マルコ福音書講解

 69 ダビデの子



マルコ福音書 一二章 三五〜三七節

 35 イエスは神殿でお教えておられたとき、答えて言われた。「律法学者たちはどうしてメシアをダビデの子だと言っているのか。 36 ダビデ自身が聖霊によってこう言った。
『主はわが主に言われた、
わたしがあなたの敵をあなたの足元に置くまで、
わたしの右に座しなさい』。
 37 ダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子であろうか」。大勢の群衆が、イエスが語られることを喜んで聴いていた。

 ユダヤ教のメシア待望

 この段落は、「イエスは答えて言われた」という文で始まっているが、イエスの答えを求める問いは先行していない。むしろマルコは直前の三四節で、「それからはもう、誰ひとりとして、イエスにあえて質問する者はなかった」と記して、イエスと律法学者たちとの論争が終ったことを強調している。それで、この文はマルコの編集句ではなく、マルコが利用した伝承にすでにあった表現を、マルコがそのまま引き継いで用いたものと推測される。おそらく元の伝承は、初期の教団がイエスのメシア性を主張するさいに、ユダヤ教側の批判的な問いに答えるために用いたものであろう。その伝承を、マルコが「神殿で教えておられたとき」の論争の締めくくりとして、ここに用いたのである。

 このマルコの編集には不自然さが残る。「それからはもう、誰ひとりとして、イエスにあえて質問する者はなかった」と記して論争を締めくくりながら、その直後に「答えて言われた」と、さらに一つの論争を加えていることになるからである。この不自然さを意識してか、マタイはこの箇所を書き直している。マタイ(二二・三四〜四六)によれば、「それからはもう、誰ひとりとして、イエスにあえて質問する者はなかった」という論争を締めくくる文は、「第一の戒め」についての議論の結びの位置から、この「ダビデの子」論争の終りに移されている。そして、「答えて言われた」という句は除かれて、イエスの方からパリサイ派の学者たちに、「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか」と質問され、彼らが「ダビデの子です」と答えたという形になっている。
 
 マルコの形でもマタイの形でも、パリサイ派の律法学者たちがメシアをダビデの子であると考えていたことは明かである。パリサイ派は当時のユダヤ教を代表する主流派であるが、メシアを「ダビデの子」とする彼らの(ということは、ユダヤ教の)メシア思想がどのような過程で成立し、どのような内容のものであるのかを、ここで簡単にまとめておこう。  イスラエルにおけるメシア思想の源は、預言者ナタンによってダビデに与えられた約束である。そこではこう約束されている。
 
 「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」 (サムエル記下七・八〜一六)
 
 アブラハムを初めとする父祖たちやモーセ、ヨシュアは特別な油注ぎを受けていなかった。油を注がれてイスラエルの王になり、イスラエルに栄光の時代をもたらしたのはダビデである。そのダビデにこのような約束が与えられたのであるから、これは本来はダビデ王朝の永続を約束する預言の言葉である。それが後に、神から油を注がれてイスラエルに終末的な救済をもたらす者、すなわち「メシア」の到来の約束と理解されるようになっていくのである。
 
 ダビデ王国の栄光は長くは続かなかった。次のソロモン王は栄華を極めたが、その後すぐに王国は北と南に分裂し、やがて北イスラエル王国はアッシリヤに、続いて南ユダ王国はバビロニヤに滅ぼされることになる。この時期に現れた預言者たちは、ヤーウェとの契約に不忠実な民の罪を責めて神の裁きを予言したのであるが、同時に神がその信実と憐れみによりイスラエルを回復し、栄光に満ちた将来を与えられることも約束した。
 
 その際、将来の栄光のイスラエルはダビデ王国の回復というイメージで語られることが多く、その栄光をもたらす人物も理想のダビデとして描かれることが多かった。たとえば、アモスは「その日には、わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し、その破れを修復し、廃墟を復興して、昔の日のように建て直す」(九・一一)と語り、ホセアは「その後、イスラエルの人々は帰って来て、彼らの神なる主と王ダビデを求め、終わりの日に、主とその恵みに畏れをもって近づく」(三・五)と言っている。さらに、イザヤは「ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」(九・六)と預言し、エレミヤは「見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う」(二三・五)と叫んでいる。捕囚期の預言者エゼキエルは「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる」(三四・二三)と予言している。
 
 捕囚後のイスラエルは政治的な国家であるよりは、むしろ宗教教団として存続した。それは神殿を中心として、祭儀、倫理、社会の制度すべてを神の律法によって規定し運営する共同体であった。そこでは律法の解釈と実践が最大の関心事であって、終末を待ち望む情熱は衰退した。その情熱に火をつけたのは、アンティオコス・エピファネスのユダヤ教弾圧である。異教の祭儀を強要し、従わない者を弾圧したこの異教の支配者に対して、ヤーウェの律法に忠実なユダヤ人たち(彼らは《ハシディーム》ー敬けんな者たちーと呼ばれた)が反抗して立ち上がった。それがマカバイの反乱である。
 
