パウロ以後のキリストの福音


第四章 来臨待望と黙示思想

         ―― ヨハネ黙示録における終末待望   ――

(本章で書名のない引用箇所はすべてヨハネ黙示録の章節をさします。)


はじめに

 前章(第三章「来臨待望の変遷」)で、エルサレム原始教団からパウロを経て、パウロ以後の時期に来臨待望がどのように変遷していったのかを概観しました。そこで見たように、パウロ以後の時期においては、コロサイ書・エフェソ書やヨハネ福音書のような、来臨待望にほとんど触れることなく、現在の霊的現実に集中する流れが表面に出てきますが、キリスト来臨への待望も底流として続いていたことが、テサロニケ第二書簡やヨハネ黙示録の存在によって確認されます。前章ではテサロニケ第二書簡によってこの底流の姿を見ましたが、今回はパウロ以後の来臨待望では代表的なヨハネ黙示録を取り上げます。

 ヨハネ黙示録は、その成立事情についても議論が多く、誰がどのような状況でこのような文書を書いたのかを確定することは困難です。その内容の理解(解釈)はさらに困難で、ほとんど象徴的表現だけを用いて書かれたこの文書は謎に満ちています。ヨハネ黙示録は、新約聖書の中でもっとも理解困難な文書です。ここでは、その詳細に立ち入ることは到底できませんので、パウロ以後の時期における来臨待望の証言として、その成立事情と内容を概観し、この時代に成立したこのような来臨待望の黙示録的文書を、現代のわれわれがどのように受けとめるべきかという問題に重点を置いて考察します。

 


        第一節 ヨハネ黙示録の成立

 

成立場所

 ヨハネ黙示録の成立事情で確実に分かっていることは、その成立地域です。本書は、著者ヨハネから「アジア州にある七つの集会」に宛てられた手紙の形を取っています(一・四)。事実、本書の前半部(二〜三章)には、アジア州の州都エフェソを筆頭に、アジア州の七つの都市の名があげられ、それぞれの都市にある集会の実情に即した勧告が、手紙の形式で書き送られています。

 この事実からして、本書はローマ帝国のアジア州、すなわちエフェソを中心とする小アジア西岸の地域で成立し流布していたことは確実であると見られます。しかし、本書が実際に書かれた場所となると、パトモス島であるのか、エフェソであるのかが争われています。著者は、「神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた」ときに、イエス・キリストの黙示を受けたと明言しています(一・九以下)。しかし、黙示を受けたパトモス島で本書を書いたのか、または、エフェソに帰ってパトモスで見た幻を文書にしたのかは確定できません。

  1.  しかし、執筆の場所はどちらでもよいことでしょう。重要なことは、本書が成立し流布した地域が、エフェソを中心とするパウロ系の諸集会の地域と重なっている事実です。本書は、「エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの集会」に書き送られています(一・一一)。この七つの都市は、エフェソとラオディキア以外は直接パウロ文書と使徒言行録には触れられていませんが、エフェソを取り囲むアジア州の近隣都市として(みなエフェソから150キロ圏内)、エフェソを拠点とするパウロと彼の協力者たちの活動によって、パウロ以後黙示録成立までの時期に集会が形成されたことが十分に推定できます。パウロ自身およびパウロの協力者たちの活動によって形成された集会群を「パウロ系諸集会」と呼ぶならば、この「七つの集会」はアジア州のパウロ系諸集会と呼ぶことができます。
     
            アジア州のパウロ系諸集会の成立については、拙著『パウロによるキリストの福音V』第一章第二節「エフェソでの活動」の中の「周辺地域への宣教活動」(44頁以下)を参照してください。この地域ではミレトスやコロサイにもパウロ系の集会があったことが知られています。ヨハネ黙示録がこの七つの集会に限定した理由は、推測の域を出ませんが、七という数字に完全数という象徴的な意義を担わせている著者が、七にこだわったからだと見ることができます。そのさい他の都市ではなくこの七都市が選ばれたのは、これらの都市が裁判所の所在地であって、ローマ帝国官憲の皇帝礼拝の圧力が強かったからだとする見方もあります(NTD)。あるいは小集会を格上げして独立集会として数えて七としたとか、著者が実際に関わりのあった集会が選ばれたと見ることもできます。

 エフェソには、イエスの年若い弟子であったヨハネが晩年に移住してきて活動し、ヨハネ福音書を生み出すなど、この弟子を中心に「ヨハネ共同体」が形成されていたと考えられます。それで、ヨハネ黙示録がパウロ系諸集会とヨハネ共同体の両方にどのように関わるのかが問題になってきますが、「ヨハネ共同体」についてはその性格やパウロ系諸集会との関係が明確には分かりませんので、答えることが難しい問題です。この問題は後の「ヨハネ黙示録とヨハネ共同体」の項で取り扱いますが、いずれにせよヨハネ黙示録の存在は、ここに名をあげられたパウロ系諸集会があった地域に、熱い来臨待望があったことを証言しています。

 

成立年代

 ヨハネ黙示録の成立年代について最も古くて重要な証言は、一八〇年頃に書かれたエイレナイオスの『異端論駁』です。その中でエイレナイオスは、ヨハネがドミティアヌス帝(在位81〜96年)の終わりの頃、すなわち95年前後にパトモスで幻を見たと伝えています。他の時代だとする伝承もありますが、このエイレナイオスの証言が古代教父たちの一般的見解となり、エウセビオスも『教会史』でこの証言に従っています。

 ヨハネ黙示録の内容からその成立年代を決めることは困難です。しかし、バビロン崩壊への言及(一四・八、一六・一九など)から、七〇年のローマ軍によるエルサレム破壊以後であることは確実だと、一般に見られています。エルサレムを破壊したローマが、昔エルサレムを破壊したバビロンを暗号として指示されていると見られるからです。

 ただ、七〇年以後のどの時期かとなると、決定は困難になります。よく一七章九〜一〇節の「七人の王」の記事から、「今王の位についている」ローマ皇帝を特定しようとする試みがなされますが、この記事の解釈は様々な可能性があり、この記事から年代を決定するのは困難です。ある人物を指すとされる「六百六十六」という数字(一三・一八)も、その人物を特定して年代を決定することは、きわめて困難です。

 全体の内容からすると、古代教父以来伝統的に受け入れられているドミティアヌス帝末期の成立と見ると、内容と状況がもっともよく適合すると考えられます。前章の「パウロ以後の来臨待望」の項で、ドミティアヌス帝の迫害とヨハネ黙示録の成立について見たように、著者ヨハネは、アジア州で自分を「主また神」として拝むように求めたドミティアヌスの命令に抵抗したためにパトモスに流刑されたと見ると、ローマ帝国に対する激しい批判を示している本書の表現や内容がもっとも自然に説明できます。
 また、二〜三章に見られる「七つの集会」の現状も、パウロの活動直後の集会が若々しい時期よりも、四〇年ほど経った95年前後と見る方が、霊的高揚の低下や不健全な教えの浸透など、よく適合します。

 いずれにせよ、本書はパウロの活動からかなり経った時期に、アジア州のパウロ系諸集会が活動する地域で、皇帝礼拝の要求によって生じた迫害により困難な状況にあった信徒を励ますために書かれた文書であると言えます。

 

著者ヨハネ

 著者は自ら「ヨハネ」と名乗っています(一章一、四、九節)。ところが、「ヨハネ」という名はユダヤ人男性の間ではごく普通にある名前で、新約聖書にも多くの「ヨハネ」が登場します。洗礼者もヨハネですし、十二使徒の中にも「ゼベダイの子ヨハネ」がいます。それに、「イエスが愛された弟子」も、彼が指導した共同体が生み出した福音書が「ヨハネ福音書」と呼ばれていることから、「ヨハネ」という名であったことが推察され、普通そう呼ばれています。そこへ本書の著者ヨハネが登場します。それで、後の時代にこの四人の同名の人物(実際には洗礼者ヨハネを除く三人のヨハネ)が混同されて、複雑な「ヨハネ問題」を引き起こすことになります。以下論述の便宜上、十二使徒の中の一人であるゼベダイの子ヨハネを「使徒ヨハネ」、イエスが愛された若い弟子で、後にヨハネ福音書を生み出した共同体の指導者となった人物を「長老ヨハネ」、そして本書の著者を「預言者ヨハネ」と呼ぶことにします。

 新約聖書の中にある「ヨハネ」の名を冠した五つの文書、すなわちヨハネ福音書と三通のヨハネの手紙およびヨハネ黙示録は、現代でも「ヨハネ文書」という呼び方で一つのグループとして扱われることが多いようです。古代ではこの「ヨハネ」の名を冠する五つの文書をみな「使徒ヨハネ」の著作として扱う傾向がありました。それは、形成期の教会が、正典として受け入れた文書を権威づけるために、使徒の著作だとする必要また願望があったからだと考えられます。ヨハネ黙示録も長らくヨハネ福音書と共に「使徒ヨハネ」の著述だとされてきました。

 古代教会で最初にヨハネ福音書とヨハネ黙示録が同一の著者ではありえないことを主張したのは、三世紀の半ばにオリゲネスの後継者となったアレクサンドリアのディオニュシオスです。事実、福音書と黙示録では、その用語と思想内容があまりにも違い、同一の人物の著述と見ることは困難です。両書が別人の著作であることは、現代では研究者の間では通説になっていると言えるでしょう。

 現代では、ヨハネ福音書が使徒ヨハネの著作ではないことは、研究者の間ではほぼ常識となり、「弟子ヨハネ」とか「長老ヨハネ」と呼ばれる人物によって形成された共同体(ヨハネ共同体)が、この人物の証言とか説教を基にして生み出した作品であると見られるようになっています(ヨハネ二一・二四)。そして、ヨハネ黙示録は、この福音書の「著者」とは別の、ヨハネという名の預言者的人物(使徒ヨハネではない)によって書かれたと見なければなりません。

 

ヨハネ黙示録とヨハネ共同体

 パウロ系諸集会が活動したエフェソを中心とするアジア州の地域には、ヨハネ共同体も形成されていたことが知られています(拙著『「もう一人の弟子」の物語―ヨハネ文書の成立について』参照)。ではパウロ系諸集会とヨハネ共同体がどのような関係に立っていたのかという問題は、ヨハネ「共同体」がどのような性格の共同体であったのかが確認できないので、難しい問題です。パウロ系諸集会はアジア州各都市で、監督とか奉仕者などを有する、ある程度組織化された集会の形態をとっていたと考えられますが、ヨハネ共同体はそれと競合するような別の集会や組織として活動したのではなく、指導者である「長老ヨハネ」(「イエスが愛された弟子」の晩年の呼び方)のカリスマ的な説教を慕う者たちの開かれた交わり《コイノニア》ではなかったかと推察されます(ヘンゲル)。

 その地域で「預言者ヨハネ」が活動します。当然その活動はこの地域のパウロ系諸集会に及びますが、同時にヨハネ共同体とも深く関わることになります。この「預言者ヨハネ」は、原始キリスト教の預言者集団に属する指導的な一員ではないかと見られます(二二・九)。この預言者集団はもともとパレスチナで活動していたのですが、ユダヤ戦争のときパレスチナを逃れてエフェソに移住してきたものと推察されます。ヨハネ黙示録の用語や思想の背景は、明らかにパレスチナのユダヤ教を指し示しています。

 ユダヤ戦争は多くのユダヤ人難民を生みました。その中で、パレスチナからエフェソなどアジア州諸都市に移住した難民も多くいました。ユダヤ人はすでにディアスポラとしてこれらの諸都市に暮らしていましたから、パレスチナからのユダヤ人難民が移住してきたのも了解できます。その移住の波の中には、預言者ヨハネのグループだけでなく、ヨハネ共同体を指導した「長老ヨハネ」とそのグループがあり、福音宣教者フィリポの群れも見られます(フィリポとその娘たちはアジア州に葬られたという伝承があります)。

 これらのパレスチナからの移住難民は、その思想的傾向は異なっていても、同じ根っこから出た者として共通の宗教的伝統の中にあります。それがヨハネ福音書とヨハネ黙示録との共通点として現れているのではないかと考えられます。たとえば、福音書(一・二九)も黙示録(五・六他多数)もキリストを「神の小羊」と呼び、また「神の言葉」と呼んでいます(福音書一・一、黙示録一九・一三)。その他、命の水のモティーフ(福音書四・一〇以下、黙示録七・一六〜一七、二一・六)など、共通するイメージが用いられています。

 このような共通点は、両者が同じ宗教的伝統から出たものであることを推察させますが、ヨハネ黙示録がヨハネ共同体に属する文書である根拠とするには不十分です。福音書を生み出した長老ヨハネのグループと黙示録を書いた預言者ヨハネのグループが別であっても、同じ地域で活動する同じパレスチナからの移住難民として、外部の人たちからは一まとめにして扱われ、後の時代に新約正典が形成される過程ですべて使徒ヨハネの著作と見なされ、「ヨハネ文書」として正典化されたと見られます(タイセン)。したがって、ヨハネ黙示録がヨハネ共同体の文書である可能性は否定はできませんが、確認もできないので保留のまま、ここではその内容を検討していきます。


文書の性格

 著者が使徒ヨハネでないことは、この文書の内容からも確認できます。著者は、天から降る都について、「都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった」(二一・一四)と書いていますが、「十二使徒」がエクレシアの土台とされるのは、使徒たちの時代からかなり時間が経った時期のことで、エフェソ書などの見方と同じです。
 エフェソ書(二・二〇)では、神の民は「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられた」と言われています。著者ヨハネは自分を預言者とは称していませんが、自分が見た幻の証言を「預言」とし(一・三、二二・七、二二・一〇)、その「預言」の神的権威を主張しています(二二・一八〜一九)。わたしたちは、このヨハネ黙示録に初期のエクレシアにおける預言者の活動の実例を見ていることになります。

 初期のエクレシアにおける「預言者」には二つの型があったと見られています。一つは特定の集会の所属し、その集会の中で活動する預言者で、そのような預言者とその活動はすでにパウロのコリント第一書簡(一二章と一四章)にも扱われています。彼らはその都市に定住していたと見られます。

 もう一つの型は、特定の集会に止まらず、集会から集会へと巡回して、ある地域の諸集会に自分が受けた啓示を語り、教えを説いて回った預言者です。このようなタイプの預言者が活動していたことは、二世紀初頭の文書と見られる『ディダケー』にも描かれています。

 この黙示録の著者ヨハネは、エフェソを拠点にして、ここに名をあげられている周辺のアジア州諸都市を巡回して預言活動をしていた指導的人物と見られます。この地域で預言者としての彼の権威は確立していたようです。彼はこれらの諸都市にある集会の霊的現状をよく知っています。そして、それぞれの集会にあてた手紙で、その現状にふさわしい警告や勧告をすることになります(二〜三章)。

 このようにエフェソを中心とするアジア州の諸集会で指導的な活動をしていた「預言者ヨハネ」は、この地域で盛んになってきた皇帝礼拝の要求を拒否したために裁判にかけられ、流刑の判決を受けて、アジア州の沖合の孤島パトモス島に流されたと見られます。ヨハネがパトモスにいたのは、流刑ではなく、福音の宣教のためであるとか、祈りと瞑想のためであるとする見方もありますが、やはり古代教父たちが伝えているように、流刑によると見るのが適当でしょう。著者は「わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた」(一・九)と言っていますが、この「のゆえに」《ディア》という前置詞は、本書では常に原因とか理由を示す意味で用いられており、目的とか意図を指すことはありません。何よりも本書の内容全体が、著者およびこの地域の諸集会がローマ帝国から激しい迫害を受けていることを示しています。

 預言者ヨハネは、孤島パトモスで強烈な霊的体験を与えられます。それは様々な幻を伴う啓示体験であって、彼はそれを巻物に書き記して七つの集会に送るように命じられます(一・一一)。著者はそれを、パウロ以来指導的な立場の者が集会に語りかける形式として定着していた書簡の形で書き送ります。本書は、「ヨハネからアジア州にある七つの集会へ。・・・・イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように」という書簡の書き出しで始まり(一・四〜五)、「主イエスの恵みがすべての者と共にあるように」という書簡の結びの言葉で終わります(二二・二一)。本書は全体として、預言者ヨハネからアジア州にある七つの集会に宛てられた書簡です。

 最初に個々の集会の実情に即した警告と勧告の書簡が七つ置かれます(二〜三章)。その後(四章以下)、啓示の本体である「すぐにも起こるはずのこと」が多彩な幻によって語られます。この一人称で語られている書簡の本体部分(一・四〜二二・二一)の前に、本書の性格を説明するような、三人称で書かれた「序文」が置かれています(一・一〜三)。この「序文」は、預言者ヨハネの書簡が諸集会に回されて朗読されるさいに、第三者によってつけられた可能性が考えられます。この「序文」の最初にある「イエス・キリストの黙示」という句が本書の標題となり、「黙示」という語が本書の性格を決定的に表現する語となります。本書は、初期キリスト教における黙示文書の一つの実例であり、「黙示録」と呼ばれることになります。

 

ユダヤ教黙示文書との関係

 「黙示」と訳されている原語は《アポカリュプシス》です。《アポカリュプシス》という語は、覆いを取り除いて、覆いの下に隠されているものを顕すという意味の語です。「啓示」と訳してもよい語です。したがって、この語は「隠されているもの、秘密にされているもの」の存在を前提しています。この「隠されているもの、秘密にされているもの」が、宗教文書では《ミュステーリオン》(秘密、奥義、秘義)と呼ばれます。

 この《ミュステーリオン》(天界とか神の御旨の中に隠されている奥義)を明らかにする《アポカリュプシス》(啓示、黙示)であると主張する宗教文書は、すでにユダヤ教に多くの先例があり、ダニエル書を初めとするそれらの文書は「ユダヤ教黙示文書」と呼ばれています。このヨハネ黙示録はその流れの中にある文書(同じ系統に属する文書)であることは明らかです。

 典型的なユダヤ教黙示文書であるダニエル書と比較すると、それとの異同を通して、このヨハネ黙示録の性格がいっそう明確になると思います。まず、両者の成立の状況と執筆意図がたいへんよく似ています。ダニエル書は、前二世紀の半ばにセレウコス王朝のアンティオコス四世エピファネスが、支配領域のヘレネス化を強行しようとして、ユダヤ教を禁圧し、異教の神々を礼拝することを強要したとき、父祖以来の信仰に熱心な「ハシディーム」(敬虔な人々)がそれに抵抗して、激しい弾圧を受けます。その迫害の中にある信徒を励ますために、預言者的な信仰の人物が、迫害者に対する神の裁きと、信じ抜く者に対する救済の時が近いという「奥義」(神の御旨の中に隠されている計画)を書き記したものがダニエル書です。これは、これまでに見てきたように、ドミティアヌス帝の皇帝礼拝の要求に対する抵抗と迫害という状況でヨハネ黙示録が書かれたのと同じ状況であり、同じ目的であると言えます。黙示文書は、迫害や苦難の状況という場で生まれる思想であり文学です。

 書き方もよく似ています。黙示文書は、迫害下にある状況から、迫害者を名指しすることは避けて、獣などの象徴的な姿で暗示しながら、やがて直ぐにも起こるはずの神に敵対する者への裁きと義人の救済や栄光を、夢や幻という形で語ります。ユダヤ教黙示文書は謎や象徴的な表現で満ちています。ヨハネ黙示録も同じような象徴的表現を用います。著者はユダヤ教黙示思想の伝統の中で育ち、その用語法に習熟している学識あるユダヤ人信仰者であると見られます。しかし、ユダヤ教黙示文書によく見られる(天使らによる)言語的な説明や解釈が少なく、視覚的象徴表現だけで劇的世界を構成する手法が他のユダヤ教黙示文書と違います。

 何よりも両書は思想の枠組みが共通しています。両書とも、現在は神に敵対する勢力が力を振るって義人(神に所属する民)を苦しめているが、やがて直ぐに神が裁かれる時が来て、迫害者は裁かれ、義人は栄光を受けるという、同じ確信と待望で書かれています。すなわち、現在と将来という時間の枠組みを基本的枠組みとする思想であるという点で共通しています。

 このように、ヨハネ黙示録はユダヤ教黙示文書と同じ性格の文書と見ることができる面があります。しかし、性格が似ていることに目を奪われて、その内容に決定的な違いがあることを見逃してはなりません。

