マルコ福音書講解

14 安息日についての論争


マルコ福音書 二章二三〜二八節

 23 ある安息日に、イエスが麦畑を通って歩いて行かれた時のことである。弟子たちが歩きながら、穂をつみはじめた。 24 するとパリサイ人たちがイエスに言った、「ごらんなさい。彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのか」。 25 そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデが自分も従者も困窮して飢えたとき何をしたか、読んだことがないのか。 26 大祭司アビヤタルの時、彼は神の家に入り、祭司のほか食べてはならぬ供えのパンを食べ、共にいる人々にも与えたではないか」。 27 そして、イエスは彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。 28 このように、人の子は安息日にもまた主なのである」。



 ユダヤ教における安息日律法

 マルコは第一章で、イエスがガリラヤに現れて「神の国」の福音を宣べ伝える活動を始められたことを語った後、すぐ第二章で、その福音が当時のユダヤ教(律法)と衝突して惹き起こした激しい論争をまとめて記録した。その論争の最後に安息日についての論争がくる。安息日遵守に関する律法は当時のユダヤ教の性格を示す典型的なものであるので、この問題に関する衝突は、次の段落(三・一〜六)が示しているように、イエスを死に追いやる最も直接的な原因となる。

 「安息日を覚えて、これを聖とせよ」という規定は、ユダヤ教の律法の中で最も根本的な律法である「モーセの十戒」の中の一つである。その内容は「六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるからなんのわざもしてはならない」というものである(出エジプト記二〇・八〜一〇)。この律法は「殺してはならない」という律法と同じ重さの律法であって、これを犯す者は死をもって罰せられると律法に明記されている(出エジプト記三一・一二〜一七)。

 実際に死刑が行われたのかどうかは問題にされている。しかし、このような明文規定があるという事実は、イスラエルの民が安息日規定の遵守をいかに真剣に受け止めていたかを示している。マカベヤ戦争の前、信仰深いイスラエルの人々は安息日に異教の軍勢の攻撃を受けた時、安息日を守るために武器をとって戦うことを拒み全滅したことがあったほどである(マカベヤI二・三二〜三八)。安息日の遵守がこれほど真剣に考えられていたのは、安息日は主ヤハウェの日であって、代々にわたって「ヤハウェとイスラエルとのあいだのしるし」とされていたからである。安息日を守る者がヤハウェの民であり、安息日の規定を守らずこれを汚す者は、ヤハウェとの契約を破る者とされたのである。

 安息日制度の起源とかその発展の歴史について触れることはできないが、捕囚後律法(モーセ五書)が正典として成立して、安息日の律法も最終的な形で確立した後も、社会や生活の具体的な状況においてどのようにすれば「いかなる仕事もしてはならない」という安息日の律法を守ることになるのか、が律法学者たちによって討論され研究されて、多くの細かい規定が生み出されていった。イエスの時代のユダヤ教においては、「安息日にしてはならないこと」を定めた禁止「主要労働表」が三九項目もあって、日常生活の隅ずみにまで及び、その各項目にさらに細かい禁止規定が加えられる傾向が続いた。

 安息日論争

 安息日には二〇〇〇キュビト(約九〇〇メートル)以上の距離を歩くことは禁じられていたが、イエスと弟子たちが麦畑を歩いて行かれたのはこの距離以下であったのか、問題にされていない(批判者たちも一緒に歩いているのであるから問題にすることはできないという面もある)。その時弟子たちが麦の穂を摘んだことが「安息日にしてはならないこと」をしているとして、問題にされたのである。他人の畑であっても麦の穂を手で摘んで食べることは許されていた(申命記二三・二五)。ところが、律法学者たちの口伝伝承(ハラカ)では、手で穂を摘むことは収穫作業であるとして「安息日にしてはならないこと」に数えられていたのである。イエスも弟子たちもそれを知らなかったはずはない。また、日が暮れて安息日が終わるのを待っていても飢え死ぬほどの状況でもなかったであろう。それにもかかわらず、批判者の面前であえて禁止規定を無視して穂を摘み、イエスもそれを止められなかったところに、当時のユダヤ教における律法の支配に対するイエスの挑戦が見られる。

 「彼らはなぜ、安息日にしてはならないことをするのか」と詰問するパリサイ人に対して、イエスは聖書(旧約聖書)に記されているダビデの行為を引用して反論される。「大祭司アビヤタルの時」とあるのは「祭司アヒメレク」の記憶違いによる(サムエル記上二一・一〜六、アビヤタルはアヒメレクの子)。この記憶違いがイエスご自身からのものか、イエスの言葉を口頭で伝えていった教団の伝承の過程におけるものかは決定できない。いずれにせよ、個人が聖書全巻を持つことはできなかった時代のことであるから、聖書を引用しての議論もその細部をいちいち文献で確認して論じるというような学者の議論ではなく、イエスも教団も「ダビデが祭司のほか食べてはならぬ供えのパンを食べ、共にいる人々にも与えた」という事実を論敵に突き付けるだけで十分であった。

 このダビデの行為は、正当防衛の理論のように、人は生存を脅かされるような緊急事態においては律法に違反する行為も許される、ということを論証するために引用されているのではない。そうであれば、パリサイ派の学者たちの律法の支配の枠の中の問題となる。イエスがこの律法に反したダビデの行為を引用されるのは、もっと根本的な問題、すなわち律法の存在理由そのものを論じるためである。いったい人間にとって律法とは何であるのか、イエスは一言で喝破される、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」。