 この反乱は成功して、前一六四年にエルサレムを奪回し、神殿から異教の祭儀を取り除き、再びヤーウェの神殿として奉献するにいたった。この時期に、異教支配の現実とそれとの戦いの中で、さまざまな形で預言者たちの終末待望が再燃したのである。ダニエル書のような黙示録となり、エッセネ派のように終末信仰によって荒野に逃れて生きる共同体を生み出した。しかし、《ハシディーム》の中で、マカバイの反乱後のハスモニヤ朝の時代に影響力を伸ばし、ついにユダヤ教の主流となったのはパリサイ派であった(パリサイ派の信条については次の段落の講解で触れる)。
 
 パリサイ派もメシアの到来とイスラエルの栄光の回復を待ち望んでいた。ところが、ローマの圧政の下で自称メシアが多く現れたので、パリサイ派の律法学者たちは真のメシアを判定するための基準を掲げるに至った。その中には、
 
 (一)ダビデの家系の出身であること
 (二)メシアであることのしるしを公けに現すこと
 (三)先だってエリヤが到来していること
 (四)生涯中にイスラエルの解放というメシアの使命が達成されること
 
 が含まれている。パリサイ派の立場から見れば、イエスをメシアだとする弟子たちの運動も当時の多くの自称メシア運動の一つであって、これらの基準をもって批判し対抗したのであった。そこで福音書に、イエスのメシア性をめぐる弟子たちとパリサイ派との論争を反映する記事が残されることになる。イエスの地上の宣教活動の期間には、イエスも弟子たちもイエスがメシアであるとは公に主張していないのであるから、これらの論争はすべて復活後の教団とパリサイ派との論争を反映することになる。
 
 このような論争の中で、(二)のしるしについての論争は、「パリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた」のに対して、イエスが「今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」と拒否された記事(マルコ八・一一〜一二)に残されており、(三)のエリヤについての論争は、変容の山から下りる途中、弟子たちがイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた記事(マルコ九・一一〜一三)として伝承されている。
 
 今ここで(一)のダビデの家系の出身であることという基準が問題とされる。先に見たように、預言者たちは神が回復してくださるイスラエルの栄光をダビデ王国の回復として描き、それをもたらす人物をダビデの名を用いて指し示した。その際、ダビデ王国もダビデも一つの象徴ないし型(予型)として用いられているのであるが、パリサイ派の律法学者はナタン預言に基づいてそれをダビデの血統を継ぐ者と解釈して、その人物を「ダビデの子」と呼んだ。
 
 当時までのパリサイ派はその教えを口頭で伝えることを原則としていたので文献は少く、「ダビデの子」という表現が最初に現れるのは、紀元前一世紀の半ば頃にパリサイ派の学者によって書かれたとされる「ソロモンの詩編」である。その一七編において、著者はまず「主よ、あなたはダビデをイスラエルの王に選び、彼の王家はあなたの前で絶えることはないと、彼に末永く子孫のことを誓いました」(四節)と、ナタン預言を土台として言及し、次いで、パリサイ派を圧迫したハスモニヤ朝の支配者たちがダビデの家系でないので、彼らを「あなたが約束しなかったものを私どもから力づくで奪いとり」(五節)、「尊大な駆ひきによりダビデの王座を廃しました」(六節)と非難している。そして、「主よ、ごらんください、あなたが予知なさっている時期に、神よ、あなたの僕イスラエルに君臨するダビデの子を王に立ててください」(二一節)と祈っている。ここで来るべき救済者が「ダビデの子」と呼ばれ、非ダビデ系のハスモニヤ朝に対してダビデの家系の救済者の到来が待ち望まれている。そして、この王は「主により油を注がれたもの」、すなわち「メシア」と呼ばれている(三二節)。(引用は後藤光一郎訳「ソロモンの詩編」より)

 教団の「ダビデの子」告白

 このようなパリサイ派のメシア待望は、パリサイ派の影響力が増大するにつれて民衆の間に広まり、イエスの時代には「ダビデの子」はメシアの称号として定着していた。権威をもって教え力ある業を示されたイエスを、民衆が「ダビデの子」と歓呼して迎えたことは、マルコ福音書においてもエリコの盲人の呼掛け(一〇・四七)や、エルサレム入りの際の民衆の歓呼(一一・一〇)にかいま見ることができるが、マルコはむしろこのような民衆の熱気を抑えるような書き方をしている節がある。それは、イエスご自身がこの「ダビデの子」という称号を一度も口にされなかったこと、むしろ人々がイエスを「ダビデの子」として語ることを厳しく禁じられたことを反映しているのであろう。イエスが「ダビデの子」という称号を厳しく拒否されたのは、この称号がイスラエルの政治的解放者としてのメシアを指しており、イエスはこのようなメシアとして立とうとする思いをサタンの誘惑として激しく戦われたからである。

