していると見るべきでしょう。いずれにしても、ルカはイエスの誕生がすべて旧約聖書の律法を成就する出来事であったことを伝えたいのであって、モーセ律法に無縁な異邦人読者に律法を順守する仕方を説明しようとしているのではないのですから、わたしたちも無理にどちらかに決める必要はないでしょう。

 

 イエスの神殿奉献記事をナジル人の誓願に関係づける説(「新共同訳新約聖書注解T」274頁参照)では、この「山鳩一つがいか家鳩の雛二羽」を民数記六・一〇の引用としています。しかし、民数記六章の「ナジル人の誓願」の中でのこの規定は、ナジル人の誓願を立てた者が死体に触れるなどして聖別した頭髪を汚した場合の規定であって、乳児イエスには適用できません。

 

 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。(二・二五〜二六)


 ルカの誕生物語の現形が成立するまでには、複雑な伝承の過程と編集の段階があったと推察されます。少なくとも現形になる前の段階では、二二節から二四節の神殿での記事の後に、三九節の「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」という記事が続いていたのではないか、と多くの注解者が推察しています。しかし、編集の最終段階で、ヨハネの誕生とイエスの誕生の対応関係を完全にするために、ヨハネの場合のザカリアの預言に対応するシメオンとアンナの記事を入れたと考えられます。編集過程がどうであれ、シメオンの預言はイエスの誕生がもたらす福音の質をよく指し示しています。


 シメオンという人物には「義(ただ)しく、信心深く、イスラエルの慰めを待望し、その上に聖霊が留まる人」であったという説明がついています。ユダヤ教社会で「義(ただ)しい」というのは、モーセ律法を落ち度なく守って生活していることを指します。そういう人が「義人」と呼ばれます。「信心深い」という形容詞はルカ文書だけが用いている用語で、「敬虔な」とか「敬神の念が篤い」という意味で、異邦人社会でも宗教熱心な人を指すのに用いられます。さらに義人シメオンの敬虔は、律法を落ち度なく守っているだけでなく、「イスラエルの慰めを待望している」と、その内容が具体的に説明されています。「イスラエルの慰め」というのは、ずっと異邦人の支配の下で苦難の歴史を歩んできたイスラエルの民が、その支配から解放されて恐れなくヤハウェに仕えるようになるという、終わりの日の神の約束の実現を指しています。シメオンがこのような終末的待望を抱いていたことは、彼がたんに律法に忠実な生活をするユダヤ教徒であるだけでなく、彼が終わりの日に到来する救済者メシアを待望する、黙示思想的傾向のファリサイ派とかエッセネ派というようなユダヤ教の一派に属する人物であったことを示唆しています。


 ルカは、福音にかかわる出来事すべてを聖霊の働きとして体験し自覚してきたパウロ系の福音活動に連なる著作家として、その著述において「聖霊」という語を多用しています。誕生物語だけでも七回出て来ます(「御霊」の一回を含めて)。ここでもシメオンが示す霊性を「聖霊が留まる」人という表現で指し示しています。そして、シメオンはその聖霊から「主メシアに会うまでは決して死を見ることはない」(直訳)というお告げを受けていました。ここで「主が遣わすメシア」と訳されているのは意訳で、直訳は「主メシア」であり、二章一一節の「主メシア」と同じ句です。この「主《キュリオス》」と「メシア《クリストス》」は同格で並んでいて、《キュリオス》である《クリストス》という意味です。この二つの称号の組み合わせは、《キュリオス》という称号がイエス・キリストの地位を指す称号として用いられた異邦人伝道で活動したルカが好んで用いた組み合わせです(たとえば使徒二・三六)。その《クリストス》をユダヤ教徒の間での称号である「メシア」と訳す翻訳(新共同訳)では「主メシア」という表現になります。ルカはこの表現を誕生物語でも用いることになります。


 「〜までは死を見ない」という表現は、ある出来事を生きている間に体験することを指す慣用的な表現で、同じような表現をイエスも用いておられます(マルコ九・一)。そのようなお告げを受けているシメオンが、あるとき聖霊によって「今神殿に行くように」と促されて、神殿に向かいます。

 

 シメオンが御霊に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。(二・二七)


 シメオンが神殿の境内に入って来たとき、律法の規定どおりにいけにえを献げようとして幼子イエスを神殿に連れて来ていた両親に会います。この出会いは決して偶然ではなく、「御霊に導かれて」起こった出会いだ、とルカは聖霊を繰り返し用いて強調します。もし聖霊がシメオンに「今神殿に行くように」と促されなかったら、この出会いはありませんでした。こうして、イエスに関して起こった出来事はすべて聖霊の導きによって起こった出来事、神から出た出来事であることが、誕生物語から繰り返し強調されることになります。

 

 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。(二・二八〜三〇)


 シメオンはマリアに抱かれている赤子のイエスを見たとき、やはり聖霊によって「この子がそうだ」と示されたはずです。マリアから赤子を受け取り、自分の腕に抱き、神を賛美します。ここでシメオンが発した賛美は、「主メシアに会うまでは決して死なないとのお告げを受けていた」シメオンが、その約束を果たして、生きているうちにその方に出会わせてくださった神への感謝であり賛美です。シメオンは「わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と言っています。今自分の腕に抱いてその目を見つめ、その体重を感じているこの幼子こそ、「あなたの救い」そのもの、すなわち「神の救い」を体現する約束の「主メシア」であるからです。

 


 このときシメオンが幼子イエスを抱いて語った預言の言葉は、キリスト教会では、ラテン語訳の最初の言葉によって、「ヌンク・ディミティス」(今やあなたは去らせる)と呼ばれています。これは、ザカリアの「ベネディクトゥス」とマリアの「マグニフィカート」と並んで、ルカの誕生物語における重要な賛美また預言として扱われています。

 

 「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」。(二・三一〜三二)


 自分の身に約束を果たしてくださった神へのシメオンの賛美は、その幼子が体現する救いの質を預言する賛美へと進みます。まずその救いが「万民のためにあなたが備えてくださった救い」であることが賛美され預言されます。神は、その救いをある特定の民族や階級の人たちのために用意されたのではなく、「万民」すなわち地上のすべての民のために用意されました。最初にこのことが強調されるのは、ユダヤ教の枠を超えて福音を世界のすべての民に告知する活動に携わっているルカにふさわしい形です。


 そして、その「万民」が、当時のユダヤ教における分け方に従って、「あなたの民イスラエル」と「異邦人」とに分けて、それぞれに対するこの幼子の意義が標語のように簡潔に語り出されます。ここで異邦人がイスラエルよりも先にあげられていることが注目されます。パウロはいつも「最初にユダヤ人、そして異邦人もまた」と言っていました。パウロの時代ではまだイスラエルが救済史の担い手でした。しかしルカの時代には、救済史の担い手が世界の諸国民となる「異邦人の時代」が始まっていました。その中にユダヤ人もまた含まれるという形になっていました。ここの順序はそういう「異邦人の時代」の救済史理解が反映しているのかもしれません。

 

 「異邦人の時代」については、拙著『福音の史的展開U』505頁の「W ルカ福音書における終末待望」、とくにその中の「エクレシアの時、異邦人の時」の項を参照してください。また、拙著『ルカ福音書講解U』338頁以下の「補説 ルカにおける終末待望」の項も参照してください。

 

 シメオンの賛美は、この幼子は「異邦人を照らす啓示の光」となると預言します。これまで神の啓示はイスラエルにだけ与えられていて、他の異邦諸国民は無知の暗闇に放置されていました。異邦諸国民は、イスラエルの民に啓示されていた天地の創造者である唯一の神を知らず、人間の技や考えで造った金、銀、石、木などの像を神々として拝んでいました。神はこのような「無知の時代」を大目に見ておられましたが、今は世界の諸国民に悔い改めてこのまことの神に立ち帰るように呼びかけようとされます。この幼子こそその呼びかけとなる方、すなわち、異邦諸国民の民を照らして唯一のまことの神を知らせる「啓示の光」となり、この神に立ち帰る道を照らす方である、との預言です。後に神はこの方を死者の中から復活させて、その確証をお与えになります(使徒一七・二九〜三一参照)。


 この幼子が「異邦人を照らす啓示の光」となることが預言された後に、この幼子が「主の民イスラエルの誉れ」となることが預言されます。ここで「誉れ」と訳されている《ドクサ》は、普通「栄光」と訳される語です。この幼子がイスラエルの誉れ、栄光となるというのは、イエスという人物を生み出して世界の歴史に登場させたことが、イスラエルの民、ユダヤ人の栄誉になるということです。どの国民にも誇りとする偉大な人物がいます。内村鑑三は「代表的日本人」という書を英文で発表し、彼らが日本人であるがゆえに持ちえた偉大さを世界に紹介しました。ここではシメオンによって、イエスがユダヤ人であるがゆえに持ちえた偉大さが世界の民に称揚され、イエスこそイスラエルの歴史と特質を成就完成する人物として世界の人々に記念されるようになる、という預言がなされたのです。事実、イエスはこの預言どおりに、その登場が世界の歴史を「その前」と「その後」に二分することになりました。まさに、イエスの登場はイスラエルの歴史を完成する出来事、ユダヤ人の存在意義を成就する出来事です。イエスを世界史に登場させたことが、イスラエルの民、ユダヤ人の誉れです。

 

 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。(二・三三)


 このシメオンの賛美であり預言である言葉を聞いた父と母、すなわちヨセフとマリアは、自分たちが世にもたらした赤子についてなされたこのような不思議な預言を理解できず、ただ驚き戸惑います。預言は大抵あまりにも意外で、聞いた者に驚き、戸惑い、反発を引き起こします。この時の二人も同じです。驚く二人にシメオンはさらに、この幼子が長じて世に出たとき、どんなことが起こるのかを語り出します。

 

