パウロ以後のキリストの福音


第五章 大祭司キリスト

          ―― ヘブライ書のキリスト ――

(本章で書名のない引用箇所はすべてヘブライ書の章節をさします。)


はじめに

 この「パウロ以後のキリストの福音」シリーズでは、パウロ以後の時代に、パウロ系の諸集会とその関連地域で、キリストの福音がどのような形と内容になっていったかをたどっています。それを知るためのおもな資料は、パウロの名によって書かれた書簡です。パウロが世を去った後、この地域で福音を担ったのはパウロの若き弟子たちであり、パウロ系の諸集会で育った次の世代の指導者たちでした。彼らは師に倣って、書簡の形で福音を提示し信徒を指導するために、「パウロの名による書簡」を書きました。こうして「使徒名書簡」の時代が始まります。

 しかし、パウロ以後の時代にキリストの福音を提示する文書は「パウロの名による書簡」だけではありません。ヨハネ黙示録のヨハネはパウロ系の人物ではありませんが、その預言は明らかにアジア州のパウロ系諸集会に向けられた書簡の形をとっており、当時この地域での福音信仰の重要な一面を示しています。今回取り上げる「ヘブライ人への手紙」も、パウロの名を用いた書簡ではありませんが、パウロ以後の時代にこの地域で成立した文書として、この時代の「キリストの福音」の一面を知る上で重要な文書です。このシリーズでは、パウロの名による書簡と、パウロの名を用いていなくてもこの時代に成立したパウロと関連のある書簡を取り上げて、「パウロ以後のキリストの福音」を追求していきます。

        第一節 ヘブライ書の成立

 

誰に宛てられた手紙か

 新約聖書に「ヘブライ人への手紙」という名称で収められているこの文書は、手紙の形式は最後の結びのところ(一三・二二〜二五)に僅かに見られるだけで、手紙には欠かせない最初の「誰から誰へ」と差出人と宛先人を表示する部分と挨拶がありません。したがって差出人(著者)が誰で、受取人がどのような人々であったのか、文書の内容から推察する他はなく、確実なことは分かりません。

 「ヘブライ人への手紙」という名称は、受取人がヘブライ人すなわちユダヤ人であるとしていますが、これも内容から推察して後の時代の人がつけた名であって、厳密に読むと必ずしも宛先をユダヤ人に限定することはできません。この文書がユダヤ人キリスト教徒に宛てられた手紙であると推察する主要な根拠は、著者がいつも旧約聖書を典拠として議論をしている事実ですが、これは決定的ではありません。すでにパウロも異邦人が多いガラテヤやコリントの集会に宛てた手紙で、旧約聖書を多く引用し、その解釈を論拠にして議論を進めています。パウロの時代からさらに数十年後の本書の時代には、異邦人信徒も当時の彼らにとって唯一の聖典である旧約聖書(七十人訳ギリシア語聖書)に習熟し、キリスト信仰を旧約聖書によって根拠づける議論には慣れていたはずです。

 宛先を示唆する唯一の手がかりは、結びの挨拶にある「イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています」(一三・二四)という表現です。この「イタリア出身の人たち」という句の原語は、イタリア在住の人たちという意味にも、イタリア以外の地に在るイタリア人という意味にもなります。イタリア在住の人たちだとすると、著者も一緒にいてイタリアから他の地の信徒たちに手紙を書いていることになります。その宛先の地はエルサレムだとかアレクサンドリアとか様々な都市が候補にあげられますが、どれも困難をかかえています。これはやはり著者がイタリア以外の地(たとえばエフェソ)にいて、そこからイタリアの信徒たちにこの手紙を送るときに、一緒にいるイタリア出身の人たちが故国の兄弟たちに挨拶を送っていると見る方が自然です(新共同訳もこの解釈)。そして、当時イタリアにあるキリスト者の集会としては、まずローマの集会が考えられます。ローマではユダヤ人信徒と異邦人信徒が混在していました。

 この解釈は、ローマのクレメンスの手紙にヘブライ書が引用されていることからも強められます。ローマのクレメンスが九五年頃にコリントの集会に宛てて書いた勧告の手紙(第一クレメンス書)に、ヘブライ書が直接間接に引用され、用語や議論の仕方にもヘブライ書との並行が見られます。このことからヘブライ書がローマでよく知られており、重んぜられていたことがうかがえます。


 
いつ、どのような状況で書かれたのか

 第一クレメンス書に引用されていることから、ヘブライ書は九五年ごろまでに書かれたことが分かります。本書の内容(後述)から、パウロの時代からはかなり時が経っていることがうかがわれますので、八十年代から九十年代前半と見るのが順当でしょう。
 この時期はドミティアヌス帝(在位八一〜九六年)の時代と重なります。彼はネロの次にキリスト教徒を迫害した皇帝として有名ですが、その迫害の実体はよく分かっていません。時期や地域によってかなりばらつきがあり、まだローマ帝国による組織的迫害とは言えません。本書には過去の迫害に言及している箇所がありますが(一〇・三二〜三四)、その迫害がネロによる迫害(六四年)を指すのか、ドミティアヌスによる迫害を指すのか議論があります。「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(一二・四)は、文脈からすると内面的な罪の力との戦いではなく、外から来る神に背く罪人との戦い、すなわち迫害を指していると考えられます。ネロの時もドミティアヌスの場合も迫害は組織的ではなく、同じローマでも殉教者を出したのは一部のグループであったと考えられます。当時はまだローマ教会という一つの教会があるのではなく、家庭ごとに集まる小さな集会が多くあり、本書の宛先の集団はそこまでの迫害を体験していなかったと理解しなければなりません。しかし、とにかく著者の時代(ドミティアヌス帝の時代)には迫害の予感があったようです。著者は迫害という外からの患難と試練に立ち向かう覚悟を繰り返しうながしています。

 宛先の集会の人たちは、信仰に入った初めの頃には「苦しい大きな戦いによく耐えた」のですが(一〇・三二)、その後の長年の信仰生活の中で安逸に馴れ、内的な緊張感を失い、その信仰生活にほころびが見え始めたようです。彼らの中には、集会から離れ(一〇・二五)、異なった教えに迷わされ(一三・九)、みだらな生活に陥る(一三・四)者たちも出てきたようです。このような内外の試練と危険な兆候を知って、かってこの集会の指導者であった著者が、遠くにいて直接語りかけることができない状況で、この勧告の書を書き送ったと見られます。

 なお、本書をユダヤ人キリスト教徒に向けられたと見る人たちは(そのように見る研究者もかなりあります)、イエス・キリストを信じることから生じる困難に疲れ果てて、元のユダヤ教に戻ろうとするユダヤ人に対して、イエス・キリストがユダヤ教の諸人物や諸祭儀と較べていかに優っているかを聖書に基づいて論証し、キリストへの信仰を励ますために書かれたとします。しかし、本書はユダヤ人キリスト教徒一般に宛てられた神学的論争の書ではなく、具体的な問題をかかえている特定の一集団に宛てられた勧告であり、この見方は不適切と思われます。

 

著者は誰か

 このヘブライ書は、洗練されたギリシア語で書かれており、一貫した文体とよく組織された構成で全体が貫かれています。このような文書を書いたのは、高い教養がある個人であると見なければなりません。それは誰でしょうか。手紙の始めにあるはずの差出人と宛先を表示する前書きがないので、推察する他はありません。

 本文中で著者を推察させる唯一の手がかりは、結びの中でテモテに言及している箇所(一三・二三)だけです。この箇所で著者はテモテと一緒に行動できる人物であることを示唆しています。そうなると第一に思い浮かぶ名前はパウロです。事実、すでに二世紀末、アレクサンドリアの教父たちは本書をパウロのものと見ていました。しかし同時に、そのギリシア語の用語や文体がパウロの書簡とは違うことも認めていたようで、パウロがヘブライ語で書いたものをルカとかローマのクレメンスがギリシア語に翻訳したという説明がなされていました。ただ、オリゲネスは「思想はパウロのものだが、文章はその後継者のものである。真の著者はただ神だけが知っておられる(=誰も知らない)」としました。

 このように東方では著者をパウロとする見方がありましたが、西方ではパウロのものとはされていません。ローマのクレメンスも、本書を引用していますがパウロのものとして引用しているのではありません。マルキオンもパウロ書簡集に本書を入れていません。ローマで成立したと見られるムラトリ正典表にもヘブライ書の名はありません。テリトゥリアヌスによると、西方ではバルナバの作と考えられていたようです。

 ところが東方ではパウロ説が有力となり、新約聖書正典を決定したと言われる三六七年の「第三九復活節書簡」で、アタナシオスがパウロ書簡を一四と数え、ヘブライ書をその中に入れたことで、本書がパウロ書簡の一つとして正典の中に入れられることになります。その後一〇〇〇年以上にわたり、本書はパウロ書簡として扱われてきましたが、宗教改革の時代に文献批判が進み、パウロ説は疑問とされるようになりました。それ以後、ルターはアポロ、カルヴァンはルカかクレメンスを推定し、他にもバルナバやシラスなど様々な説が立てられました。しかし、現代に至るまで決定的な説はありません。

