96 愛の負債


 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
          (ローマの信徒への手紙 一三章八節) 


 最近は住宅ローンをはじめ様々な種類のローンが普及して、借金をしてものを買うことが日常化しています。そのせいか、人に借りを作ることも、借りたままの状態に放置することもあまり苦にしない傾向があるようです。しかし、負債は返さなければなりません。これは人間の基本的な倫理です。借りたものを返さない人は信用を失い、社会から厳しい制裁を受けます。

 使徒パウロはこの原理を用いて、権威に従い、税金を納める根拠としました。すなわち、支配者は秩序を維持し善を実現するために神に仕えているのであるから、その秩序の下で生活している者は、彼らに借りがある。彼らに敬意を帰し、その働きのために税金を納めるのは、「負債を返す」ことだというのです(ロマ一三・七)。これは、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」と言われた主イエスの言葉を具体的に説明しています。

 パウロはさらに「だれに対しても負債を作るな」と勧めます。とくに個人間の貸し借りは、借りた者の自由を拘束し、独立を脅かす危険があります。昔から気骨のある人間は、どんなに苦しくても借金をすることを避けました。パウロもここで信仰者に借りのない生き方を勧めるのですが、「互いに愛し合うという負債は別だが」と例外をつけます。関わりにある相手を愛することは、キリストにある者にとって負債だというのです。それは返しきることができない負債です。ここまで愛したのだから、もう愛する必要はないとは言えません。それは生涯負って生きる負債です。それは神から課せられた負債だからです。

 神は多くの律法によって人になすべきことを示されましたが、それは「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。隣人を愛することは神から課せられた負債なのです。ですから、人を愛する者は律法を全うすることになり、神への負債を返すことになるのです。これは、「神のものは神に返しなさい」と言われた主イエスの言葉の中身です。

 負債といえば、愛の負い目に含まれるものですが、わたしたちにはすべての人に福音を伝えるという負い目があります(ロマ一・一四)。主がこの負い目を果たす力を与えてくださるように祈らないではおれません。

(天旅 2000年5号)




目次に戻る