 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 ―― あなた自身も剣で心を刺し貫かれます ―― 多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」。(二・三四〜三五)


 聖霊によって語るシメオンは、この幼子が長じて世に出たとき、どんなことが起こるのかという重要な預言を、父親のヨセフを差しおいて、母親のマリアに語りかけます。ここにもルカの誕生物語の特色が出ています。マタイの誕生物語では、事態を進行させる天使の啓示はすべてヨセフに与えられています。イエス誕生の予告さえマリアではなくヨセフに与えられています。マタイの誕生物語の中心人物はマリアではなくヨセフです。それに対してルカの誕生物語では、ヨセフではなくマリアが中心人物です。イエス誕生の予告も、イエスの生涯についての預言もすべてマリアに与えられています。ヨハネの名が出てくるのは、マリアの婚約相手であることを紹介するところ(一・二七)、彼がダビデの家系であることを示すところ(二・四)、および飼い葉桶の場面(二・一六)の三箇所だけです。後世のキリスト教会に起こったマリア崇拝(後述)は、ルカの誕生物語に起源があると言えるでしょう。


 シメオンは幼子イエスを腕に抱いて、「今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と言いました。しかし、シメオンが見た「救い」は、当時のイスラエルの民が期待していた救いとは違うものであること、言い換えれば、その救いをもたらすメシアは、彼らが待ち望んでいたメシアとはまったく違う姿で現れることが預言されます。


 この幼子が長じて、民を救う者としてイスラエルに現れるとき、その姿は彼らが期待していた姿とまったく違うことが預言されます。民が待ち望んでいた救いは、イスラエルが異邦人の支配から解放され、ダビデ王国の栄光が回復され、イスラエルが恐れることなくヤハウェに仕える(=律法に忠実に礼拝する)ことができるようになることでした(一・六七〜七四)。しかし、この幼子は長じてイスラエルに現れるとき、そのような救いをもたらして民の歓呼を浴びるメシアではなく、「イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められている」というのです。


 イエスはその公の活動時期には、多くの病人をいやし、悪霊を追い出し、神の恵みを語り伝えるなど、善い業をなされました。多くの人たちがイエスの働きによって絶望の淵から立ち上がり、神を賛美する生活に入りました。しかし、そのように「立ち上がった」人は、たいてい貧しい底辺の人々で、「物言わぬ民」でした。それに対して「もの言う人々」、すなわちユダヤ教社会で公に発言する階層の人たちの多くは、イエスに反対して、イエスを聖なる律法に逆らう者であるとイエスを言葉で非難し、言い逆らいました。そのようにイエスに言い逆らった人たちはサドカイ派やファリサイ派などの祭司とか律法学者というようなユダヤ教指導層の人たちでした。その言い逆らいの締めくくりが、そのような階層の人々で構成される最高法院のイエスに対する死刑判決です。このようにイエスに言い逆らった人々は、その言い逆らいによって「倒れ」ました。彼らの倒れは甚だしく、彼らの拠り所であった神殿は「一つの石も崩れずに他の石の上に残ることがない」ほど徹底的に打ち倒されました。


 「反対を受けるしるし」という句の直訳は、「言い逆らいのしるし」です。「しるし」《セーメイオン》というのは、神との関わりで起こる目に見えない霊的事態を指し示す、地上の人間が体験できる具体的な事物や出来事です。従って、「言い逆らいのしるし」というのは、彼が民から言い逆らいを受けるという事実(それは人間が地上で体験し、歴史に書きとどめることができる具体的な出来事です)を予告するだけではなく、その出来事(彼が言い逆らいを受けるという事実)が、民が神に言い逆らっているという霊の事態を指し示す「しるし」となる、という意味です。この幼子が長じてイスラエルに現れるとき、その生涯は民から歓呼されるのではなく、逆に民から言い逆らいを受けて、民の神への反抗を指し示す「しるし」となる、という預言です。


 この幼子が「言い逆らいのしるしへと定められている」という預言の後に、「多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」という、そのように定められていることの目的を説明する文が続いています。将来その人物への言い逆らいが神への反抗の「しるし」となるだけでなく、その人物に直面することで人の心の奥底に隠されている思いが明るみに引き出されて、人が実際に神に向かう者であるか背を向ける者であるかが決められる、すなわち裁く(=分ける)ことが行われる、という預言です。これは、後にヨハネがイエスの登場がすでに裁きである(ヨハネ三・一八〜一九)と言いますが、それを先取りしています。


 「言い逆らいのしるしへと定められている」という預言と、「多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」という説明の間に、その繋がりを裂く形で、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」というマリアへの個人的な語りかけが割り込んでいます。それで、この部分は(底本でもどの翻訳でも)「 ― 」で囲まれています。この幼子が「言い逆らいのしるし」となることが母親のマリアにとってどんなに辛いことを意味するかが、「剣で心を刺し貫かれる」という、その出来事の激しさにふさわしい激しい表現で語られます。この預言を語り伝えた人たち(=伝承の担い手たち)は、イエスの最後が凄惨な十字架刑であったことを知っています。そのことを、このマリアへの予告の形で指し示しながら語り伝えたことでしょう。このマリアへの予告は、イエスの十字架を指しています。


 このように、シメオンの預言は、この幼子が「万民のための救い、異邦人を照らす啓示の光、イスラエルの誉れ」であることを預言すると同時に、その救いがその人物の苦難を通して来ることを預言していることになります。

 

 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。(二・三六〜三八)


 シメオンの預言に続いてルカは、アンナという女預言者が幼子イエスこそがイスラエルの待望を満たす者であることを語ったという記事を置きます。旧約聖書にはミリアム、デボラ、フルダ、イザヤの妻など、女預言者の存在と活動が数多く伝えられています。ルカは男性の預言者であるシメオンの後に、女性の預言者を登場させて、物語における男性と女性のバランスをとります。ルカは福音の物語において男女をペアで登場させてバランスをとる著作家であり、そのペアは一三組もあることを指摘した注解者もいます。誕生物語におけるザカリアとマリアの賛歌のペアもその実例でしょう。ここにもルカの女性尊重の姿勢が見られます。


 アンナという女預言者を紹介する記述が、他の登場人物と較べて目立って詳しいことが注目されます。これは、普通は女性の証言が認められないユダヤ教社会で、アンナの場合は特別であることを印象づけるためであると見られます。


 アシェル族はヤコブの八番目の息子を名祖とする氏族で、北王国に住んでいました(歴代誌上七・三〇〜四〇)。しかし、ガリラヤに住む者たちから分かれて南のエフライムの山地に住む支族もいたとされています。ファヌエルはエルサレムに近い南の支族の人だったかもしれません。その娘アンナについての記述は、ユダヤ教の敬虔の模範として描いているのでしょうが、「若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた」とあるのは、テモテT五・三〜一六にある「寡婦」に関する最初期共同体の規定の中で、「やもめとして登録」する女性の資格(九節)や、「神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」姿は、その生活についての規範(五節)を思い起こさせます。アンナの姿は、最初期共同体の寡婦集団の模範として描かれているという面もあるようです。この事実は改めてルカと牧会書簡の親近性を思い起こさせます。


 そのアンナが、シメオンに続いて、神殿に連れてこられた幼子イエスを指して、「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に」、この子こそ彼らの待望を満たす者だと語りかけます。その言葉の内容は伝えられていませんが、すでにシメオンの預言で語られているので重複を避けたのでしょう。そのことは、「イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」というシメオンについての記述と、アンナが語りかけた聴衆についての「エルサレムの救いを待ち望んでいる人々」という記述の並行関係が示唆しています。両方とも当時のイスラエルの民の終末待望とその待望の成就を語っているからです。ここで用いられている「エルサレムの《リュトローシス》(贖い、解放)」は、「イスラエルの慰め」と同じく、神の民イスラエルの終末的な救済を指す並行表現です。シメオンもアンナも共に、この待望がこの幼子によって満たされることを預言します。まさにこれこそ、ルカがこの誕生物語で主張する主眼点です。

 

 

11 ナザレに帰る(2章39〜40節)

 

 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。(二・三九〜四〇)


 ルカの物語では、住民登録のために「ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」(二・四)という記事の後、ここで初めてガリラヤのナザレに帰ったことが言及されるので、素直に読めばヨセフとマリアはこの時点までユダヤのベツレヘムにいたことになります。先に(一・二二の講解で)夫妻は一度ナザレに帰って、再度清めの儀式のために上京した可能性に触れましたが、ルカの物語ではどちらでもよいことで、要するに「彼らは主の律法で定められたことをみな為し終えた」ことを言いたいのです。なお、新共同訳では「親子」と訳されていますが、原文のギリシア語では、動詞が三人称複数形で用いられているだけで、主語を特定する名詞はありません。これまでと同じく両親と見てよいでしょう。ここに幼子イエスを含ませて、イエスは赤子の時から律法を満たしておられたと読むのは、それは事実であるとしても、テキストの読み方としては行き過ぎた「読み込み」でしょう。 


 生まれたばかりの幼子イエスを連れて、「自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」ヨセフとマリアが、そこでどのように暮らしたかは何も述べられていません。幼子イエスだけにスポットライトが当てられ、幼子イエスがどのように育ったのかだけが記述されます。それも「幼子は成長し、力が増し加わり、知恵に満たされ、神の恵みがその上にあった」(直訳)と、ごく一般的な用語で簡潔に述べられます。福音書はイエスの伝記ではありませんから、福音書記者はイエスの生い立ちにほとんど関心を示しません。


 ここで「誕生物語」は終わります。「ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」イエスの誕生の次第を物語る物語はここで終わります。しかし、ルカはイエスがどのようにお育ちになったかを垣間見させるエピソード(次の段落)を入れて、イエスの生い立ちについてのこのごく簡潔な記事を補い、三章から始まる本体部へのつなぎとします。

 

