マルコ福音書講解

 75 人の子の顕現



マルコ福音書 一三章 二四〜二七節

 24 しかし、その患難の後、かの日には、太陽は暗くなり、月はその光を放たず、 25 星は空から落ち、天の諸々の力は震われる。 26 そのとき人々は、人の子が大いなる力と栄光とをもって雲に乗って来るのを見る。 27 その時、人の子は御使いを遣わし、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集める。

 その患難の後

 ここまでに数え上げられた地上の諸々の苦難は、文頭の「しかし」の一語で逆転する。地上の歴史は地震や飢饉などの自然災害、秩序の崩壊や戦争というような社会的災害の連続であった。とくに選ばれた神の民にとって信仰ゆえの迫害や大患難など、その苦難は深刻であった。しかし、「その患難の後」、大逆転が来る。「その患難」というのは単数形で、前段で語られた「神が万物を造られた創造の初めから今にいたるまでなく、また、これからも決してないような患難」(一九節)を指している。その最終的な大患難の後に、栄光の顕現の時が来るというのである。マタイ(二四・二九)は「すぐに、たちまち」という語を入れて、この患難の後に栄光の顕現が切迫していることを強調しているが、ルカはもはやエルサレム陥落にともなう神の民の苦難を最終的なものと見ていないのであるから、このようなマルコの表現を一切放棄している。ここにも、マルコ・マタイの系列とルカの終末観に違いがあることが示されている。

 その患難の後に到来する「かの日には」すべてが逆転する。「かの日」というのは黙示思想特有の表現で、現在の古いアイオーンが終った後に到来する新しいアイオーンを指している。ところで、ここの「日」は原文では複数形であるから、直訳すれば「かの日々には」とか「それらの日々には」となる。複数形の「かの日々には」が終末の時ないし新しいアイオーンを指すことは、預言書や黙示文書によく見られることであって(たとえばエレミヤ三・一六、ヨエル三・二、ゼカリヤ八・二三)、マルコや福音伝承の担い手たちがそのような意味で用いることは自然なことである。
 
 ここで解釈上の問題になるのは、この表現が前段の一九節で(一七節でも)最終的な大患難を語るさいにも用いられている点である。もし、この大患難も人の子の顕現と同じ「それらの日々」に属することであれば、二四節は「それらの日には、その患難の後、太陽は暗くなり・・・・」と訳さなければならない。終末の時代にまず大患難があり、それから人の子の栄光の顕現がくることになる。しかし、大患難はあくまでも地上の歴史の中における出来事であるのに対して、人の子の顕現は歴史を超えた別次元の性格のことであるから、両者を同じ時代に前後して継起する出来事と理解することは不適当である。
 
 ここは「その患難の後のそれらの日々には」と解し(これは文法的にも自然な理解である)、この「それらの日々」は大患難が起こる「それらの日々」とは異なる性格であるから、この私訳ではあえて「かの日」という別の訳語で表すことにしたわけである。「それらの日々」という表現はマルコでも終末的な関連なしに、ただ「そのころ」というような意味で用いられることもある(一・九、八・一)から、この訳し分けは問題ないであろう。マタイは「それらの日々の患難の後、たちまち、太陽は暗くなり・・・・」としている。すなわち、「それらの日々」を患難だけに用いて、人の子の顕現については用いないという形で、問題を単純にして解決している。

 人の子の顕現

 「しかし、その患難の後、かの日には、
 太陽は暗くなり、月はその光を放たず、
 星は空から落ち、天の諸々の力は震われる」

(二四〜二五節)

 「かの日」に起こる大変動は、預言書と黙示文書の表現を用いて語られる。預言書においては、「かの日」は審判の日として語られ、地の上に行われる審判に呼応して天にも大きな異変が起こることが予言される。たとえばイザヤはこう言っている、

「見よ、主の日が来る、残忍な、怒りと憤りの日が。大地を荒廃させ、そこから罪人を絶つために。天のもろもろの星とその星座は光を放たず、太陽は昇っても闇に閉ざされ、月も光を輝かさない」。

(イザヤ一三・九〜一〇)

 黙示文書においては、新しいアイオーンが到来するさい、恐るべき神の審判によって天も地も震われるという宇宙的破局が描かれるようになる。たとえば「モーセの昇天」と称される黙示録(一〇章)において、主の支配が現れるとき、
「地は震いおののき、その果てまで揺れ動く。高い山々は低くされ、丘はふるわれてくずれる。太陽の角は折れ、暗黒にかわる。月も光を投げず、全く血に変わるであろう。星々の運行はとまり、海は淵に退き、水の源は涸れ、川は干上がるであろう」
と語られる(ヨハネ黙示録六・一二〜一四参照)。