 まず、著者は自らヨハネと名乗り、偽名を用いていません。ユダヤ教黙示文書はみな、ダニエルとかエノク、エズラなど、過去の有名な人物の名を用いて書かれた「偽名文書」です。たとえば、前二世紀半ばに書かれたダニエル書は、四百年ほど前のバビロン捕囚期の伝説的人物であるダニエルによって書かれたとされています。昔の人物が書いたとすることによって、著者は自分の時代までの出来事が、過去の人物によって預言されていた通りに起こったとすることができます。すなわち「事後予言」を用いることができます。そうすることによって、著者がこれから起こることとして語る内容を保証します。

 それに対して、ヨハネ黙示録の著者は自分の名で書いています。したがって事後予言を用いることなく、自分に与えられた幻によって、自分の責任で「これから起こること」を予言します。それは、黙示文書よりもむしろ旧約聖書の中の預言書に近い性格です。著者はユダヤ教黙示文書だけでなく、それ以前にユダヤ教伝承の根幹をなす旧約聖書の預言書に精通していて、それを自分の血肉としていたことが、その著作から十分うかがえます。著者は、旧約の預言者が召命体験を語るように、自分の霊的体験を語り(一章)、そこから現在の諸集会への警告と勧告を語り(二〜三章)、続いて「すぐにも起こるはずのこと」を語り出します(四章以下)。

 さらに決定的な違いは、ユダヤ教黙示文書が救済を将来のこととして、ひたすら未来に目を向けているのに対して、ヨハネ黙示録はイエス・キリストにおいて救済がすでに成就したことを宣言し、その上でキリストの来臨(再臨)による完成を望み見ています。黙示思想にとって決定的な時は未来にありますが、著者ヨハネにとって決定的な時は、十字架と復活のキリストによってすでに到来しています。ダニエル書では幻は遠い未来に関わり、啓示の言葉は現在では秘められ封じられなければなりません(ダニエル一二・四、九)。それに対してヨハネ黙示録では、今その時が来ているのですから、啓示の言葉は秘密にせずに告知するように求められます(二二・一〇)。これは、なお黙示思想的用語で将来の完成を語りつつも、すでに起こったキリストの十字架と復活を終末的救済の出来事として宣べ伝えたパウロと同じ線上にあります。黙示思想における現在と未来の悲劇的断絶は、福音においてはキリスト信仰によって克服されています。

 このように本書は、終末的救済者としてすでに到来しておられるキリストが、どのようにしてその働きを完成して栄光を顕されるのかを語ることになります。そのキリスト使信の内容は、次節の「ヨハネ黙示録のキリスト使信」で扱うことになります。
 ただ本書の表現は黙示文書特有の謎や象徴的表現に満ちていますので、その解釈は議論が多く、その意味を確定することはしばしば困難です。その一つ一つの議論に入ることは到底できませんので、ここでは全体の要旨をつかむことに限定します。

 


        第二節 ヨハネ黙示録のキリスト使信

 

   イエス・キリストの黙示(一章)

 

「イエス・キリストの黙示」の意味

 本書は「イエス・キリストの黙示(啓示)」という句で始まります。これは本書の内容を指し示す標題です。そして、「黙示」についている「イエス・キリストの」という句がどういう意味であるかを説明する文が続きます。「この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである」(一・一)。すなわち、この黙示はイエス・キリストから与えられた黙示であるということです。もっともヨハネはこの黙示をキリストから直接受けたのではなく、「天使を通して」受けました(二二・六以下も参照)。天界または神の御旨の中に隠されている奥義が天使によって神の僕に伝えられるというのは、ユダヤ教黙示文書の共通の型です。しかし本書は、その奥義が神からイエス・キリストに与えられたものであるとしているところが、ユダヤ教黙示文書と決定的に違う点です。イエス・キリストこそ奥義の体現者なのです。

 

天上におられるキリストの姿

 キリストこそ奥義の内容であることは、すぐに続くキリストの姿の記述(一・九〜二〇)からも分かります。ヨハネがパトモスで御霊に感じて見たものは「天上におられるキリストの姿」(この段落につけられた新共同訳の見出し)に他ならないのです。キリストは「最初の者にして最後の者、また生きている者。一度は死んだが、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」方です(一・一七〜一八)。復活して栄光の座にいます方です。ところが、この天上におられるキリストは、地上の人間の目には隠されています。その覆いが取り除かれて、天上におられるイエス・キリストの姿を啓き示される体験、これがパトモスでのヨハネの御霊による体験であり、それを書き記した文書がこの黙示録です。したがって、「イエス・キリストの黙示」とは、イエス・キリストから与えられた啓示であると同時に、隠された奥義であるイエス・キリストを啓示する文書であるという意味でもあります。本書の内容と主題はイエス・キリストご自身です。

 ヨハネはキリストを、「死者の中から最初に復活した方」とか、「御自分の血によって罪から解放してくださった方」とか、「人の子のような方」というような伝統的な称号でも呼んでいますが、パトモスで与えられた御霊による啓示体験において、栄光に輝くキリストの姿を直接見て、その姿を象徴的な表現で描きます(一・一二〜一六)。そして、このキリストが現在諸集会に語りかけられる言葉と、すぐにも世界に行われる働きを示されて、それを書き記します。すなわち、「見たこと、今あること、今後起ころうとしていることを書き留め」ることになります(一・一九)。「見たこと」とは、この栄光のキリストの姿であり、「今あること」とは、現在の諸集会の現状と、それに向かって語られるキリストの言葉(二〜三章)であり、「今後起ころうとしていること」とは、これからキリストの来臨までに起ころうとしている出来事です(四章以下)。

 本書のキリストは「やがて来られる方」(一・八)です。本書は「見よ、その方は雲に乗って来られる」(一・七)という賛美で始まり、「然り、わたしはすぐに来る」(二二・二〇)という宣言で終わります。本書は、徹頭徹尾「キリストの来臨」を語る文書です。新約聖書の中で、初期の来臨待望をこれほど壮大かつ強烈に証言している文書は他にありません。

 

      七つの集会への手紙(二〜三章)

七つの集会の天使

 ヨハネは、栄光に輝く「人の子のような方」が七つの金の燭台の中央にいますのを見ます(一・一二〜一三)。その方は右手に七つの星を持っておられます(一・一六)。神的栄光に輝く方を見て死んだように倒れたヨハネに手を置いて、その方が「七つの星は七つの集会の天使たち、七つの燭台は七つの集会である」と幻の意味を説き明かし、その七つの集会の天使に見たこと聞いたことを書き送るように命じられます(一・一七〜二〇)。

 「集会の天使たち」とはおそらく、当時のユダヤ教では人間各自がそれぞれの守護天使をもっているとされていたように(マタイ一八・一〇)、集会もそれぞれに指導天使がついているとされていたと考えられます。従って、その天使に書き送ることは、集会に書き送ることを意味することになります。以下の七つの手紙は、「どこそこにある集会の天使にこう書き送れ」という句で始まります。

 七つの手紙には共通の型があります。まず発信人であるキリストがどのような方であるか、あるいはどのような資格で語られるのかが、それぞれ違った形で述べられます。次にそれぞれの集会に特有の賞賛と非難の言葉が続きます(どちらかがない場合もあります)。その後に、悔い改めを促す言葉と、裁きが切迫していることを告げる言葉が来ます。そして最後に、この手紙の言葉に聴き従うことを求める文言と、最後まで忠実な者への勝利の約束が加えられます。

 個々の手紙の内容を詳しく見る余裕はないので、この七つの手紙が示している当時のアジア州諸集会の状況を概観しておきましょう。ここで問題にされている状況は、程度の差はあれ、どの集会にもあったのではないかと想像されます。


偽りの教えに対する警告

 エフェソの集会について、「自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたこと」(二・二)が賞賛されています。初期の福音宣教においては「使徒」の範囲は確定していたわけではなく、「十二人」以外の人たちもキリストから遣わされた使徒であると称してキリストを宣べ伝えていました。その中で誰が真の使徒であり、誰がそうでないかの区別は難しく、集会は誰を使徒として受け入れてその教えに耳を傾けるのか、問題になることがしばしばありました。真の使徒と偽の使徒の対立と対決は、コリント第二書簡に見られるようにすでにパウロの時代にありましたが、パウロ以後の時代では少なくともアジア州の諸集会では使徒としてのパウロの権威は確立していました。この時代はまだ信仰の基準としての信条や正典が確立していませんから、エフェソの集会はパウロから伝えられた伝承にしっかりと立って、それに反する教えをもたらす者たちを拒否したと推察されます。そのことがここで賞賛されているのです。

 このような偽りの使徒の働きの実例として、ここで「ニコライ派の者たち」という名があげられています(二・六)。「ニコライ派」というのは、ニコライという名の自称使徒または自称預言者の教えに従った人たちのことでしょうが、その教えがどのような内容であったのかは正確には分かりません。この派はペルガモンの集会でも一定の勢力をもっていたようです(二・一五)。おそらく後に「グノーシス派」と呼ばれるようになる傾向の教えではなかったかと推定されています。

 ペルガモンはアッタロス王朝の都でしたが、前133年に遺贈によってローマ帝国の属領になった後も、エフェソに勝るとも劣らない繁栄した大都市でした。ここには王宮だけでなく、ギリシアの神々に献げられた多くの神殿があり、大劇場や大図書館などもあり、宗教と文化の一大中心地でした。前29年にはアウグストゥス帝と女神ローマのための神殿も建てられていました。異教の中心地として「そこにはサタンの王座がある」と言われています(二・一三)。このような宗教的環境に歩むキリスト者は困難な立場にあったことが推察されます。事実、キリストを言い表したアンティパスが殺されています(二・一三)。しかし、当時はまだキリスト者に対する組織的な迫害はなく、これはキリスト者に対して敵意をもった群衆による偶発的リンチであったと考えられます。そのような事件があったにもかかわらず、ペルガモンの信徒たちの信仰は揺るがなかったことが賞賛されています。

 ただ、ペルガモンの集会にも「バラムの教えを奉じる者がいる」ことが非難されています(二・一四)。バラムはイスラエルの民に「偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせる」ように唆した偽預言者として、ユダヤ教では異端的教師の象徴とされています。直後に「同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じる者がいる」(二・一五)という文があり、この「バラムの教えを奉じる者たち」とはニコライ派のことを指していると見られます。そうするとニコライ派というのは、偶像に献げた肉を食べたり、周囲の異教の人たちと同じようにみだらな生活をしても、キリスト者としての本来の自己を損なうことはないとした教えであることになります。ティアテラの集会にも、イゼベルという女性の自称預言者によって、同じような教えが入ってきていることが伝えられています(二・二〇)。

 異教の神殿での祭儀に参加して偶像に献げた肉を食べたり、娼婦のところに出入りしても霊性には何の支障もないとしたり、逆に体の働きは無意味であるとして極端な禁欲主義に走るのは、霊と肉の二元論に立って体の働きを蔑視する「グノーシス主義」の特徴です。二世紀の教父たちはグノーシス主義と激しく戦わなければならなくなりますが、その傾向はすでに一世紀末のアジア州の諸集会にあったことになります。イゼベルの教えが「サタンのいわゆる奥深い秘密」(二・二四)と呼ばれているのも、自分たちは霊の世界の「奥深い秘密」を知っていると誇ったグノーシス主義者たちの姿を示唆しています。

 スミルナの集会はユダヤ人の会堂から非難され苦しめられています(二・九)。おそらくユダヤ人たちは、自分たちの会堂から出て行って対立するようになったキリスト者に対して敵意を抱き、ローマ帝国によって公認された合法宗教(レリギオ・リキタ)であるユダヤ教とは別の、ローマの祭祀に背を向ける新興宗教の者たちとして、宗教上の僅かな法令違反をとらえてキリスト者を法廷に訴えたのではないかと考えられます(二・一〇)。この時期、ローマの祭祀が皇帝礼拝をも含むようになっていたことは、ドミティアヌス帝の布告からも十分推察できますが、それがどの程度の範囲と強制力を持ったものかは正確には分かりません。預言者ヨハネは自分自身の流刑体験からも、その圧力を身をもって知っていたと考えられます。

 フィラデルフィアにおいても、キリスト者はユダヤ人からの非難に苦しめられていました(三・九)。預言者ヨハネは、彼らはユダヤ人(神からの誉れを得ている者)と自称しているが、実はユダヤ人ではなく(ローマ二・二八〜二九参照)、「サタンの集いに属している者ども」(二・九)であると、明確な対決姿勢を取っています。

 このように、この時期のアジア州の諸集会は、外からは異邦人民衆や権力者たちから、またユダヤ人会堂から非難や圧迫を受けていただけでなく、内においても福音の真理を危うくする偽りの教えと戦わなければならない、困難な状況であったことがうかがえます。このような状況の諸集会に対して、預言者ヨハネはキリストの来臨が近いこと、すなわち敵対する者への審判と信じ抜く者の栄光の日が差し迫っていることを強調して、最後までキリストに忠実であるように、具体的にはこの預言の言葉に聴き従うように励まします。

 

賞賛と叱責

 エフェソの集会は、偽使徒に従わず、ニコライ派を退けて正しい信仰を守ったことを賞賛されていますが、他方「初めの愛を放棄した」ことが責められています(二・四直訳)。「初めの愛」という表現は、燃えるような福音宣教の言葉と御霊の顕著な働きの中で集会が形成された初期の頃のキリストへの熱い愛という意味か、またはその頃の兄弟間の愛という意味か議論がありますが、無理にどちらか一方に決める必要はないでしょう。両者を一体と見て、その初期の熱い愛が冷めている現状を、預言者ヨハネは心配しています。

 同じような心配がラオディキアの集会についても語られています。この集会については、「熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」と言われています(三・一六)。これは、御霊による熱い愛は冷めているが、形式的な信仰生活は守られている状況を指しているのでしょう。ラオディキアにはパウロの時代から集会があったことが、コロサイ書(二・一、四・一三以下)から知られていますが、四〇年ほど年月が経って、状況は変わってきていることがうかがえます。ラオディキアは富裕な商業都市ですが、自分たちの富に誇る心の裏側に、霊性の貧困があることを直視するように、主から叱責を受けることになります(三・一七〜一九)。

 さらに、サルディスの集会については賞賛の言葉はなく、「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」と厳しい叱責だけがなされています(三・一)。しかし、叱責は悔い改めを促すためです。福音を受けたときの初心に立ち返り、その初心を主が来られる時まで維持するように求められます(三・三)。

 逆に、スミルナの集会については叱責はなく、外見における苦難と貧しさの中で、「本当は豊かなのだ」と、その信仰と霊性における豊かさが賞揚されています(二・九)。また、フィラデルフィアの集会についても叱責はなく、自分の力は弱いにもかかわらず、苦難の中で主の御名を言い表し続けたことが賞賛されています(三・八)。

 ペルガモンの集会も、異教的環境で仲間が殺されるという苦しい状況においても信仰を捨てなかった忍耐と勇気が称賛されています(二・一三)。ティアティラの集会については、集会が愛、信仰、奉仕、忍耐において成長し、「近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっている」ことが賞賛されています(二・一九)。ただ、この二つの集会(ペルガモンとティアティラ)については賞賛と共に、先に見たように、一部の者にニコライ派とかイゼベルというような間違った教えが入り込んでいることが警告されています。

 このような賞賛と叱責は、「御霊が諸集会に告げること」とされていますが、諸集会を巡回して指導した預言者ヨハネの霊的直観による現状認識から出ていることも確かでしょう。預言者から見た諸集会は決して理想の状態ではなく、様々な困難と問題を抱えていたことがうかがえます。また、預言者がどのような使信をもって、集会をどのような方向に導こうとしたのかもうかがうことができます。その使信の中心はキリストの来臨の切迫であり、目指した方向は忠実なキリスト告白であると言えるでしょう。

 

勝利する者への約束

 このように預言者ヨハネは各地の集会の霊的現状をよく知っていて、それぞれに適した形で、賞賛をもって励まし、また叱責して悔い改めを促します。そして、最後にこの預言の言葉に聴き従って信仰を貫く者に、来臨される主キリストから勝利の栄冠が与えられることが約束されます。その約束は、「神の楽園にある命の木の実を食べさせる」(二・七)、「命の冠を授ける」(二・一〇)、「隠されたマンナ、新しい名が記されている白い小石を与える」(二・一七)、「明けの明星を与える」(二・二八)、「白い衣を着せる」(三・五)、「神の神殿の柱とする」(三・一二)、「自分の座に共に座らせる」(三・二一)というように、ユダヤ教黙示文書に見られる表現を総動員してなされています。

 表現だけでなく、その約束の構造が黙示思想そのものです。キリストが来臨される時、勝利を与えられる者は、「第二の死から害を受けない」(二・一一)と言われています。地上の体の死に対して、終わりの裁きの日に「火と硫黄の燃える池」に投げ込まれて滅びることが「第二の死」です(二一・八)。そのような死を味わうことはないと約束されます。また、「その名を命の書から消すことはない」(三・五)と言われています。ユダヤ教では神の民に所属することが「命の書に名を記される」という表象で語られていましたが、黙示文書において終末時の戸籍証明になっています(ダニエル一二・一)。

 さらに、今は権力をふるって迫害している者と、苦しめられている者の立場が、その時には逆転するという黙示思想の期待が、「彼ら(迫害する偽り者たち)があなたの足もとに来てひれ伏す」(三・九)という形で述べられています。キリストが「勝利を得て、父と共にその玉座に着いた」ように、その時にはキリストの名のゆえに苦しめられた者が、勝利されたキリストと共に支配の座につくことが約束されます(三・二一)。

 このように、キリストの来臨は大いなる逆転の時です。ユダヤ教黙示思想も、この大いなる逆転が起こることを期待して苦しみに耐えてきましたが、その逆転は純粋に未来の出来事でした。それに対してヨハネ黙示録では、イエス・キリストにおいてすでにその逆転が起こっています。この世の勢力によって十字架につけられて殺されたイエス・キリストが、復活して天に上げられ、今は神の右に、すなわち支配の座に着いておられます。キリストの民はこのキリストに所属する民です。地上ではこの世の支配者たちに圧迫され苦しめられていますが、すでに勝利しておられるキリストが(今は隠されている)その栄光を顕されるとき(それが来臨《パルーシア》です)、キリストの民も勝利者として、支配の座にある者として現れることになります。

 キリストはすでに勝利して現在は栄光の座に着いておられ、ご自身の民の間に歩んでおられるのですが、地上の人間の目には見えないのです。人の目には隠されているその「天上のキリストの姿」を幻によって示された預言者は、それを一章で描きました。そして続いて二〜三章で、そのキリストが七つの集会の現状に向かって御霊によって語られる預言の言葉を手紙の形で書き送りました。これは「今あること」の啓示です。それを書き終えて、預言者はいよいよ四章以下で、「(神の御旨・御計画である故に)必ず直ぐに起こる定めになっていること」を語ります。それがこの黙示録の主要部分を形成します。それは、ここで約束されている勝利とはどのようなものか、またどのようにして勝利に達するのかを提示します。その書き方は、ユダヤ教黙示文学の形式を踏襲して、幻の連続という形で書かれています。そのため、その解釈は難解をきわめ、限りなく議論が続き、後世のキリスト教の歴史でも、実に様々な思想と信仰運動の源泉となってきました。ここでは、細部の解釈の議論に立ち入ることはできませんので、その大意を把握して、この黙示文学的表現の背後にある霊的なキリスト使信を聴き取り、その使信を現在のわれわれがどのように受け取るべきかという問題に重点を絞って見ていきたいと思います。


 

      天上の礼拝(四〜五章)

 

玉座に座す方

 パウロは第三の天にまで引き上げられた体験を語っています。「体のままか、体を離れてかは知りません」が、「楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にした」と語っています(コリントU一二・二〜四)。ヨハネも「御霊に満たされて」(エクスタシーの状態で)天に引き上げられ、「開かれた門」から入って、「天の玉座」の前に導かれます(四・一〜二)。

 ヨハネはそこで見た光景を描きます。それは、本来語りえないものを語ろうとするので、象徴的な表現にならざるをえません。「玉座の上に座っている方」(四・三)は神に他なりませんが、その方の姿は語ることも描くこともできません。ただ「碧玉や赤めのうのような」透明でまばゆい光としか表現のしようがありません(エゼキエル一・二六〜二八参照)。玉座の周りには「エメラルドのような虹が輝き」、また、モーセがシナイ山で啓示をうけたときのように、「稲妻、さまざまな音、雷が起こり」、玉座を近づきがたい威厳で囲みます(四・五)。