 ガリラヤでのヨセフ一家の生活と、イエスの生い立ちについては、拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2 イエスの生い立ち」を参照してください。

 

 


12 神殿での少年イエス(2章41〜52節)

 

 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭の慣習に従って都に上った。(二・四一〜四二)


 律法に忠実なユダヤ教徒として、ヨセフとマリアは毎年神殿で神を礼拝するためにエルサレムに上ります。律法には、ユダヤ人の成年男子は年に三度エルサレムに上って過越祭(=除酵祭)、七週祭、仮庵祭に参加しなければならない、とあります(申命記一六・一〜七)。女性の巡礼は義務づけられていませんが、ヨセフはマリアを伴って都に上ります。この記事には、毎年連れだって神殿に詣でたサムエルの両親の記事の影響があるのかもしれません(サムエル記上一章)。二人は他の祭りにもエルサレムへの巡礼をしたのでしょうが、ここで特に過越祭のために上ったとされているのは、このエピソードをイエスの受難と復活の物語への橋渡しとして置いているルカの著述意図(後述)から出ていると見られます。


 子供には巡礼の義務はありませんが、男子は十三歳の誕生日に成人式の儀式を受け、一人前のユダヤ教徒として律法のすべてを順守する義務を負います。従って巡礼にも参加しなければなりません。両親が「イエスが(十三歳ではなく)十二歳になったとき」に巡礼の旅に伴ったことについては、様々な説明がされています。翌年から始まる巡礼への準備として連れて行ったとか、当時の偉人伝が少年時代を語るとき十二歳のときのことをよく扱っていたから、というような説明が行われています。新共同訳は「十二歳になったときも」と訳して、両親がそれまでもずっとイエスを連れて巡礼したことを示唆して、この問題を避けています。日本語訳はみな「も」を入れていますが(文語訳、塚本訳、岩波版は入れていません)、主要な外国語訳で入れているものはありません。四二節文頭の《カイ》は、「もまた」ではなく、「そして」と素直に読むべきでしょう。

 

 シュタウファーはイエスの誕生を前七年とし、後六年のキリニウスの人口調査のときは十二歳になっておられたことから、この時のエルサレムは祭りと人口登録が重なって極度の混雑にあり、大勢の巡礼者集団の中で、両親がイエスを見失ったとしています。

 

 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。(二・四三〜四五)


 過越祭はそれに続く除酵祭と合わせて祝われ、一週間続きました。巡礼者がエルサレムにいなければならないと律法が命じているのは、初めの二日間の過越祭ですが、敬虔なユダヤ教徒は「祭りの期間」ずっとエルサレムに滞在しました。ここでヨセフとマリアが帰途についたのは、この一週間の「祭りの期間」が終わったときであると推察されます。しかし、両親が初めの二日間で帰途につき、イエスはなお祭りが続くエルサレムに残っておられた可能性もあります。


 ガリラヤなどの遠い町からエルサレムに上る巡礼者は、道中の危険を避けるために大きな団体をなして旅をするのが普通であったようです。帰途も同じように団体で行動したので、大勢の群れの中で仲間を見失うことはよくあったようです。両親はイエスがエルサレムに残っていたのに気づかず、「イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返し」ます。「見失う ― 捜す」のテーマはルカがよく用いるものですが(失われた銀貨、失われた羊など)、ここでは見失しなったイエスを捜すという形で、世から去り見失しなわれたイエスを捜すという後の受難復活物語が先取りされています(後述)。


 ここでイエスという名前の後に《ホ・パイス》という語が称号のように添えられているのが注目されます(《ホ》は定冠詞)。《パイス》は年若い男の子を指すギリシア語ですから、「少年イエス」という訳でよいのです。しかしギリシア語の《パイス》は、年若い男の奴隷や召使いという意味もあり、七十人訳ギリシア語聖書ではイザヤ書の「主の僕」の「僕」をこの《パイス》を用いて訳しています。それで、イエスをイザヤ書の「主の僕」の預言を成就するメシアであると信じた最初期のユダヤ教徒の共同体(エルサレム共同体)は、復活されたイエスを、この《パイス》という語を使って、「僕イエス」《イエスース・ホ・パイス》と呼んで崇めました(使徒三・一三、四・二七、四・三〇)。このように復活されたイエスを「僕イエス」と呼んで礼拝した最初期のエルサレム共同体のユダヤ人たちが、十二歳のイエスのエピソードを語り伝えるさいに、同じ《パイス》という語で「少年イエス」を指していたのですから、この「少年イエス」には復活されたイエスの「僕イエス」が重なっていたことでしょう。これは後の補論で述べることになりますが、ここの重なりも誕生物語が復活物語の一つのバリエイションであることを指し示しています。

 

 《パイス》の用例ついては、拙著『福音の史的展開T』398頁の「『神の僕』イエス」の項を参照してください。

 

 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。(二・四六〜四七)


 この「三日の後、彼らは彼を見つけた」という文頭の表現にも復活物語との重なりが見られます。弟子たちは、十字架につけられて世を去ったイエスと、三日目に復活者イエスとして再会します。「キリストは三日目に復活した」は、最初期の福音告知の定型《ケリュグマ》でした(コリントU一五・四)。イエスを見失った両親は「三日の後」イエスを見つけます。この少年イエスのエピソードを伝承した人々は、福音告知を担った人々です。ただ彼らはここで、《ケリュグマ》の「三日目に」でなく、イエスが用いられたとして伝えられている「三日の後」(マルコ八・三一)を使っています。

 

 イエスが用いられたとされる「三日の後」や「三日で」(ヨハネ二・一九)という句と《ケリュグマ》の「三日目に」の関係については、エレミアス『イエスの宣教 ― 新約聖書神学T』(角田訳)519頁c の「三日句」についての解説を参照してください。

 

 当時の律法学者が弟子に律法を教える方法は問答でした。弟子が律法の意味やその具体的な適用を訊ね、師であるラビがそれに答え、また師が弟子に質問して弟子に答えさせ、その理解を確認するという方法で、律法理解が師から弟子に伝えられ、そうして形成された口伝の律法理解と適用が「口伝律法」となり、聖書にある成文律法と同じ権威のある律法として扱われました。ここで「イエスが学者たちの真ん中に座り」とあるのは、弟子たちの前や真ん中に座って教えたラビの姿を思い起こさせます。この物語を語り伝えた人たちは、イエスが生前律法学者たちと律法理解についてやり取りされたことを見ています。とくにエルサレムに入られてからは、神殿で律法学者たちと激しく論争されました。聞いていた人たちはイエスの「賢い受け答え」に驚嘆しました。税金問答(二〇・二〇〜二六)はその典型です。この少年イエスのエピソードを語り伝えた人々は、このようなイエスの姿を少年イエスに重ねて物
語ったことでしょう。


 律法についても「律法学者のようにではなく権威をもって」教えられるイエスに人々は驚嘆し、「この男は学んだこともないのに、どうして聖書が分かるのか」(ヨハネ七・一五)と言っています。「学んだこともない」というのは、権威を認められたラビに入門して律法に関する訓練を受けていないことを指します。たしかにイエスは当時有名であったヒレルとかシャンマイというような高名なラビについて学ばれたことはありません。イエスの知恵は、聖書学者の知恵ではなく、実際に聖霊に導かれて活動されている中で聖書(律法)を理解された結果の知恵です。ユダヤ人で福音書を研究して『ユダヤ人イエス』を著したD・フルッサーは、「イエスは聖書と口伝律法の双方に完璧なまでに通じており、またこのユダヤ教の学問的伝統をどのように応用すべきかを知っていた。イエスのユダヤ教の教養は聖パウロが受けた教育より比較できないほどすぐれていた」と述べていますが、そのイエスの知恵はこのような種類の知恵であったことを見落としてはなりません。このエピソードを伝承した人たちと、その伝承を用いてこの誕生物語を書いたルカは、そのイエスの知恵を少年イエスの物語として語り、それによって本論の僕イエスの働きの質を指し示します。

 

 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」。(二・四八)


 ほとんど成人になっている十二歳のイエスを見失った両親が、「心を痛めて(苦悩して)」捜し、三日目に見つけて「驚愕し(呆然となり)」、母マリアが「どうしてこんなことをわたしたちにしたのか」と問い糾しているのは、やや大袈裟で不自然な感じがします。これも、このエピソードが受難復活物語の先取りだとすれば納得できます。弟子たちは師のイエスが十字架で刑死したとき、「どうしてこんなことになったのか、なぜ師イエスはわれわれをこんな状態に陥れたのか」と苦悩し、三日目に復活されたイエスに再会したときは驚愕します。その弟子たちの体験が、このエピソードを伝承するさいの語り方に反映していると見られます。

 

 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。(二・四九〜五〇)


 「なぜこんなことを」と問い糾す母マリアに対して、イエスは逆に「どうしてわたしを捜したのですか」と、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか」という二つの問いによってお答えになります。この二つの問いは、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」ということを知っていたら、心痛してわたしを捜すことはなかったであろうという意味で、一体の問いです。


 この「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」という宣言が、この少年イエスの物語の核心です。ところがこの文は直訳すると、「わたしがわたしの父の事柄(複数形)の中にいるのは当然(必然)である」となり、「家」という語はありません。それで、このイエスの言葉が何を意味するのかについては、多くの議論が行われてきました。文脈がイエスの居場所を問題にしていることや、「〜のこと」という表現が家を指す用例があるという説が認められて、最近の翻訳では「わたしの父の家にいる」という訳が多くなりました(RSV、NRS、文語訳以来の邦訳のすべて。岩波版佐藤訳は家を括弧に入れ、慣用的な言い方と説明を加えています)。しかし、古い翻訳では「家」を用いず、直訳調の「わたしの父の事柄に携わっている」という訳が主流でした(たとえばKJV、ルター訳)。ここと同じ表現(複数形の定冠詞+二格の名詞)で「主の事柄」を指す用例はパウロにもあり(コリントT七・三二、三四、一三・一一)、牧会書簡(テモテT四・一五)の「これらの事柄にいよ」という用例も参考になります。