 著者の名は知ることができませんが、その人物像は本書の文体や内容から、ある程度描くことができます。高度なギリシア語能力と旧約聖書の深い理解から、著者は教養の高いヘレニスト・ユダヤ人(ギリシア語を用いるディアスポラのユダヤ人)であると見られます。著者はおそらくヘブライ語はできず、聖書はいつも七十人訳ギリシア語聖書を用いています。その聖書解釈は、アレクサンドリアのフィロンの流れにあることをうかがわせます。著者は、アレクサンドリアのヘレニスト・ユダヤ人の教養を深く身につけた人物であり、おそらくパウロの活動圏でキリストの福音に接し、信仰に入った人物であろうと考えられます。ヘブライ書は、細かい点ではパウロとの違いも多々ありますが、基本的にはパウロの信仰を継承しており、パウロの影響抜きにはその成立が考えられません。しかもその論述は、パウロおよびヨハネ福音書と並んで、新約聖書における三つの大きな神学構想の一つであるとされます。その意味で、この手紙はパウロの名によって書かれたものではありませんが、パウロ以後の福音の姿を追求するにさいして、取り上げなければならない文書の一つとなります。

 では、なぜ著者はパウロの名を用いてこの書簡を書かなかったのでしょうか。それについてタイセンは、その著『新約聖書』で、テモテに言及する一三・二三の文言を次のように説明しています。

 「それはこのパウロに最も近かった同労者の名(テモテ)が手がかりになって、パウロ自身との関係が生じるだろうということである。これも偽名の著者を想定させるやり方なのだが、この手紙の本当の著者はあまりにも教養がありすぎて、自分ではあけすけに偽名をかかげるようなぶざまなことはできない。というわけで、読者自身がその偽名関係を読解しなければならない形になっているのである」。

 そうだとすると、最初に差出人の名を出さないのは意図的であることになります。著者の意図がそうであったのかどうかはともかく、結果としては本書は一〇〇〇年以上も、隠された形での「パウロの名による書簡」として通ってきたことになります。

 

ヘブライ書の性格と構成

 著者は結びのところで、自分が書き送った手紙についてこう言っています。
 「わたしはあなたたちに勧めます。兄弟たちよ、どうかこの勧告の言葉を受け容れてください。実際、わたしは手短に手紙で書き送ったのですから」(一三・二二私訳)。

 著者はこの手紙を「勧告の言葉」と呼んでいます。この表現は、この文書の性格をよく示しています。この手紙の実質は「勧告の言葉」です。実際の信仰生活の中で、様々な困難や誘惑に遭遇している信徒たちに、キリスト信仰に固く立つように励まし、情理を尽くして説き勧める説教です。そのさい、著者はまず自分たちが信じているキリストがいかに優れた方であり、頼るに値する方であるかを明らかにした後、キリストがこのような方であるから、このキリストに従い、信じ抜いて困難に立ち向かい、誘惑に打ち勝つように説き勧めます。このキリストの告知と実際的な勧告が交代で現れ、両者が緊密に織り合わされていることが本書の構成上の特色です。

 今回はヘブライ書の内容を節を追って詳しく講解することはできませんので、まずその勧告の概要を見て(第二節)、その後で著者のキリスト信仰とその告知の特色をまとめ(第三節)、「パウロ以後のキリストの福音」探求の一章といたします。

 


        第二節 ヘブライ書の使信と勧告

 

はじめに ― ヘブライ書の主要関心事

 ヘブライ書は、その全体にさっと目を通すだけで分かることですが、わたしたちには大祭司であるイエス・キリストがいますことを説くことがその主要関心事です。イエス・キリストがどのような意味でわたしたちの大祭司であるのかを説く部分が、本書の本体部を構成します。その部分は四・一四から始まり、一〇・一八まで続いています。この本体部に入る前に、導入的な役割の序論部(一・一〜四・一三)があり、本体部の後にその帰結としての実践的な勧告(一〇・一九以下)が続きます。この三つが本書の主要区分ですが、それぞれの区分の中にキリストの告白と実践的勧告が緊密に織り込まれているのでその構成が複雑に見えます。しかし、本書の主要関心事を理解しますと、この三つの主要区分を見分けることは、比較的容易であると思われます。
 古代の宗教には必ず神殿とそこで行われる供犠があり、それを行う祭司がいました。祭司階級を大祭司で代表させると、古代宗教には必ず神殿と祭儀と大祭司があったと言えます。この三つを欠く宗教はありませんでした。ところが、キリスト教徒だけは神殿も供犠も大祭司もない信仰生活を送っています。これは人間の宗教的本性から見ると異様な事態です。著者は、この異様な事態が実は人間にとってもっとも優れた道であることを説いて、キリスト者を励まします。

 キリストに属する民にも神殿があります。天と地を含む全宇宙がわたしたちの神殿です。わたしたちにも大祭司がおられます。イエス・キリストこそ天の聖所に入られた大祭司です。その大祭司キリストは、聖所に入られるとき永遠の供犠を献げられたのであって、その血による一度限りの供犠は他のすべての供犠に優り、一切の供犠を完成し廃棄するもであることが説かれます。とくにユダヤ教の祭儀制と較べて、大祭司イエス・キリストが完成された祭儀がいかに優れるものであるかが強調されます。
 本節では、この主要関心事によって分けられる三つの主要区分に従って、その勧告の概要を見ていきます。聖書の本文は、小見出しにその箇所をあげるだけにして、その段落の内容を簡単にまとめ、全体の勧告の流れを概観します(段落分けと段落の名称は新共同訳と異なる場合があります)。


    1 導入部(一・一〜四・一三)

御子による啓示(一・一〜三)

 著者は冒頭、御子であるキリストによる啓示と救済が究極的なものであることを高らかに宣言します。この冒頭の三節には、著者が継承した当時のエクレシアのキリスト告白が凝縮してます。

 福音は最初期からイエス・キリストの出来事は「終わりの日」の到来であることを宣べ伝えてきました。イエス・キリストの出来事は、神が「かって預言者たちにより、様々な形と仕方で、先祖たちに(イスラエルはキリストの民の先祖でもあります)語ってこられた」ことの成就であり、世界に対する神の最終的な語りかけ(啓示の言葉)であると宣言してきました。著者は、勧告の冒頭にそれを掲げて、これからキリストに基づいてする勧告の究極性を印象づけます。

 続いて、神が世界に最終的に語りかけられた言葉である「御子」がどのような方であるかが述べられます。「神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着になりました」という文は、内容的にはコロサイ書一章一五〜二〇にあるキリスト賛歌とほとんど同じです。ただ、コロサイ書ではキリストの十字架の死による「和解」が語られていましたが、ここでは「罪(複数形)の清め」となっていることが注目されます。

 これは、さらに古いフィリピ書(二・六〜一一)のキリスト賛歌をも思い起こさせます。フィリピ書のキリスト賛歌(パウロの時代)では、キリストの死と復活による救済の働きが中心でしたが、パウロ以後になると、コロサイ書や本書のように、創造におけるキリストの役割と位置が語られるようになり、さらに「神の本質の完全な現れ」という理解が正面に出てきます。こうして、著者は冒頭にヘレニズム世界のキリストの民の間で広く唱えられているキリスト賛歌(=キリスト告白)を引用して、自分の勧告の土台とします。

 

御子は天使に優る(一・四〜一四)

 続いて、キリストは「御子」であるのだから天使よりも優れた方であることが、聖書の箇所を引いて論証されます。フィリピ書では、万物を超える優れた名は「主《キュリオス》」でしたが、コロサイ書や本書では「御子」という名になります。
 著者は、御子と天使に関する聖書の言葉を引用して、御子が天使に優る方であることを論証します。しかし、天使に関する聖書の箇所は一箇所(一・七)だけで、他はみな御子に向かって語られた言葉です。時にはそれを「天使のだれに、このように言われたでしょうか」という形で引用して(一・五、一・一三)、御子が天使に優ることを論証します。

 ここには旧約聖書の七箇所が引用されています。その引用箇所は順に、1詩篇二・七、2サムエル記下七・一四、3申命記三二・四三(または詩篇九七・七)、4詩篇一〇四・四、5詩篇四五・七〜八、6詩篇一〇二・二六〜二八、7詩篇一一〇・一です。

 このように、聖書によって御子と天使の違いを際だたせた上で、「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされた」者たちであると、著者は結論します(一・一四)。これはヘレニズム世界の人々が陥りやすい天使礼拝を戒め(コロサイ二・八)、キリストを天使であるかのように拝む誤り(これではキリストは被造者になります)を防ぎ、御子であるキリストによる救いがいかに尊いものであるかを示し、次の勧告・奨励の前置きとなります。