 玉座の周りに二四の座があって、それぞれに白い衣を着て金の冠をかぶった二四人の「長老」が座っているのを、ヨハネは見ます(四・四)。この「長老」は、旧約や新約の聖者ではなく、天上の会議に列する天使的存在と見られます。中心を巡る十二とか二十四という数の栄光体は、古代の星辰宗教(星を神々として拝む宗教)の名残を感じさせますが、イスラエルの宗教伝統にあるヨハネにおいては、ひたすら中央の玉座に座したもう唯一神を礼拝する天使的存在とされています(四・一〇)。
 玉座の前には「七つのともし火」が燃えていますが、そのともし火とは「神の七つの霊」であると説明されます(四・五)。この「七つの霊」は、天上のキリストが持っておられる霊とされ(三・一)、また小羊としてのキリストの七つの目ともされています(五・六)。この玉座の前の「七つのともし火」は、いつも神の前に侍るとともに、神とキリストとの意を受けて全地に遣わされ、聖なる御心を行う霊を指していると考えられます。

 玉座の前は「水晶に似たガラスの海のよう」であり、中央と周りに「四つの生き物」がいるのを、ヨハネは見ます。その生き物は、獅子、雄牛、人間、鷲のような姿で、それぞれ六つの翼をもち、周りにも内側にも一面に目があるという不思議な生き物です(四・六〜八)。この四つの生き物はエゼキエル書一章に、六つの翼や「聖なるかな」の三唱はイザヤ書六章のセラフィムの姿に起源をもつ幻であることは明らかです。

 ここで、四つの生き物と二四人の長老が捧げる神への賛美(四・八と一一)で用いられている神の称号を手がかりにして、ヨハネ黙示録が神をどのような方として語っているかを見ておきましょう。

 玉座にいます方は、「全能である神、主」と呼ばれ、「あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造された」と賛美されています。このような称号とか賛美は、ユダヤ教においては普通のことですが、その方がこの黙示録で「かつておられ、今おられ、やがて来られる方」という称号で呼ばれていることが注目されます。

 この称号はすでに一章の四節と八節で、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」という形で出てきています。順序は違いますがここの称号と同じで、本書で三回繰り返されていることになります。この称号は「ヤハウェ」(YHWH)という神名を解釈したもので、旧約聖書自体では「わたしはある」と説明されています(出エジプト記三・一四)。この呼び名は、ユダヤ教においては神の永遠性を宣言するものと理解され、タルグム(アラム語への聖書の解説的翻訳)では「わたしは今あり、かってあり、またやがてある者」と解説され、神が過去、現在、未来にわたって永遠にいます方であるとされています。

 ヨハネ黙示録もこの線上にありますが、未来のことを語る三項目が「やがて来られる方」となっているのが決定的に違います。神は、ただこれからも存在するというのではなく、「やがて来られる方」として、すなわち世界に審判と救済をもたらすために到来しようとされている方として描かれます。ヨハネは、旧約の預言者たちが語った神の終末的到来(イザヤ四〇・一〇など)をこのような形で表現していると言えます。ヨハネは、旧約の預言者と共に神の「将来」を語ります。すなわち、神は「将に来ようとしている」方として語られています。

 この黙示録のプロローグは、「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる」として、「わたしはアルファであり、オメガである」という、この方の自己宣言で締め括られていました(一・八)。この「わたしはアルファであり、オメガである」という自己宣言は、本書の結びの部分で「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」と繰り返されています(二一・六)。

 アルファとオメガは、ギリシア語アルファベットの最初と最後の文字ですから、「わたしはアルファであり、オメガである」というのは、「わたしは初めであり、終わりである」というのと同じです。そして、「わたしは初めであり、終わりである」という神の自己宣言は、第二イザヤ(イザヤ書四〇〜五五章)に繰り返し出てくる神の自己宣言句です。ヨハネは、旧約の預言者が到達した最高峰である第二イザヤを継承し、そこから出発していると言えます。

 「初め」と「終わり」は、時間軸上の用語です。第二イザヤの「わたしは初めであり、終わりである」という神の自己宣言には、神は初めに天地万物を創造してその働きを始め、終わりに万物を救済してその業を完成されるという形で、神の働き(というより働きとしての神)が時間軸上で言い表されています。神を存在の根底であり、また存在の至高の姿であるとするような、存在(コスモス)の上下軸で見るギリシア的な見方ではなく、あくまで神を救済史の枠組みの中で語るイスラエルの預言者の流れの中に、著者ヨハネはいます。

 

礼拝される小羊

 以上ヨハネ黙示録四章に描かれた玉座の光景は、ユダヤ教黙示文書と本質的に変わるところはありません。次の五章に入って、キリストの福音を告知する文書として決定的な違いが出てきます。その違いとは、玉座の傍らに「屠られたような小羊」が立っていて、その「小羊」が玉座にいます方と同等に礼拝されていることです。この「小羊」は、一章(九〜一六節)に語られていた「天上におられるキリスト」に他なりませんが、そのキリストがここでは「屠られたような小羊」の姿で現れておられるのです。この「屠られたような小羊」としてのキリストこそ、本書の主題です。

 ヨハネは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見ます。その巻物は表にも裏にも字が書いてあり(エゼキエル二・九〜一〇参照)、七つの封印で封じられています。その巻物こそ神の御計画を書き記したものであるに違いないのですが、その封印を解いて巻物を開き、神の御計画を行いかつ知らせる者がいないので、ヨハネは悲しみのあまり激しく泣きます。すると、二四人の長老の一人がヨハネに、「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる」と言います(五・一〜五)。

 ここで巻物を開くことができる者が「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえ」と呼ばれています。これはユダヤ教におけるメシアの称号です(この称号が出てくる創世記四九・九〜一〇、イザヤ一一・一〜一〇は、ユダヤ教ではメシア預言とされていました)。神の約束によってついにイスラエルに現れたメシアが、その使命を果たして勝利したので、封印を解いて巻物を開くことができる、すなわちその巻物の内容である神の救済の御計画を実行し、完成することができるというのです。

 この天上の光景は、イザヤ書六章にあるイザヤの召命の記事を思い起こさせます。「わたしは誰を遣わそうか」という声に、イザヤは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と答えます。ここの天上の玉座の光景でも、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」という天使の声に答える者は天にも地にも地の下にもなく、ヨハネは泣き崩れます。その時、使命を果たして勝利を得たメシアが玉座の前に進み出ます。その時、メシアの姿は「屠られたような小羊」として現れます(五・六〜八)。

 この小羊には七つの角と七つの目があり、その七つの目は「全地に遣わされている神の七つの霊である」という説明がついています(五・六)。角は支配者の威光のしるしであり(申命記三三・一七)、目も、それにつけられている説明が示しているように、小羊が神の支配に参与していることを示しています。このように威光をもって神の前に生きている方が「屠られたような」姿をしていることが不思議です。「屠られたような」という姿は、実際には屠られていないのだが、あたかも屠られたように見えるという意味ではなく、事実「屠られた者として」という意味です。小羊は祭儀に用いられる犠牲獣の代表です。

 支配者としての威光と屠られた犠牲獣というこの矛盾した二つの相(姿)をもつ小羊は、パウロが言う「十字架につけられたままの姿のキリスト」(コリントT一・二三、ガラテヤ三・一)の象徴表現です。栄光の座にいます復活者キリストは、その身に十字架の死を負った姿で生きておられるのです。このキリストを、パウロは「十字架につけられたキリスト」と語り、ヨハネは「屠られたような小羊」として見ます。

 この天上の礼拝の光景において重要なことは、この小羊が玉座にいます方と同等に礼拝されていることです。小羊が巻物を受け取ったとき、まず四つの生き物と長老たちは「小羊の前にひれ伏し」、新しい歌をうたって小羊を賛美します。その「新しい歌」は、小羊キリストがご自分の血で諸国民の中から人々を贖い、神の民とされたというキリスト賛歌です(五・七〜一〇)。その後、無数の天使の賛歌が響き渡り(五・一一〜一二)、最後にすべての被造物が「玉座に座っておらられる方と小羊とに」賛美を捧げます(五・一三〜一四)。ここではっきりと神とキリストが同等に礼拝されています。新しいエルサレムが完成するとき、その都には神殿はなく、「全能者である神、主と小羊とが都の神殿であり」(二一・二二)、その玉座は「神と小羊の玉座(単数形)」となり(二二・一)、小羊は神と共に玉座に座す方となります。

 復活者イエスが神と同等に礼拝されていることは、復活者イエスについて用いられている称号からも分かります。キリストは登場されるとき、「わたしは最初の者にして最後の者」と名のっておられます(一・一七)。これは、「わたしはアルファであり、オメガである」という神の称号と同じです。最後の場面で、キリストは「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして最後の者、初めであり終わりである」(二二・一三)と宣言されますが、これは神の自己宣言(二一・六)と実質的に同じです。このように、称号から見てもキリストは神と同等の者として現れています。

 こうしてヨハネ黙示録では、十字架につけられて殺されたイエスが復活者イエスとして礼拝されています。それが「小羊への礼拝」として描かれます。この小羊への礼拝は、ローマ帝国の権力を偶像化して拝む「獣の礼拝」と戦う原理として、この黙示録を貫く基調となります。イエスを神として礼拝することは、神だけを礼拝することを求める唯一神信仰と矛盾するものではありません。四章での神への礼拝が五章で小羊への礼拝となって輪のように広がってゆく光景に見られるように、ヨハネ黙示録はイエスを神に並び替わる礼拝対象としてではなく、神に帰すべき栄光を共有する方として、神への礼拝に含ませるという形でイエスを礼拝しているのです。それが黙示録の各所で「神と小羊」への礼拝として表現されることになります。


 

      七つの封印(六〜七章)

 

四人の騎士

 小羊は玉座にいます方の右の手から巻物を受け取り(五・七)、巻物を封じている七つの封印を次々に開いていきます(六・一以下)。すると、一つの封印を開くごとに、恐ろしい出来事が次々に起こります。しかし、これはまだ巻物の内容ではありません。封印を解くたびに、それに伴って起こる出来事です。それらの出来事は、巻物の内容が起こるときの序曲をなすものです。巻物の内容自体は、七つの封印がすべて解かれた後に、一〇章になって初めて天使を通してヨハネに明らかにされます。

 七つの封印の中で最初の四つの封印は、それを開くごとに起こる出来事が共通のパターンで描かれます(六・一〜八)。小羊が封印を開くごとに、玉座の前の四つの生き物が次々に雷のような声で「来たれ」と叫び、その叫びに応えて四人の騎士が違った色の馬に乗って現れます。第一の馬は白、第二の馬は火のような赤、第三の馬は黒、第四の馬は青白い色です。そして、その馬に乗る騎士はそれぞれ弓、剣、秤を持ち、第四の騎士には陰府が付き従っています。

 白い馬に乗り、手に弓を持つ第一の騎士が何を象徴するのかについては、様々な解釈がありますが、第二以下の騎士については、本文で解釈されています。すなわち、第二の大きな剣を持つ騎士は大規模な戦争を象徴し、第三の秤を持つ騎士は戦争や災害に伴う生活必需品の高騰による庶民の生活苦を、第四の陰府を従えた騎士は、戦争と飢饉と悪疫と野獣で人類の四分の一を殺す権威をもった「死」です。そうすると第一の騎士も、地上に災いをもたらす抵抗しがたい出来事とか勢力と理解しなければなりません。当時弓をもって武装した強力なパルテヤ人の騎馬軍団が東からローマ帝国を脅かしていましたが、おそらくそのイメージが終末時に現れる強力な侵略者軍団と、彼らによる社会の秩序そのものの崩壊を象徴したのでしょう。

 この四頭の馬の幻は、ゼカリヤ書六章(一〜八節)の四つの色の馬に引かれた四両の戦車の幻を思い起こさせます。ゼカリヤ書では、四両の戦車は天の四方に向かう風とされていますが、ヨハネ黙示録では当時の黙示思想で終末の前に起こるとされていた災害や苦難の象徴とされています。当時の黙示思想の終末待望においては、終末に先立って戦争、党派争い、飢饉、疫病、義人(信者)の迫害、地震などの自然災害が起こるとされていました(マルコ一三章参照)。ヨハネ黙示録では、戦争や飢饉や疫病などが四人の騎士で象徴された後、信徒の迫害が第五の封印の開封に、地震など宇宙の変動が第六の封印の開封にともなって起こります。


殉教者の数が満ちるまで

 小羊が第五の封印を解いたとき、ヨハネは天上の祭壇の下に、「神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々」の魂《プシュケー》を見ます(六・九)。この人たちはイエスを神の言葉であるキリストと言い表し、その「証し」《マルテュリア》のゆえに死に至った人たち、すなわち立証者《マルテュス》たちであり、殉教者(殉教者を意味する英語の「マーター」はこの《マルテュス》の英語形)たちです。この「証し」《マルテュリア》を貫くことが、本書の主要な主題の一つです。

 殉教者たちの肉体は地上に葬られますが、彼らの魂は天上に引き上げられ、「死者の復活」の時まで神の玉座にもっとも近い祭壇の下に憩うことを許されます。祭壇は犠牲の血が注がれるところです。神を崇めるための祭壇に自分の血を注いだ殉教者たちの魂は、天上の祭壇の下に憩います。彼らの魂は、真理の証しのために殺されるという犠牲がいつまで続くのですかと叫びます。それに対して「数が満ちるまで」という答えが与えられます(六・九〜一一)。この「いつまで」という叫びは、抑圧された信仰の問として、黙示思想に繰り返し出てくる特有の問です(たとえばラテン語エズラ記六・五九)。

 イエスの証しのゆえに死ぬこと、すなわち殉教は、すでにステファノの時から始まっていましたが、この黙示録が成立する時期までに、キリストの民はネロ帝によるローマのキリスト教徒処刑など、ローマ帝国による迫害を経験していました。ネロの迫害はまだ偶発的な事件という面がありましたが、自分を「主また神」として拝むことを要求するようになったドミティアヌス帝の登場によって、ローマ帝国によるキリスト教徒迫害は新しい局面に入ったことを、預言者ヨハネは見通しています。ヨハネはその預言者的な直観で、誰が世界《コスモス》の支配者であるのか、その主権をめぐってキリストの民とローマ帝国の間で激しい戦いがこれから続くことを予感して、それを黙示録的象徴表現で語るのです。その戦いでキリストの民に求められているのは、「証し」《マルテュリア》を貫くことです。それだけが勝利への道です。

 「数が満ちる」というのは黙示思想の表現です。黙示思想では、神は世界の中で救済の働きを進めていかれるとき、神が特定の目的のために召されたグループの人たちの数が定められた数に達するとき、次の段階に進まれるとされていました。パウロも救済史を語るとき、この「数が満ちる」という表現を使っています(ローマ一一・一二と二五)。ヨハネは、神が定められた殉教者の数が満ちるとき、神が裁きを行い、ご自身の民に勝利を与えられることを預言します。

 

宇宙の激震

 小羊が第六の封印を解いたとき、大地震が起こり、太陽は喪服をまとうように暗く、月は血のように赤くなり、星は地に落ちます(六・一二〜一三)。黙示文書では繰り返し、終わりの日の前兆として宇宙が震われることが語られていました。すでに捕囚期前後の預言者たちも、終わりの日に神が地を揺り動かされることを語っていましたが(アモス九・五、イザヤ一三・三、エレミヤ四・二四)、黙示文書になると天宮も含む全宇宙が震い動かされるということになります。この黙示文書の終末観は、終わりの日をキリストの来臨という形で待ち望んだキリストの民にも受け継がれ、「その日には、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」という表現になります(マルコ一三・二四〜二五とその並行箇所)。

 天体は遙か遠いところにありますから、その変動は実感が薄いです。ところが地震は自分たちの生活の基盤が現実に崩れることですから、実感は強くなります。宇宙の激震という表象は、大地震の実感の中に含まれます。この時代の地中海世界の人たちは、79年のベスビオス火山の噴火による地震とポンペイ市の埋没を知っていますから、全地に大地震が起こるという預言は強烈な印象を与えたことでしょう。

 この大地震に対する恐怖は、実は「神と小羊の怒りの大いなる日」が来たことに対する怖れであって、地上で権力を振るっている者たちも皆、山に向かって「わたしの上に覆いかぶさってくれ」と叫んで、小羊の怒りから逃れようとします(六・一五〜一七)。ヨハネ黙示録の「小羊」は、身代わりの犠牲として黙って殺されるというだけでなく、その怒りによって対抗する者を粉砕するという、強力な支配者としての一面をもっています。「小羊の怒り」は、終末における神の審判を指し示す象徴です。

 

勝利する民の幻

 六章で六つの封印が解かれましたが、第七の封印が解かれるのは八章(一節)に入ってからになります。第六と第七の封印の間に、これから起ころうとしている艱難の中で神に守られて勝利する民の幻が挿入されます(七章)。

 ここで勝利する民の幻は二つのグループに分かれて描かれています。一つは、額に神の刻印を受けた一四万四千人の「イスラエルの子ら」です(七・一〜八)。もう一つは、白い衣を着た「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、誰にも数えきれないほどの大群衆」です(七・九〜一七)。

 額に受けた神の刻印は、その人が神の所有であり、神の保護の下にあることを示しています。神が全地を裁かれるとき、刻印のある者は裁きを免れます(エゼキエル九・一〜六参照)。地の四隅に立つ天使が地に災いをもたらす風を吹き付けようとしているのを止めて、東からのぼってきた天使が神の僕たちの額に刻印を押していきます。ヨハネがその数を訊ねると、一四万四千人であると答えをえます。それはイスラエルの一二部族のそれぞれから一万二千人づつ選び出された人たちでした。
 ヨハネはその後に、諸国民の中から集められた数えられないほどの大群衆が、白い衣を着せられ、手にはなつめやしの枝を持って、神と小羊を賛美し、礼拝しているのを見ます。ヨハネは玉座の前の長老の一人から、その大群衆は「その衣を小羊の血で洗って白くした」者たちであると教えられます。それは言うまでもなく、キリストの十字架の死による贖いによって罪を清められ、神のものとしてふさわしくされた者たちを指しています。

 問題は、この二つのグループが同じ民を指しているのか、または別の民を指しているのかという点です。それぞれ「イスラエルの子ら」と「あらゆる国民、種族、民族から集められた」と明示されていることから、ユダヤ人信徒のグループと異邦人信徒のグループを指しているという解釈もありえます。しかし、ヨハネ黙示録ではユダヤ人信徒と異邦人信徒の区別とか対立は問題になっていないので、この解釈は不自然です。キリストの民は「神のイスラエル」と呼ばれており(ガラテヤ六・一六)、自分たちこそ真のイスラエルの継承者であると自覚しているのですから、やはり同じ民を指していると見て、刻印とか白い衣はどちらもその民の特質を象徴的に記述していると見ることができます。数の問題は、黙示思想の「数が満ちる」ことを象徴的に示唆するために天使によって数えられますが、それが人間の目には数えられない大群衆であるという二面を描いていると理解すべきでしょう。

 後(一四・一〜五)でヨハネは、「額に小羊の名と、小羊の父の名とが記された」一四万四千人の者が、シオンの山に立つ小羊と一緒にいるを見ますが、そこではこの一四万四千人が「初穂」と呼ばれています。そのことの意義は一四章の講解で扱います。

 この民は、手になつめやしの枝をもって神を賛美しています。これは勝利の象徴です。獣の権力との戦いはこれからですが、ヨハネはすでに勝利したキリストの民の幻を見て、それによって苦難に臨む民を励まします。神の刻印を受け白い衣を着せられた民はすでに勝利しています。キリストの民は、この勝利の幻を抱いて苦難の時代に向き合うことができます。

 