 イエスの答えの「わたしの父」が、マリアの「あなたのお父さんは心配して捜していた」の「あなたの父」への応答として言われたものであるならば、「わたしがわたしの父の事柄に携わるのは当然だ」という意味は十分成り立ち、むしろそう理解する方が自然です。無理に原文にない「家」という語を入れて居場所の問題に限定しなくても、「わたしがわたしの父の事柄に専心携わるのは当然だ」というイエスの生涯全体のあり方の宣言として理解する方が、よりいっそう相応しいと思います。


 このイエスの言葉には《デイ》という語が用いられています。この動詞は(不定詞を伴い)「〜するのは必然(当然)である、不可避である、義務である」という意味であり、他の福音書に較べてルカが多く用いています(マタイは八回、マルコは五回、ヨハネは一〇回に対してルカは一八回、使徒言行録には二二回)。多くの場合、この語は神の計画が必ず実現するとか、神の意志は必ず行わなければならないという必然を表現しています。イエスが御自身の受難と復活を予告される言葉にこの 《デイ》が用いられているのが代表的な事例です(九・二二)。ここでもこの《デイ》が用いられ、僕イエスが「父の事柄」に専心されるのは必然であることが、少年イエスの口から宣言されます。


 このエピソードを伝承した人々は、イエスが神を「わたしの父」と呼び、その父の御心を行うことに生涯を捧げられたことを知っています。彼らがこのイエスの言葉を語り伝えたとき、そのイエスの全生涯を重ねて、イエスは十二歳の時から神を「わたしの父」とし、その父の事柄に自分を捧げる者であることを自覚しておられたとしたのです。


 このイエスの言葉を聞いた両親は、その言葉を理解できませんでした。これは当然です。イエスは霊の次元のことを語っておられるのに、両親はあくまで肉親の我が子としてイエスを見ています。マリアが「あなたの父」と言ったとき、それはヨセフを指しています。それに対してイエスが「わたしの父」と言われるとき、それは霊の交わりにある父、霊なる神を指しておられます。肉(生まれながらの人間性)にいる者がイエスの霊の言葉を理解できないという落差ないしギャップは、ヨハネ福音書に繰り返し描かれていますが、ここはルカにおける代表的な実例となります。

 

 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。(二・五一)


 祭りの期間を終えてナザレに帰る両親と一緒に、イエスもナザレに戻られます。ナザレでは「両親に仕えて」お暮らしになります。ここの「仕える」は、「従う、従順である」という動詞が用いられています。これはもともと下位の者が上位の者に従うことを指す軍隊用語ですが、コロサイ書やエフェソ書や牧会書簡の家庭訓で、妻が夫に、子が親に、奴隷が主人に従うように勧告するときに用いられています。イエスも家におられるときは、家族の一員として家の秩序に従われたことを、ルカは特記します。イエスが家を出てガリラヤの各地を巡回し、福音を告知する活動を始められたのは「おおよそ三十歳」(三・二三)とされていますから、十二歳から十八年前後の期間のナザレでのイエスの生活を、ルカはこの「両親に従われた」の一句でまとめます。ルカがこのことを特記するのは、神に召されて「神の事柄に専心するのは当然」とされたイエスも、家におられた時には、家の秩序に従われた姿を描いて、ルカの時代の家庭訓との調和を図ったと考えられます。


 ヨセフは木工職人でしたから、イエスはヨセフから木工職人の技術を学び、木工職人として家業を継がれたと考えられます。なお、福音書にヨセフが出てくるのはこの少年イエスのエピソードが最後ですから、ヨセフはこの十八年前後の期間中に亡くなったと推察されています。そうすると、ヨセフ亡き後は長男であるイエスが木工職人の仕事で一家を支えていかれたと推察されます。


 母親のマリアは、イエスが三十歳代半ばで十字架につけられたときその前にいました。そして、復活後成立したエルサレム共同体にも参加しています。その時、マリアは五十歳前後であったと推察されます。マリアは「これらのことをすべて心に納めていた」というのは、イエスの誕生にさいして起こった出来事や天使や預言の言葉、さらにイエス十二歳のときの神殿での出来事やイエスの言葉など「すべて」を心に納めたということです。それを体験したときには理解できませんでしたが、マリアはそれらをすべてを「心に納めて」保存しておきます。このマリアが心に納めていたことが素材となって、イエスの誕生に関する伝承が形成され、最終的にマタイやルカの誕生物語となります。マリアについては以下の「補論」で改めて取り上げます。

 

 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(二・五二)


 この文は直訳すると、「イエスは知恵と、歳(あるいは背丈)と、神と人のもとでの恵みにおいて、進まれた」となります。歳が進み背丈が伸びるのは当然ですが、それに伴って知恵が増し加わり、神と人から受ける好意も増えていった、とルカはイエスの人間的成長と社会的成長をごく一般的な表現で簡潔に記述して、誕生物語全体を締めくくります。ルカは、イエスや共同体が周囲の人たちからよく思われていたことをしばしば書き添えますが、これはルカの護教家としての体質から来るのでしょう。

 

ナザレにおけるイエスの生活ついては、先にあげた拙著『ルカ福音書講解T』126頁の「補説2 イエスの生い立ち」を参照してください。

 

 以上に見たように、この段落はたんに少年時代のイエスのエピソードを語り伝えるだけのものではなく、三章から始まる本論への導入部となっています。すなわち、ルカはイエスの少年期の出来事を伝えるエピソードの一つを用いて、十字架と復活に至るイエスの生涯の質を少年イエスの姿に重ねて描き、「少年イエス」の物語を「僕イエス」を指し示す指としています。その重なりは講解の中で繰り返し触れましたが、それは「少年」と「僕」がギリシア語原語では同じであり、「少年イエス」の物語を伝承した最初期のエルサレム共同体の人々は、復活されたイエスを「僕」と呼んで崇めていたのですから、この重なりはすでに伝承の段階で始まっていたと見られます。どこまでが伝承の段階で重なっていたのか、どこからがルカの筆によるものかを判別することは困難ですが、その重なりがあることは講解で見た通りです。こうしてルカは、「少年イエス」の物語を「僕イエス」の生涯を予告し、指さす物語として本論の直前に置きます。この「少年イエス」の段落は、本来の誕生物語(一・五〜二・四〇)と本論を結ぶ連結器としてここに置かれている、とも言えるでしょう。

 

 

 


 補論1 誕生物語の位置と性格

 

最初期の福音活動における誕生物語の位置


 イエスが復活されて、復活されたイエスをメシアまたキリストとして告知する使徒たちの活動が始まったとき、イエスの誕生の次第について触れることはありませんでした。イエスがなされた働きや語られた言葉を紹介することもほとんどありませんでした。ただ、その復活されたキリストであるイエスが十字架につけられて死なれた事実がどういう性質の出来事であったのか、すなわち、それは「わたしたちの罪のために死なれた」死であることが加えられました(コリントT一五・三〜五)。


 イエスの十字架の死と復活の出来事が、聖書に約束されていた終わりの日における神の救いの成就であることが福音告知の核心です。しかし、この福音を告知した使徒たちは地上のイエスの働きを目撃しているのですから、イエスがどのような方であり、どのような働きをされたかも語るようになります。その典型はペトロがコルネリウスの一家に福音を語った場合です(使徒一〇・三四〜四三)。そこでは、イエスの十字架の死と三日目の復活、およびこのイエスを信じる者は罪の赦しによる救いを受けるという福音告知の前に、神がイエスと共におられたことの証拠として、病気をいやし悪霊を追い出すなどの、洗礼者ヨハネ以来のガリラヤやユダヤにおけるイエスの働きが加えられています。


 このコルネリウスの家でのペトロの福音告知が「使徒的宣教」の原型となり、後のマルコ福音書に至ったとされます(C・H・ドッド)。マルコ福音書は、地上のイエスの働きを語り伝えるイエス伝承を用いて福音を告知する最初の文書となり、後に成立する他の福音書のモデルになります。そのマルコ福音書は、その物語を洗礼者ヨハネの登場から始めており、それ以前のイエスの誕生や生い立ちや生活などに触れることはありません。これは当然です。使徒たちは洗礼者ヨハネのもとでイエスに出会ったとき以来、自分たちが弟子として目撃したイエスの働きを福音の一部として語ったのであり、イエスがどのように誕生し、その生い立ちはどうであったかなど、それ以前のことは目撃していませんし、関係のないことであったからです。


 イエスが地上で活動されたときその弟子ではなく、復活後にイエスの弟子を迫害したパウロは、ダマスコ途上で復活されたイエスに遭遇して回心を体験し、イエスの僕となり、イエスをキリストと告知する福音活動に召されます。そのような経歴のパウロは、福音告知の活動において、イエスの地上の働きを語り伝えるイエス伝承を用いることなく、キリストの十字架と復活の救済史的意義に集中しています。当然、イエス誕生の次第に触れることなく、彼の全書簡に処女降誕を問題にした痕跡はありません。


 マルコ福音書とは別の独自の状況で成立したヨハネ福音書も、イエス誕生の次第には触れていません。ヨハネ福音書は「十二弟子」の使徒団とは別の「もう一人の弟子」の目撃証言に基づいて成立した福音書であり、その原型はマルコ福音書と同じかもっと早い時期に成立していたと見られます。ヨハネ福音書を最初の福音書と見る有力な研究者もいます(K・ベルガー)。マルコ福音書の成立は七〇年のエルサレム陥落の前後と見られるので、マルコ福音書とヨハネ福音書の両方に誕生物語がないという事実は、使徒が活動した最初期前期にはイエス誕生の次第は問題にされず、福音告知には含まれていなかったことを示唆しています。