 

厳粛な福音(二・一〜四)

 このように御子が天使にはるかに優ることを強調したのは、天使を通して語られた言葉に対する違反が罰を受けたのであれば、御子によって語られた救いの言葉をないがしろにすることがどれほど重大な神への背きになるかを印象づけるためでした。
 当時のユダヤ教では、モーセ律法は「天使たちを通し、仲介者の手を経て制定されたもの」と理解されていました(ガラテヤ三・二九、使徒七・三八と五三)。そのモーセ律法には、違反に対する厳しい処罰が定められていました。御子は天使にはるかに優る方であるから、御子によってこの終わりの時に最終的に語られた救いの言葉、すなわち福音の言葉は、モーセ律法に対するよりもはるかに真剣に、厳粛に対さなければならない、と著者は警告します。

 わたしたちが受けたこの「大いなる救い」は、最初主イエスご自身によって語られ、それを聞いた人々、すなわち使徒たちからわたしたちに伝えられ確証された、と著者は言っています。本書の著者と読者は、使徒たちから福音を聞いて信仰に入った世代、すなわち第二世代のキリスト者であることになります。しかし、彼らは伝え聞いた報知を信じているだけでなく、現にいま「神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇蹟、御心のままになされる聖霊の分与によって証ししておられる」のです。
 わたしたち第二世代以降のキリスト者は、使徒たちが伝えるイエス・キリストの報知(それが新約聖書です)を聞いて信じています。しかしただ伝え聞いた伝承を信じているのではなく、信じる者に与えられる聖霊の内なる証言が、それを確証してくださいます。外にある伝承と奇蹟、そして内にある聖霊の確証、これが信仰を形成します。

 

人となられた御子(二・五〜一八)

 続いて、御子が天使に優ることが、「神は来るべき世界を天使たちに従わせなかった」事実から論じられます。天使たちに従わせたのでなければ、誰に従わせたのか。それは当然御子ですが、それを論証する聖書の言葉から、著者は御子が人間となられた意義を論じ、人間となられた御子こそが「救いの創始者」(あるいは導師)であり、大祭司となるにふさわしい方であると、主題の「大祭司キリスト」への巧みな導入とします。

 「来るべき世界」は、「来るべき《アイオーン》」(六・五)と同じで、神の救済と栄光が完全に実現する終末の事態を指しています。その世界が復活して高く上げられたキリストに従うようになることを語る聖書の箇所は他にも多くありますが、著者はここであえて詩篇八・五〜七を引用します。

 この詩篇は本来「神に僅かに劣るものとして造られた」人間の宇宙(自然界)における尊い地位を謳う人間賛歌ですが、著者はそれを、「わずかの間」天使たちよりも低いものとされ人間の姿を取られた御子が、地上のしばらくの間の苦難の後、高く天に引き上げられて栄光の座に着かれ、万物を支配する方となられた(フィリピ二・六〜一一)ことを預言する神の言葉として引用します。詩篇の「僅か(の程度)に」というギリシア語は、「僅かの間」をも意味する単語です。

 ここで「天使たちよりも、わずかの間、低いものとされたイエス」という形で、本書では初めてイエスの名が出て来ます(二・九)。著者がここまで語ってきた「天使よりもはるかに優る御子」は、地上でわたしたち人間と同じ姿で歩み、同じ試練と苦難を味わわれた方イエスに他ならないことが強調されます。イエスがわたしたちと同じ人間であることが、イエスがわたしたちを「兄弟」と呼ばれたとして、それが聖書(詩篇二二・二三)によって確認され、さらに独特の聖書引用(イザヤ八・一七と一八)で補強されます。
 栄光の御子である方が「血肉を備えた」わたしたちと同じ人間になって、あらゆる試練と苦難を味わってくださったからこそ、弱い人間の苦しみが分かる「憐れみ深い、忠実な大祭司」として、わたしたちを神の前に執り成してくださることができるのです。大祭司は、神の前に立つ神聖さと、執り成しをする民と同じ立場に立つ両面が求められます。人となられた神の御子であるイエスこそ、その資格をもつ大祭司です。

 人となられた御子であるイエスが、わたしたち人間のためになしてくださった究極の出来事は、イエスが「すべての人のために死んでくださった」、あの十字架の出来事です。イエスは、「御自分の死によって、死をつかさどる者、すなわち悪魔を滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放」してくださったのです。この点は、後でさらに詳しく大祭司による贖罪の業として取り扱われますが、ここでは御子が人となり、イエスとして地上の働きをしてくださった事実が強調され、大祭司キリストへの導入とされています。

 

モーセに優るイエス(三・一〜六)

 わたしたちと同じ人間として地上を歩まれたイエスが、実は天使に優る御子であることを論じた著者は、続いて、同じく人間として働き、人間の中で最高の神の人として崇められているモーセと較べても、イエスは彼をはるかに超える方であることを論証します。

 たしかにモーセは神の家全体に忠実な偉大な預言者でした。しかし、イエスはその家を建てた方ご自身に忠実な大祭司ですから、家を建てた者が家自体よりも尊ばれるように、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるにふさわしい方とされます。さらに、モーセは、従僕として忠実に「将来語られるはずのこと」を証ししましたが、キリストは家の相続人である息子として、家の上に立つ方です。このように、あの偉大なモーセに較べても、キリストであるイエスは遙かに優る方であることが論証されます。


神の安息 (三・七〜四・一三)

 先の段落の最後の、「もし確信と希望の誇りを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです」という結びの言葉を受けて、神の家に属する者たちが確信を持ち続け、それによって神の安息に入るように励ます奨励が続きます。

 まず、その安息に入ることを妨げる不信仰の恐ろしさが警告されます(三・七〜一九)。著者は詩篇九五・七〜一一を引用して、聞いた御言葉に対して心をかたくなにしないように、その結果の恐ろしさを示して警告します。詩篇九五編は、万物の創造者であり支配者である主によって救われた民の幸せを賛美する詩篇ですが、その後半部で、荒野で主を試みて約束の地に入ることができなかった出エジプトの時の出来事を先例として、イスラエルの民に「今日こそ、主の声に聴き従わなければならない」と、その救いを失わないように警告しています。著者は、その後半部を引用して、ともすれば福音の言葉によって聞いている来るべき世で栄光と安息にあずかるという約束を信じ切れず、この世の安楽に立ち戻ろうとする兄弟たちに、「最初の確信を最後までしっかりと持ち続ける」ように励まします。詩篇も言っているように、「今日」こそ、神の約束の言葉を聴き、その言葉に聴き従うように呼びかけられている日なのです。荒野の日も、この詩篇が歌われた日も、ヘブライ書の読者がこの句を目にした日も、そして現代にこの書を読むわたしたちの日も、みなこの「今日」なのです。わたしたちが生きている一日一日が「今日」なのです。

 不信仰によって神が「わたしの安息」と言われる安息、すなわち神の安息に入ることができなくなることを警告した著者は、続いて、信じる者にはこの神の安息に入る約束が残っていることを、聖書によって論じて、信仰を励まします(四・一〜一〇)。創世記(二・二)に、天と地を創造した後、「神は七日目にすべての業を終えて休まれた」とあります。ところが、先の詩篇では「彼らを決してわたしの安息にあずからせない」と言われています。すると、「この安息にあずかるはずの人々がまだ(別に)残っていることになる」という論理で、ヨシュアからずっと後の時代の人々に「今日」御言葉に聴き従うようにと呼びかけられているのだとします。ヨシュアが民をカナンの地に導き入れたのが安息であるならば、その後にこのような呼びかけはないはずだから、この呼びかけは「今日」この勧めの言葉を聴いている読者一人ひとりに向けられた、さらに優る安息への呼びかけであるというわけです。こう言って、自分の働きすべてを休む終末的な「神の安息」に、信仰によってあずかるように呼びかけます。著者においては、神の安息は終末における神の栄光の完成と同じです。

 最後(四・一一〜一三)に、この安息にあずかるように努めよと促し、その理由として、両刃の剣よりも鋭い神の言葉によって、心の思いの奥底までも神の前に顕わになるのだからと述べて、この奨励を締め括ります。


    2  大祭司キリスト(四・一四〜一〇・一八)

われらに大祭司イエスあり(四・一四〜五・一〇)

 共通のキリスト告白(一・一〜三)から出発し、聖書に基づく議論と実際的な勧告を織り交ぜて導入部を書いてきた著者は、ここで本題を出します。

 「さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」(四・一四)。

 大祭司は、民を代表して神の前に出て、供犠を行い、民を執り成し、民を神に受け容れられるようにする務めを果たします。古代では、どの民の宗教にも大祭司がいて、この役目を果たしています。キリストの民には、神殿はなく、供犠の制度もなく、大祭司もいないように見えますが、実は究極の供犠を行い、至高の天の御位にいます神の前に出て、民を執り成していてくださる大祭司がおられるのです。その大祭司の偉大さは、この主要部(四・一〇〜一〇・一八)全体で詳しく語られることになりますが、この段落ではわたしたち人間と同じ弱さを担う一人の人イエスが、この大祭司として立てられたという事実が取り上げられます。