ヨハネ黙示録における「礼拝」

 複雑な構成をもつヨハネ黙示録を読み解く鍵の一つが「礼拝」です。本書は、誰を、または何を礼拝するのかという問題をめぐって展開します。ヨハネはユダヤ教の厳格な唯一神礼拝を継承し、創造者なる神だけを拝み、この神以外の被造物を拝むことを偶像礼拝として厳しく退けます。その原理によって、ローマの権力を絶対化して拝むことを「獣の礼拝」として排撃します。
 ところが本書では、その唯一神礼拝にユダヤ教には見られない新しい要素が入ってきます。それは先に「天上の礼拝」(四〜五章)で見たように、創造者なる神への礼拝に含まれる形で「小羊の礼拝」がなされていることです。小羊であるキリストは、玉座にいます方(神)と同じ称号で呼ばれ(前述)、同じ言葉で賛美されます(たとえば五・一三)。
 本書には、壮大なドラマの進行の合間に繰り返し、礼拝と賛美の光景が現れますが、その記述はこの時代にキリストの民の集会が実際に行っていた礼拝を反映していると見られます。この時代の集会は、とくに患難が迫っている緊迫した状況では、御霊に満たされ、霊歌がわき起こり、預言や異言の現れも著しく、その賛美と祈りは人の思いを超えた天上の相を示す場面もあったと想像されます。著者は、自分の個人的な霊的体験だけでなく、集会が行っている礼拝をモデルにして、本書の礼拝の記事を書いていると考えられます。それで、本書にちりばめられている礼拝を描く記事から、この時代のエクレシアの礼拝の様子や賛美の言葉を推察することができます。

       参考までに、このような断片的な礼拝記事の箇所をあげておきます。四・一〜一一、五・一〜一四、七・九〜一七、一一・一五〜一九、一二・一〇〜一二、一五・二〜四、一九・一〜一〇。

 「小羊の礼拝」は、十字架されたイエスを神として礼拝することですから、ユダヤ教会堂のユダヤ教徒は受け入れることができません。それに対してキリストの民は、イエスは十字架の死によって神の贖いを成し遂げ、復活して神の右に上げられ、神がなされる救いの働きを現にしておられることを知っています。そして、やがて来て最終的な裁きと救いを成し遂げられると信じていますから、イエスを神の働きをされる代理者として、神と重ねて礼拝しないではおれません。その重なりの表現は場面によって微妙に違いますが、最終的には小羊は神と共に一体として玉座に座す方として礼拝されます(二二・三)。

 ヨハネ黙示録は、キリストの民がこの「小羊の礼拝」、すなわち十字架につけられた姿の復活者キリストを神として拝む礼拝によって、ローマの権力を神として拝む「獣の礼拝」と対抗し、戦い、勝利することを壮大なドラマで描き、これを読む者が「小羊の礼拝」に固着するように励まします。


 

    七つのラッパ(八〜一一章)

 

四つのラッパと災害

 小羊が第七の封印、すなわち最後の封印を解くことによって、終末的事態は新しい段階に入ります。すなわち、さらに差し迫った終末的患難が七つのラッパによって告知されることになります。神の前に立つ七人の天使が七つのラッパを吹くことになりますが、その前に天に「半時間ほどの沈黙」があることが語られます(八・一〜二)。この沈黙は、嵐の前の静かさでしょうか。その後、ラッパを持った七人とは別の天使による聖徒たちの祈りの執り成しが「香炉」の象徴で描かれます(八・三〜四)。その香炉が地に投げつけられ、ラッパが吹かれる用意が調います(八・五〜六)。祭壇の火に満たされた香炉が地に投げつけられるのは、聖徒の祈りが聴かれて、それが地に行われることを象徴するのでしょう。

 このような序曲的な光景の後、いよいよ時の到来を告げるラッパが吹き鳴らされます。七つのラッパの中、初めの四つのラッパは、それが吹かれた時に起こる出来事が簡潔に描かれ、第五のラッパと第六のラッパの場合が詳しく描かれます。この扱い方は封印の場合と対応しています。

 ラッパが吹き鳴らされるときに地上に起こる災害は、イスラエルがエジプトを出たときかたくなに逆らうファラオの国に下された災害(出エジプト記七〜一〇章)をモデルにし、旧約聖書の預言書とユダヤ教黙示文書から表現をとっています。
 第一の天使がラッパを吹き鳴らしたときに、「血の混じった雹と火」が地に投げ入れられますが、これはエジプトの災厄の七番目の雹の災害(出エジプト記九・二三〜二六)に相当します。ここでは、その災厄が地上の全地に降り(ヨエル三・三〜四)、木と青草が焼けます(八・七)。

 第二の災いは、火の塊が海の中に落ちて、海が血に変わり、海の生物が死に、船が破壊されます。これは、ナイルの水が血に変わって魚が死んだエジプトの第一の災厄(出エジプト記七・二〇〜二一)をモデルにしています(八・八〜九)。
 第三のラッパのときに、「苦よもぎ」という名の燃える星が天から落ちてきて、すべての川の水源を苦くした(汚染した)ので、そのために多くの人が死にます。この災害には出エジプト記のモデルはありません(八・一〇〜一一)。

 ここまでの災厄はすべて、地上の生物の三分の一の範囲に及ぶことが特記されていました。すでに最初の四つの封印が解かれるときに、地上の四分の一の人が滅ぼされましたが(六・八)、ここで三分の一とされているのは、災害の規模がさらに一段と大きくなることを象徴しているのでしょう。

 第四のラッパが吹き鳴らされたとき、その三分の一の喪失が天体にも起こり、太陽も月も星も損なわれて、その光の三分の一を失います。地上の生命の源泉である天からの光と熱が三分の一も失われることによって、地上の生命は萎縮し、人の住む環境が劣化することが予告されます(八・一二)。

 以上の災厄の描写は、現代の環境問題を思い起こさせます。しかし、まだ災厄は終わりではありません。なお三人の天使が吹こうとしているラッパのときに起こる不幸が、空高く飛ぶ鷲によって嘆かれます(八・一三)。

 

第五と第六のラッパ

 第五のラッパが吹き鳴らされたとき、いなごの災厄が起こります(九・一〜一一)。これは、出エジプトのさいの災厄の八番目のいなごの災い(出エジプト記一〇・一以下)を思い起こさせます。すでにヨエル(一〜二章)もイスラエルを襲ういなごの災害を語っていましたが、黙示録ではその災害は悪霊による人類の苦悩を象徴するものになっています。

 一つの星が天から地上に落ちてきます。当時の観念では、星は神の命令を実行する天使と考えられていました。この星(天使)が与えられた鍵で底なしの淵を開くと、煙が立ち上り、いなごの大群が地上に現れます。このいなごの大群は、額に神の刻印を押されていない人間を、五ヶ月(これはいなごの生存期間)の間苦しめることを許されています。いなごが与える苦痛は、さそりが刺したときの苦痛のようで、苦痛のあまり死を望んでも死ぬことができない質のものでした。これは、現代の精神的不安と精神病の苦悩を思い起こさせます。

 この預言におけるいなごの描写(九・七〜一〇)は、ヨエル書のいなごの描写に依拠しているようです。しかし、ここでは最後にいなごの大群を率いる王は「底なしの淵の使い」であり、その名がヘブライ語で「アバドン」、ギリシア語で「アポリオン」ということが付記されます(九・一一)。両方とも「滅ぼす者」という意味の語です。それによって、このいなごが人間心理の深層から現れる様々な悪霊的な諸力を象徴していることが示唆されます。この災厄は、四つの災厄の後、空高く飛ぶ鷲によって予告された三つの災厄(八・一三)の第一のものとされます(九・一二)。

 第六のラッパが吹き鳴らされたときに起こる災厄は、これまでの災害を超える決定的な性質のものになります。これまでは地上の人間は苦しみますが(八・一一の例外以外は)殺されませんでした。しかし、この第六のラッパのときには人間の三分の一が殺戮されます。これは、エジプトに下された災害の最後に、エジプトのすべての家の長子が殺されたことを思い起こさせます。

 このときの殺戮の描写(九・一三〜一九)は、ユダヤ教黙示文書のイメージを用いているようです。たとえば、エチオピア語エノク書(五六章)には、天使たちが東方の王たちをそそのかして軍勢を動員し、選民の地を踏みにじらせることが語られています。「ユーフラテス川のほとり」という地名も、イスラエルがしばしば東方の帝国(アッシリヤやバビロン)に侵略された記憶や、現にローマ帝国の民も東方のパルテヤ王国からの脅威におびえている不安から出たものでしょう。

 その時まで閉じこめられていた殺戮の天使たちがついに解き放たれ、その天使たちに率いられた圧倒的な軍勢が多くの人を殺戮する様子が、口から火と煙と硫黄を吐く、頭は獅子で尾に頭がある奇妙な馬に乗る二億の騎兵軍団の攻撃という幻想的なイメージで描かれます。

 この箇所は、原子力が解き放たれ、それがキノコ雲と熱風と放射線を吐き出す原子爆弾という不気味な終局兵器を生み出し、人類を最終戦争の恐怖におののかせている現代を思い起こさせます。

 このような不気味で圧倒的な軍勢によって三分の一の人間が殺されても、残りの人間は偶像礼拝を止めず、また殺人や淫行、盗みや呪術を止めず、神に対する人間の背きの歴史は地上に続きます(九・二〇〜二一)。

 

開かれた巻物を食べるヨハネ

 封印の場合、第六と最後の第七の封印の間にキリストの民の刻印と守護を描く幻(七章)が挿入されたように、ラッパのときも第六のラッパの後、最後の七番目のラッパが吹き鳴らされるとき(一一・一五)までの間に、神の民に対する特別の使信が挿入されます。

 第六のラッパの後、ヨハネは「もう一人の力強い天使」が天から降ってくるのを見ます。ヨハネは一度天に上げられましたが、再び地上にいるようです。顔は太陽のように輝き、足は火の柱のようなその天使は、手に巻物を持っています。天使は両足で海と地を踏まえ、大声で叫びます。その時、七つの雷が語りますが、ヨハネはそれを書き記すことを禁じられます(一〇・一〜四)。

 その天使は、「もはや時がない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである」と叫びます。この天使によって、第七のラッパの意義が明らかにされます。それは「神の《ミュステーリオン》」が成就する時です。今まで神の救済計画《ミュステーリオン》は神の御心の奥深くに隠されていました。それが福音という形でご自身の僕たち、すなわちイエス・キリストを信じる者たちに告げ知らされていました。ここで福音によって召されたキリストの民は、神の奥義を告げ知らされた預言者集団と見られています。本来は黙示思想の用語である《ミュステーリオン》(奥義、隠された計画)は、パウロも用いていましたが、コロサイ・エフェソ書で中心的な位置を占めるようになっていました。そして、ヨハネ黙示録では《ミュステーリオン》が成就する時が宣言されるようになります(一〇・五〜七)。

 ヨハネはその天使の手から巻物を受け取って食べるように命じられます。ヨハネがその巻物を食べると、口には密のように甘かったが、腹は苦くなります(一〇・八〜一〇)。「御言葉を食べる」という体験と表現はエレミヤ書(一五・一六)にもありますが、「巻物を食べる」というのはエゼキエル書(二・九〜三・四)から取られています。エゼキエルの場合は、巻物の表にも裏にも哀歌と呻きと嘆きの言葉が書き記されていましたが、それを食べると「密のように口に甘かった」とされています。

 ヨハネの場合は、口には密のように甘かったが、腹の中では苦くなります。御言葉を身に受ける体験は甘美な面がありますが(とくにその内容が慈愛の面が強い場合)、奥義の成就には厳しい裁きの面もあり、それを預言しなければならないのは苦しいことになります。ヨハネはなおも、これから起こる艱難を諸国民に預言しなければならない苦い課題が与えられます(一〇・一一)。

 ここで問題は、この一〇章の巻物が五章の巻物と同じ巻物であるのか、または別の巻物であるかという問題です。たしかに巻物を指すのに、五章と一〇章では用語の形が違います。五章では《ビブリオン》(巻物、文書、書物)が用いられ、一〇章ではその縮小辞である《ビブラリディオン》(小さな巻物、小さい書)が用いられています。本書で巻物が出てくるのは五章と一〇章だけですから、用語の形にこだわってこれを別の巻物とすると、五章の巻物はそれ以後は姿を消すことになります。それがすべての封印を解かれた形で出てくること(一〇・二)や、天使の手から与えられていること(一・一参照)から、同じ巻物を指すと見るべきでしょう。ここで用いられている形が、《ビブリオン》の縮小辞《ビブラリオン》のさらに縮小辞である《ビブラリディオン》となっているのは、食べるのに適当な大きさに縮小するためと理解できます。

 五章では神の右の手にあった巻物は、小羊キリストによってその封印を解かれ、今や天使によってヨハネのところまで来ます。ヨハネは小さな形になったその巻物を食べます。これは、キリストの出来事において成就した救済の《ミュステーリオン》が、預言者ヨハネの中に入って、今やヨハネの口から語り出されることになったことを象徴しているのでしょう。その結果がこの黙示録です。ヨハネは、こうして与えられた《ミュステーリオン》(奥義、救済の秘められた計画)を語り続けます。

 

二人の証人

 第七のラッパが吹き鳴らされる前に、もう一つの幻が与えられます。それは二人の証人の幻です(一一・一〜一四)。この二人の証人とは誰を指すのか、また、この証人が預言し、殺され、死体が放置され、三日半の後に復活する都とはどこかについて、様々な説があって、解釈が分かれる困難な箇所です。

 二人の証人とは、モーセとエリヤであるとか、エリヤとエノクであるとか、ペトロとパウロであるとされます。また、都とはエルサレムであるとか、ローマであるとされます。しかし、どの説もここの証人と都の描写に適合する点と矛盾する点があって、決定的な解釈となりえません。この二人の証人が、ゼカリヤ書(四章)の二本のオリーヴの木と燭台の幻をモデルにしていることから、特定の個人ではなく、忠実な証人としてのキリストの民を象徴していると理解するのが順当ではないかと考えられます。燭台はエクレシアの象徴です。それが二人であるのは、有効な証言は二人の証人を必要とするという聖書的要請から出ているのでしょう。

 ここで繰り返し現れる「三年半」とか「四十二か月」とか「千二百六十日」はみな同じ期間で、これはダニエル書で異邦人の支配とか迫害の期間として用いられた数字です。これはその期間が限定的であり、やがて過ぎ去ることを象徴しています。証人の復活も「三日半」の後とされます。

 この幻によって、ヨハネはダニエルがしたと同じように、患難が来る前に、キリストの民に忠実な証人として証しを貫くように励ましていることになります。


 

    竜と小羊(一二〜一四章)

 

第七のラッパと天のしるし

 いよいよ最後の第七のラッパが吹き鳴らされます(一一・一五)。神の《ミュステーリオン》が成就する時が来たのです(一〇・七)。それがどのように成就するのかは、一二章以下で詳しく語られますが、そこで実現する神とメシア・キリストの勝利を先取りして(神が敗北することはありえません)、賛美が歌われます。まず、天に沸き起こった大声が賛美し(一一・一五)、続いて玉座の前で礼拝している二四人の長老が賛美を捧げます(一一・一六〜一八)。その両方において「彼は世々限りなく統治される」ことが賛美の主題となっています。ここでも、「統治される」は単数形の主語に対応する動詞であり、「彼」という主語において神とキリストが重なって賛美されています。ここの天上の賛美の大合唱は、ヘンデルの「メサイア」のハレルヤコーラスを思い起こさせます。

 その時、ヨハネは天にある神殿が開かれて、その中に契約の箱があるのを見ます(一一・一九)。ユダヤ教には、聖所が破壊される前に隠された契約の箱がメシアの時代に再び聖所に戻されるという言い伝えがありますが、ヨハネはもはや地上の聖所ではなく天の神殿に契約の箱があるという形で、メシア時代の到来を語ります。

 この一一章後半(一五〜一九節)は、一二章以下の第七のラッパによって始まる最終局面を描く部分の序曲をなしています。一一章後半は一二章と一体として読む必要があります。

 第七の天使がラッパを吹いたとき、天に大きな「しるし」が二つ現れます。この場合の「しるし」は、(ヨハネ福音書の場合と違い)ある霊的現実を象徴する幻という意味で用いられています。

 一つは、「太陽をまとい、月を足の下にし、十二の星の冠をかぶっている女」の幻です(一二・一〜二)。もう一つは、「七つの頭と十本の角を持ち、七つの冠をかぶっている、火のように赤い竜」です(一二・三)。そして一二章全体で、この女と竜との間に起こる激しい抗争が描かれます。

 第一の幻は、古代の星辰宗教に見られる「天の女王」の姿をしています。古代オリエントでは、民族や都市が女の象徴で語られました。ここの女は、以下の記述から世々の神の民を指していることは明らかです。旧約の神の民イスラエルはメシアを地上にもたらしました。そのことが「子を産もうとしている女」とか「子を産む痛みと苦しみのために叫んでいる」と描かれています。そして、子が産まれた後も竜と女の戦いが続きますが、このときの女は新約の時代のキリストの民を指すことになります。

 竜は女が産む子を呑み込もうと待ちかまえています。古代の神話では女の生んだ男の子が悪魔を退治するのですが、ここでは女が産んだ子メシアはすぐに神のもとへ引き上げられ、女は荒野に逃れます。代わりに天使ミカエルが天で竜と戦って打ち負かします。ミカエルは神の民を守護する天使長です(ダニエル一〇・二一)。竜はその手下たちと共に地上に投げ落とされます。ここでその「巨大な竜」とは、「年を経た蛇、悪魔とかサタンと呼ばれるもの、全人類を惑わす者」であることが明示されます。この表現は、創世記以来旧約聖書や黙示文書が神に敵対する勢力を描いてきた伝統を受け継いでいます。その竜が「火のように赤い」色をしているのは、サタンの殺意を現しているのでしょう(一二・四〜九)。

 ここで、サタンが天から投げ落とされた(ルカ一〇・一八参照)ことで現された神とメシアの支配を賛美する合唱が天に起こります(一二・一〇〜一二)。この賛美では、地上に置かれたキリストの民がサタンに打ち勝つのは殉教も辞さない忠実な証しによることが先取りされています。

 地上に投げ落とされた竜は「男の子を産んだ女」、すなわちキリストの民を追って攻撃します。女は鷲の翼を与えられて荒野に逃れ、三年半(その意義は前述)のあいだ神に養われます。竜は蛇の姿をとって口から川のように水を吐き出して女を押し流そうとしますが、大地が口を開けて水を飲み干し、女を助けます(一二・一三〜一六)。キリストの民は敵対する地上の勢力に対して暴力で立ち向かうのではなく、神の超自然の力に守られて保護される姿が、黙示文学的なイメージを用いて描かれています。

 

海からの獣

 地上に投げ落とされた竜は、海辺に立って(一二・一八)、神の民に対する戦いのために仲間あるいは自分の分身を地上に呼び起こします。それは二匹の獣の姿をして現れます。第一の獣は海から上ってきます。第二の獣は地から上ってきます。
 海から上ってくる第一の獣(一三・一〜一〇)は、十本の角と七つの頭があり、それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されています。竜自身も「七つの頭と十本の角を持ち、七つの冠をかぶっている」と描かれていましたが、この獣は(頭ではなく)角に王冠をかぶっています。世界を征服して支配し、神の民を圧迫する強大な帝国を獣の姿で描くことは黙示文学の伝統です。ダニエル書(七・二〜八)では、アッシリヤをはじめ、世界を残酷に支配した巨大帝国が、海(諸国民を象徴します)から次々に現れる四匹の獣の姿で描かれました。その姿は、獅子、熊、豹、十本の角のある恐ろしい獣の形をしていました。ヨハネ黙示録では、その姿が一匹の獣に集約されて「豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のような、十本の角をもつ獣」になります。

 この獣はローマ帝国を象徴しています。この時代に著者とキリストの民が直面している世界帝国は、ローマ帝国だけです。「王冠をかぶった十本の角と七つの頭」とはどの皇帝を指すのかというような詮索は不要です。黙示文書では、七とか十は完全を意味する象徴的な数ですから、この獣は歴代の皇帝によって支配されるローマ帝国の全体を指しています。重要なことは、「頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた」ことです。ローマ皇帝は、「崇高なる者、神的存在、神の子、主なる神、救世主」などと呼ばれ、コインにもその名が刻印されていました。地上の人間が神として礼拝されることを要求するとき、その名は神を冒涜する名となります。この時代のローマ帝国は皇帝礼拝の傾向を強めつつありました。
 ローマはもともと共和制の都市国家でした。その指導者を神として礼拝することはありませんでした。帝政に移行して、皇帝をいただくようになってからも、共和制の精神は強くて、死後の皇帝を神として祀ることは例外的にあっても、在位中の皇帝を神として礼拝することには慎重であり抵抗もありました。