 事実、使徒たちが告知する福音を聞いた人たちは、処女降誕のことは何も聞いていませんし、イエスを普通に誕生した普通の一ユダヤ人として見ていたのでした。それでも、イエスを復活したキリストと信じた人たちは聖霊を受けて、キリスト者としての信仰と希望に生きるようになりました。この事実は、処女降誕は福音の必須の項目ではなく、その信仰はキリスト信仰の不可欠の内容ではないことを示しています。使徒時代には、誕生物語は福音告知の運動においていかなる位置も占めていませんでした。

 

誕生物語の成立 ― マタイとルカの場合


 このように、最初期前期の使徒時代には、イエス誕生の次第が福音の一部として触れられた痕跡はありません。しかし、後期になると状況が変わります。使徒の後継者たちが活動した七〇年以後の後期になると、使徒たちの福音告知を継承しつつも状況の変化に促されて、その福音告知の仕方に微妙な変化が見られるようになります。その変化の一つとして、誕生物語の成立とそれによる処女降誕信仰の普及をあげることができます。


 最初期後期、それも末期になって成立した二つの福音書に誕生物語が現れます。マタイ福音書とルカ福音書です。この二つの福音書は、マルコ福音書をモデルとした枠組みで書かれ、多くの並行記事を持つことから共観福音書と呼ばれるグループに属します。最初期後期の初め(七〇年前後)に成立したマルコ福音書は、後期を通じて各地に流布し、広く用いられるようになっていたと推測されます。そのマルコ福音書の枠組みを用いて、シリアのユダヤ教内キリスト信仰の流れではマタイ福音書が成立し、パウロを受け継ぐエーゲ海地域のユダヤ教外キリスト信仰の流れではルカ福音書が成立します。この二つの福音書は、マルコ福音書と「語録資料Q」という二つの共通の資料を用いながら、その成立の状況の違いから、かなり大きな違いを見せています。その違いは誕生物語において最大になります。


 偉大な人物の誕生には普通の誕生とは違う様相があるという古代の人々の観念から、メシア・キリストと崇めるイエスの誕生の様子を知りたいという共同体の願望もあったのかもしれません。また、イエスの物語を伝記的にも完全なものにしたいという著者の願いもあったのかもしれません。マタイとルカは、おそらくエルサレム共同体で語り伝えられていた伝承を素材として用いて、それぞれの状況にふさわしい誕生物語を書き上げて、福音書の冒頭に置きます。


 二つの誕生物語は、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイ二・一)という当時広く流布していたと見られる伝承に合致し、それを詳しく物語る内容になっています。しかし、物語り方は全然違います。マタイでは、ヨセフとマリアはベツレヘムの住人で、マリアは自分の家で出産します。東方の博士たちの来訪で新しい王の出現を知ったヘロデ王は、ベツレヘムと近郊の男の赤子を虐殺します。ヨセフとマリアはエジプトに逃れ、ヘロデ王が亡くなってから帰国し、ナザレに移住します。ルカでは、二人はガリラヤのナザレの住人ですが、キリニウスの住民登録のためユダヤのベツレヘムに旅をして、旅先の馬小屋で出産します(マタイにはキリニウスの住民登録は出てきません)。そして、神殿で新生児のための儀式を済ませた後、故郷のナザレに帰ります。この二つの物語を組み合わせて一つの物語を組み立てることは不可能です。


 二つの誕生物語は、イエスが「ナザレのイエス」として広く知られている事実と、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という共同体の伝承を橋渡しするために物語られています。その二つの物語がこれほどまでに違うという事実が、この物語は歴史的な出来事を叙述する物語ではなく、マタイとルカがそれぞれの信仰上の主張を表明するために構成した物語であることを示唆しています。その信仰上の主張を表明するための構成の仕方も、マタイとルカではかなり違います。


 イエスの誕生が神の御計画による特別の出来事であることを示すために、神からの使者である天使がしばしば登場して、神の指示を伝えます。誕生物語は、新約聖書の中で天使の登場が最も多い舞台です。この事実も、誕生物語が歴史的な出来事を語り伝える物語ではなく、信仰によって構成された物語であることを示唆しています。その天使の働き方も、マタイとルカではかなり違います。


 マタイでは、天使はいつも家長であるヨセフに現れ、なすべきことを指示しています。ヨセフは天使による神の御告げに従順な義人として描かれています。マリアはヨセフに従うだけです。受胎予告も、マリアにではなくヨセフに与えられています。マタイの誕生物語の主役は、マリアではなくヨセフです。これは厳格な家父長制のユダヤ教社会にふさわしい構成です。


 それに対してルカでは、主役はマリアです。天使はマリアに現れて受胎を予告し、預言者はマリアに預言の言葉を与えます。天使のお告げを従順に受け入れて信仰者の模範とされるのはマリアです。この出来事について神を賛美するのはマリアです。ヨセフはダビデの家系の人だと紹介されるだけで、物語の舞台では重要な活動はほとんどしていません。これは、女性に深い共感をもって著述したとされるルカの姿勢の現れでしょうか。


 誕生物語は、イエスの誕生が神の御計画による救済史上の重要な出来事、神が終わりの日に成し遂げると約束された出来事であることを示すために、それが聖書の預言を成就する出来事であることを強調しています。これは、マタイもルカも同じです。しかし、その強調の仕方は両者でかなり違います。マタイはユダヤ教徒の間で書いていますから、聖書が神の約束の書であることは当然の前提とすることができます。それで、マタイはイエスの誕生に関わる個々の出来事が聖書のどの言葉の成就であるかを示せば足ります。マタイは、イエス誕生における個々の出来事に「主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」という説明をつけて、聖書の箇所をあげています。


 それに対してルカは、聖書をそのような書として理解していない異邦人に向かって書いているので、ユダヤ教の聖書が諸国民の救い主であるイエス・キリストの出現を約束し予告する書であるということ自体を示さなければなりません。ルカはそれを、洗礼者ヨハネの誕生をイエスの誕生と一組にして語ることで成し遂げています。この講解で見たように、ルカの誕生物語の基本的な構成原理は、イエスの誕生と洗礼者ヨハネの誕生の並行と、その並行関係におけるイエスの上位です。この洗礼者ヨハネの誕生との並行関係は、マタイに見られないルカの特色です。マタイは洗礼者ヨハネについては一言も触れていません。


 ルカがイエスの誕生を洗礼者ヨハネの誕生と一組にして物語ったことは、ルカの誕生物語成立の経緯に深くかかわっているので、この事情を項を改めて述べることにします。

 


ルカ二部作成立過程における誕生物語の位置


 ルカ二部作(ルカ福音書と使徒言行録)成立の経緯については、別著『福音の史的展開U』第八章第一節の「ルカ二部作成立の状況と経緯」で詳しく述べました。そこで見たように、ルカ二部作の成立には、マルキオンの登場が深く関わっています。ルカはマルキオンに対抗するために使徒言行録を書き、それまでにまとめられていた福音書を改訂し、その冒頭に誕生物語を付け加え、末尾に顕現物語を添えて現形のルカ福音書とし、二部作としてテオフィロに献呈します。ルカの誕生物語には、マルキオンに対抗するためという意図が貫かれています。


 ルカは一世紀末までに彼の福音書をまとめていました。ルカはエルサレムやアンティオキアに伝えられているイエス伝承を集め、イエスの働きや言葉を素材として世に福音を提示する「福音書」を書き上げます。その福音書は、ルカがモデルとしたマルコ福音書と同じく、洗礼者ヨハネの出現と活動から、すなわち三章から始まっていたと考えられます。この福音書は、現在新約聖書に収められている正典のルカ福音書とは違いますので、ここでは「初版ルカ福音書」と呼んでおきます。


 その福音書は、パウロ系の共同体が活動していたエーゲ海地域で成立し、流布していたと見られます。その主要地域である小アジアに、二世紀初頭、ポントス出身のマルキオンが現れて活動を始めます。彼は熱烈なパウロ主義者で、パウロが強調する福音と律法の峻別を推し進めて、イエスが啓示した父なる神はユダヤ教聖書(旧約聖書)の神とは違う別の神だとしました。その結果、当時のキリスト信仰共同体で信仰の拠り所として仰がれていた聖書(旧約聖書)を拒否するに至ります。そして、その聖書(実際には七十人訳ギリシア語旧約聖書)に代えて、当時成立していたパウロ書簡集(牧会書簡を除く十書簡)と、その地域で用いられていた福音書(初版ルカ福音書)を自分流に改訂した福音書を、自分の追従者たちの共同体に信仰の基準として与えます。これが「マルキオン聖書」と呼ばれ、その後マルキオンに対抗した正統派の共同体が新約聖書正典を形成するきっかけとなり、正典の「福音書と使徒書簡」という構成のモデルとなります。


 マルキオンの活動に直面したルカは、使徒以来伝えられてきた正しいキリスト信仰の伝統が脅かされていると感じ、マルキオンに対抗するために使徒言行録を書き、初版の福音書も増補改訂して、現行のルカ福音書の形にします。このような経緯から、増補された部分、すなわち冒頭の誕生物語と末尾の顕現物語では、イエスの福音はユダヤ教聖書の成就であるということが強く主張されることになります。顕現物語では、復活されたイエスが直接弟子たちに説いておられますが(二四・二六〜二七、四四〜四六)、誕生物語ではイエスはまだ生まれたばかりの赤子で、イエスにこのことを語らせることはできません。それでルカは、イエスの誕生を洗礼者ヨハネの誕生と組み合わせて物語ることによって、イエスの出現がユダヤ教聖書(旧約聖書)の成就であることを伝えようとします。というのは、洗礼者ヨハネは聖書の預言の流れを集大成する代表的預言者であり、そのヨハネと共に神の計画の実現として誕生したイエスは、聖書の預言と約束の成就に他ならないことになるからです。