 イエスがわたしたちと同じ試練を体験された一人の人であることが強調された後(四・一四〜一六)、そのイエスが神によって大祭司として立てられたことが、聖書の二箇所(詩篇の二・七と一一〇・四)を論拠として語られます(五・一〜六)。詩篇二・七は、初期の教団ではいつもメシア預言として引用されていましたが、これをイエスの大祭司職への任命としていることに、著者の独自性が見られます。しかも、大祭司としてのイエスの地位が「メルキゼデクと等しい祭司」(第二の引用)とされていることは、その意義が後で詳しく議論されますが(七章)、著者にとっては重要なキリストの一面です。

 続いて、こうして神に任命された大祭司が、「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら祈り」、「多くの苦しみによって従順を学ばれた」現実の人間であることが、再び強調されます(五・七〜一〇)。この箇所の主語はいつも「キリスト」です。先には、わたしたちと同じ人間である「イエス」が大祭司職に任命されたことが語られましたが、ここでは栄光の座にあげられた御子であるキリストが、「肉において生きておられたとき」、このように人間の弱さを共にしてくださった方であることが描かれます。神による大祭司職への任命を中にして、その前と後では視点が変わり、見る方向が逆になっています。キリストがそのような方であるからこそ、キリストがすべての人間にとって「永遠の救いの源」となってくださるのです。

 

キリスト者の成熟(五・一一〜六・二〇)

 このように主題を掲げた著者は、いよいよ本題を論じようとしますが、その前に、それを理解できるようになるために、聴く者の成熟を促します。

 著者は、この手紙で語りかけている人たちが、これから語ろうとする高度なキリストの奥義(メルキゼデクに等しい大祭司キリスト)を理解することができないのではないかと心配し、それを「固い食物」を消化することができない「乳飲み子」の比喩を用いて語ります(五・一一〜一四)。パウロも同じような心配を「乳飲み子」という同じ比喩で語っています(コリントT三・一〜三)。

 このような心配がある人たちに対して、著者は「キリストの初歩の言葉を離れて、成熟を目指して進みましょう」と励まします(六・一〜三)。ここで「キリストの初歩の言葉」の内容が列挙されています。それは「死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教え」です。「死んだ行い」というのは、生ける神に背く偶像礼拝によって規定された生活を指しています。「神への信仰」はもちろん天地の創造者なる唯一の神への信仰です。この神は、終わりの日に死者を復活させ、最後の審判を行われる神、すなわち終わりの日の完成を目指して歴史を支配される神、救済史的な唯一神です。この諸項目は、この時代の異邦人への福音宣教の内容をまとめています。パウロも異邦人に福音を宣べ伝えるとき、このような内容を教えたことが確認できます(テサロニケT一・九〜一〇)。このことから、この手紙がユダヤ人ではなく異邦人の読者に宛てられたものであることが分かります。ユダヤ人には、改めてこのようなことを教える必要はありません。

 成熟を目指して進もうという励ましが、その裏側の停滞と後退の危険を語ることで強調されます(六・四〜八)。停滞は後退と墜落の危険をはらんでいます。「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら」、さらに深い理解を求めて精進しないならば、その弛緩の隙に乗して誘惑が忍び込み、信仰から落ちてしまう危険があります。著者は、「その後に堕落した者」は「神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だから」赦されることはない、と厳しい態度をとり、それを農作物の比喩で語ります。この二度目の悔い改めを認めない厳しい姿勢は、後の教会史で大きな論争の種となります。

 このように厳しい姿勢をとりながら、著者は読者には将来に大きな希望があるという確信を語ります(六・九〜一二)。神は正しい方であるから、彼らが聖徒たちに示した愛(ローマの信徒たちは援助の働きで有名でした)をお忘れになることはなく、来るべき日の救いのために備えをしてくださっているのだから、最後まで希望を持ち続けるように励まします。

 そして、その希望を持つことができる根拠は神の確かな約束であることを、改めて思い起こさせます(六・一三〜二〇)。旧約聖書の救済史の物語は、神が約束され、時満ちてそれを実現されるという構造で進んでいきますが、その典型はアブラハム物語です。著者もアブラハムの場合を引用しますが、彼に与えられた多くの約束の中で、「わたしは自らにかけて誓う」と誓いが加えられた場合(創世記二二一六〜一七)を取り上げます。人間の間では論争にきりをつけるために、自分よりも偉大な者にかけて誓うのですが、神は御自身よりも偉大な者がないので、御自身にかけて誓い、その約束が変わらないものであることを保証されました。わたしたちはこの「二つの不変の事柄」、すなわち神の約束と誓いを根拠として、世を逃れて永遠の御国を目指す希望に生きるようになったのです。この希望は、船が海流に漂わないように所定の位置につなぎ止める錨のように、わたしたちの魂を永遠の御国につなぐものです。つなぎ止めるだけでなく、この希望は「至聖所の垂れ幕の内側に入る」ものであることが付け加えられ、イエスこそ先駆者としてそこに入られた方であることが語られ、五・一〇の後しばらく放置されていた「メルキゼデクの位の大祭司イエス」という著者独自の主題が帰ってきます。

 

メルキゼデクの位の大祭司イエス(七・一〜二八)

 メルキゼデクという名は、全旧約聖書の中でただの二箇所に出てくるだけです(創世記一四・一八と詩編一一〇・四)。そこで語られている僅かのことと語られていない多くのことを用いて、著者はイエスが「メルキゼデクの位の大祭司」であるということの意味を、七章全体で説きます。その内容と議論の仕方は、ユダヤ人としての著者の独自性が強く出ています。

 まず、聖書にメルキゼデクが登場する唯一の箇所(創世記一四・一七〜二四)を用いて、彼がどのような人物であったのかを説明します(七・一〜三)。その名前の意味を説明しているところは、読者がヘブライ語を知らない異邦人であることを示しています。聖書のその箇所には、彼が戦いから帰ってきたアブラハムを出迎えて祝福したことが述べられているだけで、彼の生涯については何も語られていません。他にも彼について触れている記事はありません。この書かれていないことを根拠にして、「彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また生涯の初めもなく、命の終わりもなく」と意義づけるのは、現代人にはついて行けない感じがします。しかし、著者は聖書の沈黙を根拠にして議論を立ているのではなく、方向が逆で、永遠の神の子であるイエスの予型として、そういうことが何も書かれていないメルキゼデクを用いているのです。それは「神の子に似た者であって」という句に示唆されています。著者が言いたいのは、イエスが「永遠に祭司である」ということです。

 続いて著者は、メルキゼデクがレビ系の祭司に優ることを論じます。まず、アブラハムがメルキゼデクに戦利品の十分の一を献げた事実から説明します(七・四〜一〇)。レビ人は、イスラエルの祭司制の担い手として他の部族から十分の一を受けるように定められていました(民数記一八・二一以下)。そのレビが、アブラハムがメルキゼデクに十分の一を献げたとき、(レビはこの父祖の腰の中にいたので=子孫として含まれていたので)メルキゼデクに献げたことになります。上の者が下の者から献げ物を受けて祝福するのですから、レビの血統でないメルキゼデクは、レビ系の祭司たちよりも偉大な祭司であることになります。
 次に著者は、レビ系の祭司制が民を完全にすることができなかったので、アロンの位の大祭司に代わって、まったく別の祭司制として「メルキゼデクの位の大祭司」が立てられなければならなかったことを論じます(七・一一〜一九)。もともと律法は祭司による執行に依存して民に与えられているものですから、祭司制が変われば律法もそれと一体なるものとして変わることになります。この原則に基づいて、大祭司アロンに代表されるレビ系祭司制に依存するモーセ律法は、神の子イエスが「メルキゼデクの位の大祭司」として立てられたとき、廃止されたことになるとされます。イエスは明らかにレビ族ではなくユダ族の出身ですから、レビ系の祭司とは別の大祭司です。

 ここでもう一度詩編一一〇・四が引用され、イエスが「肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって」メルキゼデクの位の大祭司として立てられたことが確認されます。メルキゼデクの名が出てくるのは創世記の箇所以外はここだけですが、レビ系の祭司制が確立していたイスラエルの時代にこのような非レビ系祭司の出現が預言されていたことは重大な意味があります。パウロにとって創世記一五・六がそうであったように、著者にとってはこの聖句がすべての議論の土台石です。立論の仕方は違いますが、著者はパウロと同様、イエス・キリストの出現によってモーセ律法は「弱くて無益なために」廃止されたことを宣言しています。著者にとっても、「キリストは律法の終わりとなられた」のです。ただ、パウロは神殿崩壊前の時代にモーセ律法を絶対化しているユダヤ人に向かって命がけの戦いをしたのに対して、著者の時代の異邦人宣教においては既成の事実となっていたことが大きな違いです。

