マルコ福音書講解

まえがき




 この「マルコ福音書講解」は、市川が一九八六年九月に発刊した個人福音誌「天旅」に、創刊号から一九九四年一号まで五〇回にわたって連載されたものです。それを段落ごとに区切り、僅かの改訂を加えて、インターネット版で発刊することにしました。この講解の主旨と本文私訳について、連載第一回の末尾に置いた文を掲げて序言に代えます。

福音書講解の課題

 マルコはイエスの伝記を書こうとしたのではない。また、自分の神学を説こうとしたのでもない。あくまでも、当時のヘレニズム世界に向かって「神の子イエス・キリストの福音」を宣べ伝えようとしたのである。本講解は、マルコがしようとしたのと同じことをしようとしている。すなわち、マルコはイエスの地上の生涯と教えに関する伝承を用いて「キリストの福音」を宣べ伝えたのであるが、本講解はマルコが書いたことの解明を通して、今の時代に「キリストの福音」を語ろうとするのである。
 その際、わたしはこう確信している。イエスが宣べ伝えた「神の国の福音」と、使徒たちやマルコが宣べ伝えた「神の子イエス・キリストの福音」とは同じ質の現実である。それは共に、聖霊によって終末的事態が地上に到来して現れている姿である。そして、今われわれも信仰によって聖霊を受け、同じ終末的な場に入ることができる。また、そうしなければ、すなわち聖霊を受けて自ら終末的現実の場に生きるのでなければ、福音書を理解し、講解することはできない。
 本講解がこのような重い課題をどれほど果たしうるか、神のみ知りたもうところである。ただ、「信仰の量りにしたがって」、聖霊の御助けを祈り求めつつこの課題に向かうのみである。

付記

 この講解における福音書本文は、THE GREEK NEW TESTAMENT, edited by Kurt Aland and others, United Bible Societies,1966 を底本とした私訳を用いている。
 この私訳は左記の諸氏との新約原典研究会での六年にわたるマルコ福音書の研究討議の中から生まれたもので、それぞれの専門の立場からの御教示に負うところ多く、ここに心からの感謝の意を表します。勿論、訳文の責任は一切市川にあります。
 久野晋良 (大阪経済大学教授ー宗教学)
 私市元宏 (甲南女子大学教授ー英文学)
 井上正名 (京都工芸繊維大学教授ー英文学)
 白井進  (日本キリスト教団西田町教会牧師)


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