 しかし、ローマ帝国はヘレニズム世界の相続人として地中海世界を包含するようになって、ヘレニズム王朝の皇帝礼拝の気風を受け継ぐようになります。ヘレニズム王朝のプトレマイオス家とセレウコス家は,いずれもその支配に伝統と正統性を欠いた征服王朝だったので,王朝の権力を補強しその正統性を創出するために,在位中の王を神格化し、その祭祀を国の制度とするいわゆる君主礼拝制を公式に採用しました。直接にはアレクサンドロス大王の神格化を契機とし,おそらくギリシア諸都市側からの迎合追従に始まったこの制度は,エジプトではプトレマイオス二世の時代に(前二七〇年)、またセレウコス朝では遅れて前二世紀初めアンティオコス三世のときに本格的に成立したと見られます(ただしマケドニアとペルガモンの両王国ではこの制度は行われていませんでした)。帝政ローマもこの気風と制度を受け継ぎ、だんだんと強めていきます。

 自分を「主にして神」と呼ばせて礼拝を要求したドミティアヌス帝(在位81〜96年)は、この皇帝礼拝への移行において時期を画する皇帝となります。この時代に、ヨハネはローマ帝国の霊的本質を見抜き、これからのキリストの民とローマ帝国との戦いを予感して、キリスト者に覚悟を促します。

 「竜(サタン)がこの獣(ローマ帝国)に、自分の力と王座と大きな権威を与えた」のです。これは、上に立つ権威はすべて神によって立てられたものだとして、キリスト者にローマ帝国の権威に服するように説いた使徒パウロ(ローマ一三章)と対極に立ちます。原則論としては、たしかにパウロの言うように、地上の人間社会の秩序を維持するために立てられた政治的支配者の権威は神からのものです。キリスト者は上に立つ権威に服従すべきです。しかし、その権力が自己を絶対化して、自分を神とする時には、その権力はサタン的なものに変質します。歴史上、人類はこのような変質の悲劇を数多く体験してきました。ローマ帝国もこの変質の時代に入ろうとしているのです。

 ここで、「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した」とあるのは、おそらく当時、自殺した皇帝ネロが生き返って、パルティアの軍勢を率いてローマに来るという噂が広まっていたことを指していると思われます。この噂で、諸民族のローマへの怖れと服従が例示されているのでしょう。
 この獣(ローマ帝国)は、「あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた」だけでなく、「大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられ」ます。四十二か月(三年半)の間というのは、その活動の期間が限られていることを意味しています。その間、「獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され」ます。これは、神から許されたこと、すなわち、これから限られた期間、キリスト者がローマ帝国の権力によって捕らえられ殺されるのは、神のご計画の中にあることだというのです。世の人はみなこの獣を拝みますが、「屠られた小羊の命の書にその名が記されている」者は、神と小羊だけを礼拝し、獣を礼拝することはありません。しかし、このことを貫くためには、「忍耐と信仰が必要」とされます。

 

地からの獣

 地から上ってくる第二の獣(一三・一一〜一八)は、「小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言う」獣です。この獣は、真の神の言葉を語る小羊に「取って代わろう」(アンティ)とする「小羊の角に似た角がある」獣です。この獣は第一の獣の像に息を吹き込み、その像にものを言う力を与えています。この獣は、あの第一の獣の前で天から火を降らせるなどのしるしを行い、人々をあの第一の獣の像を拝むように駆り立てる偽預言者を象徴しています。それは、この獣が他の箇所(一九・二〇、二〇・一〇)で「獣(ローマ)と偽預言者」と一対で現れていることからも分かります。こうして、竜(サタン)と第一の獣(ローマ帝国)と第二の獣(偽預言者)は、神に敵対する霊的勢力の三位一体を形成します(一六・一三)。

 第一の獣が海から上ってきたといわれるのに対して、第二の獣は地から現れます。この組み合わせには、旧約聖書に伝統的な海の支配者の怪獣レビヤタンと、陸の支配者の怪獣ベヘモートの姿が背景にあるのでしょう。ここで、この「地」が「海」(諸民族の世界)との対比で特定の地域を指す意味で用いられているとすれば、この「地」はヨハネが活動しているアジア州の地域を指すことになります。そうするとこの獣は、アジア州で皇帝礼拝を煽動するある預言者個人を指す可能性もありますが、おそらくそのような活動をするこの地域の祭司階級全体を指すと見られます。この地域は、東方宗教の影響を色濃く残しており、その宗教の祭司階級がローマの皇帝礼拝に宗教的根拠を与えたことを、ヨハネはこの「地からの獣」の象徴で語っているのではないかと考えられます。

 この第二の獣は、世界のすべての人に刻印を押させ、刻印のある者でなければ売り買いができないようにさせます。これは社会からの放逐です。そして、この刻印とは「あの獣の名、あるいはその名の数字」であることが明らかにされ、その数字は六百六十六で、人間を指していると明言されます。

 人物や事物を、それを指す単語の文字が代表する数字の合計で表現することは、「ゲマトリア」と呼ばれ、当時愛好された知的遊戯の一種でした。ヘブライ語やギリシア語には数字はなく、数はアルファベットの文字で表していましたから、ある単語を構成する文字の数値を合計することができました。ヨハネはこの暗号のような表現を用いて、刻印の意味を暗示します。
 では、六百六十六という「獣の数字にどのような意味があるか」は、古来実にさまざまな解釈が提案されて議論が絶えません。ギリシア語では「人間を指している」数として解決できないので、ヘブライ語の数値で見ますと、「皇帝ネロ」を指すヘブライ語文字の数値の合計が六百六十六になります。このことから、この数値は、復活して戻ってくると噂されているネロを指すという解釈が広く受け入れられてきました。しかし、これはネロという特定の一人の皇帝を指すのではなく、ネロに代表されるローマ皇帝一般を指すと理解する方が適切ではないかと考えられます。ローマ皇帝の刻印を受けた者(皇帝礼拝によってローマ皇帝に所属する証明を受けた者)でないと社会から放逐されるという時代が迫っていると、ヨハネは語っているのです。これは次の段落の小羊の刻印を受けた者との対比で語られています。

 

小羊に属する十四万四千人

 ヨハネはまた、「小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されている」のを見ます(一四・一〜五)。これは、あの「獣の名」の刻印を受けた多数の者たちからは分かたれた、獣を拝まない者たちの数です。もちろんこの数は象徴であり、先に見たように(七・一〜八の講解を参照)、その数が満ちたときの神の民を表しています。彼らには獣の刻印ではなく、小羊の名が額に記されています。「刻印」という語は用いられていませんが、彼らが小羊キリストに所属する者たちであることを示しています。

 ユダヤ教のメシア待望において、シオンはメシアが到来される場所とされていました。イザヤ(とくに第二イザヤ)をはじめイスラエルの預言者たちは、シオンを神の都、また神の民の象徴として繰り返しその名を用いてきました。そして、黙示思想においてはメシアが到来する地名として名指されるようになります(たとえばラテン語エズラ記一三・三五)。ヨハネは幻の中で、小羊であるメシアがすでにシオンの山に立ておられるのを見ます。そして、「小羊の行くところへは、どこへでも従って行く」十四万四千人の民が小羊と一緒にいるのを見ます。

 この民は「女に触れて身を汚したことのない者たち、童貞の者たち」と描かれています。この表現は、結婚もしないで性的接触をいっさい断っている者たちというように文字通りの意味に理解すべきではありません。そうであれば、小羊の民は(クムランのように)厳格な禁欲主義の男性に限られることになります。これは、偶像礼拝を淫行の比喩で語る旧約預言者以来の伝統に従っていると見るべきです。ここでは、獣を礼拝して小羊キリストへの貞節を汚したことがない者たちのことです。

 この十四万四千人の者たちは、「地上から贖われた」とか「人々の中から贖われた者たち」と呼ばれています。小羊の血によって買い取られ、この世の支配者から解放されて、小羊の所有となった者たちです。彼らは「神と小羊に献げられる初穂」です。初穂とは、全収穫を代表して供え物として神に捧げられる収穫の一部です。ここで、この十四万四千人の者たちは、やがて神の民として収穫される全員を代表して、先だって供え物として神に捧げられる者たち、すなわち殉教者たちを指していると考えられます。彼らはその証しの言葉に偽りはなく、命をかけて真実を証ししました。彼らは勝利を先取りして、天の大賛美と合わせて「新しい歌」、贖われた者でなければ覚えられない歌をうたっています(その歌詞は一九・一〜一〇に出てきます)。殉教者の数が満ちるとき、いよいよ最終の審判が始まります。

 七章の二つのグループ、すなわち刻印を受けた十四万四千人の者たちと白い衣を着た数えられない大群衆は、同じキリストの民を指しているとしましたが、ここで十四万四千人という数が「初穂」として特別の意義を担っていることが明らかにされます。キリストの民は最終的には数えられない大群衆となって栄光の中に現れますが、その最終審判と救済が始まる前に、地上で限られた数の殉教者が初穂として祭壇に捧げられることが、神のご計画の中にあることを預言しています。これは、先に殉教者の数が満ちるまで待つように告げられた(六・九〜一一)ことと同じ内容の預言となります。

 

審判の時の到来

 ここで空高く飛ぶ三人の天使が神の裁きの時が来たことを告げ知らせます(一四・六〜一一)。まず第一の天使が、「永遠の福音」を携えて来て、地のすべての民に神の裁きの時が来たことを告げ知らせます。終わりの時が来る前にすべての民に福音が宣べ伝えられるということは、初期の終末待望の項目の一つでした(マルコ一三・一〇)。それが黙示録的な幻で描かれます。ただ、ここでは福音とは創造者に栄光を帰すようにという悔い改めへの呼びかけだけになっています。

 続いて第二の天使が大バビロンが倒れたことを知らせます。旧約の預言書や黙示文書では、バビロンはいつも神の民を抑圧する帝国を代表していましたが、ヨハネ黙示録ではローマ帝国を指しています。ローマ帝国への裁きは将来のことですが、預言者は判決がすでに執行されたものとして語ります。ローマ帝国は支配する諸国民に淫行のぶどう酒を飲ませた、すなわち偶像礼拝を強制した罪で断罪されます。

 第三の天使が判決を告知します。獣を礼拝する者は神の怒りによって永遠の苦しみに定められることが、黙示文学的な表現で描かれます。

 最後に、そのような裁きの時を目前にして、キリストの民に信仰を堅持するように呼びかけ、その信仰のゆえに死ぬことがあっても幸いだと励ましが挿入されます(一四・一二〜一三)。「主にあって死ぬ死人」(原文)とは、主キリストに属する者として、とくに主を言い表す者として死に、死者の世界に存在している者たちを指しています。そのような死者は、これから起こる艱難に遭遇することなく、彼らが地上でなした行い(忠実な証し)は裁きの場についてきて、神からの報いとなるからです。

 このように三人の天使によって告知された裁きの時の到来が、続いて刈り入れの幻で描かれます(一四・一四〜二〇)。終わりの日の審判は、旧約の預言書や黙示文学においても、また福音書においても刈り入れの比喩で語られてきました。終わりの日が語られるところでは、畑に鎌が入れられ、籾殻など不要なものは火で焼かれ、収穫は倉に収められるという刈り入れのイメージが繰り返し出てきます。洗礼者ヨハネの宣教もこのイメージでなされています。ここでは、その刈り入れが収穫と審判の二つの幻に分けて描かれます。

 ここでヨハネは、「白い雲が現れて、人の子のような方がその雲に上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられる」のを見ます。ヨハネ黙示録で「人の子」が登場するのは、ここと最初の燭台の間に歩まれるキリストの幻(一・一三)だけですが、この二箇所からだけでも、著者ヨハネは(福音書記者たちと同じく)パレスチナの「人の子」伝承を継承していることが十分にうかがわれます。金の冠は世界の支配者としての地位を象徴し、鎌はその方の主要な任務が審判であることを示しています。

 最終審判を執行する「人の子」は、先の三人の天使たちの告知の後に現れ、続く三人の天使たちの働きによってその業を行います。一人の天使が「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています」と叫びますと、雲の上に座っている人の子が地に鎌を投げ入れます。すると、地上では刈り入れが行われます。これは「そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」(マルコ一三・二七)と言われていることの実現です。穀物が倉に納められるように、選ばれた民は人の子のもとに集められます。

 一方、鋭い鎌を持つ別の天使に向かって、火(審判を象徴します)をつかさどる別の天使が、熟したぶどうの房を刈り取るように叫びます。世界の悪は熟しています。すると、その天使は鋭い鎌でぶどうを刈り取り、「神の怒りの大きな搾り桶」に投げ入れます。「搾り桶」は、旧約の預言者以来神の審判を指す象徴です(ヨエル三・一三参照)。この搾り桶は、神の民が集められた都の外で踏まれますが、そこから流れ出る血、すなわち神の怒りによる最後の審判で裁かれ者がいかに多いかが、「馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった」と描写されます。この数字は世界を象徴する数四の倍数で、裁きが行われる範囲が巨大であることを語っているのでしょう。

 

ローマ帝国に対する戦いと勝利

 この箇所(一二〜一四章)は、ヨハネ黙示録の核心であり頂点です。この箇所に預言者ヨハネが告知する使信の核心が現れています。預言者は時代に向かって語ります。預言者ヨハネは、これから始まろうとしているローマ帝国のキリスト者迫害の時代に向かって、戦い勝利するようにとキリストの民に呼びかけます。

 ヨハネ黙示録には、「勝利を得る」とか「(打ち)勝つ」と訳されている動詞《ニカオー》が、繰り返し一七回も出てきます。全新約聖書で二八回の中の一七回で、本書が何よりも戦いの書であることを印象づけます。ところが、一二章までは何と戦い勝利するのか、戦いの対象が明示されていません。この箇所になってはじめて、その戦いの相手が「獣」の姿で出てきます。キリストの民が戦う相手は、竜(サタン)と第一の獣(ローマ帝国)と第二の獣(偽預言者)が形成する、神に敵対する霊的勢力の三位一体です。それは悪霊化した権力、自己を神とする(絶対化する)政治権力です。キリストの民、すなわち小羊に所属する民は、襲いかかる獣と戦い、打ち勝たなければならないのです。

 しかし、その戦いは剣(武力)による戦いではありません。小羊の民が戦い勝利を得るのは、ひたすらキリストを証しする言葉によります。「兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった」(一二・一一)とあるように、神の言葉の証しのために血を流されたキリストに従い、キリストを証しするのに命を惜しまないこと、すなわち殉教によって勝利するのです。

 権力は剣を帯びています。その剣は本来悪を罰して社会の秩序を維持するために、神から認められたものです(ローマ一三・一〜四)。ところが、サタンに欺かれて自己神化の傲慢に陥った権力は、その剣を用いて神の真理を告白する者たちを殺します。彼らの真理の証言が自分の自己絶対化の偽りを暴くからです。多くの者が獣を拝むとき、獣は自分を拝まない者を追放し殺します。「捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される」(一三・一〇)という事実が起こるとき、預言者はそれを「獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許された」(一三・七)と表現します。神がしばらくの間の勝利を許されたのです。地上の出来事としては獣が勝利しているように見えます。

 しかし、殉教者の血が流されて獣が勝利していると見えるとき、実は神の真理が勝利し、獣は敗北しているのです。預言者ヨハネは、殉教の事実を天上の視点から見ることを示して、それが勝利であることを説いてやみません。ヨハネはキリストの民全員が殉教するように考えていると見られるふしがありますが、それは殉教者の数とか範囲の問題ではなく、神と小羊を礼拝するか獣を礼拝するかの厳しい二者択一を一人ひとりに突きつけているのです。獣を礼拝して、獣と共に火の池に投げ込まれるのか、小羊を礼拝し、その証しの言葉によって勝利して栄光を受け継ぐのか、預言者は決断を迫ります。キリストの民であることは、これからの時代には、このような戦いに召されることを意味すると、預言者ヨハネは呼びかけます。そして事実、この時から四世紀初めの寛容令に至る二百数十年にわたって、このような熾烈な戦いが続くことになります。


 

    バビロンの崩壊(一五〜一八章)

 

天上の序幕

 世界に最後の災害が臨もうとしています。その前に、その災害がどこから来るのか、それは何のために来るのか、それを示す天上の光景が描かれます(一五・一〜八)。これは読者に、世界が終末に体験する大きな災害を見る天上の視点を与えます。
 これまでに、七つの集会、七つの封印、七つのラッパというように、著者ヨハネは神の完全を象徴する七という数を繰り返し用いてきました。神の怒りを示すために最後に世界に臨む災害も七つあります。そして、それぞれの災害は七つの金の鉢に盛られ、それが七人の天使たちの手で地に注がれるという幻となります。

 最後の七つの災害が世界に臨む前に、すでに勝利して天上で御座の前で勝利の歌をうたっている群れの幻が現れます。彼らは「獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たち」です。実際の戦いはこれからですが、小羊に属する民はすでに獣に勝った者として、御座の前に現れ、「神の僕モーセの歌と小羊の歌」をうたっています。昔モーセがイスラエルの民を奴隷の家エジプトから導き出し、追ってきたエジプトの軍勢が紅海に沈んだとき、イスラエルの民が紅海の岸辺に立ってうたった歌(出エジプト記一五章)のように、小羊キリストによって獣に勝利した民は「火が混じったガラスの海の岸に立って」神を賛美する歌をうたいます。

 

七つの災い

 その後、天上の神殿から大きな声が出て、七人の天使に「行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい」と命じます。そこで七人の天使が出て行って、次々に鉢を傾けて神の怒りを地上に注ぎます(一六・一〜二一)。ここで七つの鉢から注ぎ出される災害を見ますと、かなりの部分で先の七つのラッパの時に地を襲った災害と対応していることが分かります。七つのラッパの時と同じく、その災害の多くはイスラエルがエジプトを出るとき降った災い(出エジプト記七〜一〇章)を原型としています。ここに描かれる災いの描写は、神に背く世界の末期的症状を描いているように感じられます。

 第一の鉢の中身が地上に注がれると、獣の刻印を受けている者たちに「悪性の腫れ物」ができます。これはエジプトの六番目の「膿の出るはれ物」の災い(出エジプト記九・八〜一二)に相当します。これは、防ぐための必死の努力にもかかわらず、がんやエイズなどの悪性の病が世界に蔓延する様子を連想させます。

 第二の鉢が海に注がれると、海は死人の血となって、すべての生物が死にます。これは、モーセが杖で水を打つとナイルの水が血に変わった災いと対応しています(出エジプト記七・一七〜二一)。これは、現代の環境汚染による生態系の変調を暗示しているかのようです。

 第三の鉢は、川と水の源に注がれます。すると、水が血に変わります。これも、先のエジプトの出来事を原型としています。ここでは、聖なる者たちの血を流した者たち(迫害者)が血を飲ませられることで、神の正しい裁きが行われたと賛美されます。血を血で洗うテロや報復の連鎖が止まらない世界の現状が思い起こされます。

 第四の鉢は太陽に注がれます。すると太陽は、激しい熱で人間を焼くようになります。エジプトでは太陽が隠れて全地が暗くなりましたが、ここでは逆に熱くなります。生命の源である太陽の熱が人間を殺すことになり、人間の存在の源自体が崩壊します。これは、太陽エネルギーの一種である原子爆弾の熱線が人間を殺すに至った現代の姿を思い起こさせる表現です。

 第五の鉢は獣の王座に注がれ、獣が支配する国は闇に覆われます。世界を支配する権力が変質するとき、人間がどれほど深い闇を体験しなければならないかは、たとえばナチスの場合のように、歴史が数多くの実例を見せています。

 第六の鉢がユーフラテス川に注がれると、川の水が涸れて、東の諸王の勢力の脅威が直接押し寄せるようになります。この諸王は悪霊に唆され、神の大いなる戦いの日に備えて、「ハルマゲドン」に集まるとされます。この悪霊は、「竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から出る、蛙のような汚れた三つの霊」であり、「しるしを行う悪霊どもの霊」と説明されます。エジプトでも蛙の災害がありましたが(出エジプト記八・一以下)、古代オリエントの宗教で闇の神に仕える生き物とされていた蛙のイメージで、竜・獣・偽預言者の悪の三位一体の働きが描かれます。わたしたちもオウム事件で体験したように、世界の霊性が悪霊の働きによって変調を来すようになります。