 さらに、詩編一一〇・四が引用されて、この「メルキゼデクの位の大祭司イエス」は神の誓いによって祭司とされたことにおいて、誓いなしで祭司とされたレビ系の祭司より優っていることが論じられます(七・二〇〜二五)。また、レビ系の祭司は死ぬので多くの人が次々に祭司に任じられましたが、復活者イエスは永遠に生きておられるので、ただ一人で変わることなく祭司の務めを果たされる大祭司であることが示されます。そういう大祭司として、イエスは「いっそう優れた契約」の保証となられたことが言及され、以下の契約に関する大きな議論の導入となっています。
 最後に、これまで大祭司としてのイエスについて述べてきたことをまとめて、大祭司イエス・キリストへの賛美がなされます(七・二六〜二八)。この賛美は同時に、八章から始まる大祭司イエス・キリストに関する大きな議論の前置きになっています。

 

さらに優る契約の仲保者(八・一〜一三)

 七章で「メルキゼデクの位の大祭司」としてのイエスの地位が、旧約聖書の祭司制と比べていかに優れたものであるかが示された後を受けて、八章ではこの大祭司イエスが祭儀を行う場所がいかに優れたものであるかが論じられ(八・一〜五)、同時に大祭司イエスを仲保者として保証される契約(神と民とを結びつける契約)が、モーセ契約と比べていかに優れているかが示されます(八・六〜一三)。

 まず著者自身によって本書全体の「要点」が示されます。それは「わたしたちにはこのような大祭司があること」です。イエスが地上の一人の人間であるかぎり、地上には「律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上祭司ではありえなかった」のです。しかし、イエスは復活して高く挙げられ、「天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で仕えておられる」のです。モーセ律法に定められている地上の幕屋とか聖所は、今大祭司イエスが仕えておられる天にある聖所の写しであり影に過ぎないのです。今復活者イエスが仕えておられる天の聖所こそ、型《テュポス》に過ぎない地上の聖所の本体、「真の幕屋」なのです。

 この地上の聖所と大祭司イエスが仕えておられる天の聖所での祭司の務めの違いは、九章で詳しく述べられることになりますが、ここでは優れた聖所で仕える優れた務めの大祭司が仲保者となって保証する「契約」が、「あの最初の契約」すなわちモーセ契約に比べていかに優る質のものであるかが述べられます。そのために著者は、エレミヤのあの「新しい契約」の預言(エレミヤ三一・三一〜三四)を引用します。

 著者はこの預言の前半(三一〜三二節)を引用して、新しい契約が与えられるということ自体、それまでの契約が欠けたところのあるものであることを示しており、事実この預言で主はこの契約の民を非難しておられるとします。その後で後半(三三〜三四節)を引用して、代わって与えられる新しい契約の質を語ります。その契約においては、契約の言葉は石の板に刻まれるのではなく、民の心に書きつけられます。そして、神の側の決定的な働きによって、民の罪が拭い去られます。このような「新しい」契約が与えられることによって、最初の契約(モーセ契約)は古び、消滅します。

 イエス・キリストの十字架と復活の出来事を、神が民と新しい契約を結ばれた出来事であるとし、それをエレミヤの預言を論拠として語るのは、初期の福音宣教共通の基本的な理解です。パウロもキリストの出来事を「新しい契約」として宣べ伝えました(コリントU三章)。著者もその共通の理解の中で語っていますが、著者の独自性はその新しい契約を、契約の仲保者(契約の両当事者の間に立って、契約を保証する人物)が新しいいっそう優れた大祭司になったことで根拠づけていることです。復活者イエス・キリストが大祭司として確立してくださった神と人との結びつきは、預言者が終わりの日に実現すると預言していた「新しい契約」という終末的事態なのです。

 

大祭司キリストの働き(九・一〜二二)

 ここで著者は、われらには大祭司キリストがいますのだという主要関心事の中で中心的な主題に入ります。すなわち、この大祭司キリストがわたしたちのためになしてくださる働きの内容です。

 著者はまず「最初の契約」、すなわちモーセ契約において神を礼拝する場所の構造を(現実の神殿ではなく旧約聖書の幕屋に関する規定から)解説します(九・一〜五、これは読者がユダヤ人であれば必要ないことです)。神を礼拝する場所としての幕屋は、第一の幕屋(聖所)と第二の幕屋(至聖所)に分かれており、それぞれに各種の用具があります。著者はそれらの用具について解説することは断念し、聖所と至聖所に分かれている構造だけを取り上げます。

 続いて、その幕屋で行われる礼拝の中で、大祭司が年に一度至聖所に入って行う祭儀の意味が解説されます(九・六〜一〇)。大祭司は年に一度至聖所に「自分自身のためと民の過失のために献げる血を携えて」入り、その血を贖罪所に注いで罪の贖いのための祭儀を行います。このような構造の幕屋で、大祭司だけが年に一度行う中心的な祭儀(レビ一六章の贖罪の日の祭儀)を解説した上で、著者は「この幕屋とは今という時の比喩《パラボレー》です」と、その意義を説きます。「今の時」とは、一・一〜三で示された「この終わりの時代」、神が御子によって最終的に語りかけ、その救いの働きを成し遂げられた時代、あるいはその終末的現実を指しています。

 パウロは創世記一〜三章のアダムを「来るべき方」キリストの《テュポス》(型)であるとしましたが(ローマ五・一四)、著者は旧約聖書の祭儀体系全体を「今の時の《パラボレー》(比喩)」とします。用語は違いますが、両者とも聖書を予型論的に解釈していると言えます。予型論というのは、旧約聖書の人物や出来事や制度などを、神が終末時に完成してくださる救いの出来事を予め指し示すための「型」とする聖書解釈の方法です。著者はこの予型論の方法を駆使して、大祭司キリストの働きがどのような質のものであるかを説きます(九・一一〜一四)。この箇所は著者の本領がもっとも遺憾なく発揮された箇所であり、本書全体の白眉です。

 キリストが大祭司として果たしてくださる働きを述べる前に、地上の幕屋で仕える祭司制とその働きが比較の対象として述べられていました(九・一〜一〇)。地上の幕屋では各種の供え物といけにえが献げられます。大祭司も年に一度「自分自身のためと民の過失のために献げる血を携えて」至聖所に入り、その血を贖罪所に注いで罪の贖いのための祭儀を行います。しかし、これらの祭儀はただ食べ物や飲み物や種々の洗い清めに関するものであって、「礼拝をする者の良心を完全にすることができない」もの、「新しい秩序が到来する時まで」課せられた肉の規定に過ぎないことを明らかにした上で、これと比べて大祭司キリストははるかに優る働きをしてくださったのだと、「けれども」で始まる新しい段落で、その違いを説きます。

 「けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」(九・一一〜一二)。

 ここまで詳しく旧約聖書の祭儀制の解説を聞いた上でこの言葉を聞くとき、著者が言おうとしていることは明白に理解することができます。著者はキリストの十字架の出来事が、旧約聖書の祭儀制が予型として指し示していた「永遠の贖い」であると説いているのです。復活して高く挙げられ、神の御前の出た大祭司は、同時に罪の贖いのために屠られる犠牲でもあったのです。その贖いは、犠牲の動物の血ではなく、「御子の血による贖い」であるので「永遠の贖い」となるのです。その消息が続いて語られます。

 「なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、まして、永遠の御霊によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか」(九・一三〜一四)。

 先に地上の幕屋で行われる祭儀が「礼拝をする者の良心を完全にすることができない」ものとされていました。そこで注がれる動物の血は「身を清める」だけでしたが、それに対して、キリストの血はわたしたちの「良心を清める」ものとされます。ここで「良心を清める」とは、表面の行動ではなく、人間の心の奥底まで変革して、神に受け入れられ、神と共に生きる存在にすることを意味しています。著者は常にこのような「完全」を求め、読者を励ましています。

 この「御子の血による贖い」の意義について著者はすぐに詳しく説明することになりますが(九・二三以下)、その前に御子の血が「契約の血」であることが語られます(九・一五〜二二)。著者は遺言(ギリシア語では契約と同語)の場合を比喩として用いて(パウロもガラテヤ書で遺言の比喩を用いています)、契約には血が必要であることを説明します。ここで血は死を象徴しています。そして、出エジプト記二四章を用いてモーセ契約も血を注いで契約が成立したことを思い起こさせて、血を流して死なれたキリストは、「新しい契約の仲保者」(契約を成立させ保証する方)であることが確認されます。その上で、旧約聖書の祭儀における動物の血が人や器具を清める血であったように、キリストの血は罪を清める血であることに戻ってきて、二三節以下の「贖い」の話題に入ります。