 このような宇宙的変動を通して現れるのは、預言書では神の審判であり、黙示文書では新しいアイオーンであった。福音においては、それは「人の子」の顕現に集中している。イエスはここで、宇宙的大変動を伴って到来する終末とは栄光の「人の子」の顕現であると宣言される。

「そのとき人々は、人の子が大いなる力と栄光とをもって雲に乗って来るのを見る。」(二六節)

 イエスはこれまでにもしばしば「人の子」という称号を口にされた。イエスご自身がこのような黙示思想的称号を口にされたことを疑う学者もあるが、この事実は否定することはできないであろう。だいたい「人の子」というような称号はユダヤ教以外の場では全然理解できないものである。それで福音が異邦人世界に宣べ伝えられるようになると、この称号は用いられなくなっている。すでにパウロはこの称号を用いていない。それにもかかわらず、パウロ以後に、すくなくとも異邦人を視野に入れて書かれた福音書においてこの称号があえて用いられているという事実そのものが、この称号がイエスの言葉伝承にしっかりと根付いていたことを証明している。いくら異邦人に理解されにくいからといっても、イエスの言葉を伝承する以上、イエスご自身が用いられたとされるこの称号を誰もあえて変更することはできなかったのである。

 イエスが「人の子」について語られた言葉の中で内容的に最も重要なものは、「人の子」の受難に関するもの(八・三一、九・三一、一〇・三三〜三四)と、本節の栄光の中に顕現する「人の子」の予言である。両者とも本来は内輪の弟子たちだけに秘かに語られた教えであるが、本節の言葉の方は最後の裁判の場でイエスの証言として、ほぼ同じ形で用いられている(一四・六二)。ここで(そして一四・六二でも)イエスが語られる「人の子」の顕現に関する表現は、ダニエル書の「人の子」予言と深い関わりがあることは明白である。ダニエル書では、四つの獣で象徴される四つの帝国が世界を支配した後、最後に神の支配が到来する様が次のように予言される。

「夜の幻をなお見ていると、見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」

(ダニエル七・一三〜一四)

 このダニエル書の予言と表現がよく似ていることから、本節の「人の子」顕現の言葉も二次的に形成されたもの、すなわち黙示文学に親しんでいた初代教団がキリスト来臨の希望をダニエル書の「人の子」予言の表現で言い表し、それをイエスの言葉として伝承したものであるとの学説が広く受け入れられている。たしかに表現はダニエル書から取られている。しかし、表現がそこから取られているということは、イエスが間近な「人の子」の顕現を予言されたという事実そのものを否定する根拠にはならない。先に「人の子」の受難の三回の予告において、その表現(とくに第一と第三の受難予告)に事後予言的な要素があるとしても、イエスが「人の子」称号を用いてご自身の受難を語られた事実そのものを否定することはできないことを見た。そこには、「人の子は人の子らの手に引き渡される」(九・三一)というイエス特有のマーシャール(謎)の形で語られた核があることは確認できた。それと同じように、もし本節の「人の子」顕現の表現がダニエル書という黙示文学から借用されているとしても、それはイエスが「人の子」の称号を用いてその顕現を語られた言葉の核があるからこそ起こりえた現象であると言える。

 その核になる言葉はおそらく、信仰のゆえに苦しみを受ける弟子たちに対して、「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れる」(ルカ一七・二四、マタイ二四・二七)と語れられたイエスの言葉であろう。この言葉は、弟子たちが置かれている状況がどのように苦しく絶望的であろうとも、地上の状況とは無関係に突如として神の支配が現れ、「人の子」の日が来ることを語っている。それ故、弟子たちの地上の日々は時々刻々、どの瞬間も「人の子の日」に直面しているのだということを教えている。この確信がここで、エルサレム陥落にともなう神の民の大いなる患難を語るにあたって、その絶頂において突如「人の子」が到来するという予言となり、それがダニエル書の黙示録的表現をまとって書かれたと考えることができる。マタイが二四章の黙示録的遺訓において、神の民の大患難の段落の最後にこの稲妻の言葉を置き(二七節)、それからダニエル書七章の表現を用いた「人の子」顕現に移るという構成をとっていることは示唆深い。
 