 マルキオンは、イエスの福音をできるだけユダヤ教聖書から切り離すために、洗礼者ヨハネを無視しました。マルキオンが初版ルカ福音書を改訂して作った「マルキオン福音書」では、ルカ福音書の三章二〜三八節はばっさりと削除され、ユダヤ教大祭司、洗礼者ヨハネの活動、イエスの受洗、イエスの系図はありません。さらにイエスが聖書の言葉でサタンを退けた「荒野の誘惑」もなく、マルキオン福音書のイエスは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」に(三・一)、突如カファルナウムに現れます(四・三一)。ナザレの会堂での説教はその後に来ます。マルキオンはイエスをできるだけユダヤ教から遠ざけようとしています。それに対抗して、ルカは三章一節から始まっていた初版の福音書の前に誕生物語を加えて、そこでイエスの出現がいかに洗礼者ヨハネの出現と一体の出来事であり、一方を神からのものとすれば当然もう一方も神の出来事であり、両者は切り離せないことを強く主張します。


 ルカの誕生物語はこのような意図をもって書かれているので、その記述はきわめて強いユダヤ教の色彩を帯びています。ルカの誕生物語は、新約聖書の中で最も親ユダヤ教的だと言われます。三章以下の本体部では、イエスの物語はユダヤ教と対立する面が強くなりますが、誕生物語では舞台上の人物はすべてモーセ律法を順守することを当然として、敬虔なユダヤ教徒の生活をしています。イエスの割礼を明記するのはルカだけです(二・二一)。とくに洗礼者ヨハネに関する記述は、ヨハネをメシアと仰ぐユダヤ教徒のグループの伝承を用いているので、その内容はきわめて強いユダヤ教メシア待望の色彩を帯びることになります。


 このように、ルカの誕生物語はルカ二部作成立の最後の段階で、三章から始まっていた元の福音書に付け加えられたものであり、マルキオンに対抗するという意図から、イエスとユダヤ教の強い結びつきを強調する形と色彩をとることになります。

 


復活物語のバリエイションとしての誕生物語


 ルカの誕生物語は、その成立の過程において福音書の最後に位置するだけでなく、その性格からしても福音書の最後に位置する物語と見るべきです。それは、誕生物語が復活物語の一つのバリエイション(変奏)だからです。誕生物語は、イエスを復活された神の子と信じる共同体が、復活者イエス・キリストを誕生の場面で賛美している物語です。したがって、誕生物語はイエスの物語が復活に達した後に、そのイエスの誕生がどのように神の働きと栄光を顕す出来事であったかを物語ります。ルカの誕生物語は、復活者イエスへの賛美歌集の様相を見せています。


 福音書はイエスの生涯を記録する伝記物語ではなく、イエスの言動を伝えるイエス伝承を用いて復活者イエス・キリストを世に告知する文書であることは、この講解でも繰り返し述べてきました。誕生物語は、イエスの誕生の場面で復活者イエス・キリストを告知する物語となっています。イエスを復活者キリストと信じて告白する共同体が、イエスをそのキリストの地上への出現であると言い表す信仰告白は、ルカの誕生物語を待つまでもなく、かなり早い時期(おそらく四〇年代)から始まっていました。それは、フィリピ書(二・六〜一一)に引用されている最初期共同体のキリスト賛歌に見られます。


 そのキリスト賛歌は、明らかに前半と後半の二つの部分から成り立っています。前半(六〜八節)では、神と等しい身分のキリストが人間の姿をとられたことが、次のような表現で言い表されています。

 

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。

 

 後半(九〜一一節)では、十字架の死まで低くなられたキリストを、神が復活させて高く上げられたことが賛美されます。

 

「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主《キュリオス》である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。

 

 この前半と後半の告白は、明らかに循環しています。後半は、前半のキリストのへりくだりと神への従順を高挙の理由として、「このため」という語で前半に続けています。しかし、前半は高く上げられて神と等しい身分となられたキリストを前提して、そのキリストの《ケノーシス》(自分を無とすること)を言い表しています。後半は前半を根拠とし、前半は後半を前提にしています。これは循環論法であり、人間の論理としては成り立ちません。これは一つの事態を逆の二つの方向で言い表したものとして初めて成立する表現です。その一つの事態とは、イエスの復活です。イエスが復活されたキリストであるという復活者イエス・キリストの事態です。この事態を、イエスが復活してキリストとして立てられたという上向きの方向で見たのが後半であり、その復活者キリストが地上に一人の人間イエスとして現れ、そのイエスが十字架の死に至るまで神に従われたという下向きの方向で言い表したのが前半です。復活を信じない者には両方とも成り立ちません。


 復活信仰においては、両方が同時に成り立ちます。イエスの誕生は、天上に神と共にいますキリストが地上に降ってくる出来事ですから、それは「降誕」と呼ばれることになります。また、それは神と等しいキリストが人間の姿で現れることですから「受肉」と呼ばれます。イエスの復活を「高挙」と呼ぶ信仰が、イエスの誕生を「降誕」と呼ばせ、「受肉」と呼ばせることになります。フィリピ書のキリスト賛歌は、復活信仰に含まれる高挙と降誕を同時に言い表した信仰告白となります。


 福音告知の最初の形は、神がイエスを復活させて《キュリオス》またキリストとしてお立てになったという後半の告知でした。ところがそのイエスがダビデの子孫であり、人間としてどのような働きをされた方であるかが加わるようになると、出来事の順序として、地上のイエスの出来事を先に置き、復活を地上の生涯の最後の出来事として後に置くことになります。この順序の変更はかなり早い時期に起きていたと推察されます。かなり初期の信仰告白の一つであると見られるローマ書一章二〜四節でも、人間としてのイエスの家系が先に置かれ、復活の告白はその後に来ます。フィリピ書のキリスト賛歌もこの順序に従っています。後に成立する福音書においても、当然イエスの地上の生涯が先に述べられ、最後に復活の出来事が告知されることになります。


 福音書の復活告知には二つの形式があります。一つは、復活されたイエスの顕現を体験した者たちの証言です。この最初期の復活証言をまとめて列挙したのが、パウロのコリント第一書簡の一五章です。もう一つは、この復活証言を核にして形成された復活物語です。これは四福音書の末尾に、それぞれの状況と特色に応じた形で置かれています。空の墓の物語はほぼ共通していますが、その後に続く顕現物語は様々です。各地で、あるいは様々な潮流の中で伝承されていく過程で、それぞれの状況に即した形で復活物語が形成されたことがうかがわれます。


 福音書の誕生物語は、この復活者イエス・キリストが「人間と同じ者になられ、人間の姿で現れた」という信仰告白を物語としたものです。その物語の形成において、伝承の担い手である最初期共同体の信仰が決定的な影響を及ぼすことは必然です。誕生物語には、誕生物語を生み出して語り伝えたユダヤ人の共同体(おそらくエルサレム共同体)の信仰の特質が刻印されることになります。そのユダヤ人共同体は、イエスの出来事をすべて聖書の実現として理解しましたから、受難も復活も、そして誕生もすべて聖書の言葉で根拠づけられ、その成就として物語られることになります。


 復活は「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という詩編(二・七)の言葉の実現として理解されました。それは、パウロの福音告知の代表的事例として詳しく伝えられているピシディアのアンティオキアでの福音告知(使徒一三・一三〜四三)においても、イエスの復活がこの詩編の約束の成就として引用されていることからもうかがわれます(その中の三三節参照)。この詩編の言葉が、復活賛美の変奏である誕生物語に適用されるのは自然な成り行きです。イエスの誕生は、復活と重なって、この「お前はわたしの子。今日、わたしはお前を生んだ」という神の言葉の実現として物語られることになります。


 古代世界には、神々が人間の女性と交わって子を産ませるという神話が多くありました。聖書にもその痕跡があります(創世記六・一〜四)。ギリシア神話では、主神ゼウスは人間の女性と交わって多くの英雄を生ませています。ルカは、このようなギリシア神話の世界に生きるギリシア文化圏の人々に向かってこの福音書を書いているのですが、聖書の神ヤハウェがマリアと交わってイエスを生んだというような誤解を招いてはなりません。しかし、イエスが復活によって神の子として立てられたという告知(ローマ一・四)の投影としてイエスの誕生を物語り、それによってギリシア文化圏の異邦人に、イエスが神の子であることを説得するためには、イエスのマリアからの誕生が、何らかの形で神のマリアへの働きかけで起こった出来事であるとしなければなりません。ルカはそれを聖霊の働きとして物語ります。天使はマリアに告げます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(一・三五)。マタイ(一・二〇)も、マリアの受胎を聖霊によるものとしています。このように神の働きかけを受けて神の子を生む女性は、男を知らない処女でなければなりません。処女でなければ、生まれた子が神の働きかけによって生まれた子であるという保証がないからです。


 このように、処女降誕物語の成立を時代の文化的環境から説明したのは、処女懐胎の事実を否定するためではありません。それは処女降誕の信仰を正しく意義づけ、本来の場所に位置づけるためです。そのことは項を改めて、次項の「補論2」で扱うことにします。

 

 

 補論2 「処女降誕」信仰について

 

誕生物語の告知としての処女降誕


 マタイとルカの両誕生物語は、その物語の筋は全く違っていて、とうてい一つにまとめることはできませんが、「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」という基本的な事実では一致し、また処女であるマリアからお生まれになったという告知で一致しています。この処女が懐胎して出産したという福音書の告知は、現代の科学的世界観に合わないとして、多くの人が福音書を虚構の物語として拒否する理由になっています。あるいは、誕生物語を福音書の中に保持しようとする人たちは、これを神話論で説明し去ろうとします。たしかに、処女が懐胎するということは、わたしたちの日常の体験ではないことです。しかし、日常の体験にないということは、それが絶対に無いことの科学的証明にはなりません。かえって現代の科学の進歩は、今まで日常生活の常識ではありえなかったことの存在を見せてくれています。たしかに、現代の科学は処女懐胎がありうることを証明してはいません。しかし、現代の生命科学の進歩は、それがありうることを予感させます。