 

御子による究極の贖い(九・二三〜一〇・一八)

 「血による贖い」の思想は、著者独自のものではなく、旧約聖書の祭儀制の中心思想であり、ユダヤ人がみな共有している思想です。いや、どの民族の宗教にもある共通の思想でしょう。旧約聖書では「贖い」は二つの意味で用いられています。すなわち、一つは人を捕虜や奴隷など拘束された状態から解放すること、他の一つは罪を拭い去って破壊された交わりを回復することです。「血による贖い」は後者の意味で、犠牲の血によって人の罪がぬぐい取られて、神との交わりが回復することを意味しています。この場合の「罪を贖う」は「罪を清める」とほぼ同じ意味になります。新約聖書では二つの用法が重なり、「罪を清めて、人を罪の支配力から解放する」という意味で、「贖い」の一語で語られるようになります。

 著者は、大祭司キリストが成し遂げてくださった「贖い」の働きを、「罪を拭い去って(=清めて)神との交わりを回復する」働きと見て、この段落でその一回性と究極性を強調します。

 まず、地上の幕屋に仕える大祭司は年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入りますが、それに対して天上の幕屋で仕える大祭司キリストは、「世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださった」という対比が取り上げられます(九・二三〜二八)。一回限りの出来事であることは、それが最終的な贖いであること、究極の贖いであることを意味しています。

 そのことがさらに詳しく、旧約聖書の祭儀と比較して論じられます(一〇・一〜一八)。そもそもモーセ律法は「やがて来る良いこと(終末時の救いの実現)」を指し示す「影」に過ぎず、その「実体」ではないのです。影ですから、年ごとに繰り返し献げられる(あの贖罪日の雄牛や雄山羊の)いけにえは、罪を取り除いて、人を完全な者にすることができません。それが繰り返されること自体が、それができないことを示しています。もしできたら「罪の自覚がなくなり」、もはや供犠は必要でなくなるはずです。繰り返されるのは、それらの供犠は罪を取り除くことはできず、ただ罪の記憶をよみがえらせるだけです(一〜四節)。

 それに対して大祭司キリストは、「罪のために唯一のいきにえを献げて」神の聖前に出られたのですから、それ以外の供犠はもはや必要でありません。キリストは唯一の献げ物(御自身の血)によって、人を永遠に完全な者とされるのです。キリストがその血によって成し遂げられた贖いは、究極の贖いであり、それ以外のものを廃止するのです(一一〜一四節)。

 このことを著者は聖書を根拠にして論証します(五〜一〇節)。著者は詩篇四〇・七〜九を引用します。ヘブライ語聖書では「ただ、わたしの耳を開いてくださいました」とあるところが、七十人訳ギリシア語聖書では「むしろ、わたそのために体を備えてくださいました」となっています。著者は七十人訳ギリシア語聖書を用い、それを先在の御子が世に来られるときに語られた言葉として引用し、それに著者の解釈を加えます。この引用の前半で神が献げ物やいけにえを好まれなかったとあるのは、「第二のもの(後半の御心を行うために来られたキリストによって成されたただ一回の贖い)を立てるために、最初のもの(モーセ律法による供犠)を廃止される」ことの預言であるとされます。

 著者は、当時のユダヤ教の律法学者や知者たちが用いた典型的な聖書解釈の方法を駆使して、大祭司キリストの贖いが旧約聖書の祭儀制度を廃止するという主張を論証しています。この論証の仕方は、パウロが律法とは別に神の義が現されたという主張を論証するために律法(聖書)を用いている(ローマ書四章)のと同じです。

 最後にもう一度あのエレミヤの「新しい契約」の預言が引用されて、キリストが成し遂げられた究極の贖いにより罪の赦しがすでにあるのだから、罪を贖うための他の祭儀はもはや必要でないことが確認されます(一五〜一八節)。

    3  実践的帰結(一〇・一九〜一三・二五)

信仰を貫こう(一〇・一九〜三九)

 主要部で、わたしたちには永遠の贖いを成し遂げてくださった大祭司キリストがいますことを述べた著者は、それを受けてここから、このような大祭司がいますのであるから、信仰の生涯を全うしようではないかと呼びかけ、実践的な勧告に入ります。
 最初に、イエスがその血によって切り開いてくださった「新しい生きた道」を通って至聖所に入り、神に近づき、「公に言い表している信仰」を貫こうではないかと呼びかけます(一〇・一九〜二五)。内面においては、大祭司キリストの贖罪の業によって「心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われて」いるのですから、「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」となります。そして、実際の信仰生活においては、「約束してくださったのは信実な方である」ことを根拠にして「希望のホモロギア」(この表現については後述)を揺るぎなく保ち、「互いに愛と善行に励むように」励まします。そして、「かの日が近づいている」、すなわち主の来臨の日が迫っていることを思い起こさせて、「集会を怠ったりせず、ますます励まし合う」ように強く勧めます。これは、パウロがその実践的勧告を主の日が近づいていることで根拠づけている(ローマ一三・一一〜一四)のと同じです。

 続いて著者は、「真理の知識を受けた後に故意に罪を犯し続ける」者に対する厳しい裁きを描いて、恩恵の場に生きることの厳粛さを思い起こさせます(一〇・二六〜三一)。キリストの贖罪はただ一度、永遠に成し遂げられたものですから、その贖罪の場に入れられながら、なお罪を犯し続けるならば、もはや二度目の赦しはありえないのです。そのような罪の行為は「神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する」ことだとし、その重大さが、モーセ律法を破る者に対する厳しい処罰を引き合いに出し、聖書(申命記三二・三五と三六)を引用して強調されます。このような警告はすでに以前になされていましたが(六・四〜八)、最後の勧告において繰り返されます。

 信仰に背くことの重大さを強調した上で、著者は読者たちが以前の迫害(30頁参照)の時に見せた「苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのこと」を思い起こさせて、あの時と同じように、これからも約束のものを受けるのには忍耐が必要であることを説きます(一〇・三二〜三九)。ここでも著者は聖書(イザヤ二六・二〇、ハバクク二・三と四、いずれも七十人訳ギリシア語聖書から)を引用して励まします。「わたしの正しい者は信仰によって生きる」というハバククの言葉は、パウロも信仰による義の聖書証明として引用していますが、パウロの場合のように律法の行為に対立する信仰ではなく、著者の場合は「信仰」が約束への忠実さという原意に近い意味で引用されています。著者はこの言葉を用いて、「ひるんで(=約束を信じ切れないで)滅びる者ではなく、信仰によって(=約束を信じ抜いて)命を確保する者」になろうと呼びかけます。その上で、「信仰」によって命を得た先人たちの実例を列挙して(次章)、読者を励まします。

 

信仰の先達たち(一一・一〜四〇)

 一一章で信仰の先達たちの事例を列挙する前に、著者はまず「信仰」とは何かを説明します。著者は、「信仰とは、望んでいる事柄の《ヒュポスタシス》であり、見ていない事態の《エレンコス》である」とします(一節)。「信仰」を説明する二つの句は対句をなした並行表現です。「望んでいる事柄」と「見ていない事態」(共に複数)は、両方とも神によって約束された終末の栄光の事態を指しています。

 《ヒュポスタシス》は、もともと「下に立つ」という意味の語形から出たもので「根底にあって支えるもの」という原意です。それは「確信、確証」という意味にも用いられますが、哲学的な用語として「実質、実体、本質」という意味にも用いられる語です(一・三はこの用例)。ここでは「確信」というような主観的なものではなく、後者に近い意味で、「保証に実質を与えるもの」(とくに財産の所有権を保証する書類、土地家屋などの権利証書)を意味します。《エレンコス》は「確認、確証、非難」などの意味で用いられる語ですが、ここでは「検分済み確認書」という意味で用いられています。著者は、この二つの語をほぼ同じ意味で用いて、「信仰」についての並行表現を創り上げています。

 このような語意からだけでなく、一一章全体にあげられている信仰の実例からして、著者がいう「信仰」とは何かを理解することができます。それは、神の約束によって終わりの時に与えられると望んでいる栄光、まだ見ていない終末的な栄光の事態を確かなリアリティーとして、現在を生きる生き方に他なりません。そうすると、この生き方はパウロが「希望」と呼んだ信仰者の生き方と同じであることが分かります。著者においては、信仰と希望は一つのものです。わたしたちの信仰は「希望のホモロギア」と呼ばれることになります。このように希望と一体である信仰は、本書の著者だけでなく、初期のキリストの民の「信仰」の質を示す共通の指標です。それは、聖書の神への信仰、すなわち救済史的唯一神への信仰がもつ必然的な姿です。

 「昔の人たちは、この信仰によって神に認められました」(二節)と言って、著者は聖書に名を連ねている先人たちの実例を列挙します。その前に、「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことを悟るのです」(三節)と言います。これは、アベル以下の先人たちの実例をあげる前に、聖書の最初にある創造信仰もここでいう見えないものをリアリティーとする「信仰」の働きであることを述べています。