 「ハルマゲドン」は、字義は「メギドの山」という意味ですが、それがどこかは確定できません。ユダヤ教黙示文学で、神に敵対する悪の勢力が最後の決戦を挑む場所の象徴とされていた地名を、ヨハネがここに用いていると見られます。
 第七の鉢が空中に注がれると、神殿の玉座から「事は成就した」という大声が発せられます。その時、天空には稲妻や雷があり、地には人類史上最大の地震が起こり、巨大な雹が降り、「あの大きな都が三つに引き裂かれて倒れ」ます。この都は、バビロンで象徴されるローマです。こうして、終わりの日に地を襲う七つの災害は、最後のローマの崩壊に向かって進みます。

 

世界的災害と黙示録

 ここまで、七つの封印が解かれるときに起こる災害、七つのラッパが吹き鳴らされて起こる災害、そして七つの鉢が注がれて起こる災害と、七つの災害が三周しました。この三周の七つの災害は順次に起こるのでしょうか、または同じ災害を三回繰り返して描写しているのでしょうか、それとも異なる三つの資料を編集しただけでしょうか、三周の関係について様々な解釈が行われています。

 三周の災害の内容がよく似ていることは事実です。しかし、ラッパのときの災害がすべて三分の一に及ぶと限定されているのに対して、金の鉢の場合はそのような制限はなく、災いが全世界に及ぶことになるというように、災いの激しさに進展が見られます。しかし、この三周を世界史の時代や救済史の段階に押し込むことはできません。最終的な神の裁きと救済の時が来る前に、世界には大きな災いが臨むという黙示思想の基本的な考え方が、著者の壮大な構想の中でこのような繰り返しをもたらしたと考えられます。著者は、旧約聖書の出エジプト記の災いや預言書の終末預言の象徴的表現、さらに黙示文書の幻など、アクセスすることができるかぎりの伝承を駆使して、キリストの来臨によって起こる最後の審判と救済の前に来る世界の災害を描きます。

 このように黙示文学が終末の世界的災害を多くの幻や象徴表現を用いて描くので、想像を絶するような巨大な世界的災害を描くのに、よく「黙示録的な」という形容詞が用いられ、黙示録とは災害の絵巻物のように考えられています。しかし、黙示録は災害を予告して恐怖心を呼び起こすために書かれたものではありません。それはむしろ、世界に起こる悲惨な現実の中に希望を読み取ろうとする信仰の産物です。歴史は悲惨な現実に満ちています。とくに抑圧された民にはそうです。そのような悲惨な現実にもかかわらず、その中にあって希望の原理を提示しようとした預言者的精神の働きが、このような黙示文書を生み出したという一面を見落としてはなりません。黙示思想は、悲惨な現実を天上の視点から見ることを教えます。現実がどのように悲惨でも、神が歴史を支配しておられる以上、最後には必ず正しい審判が行われ、真理が勝利するのだという信仰を根拠として、将来に希望をもつように励ます文書が黙示録です。

 

淫婦バビロンと獣

 世界に臨む七つの災害が三周して、災いの時が満ちたとき、いよいよ神に敵対し、神の民を苦しめる悪の勢力を裁く審判が執行されます。その裁きの執行が一七〜一八章に描かれますが、その描き方が暗号を用いた幻によるものですから、その正確な理解は困難です。しかし、大意は明らかです。キリストの民に敵対するローマ帝国は、神の裁きによって間もなく滅びます。このことを預言者は、典型的な黙示文学の様式で描きます。

 まず、神に敵対している巨大な悪の勢力が、(旧約的語法を用いて)「大淫婦」の象徴で描かれます(一七・一〜六)。ヨハネは天使によってエクスタシーの状態で荒野に連れて行かれ、そこで「赤い獣にまたがっている一人の女」を見せられます。古代オリエントの神話ではよく女神が獣に乗って登場しますが、ここでも淫婦は「全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角がある」真紅の獣にまたがって現れます。この獣は、すでに一三章に出てきた全世界を支配する権力、ローマ帝国を指しています。その獣にまたがっている女は、獣の巨大な力によって驕り高ぶり、淫行(偶像礼拝)の限りを尽くす民または都を象徴しています。これは、小羊の民《エクレーシア》が女の象徴で語られていた(一二章)のと対をなします。同時にこの女は、諸民族によって祀られるようになっていた女神ローマ(都市ローマの神格化)を象徴しているとも見られます。

 ローマの娼婦は額の飾り輪に名前をつけていたと言われていますが、この女は額に「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という「秘められた意味の名」をつけています。その名が秘められた名であるのは、外の栄華だけを見ている世界の人々にはその女の本性が分かりませんが、神の民にはその女の本質が「大淫婦」であることが分かるからです。この女は、「紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾って」いますが、その中身は豪華な外面(金の杯)に満ちている「忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れ」、すなわち背神です。この女の背神は、「聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれている」、すなわち殉教者の血を流したことに極まっています。

 続いて、この女と獣の「秘められた意味」《ミュステーリオン》が、天使によって解き明かされます(一七・七〜一八)。天使による奥義の解き明かしは、ユダヤ教黙示文学の典型的な手法です。まず獣の奥義(秘められた意味)が解き明かされます。

 「七つの頭と十本の角がある」獣の「七つの頭」とは、「この女が座っている七つの丘のことである」と解説されます。ローマの都は「七つの丘の都」として有名です。同時にこれが「七人の王」がいることを指すとされ、その七人の王(皇帝)について、「五人は既に倒れたが、一人は今王の位についている。他の一人は、まだ現れていないが、この王が現れても、位にとどまるのはごく短い期間だけである」とされます。ここに記述されている七人の皇帝を特定する解釈がいろいろと提出されていますが、それぞれ問題があり、議論が続いています。むしろ、ヨハネはもともとローマ皇帝の歴史を正確に記述するつもりはなく、七という象徴的な数を用いて、皇帝の継承を象徴し、それが「以前いて、今はいない獣」が第八の獣として現れる時に終わることを言おうとしているのでしょう。

 この「以前いて、今はいない獣」が来るという予告は、当時流布していた「再来のネロ」の伝説を下敷きにしているようです。この獣は先の七人の中の一人だと言われています。ネロは生きていて、やがて東方の諸王と同盟してローマに攻めてくるという噂がもっぱらでした。「十の角」は、この第八の獣「反キリスト」と結託して権力を振るう王たちのことだと解説されます。この「反キリスト」に率いられた勢力は小羊と戦うが(一六・一二〜一六のハルマゲドンの戦い参照)、勝つことはできないと預言されます。小羊は「主の主、王の王」だからです。

 その戦いとは別に(おそらくその前に)、この獣は「淫婦」を憎み、諸王を糾合して攻め寄せ、彼女を裸にし、その富を貪り喰らい、火で焼き尽くすと預言されます。「淫婦」とは「地上の王たちを支配しているあの大きな都」、すなわちローマのことですが(一八節)、自分が淫行の霊に酔わせた勢力によって滅ぼされるのも神の御計画によるとされ(一七節)、その滅びがかって淫行の都エルサレムの滅亡を預言したエゼキエル(一六・三五〜四三)にならって、「裸にされる」という表現で語られます。

 

滅びるバビロンへの哀歌

 こうして執行された淫婦バビロンに対する神の審判の結果、バビロンは滅びます。これは現在繁栄の頂点にあるローマ帝国の滅亡を予告する預言です。世界の人々が「ローマは永遠である」と信じて疑わない時代に、預言者は淫婦を乗せる獣となったローマが必ず神に裁かれることを見通しています。そして、将来の滅亡を既成の事実として、その滅びを宣言し、滅びを嘆く哀歌をうたいます(一八章)。

 まず光り輝く天使が大声で、悪霊どもの巣窟となったバビロン(ローマ)の滅亡を宣言します(一〜三節)。続いて天からの声がキリストの民に、バビロンの滅亡に巻き込まれないように警告します(四〜八節)。その後に、ローマの繁栄にあずかって贅沢に暮らした王たちや商人たち、さらに海運業者たちが遠くに立って、ローマの滅亡を嘆く長い哀歌が続きます(九〜一九節)。最後に、力強い天使が石臼を海に投げ込む幻が描かれ、ローマの命運が封印されます(二〇〜二四節)。
 この一八章は詩の形で歌われています。その表現には、バビロンの滅亡を預言した旧約の預言者たちの言葉(たとえばエレミヤ書五〇〜五一章)の反響が聞こえます。


 

    キリストの来臨と新しいエルサレムの完成(一九〜二二章)

 

小羊の婚宴

 「すぐにも起こるはずのこと、今後起ころうとしていること」、すなわち終わりの日に地上に展開することになる出来事を、天上の視点から見ることを示すために、預言者はそれぞれの出来事のまとまりの前に天上の光景を置いてきました(四〜五章、一一章一五〜一九節、一五章)。いよいよ地上の出来事も最後の段階を迎えますが、その前に天上で交わされる賛美の声を置いて、その最後の段階の意味を指し示します(一九・一〜一〇)。

 その天上の賛美では、「ハレルヤ」という大群衆の声が繰り返しとどろき渡り、「わたしたちの神である主が王となられた」と、その正しい裁きと統治の成就が賛美されます。その中で、神の救いの働きの完成が、「小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた」と、「小羊の婚宴」というイメージで語られます。

 神と小羊に敵対する勢力は「淫婦」の象徴で語られ、これまで「淫婦」に対する神の裁きが描かれてきました。その「淫婦」に対して、小羊に従う聖徒たちの群れは「花嫁」とされます。淫婦が「紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた」と、背神の虚飾に覆われていたのに対して、小羊の花嫁は「輝く清い麻の衣を着せられた」姿で現れます。そして、「この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである」と解説されます。その小羊と花嫁であるキリストの民との婚礼の日がついに来たのです。その日の到来の様子が以下に描かれます。

 

白馬の騎士

 まず白馬に乗った戦士が現れ、「あの獣と、(獣と同盟した)地上の王たちとその軍勢」を打ち破ります(一九・一一〜二一)。地上のイエスは都エルサレムに入るとき子ロバに乗られましたが、終わりの日に天から来臨されるキリストは、白馬(王の乗馬)に乗る戦士として到来されます。この白馬に乗る方がキリストであることは、頭にある王冠、十字架の死を指し示す「血に染まった衣」、「神の言葉、王の王、主の主」という称号などからも明らかです。この白馬の戦士は、口から出る鋭い剣で諸国の民を打ち倒し、手にもつ鉄の杖で治めます。

 ヨハネ黙示録では、来臨されるキリストは戦士の姿で描かれます。この白馬の騎士には「天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとって従っていた」とされますが、「白く清い麻の布をまとった」軍勢は、クムランの「戦いの書」を思い起こさせます。王の王、主の主であるキリストに率いられた天の軍勢によって、獣と偽預言者は捕らえられて、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれ、残りの者はみな剣で殺されます。戦場では放置された死者の腐肉を鳥が食べますが、天使がすべての鳥に敵対者の肉を食べるように呼びかけて、彼らの敗北が徹底的であることが強調されます(エゼキエル三九・一七〜二一参照)。

 

千年王国とサタンの裁き

 獣と偽預言者は滅びましたが、続いて彼らを悪の権化とした源であり、サタンと呼ばれる悪魔、あの「年を経た蛇、竜」の滅びが語られます。最初に、サタンが天使によって縛られて、千年の間底なしの淵に閉じこめられ、諸国の民を惑わすことができなくなる期間のことが語られます(二〇・一〜六)。

 この千年の間はキリストが直接地を統治されます。そして、「あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった」ために殺された者たち(殉教者たち)が生き返って、キリストと共に千年の間統治します。この時の生き返りが「第一の復活」と呼ばれ、すべての死者が神の裁きの座の前に出る最後の時の復活(二〇・一一〜一五)と区別されます。

 サタンの活動が許されず、キリストと聖徒たちが地上を統治する至福の千年期は、「千年王国」とか「千年至福期」と呼ばれています。この「千年王国」の待望は、ヨハネ黙示録に出てくるだけで、他の新約聖書の文書には全然見られません。むしろ当時のユダヤ教黙示文書に多くの並行例が見られます。当時のユダヤ教黙示思想では、「来るべき世」が到来する前に、この世をメシアが支配する過渡的なメシア王国が来るという待望が語られていました。

 初期の福音宣教において、イエスをダビデの子としてイスラエルの栄光と支配を回復するメシアであるとする宣教と、イエスを「来るべき世」をもたらす「人の子」とする黙示思想的な信仰がありましたが、この二つの面が合成されて、このようなユダヤ教黙示思想的な過渡的メシア王国の「千年王国」の待望が出てきたものと考えられます。「千年王国」の思想は、その後のキリスト教の歴史において様々なヴァリエイションで現れ、大きな影響を与えることになりますが、それを扱うことは別の機会に譲らざるをえません(第三節で一瞥します)。ここでは、このユダヤ教黙示思想的な内容を取り入れて、キリスト信仰の終末待望を図式化することは誤りであることを指摘するにとどめます。

 なお、キリストの来臨は千年期前である(前千年期説)のか、その後(後千年期説)かという論争がありますが、もはや時間の枠組みを超えた次元の出来事であるキリストの来臨との時間的前後関係を問うことは意味がありません。本書をはじめ黙示文書は、終末の到来の確かさを語ることによって、現在の苦難を乗り越える希望を与えるための文書であり、そのために与えられている諸々の表象や幻を地上の歴史的出来事にあてはめて終末の図式や時間表を読み取ることは、正しい理解の仕方ではありません。

 この千年期が終わると、サタンは牢から解放されて、再び諸国の民を惑わし、聖なる者たちの陣営に戦いを挑みますが、天から降る火によって焼き尽くされ、あの獣と偽預言者がいる火と硫黄の池に投げ込まれ、最終的に滅ぼされます(二〇・七〜一〇)。この最終戦争は、旧約聖書のエゼキエル書(三八〜三九章)の「マゴグのゴグに対する預言」を下敷きにして構成されているようです。

 

最後の審判と新しい世

 ユダヤ教黙示思想においては、過渡的なメシア王国の後に、世界の終わり・死者の復活・世界の審判が続くと考えられていましたが、ヨハネもここで古い世界の滅亡と最後の審判を語ります(二〇・一一〜一五)。大きな白い玉座が現れ、現在の天と地はその御前から無くなってしまいます。海と死と陰府はすべての死者を吐き出し、死者たちはすべて玉座の前に立って、それぞれの行いに応じて裁かれます。彼らの行いは書物に書き記されているとされ、弁解はできません。多くの書物の中に「命の書」があり、そこに名を記されている者以外はみな、火の池に投げ込まれます。

 この最後の審判によって現在の世(天と地、その中のすべての人)が滅ぼされて無くなります。とくに「もはや海もなくなった」と付け加えられるのは、そこから悪魔的な獣が上ってきた混沌の勢力が一掃されたことを示しているのでしょう。その後に、ヨハネは新しい天と新しい地が出現し、「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来る」のを見ます(二一・一〜四)。

 ここで繰り返される「最初のものは過ぎ去った」という表現は、「最後のものが来た」ことを意味しており、ユダヤ教黙示思想の二つのアイオーンの思想を継承していることを示しています。ついに到来した「新しい世《アイオーン》」の姿を、ヨハネは次のように描きます。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」。

 新しい天と地の出現は、「アルファであり、オメガであり、初めであり終わりである」方、その言葉が偽りでありえない方の、「見よ、わたしは万物を新しくする」という宣言によるものとされ、その方の「渇いている者には、命の水の泉から値なしに飲ませよう」という恩恵の招きと忠実に歩んで勝利する者への約束、他方それを拒む不信仰な者への警告が加えられます(二一・五〜八)。

 

小羊の花嫁としての新しいエルサレム

 すでに預言者エゼキエルは、古いエルサレム神殿の滅亡の後に新しい神殿が建てられる幻を与えられ、その神殿の設計図を詳しく描きました(エゼキエル書四〇〜四八章)。ヨハネもエゼキエル(三八〜三九章)に従って最後の審判を描いた後に、新しいエルサレムの幻を見せられて、それを詳しく描きます(二一・九〜二二・五)。しかしエゼキエルと違い、ヨハネが見た幻は新しい都エルサレムの幻であり、そこにはもはや神殿はなく、都そのものが神の住まいであり、その都が「小羊の花嫁」とされています。ヨハネはすでに「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来る」のを見ていますが(二一・二)、ここで改めて天使によって見せられた都の幻を詳しく描きます。ヨハネの幻では、終末の完成を指し示す旧約聖書の二つの象徴である婚礼と新しいエルサレムが重なり、花嫁が城壁のある都市の姿で描かれるという不思議な幻となります。

 ヨハネが見た天から下ってくる聖なる都は、透き通った碧玉のように輝く巨大な立方体をしており、長さと幅と高さが同じ一万二千スタディオン(約二二二〇キロ)あるとされています。古代では立方体は完全性の形象と考えられていたので、この十二の倍数で測られる巨大な立方体は、この都が神の民の最終的な完成体であることを象徴していると見られます。都には城壁がありますが、その高さは一四四ペキス(約六五メートル)で、巨大な都の高さに比べると見えないほどのごく僅かの高さです。この城壁にはあらゆる種類の宝石で飾られた十二の土台石があり、十二の真珠の門があります。十二の門にはイスラエルの十二部族の名が、十二の土台石には小羊キリストの十二使徒の名が刻まれています。これは、使徒を土台として建てられるキリストの民《エクレーシア》が、イスラエルの継承者として神の民の全体を形成することを示しているのでしょう(二一・九〜二一)。

 注目すべきことは、この都には神殿がないことです。完成された神の民の共同体には、祭儀施設である神殿はもはや必要ありません。この都は、神殿が必ずその中心にあった古代都市の常識を覆しています。全能者である神と小羊キリスト御自身が神殿であり、民はその方にあって礼拝することができるからです。「霊と真理による礼拝」が実現完成しています。

 その神と小羊の栄光がいつも都を満たしているので、夜はありません。もはや太陽も月も必要ではなく、都の門は(夜はないので)つねに開いています。諸国民が都に来ますが、汚れた者や忌まわしいことと偽り(偶像礼拝や皇帝礼拝など)を行う者は都に入ることはできません。都の戸籍簿である「小羊の命の書」に名が記されている者だけが入ります(二一・二二〜二七)。
 この都には「神と小羊の玉座」があります。玉座は二つあるのではなく一つ(単数形)です。この都では神と小羊は一体となり、重なっています。神は小羊において現れ、小羊を通して働かれます。この玉座の下から「水晶のように輝く命の水の川」が流れ出ています。これは、神とキリストから発出する聖霊を象徴しています。ヨハネ黙示録は、全能者である父なる神、子であり救済者であるキリスト、そして命の源となる聖霊の神、この三者が重なり、一体として働いてくださることを、このような象徴的幻を用いて語ります。

 この玉座を源とする命の水の流れという表象はエゼキエルから出ています。エゼキエル書(四七・一〜一二)では、水は神殿の敷居の下から湧き上がって東に流れ、だんだんと大きく深くなり、汚れた海に流れ入ります。川が流れるところでは、その水はきれいになり、すべての生き物が生き返り、魚も種類が増えます。その両岸には絶えることなく実をつける果樹がしげります。ヨハネ黙示録では、流れは「命の水の川」と呼ばれ、神と小羊の玉座から流れ出ます。その川は都の大通りの中央を流れ、両岸には毎月実をつける「命の木」があります。その実は人に永遠の命を与えるので「命の木」と呼ばれます。その葉は諸国民を癒します。エデンの園にあった命の木から遠ざけられた人間に、この都の中で再び命の木が現れます。川の両岸の樹木は数多くあるのでしょうが、ここの「命の木」が単数形であるのは、著者がエデンの園の「命の木」との対照を意識していたからかもしれません。

 この都に住む「神の僕たち」は、その額に神の名が記され、直接神の御顔を仰ぎ見て神を礼拝し、神と共に世々限りなく世界を統治する、とその栄光が描かれます(二二・一〜五)。

結び ― キリスト来臨の待望

 ここで預言の書は、その本体部分を終えて、結びに入ります。この結びの部分(二二・六〜二一)は、複雑怪奇な幻を用いて語ってきた本書の使信を一言でまとめ、同時に預言の書としての本書の性格と権威を主張して、この長い文書を閉じます。
 本書の使信を一言でまとめるならば、それは「然り、わたしはすぐに来る」という復活者イエスの使信であり、それに応える「アーメン、主イエスよ、来てください」という祈りと待望です(二二・二〇)。「わたしはすぐに来る」という宣言は、この結びで三回繰り返され、「来てください」という待望の祈りも三回繰り返されます。このキリスト来臨の使信と待望については、次節で改めて取り上げることにします。