 処女懐胎は科学の問題ではなく、信仰の問題です。前項で見たように、誕生物語は復活物語の変奏です。神がイエスを死人の中から復活させたと信じている人々の共同体で、イエスの誕生がその神の働きによる出来事として賛美され、物語られているのです。死人を復活させた神が、どうして処女を懐胎させることはできないとすることができるでしょうか。「神にできないことは何一つない」のです。イエスの復活を否定する人は、当然処女懐胎を否定します。イエスの復活を信じる人は、その復活信仰の一部として、あるいは復活物語の変奏として、誕生物語の処女懐胎を信じます。


 復活信仰が先にあって、その帰結の一つとして処女降誕の信仰が来ます。順序は逆でありません。そのことは、先に前項の「最初期の福音活動における誕生物語の位置」で述べたように、イエスの復活を信じて信仰に入った信仰者も、最初期の前期にはイエスを普通の誕生の人と考えていたのであり、その人たちにも聖霊は豊かに注がれ働いていたという事実が示しています。後期になっても、マタイ福音書とルカ福音書の処女降誕の告知に接していない多くの人たちも同様です。


 マリアは最初期のエルサレム共同体に加わっています(使徒一・一四)。マリアの問題は後で項を改めて扱いますが、エルサレム共同体での生活の中でマリアはイエスの出生にかかわる秘密を漏らし始めたのではないかと推測されます。ヨセフと婚約していたマリアが、ヨセフの家に入って正式に結婚生活に入る前に懐胎していて世間から疑いの目で見られていて、ヨセフがマリアを受け入れることをためらったことがマタイ福音書(一・一八〜二一)に伝えられています。聖霊によって懐妊したなどと言っても誰が信じてくれるでしょうか。周囲のユダヤ人が疑っていたことは、彼らがイエスのことを「彼はマリアの子ではないか」(マルコ六・三)と言っていたことにも示唆されています。ユダヤ教社会では(父親が亡くなっていても)父親の名で「誰それの子」と呼ぶのが普通であり、「マリアの子」という呼び方は父親が分からない私生児とする蔑称だとされています。マリアは世間の疑いと白眼視にじっと耐えて、イエス出生の秘密を胸に秘めて暮らしたと見られます。


 そのマリアが、イエスを復活者キリストと信じる共同体で、イエス出生時に体験した不思議な体験を語り始め、それが素材となって、イエスの復活を信じ賛美する共同体で語り伝えられ、(先に見たように)伝承の担い手たちと、著者のマタイやルカの状況や聖書信仰によって編集・構成され、現在の誕生物語が成立するに至ったものと見られます。成立に至るまでの伝承の過程や時期は、もはや確定することはできません。

 


キリスト教成立過程における誕生物語の位置


 福音運動のかなり後期に至って、マタイ(おそらく一世紀末)とルカ(おそらく二世紀初頭)の誕生物語が成立し、処女降誕の信仰が徐々にキリスト信仰共同体の中に浸透していきます。こうして処女降誕の信仰は二世紀に入って共同体に浸透するのですが、その二世紀初頭から三世紀初頭までの百年は、福音によって召し集められた信仰共同体が制度的な「キリスト教会」となり、キリストの福音がローマ社会に新しい一つの「宗教」(レリギオ)としての「キリスト教」をもたらすことになる世紀となりました。その間の消息については、別著『福音の史的展開U』の「終章 キリストの福音からキリスト教へ」でやや詳しく論じましたので、それを見ていただくことにして、ここでは処女降誕信仰の問題に限定して見ておきます。以下の論述は、用語においても内容においても、そこでの記述を前提しています。


 この「キリストの福音」が「キリスト教」という「宗教」に変容していく過程は、共同体が内部の「グノーシス主義」との激しい論争の過程を経て「正統主義」を確立し、「カトリック教会」となっていく過程でした。「グノーシス主義」というのは、当時のヘレニズム世界に浸透し始めていたグノーシス思想によってキリスト信仰を解釈して表現したキリスト教です。グノーシス思想は、《コスモス》(世界、全存在界)を善と美の源泉とする本流のギリシア思想に反抗して、《コスモス》を悪として、《コスモス》を超えることによる救済を説く思想です。このようなグノーシス思想によって信仰を解釈した人たち(主に知識階級の人たち)は、使徒たちが告知した福音の内容を初歩的なものとし、それを超える深い《グノーシス》(知識、洞察)で魂が救われると説きました。その主張に、使徒たちから伝えられた福音の伝統が危機にさらされていると感じた共同体の指導者たちが、その主張を異端であると攻撃して激しく論争します。そのような使徒的伝承の継承を主張する派が大勢を制し、「正統派」となります。そして、この正統信仰を言い表す正統派教会が「カトリック教会」として、キリスト教をローマ世界に確立することになります。


 このグノーシス主義との論争を経て、(おそらく二世紀末に)正統派の信仰が「信条」としてまとめられます。それが、後の「使徒信条」と呼ばれるキリスト教の基礎信条の前身となる「ローマ信条」です。その御子キリストについての条項に「おとめマリアから生まれ」という文言が入ってきます。これは、正統派が権威ある啓示の書であるとした四福音書の二つ、それも重視されて第一の位置に置かれたマタイ福音書と、グノーシス主義者として最も強く非難されたマルキオンに対抗して書かれたルカ福音書の両方が告知する処女降誕の信仰が、信条として公式に内外に言い表され、カトリック教会の信仰内容になったことを意味します。


 先に見たように、最初期前期の福音告知には、処女降誕の告知は含まれていませんでした。後期においても、その末期にマタイとルカの両福音書が成立し、その福音書に接した一部の人が処女降誕の告知を聞いただけですから、最初期(最初のほぼ百年間)は、ほとんどの信仰者はイエスの誕生の次第については知りませんでした。それでも、この最初期こそすべての信仰者に最も強く聖霊の働きが見られ、福音が最も力強く進展したのでした。


 この事実から、誤解を恐れず端的に言うと、「処女降誕の信仰は福音に属さず、キリスト教に属することである」と言うことができると思います。こう言うと、「では、使徒信条の永遠の命を信ずとか、聖なる公同の教会を信ず、というのも福音に属するものでないと言うのか」という反論が出るかもしれません。それについては、それらの用語の福音(新約聖書)における用法と、信条における方法の違いを含めて、多くの議論が必要になります。それについては、拙著『福音の史的展開』全体がお答えしていると思います。ここでは、処女降誕信仰の位置づけに限定して、本書の立場を述べておきます。


 この「補論(1、2)」で見たように、処女降誕とか受肉の信仰は復活信仰を逆方向に言い表した変奏であり、復活信仰共同体においても初めて成立する信仰です。これを共同体外部の人たちに、これがキリスト教だと押しつけることは、彼らを反発させるだけです。キリストの福音に生きる共同体は、外の世界に向かっては「キリストの福音」を告知することが使命です。イエスが復活によってキリストまた主《キュリオス》として立てられたこと、この主イエス・キリストを信じて受け入れる者は、その贖罪の十字架の死によって罪の支配から解放され、神の霊である聖霊が与えられ、生まれながらの命とは違う別種の命に生きるようになることを告知すればよいのです。この福音を信じる者たちの共同体の内部において、復活物語のバリエイションである誕生物語を聞き、キリストの降誕を神に感謝し、それによって神を賛美すればよいのです。この誕生物語の位置づけを見誤ってはなりません。

 

 現ローマ教皇ベネディクト一六世であるJ・ラツィンガーは、近年上下二巻からなる「ナザレのイエス」を刊行しました。第一巻(二〇〇六年刊行)はヨルダン川におけるイエスの洗礼からペトロの告白とイエスの変容までを扱っています。その序言で、ラツィンガーは「第二巻においてイエスの幼児期の物語を扱うことができればと思っております」と書いていましたが、刊行された第二巻(二〇一一年刊行)はエルサレム入京から復活までを扱っており、誕生物語は触れられていません。そのことについてラツィンガーは序言(英訳版)の最後でこう述べています。「ここで述べたように、イエスの姿、言葉、行動を理解しようとする本書の基本にある意図からすれば、幼児期物語は直接に本書の視野に入らないものであることは明らかです。しかしながら、第一巻の序言でした約束を果たすために、この主題についてのささやかな論稿を用意するつもりでいます。もしそれをする力が与えられるならばですが」と書いています。この『ルカ福音書講解』で、わたしはラツィンガーのこの著作から多くの示唆を受け、参考にさせてもらいました。しかし、誕生物語については、彼の「この主題ついての論稿」がまだ発表されていませんので、参考にすることができませんでした。ラツィンガーはその著作について、教皇としての教導権の行使ではなく、個人の著作であることを強調して、自由に批判するように呼びかけています。しかし、現教皇の著作ですから、現在のローマカトリック教会の見解を代表するものと見ることはできるので、期待して待っていましたが、二〇一二年現在刊行はまだです。

 たしかに、イエスの姿、言葉、行動を理解し、そのイエスを世に提示しようとする意図からすれば、誕生物語は「直接の視野に入らない」のは、その通りであり、マルコ福音書やヨハネ福音書がしているように、洗礼者ヨハネの活動から始めるのは正当です。しかし、本書はルカ福音書を講解しているのですから、その中の初めの二章を省略することはできません。ただ、それは復活に至るイエスの全生涯を読んだ後に味わい読むべき部分として、最後に置いた次第です。

 


新約聖書におけるマリア


 ここでルカの誕生物語の主役であるマリアに関わる問題を取り上げておきます。イエスの母となったマリアは、使徒信条に「おとめマリアから生まれ」と名があげられて以来、その後のキリスト教史に巨大な影響を与えて来ました。