 四節から三八節まで、アベル、エノク、ノア、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、さらに異教徒の娼婦ラハブまで含めて、このような質の「信仰によって」歩んだ先人たちの実例が列挙されます。預言者たちをはじめその他の勇者たちについては、とうてい時間が足りないと省略されます。ヘブライ書の内容を概観するだけの本稿では、その詳細を講解することはできませんので、一人ひとりの「信仰」の姿を語ることは別の機会に譲りますが、その中に彼らの生涯の意義について著者が語っている注目すべき段落(一三〜一六節)が挿入されていますので、それについて述べておきます。

 著者はとくにアブラハムの生涯を実例として取り上げて、信仰に生きる者たちは「地上ではよそ者であり、仮住まいの者である」ことを強調しています。パウロも「わたしたちの本国は天にあります」(フィリピ三・二〇)と言っています。著者も、このような信仰に生きる者は、「天の故郷を熱望して」、地上では旅人として生きる者であることを強調してやみません。わたしの福音誌も、「天旅」という名称をここから取っています。

 このように信仰の勇士たちの実例を列挙した後、著者は「この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした」とします。それは、「神は、わたしたち(=キリストに属する民)のために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しない」からです(三九〜四〇節)。神は彼らに約束されたものをキリストにおいて実現し、それ(聖霊による終末の現実)をわたしたちに与えて下さいました。ですから、わたしたちキリストの民が信仰に生き抜いて、神の終末的栄光に達するようにならなければ、彼らの苦難に満ちた信仰の生涯はその意義を全うされないのです。そのような視点から、著者は最後に一二章以下でキリストに従う民に熱烈な激励を与えます。

 

主による鍛錬(一二・一〜一一)

 このように天の故郷を目指して旅するわたしたちの生涯を、著者は競走競技にたとえます(一二・一〜三)。競走のたとえはパウロも用いていました(コリントT九・二四、フィリピ三・一四)。競技で走る者は、すべての重荷を捨てて走ります。そのようにわたしたちも罪の重荷をかなぐり捨て、信仰の創始者であり完成者であるイエスを模範として、忍耐強く最後まで走るように、著者は励まします。

 信仰の生涯で遭遇する様々な苦難は、主から与えられる鍛錬として忍耐するように、励ましが続きます(一二・四〜一一)。著者は聖書(箴言三・一一〜一二)を引用して、実子を鍛錬する父親のように、霊の父(神)はわたしたちを御自分の神聖にあずからせるために、子として鍛錬してくださるのだと説きます。

 

神の都を目指す歩み(一二・一二〜二九)

 わたしたちの地上の生涯は、神が備えてくださった栄光の都に入るための旅路です。その旅路を全うするために、著者は「萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」と励まします(一二・一二〜一七)。そのさい、著者は一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウの例をあげて、世俗の欲に埋没して、この尊い召しを軽んじ、神の恩恵から落ちることのないように警告します。

 この旅路を励ますために、著者はキリストの民が近づいている神の都(シオンの山で象徴される)がいかに栄光に満ちたものであるかを、旧い契約の民イスラエルが近づいたシナイ山と対照して描きます(一二・一八〜二四)。イスラエルの民が近づいたのは、「燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声」に包まれたシナイ山でした。それに対してわたしたちキリストの民が近づいているのは、「シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血」です。

 このように比較対照した上で、地上で御旨を告げたモーセを拒む者が罰を逃れられなかったのであれば、天から遣わされた御子であるイエスや使徒たちが告げる御旨に背くことは、さらに重大な結果をもたらすと警告し、「もはや揺り動かされることのない御国」を受けている特権に感謝して、神に仕える歩みをするように励まします(一二・二五〜二九)。この「もはや揺り動かされることのない御国」という表現は、著者が預言(ハガイ二・六)から出た黙示思想的終末観(現在の宇宙が震われ消え去った後に永遠の御国が現れるとする終末観―マタイ二四・二九)の枠組みで思考していることを示しています。

 

実際的な訓戒と挨拶(一三・一〜二五)

 これまでの勧告を「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝し、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう」(一二・二八)と締め括った著者は、最後に神に喜ばれるように仕える道を、実際的な訓戒で示します(一三・一〜一八)。その中には、旅人や苦難にある人への思いやり、結婚生活、金銭問題、食物問題(宗教的規制)、施し、指導者への服従など、様々な実際的な訓戒が含まれています。そこでも、イエスを模範とするように説かれ、その関連で「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」という重要な言葉が出て来ます。
 最後に「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神」への頌栄が置かれて、この長い勧告の手紙が結ばれます(一三・二〇〜二一)。

 そして手紙としての結びの挨拶が加えられます(一三・二二〜二五)。この挨拶の意義については、本稿の「第一節・ヘブライ書の成立」を参照してください(とくに29頁と31頁)。

 


        第三節 ヘブライ書のキリスト信仰

 

ヘブライ書における十字架されたキリストの告知

 以上見てきたように、本書はもともと「勧めの言葉」ですが、最後に、このような勧めが出てくる源となっている著者のキリスト信仰の内容と特色をまとめておきましょう。

 著者は、基本的にはパウロが宣べ伝え、パウロ系の異邦人諸集会に確立しているキリスト信仰を継承しています。そのことは書き出しの部分(一・一〜三)によく表れています。それはこの部分が、パウロの名による書簡の一つであるコロサイ書(一・一五〜二〇)の「キリスト賛歌」とほぼ同じ内容であることからも分かります。しかし、著者のキリスト信仰にはパウロと違った特色もあり、著者のキリスト信仰の表現形式は独自の内容をもっています。その結果、本書の神学は、パウロのローマ書とヨハネ福音書とに並ぶ、新約聖書の中の三つの大きな神学構想の一つとされることになります。

 著者のキリスト信仰の特質を一言で言えば、ここまでに見てきたように、著者はキリストをわたしたちのための大祭司として、その視点からキリストの地位と働きを言い表していることです。十字架につけられたイエスが復活してキリストとされたことが最初期の宣教の基本内容ですが、著者はそれを大祭司の表象で言い表します。

 イエスは復活して高く上げられ、神の右に座す方とされました。そのことを著者は、大祭司が隔ての幕を通って至聖所に入る姿で描きます。大祭司は年に一度隔ての幕を通って至聖所に入り、神の前に出ます。そのように、イエスは終わりの時にただ一度現れ、「御自分の肉」という垂れ幕を通って、最終的に神の聖前に出られたのです。著者は「復活」という用語を使わないで、祭儀的な表象を用いて神の右にあげられた復活者キリストの栄光の地位を描いています。

 そのイエスが十字架につけられた出来事は、大祭司が犠牲を捧げる働きとして描かれます。地上の大祭司は、動物の血を携えて至聖所に入り、自分と民のための贖い(罪の清め)を行います。それに対して、天の至聖所に入られた大祭司キリストは、御自分の血を携えて至聖所に入り、永遠の贖いを完成してくださったとされます。イエスの十字架の死は、永遠の大祭司キリストが御自分を罪の贖いのための犠牲とされた出来事と意義づけられます。

 

血による贖い

 このように、著者は大祭司の表象を用いて、パウロが告知した「十字架された復活者キリスト」の福音を言い表しているのですが、それが祭儀を司る大祭司の働きとして述べられる結果、キリストの救済の働きは「血による贖い」という祭儀的象徴が中心を占めることになります。この点は、パウロの救済理解との違い、あるいは距離を感じさせます。

 パウロもキリストによる救済を語るときに「血による贖い」という表現を用いている箇所があります。義(=救い)は律法の諸行為によるのではなく信仰によるのだという、キリストによる救済を語る核心的な箇所(ローマ三・二一〜二六)の中で、パウロは「神はこのキリストを、信実によって、その血による贖いの場としてお立てになったのです」(二五節私訳)と言っています。しかし、パウロが「血による贖い」に触れるのはここだけで、他にはいっさい出てきません。ここでも信仰による義を主張するパウロ固有の文の中に、この「血による贖い」というユダヤ人キリスト教の伝承がかなり無理な形で組み込まれています。

 この「血による贖い」という表象は、もともとユダヤ人信徒集団が形成した信仰告白の形式でした。使徒たちはみなユダヤ人でしたから、復活者キリストが十字架上に死なれたことの意義を理解するのに、それを聖書(旧約聖書)の成就として理解したのは当然です。ユダヤ教団が数百年にわたって守ってきた祭儀伝統の中で、キリストの十字架の出来事をその祭儀の成就と理解し、「キリストはわたしたちの諸々の罪過のために死に」と告白し、「血による贖い」という祭儀的な用語で言い表したのでした。