 本書を結ぶにあたって、預言者ヨハネは本書が天使によって自分に示された預言、すなわち「すぐにも起こるはずのこと」を示す言葉であることを強調し、この預言の言葉を信頼し、この預言の言葉に聴き従って、キリストの来臨に備えるように促します。

 ユダヤ教黙示文書では、終わりの日まで啓示を封印しておくように命じられましたが、ヨハネはこの預言を秘密にすることなく直ちに諸集会に伝えるように命じられます。終わりが近いからです。最後に、この預言の書の言葉に何も付け加えず、何も取り去らないようにという警告が、旧約聖書的な定型文で加えられ、預言書としての神的権威が主張されます。

 


         第三節 ヨハネ黙示録の位置と意義

 

    正典の中での位置

福音の場における預言書

 本書は、序章(一章)の「天上におられるキリストの姿」の黙示(啓示)で始まり、七つの集会あての励ましの手紙(二〜三章)に続いて、僕ヨハネに与えられた「すぐにも起こるはずのこと」、すなわちキリストの来臨にともなう出来事についての長大な黙示(四〜二一章)が本体を形成し、最後に「然り、わたしはすぐに来る」という復活者イエスの宣言と、「アーメン、主イエスよ、来てください」という祈りで結ばれました(二二章)。本書が、キリストの来臨《パルーシア》を主題とする書であることは明らかです。

 先に見たように、復活して神の右に上げられたキリストがやがてすぐに来て世界にその支配を確立されるという「キリスト来臨」の待望は、最初期のエルサレム原始教団から始まり、パウロも含めて初期のキリストの民に共通のものでした。しかし、キリストの福音がヘレニズム世界に展開する過程で、ヘブライの救済史的な枠組みよりも、ヘレニズム世界のコスモロジーの枠組み(宇宙論的枠組み)が優勢になり、将来のキリストの来臨を待望するよりも、現在に霊なるキリストの充満を追及する姿勢が強くなってきます。

 そのような傾向の中で、ローマ帝国による迫害を機縁として、キリストの来臨に集中し、それを主題とする本書が生み出されます。本書の存在は、キリストの福音が急速にヘレニズム世界の枠組みに組み込まれてゆく過程の中にあって、熱烈な来臨待望によって旧約聖書の救済史的な枠組みを維持しようとする流れがあったことを証言しています。

 本書は基本的には預言の書です。預言は時代に向かって語ります。ローマ帝国の権力による信仰の抑圧という危機的状況の時代を迎えて、キリストの民の中に働く預言の霊が熱く燃え上がって、信仰を鼓舞するこのような預言の書を生み出しました。その預言を担った預言者ヨハネが、旧約聖書と黙示文学に精通したユダヤ人であったので(おそらくユダヤ教祭司の家系の学識豊かな人物であったのではないかと思います)、その預言は旧約聖書の預言書とユダヤ教黙示文学の表現や象徴で埋め尽くされ、きわめて難解な文書になりました。

 しかしヨハネ黙示録は、本稿で見たように、外見は似ていますが、けっしてユダヤ教黙示文学の一例ではありません。本書は福音の場で成立した預言の書です。ヨハネは、旧約聖書の預言と黙示が「十字架された復活者キリスト」において成就していることを宣言しています。本書の中心に立つ形姿は「ほふられた姿の小羊」、すなわち「わたしたちのために十字架につけられた復活者キリスト」です。ただ迫害という状況に迫られて、本書が提示するキリストは、やがて栄光の中に来臨し、迫害する者を裁き、信仰を貫く忠実な信徒に勝利を与えて、その支配を確立する栄光のキリストという面が圧倒的に前面に出るようになります。実際、一世紀末から四世紀初頭にいたる迫害の時代に、本書がいかに強く信徒を励ましたかは、十分に推察できるところです。本書は、福音における預言の書として、その歴史的使命を十分に果たしたと言えます。

 

正典となるまで

 しかし、本書がまとっている強烈な色彩の黙示文学的衣装のためか、ヘレニズム世界に展開し、ますます深くギリシア思想の影響を受けるようになった古代教会において、本書は素直に受け入れられなくなります。古代教会は、その時代に生み出された多くの信仰文書を選別し、自分たちの信仰の基準となるべき文書群、すなわち「正典」を確立していきますが、その過程でヨハネ黙示録は一部では長らく「疑わしい書」として扱われ、正典の中に確実な位置を占めるようになるまでにかなりの年月を要したようです。

 ヨハネ黙示録に対しては、東方と西方では温度差があり、西方ではかなり早くから正典としての位置が確立していたようですが、東方では長く議論が続きます。西方では、二世紀末のリヨンの司教エイレナイオスはヨハネ黙示録を権威ある書として扱い、二世紀末のローマで作成されたと推定される正典目録を伝える「ムラトリ断片」もヨハネ黙示録を入れています。三世紀初頭には、西方の最大の神学者といわれるテリトゥリアヌスも、四福音書と並んで権威ある書とした「正規の使徒書」の中にヨハネ黙示録を含ませています。

 それに対して東方では、かなり長く議論が続きます。アレクサンドリア学派の代表的神学者オリゲネス(三世紀前半)は、当時の教会の一般的習慣に従って、諸文書を「異議なく承認されているもの」、「疑わしいもの」、「偽作として拒否されているもの」の三つに分類し、ヨハネ黙示録を「承認されているもの」に入れています。しかし、その後の東方教会の有力な教父たちで、ヨハネ黙示録の正典性を否定する者もあり、議論が続きます。それを反映してか、四世紀初頭に出たエウセビオスの『教会史』は、「おそらく適当と思われるならば」という但し書きをつけて、ヨハネ黙示録を「承認されているもの」と「偽書」の両方に入れています。この扱い方は、ヨハネ黙示録の不安定な地位を示しています。四世紀半ばにエルサレムの司教キュリロスは、ヨハネ黙示録を除く二六巻の新約聖書正典表を発布しています。

 現在の二七巻からなる新約聖書正典は、三六七年のアタナシオスの「第三九復活祭書簡」によって確定したとされています。その後、西方ではヒエロニムスがアタナシオスの正典表に基づくラテン語訳新約聖書を完成しますが、東方ではヨハネ黙示録については議論が続き、それを含まない正典表が幾度も現れます。また、アタナシオスの正典表確定後も、ヨハネ黙示録は実際には尊重されず、現存する新約聖書のギリシア語写本でヨハネ黙示録を含むものは全体の三分の一ほどだということです。

 以上、新約聖書正典を確定しようとする動きの中でヨハネ黙示録がどのように扱われてきたかを概観しました。この正典確立のための動きの背景には、古代教会におけるいわゆるグノーシス派と正統派との対立があります。グノーシス派は一般的な傾向として、イエスが啓示した神を至高神とし、旧約聖書の神を一段と低く見るか否定する傾向があり、旧約聖書を拒否します。その代表的な人物が二世紀半ばに活動したマルキオンです。マルキオンをグノーシス主義者に分類することができるかどうかについては議論がありますが、旧約聖書を拒否した点では典型的なグノーシス主義者です。

 最初期の教団を指導したのはユダヤ人の使徒たちでした。それで初期の教団は当然のこととして旧約聖書を神の啓示の書としての権威を認めて、自分たちの「聖書」として用いていました。ところがマルキオンは旧約聖書の権威を否定し、それに代わって(ユダヤ教的要素を削除した)ルカ福音書とパウロ十書簡を自分たちの「聖書」としました。この「マルキオン聖書」が彼に対立する正統派を刺激して「正典」を形成する動きを始めるきっかけになったと見られます。

 二世紀に活発になったグノーシス派に対抗した正統派の代表的な論客がエイレナイオスです。エイレナイオスは二世紀末に『異端論駁』五巻を著し、グノーシス主義を論駁します。その中で彼は、旧約聖書の権威を認め、使徒たちの教えに従うべきことを説きます。そして、使徒たちの証言と教えとして四福音書とパウロ書簡や使徒書簡を尊ぶべきことを主張します。ヨハネ黙示録も使徒ヨハネの証言として権威を認められます。このようなエイレナイオスの神学が救済史的な神学になるのは当然です。

 グノーシス主義を克服するために正統派は正典を確立する努力をしますが、ある文書を正典として選ぶ際の基準は「使徒性」でした。古代教会は、多くの文書の中から使徒の著作か、使徒の証言に基づく文書を「使徒的」として、自分たちの信仰の拠り所であり基準となる正典としました。長い伝承の過程で、ヨハネ黙示録はヨハネ福音書とヨハネの手紙と共にまとめて使徒ヨハネの著作とされて、正典に入れられるようになります。

 正典の配列は、歴史書(過去)、勧告書(現在)、預言書(未来)の順に配列された七十人訳ギリシア語聖書にならい、四福音書と使徒言行録(過去)、使徒書簡(現在)、ヨハネ黙示録(未来)という順になりました。ヨハネ黙示録は将来の預言として、正典の最後に置かれることになります。こうして、古代教会は、最初にマタイ福音書、最後にヨハネ黙示録を置くことになり、旧約聖書の救済史的枠組みを強く主張する両書で囲み込まれた正典を確立するに至ります。


 

    福音の展開史におけるヨハネ黙示録

 

字義的解釈と霊的解釈

 このように新約聖書正典に取り入れられたヨハネ黙示録は、その後の福音の展開においてさまざまに解釈され、重大な影響を及ぼすことになります。その解釈史と影響史を詳しくたどることはこの小論ではとうていできませんので、本書だけが預言している「千年王国」という主題を軸にして、わたしたちの関心をひく代表的な場合を数例だけ取り上げてみます。

 一世紀末から四世紀初頭に至る迫害の時代に、ヨハネ黙示録は信仰を励ます預言の書として本来の使命を果たしました。しかし、四世紀初めにコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、その世紀の末にはテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教とするに及んで、ヨハネ黙示録をめぐる状況は激変しました。ローマ帝国は自己を絶対化して悪霊化したと批判したヨハネ黙示録は、もはや字義通りには解釈できなくなりました。しかし、正典に入っているヨハネ黙示録を無視することはできません。何らかの解釈によってこの預言書を新しい世界の状況に適合させなければなりません。そのためにとられた解釈の方法が霊的・象徴的解釈です。

 聖書の内容を、それが書かれた時代の状況に即して字義通りに解釈するのではなく、律法や預言の内容を比喩的・象徴的に解釈して新しい状況に適合させようとする努力は、すでにヘレニズム時代に旧約聖書をヘレニズム世界の思想に適合させようとしてユダヤ教内おいて積み重ねられていました。その代表者がアレクサンドリアのフィロンです。その伝統を継いで、キリスト教側でもアレクサンドリアのオリゲネスらは聖書を象徴的に解釈してキリストの証言として用いました。

 象徴的解釈と言っても、ヨハネ黙示録の場合はその使信自体が象徴を用いて表現されているのですから、その理解は当然象徴の解釈に依存することになります。象徴は本来多義的ですから、その解釈は多様にならざるをえません。しかし、多様な解釈の中でも、時代に語りかける預言としてその本来の状況と意図に即して理解しようとする傾向と、時代の状況から離れて無時間的な霊的真理の象徴として理解しようとする傾向という、二つの大きな基本的傾向が区別されます。ここで仮に前者を「字義的・歴史的解釈」、後者を「霊的・象徴的解釈」と呼びますと、黙示録の解釈はこの二つの傾向の相克や混合の歴史として理解できます。それにしても黙示録全体の解釈を問題とすることは問題が大きすぎてこの小論ではできませんので、解釈者の立場が典型的に出てくる「千年王国」の解釈に限定して、その流れをたどることにします。

 

アウグスティヌスとヨアキム

 ヨハネ黙示録(二〇・一〜六)は、キリストと第一の復活にあずかった聖徒たちが共に世界を千年間統治することを預言しています(本書238頁以下を参照)。この時代が後世「千年王国」と呼ばれて、黙示録解釈の大問題になります。初期の教父たちはだいたいこの預言を字義通りに解釈して、キリストが再臨された後千年間、キリストが直接統治されるので地上に平和で豊饒の時代が続くと考えていました。二世紀の殉教者ユスティノスやエイレナイオス、三世紀初頭のテリトゥリアヌス、四世紀初頭のラクタンティウスに至るまで、この預言を字義通りに解釈する有力な指導者たちがいました。

 しかし、この時代にもすでに字義的解釈に反対して、この預言を霊的に解釈すべきことを唱えた教父もいました。アレクサンドリアのオリゲネス(三世紀前半)は、千年王国の字義的解釈を退け、黙示録をこの世で始まり来るべき世にまで続く魂の霊的成長の象徴として解釈しました。三世紀後半の(もとドナトゥス派の)ティコニウスは、おそらくオリゲネスとは独立に彼のパウロ理解から、この預言の字義的解釈を克服し、その霊的理解をラテン世界に導入します。彼は「第一の復活」を洗礼のさいの新生と解釈し、身体の復活を未来のこととし、黙示録二〇・四〜六は現在の時代を指すと理解します。

 アウグスティヌスは、初期には字義通りの「千年王国主義」を奉じていましたが、ティコニウスの影響で霊的解釈に変わります。彼が晩年に完成した『神の国』(五世紀初め)では、第一の復活を魂の復活とし、キリストと聖徒たちの千年の支配を教会の時代を指すと解釈しています(同書二〇巻七〜一〇章)。このアウグスティヌスの教会論的解釈はその後の西方ラテン世界の公式解釈となり、幾世紀にもわたって西方教会を支配します。

 東方では、コンスタンティヌス帝の側近として活躍したカイサリアの司教エウセビオス(オリゲネスの孫弟子)が、キリスト教に改宗したローマ皇帝を地上におけるキリストの代理者とし、皇帝を教会の首長とする政教一致の体制(いわゆるビザンチン体制)を理論づけます。このような思想は、黙示録の霊的解釈の中ではじめて成立しうるものです。地上におけるキリストの支配はキリスト教化したローマ帝国において実現したことになります。そして、この体制によるキリストの地上支配は、(皮肉にも)約千年間続きますが、一五世紀にビザンチン帝国の崩壊と共に消滅します。

 このようにヨハネ黙示録の預言はキリスト教会において実現されているとする霊的・教会論的解釈の流れの中で、この預言の書の本来の終末的視点を回復する解釈が一二世紀のヨーロッパに現れます。一二世紀後半に南イタリヤのフィオーレの修道院長として活躍したヨアキムは、霊的幻視の体験もあり、預言の賜物もあったようです。彼は全聖書を象徴的に解釈し、ヨハネ黙示録の注解も著し、独特の終末観を展開します。彼によって黙示録は地上の歴史を預言する書としての性格を取り戻します。彼によれば、完成に向かう神の歴史支配は、神の三位一体の在り方に対応して三つの時期があるとされます。第一は父なる神が律法によって直接支配される時代です。第二は子なる神が統治される時代で、新しい契約の時代であり、恩恵によって聖化された教会の時代、信仰の時代です。この時代は間もなく(彼の計算では一二六〇年に)終わり、第三の時代、聖霊の時代が始まることになります。この時代は霊的修道士に導かれる観相の時代、霊的自由が溢れる愛と喜びの時代とされます。この第三の時代は最後の審判によって実現する終末の完成ではなく、それに先行して地上の歴史の中に実現する時代であるという点で、千年王国の思想と通じるものがあります。

 このような地上における霊の王国の実現は、アウグスティヌスの教会論的解釈と対立し、現存の教会体制を批判する結果になるので、トマスなど後の教義学者から批判され、ローマ教皇から異端の宣告を受けることになります。しかし、ヨアキムの終末論は後世の西欧思想に大きな影響を及ぼし、地上に理想の国を追求する者たちの思想的源泉となります。

 

中世後期の千年王国運動

 ヨアキム以後、すなわち一三世紀から一六世紀の宗教改革の時代までの時期をふつう中世後期と呼びますが、この時代はローマカトリック教会が支配するヨーロッパに「千年王国運動」の嵐が吹き荒れた時代です。この時代には、ヨハネ黙示録やシビラの託宣というような預言文書に鼓吹され、ときにはヨアキムの終末思想に影響された民衆の終末待望(千年王国待望)の運動が、当時の深刻な社会不安の中で異様な形をとり、ヨーロッパ世界に悲惨な結果を引き起こします。

 すでに一一世紀に始まりこの時期数次にわたって行われた十字軍運動において、民衆の終末意識は高揚していました。聖都エルサレムを奪還することは、キリストの地上支配実現のためでした。その前段としての反キリストとの戦いも、ユダヤ人虐殺という(見当違いの)形で始まっていました。一方、飢饉や疫病などの災害に苦しむ底辺の貧しい民衆の間には、自分たちを支配搾取して贅沢に暮らす教会の聖職階級に対する不満と、窮状を救ってくれるカリスマ的な指導者への待望が鬱積していました。

 この終末待望の熱気と体制的教会への批判や不満に膨れあがっている底辺民衆の状況の中に、修道士などで禁欲的な生活と孤独の祈りから立ち上がって、病人を癒したり奇蹟を行うカリスマ的な説教者が現れると、この人こそ約束されていたメシアであると歓呼して迎え、その人物の絶対的な支配に服し、教会から離脱して、自分たちこそキリストが直接支配される千年王国の民であるとする運動に発展することがしばしば起こります。

 この種の改革運動にも、堕落した聖職者階級を批判して使徒時代の平等な霊的交わりに生きようとする穏健な兄弟団としてとどまるものもありますが、状況によっては、集団の規模が大きくなり、民衆の熱気が高まると、段々と過激化して、中には自分たちこそ千年王国の民であるとして、自分たち以外の者に対して殺戮と強奪をこととする集団となる場合も出てきます。この「千年王国運動」の様相は多様で一律に描くことはできませんが、過激化した「千年王国運動」にはある程度の共通点が見られます。

 そのような運動は大体、修道士や職人など身分の低い個人の神秘体験から始まります。神から直接の啓示を受けたとする彼らのカリスマ的な説教と、高位聖職者に対する激しい批判は、貧窮の民衆に強く訴え、彼を信奉する集団が形成されます。民衆は彼を預言者とかメシアとして讃え、絶対的な服従を誓い、財産を投げ出して従います。指導者は自分の支配を絶対化して(自分を神とする者も出てきます)、自分に敵対する者(高位聖職者や大都市の富裕商人層など)をすべて反キリストと決めつけ(その頂点はローマ教皇です)、彼らを抹殺する(殺戮する)ことが地上にキリストの支配をもたらすための奉仕であるとするに至ります。そのさい、殺戮する敵の財産を強奪して自分たちの資金とすることは正当化されます。このような運動の中には、近い将来強力な皇帝が出現して(名声の高い皇帝が生き返って)反キリスト勢力を打ち破り、地上に至福の時代をもたらしてくれるという待望もありました。

 もちろんローマ教会はこのような運動を異端として厳しく弾圧します。指導者や信徒を宗教裁判にかけ火刑に処して鎮圧を図りますが、この運動の火はとくにライン川流域やボヘミヤなどヨーロッパ中央部に強く燃え上がり、それだけでなくイタリヤやフランス、オランダ、イギリスなどヨーロッパ中に広がります。この嵐のような運動が通り過ぎた地域では、秩序ある社会は崩壊し、田畑は放棄され、都市は焼かれるなど、悲惨な爪痕が残ることになります。

 

宗教改革とピューリタン革命

 ルターが宗教改革の烽火をあげた一六世紀前半は、ここに見た中世後期の千年王国運動がその最後の炎を燃え上がらせた時期でもありました。ルターとほぼ同世代のトーマス・ミュンツァーは、初めはルター派の説教師として活動しますが、ボヘミヤの千年王国主義の思想に触れてルターから離れ、ヨアキムの終末思想からも影響されて、義人が不義なる者を武力で除いてキリストの支配を実現するという、おもに旧約聖書とヨハネ黙示録を典拠にした戦闘的千年王国主義に転向します。