 すでに古代教会において、イエスの神性と人性をめぐる激しい論争の余波がマリアに及び、神であるイエスを生んだのであるから「神の母」と呼ぶべきであるという主張に対して、人でもあるキリストの母であるから「キリストの母」と呼ぶべきだとしたネストリウスが異端として追放されるなど、マリアについても教理論争が起こりました。その後、中世の教会ではマリアが「神の母」として崇められ、教会堂にマリアの画像や像が満ちるようになり、マリアに向かって祈りがささげられるようになります。東方のギリシア正教会ではマリアのイコン(聖画)が崇められ、西方のローマカトリック教会では祭壇に幼児のキリストを抱いたマリア像が安置されます。東方ギリシア正教会では、偶像礼拝になるとしてイコンを破棄すべしという「イコノクラスム」(聖像破壊)の運動が起こり、教会が激震に襲われますが、結局イコン容認派が勝利して現在に至っています。カトリック教会は、今も教会堂に入ると、これはキリスト教ではなくマリア教の教会かと思わせるような様子です。さすがに宗教改革の流れを汲む諸教会には、このような聖画や聖像はありませんが、それでも音楽には「アベ・マリア」などマリアを賛美する気風は残っており、マリア崇拝は現在に至るまでキリスト教の敬虔の一つの形として続いています。


 このキリスト教におけるマリア崇拝の歴史は、宗教史的に見て極めて興味深い現象ですが、ここではそれに立ち入ることはできません。ここでは新約聖書においてマリアがどう描かれているかをみて、マリアに対するキリスト者の姿勢を考える参考にしたいと思います。


 誕生物語におけるマリア、とくにマタイの誕生物語とルカの誕生物語における違ったマリアの姿については、すでにこの講解で述べました。ここではイエスがガリラヤで「神の支配」を告知する公の活動をされた時期のマリアの姿を見ましょう。


 一般にこの時期のマリアとイエスの兄弟たちは、イエスの使命と活動を理解することができず、イエスの福音活動を止めようとしたと理解されています。この通説とも言える理解は、おもにマルコ福音書の三章二一節と三一節の解釈に基づいています。原文二一節の「彼と一緒にいる者たち」という句が、三一節の「イエスの母と兄弟たち」と理由なく結びつけられて、「身内の人たち」と訳されています。この「彼と一緒にいる者たち」という句は、イエスがいつも一緒におらせるために選ばれた弟子たちを指すと理解すべきで、ここは「共にいる者たちはイエスを引き止めようとした」と訳すべきです。むしろ、ヨハネ福音書二章一二節に基づいて、母マリアと兄弟たちは弟子たちと一緒に、イエスのガリラヤ巡回伝道に同行したと見るべきです。ということは、マリアはイエスの活動に無理解で批判的であったのではなく、わが子イエスの特別な使命をある程度予感していたのではないかと考えられます。もっともその理解や期待は、弟子たちのそれと同じく、ユダヤ教のメシア待望の枠内のことでしょうが。

 マリアがある程度イエスの使命を理解して巡回伝道活動に同行したことは、イエスの最後の過越祭でのエルサレム行きに同行している事実(ヨハネ一九・二五〜二七)と、イエスの復活後弟子たちと一緒にエルサレムに移住して、来臨される「人の子」を待ち望む共同体に加わっているという事実(使徒一・一四)からも推察されます。

 

 マリアがイエスの巡回伝道に同行したことについては、拙著『ルカ福音書講解T』366頁の「巡回伝道に同行する母と兄弟」の項、とくに367頁の注記を参照してください。イエスの兄弟がイエスに批判的であったことのもう一つの論拠とされるヨハネ七・五についても、この注記をごらんください。

 

 このように、イエスの使命をある程度理解あるいは予感して、イエスの巡回伝道に同行する母マリアに対して、イエスはどのような態度をとられたのでしょうか。最初に出てくるのがカナの婚宴です。婚宴の途中でぶどう酒がなくなったことを知ったマリアは、そのことをイエスに知らせます。そのマリアにイエスは、「婦人よ、それがあなたとわたしに何の関わりがあるのですか。わたしの時はまだ来ていません」とお答えになった、と伝えられています(ヨハネ二・四)。このお言葉は、イエスが「わたしの時」と呼ばれる、神から委ねられた使命を全うされる時に思いを集中しておられて、地上の人間的な繋がりを超えておられることを示しています。その思いが、「婦人よ」という呼びかけに表れています。それでもマリアは、途方に暮れている世話役に、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言っています。これは、マリアがイエスを、神から与えられた特別の使命にふさわしい特別の力を与えられている者と信じていることを示しています。事実、イエスはこの時水をぶどう酒に変えて、ご自身が神から来た者であることを指し示す「しるし」を行い、その栄光を顕されます。


 共観福音書では、イエスが福音を説いておられるところに来た母マリアと兄弟が群衆に遮られて近づけなかったとき、母と兄弟の来訪を告げた人にイエスが、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(八・二一)とお答えになった、と伝えられています。この記事は三つの共観福音書のすべてにありますが、マルコ(三・三四)では「周りに座っている人々を見回して」、マタイでは「弟子たちの方を指して」、こう言われたとなっています。すなわち、「神の言葉を聞いて行う人」というのは、福音を聞いてそれに身を委ねて生きる人、イエスの弟子たちのことを指しています。この記事も、イエスを信じて生きる者たちの共同体は、地上の肉親の絆を超える別次元のものであることを指し示しています。

 

 この記事には母と兄弟がイエスを「取り押さえに来た」という説明はなく、この記事はむしろ母と兄弟がイエスの福音活動の場に居合わせた、すなわち同行していたことの根拠となります。

 

 もう一つ、マリアに関する記事が福音書にあります。イエスが群衆に福音を語っておられたとき、ある女が「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」と声高らかに言ったのに対して、イエスは「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」とお答えになったという記事です。これはルカ福音書(一一・二七〜二八)だけにあるルカの特殊記事であり、女性に優しいルカらしい記事です。たしかに、イエスの地上の働きの時期にこのような出来事があったのでしょう。しかし、ルカがこの記事を福音書の中に置いたのは、当時共同体の中に行われるようになっていたマリアの特別扱いを戒める意図もあったのではないかと推察されます。すなわち、マリアは最初期のエルサレム共同体に加わっていますが(使徒一・一四)、神の子と信じ崇めるイエスの生母として、マリアを特別扱いすることは避けられなかったと推察されます。とくに「主の兄弟ヤコブ」、すなわちマリアの息子の一人がエルサレム共同体を指導する立場になってからは、マリアも共同体の中枢部にいたと推察されます。このようにイエスとの肉親関係が重視される傾向に対して、パウロ系のルカはそれに対する歯止めの必要を感じたのではないかと思われます。


 福音書でイエスの母マリアが言及されるのは、十字架上のイエスが愛弟子ヨハネに母を委ねられたという記事(ヨハネ一九・二六〜二七)が最後です。ところが、共観福音書では十字架の場面に出てくる女性たちの中に母マリアの姿はありません。だいたい福音書に母のマリアの名が出てくるのは、誕生物語を別にすれば、「あれはマリアの子ではないか」という箇所だけで、他ではすべて「母」という呼び方で言及されています。その母として言及されるのも以上に見たような僅かの事例で、福音は肉親関係とは無関係であることを語るものだけで、母マリアが最初期の福音告知において重要な関心事ではなかったことを示唆しています。

 

 十字架の前にいた女性については、拙著 『対話編・永遠の命―ヨハネ福音書講解U』197頁の「イエスの母と愛弟子」の項を参照してください。その項で述べたように、イエスの生母マリアを委ねられた愛弟子ヨハネは、ユダヤ戦争の災禍を避けてエフェソに移住したと考えられますが、そのさいマリアを伴って行き、マリアは晩年をエフェソで過ごし、エフェソで没したと考えられます。それらの出来事の年代については、同書の299頁「エフェソへの移住」の項、とくに同じ頁の注記を参照してください。

 

 このように新約聖書に基づいてマリアを理解するかぎり、その後のキリスト教史における「マリア崇拝」は異常と言わざるをえません。たしかに、マリアはイエスの生母として敬愛すべき女性です。誕生物語を復活物語の変奏として聞くとき、救い主イエスの生母となるように選ばれたマリアに対して、天使とともに「めでたし、恵まれた女性よ」と挨拶し、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」と聖霊が預言したように、わたしたちは「アベ・マリア」を歌うでしょう。また、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と御言葉にひれ伏したマリアを、信徒の範として仰ぐでしょう。しかし、マリアを教理で「神の母」とし、その像を祭壇に置き、マリアに祈りを捧げること、さらにマリアだけは原罪を免れていたとか、生涯無垢の処女であり、死の床から直接昇天したことなどを教義として強制し、それと違った信仰を言い表す者を異端として追放するようなことは、あってはならないことです。先に述べたように、処女降誕を主要な告知とする誕生物語は、福音に属する項目ではなく、「キリスト教」に属する事柄です。わたしたちキリストの福音に生きる者は、福音によって「キリスト教」を相対化し、「キリスト教」が形成した「マリア崇拝」を克服していかなければならないと思います。

 

福音による「キリスト教」の相対化の問題は、拙著『福音の史的展開U』の「終章・キリストの福音からキリスト教へ」を参照してください。

 

 


【追記】

 本講「第二三章 ルカの誕生物語」をもって「ルカ福音書講解」のすべてを完了します。これまで福音書の講解においては、その福音書全体の講解が終わった後に、その福音書の使信と特色、位置、意義などを要約する項を置いていましたが、ルカ福音書についてはさきに刊行した『福音の史的展開U』の第八章第二節の「諸国民への救いの福音 ― ルカ福音書」においてそれをしていますので、それを参照してくださるようにお願いします。

 


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