 安息日の本質

 七日目に仕事を休むという習慣ないし制度はモーセ律法よりも古いものであって、おそらく悪霊が跳梁する日である七日目には農作業を休んで、収穫に悪影響が及ぶことを避けた古代の農耕社会の制度であったと言われている。それがイスラエルにおいては、ヤハウェとイスラエルとの契約関係の基礎となる制度としてモーセ律法に取り入れられることになる。ヤハウェとイスラエルとの契約関係の根本規定である「十戒」にも歴史的進展が見られるが、その中で重要な申命記典のものと祭司典のものとを較べてみよう。
 申命記典の「十戒」(申命記五・一〜二二)では安息日はこのように規定されている。

「あなたがたはかってエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神ヤハウェが強い手と伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神ヤハウェは安息日を守ることを命じられるのである」。

(一五節)

 前後の文脈からすれば、これは奴隷たちにも休息を与えるように、イスラエル自身がエジプトで奴隷であったことを思い起こさせるためのものであるが、そのことは同時に、イスラエルが奴隷の境遇から救い出されたのはただヤハウェの働きによるのであって、人間の側の働きは何もなかったという事実を思い起させる。「それゆえ」、安息日を守るのは自分たちが贖われてヤハウェの民として存在しているのは、ただヤハウェの働きによるのであって自分の働きは何もないことを確認し、ヤハウェだけを讃め称えるためである。すなわち、安息日はヤハウェの一方的な贖いのみ業を祝う祝祭の日である、と言える。

 モーセ律法の最終段階をなす祭司典の「十戒」(出エジプト記二〇・一〜一七)では、

「ヤハウェは六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それでヤハウェは安息日を祝福して聖とされた」。

 と意義づけられている。すなわち安息日は創造の完成を祝う祝祭である。ここでも人間は自分の手の業をいっさい休んで、ただ神の創造の業によって自分と世界が存在することを喜び感謝し、同時にやがて終末の時には神の創造の業は完成して栄光の中に顕れることを讃め称えるのである。

 このように、安息日は本来まことに喜ばしい神と人との祝祭の日である。創造と贖いと完成を祝う喜びの日である。神はそのように、人間が神の前に自分の存在を喜び祝う日として安息日を定められた。まさに「安息日は人のためにある」のである。それがいつの間にか変質し、イエスの時代のユダヤ教においては「これはしてはならない。あれはしてはならない」という規則に人間が縛られる日になってしまっていた。人間は安息日の規定を満たすための素材とか道具のように扱われるようになっていた。どうしてこのような倒錯が起こったのであろうか。

 それはイスラエル(神の民)が神との契約関係に正しく留まっていなかったからである。ヤハウェはアブラハムの子孫をエジプトの奴隷の家から救い出して御自分の民とされた。彼らが神の民となったのは、彼らにそうなるだけの価値があったからではなく、ただヤハウェが彼らを選ばれたからであり、ただヤハウェの働きによって解放されたからである。すなわち、神との関わりはひたすら神の恩恵に基づいているのである。契約の条項である「十戒」もこの無条件の恩恵の中で与えられている。それは「あなたがたはわたしの恵みによって選ばれ救われてわたしに属する民となったのであるから、このようなことはしない」という恩恵の言葉である。ところが、イスラエルはその「十戒」とそれに基づくすべての律法を、それを自分が行うことによって神との関係を造り出す手掛りに変えてしまった。それはすべてのことにおいて、神との関係においても自分が主人になろうとする人間本性の悲劇である。安息日の規定も例外でない。本来神の恩恵によって人間の喜びのために賜った祝祭の日を、「仕事をしない」という定めを守ることによって神との関係を確立する努力の日にしてしまい、それを破る者への処罰を恐れて「これはしてはならない。あれもしてはならない」という細かい規定に縛られるようになったのである。

 このような状況において、イエスの「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」という言葉はまことに革命的である。イエスは当時のユダヤ教が求めているような律法遵守はもはや必要ではない、と言っておられるのである。イエスの中ではすでに安息日が成就している。律法を行うのとは全く別に、賜った聖霊により神との交わりが実現し、イエスの中では創造・贖い・完成の祝祭がすでに祝われている。聖霊によりイエスの中に到来している「神の支配」の現実は、律法の細則遵守を要求するユダヤ教に対する挑戦とならざるをえないのである。

「このように、人の子は安息日にもまた主なのである」。

 人間が安息日のために造られたのではない。人間のために安息日の制度が定められたのである。そうであるならば、終わりの日に人間が本来の姿に回復される時、人間はもはや安息日律法に縛られた奴隷ではなく、安息日の定めを自分の内に成就している者となり、その主人となるであろう。イエスはこのように終わりの日に出現する新しい人間を先取りし代表する者として、ご自身を「人の子」と呼ばれる。「人の子」イエスは聖霊による神との交わりの中ですでに「安息日の主」になっておられる。しかしこれはイエスだけのことではない。やがてイエス・キリストあって贖われ、同じ聖霊の現実に生きるようになる新しい人間すべてに成就することである。今や人間はキリストにあって、創造と贖いと完成の喜びの祝祭である安息日を毎日祝っている。それをどのように表現するかは人間の自由である。もはやユダヤ教の規定には縛られていない。人間は安息日の主人である。

 キリスト教会はユダヤ教の安息日(土曜日)を廃して、イエスが復活された週の第一日(日曜日)を「聖日」として祝うようになった。ユダヤ教では安息日の定めを守ることが神の民のしるしとされていたのであるから、この事実は初代の教団がユダヤ教とはっきりと訣別したことを示している。イエスが安息日の律法に対して語られた言葉が事実となって実現したのである。教会はこのことの意義をしっかりと保持していなければならない。もし教会が「これをしてはならない。このような教会活動をしなければならない」というような形で「聖日を守る」ことを要求するならば、それは人間をふたたび律法の奴隷にすることになるであろう。


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