 ところが、キリストの福音が異邦諸民族に宣べ伝えられるようになって、ユダヤ教に固有の祭儀的な表現は避けられるようになります。その代表者はパウロです。異邦人への使徒パウロは、自分が受け継いだ伝承を引用するとき以外は、「血による贖い」という表現はもとより、「贖い」という用語自体を用いなくなります。パウロは「罪に定める」とか「義とする」、また「和解」というような法的な関係を示す用語で、神と人との関わりを描きます。パウロは、必要な場合は異邦人にも理解しやすい法廷の比喩を用いますが、「贖い」というような祭儀的な用語はほとんど用いません。パウロにも、キリストが神の右に座ってわたしたちのために執り成してくださるという、キリストの祭司的な働きを語る箇所がありますが(ローマ八・三一〜三四)、そこでも血による罪の清めという祭儀的な意味はなく、訴える者に対して弁護し、神の無罪判決を得てくださる方という法廷的な用語で語られています。

 

律法(ユダヤ教)との関係

 キリストにあって神の民として生きるのに、もはや律法(モーセ律法)の順守は必要ではないという基本的な姿勢において、本書の著者はパウロとまったく同じです。本書は、割礼とか食事規定とか安息日とか、ユダヤ教の諸規定について語ることはありません。著者にとっても、救いは律法(ユダヤ教)の外で、律法と無関係に与えられているものです。著者は、異邦人信徒に律法の順守を求めることはありません。この問題でパウロと違うのは、パウロがこの「律法の外での義(救い)」を確立するために、律法を絶対化する(救いの条件とする)ユダヤ教徒やユダヤ主義の信徒と命がけで戦ったのに対して、著者の時代ではその問題はすでに決着しており、著者は「律法の外での救い」を当然のことと前提することができたという点です。

 しかし少し掘り下げますと、律法とのかかわり方でパウロと著者の間に違いがあることも見えてきます。パウロにとって律法は神から与えられた啓示であり、正しく聖なるものですが、その律法が肉に売り渡された人間にとっては「罪と死の律法」となり、断罪し死に至らしめる「罪の力」となることを、パウロは身をもって体験し、その力と格闘し、キリストにある「命の御霊の律法」によって解放されることを体験したのでした(ローマ書七章)。パウロにとって律法は、「約束を与えられたあの子孫が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたもの」(ガラテヤ三・一九)、すなわち違犯を明らかにするためという特定の役割のために与えられた期限付きのものに過ぎず、「キリストは律法の終わりとなられた」と言えることになります。

 それに対して著者の場合、「罪の力」としての律法との内面的な格闘は見られず、律法はむしろ罪を清める祭儀体系としての面から見られています。ただ、それは真に罪を清める能力はなく、大祭司なるキリストがなしとげてくださる永遠の贖いを象徴するものに過ぎないとされます。大祭司キリストが成就してくださったので、律法(ユダヤ教)の祭儀体系は不要のものとして過ぎ去ったことになります。

 キリストは律法を成就するために来られたという主張では、本書はマタイ福音書と並んで新約聖書の中では双璧をなしています。マタイが律法をその倫理的側面、すなわち神が人間に求められる行動の基準としての面から見て、キリストは律法を廃するためではなく成就するために来られたことを強調するのに対して、本書は律法を祭儀的な面から見て、キリストは律法(ユダヤ教)が規定する祭儀を成就することで、それを不要なものとされたと主張します。マタイが成就することで完成されたという面を強調するのに対して、本書は成就することで不要にされたという面を強調する点が対照的です。

 マタイがユダヤ人に向かって、キリストは律法を成就完成する方であると強調するのに対して、本書は異邦人に向かって、キリストは律法の祭儀体系を成就する方であることを説きます。これは、著者の時代には異邦人信徒も聖書(七十人訳ギリシア語聖書)に十分精通しており、キリストの地位と働きを説明するのに、著者は律法の祭儀規定を予型として活用することができたからでしょう。

 

クムランの死海文書との関係

 なお、律法(ユダヤ教)の祭儀体系を成就する方としての大祭司キリストを説く本書のキリスト信仰の質は、エッセネ派の書とされるクムランの死海文書との関連を考えさせます。ファリサイ派やサドカイ派、さらに熱心党など、当時のユダヤ教諸派について批判的に触れている新約聖書の中で、エッセネ派だけは全然触れられていないことは、新約聖書の謎の一つですが、これは新約聖書の諸文書が書かれる時期(一世紀後半)には、多くのエッセネ派の人たちがキリストの民の中に入ってきていたからではないかと推察されます。

 エッセネ派はもともと、エルサレム神殿の大祭司を非正統の大祭司であるとして、「義の教師」と呼ばれる別の祭司的指導者に率いられて、荒野にこもって祭儀的聖潔を徹底的に追い求めた、律法順守に熱心なユダヤ教徒の集団でした。エッセネ派は黙示思想的傾向が強く、メシアの到来による神の支配の実現を待ち望んでいましたが、そのメシアは祭司的メシアと王的メシアの二人のメシアの形をとっていました(祭司的メシアが上位に立ちます)。

 ヘブライ書のメシア・キリストを大祭司と見るキリスト観は、一見エッセネ派が待望していた祭司的メシアと似ていますが、次元が違います。すなわち、エッセネ派の祭司的メシアは依然として律法の枠の中での大祭司です。エルサレムの大祭司と対抗していますが、同じく律法によって立てられ、律法に従ってその祭司職を果たす大祭司です。それに対して、ヘブライ書は、律法に規定された祭儀や大祭司は象徴に過ぎず、本体の大祭司キリストが現れた以上、その意義が成就されて過ぎ去ったものとします。エルサレムの大祭司もエッセネ派の祭司的メシアも、もはや必要ではありません。永遠の大祭司キリストがすでに現れ、律法はその役割を終えて過ぎ去ったのです。

 

パウロの「神秘主義」とヘブライ書の終末待望

 著者はキリストの来臨を待ち望む熱い終末待望の中で「信仰」を理解しています。そのことはヘブライ書一一章に典型的に表現されています。一一章一節は「信仰」の全面的定義ではありませんが、著者にとって信仰のもっとも重要な一面であることは確かでしょう。著者にとって「信仰」とは、まだ見ていない約束された終末の栄光を現実として、現在をその「告白」に忠実に生きることに他なりません。その箇所の講解でも述べましたように、これはパウロのいう「希望」と同じです。

 たしかにパウロもこのような終末待望に生きています。しかしパウロが「信仰」という時には、このような終末待望に忠実な生き方という面よりは、聖霊によるキリストとの合一、すなわち十字架されたままの復活者キリストに合わせられて、自分が死に、新しい復活の命に生きるという、現在の命の現実が中心に位置しています。このような「キリストにあって」現実に体験している聖霊の現実は、よく「パウロの神秘主義」(A・シュヴァイツァー)と呼ばれますが、その呼び方の当否はさておき、ヘブライ書にはこのような「神秘主義」の一面は希薄です。

 ヘブライ書も、キリスト信仰の始まりを「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験し」と描いています(六・四〜五)。しかし、聖霊による信仰体験について触れるのはここだけで、パウロのように繰り返し「キリストにあって」聖霊により体験する現在の「変容」について語ることはありません。また、コロサイ書やエフェソ書のように霊的な「キリストの充満」を語ることもありません。ヨハネ福音書のように「永遠の命を持っている」という現在の霊的事実に集中することもありません。総じてヘブライ書の「信仰」は、終末の栄光を目指して現実の世界から出て行き、旅人として生きる実践的な側面が強く出ています。この点は、クムランの死海文書の影響を思わせるものがあります。このように、ヘブライ書の「信仰」は神秘的な面が希薄で、実践的な面が強いという特徴が、後に本書をとくに西方キリスト教世界で歓迎される書にしたものと思われます。

 実践的といえば、著者は地上のイエスの姿を模範として指し示しています。復活して高く上げられ、天の至聖所に入られた大祭司キリストは、地上ではわたしたちと同じ弱さと苦難を担う一人の人間として歩まれたことを、著者は強調します。それだからこそイエス・キリストはわたしたちの弱さを思いやり、執り成してくださることができる大祭司なのです。同時に、そうであるからこそ、わたしたちは地上で「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげて」歩み抜き、栄光に達しられたイエスを模範として、苦難に耐え、言い表している信仰を貫くように読者を励まします。

 なお、新約聖書の諸文書の中で、その思想内容がヘブライ書にもっとも近いものは「ペトロの第一の手紙」です。ペトロ第一書簡は、ヘブライ書と同じく「勧告」の手紙であり(五・一二)、キリストの血によって贖われた民(一・一八〜一九)に、地上では旅人であるが(一・一)、約束された栄光を目指して(一・四〜五)、大牧者イエス・キリスト(五・四)を模範として忠実に歩むように励まします。パウロとヘブライ書とペトロ第一書簡とを「神学的トリオ」と呼ぶ人もいます。この三者の関係についてはペトロ第一書簡を扱うときに触れることにします。


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