 ミュンツァーの千年王国思想は、当時領主の搾取にあえいでいたドイツの農民を糾合して、大きな農民運動として展開し始め、ついには「農民戦争」を引き起こすに至ります。ルターはその動きに宗教改革を突き崩す危険を見て、ドイツ諸侯にその鎮圧を要請する文書を送るようになります。ミュンツァーもルターを反キリスト陣営の「獣」と呼んで激しく非難します。ローマ教皇を反キリストとして戦う点では共通していますが、ルターとミュンツァーは不倶戴天の敵となります。この農民戦争は諸侯によって鎮圧され、ミュンツァーは一五二五年に処刑されますが、宗教改革期にはアナバプティスト(再洗礼派)というさらに大きな改革運動の波の中から、過激な千年王国運動が生まれます。

 アナバプティスト(再洗礼派)は、スイスの改革者ツウィングリの周辺から、彼の改革をさらに徹底する運動として始まりました。ツウィングリによって福音的信仰に導かれた者たちの中から、その聖書原理(教会的伝統を否定して、聖書とくに新約聖書だけを規範とする態度)によって、ツウィングリがなお教会を市参事会のような世俗権力の支配下に置くのを批判して、自覚的な信仰者だけから成る使徒的な共同体を形成するため、幼児洗礼の効力を否定し、信仰を告白する成人が洗礼を受け直すことを求める声が出て来ます。これが「再洗礼派」の運動となって、スイスから南ドイツに広がります。

 再洗礼派の運動は本来、宗教改革を徹底させることによって使徒時代の信仰と教会の姿を回復しようとする運動であって、必ずしも千年王国主義とは関係がありませんが、一部にはその熱烈な聖書信仰と当時の終末待望の影響(ミュンツァーの弟子も活躍)から、再臨を強調し、千年王国主義を受け入れて過激な運動になる傾向もありました。再洗礼派はカトリックからもプロテスタントからも共通の敵として厳しく弾圧され、過酷な迫害を受けたために、その運動は一部で過激化し、革命的・戦闘的な形をとるにいたります。比較的再洗礼派に好意的であったドイツの都市ミュンスターに迫害を逃れて流れ込んだ多くの再洗礼派は、やがて市の実権を握り、市民に改宗を迫り、再洗礼を受けない者を処刑するなど、恐怖政治を行います。彼らはミュンスターをキリストの支配が実現する新しいエルサレムとして、神の守護を唱えて戦いますが、一五三五年にカトリックとルター派の連合軍に打ち破られ、多くの市民が殺戮され、指導者は残酷に処刑されます。

 このミュンスター事件は、アナバプティスト(再洗礼派)は過激な千年王国主義者であるという印象を後世に残しますが、本来の再洗礼派は宗教改革を徹底しようとした信仰運動であり、その穏健な形がメノー派やクエーカー派として現在まで存続していますし、次の世紀のピューリタン運動の先駆けとして、近代を切り開く重要な意義を担っています。

 改革者カルヴァンも、この時期に活躍した「霊の自由思想家」たちや千年王国主義的傾向の急進派と激しく論争し、彼らと戦っています。彼らがヨハネ黙示録を典拠として用いたのが理由となったのか、新約聖書全巻の厳密で詳しい注解を書いたカルヴァンが、ヨハネ黙示録の注解だけはついに書きませんでした。

 宗教改革の波はイギリスにも及び、一六世紀後半にはイギリスもローマカトリック教会の軛から離れプロテスタントの国となります。しかし、その改革は政治的な要素が強く、国王がイギリスの教会の首長を兼ねる国教会となります。多分にカトリック的な面を残す国教会制に対して、カルヴァンの流れを汲むプロテスタントたちはさらに徹底した改革を求めて国教会を批判します。こうして、大陸の再洗礼派のように宗教改革の徹底を求めて体制派の国教会と対立したイギリスのプロテスタントが「ピューリタン」と呼ばれるようになります。

 一七世紀に入るとピューリタンの間に千年王国思想が興ります。それは敬虔な学者のヨハネ黙示録の注解から始まります。初めは地上の千年期の後にキリストの再臨を期待する穏和な形のもの(ブライトマン)でしたが、国王側からの圧迫が強くなるにしたがって、近い将来の再臨の後に理想の千年期が始まるとする急進的な千年王国思想(ミード)になっていきます。さらに、当時すでに信仰の新天地を求めて新大陸に移住したピューリタンが多くいましたが、移住先のニューイングランドにもコトンのような強力な千年王国論者が現れ、本国のピューリタンを励まします。このようなピューリタンの千年王国主義は、当然のことながら宗教改革の中での思想として、ローマカトリック教会を反キリストとし、国王側からの迫害が強くなると国教会を反キリストとして戦うことになります。

 こうして、千年王国思想は国教会体制と戦うピューリタンの思想的原動力となっていきます。ピューリタン運動も、国教会の体制内で改革を志す「長老派」と、国教会から出て自分たちの理想を実現しようとする「独立派」に分かれますが、この独立派の中に強力な千年王国論者(グッドウィンら)が活動し、革命運動を牽引します。クロムウェルに率いられた独立派議会軍が勝利して、一六四九年に国王チャールズ一世を処刑するに及び、ピューリタンの革命運動は頂点に達します。このピューリタン革命は、政治的・社会的・経済的要因から観察されることが多いですが、千年王国思想を理念とした宗教的動機が重要な要因であったことが近年見直されています。

 ピューリタン革命は短命に終わり、一六六〇年には王政復古となります。その頃、「第五王国派」と呼ばれる千年王国主義者の過激な一派が武力蜂起しますが、失敗してこの派も衰退します。しかし、新旧イングランドのピューリタンの間に千年王国思想は生き続け、一八世紀後半のアメリカ合衆国の独立にさいしても指導的な理念となり、その後の合衆国のキリスト教の底流として今日まで連綿として流れ続けます。

 

内村の再臨運動

 近代日本における内村鑑三の無教会主義運動も、宗教改革の徹底を求める運動と見ることができます。アメリカのピューリタン的な信仰を継承した内村は、信仰による義(十字架信仰)と聖書主義に立って、その信仰を純粋に近代日本に根付かせるため、欧米のキリスト教に付着した教派的立場から解放されたキリスト教を唱えて、無教会主義運動を展開します。
 その内村が運動の最後の時期になって、他の教派指導者たちと一緒に「キリストの再臨」を唱道する再臨運動を始めます。それまでほとんど再臨に触れなかった内村が、一九一八年になって急に再臨を唱えるようになった背景には、その年に終わった世界第一次大戦後の思想状況の変化があったのかもしれません。それは、それまでの楽観的な人類進歩の幻想が打ち砕かれ、神の終末的支配への待望が燃え上がった時期でした。

 しかし、何よりもこの時期に内村の内面に大きな変革が起こったようです。それは一人の熱烈な再臨信者のアメリカの友人が長年祈り続けてきたことの結果として、内村自身がその変革を上からのものとして自覚していました。そのことの重要性は内村がこの内面の変革を、まことの神の前に自分を罪人と自覚した第一の回心、シーリーのもとで十字架のキリストが自分の義であることを見出した第二の回心に次ぐ第三の回心としていることからも分かります。

 内村の再臨運動においては、千年王国主義は明確に否定されています。再臨運動が始まった一九一八年の二月に内村はその「聖書之研究」誌に「余がキリストの再臨について信ぜざる事ども」という文を発表し、キリスト再臨の日を計算することと並んで、黙示録二〇章の解釈としてキリストと聖徒が地上を支配する千年期を信じることを退けています。

 また、内村は再臨運動が一段落した一九二〇年に、「キリスト再臨の二方面」と題する注目すべき講演を行っています。内村は、キリスト再臨には内外の二方面があるとし、新約聖書の黙示録的部分(共観福音書やパウロ書簡の一部、とくにヨハネ黙示録)に描かれた再臨は外よりする再臨であって、われわれはこれを神の約束として信じるだけであるが、聖書は同時に(ローマ書八章などを引用して)「信者の中にすでに起これる霊の働きの外に現わるべきもの」という「内的再臨」について語っているとします。わたしたちの内に与えられている御霊は、わたしたちが終わりの日に栄光を受け継ぐこと(復活)の保証であり、わたしたちは内に再臨・復活の証明をもっているとします。あの再臨運動の熱気の中で、内村が「内的再臨」という面に注意を促したことは意義深いことです。

 この講演で、内村は再臨と贖罪の関係を重視して、再臨信仰の基礎に贖罪信仰がなければならないことを強調しています。また、再臨に、悪人に対する審判を告知する消極的な面と、信じる義人に栄光を与える積極的な面があることを描いて、信じる者には再臨は喜ばしい出来事であることを説いています。総じて内村の再臨信仰は、厳格な聖書主義に立ちながら、字句にとらわれず、その霊的内容をバランスよく受けとめて黙示思想を克服しており、十字架信仰の土台は揺るぐことなく健全な方向を指し示していると感じられます。

 内村の再臨運動に協力した弟子の中で、藤井武はその後(一九二四年)黙示録研究をその個人誌に発表し、死の前年(一九二九年)から集会で黙示録の講義を行い、これを最後の聖書講義として天に召されます。藤井は創世記から始まり黙示録で終わる聖書全巻を一体の啓示として受け取るべきことを強調し、天地創造からキリスト再臨による完成までの救済の歴史を、「羔の婚姻」という壮大な叙事詩をもって描きます。彼はヨハネ黙示録の「小羊の婚宴」のイメージをもって救済史の全体を統合することになります。このように、宗教改革の徹底を追求する無教会運動は、藤井において黙示録の輝かしい復興を見せることになります。

 しかし、藤井は無教会主義の立場に徹し、千年王国を教会の時代と解釈したり、再臨後に地上に聖徒の支配が実現するとする千年王国主義をとることはありません。黙示録はあくまで霊的なエクレシアの終末待望の表現として理解されています。


 

    ヨハネ黙示録と現代

 

「来臨」と「再臨」― 用語について

 ここまで長年のキリスト教世界の慣例に従って「再臨」( Wiederkunft,  The Second Coming )という用語を用いてきましたが、実はこの語は新約聖書には出てきません。最初期には復活されたイエス・キリストが世界の支配者として栄光の中に現れる日が熱烈に待ち望まれていましたが、新約聖書ではそれはいつも《パルーシア》という語で語られていました。この語は、誰かがある場所に到着して、そこに居合わせることを意味する語で、「再び」という意味は含んでいません。この《パルーシア》は、日本語聖書では普通「来られるとき」とか「来臨」と訳されています。英語では His Coming です。わたしも「来臨」という訳語を用いてきました。

 ところが、イエスの地上の生涯は永遠のキリストが地上に降臨された出来事であるという受肉の信仰が形成されるに従い、将来に待ち望まれているキリストの来臨は、キリストが再び来られることだとして「再臨」という語が用いられるようになります。これは、イエスの生涯をキリストの降臨と理解する限り正しい用語です。しかし、「再臨」という語を用いて《パルーシア》を指すことになりますと、「再」という語の意味に引きずられて、その出来事を地上のイエスの出来事と同次元の出来事と理解する危険が生じます。すなわち、《パルーシア》をも栄光のキリストが歴史の中に現れて支配を開始されると理解する危険です。まさに千年王国思想はこのような「再臨」理解から出ています。

 しかし、《パルーシア》は時間と空間の枠の中で起こる歴史内の出来事ではありません。それはもはや時間と空間の枠を超えた終末を指し示す用語であり、歴史内の出来事であるイエスの出現と同じ次元で理解してはなりません。そのように理解する危険を避けるために、わたしは終末待望を語るときには、「再臨」という用語を避けるようにしています。「来臨」という訳語を使ったからといって、誤解がなくなるわけではありませんが、少なくとも「再臨」よりは誤解の危険が少なくなると考えています。
 では、現代のわたしたちは、ヨハネ黙示録に代表される新約聖書内の黙示思想的部分をどのように受けとめればよいのでしょうか。最後にこの問題を考察して、わたしたちの終末待望の中身を検討してみましょう。

 

来臨《パルーシア》の終末的性格

 ヨハネ黙示録は、その結びの部分(二二・六〜二一)で、複雑怪奇な幻を用いて語ってきた本書の使信を一言でまとめていますが、それは「然り、わたしはすぐに来る」という復活者イエスの使信であり、それに応える「アーメン、主イエスよ、来てください」という祈りと待望です。「わたしはすぐに来る」という宣言はこの結びで三回繰り返され、「来てください」という待望の祈りも三回繰り返されます。ヨハネ黙示録は「キリスト来臨」の書です。

 では、キリストの来臨《パルーシア》とはそもそもどういうことでしょうか。それは地上でわたしたちが経験することができる出来事、すなわち歴史の中での出来事でしょうか。時間と空間の枠の中でしか生きられないわたしたちの思考は、すべてのことをその枠内で考え表現しますが、キリストの来臨もその枠の中の出来事、歴史の中の出来事でしょうか。

 時間の中で起こる出来事には初めがあり終わりがあります。始まったものは必ず終わります。誕生で始まった地上の人生は死で終わります。神と人間の関わりを物語る聖書も、神が始めに天と地を創造し、その中に人間を創造して、その人間の救済と完成のための働きを開始されたことから始まります。そうして始まった救済の働きは、初めがある以上終わりがあります。バビロン捕囚の前後に輩出したイスラエルの預言者たちによって王国の終わりが語られると同時に、それを超えて諸国民の救済という終わりが語られるようになり、黙示思想に至って宇宙の終局が語られるようになります。イエスも世の終わりについて語られたと伝えられています。

 イエスは「人の子」というような黙示思想的な称号を用いて終わりの日のことを語られたとも伝えられていますが(マルコ福音書一三章など)、一方その日のことについて時間と空間の枠の中で考えることを禁止するような言葉も伝えられています。イエスは「その日、その時はだれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」と言っておられます。また、「神の国はいつ来るのか」という質問に、「神の国は見える形では来ない。『ここにある』、『あそこにある』と言えるものではない」とした上で、「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである」と言っておられます(ルカ一七・二〇〜二四)。こちらの発言の方が終わりの日に関するイエスの本来の言葉ではないかと、わたしは考えています。

 稲妻の比喩は、「見える形では来ない」とか「その時はだれも知らない」という言葉と共に、終わりの日(終末)が時間と空間の枠の中の出来事ではないことを指し示しています。それは歴史の中の出来事ではありません。歴史とは別次元のものとして対立しながら、時々刻々歴史に襲いかかるように臨んでいる現実であると言えるのではないでしょうか。稲妻が突如闇の中にひらめいて地上のすべてを照らし出すように、終末は闇に隠された歴史の真相を照らし出して裁き、かつその意味を成就する原理として、つねに歴史に臨んでいるのです。時間と永遠が対立するように、歴史と終末は対立します。

 「来臨」《パルーシア》、すなわち栄光のキリストの支配が実現する時は、終末を言い表すシンボルであって、歴史の中の出来事ではありません。千年王国思想は、それを歴史の中の出来事とした誤りです。それは一つの文書の解釈の誤りというよりは、歴史と終末という異質の現実を混同した聖書理解の基本的な誤りです。

 このような《パルーシア》の終末としての本質を理解するとき、「来臨遅延」の問題はなくなります。来臨を歴史の中のある時点にあると期待するから、「遅延」の問題が起こります。その期待した時点に来臨がなかったとして、「遅延」が問題になります。しかし、《パルーシア》は本来時間を超えた終末に属することですから、遅延ということはありません。時はいつも終末に直面しています。

 

一つの光源と様々なスクリーン

 では、聖書の中にある黙示思想的な発言はどう理解すればよいのでしょうか。新約聖書の中でも黙示思想的な部分(その代表がこのヨハネ黙示録です)は、《パルーシア》が近いことを強調し、その様を特異な映像で描き出します。ヨハネ黙示録はそのような映像がぎっしり詰まっています。その映像を地上の歴史の中の事実だとすることは誤解です。それはあくまでわたしたちの内にある光が光源となって、外にある何らかのスクリーンに映し出している映像に他なりません。「来臨」《パルーシア》も、わたしたちの内にいます復活者キリストが光源となって、その光が歴史の終幕というスクリーンに映し出された映像です。歴史は時間内の出来事ですから、初めがあり終わりがあります。その歴史の終幕というスクリーンに映し出された復活者キリストの映像が《パルーシア》です。

 このことをもう少し具体的に説明してみましょう。パウロはローマ書八章で、キリストに属する者はキリストの御霊を内に宿して生きる者であるとし、その生き方を描いています。その後半部では、キリストにあって生きるゆえに受ける現在の苦難と較べて、「将来わたしたちに現されるはずの栄光」の大きさを強調しています(ローマ八・一八以下)。その日のことは、「神の子たちが現れる」日と言われています。神の子としての栄光は現在の苦難の中に覆われ隠されているが、必ずそれが顕わになって現れる日が来ると確信し、その日を「切に待ち望んでいる」のです。

 ここで「現れる」とか「現れ(顕現)」という用語が繰り返し出てきますが、これはギリシア語原語では《アポカリュプシス》(およびその動詞形)です。これは、覆いが取り除かれて隠されていたものが現れることを意味する語です。実はこの用語でキリストの来臨が語られているところがあります。パウロは、コリントの集会に「あなたがたは、・・・・わたしたちの主イエス・キリストの現れ《アポカリュプシス》を待ち望んでいます」と書いています(コリントT一・七)。この用語が《パルーシア》を指しているのはここだけですが、その内容はローマ書八章で詳しく描かれていました。キリストにある者の「来臨待望」の本質はここにあります。すなわち、内にいます復活者キリストの栄光が、将来顕わになることを待ち望む現在の姿勢です。これは内村が「内的再臨」と呼んだことです。それはすでに内にあるのですから、将来の顕現は確かです。

 パウロやヨハネの時代のユダヤ教では、黙示思想が燃えさかっていました。そのような時代のユダヤ教徒が内なる栄光の終末の顕現を待ち望んで、それを言い表そうとするとき、彼らが内なる光を投影するスクリーンは黙示思想というスクリーンにならざるをえませんでした。そのスクリーンに映し出された映像を絶対化したり、歴史の中に持ち込むことは、誤りであり危険です。わたしたちは、彼らがその時代のスクリーンに映し出した映像の光源に注目すべきです。その光源はいつも同じです。それは復活者キリストの栄光です。聖霊によってわたしたちの内に宿る神の子の栄光です。

 

光源としての御霊の命

 わたしたちが新約聖書から受け取るべきものは、映像ではなく光源の方です。スクリーンは文化や時代によって様々に違いますから、そこに映し出される映像も違ってきます。新約聖書の範囲内でも、同じ光源が映し出す映像が大きく違っていることは、たとえばコロサイ・エフェソ書とヨハネ黙示録を較べるだけでも歴然としています。同じ復活者キリストの命に生きる場で成立した文書ですが、コロサイ・エフェソ書はその命の光をギリシア思想のコスモロジー(宇宙論)というスクリーンに投影していますから、もはや来臨という形の終末はなく、ひたすら霊界のキリストに満たされることを追い求めています。それに対してヨハネ黙示録は、その光をユダヤ教黙示思想のスクリーンに投影し、キリスト来臨の希望を時代に対する預言者的使信の映像の形にして、ローマ帝国による迫害に対抗しようとします。

 わたしたちも、同じ光を受けて、それをわたしたちの時代のスクリーンに映し出して、時代に語りかける映像を結べばよいのです。そのさい、現代はこういう時代であるから、そのスクリーンに映し出される映像はこのような形でなければならないと、一律に決めることはできません。たしかに現代には共通の世界観的な特色があります。しかし、キリストの命は具体的な一人ひとりの人間の中に宿るのですから、そこから発する光はその具体的な人間が置かれている文化的・歴史的・社会的環境によって彩られ、それぞれその人でなければ出てこない特色ある映像が現代のスクリーンに映し出されます。たとえば藤井武の『羔の婚姻』という叙事詩は、近代日本という特別の時代に、藤井の強烈な個性と結婚体験から出た、きわめて個性的な見事な映像です。

 《パルーシア》が映像であることを強調するのは、それが現実と無関係だと言っているのではありません。映像は言語と同じく現実を指し示す「しるし」です。それが指し示している本体こそ現実(真理)です。復活者キリストこそ光源であり、本体です。キリストという恩恵の場に働く聖霊によってわたしたち一人ひとりの内に始まった新しい命、この命が光源であり、そこから発する光が、一人ひとりの人生というスクリーンにキリストの映像を結びます。《パルーシア》は、歴史の終幕というスクリーンに映し出された復活者キリストの映像です。この光源とスクリーンの関係を理解することが、新約聖書の中の黙示思想的部分を正しく位置づけるのに重要であると考えます。


 


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