 ところが、イエス復活後のユダヤ人信徒の群れは、同胞のユダヤ人のシナゴーグにイエスこそ約束されたメシアであることを論証するために、律法学者たちの批判に応えて、イエスがダビデの家系の出身であることを示そうとした。その傾向はユダヤ人に福音を宣べ伝えようとするマタイ福音書に顕著である。その努力はイエスの系図と誕生物語にもっともよく表現されている。マタイは彼の福音書の冒頭でイエスを「ダビデの子」と紹介している(マタイ一・一)。イエスの系図の重点は、イエスがダビデの家系であることを示すことにある(マタイ一・一七)。この系図はヨセフの系図であるが、ヨセフが神の啓示によってマリアとその子イエスを受け入れることによって、イエスはダビデの家系の出身となる。ベツレヘムでの誕生の物語もイエスがダビデの家系であることを示すためである(ルカ二・四)。イエスの働きの記録においても、マタイはマルコよりも多く(この並行段落と誕生物語以外で七回)「ダビデの子」という称号を用いている。
 
 このようにイエスをダビデの子とする信仰告白はマタイを待つまでもなく、ごく初期のユダヤ人キリスト教団から出て、ヘレニズム世界を含む初代教団でかなり広く用いられていたようである。そのことは、パウロがロマ書の冒頭(一・三〜四)で福音を要約するのに、「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」という信仰告白定式を引用していること、さらに新約時代の最も後期に属する牧会書簡において「イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです」(テモテ二二・八)と語られていることからも十分推測される。
 
 初代教団がイエスを「ダビデの子」あるいは「ダビデの子孫」としたのは、イエスがダビデの家系の出身であることを主張しているだけではない。すでにその地上の働きにおいてイエスは聖書の約束を成就する方であることを主張しているのである。論敵パリサイ派の用法においても、「ダビデの子」というのはダビデになされた約束を成就する者という意味だからである。そのイエスが死者の中から復活して「主《キュリオス》」として立てられたのである。したがって、「この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです」という信仰告白定式は、地上でイスラエルの全歴史を成就する働きを成し遂げ、復活して《キュリオス》として全世界に臨まれる終末的救済者、主イエス・キリストの福音をぎりぎりまで煮つめた表現であると言える。
 
 パリサイ派の批判の中で最も決定的な点は、(四)のメシアはその生涯中にイスラエル解放という使命を達成していなければならないという基準である。この基準からすれば、十字架にかけられて処刑されたイエスはメシアではありえない。十字架上に処刑されたメシアというのは、ユダヤ人にとって最大のつまずきである。それに対して、福音はイエスが死者の中から復活されたという事実をもって応える。これが福音の最も決定的な告知である。神はイエスを死者の中から復活させて、神の右に座す《キュリオス》、また人類の救済者キリストとしてお立てになった。パリサイ派が考えているメシアとは次元の違うメシア(救済者)である。イスラエルの民を異教の支配者から解放するメシアではなく、人間を罪と死の支配から解放する救済者である。福音はユダヤ人にとって最大のつまずきである「十字架につけられたキリスト(メシア)」を宣べ伝えるのである(コリント一一・二三)。

 

 ダビデの子とダビデの主

 この「ダビデの子」に関する段落は、パリサイ派律法学者の(すなわちユダヤ教の)メシア観を論駁し、復活によって初めて聖書を完全に成就する真のメシアとなりうるという福音の立場を、イエスと律法学者との論戦の形で提示したものである。まず、律法学者たちの「メシアはダビデの子である」という主張が取り上げられ(三五節)、続いて詩編一一〇編一節が聖霊によるダビデ自身の告白として引用される(三六節ーこのような聖書の用い方は初代キリスト教団もパリサイ派律法学者も共通している)。そして、その詩編でダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、メシアを「ダビデの子」であるとする律法学者のメシア観は矛盾していることが指摘される(三七節)。

 三七節の「ダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子であろうか」という問いは、イエスがダビデの子であることを否定するものではない。先に見たように、教団はイエスがダビデの子であることを力をこめて主張してきたのである。この問いはパリサイ派律法学者の(すなわちユダヤ教の)メシア観の矛盾を衝くものである。福音はイエスが死者の中からの復活によって高く上げられ、神の右に座す《キュリオス》(主)とされたことを告知する。この事実によって、「ダビデの子」であるイエスが同時に「主」であって、詩編一一〇編の聖霊によるダビデの告白の預言的な言葉をも成就するのである。

 ところが、律法学者たちはイエスの復活の告知を受け入れない。復活を認めないでメシアをダビデの子であると言うのは、メシアを自分の主であると告白しているダビデの証言に矛盾するではないか。福音が宣べ伝えているように、ダビデの子であるイエスが死者の中から復活されることによって、神の右に座すダビデの主という立場が成就する。イエスの復活によって「ダビデの子」と「ダビデの主」の両方が同時に成立し、ここに聖書を完全に成就する真のメシア・キリストが現れるのである。


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