 さらに、イエスご自身がダニエル書の表現を用いて「人の子」の顕現を語られた可能性も否定することはできない。ダニエル書七章は旧約の中で「人の子」について語る章句の最も典型的なものであるから、イエスが「人の子」という称号を用いられた以上、この章句の表現を用いてその突然の顕現を語られたことは、十分ありうることである。ダニエル書の表現を用いたのはイエスご自身であるのか、初代の教団であるのかは確定できないが、いずれにせよイエスご自身が「人の子」の突然の顕現を語られ、初代の教団がそれを復活者キリストの来臨(パルーシア)として待ち望んだ事実は変わらない。

 雲に乗って

 ダニエル書の表現と比べると、福音書の記事には「人の子」が「日の老いたる者」から支配権を受け継ぐという神話的な表象は除かれている。これは、若い神バアルが老いた天の神エルから支配権を引き継ぐというカナン神話から来た表象であるとされる(コルペ)。「人の子」が神から支配権を授けられることは、福音は「キリストは神の右に座し」という旧約聖書的な表現で語っているのであるから、このような神話的起源の表象は除かれたのであろう(一四・六二参照)。
 
 それに対して、「雲に乗って」という表現はそのまま用いられている。これは、このダニエル書の箇所をはじめ、第四エズラ(新共同訳の旧約続編ではラテン語エズラ記)一三章の終末的救済者である「人」について(この「人」はダニエル書の「人の子」に相当する)、「見よ、人が天の雲とともに飛んでいた」と語られるなど、黙示文学によく用いられる表現である。しかし、雲の中に神的な栄光が現れることは、本来の旧約聖書的な思想である。イスラエルの民がエジプトから脱出して荒野を旅したとき、主は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって民を先導された(出エジプト記一三・二一〜二二)。荒野では雲の中に主の栄光が現れた(出エジプト記一六・一〇)。「臨在の幕屋」では、「モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた」(出エジプト記三三・九)。ソロモンが神殿を建てたとき、雲が神殿に満ちた(列王記上八・一〇〜一三)。エゼキエルの幻(一・四)では、主は光を放つ「大いなる雲と燃え上がる火」に包まれて顕現する。
 
 このような旧約の伝統を引き継いで、福音書ではイエスが高い山の上で変容されたとき「雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした」とされる(マルコ九・七)。こうして、人の子が栄光の中に現れる時、「雲に乗って」(直訳は「雲の中に」)来ると言われるのである。この確信から、イエスが天に上げられるときのことも「同じ有様で」描かれ、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」(使徒行伝一・九)と言われ、また、イエスの来臨にさいして信徒が空中に引き上げる時のことも、「わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます」(テサロニケT四・一七)と語られるようになる。このような場合の「雲」を、白い衣を着た天使または聖徒たちの大群と解釈することは聖書的であり(マルコ八・三八、黙示録七・九以下参照)、うるわしい信仰的ヴィジョンであると言える。

 栄光にあずかる民

 「その時、人の子は御使いを遣わし、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集める」。(二七節)

 「人の子が大いなる力と栄光とをもって雲に乗って来る」ときに起こることについては、ただ一つのことだけが語られる。そこには最後の審判や新しいアイオーンの描写はなく、選ばれた民、すなわちキリストに属する民が栄光の主のもとに集められることだけが語られる。  このことは福音の終末待望の質をよく示している。当時広く流布していた黙示文学においては、終りの時に起こる最後の審判や宇宙的破局を経て新しいアイオーンが到来する様が詳しく描かれていた。それはすべて未来のことである。そのような黙示録的終末待望と異なり、福音はイエス・キリストの十字架と復活においてすでに終末が到来したことを告知し、このキリストを信じキリストに合わせられて生きる者は、すでに終末の現実を生きているのであると宣言する。このように終末の現実に生きる者に残されている将来は、「体の解放」、すなわち死に定められた現在の「自然の命の体」が復活のキリストが着ておられる「霊の体」に変えられることだけである。
 
 福音においては、将来の希望は復活にあずかることに集中している。このことはパウロの手紙によく示されている(テサロニケT四章、コリントT一五章、ロマ八章など)。キリストがその栄光をもって顕現されるとき、地上に生きている者も、すでに眠っている者(死んだ者)も、一緒にキリストのみもとに集められて、復活の体をもって主と共にいるようになる。このことを黙示録的な用語で表現したものが本節である。マタイ(二四・三一)は「大きなラッパの音を合図に」という句を入れてさらに黙示録的色彩を強くしているが、ルカはこのような黙示録的な表現を用いないで、この時を端的に「あなたがたの解放の時」と呼んでいる(ルカ二一・二八)。この「解放」はパウロがロマ書(八・二三)で語っている「体の解放」と同じ用語である。


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